孫基禎の銅像設置にドイツ側難色(上)
孫基禎マラソン大会に合わせ、ベルリンに銅像設置へ
韓国人社会の一体化を目指すドイツ韓人会が記念財団に提案して実現
日本の顔色をうかがうベルリン市に配慮し、メーンスタジアムの外に設置
1936年7月、一人の若者が東京を出発し、関釜連絡船に乗って玄界灘を越え、京城-満州-シベリアを大陸横断鉄道で横断した。およそ2週間後、この若者は、夏季五輪が開催されるドイツのベルリンに降り立った。8月9日午後3時、56人の選手がスタートラインから一斉に飛び出した。30キロ地点から独走態勢に入ったのは世界的なスターではなく、平安北道新義州出身の朝鮮の若者だった。彼は故郷で鴨緑江の河原を走りながら、マラソンのトレーニングに励んでいた。1位でゴールインしたこの選手こそが、悲運の英雄として知られる故・孫基禎(ソン・キジョン)選手(1912-2002)だった。それから74年、「孫基禎の魂」が再びベルリンによみがえった。9月18日午後1時から開催される「第1回孫基禎ベルリンマラソン大会」に合わせ、銅像が現地に到着した。当時、孫基禎の胸には日章旗が描かれていたが、銅像となった孫基禎の胸には太極旗(韓国国旗)が刻まれている。74年前、孫基禎の頭に月桂冠が置かれたとき、日本の国歌である「君が代」が演奏された。しかし今回は、韓国の誇りである「愛国歌」が演奏される。
- ベルリンに故・孫基禎(ソン・キジョン)選手の銅像設置を実現させた、孫基禎記念財団の金聖泰(キム・ソンテ)理事長。/写真=朱完中(チュ・ワンジュン)記者
■孫基禎の銅像がベルリンに設置されるまでの経緯
与党ハンナラ党議員で孫基禎記念財団の金聖泰(キム・ソンテ)理事長(53)によると、孫基禎の銅像をベルリンに設置する運動は、今年2月から始まった。当時、選出されたばかりのキム・ジンボク・ドイツ韓人会長から連絡を受けたのがきっかけだった。
金理事長によると、現在ドイツの韓国人社会は世代ごとに分裂しているという。1960-70年代に外貨稼ぎのためドイツに派遣された鉱山労働者や看護師などの第1世代と、留学のためにドイツにやって来た第2世代との考え方の違いによるものだ。韓人会は世代による分裂を克服し、韓国人としてのアイデンティティーを確立しようと試行錯誤していた。
ちょうどそのころ、キム韓人会長が、韓国人社会を一つに団結させる象徴的な人物として、孫基禎選手のことを思いついた。そして「孫基禎選手の名前を冠したマラソン大会を開催しよう」という意向が、財団に伝えられた。金理事長は名称の使用を許可し、資金面で支援も行った。
その後、孫基禎記念財団はマラソン大会の開催を契機に、2006年に制作された孫基禎の銅像をベルリンに設置する運動を始め、ついに実現した。孫基禎の銅像は二つ作られたが、大きさは土台を合わせると2メートル50センチにもなる。
西洋画家の姜亨九(カン・ヒョング)氏と彫刻家のパク・チョルチャン氏が共同で制作した銅像のうち一つは、ソウル・蚕室のオリンピック競技場に保管されている。もう一つは、ベルリンに設置される予定だったが、日本の顔色をうかがってドイツが難色を示したため、京畿道内の倉庫に保管されていた。
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