孫基禎の銅像設置にドイツ側難色(下)

残る課題は

 孫基禎の魂が再びベルリンに復活したが、今後も解決すべき課題は多い。その一つが、現在、ベルリン五輪メーンスタジアムにマラソン優勝者として刻まれた孫基禎の国籍が日本になっていることだ。

 現在、日本に住む孫基禎の息子、孫正寅(ソン・ジョンイン)さん(67)は今月11日、神奈川新聞とのインタビューで、「当時、マラソンで日本が優勝したのは事実だが、日本人が優勝したわけではない」と述べた。

 この問題について金理事長は、「そのインタビューの趣旨は、孫先生の国籍を韓国に戻さなければならないということだ。銅像がベルリンに永久保存されるのをきっかけに、ジャパンと刻まれた国籍をコリアに変更する運動に取り組んでいきたい」と述べた。

 旧・養正高校の跡地にある財団など、各地に散在する孫基禎の遺品を収集・展示する記念館の建立も急がれる。現在、五輪優勝当時に孫基禎が贈呈されたギリシャの青銅闘具は、ソウル市竜山区の国立中央博物館に、金メダルは同市永登浦区汝矣島洞にある銀行の貸金庫に、月桂冠と優勝の賞状は、国会憲政記念館にそれぞれ保管されている。

 また、養正高跡地にある孫基禎記念財団の事務所は、広さがわずか50坪と非常に狭く、記念品の多くが収蔵庫に保管されたままだ。さらにその一部は、孫基禎の外孫である李埈承(イ・ジュンスン)財団総長の自宅に保管されている。

 金理事長は国会に対し、孫基禎記念館を建立するための経費として100億ウォン(約7億2000万円)を要請している。その一部でも認められた場合には、「記念館建立の記念れんがを設置する」といった形で、国民全体が参加できる運動を行う構想も明らかにした。

 日本による韓国併合から100年を迎え、やや前向きな姿勢を示しつつある日本だが、ひそかに反対することも考えられる。1971年当時、パク・ヨンロク議員が孫基禎の国籍として刻まれたジャパンをコリアに変更したが、ドイツがこれを元に戻した。今回も銅像の設置は許可したものの、日本の顔色をうかがっているという。

 大会が開催されるテンペルホーフ国際空港も非常に象徴的な場所だ。

 1923年に建設された同空港は、ヒトラーが自らの業績として主張した地であると同時に、旧ソ連が西ベルリンを封鎖した1948年6月から翌年5月にかけては、ベルリン封鎖をきっかけに世界中から注目を集めた。

 当時、ソ連の措置に対抗して米英仏3国が数十万トンの食糧や燃料を西ベルリンに空輸した際、空の玄関口となったのが、このテンペルホーフ空港だった。この歴史的な空港は、2008年に閉鎖された。

 今大会は第1回目という点を考慮し、42.195キロではなく、テンペルホーフ空港を1周する10キロのコースで行われる。ただし、孫基禎記念財団とドイツ韓人会は、将来的にコースを延長することを積極的に検討しているという。

文甲植(ムン・ガプシク)スポーツ部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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