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[11417] 【ネタ短編】とある絵描きの幻想郷生活(東方project×足洗邸の住人たち)
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/11/21 16:28
 ここは忘れられたもの達が集う世界。
 外の世界、いわゆる『現代』から忘れ去られたモノが流れ落ちる場所。
 名を『幻想郷』と言う。

 この世界には人は勿論、妖怪や妖精、幽霊や神が存在し、ごく自然に人と関わりを持っている。
 関わり方は種族や個人の趣向に左右され、悪戯などの可愛いものから捕食や殺意という人間からすれば最悪な形の物まで実に様々。
 だがこの世界は幾つかのルールに則る事でバランスを保ち、今日も平和に過ぎていくのだ。

 そんな幻想郷の唯一の人里。
 人里に置いて最も大きな屋敷の一室で座布団に座って机に向かっている男性がいる。
 年の頃、二十代後半。
 伸ばした髪を無造作に背中に流し、黒縁の眼鏡を掛けた彼は幻想郷では珍しい鉛筆を使って紙に何かを書いていた。


拝啓
 おじいさん、おばあさん、お元気ですか?
 月日が経つのは早いもので俺がこの『幻想郷』に来て一ヶ月になります。
 来た当初、というか唐突にこの場所に来てしまった当初は非常に混乱しましたが落ちた場所が良かった為か俺は今もこうして生きています。
 仕事も始めましたし居候している家の方々にも良くしてもらっています。
 ここでの生活に不満は何一つないと言ってもいいでしょう。
 強いて文句、と言うと恐れ多いので愚痴を言わせてもらうならば。
 よくわからない理屈でこっちに来てしまった俺の事を『あいつら』が心配していないかだけが気がかりです。
 まぁ義鷹辺りは「あ、いなくなったんだ」くらいで気にしなさそうですがお仙や玉兎が切れてそうで怖いです。
 特に玉兎とは絵本の約束もありますし。
 ……約束破って蒸発したとか思われていたら帰れてもあの世行きっぽい気がします。
 義鷹、助けてくれんやろか? 無理っぽいなぁ。なんか煽りそうやし。
 管理人ちゃんは……やっぱ無理やろなぁ。たぶん心配してくれてるから一緒になってボコってきそう。
 ああ、ますます帰る気がなくなっていく。


 手紙を書き進めながらどんどん顔色を悪くしている青年は傍目から見ると非常に奇妙に見える。
 それは今、彼の部屋に入ってきた少女から見ても同じ事。

「あの……福太郎さん。顔色が悪いですけど大丈夫ですか?」

 障子越しに声をかけても反応しなかった青年が気になり、無礼と理解しつつも部屋に入ってきた少女は気遣わしげに声をかけた。

「うおっ!? びっくりした!!!」
「ひゃっ!?」

 青年は突然、声を掛けられた事で全身を硬直させ、勢いよく振り返る。
 そこには耳元が完全に隠れた髪を両サイドから首筋まで流した頭に花飾りを付けた少女が驚いている姿があった。

「あ、阿求さんやないですか。すいません、驚かしまして」

 ヘコリと頭を下げ、頭を掻く青年『田村福太郎(たむら・ふくたろう)』に少女『稗田阿求(ひえだの・あきゅう)』は気にしないでと首を横に振った。

「お気になさらないでください。……それより顔色が悪いようですがどこかお体の具合が良くないのですか?」
「ああ、いえ。そういう事ではなくてですね。ちょっと考え事しとったんですわ」

 彼の視線が部屋の隅に立てかけてある額縁に移る。
 まだ描きかけの『どこかの邸』と、その門の前に並んでいる『八人の住人』の絵。
 その意図を読み取った阿求は笑みを浮かべた。

「ああ。一緒に住んでいた方々の事を考えていらっしゃったんですね?」
「ええ……何分、なんの前触れもなくここに来たもんですから。今頃、怒ってないかなぁと」

 情けない話ですがと付け足し、苦笑いをする福太郎に阿求は笑顔のまま首を横に振った。

「怒っているという事はそれだけ心配したという事です。そして心配したという事はそれだけ貴方がその方々にとって大切な存在だと言う事。怒られる事くらい受け入れないとバチが当たりますよ?」

 その笑顔と告げられた言葉に福太郎は数瞬、呆然とするとまた頭を掻いた。

「ははは、確かに。殴られるくらいはされな釣り合いが取れませんな。心配かけてるんなら……」
「そうですよ」

 二人笑い合うと、福太郎は気を取り直して机に向き直り、書いていた手紙を屑籠に放り投げた。

「捨ててしまうんですか?」
「ええ。手紙言うても幻想郷からじゃ届きませんからね。これはあれです。自己満足というか愚痴をツラツラと書き殴りたい衝動に駆られたというか、ストレス発散のようなもんなんで適当に切り上げても構わんのですよ。そういう意味じゃ丁度良い時に声かけてくれましたよ、阿求さん」
「……そう、ですか」

 よっこらせと立ち上がり、敷いていた座布団を部屋の隅に置き、押入れの中の商売道具を取り出す。

「あ、今日もお出かけですか?」
「ええ。居候の身で日がな一日ダラダラしてるわけにもいきませんし……せっかくこんなよくわからない場所に来てるんですから楽しもうかなっと」
「人里の中は不可侵ですから大丈夫だとは思いますけど、気をつけてくださいね? 殺傷沙汰にはならないまでも騒ぎは起こるかもしれせんから」
「ええ、それじゃいってきますわ」

 重そうに荷物を背負い、彼は私室を後にする。
 残された阿求はいつも通りの飄々とした彼の言葉に笑みを浮かべながらこう告げた。

「はい。いってらっしゃい」



 人里で最も人の行き来が激しい通り。
 客寄せの威勢のいい声が聞こえる中、彼はそっと定位置である場所に荷物を置いた。
 イーゼルを立て、画板を置きその上に何十枚もの紙を乗せる。
 香霖堂という外の世界の品物を取り扱う店から格安で買ったパイプ椅子に腰掛け、鞄から鉛筆を取り出し、イーゼルに立てかける。
 最後に阿求の好意で作ってもらった看板を通行の邪魔にならない場所に置いた。

『絵、描きます』

 彼のいつものお仕事が始まる。


 この世界に落ちて、阿求に助けられた彼がまずやろうと思った事。
 それは勿論、元の世界に帰る事だ。
 混乱する頭をどうにか静め、阿求に話を聞き、人里の守護を行っている女性『上白沢慧音(かみしらさわ・けいね)』に土下座して博麗神社に連れて行ってもらい、巫女である『博麗霊夢(はくれい・れいむ)』にこれまた見事な土下座を行った。
 必死に外へ帰ろうとする彼に心打たれたのかどうかはわからないが霊夢はあっさりと願いを受け入れた。
 短いながらも世話になった人々にお礼を言い、つつがなく進行していく準備に福太郎が胸を撫で下ろすのも束の間。
 いざ還るという段階で問題が発生した。

 霊夢が準備を整え、彼女の号令で神社の入り口である鳥居を通り抜ける。
 内心、ドキドキしながら鳥居をくぐったその先は。
 見慣れた、グチャグチャでゴミゴミとして何もかもが混ざり合った『あの世界』ではなく。
 少し寂れて何かあれば賽銭を要求する巫女がいる、ついさっきまでいた博麗神社だった。

 そう、何故か彼は自分の世界に帰れなかったのである。
 何度と無く試してみたが結果は変わらず。
 意気消沈しながら慧音と共にその日は人里に帰る事になった。

 博麗神社から帰る事が出来なかった事に阿求も大層、驚いていたが帰る目途が立つまで住居を提供してくれると言ってくれた。
 恥も外聞もなく、その言葉を受け入れた彼だが、さすがにただそのままじっと阿求邸に引き篭もるほど落ちぶれてはおらず。

 自分に出来る事はないかと模索した所、数秒と経たずに浮かんだ事があった。

 それは『絵を描く事』。
 幸いにも彼と一緒に使っていた道具も落ちてきたので用意する物は紙くらいで良かった。
 絵の具の量が心もとなかった為、最初は鉛筆だけで書くつもりだったのだがひょんな事から行く機会に恵まれた香霖堂で見つける事が出来た。
 保存状態も良好で数も多く、当分は絵の具や鉛筆が切れるという状況にはならない。
 
 ならばと阿求に断りを入れてから邸の庭を気の済むまで絵の具を使用して描き上げ、彼女にプレゼントした。

「今までお世話になったお礼と今後もお世話になってしまうお詫びです」

 その時の阿求の笑顔は正に花が咲いたというほど綺麗な物で。
 今でも福太郎の脳裏にその時、感じた気持ちと一緒に焼き付いている。

『ああ、こんな風に笑ってもらえるならこれを仕事にするのも悪くないなぁ』

 福太郎の感謝が込められたその絵は今も阿求の部屋に飾られている。

 それからと言う物、彼は昼間に外に出て有料で絵を描くようになった。
 駄菓子一つ買うような安価で。
 流石に手の込んだ絵を書く場合は別途で料金を請求するし、『人間』の似顔絵を描くのを嫌がるという周囲から見ると非常に奇妙な事をしていたが。
 それでも珍しさからか客は集まり、人里の絵描きの噂はあっという間に幻想郷中に広まった。

 色々な事があった。
 鴉天狗の『射命丸文(しゃめいまる・あや)』がここぞとばかりに新聞のネタとして取材を申し込んできたり。
 霊夢が元の世界に還せなかったことを気にして様子を見に来たり。
 霊夢から話を聞いてきたと全身を白黒で表現できる魔法使い『霧雨魔理沙(きりさめ・まりさ)』や人里で人形劇を行っている人形遣い『アリス・マーガトロイド』が興味本位で顔を出したり。
 慧音が営んでいる寺子屋の講師として福太郎に臨時教師(勿論、教えるのは絵の描き方)をお願いしたり。
 他にも吸血鬼やメイド、兎妖怪やお姫様(えらく垢抜けた雰囲気には驚かされた)、果ては幽霊(半霊含む)や神様が何柱か(威厳があったり無かったり)と非常にバラエティに富んだ客が彼の元を訪れた。
 彼女らとの会話は福太郎自身にとっても非常に楽しい物で。
 仕事を始めてから一ヶ月が経過した今、彼はこの世界に非常に馴染んできていた。


「お、福太郎さん。今日もお仕事に精が出ますね」
「はは。まぁ自分のやりたい事をやってるんでやる気だけはありますから」

 通りすがりのおばちゃんの挨拶にのんびりと答え、視線を今日一番目のモデルに戻す。
 目の前でカチコチに固まっている少女は鬼である『伊吹萃香(いぶき・すいか)』である。
 小柄な、小学生か良くて中学生にしか見られないような体格。その体格と不釣合いな長さの二本の角。腰には瓢箪を引っさげ、なぜかその両腕には囚人のような鎖に繋がれた重しがついている。

 こういう事の経験がまったくない為(まぁ恐れられている鬼という立場からすれば当然であるが)、度を越えた緊張でピクリとも動かない。
 その表情も引き結ばれ、必死で動かないように自分を抑えようとしているのが見て取れた。

「あー、萃香ちゃん萃香ちゃん。別に動いても問題ないんよ? 全体像は掴んだからあとはこっちで修正するし」
「えっ? そうなの?」

 何が不安なのか上目遣いに福太郎を窺う。
 以前、博麗神社での小さな宴会の席で酒を水のように飲みまくっていた時の豪気な雰囲気は微塵もない。

「そ。やからまぁ適当に気を抜いててええよ。絵が出来るまで暇やろうしね」

 そう言って笑みを浮かべながら彼は鉛筆を走らせる。
 萃香は大きく息を吐き出すとさっそくというかなんというか腰の瓢箪を開け、酒をあおり始めた。

「ん、ん、ん! ぷはぁ……。はぁ、やっぱり慣れない事するもんじゃないなぁ。なんか肩凝っちゃった気がする」
「何言ってんの。始めてから十分も経ってないじゃない」

 満足げな表情の萃香に呆れて声をかけたのは霊夢だ。
 買い物に来た所を偶然、萃香と一緒になり彼女が前から興味を持っていた仕事中の福太郎に引き合わせたのである。

「うーん、でもあんまり動かないのは好きじゃないなぁ。なんかじっと見られて緊張したし……」
「鬼が人間に見られるのに緊張してどーするのよ。襲い襲われる関係の癖に」
「いやそーいうのとは違うじゃんか。今回のは」

 とめどなく会話する二人の声を聞き流しながら、福太郎は絵を仕上げていく。
 そしてこの五分後、仕上がった絵を満足そうに胸に抱いて去っていく萃香の姿があった。

「嬉しそうやったねぇ」

 萃香が去った後、何故かその場に残った霊夢に話題を振る。

「ええ。まぁあの子、あれでも鬼ですからね。怖がられるのが当たり前ですし、絵を描いてもらうなんて事もなかっただろうし。それに……」

 じっと福太郎の目を見る霊夢。
 彼はそのもの珍しげな物を見る視線に首を傾げた。

「? なに?」
「貴方みたいに妖怪を恐れない人間なんてなかなかいませんから」

 ああ、なるほどと福太郎は言われた言葉に相槌を打つ。

「でも君かてそうやろ? 阿求さんから聞いたで? 今まで色んな『異変』を解決したって。その時あのレミリアお嬢さんやらかぐや姫さんとかと戦ったんやろ?」

 名を挙げた二人はどちらも彼の描いた絵を高く評価し、御代とは別に自分の邸に招待したいと言ってきたほどの上客である。
 なにやら絵以外にも福太郎に興味を持っているようだがそれはそれである。

「そりゃまぁ『博麗の巫女の役割』は異変の解決ですからね。妖怪が怖いなんて言ってたらやってられません」
「まぁそうなんやろなぁ。でも俺の場合やって君とそう変わらんよ? 環境が環境やったからね」
「環境って鬼より怖い人が近くにいたんですか?」

 暢気に笑みを浮かべる彼との会話に、よくわからない安心感を抱きながら霊夢は質問する。
 すると彼は少し遠い目をしながら応えてくれた。

「うん。寺子屋みたいな所で教師しててなぁ。その時の生徒に吸血鬼やらサキュバスやら狼男やら狸娘やらロボットやら色々おったし。俺の住んでる、こっちでいう所の長屋みたいなところには悪魔やら天井下りやら外国の精霊やら鵺やら兎の変化やら住んでたからねぇ。あ、ちなみにそこの管理人さんは七本尻尾の猫又やったね」

 その話の内容に霊夢は噴出した。
 なんだ、その長屋は。
 幻想郷よりごちゃごちゃしてるじゃないか。

「ええ!? ちょっと福太郎さん。それって冗談ですよね?」
「え? 冗談っぽく聞こえたん?」

 きょとんとして聞き返してくる彼の顔をじっと見る。
 目をパチクリさせているその様子には嘘を言っている様子はない。
 少なくとも彼女にはそうは思えない。

「で、でも外の世界って魔法だとか妖怪だとか神様を信仰する心なんてなくなってそういう存在はもうほとんど残ってないんじゃ……?」
「あー、こっちじゃそういう伝わり方しとるんやったっけ? それな、二十年前に変わってしもたんよ。色々あってな。やから今、俺らの世界には人間以外の存在って珍しくないよ」

 そう言うと彼はまた遠い目をした。
 口元を引き結んで空を見上げるその姿はまるで思い出したくない記憶から目を逸らしているように霊夢には見えた。

「今のお話、もっと詳しく聞かせてくださる?」
「はい?」

 艶のある成熟した女性の声に思わず福太郎は周囲を見回す。
 だがそこにはいつも通りの風景が広がっているだけで霊夢以外、自分に声をかけるだろう人物、今の声に該当するような者は見当たらない。

「違うと思うけど、今の妙に色気のある妖しい声って霊夢ちゃん?」
「違いますよ。でも今の声の主は知ってます。また唐突に現れるわね、アイツ」

 そう言って霊夢はため息をついて肩を落とした。
 クエスチョンマークが頭の中を乱舞する福太郎。
 その目の前で唐突に空間が割け、中から女性の上半身が出てきた。

「うおぅ!?」
「はぁい、霊夢。そちらの外来人の方は初めまして」
「出たわね。スキマ妖怪……」

 衝撃的な光景に思わずパイプ椅子から転げ落ちる福太郎。
 そんな彼の反応を面白そうに見ながら扇子で口元を隠して挨拶する女性。
 そして厄介事がやってきたと嫌そうに彼女を見つめる霊夢。

 ウェーブがかかった長い金髪に紫と白を基調にしたゆったりとした衣服を纏い、白い帽子に日傘を差した女性。
 非常に美しいのだが浮かべている笑みが余りにも胡散臭い上に相変わらず身体の半分が妙な裂け目の中にある為、素直に見惚れる事が出来なかった。

「ど、どうも。田村福太郎、言います」

 立ち上がり、服についた汚れを払うと福太郎は目の前の美女に頭を下げた。

「ふふふ、よろしく。私は『八雲紫(やくも・ゆかり)』。妖怪の賢者なんて呼ばれているわ」
「ただのぐうたら妖怪の間違いでしょ。それで? 年がら年中、食っちゃ寝のアンタが人里に何の用よ?」

 警戒心むき出しの霊夢をなにやら微笑ましそうに見ながら、紫は福太郎に視線を向けた。

「彼が話していた外の世界の話に興味があるのよ。出来ればもっと詳しく聞きたいわね」
「はぁ? 別に構いませんけど。……ああ、すみません。まだ仕事の時間なんで終わってからじゃ駄目ですかね?」

 彼は夕方くらいまでは基本的に仕事をするようにしている。
 事前に申し出があった場合は夜に阿求の許可をもらって家で書くこともあるが基本方針はそうしている。
 だからそれまではこうしてこの場で座って客が来るのを待つつもりだし、このサイクルは出来れば変えたくないと考えているのだ。

「ええ。でもすごく気になるから早速、今夜でも構わないかしら? 阿求には私から話を付けておくから。貴方は仕事が終わったら真っ直ぐ稗田邸に帰ってくれる?」
「了解了解、かしこまり~~」
「ふふ、それじゃまたね」

 何かを含んだ、いかにも裏があるぞと言う笑みを浮かべて彼女は空間の裂け目の中に消えていった。
 その裂け目のあった空間を福太郎は興味本位で撫でてみるが、裂けていた痕跡のような物は当然、わからない。

「なんや凄い人やったねぇ。あの裂け目なんなん? なんか裂け目の中から妙な目がぎょーさんこっち見てたけど」
「あれは『スキマ』って言って……まぁ空間の裂け目って認識でいいですよ。色んなところに繋げられて便利だって自慢げに語ってましたから」

 へぇ、ほう、ふぅ~んと興奮した様子で空間を撫で続ける福太郎。
 奇行に走っている彼を見て霊夢は右手でコメカミを抑えた。

「自作どこでも○アやね。すごいなぁ、中がどうなってんのかも気になるわぁ」
「やめておいた方がいいですよ? どうせ碌なもんじゃないし下手をしたら命を落とすかもしれませんから……」
「ん~~、そうかぁ。すっごく気になるんやけどなぁ」

 本気で残念そうにしている彼に霊夢は苦笑いしながら告げる。

「だったら今日、会った時にでも頼んでみたらどうですか? それにあいつならスキマで外の世界と行き来できますからもしかしたら帰れるかもしれませんよ?」
「えっ!? それ、マジで霊夢ちゃん!」
「うひゃぁっ!?」

 ガシッと両肩を捕まれ、霊夢は思わず奇声を上げる。
 色々と異性に対する経験が不足している彼女にとって福太郎のこの行動は刺激が強かったらしい。

「そう言えば阿求さんもスキマ妖怪に会えればどうにかなるかもって言ってたなぁ。そっかぁあの人がそうなんや!」

 喜ぶ余り、霊夢の肩をぶんぶんと前後に揺すりながら笑う。
 いつまでも終わらないそのシェイクに霊夢が怒鳴るまで、通りには福太郎の笑い声が響き渡っていた。
 勿論、彼女らの様子は通りを歩く人の注目の的になり、しばらく人里では二人の関係についての噂が囁かれるようになる。


 買い物の帰り道。
 霊夢は紫の態度に疑問を抱いていた。

「(紫のやつ、普段は外来人なんて放置する癖になんで今回に限って……しかも外の話を聞きたいなんて言い出したの? あいつが今更そんな事を聞く必要なんてないじゃない)」

 福太郎に話した通り、彼女は自由に外の世界に行く事が出来るのだから態々、外来人に話を聞く意味はない。
 ただの気まぐれかもしれないとも思う。
 だが霊夢は直感で、そうではないと確信していた。

「(もしかしてあたしが知っている外の情報と福太郎さんの世界の情報が食い違ってるから? それにしたって……)」

 霊夢のこの疑問は神社に帰っても解ける事はなく、彼女は漠然と気になったので翌日、福太郎に会いに行く事にした。

 その際、里での二人の様子をどこからか聞きつけた文が『文文。新聞』の号外にこんな記事を書いてばらまいており、彼女の顔を羞恥と怒りで真っ赤にする事になる。
 題名は『博麗の巫女についに春が!?』。
 その新聞を見た巫女が彼女をボコボコにする事を誓うのは自然な流れだった。


あとがき
初投稿になります。白光(しろひかり)です。
思いつきのネタとしてこんな作品を投稿しました。
足洗邸ってマイナーな分類になるので分かる方がいるか不安なのですがその作品の主人公が幻想入りです。
ちょっと彼の口調に自信がないのですが、全体を通してご意見などあればどうぞお書きください。
短編でネタではありますがまだ続きますので暇潰し程度に考えて楽しんいただければと思います。



[11417] 【ネタ短編】とある絵描きの幻想郷生活(東方project×足洗邸の住人たち)
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2010/08/21 21:59
夜 稗田邸

 現代のように電気が普及していないこの世界では夜間の灯りは行灯に頼っている。
 最も蛍光灯などとは比較にならないほど明かりとしては小さい物だが。
 しかしそんな程度の明かりでもこの幻想郷に置いてはとても貴重である。
 福太郎としては居候の身でそんな物を使わせてもらうわけにはいかないと夜はさっさと寝るようにしている。
 稀に絵を描いたり、阿求に請われて彼女の部屋で『彼の世界の話』をする為に夜更かしする事もあるがそれは数少ない例外。
 ともかく彼はこの一ヶ月の間に早寝早起きを自然と心掛けるようになったのである。
 そんな彼の久方ぶりの夜更かしは。

「ふふふ。まずは乾杯しましょうか?」
「はぁ……喜んで」

 妙齢の美女との談笑という男冥利に尽きる一時になっていた。
 お猪口を受け取り、徳利に入れた酒が注がれるのを見つめる。

「それじゃ今度は俺が……」
「あら、ありがとう」

 徳利を受け取り、差し出されたお猪口に酒を注ぐ。
 お互いの猪口が満たされたのを確認すると二人はゆっくりと口を付ける。

「ふふ、殿方と飲むお酒なんてどれくらいぶりかしらね」
「自分じゃ役者不足っぽい気がしますがね……」

 艶っぽい表情を浮かべる紫に苦笑いの福太郎。
 リィンリィンとコオロギの鳴く声が彼らの耳に心地よく響き渡り、開け放たれた 窓から見える月が薄暗い部屋の中を心地よく照らす。

 しばしこの静かな時間を楽しむように沈黙し、二人は示し合わせたように姿勢を正して向き合った。

「田村福太郎さん。単刀直入に聞くわ……」

 今までのどこか不真面目でふざけた雰囲気を取り払い、触れれば切れるような剣呑さを持ったどこまでも真剣な視線が福太郎を射抜く。

「はい。なんでしょう?」

 じっとりと背筋を伝う嫌な汗を極力、意識しないようにしながら彼は言葉の先を促した。

「貴方、どこから来たの?」

 虚偽など許さないという圧倒的な圧力と共に告げられた言葉に、福太郎の中で漠然とした予感が広がっていく。

「秀真国(ホツマノクニ)の外区、卍巴市(マンドモエシ)不思議町。そこの足洗邸(アシアライヤシキ)に住んでいました」

 福太郎はまるで一字一句を噛み締めるように、自分に言い聞かせるように答える。

「……霊夢か阿求から聞いているとは思うけれど私は能力を使用する事で外の世界に行く事が出来るわ」

 彼女の言葉に自分の中の嫌な予感がさらに加速するのがわかる。

「でも、私は秀真なんて国は知らない。聞いた事もない。昼間に貴方が話していた猫又が管理人をする人外が住まう住居である『足洗邸』という場所の事も。……そして何より」

 彼女の目が細められる。
 福太郎には続く言葉がなんとなく予測出来てしまった。
 この世界に置ける自分の立場を、強制的に理解させられてしまう事も。

「『田村福太郎』という人物は外の世界には存在しなかった。同じ名前の人間はいたけれど、貴方とは別人。年も顔も違った」

 隠しようのない汗が彼の全身から噴出する。
 自分の心臓の鼓動が福太郎にはやけに大きく聞こえていた。

「質問を変えるわ。私の知らない外の世界を語り、外の人間でありながら平然とこの世界に馴染んでいる……今ここにいる貴方は、『ナニ』?」

 その言葉を聞いて彼は理解してしまった。
 自分という存在は幻想郷も含めたこの世界にとってまったくの『イレギュラー』なのだと言う事を。



 目の前で大きなショックを受けて苦悩している男性を、私はただ静かに見据える。
 どうみてもただの人間であり、なんの力も感じさせないただの男。
 この世界に現れた経緯がまったくわからないという点を除いて。

 結界に綻びがあったわけでもなく、私がスキマを使って神隠しをしたわけでもなく、ただ気が付いた時には幻想郷にいた。
 何の余韻も残さず、何の違和感も残さずに。

 目の前の男にそんな芸当が出来るとは思えない。
 だが事実、男はそうしてここに来た。

 私はその事実に気付いた時、式神である藍(らん)と橙(ちぇん)にも手伝わせ、外の世界における彼の存在を徹底的に洗った。
 だが結果を見れば、先ほど彼自身に話した通り。
 『田村福太郎』は存在しないという結論に行き着いたのだ。

 何かを企んでいるとは到底思えない。
 それなりに社交的で、臆病で、好奇心が強い普通の人間である彼。
 だが一度、疑い出せばそれが擬態であるように見えてしまう。
 もしも……私にすらわからないように『擬装』しているとしたら。
 そんな事を考えてしまう。

 だから私は急遽、このような席を設けた。
 彼と真っ向から語り合う為に。
 勿論、何かしてきた時の為に自身の能力は展開している。
 妙な動きをすればすぐに彼をスキマ送りにし、待ち受けた藍たちの弾幕の餌食になるだろう。

「……問い掛けたのだから返答が欲しいわね」

 自分の胸を掻き毟るようにして何かに耐えるように呻く彼に、私はただ冷たい眼差しを向けて声をかける。
 歯を食いしばり、流れる汗を乱暴に拭うと彼はゆっくりと前のめりになっていた上体を起こし、私の瞳を見据えた。
 まだ顔色が悪いようだが、それでも幾分かマシになったようだ。

「紫、さん。貴方が俺を疑ってるのはようわかりました」

 無言で頷き、先を促す。
 私は今、彼と本気で相対している。
 普段、胡散臭いと言われてきた態度を完全に捨て去った、ただの人間からすれば圧倒的な力を持つ絶対者に見えるだろう姿で、だ。
 そんないつ牙を剥くともしれない妖怪を相手に真っ直ぐ目を見て話せるだけでも大した物だ。
 常人なら発狂していてもおかしくない。

「正直な所、『俺の世界』の事を証明する確実な証拠を俺は持ってません。そして幾ら俺の経験談を言って聞かせてもアンタは納得しない。やから……」

 彼はどこか諦めたような、それでも何かを決意した表情でただ真っ直ぐに私を見つめるとこう言った。

「俺の記憶を、二十八年間の人生を読んでもらえますか?」

 私がただの人間相手に驚愕の表情をするなど何年ぶりだろうか。

 記憶を読む、確かに私の『境界を操る程度の能力』を応用すればそれ自体は可能だ。
 だが人には誰しも知られたくない事という物がある。
 いや……それは人に限らず、妖怪であろうと神であろうと妖精であろうと幽霊であろうと変わらない。
 ましてやそれらが同軸に存在する幻想郷では尚更だ。
 かく言う私も他人の記憶に介入するのは好まない。
 精一杯に生きる者たちが刻んだ軌跡を汚すような真似は出来ればしたくなかった。

 だと言うのに彼はソレを進んで差し出すという。
 目を見れば彼が本気である事はわかる。
 少し能力を使用して頭の中を覗いてみればそこにあったのは『信じてもらう為ならこれくらい安い物だ』という単純明快な理屈が鎮座していた。

 驚きに思わず目を見開いた私を誰が責められるだろう。

「……何故、そんな申し出を?」

 場を取り繕う為に出てきた言葉に彼はため息と共に答える。

「信じてもらわな先に進めないからです。紫さんが何と言おうと俺は俺の記憶を信じてる。足洗邸は存在して俺は確かにそこに住んでいて、そこの住人やご近所さん、職場の人間なんかとわいわいやってたって記憶を。でもアンタにそれを信じてもらう術がない。あとはもう消去法で……記憶を読ませるくらいしか残らなかったんですよ。まぁそもそもなんでもありなその『境界を操る程度の能力』について前に阿求さんから聞いてたから言ってみたんですがね」

 諦めるように首を振るが、その決断に対してなんら後悔している様子はない。
 記憶を読ませるという事の意味を理解していないのだろうか?

「……私は自分で言うのもなんだけど愉快犯のような事をするわ。自分が楽しければそれでいいと考える身勝手な妖怪よ? そんなヤツに記憶を読ませた後のデメリットは考えないの?」

 自分で言っていてむなしくならなくもないが、ここはいつも通りの姿勢を貫く。
 霊夢たちに胡散臭いと言われている笑みを顔に貼り付けながら。
 彼の真意を見極める為に。

「そんな風に自分の事、悪く言って忠告してくる人は本当に触れちゃいけない事は黙っていてくれますよ」

 経験則ですがね、と言ってヘラヘラと笑う彼を見て腹の探り合いをしていた自分が馬鹿らしく思えた。

「まさか貴方みたいな普通の人間に一本、取られるなんてね」
「まぁ人間だってやる時はやるんですよ」

 心の底から出てきた笑みに、彼は頭を掻きながら明後日の方向に視線を向けながら答えた。
 あら、もしかして照れてるのかしら?
 からかってもいいけれど、今は本題を進めましょう。

「貴方の意志はわかったわ。そしてその勇気と決断力に敬意を表して誓う。貴方の記憶を他者に口外するような事はしない。私の胸の内にだけ留めるわ」
「ありがとうございます」

 ちゃっちゃとやってしまいましょうと言って彼は目を閉じた。
 何をされても抵抗しないという意思表示なのだろう。
 こんなにもあっさりと無防備な姿を晒されると悪戯心がむくむくと湧いてくるがここは自重しておく。

 既に私は彼を『幻想郷に害する者』とは思っていない。
 あれだけ揺さぶったのに芯を通して私と相対し、誠心誠意を持ってぶつかってきた相手だ。
 それなりに信用するのが道理だろう。

 だが彼とのやり取りで私は個人的な興味から彼のこれまでの人生が気になってしまった。
 だからこの絶好の機会を逃すつもりはない。
 彼が嘘を吐いていないという確証を得るという立派な口実があるこの機会を。

「ガチガチに固まってるわね。こういう事されるのは初めてかしら?」
「目を瞑ってる状態でそういうセリフを聞くとイヤにエロく聞こえますなぁ」
「あら、失礼しちゃうわね。私、身持ちは固い方よ?」

 そんな談笑で一呼吸を置き、私は彼に向かって自分の能力を発動した。



 最初の記憶は廃墟の中でただただ泣いている『自分』。

『あー! あー! あーあー!!!』

 『莫奇(ばくき)』という他者の記憶を食べて溜め込む妖怪との『世界に強制された共存』。

『子供さん、子供さん』
『オレの事、守ってくれや!』

記憶を無くして、心細くて、切なくなる。
そんな『自分』に名前を教えてくれた妖怪。

『子供さんの名前は福太郎。幸福であるように金太郎や桃太郎のように強い男になるように。お爺さんが付けてくれたのさ』

 莫奇はただ優しく、その大きな身体で包み込んでくれた。
 この全てが混ざり合った世界で何もかもを無くした『自分』を。

『ここまで育ててくれた親御さんのためにも福太郎は生きなければいけないよ』
『もし過去の事を思い出して辛くなったら……いつでもあたしを呼ぶがいいさ』

 それが新しい『田村福太郎』の始まり。


 出会ったのは関西弁の双子。
 身体が弱い弟と弟の分まで強くなろうと誓った姉。

『ウチがジッポを助けたらなあかんねん!』
『無理や、そんなん!』

 本当に純粋に弟を、誰かを守りたいと願うその心に女の子が押し潰されないかが心配だった。
 だから『自分』は彼女の思いを否定した。

『誰かの為に戦い続ける。そんな事が出来んのはテレビの中の作られた正義の味方だけなんやから』

 ただガムシャラに誰かを守ろうとする優しい女の子に、自分の事をもっと大切に考えて欲しかった。

『やったらウチが正義の味方になったるわい! 強なって強なって弱いモンみんな助けたる!!』

 だけど。
 優しいけれどそれ以上に頑固な彼女は『自分』の薄っぺらい言葉では納得してはくれなかった。


 17歳になった日。
 無くした記憶を莫奇が返した事で、『自分』の生い立ちを思い出した。

 ただただ悲しくて、ただただ苦しくて、ただただ重たくて、それまでの生活の全てから逃げ出した。
 ダラダラと生きて、成人して、生きていこうと努力して。
 それも限界になって死のうとした。

 でも。
 何度も何度も、死のう死のうと思っても、死ぬ事が出来なくて。
 流れ着いたその場所が『足洗邸』だった。

 猫又の管理人さんに歓迎され、妖怪の住人と会話し、人が死んだと聞かされた部屋で『天井下り』の少女と出会った。
 天井からぶらんと伸びていた髪を鷲掴みにして引っ張るというなんとも手荒いファーストコミュニケーションを行った。

『俺、今日から越してきた田村言いま。よろしゅうに。恨み言の一つでも聞いたるからそう怒りなや』
『私、笠森仙(かさもり・せん)。本当に聞いてくれんの?』

 妙に俺を好いてくれる天井下り。お仙。
 エロ小説家で、料理の上手い化け兎。望月玉兎(もちづき・ぎょくと)。
 思った以上に猫で、可愛らしい猫又。管理人である竜造寺こま(りゅうぞうじ・こま)。
 子供に優しい元極道の狂骨(きょうこつ)。味野娯楽(あじの・ごらく)さん。
 外国の民族に祭られていた楯霊(シールド・レイ)。マサライ。
 掴み所のない自分勝手な教師であり悪魔でもあるメフィスト・ヘレスさん。
 人間を観察しながら、何かを探している鵺(ぬえ)。義鷹(よしたか)。

 俺の生活は一変した。
 休む暇のない目まぐるしい日々が『死』から俺を遠ざけた。
 でも記憶を取り戻した俺にとってやっぱり世界は違和感ばかりだった。

 ある日、義鷹に問われた。

『昔、人間の為に戦って、人間の為に殺された妖怪がいた。お前はそいつをどう思う?』

 その妖怪が義鷹にとって特別な存在だったのはすぐにわかった。
 だから俺も自分が思った事を包み隠さず告げようと思った。

「俺はその妖怪の事知らんし、どーいう経緯でそうなったんかもわからんけど。……多分、そーする事が一番、そいつにとって良かったんとちゃうかなぁ」

 多分、その妖怪は『好きな人間』の為に戦って、自分がやりたいようにやった結果、死んだんだろう。
 なら他人がどうこうじゃなく、少なくとも自分は満足していたんじゃないかと思う。
 俺もいつか『死ぬ』なら、そんな風に生きたい。

『自分の道、つらぬいてよ。人生まっとうできりゃあよ。生きた甲斐もあるってもんよな』

 俺の言葉に思うところがあったのか義鷹は険しい表情を少しだけ緩めてこう言った。

『なぁ。もう少し話したい事があるんだが、良いか?』

 この日、俺と義鷹の距離が少し縮まった気がした。


 色々な事があった。
 本当に色々な事が。

 メフィストさんに半ば強制されて、学校で働く事になった。
 出来れば会いたくなかった幼馴染と再会して、えらく個性的な職員や生徒さんたちと関わって。

 義鷹がしばらく留守にすると言い、俺にお守り代わりにと白い玉『生玉(イクタマ)』を渡して消えていった。
 滅多に見せない自分の本当の姿を晒し、俺と二人で顔を見合わせて笑い合いながら。

『目ぇ潰れへんのはこの玉のお蔭か?』
『ヒャハ! それとも慣れか?』

 飛び立っていくソレは。
 真実よりもウソくさく、暗闇の中に白々しく、混沌の中に型創る。
 
 凄まじい速度であっという間に見えなくなるその姿を。
 醜いソレを『ボク』は美しいと思った。

 それからあまり経たずに俺は『飛縁魔・於七(ひえんま・おしち)』と名乗った女性と出会った。
 その出会いを引き金にして突然、始まった『大太(ダイダラ)』と呼ばれる、封じられた神々との戦い。

 混沌としていく戦場を見て、何の力も持たない『自分』に出来る事を捜した。
 都合の良い言葉をかけて住人たちを激励する事しか出来ない自分に嫌気が差した。

 出来る事を捜して、意味がある事を捜して。
 俺は『彼』に出会い、話をする機会を得た。

『貴方が山倭(ヤマト)……邪馬台國王、那賀須泥昆古命(ナガスネヒコノミコト)……』
『そう……今は亡き抹殺された國の王よ』

 存分に話し合って、気が付けば戦いは終わっていた。
 結局、俺に何が出来たかって言うと何も出来なかったようなモノだろう。
 でも彼との話は死にたがりな俺にとって、この世界に憎しみに近い物を抱いている俺にとって。
 前へ進める切っ掛けの一つになった。


 大太との戦いの間、ずっとどこかに消えていた義鷹に帰ってきて早々、こう言われた。

『三ヶ月、もって半年』

 俺の手、於七にぶった切られて玉兎に繋いでもらった右手を無感情に掴みながら。

『お前は死ぬ』

 それは俺にとって何よりも喜ばしい知らせだった。

 恥も外聞も何もなく。
 楽しかった事を、辛かった事を、悲しかった事を思い出しながら『俺』は泣いた。

『やっとかぁ……。やっと死ねるんか……』

 泣きながら盛大な愚痴をたった一人の観衆である義鷹にぶちまけた。
 今まで決して誰にも話さず、莫奇しか知らない世界に対する恨み言を。

 そして喚きながら決意した。
 俺は何があっても絵を描く事だけはやめないと。
 人生の最後の一瞬までこれだけは決してやめないと。

 そんな決意を感じ取ったのか、それともただの気紛れか。
 義鷹は俺にこう言った。

『ココから出るんなら一声掛けろよ』

 続く言葉に、今度は嬉しくて涙を流した。

『お前の最期を看取るヤツが、一人くらいいてもいいだろ』
『……はっ、泣かすなや』

 震える声で、一生にそう何度もないだろう喜びを噛み締めながら。
 俺は背を向けて煙草を吹かす『親友』と笑い合った。


 『私』の意識が彼の記憶の中から返ってきた。
 『俺』の中から異物が抜けていくのがなんとなくわかった。


 期せずして福太郎と紫は同時に目を開く。
 そして福太郎は目を見開いて驚いた。

 紫の目から涙が流れていたからだ。
 焦点の合わない虚ろな瞳から流れるソレを、福太郎は彼女の尋常でない様子を理解しつつも暢気に美しいと感じた。
 ほんの数秒の事ではあったが。

「……紫さん?」
「っ!?」

 気を取り直した彼が声をかけると彼女はびくりと身体を跳ねさせ、福太郎に背を向けた。

「……少し、待っていてくれるかしら?」
「ええ。わかりました」

 紫が深呼吸をするか細い呼吸音と変わらぬ虫の音だけが六畳間に響き渡る。
 一分もすると落ち着いたのか彼女はゆっくりと振り返り、彼と向かい合う姿勢に戻った。
 その目には涙の跡がくっきり残っていたので色々とアレだったが。

「福太郎……」
「っ……はい」

 今までの探るような物ではない声に意味もなく緊張する。

「……貴方はどうしたいの? 今の話じゃない、先まで含めた話よ?」

 その言葉は、実質的に彼の存在をこの幻想郷の中に認める発言だった。

 帰る手段を見つける為に死に物狂いで手を尽くすのか?
 ずっと阿求の屋敷で、この幻想郷で過ごし朽ちるのか?

 彼女は福太郎にこう問いかけているのだ。
 より具体的な彼の方針を問いかけているのだ。

「……帰る方法を探します。約束がありますんでね。そんで……どうしても見つからなかったらここに骨を埋めます。最期の最期まで生きて生きて……そんで死のうと思います」
「……そう」

 記憶を読まれた以上、隠し事は通用しないだろう。
 そもそも彼女の能力は大体の事は可能にするのだ。
 心を読む事さえも朝飯前だろう。
 ならば本音を隠す必要もない。

 彼の言葉を聞いた彼女は目を伏せて小さく頷いた。
 沈黙が耳に痛く、だが動く事も出来ない。

 そんな緊張感がしばらく続くと、おもむろに彼女が口を開いた。

「辛い思いを抱えて、辛い世界をずっと歩んで、今また辛い現実を進む。弱くて、でもそれ以上に強い人間、『田村福太郎』。幻想郷の守り手として、『八雲紫』一個人として貴方を歓迎するわ」

 その瞳はどこまでも真摯に彼だけを見据えていた。

「こんな得体の知れない人間、置いといてどうなっても知りませんよ?」

 ただの自分勝手な一般ピープルやねんから。

「別に構わないわよ。度が過ぎる真似をしたらキツイお仕置きをしてあげるから」

 私、自らの手でね。

「今のほどよいバランスの幻想郷が変わってまうかもしれませんよ?」

 まぁそこまで大それた事が出来るとも思ってませんが。

「それくらいの気概でここの連中と関わってくれると嬉しいわね。貴方がどんな変化をもたらすのか興味があるわ」

 せいぜい良い方向に引っ掻き回してね?

「ぷっ、ははは……」
「ふふふ……」

 そっと差し伸ばされる紫の手。
 笑い合いながら彼はその手を取った。

「幻想郷へようこそ」

 たった一人の女性の歓迎の言葉。
 その言葉が、福太郎には比喩抜きにこの世界からの歓迎の言葉に思えた。


 これは知られざる場所である幻想郷の住人たちとそこに迷い込んだ『別の外の世界』からやってきた絵描きの物語。



あとがき

彼がこの後、元の世界に帰る事が出来たのか、それとも幻想郷で『残り少ないかもしれない命』を全うしたのか。
それは誰にもわからない。
私にも(笑)。

作者の白光(しろひかり)でございます。
想定以上に早く書きあがったので投稿しました。
正直、寝不足のハイテンションで書き上げたのでなんか支離滅裂になってないかが心配です。
紫、キャラ崩壊してないかなぁ?
ヤバイ、投稿するのが超怖い。でもやる。だって書き上げたから!

ご意見、ご感想などありましたら気軽にお書きください。

この話で一応、一区切りになります。
ここからは本当に不定期の更新になり、幻想郷の住人一人をメインに据えて福太郎と関わる話を一話ずつ上げていこうと思っています。

例えば『霊夢と福太郎のダラダラ日常話』を一話、『真っ赤な館でのヴァイオレンスな吸血鬼との運命話』で一話と言った具合です。
感想と一緒にコイツとの絡みで一話が見たい! などの要望があればどうぞお書きください。
反映できるかどうかが不安ですが、どうにかこうにか書いていきたいと思いますので。
あんまり無理なキャラだったらあとがきか感想のお返事でムリッスと言います。

この物語をここまでお読みいただき、ありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。

初版 2009/9/21
修正 2010/8/21



[11417] とある絵描きと楽園の素敵な巫女
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/09/20 21:34
 幻想郷の外れにある博麗神社。
 そこに住む巫女である少女も日課の掃除を行いながら、そこはかとなく気分が高揚していた。
 
 博麗霊夢(はくれい・れいむ)
 艶やかな黒髪を赤いリボンで両サイドに結び、えらく通気性の良い巫女服?を着た少女である。
 一見、ただの少女であるが霊的な力がとても強く、さらに『空を飛ぶ程度の能力』を所有しており、今まで数々の異変を解決した実績を持っている。
 見た目通りのか弱い少女では断じてない。

 その日はいつにも増して晴れ晴れとした日だった。
 相変わらず賽銭箱が空なので、朝っぱらからむなしい気持ちになったがそれを和らげてくれる、思わず身体を動かしたくなるようなそんな陽気だった。
 
 なんとなく何かが起こるような気がする。
 そんな予感を感じながら彼女は掃除を続けた。

 そしてそれはうららかな午後の気持ちのよい日和の中、あっさり訪れる事になる。
 本人が想定した物とはまた違った形だったが。

「霊夢、いるか?」
「あら、珍しいわね。慧音、何かあったの?」

 縁側で日に当たりながら茶を啜っている所に現れたのは人里の守護者である慧音だった。

 上白沢慧音(かみしらさわ・けいね)
 陽光を受けて輝くような銀の長髪を背中に流し、特徴的な帽子に青を基調にしたゆったりめの服を着た女性。
 人里で寺子屋の教師をしている事から非常に生真面目且つ実直で規律を重んじる人物である。

 普段、あまり人里から動かない彼女が飛行しても着くまでに時間のかかるこの場所へ来るのは霊夢の言うとおり、珍しい。
 宴会にしても参加する事が少ない方であるし。

「うむ。用件というのはこちらの男性の事でな。紹介しよう。田村福太郎さんだ」
「あ~、どうも~~」

 慧音の後ろから彼女に視線で促されて現れたのは全身を黒っぽい服装でまとめた男性だった。
 年の頃二十代後半。背は慧音よりも高く、余り手入れなどはされていないだろう長めの髪を無造作に背中に流している。
 だが霊夢が気にしたのは彼の外見ではなく、その服装だった。
 幻想郷の人里では一般的に着物が流通している。
 一部では洋風な服装、表現しづらい奇妙な服装をしている者もいるが人間であるならば大概はそうだ。
 だが目の前の男性は黒一色の身体の線が浮き出るような『Tシャツ』と深く生い茂った森林のような色合いの、この世界では余り馴染みのない『ズボン』を履いていた。

「その人……もしかして外来人なの?」
「ご明察だ。すぐにでも元の世界に帰りたいとおっしゃってな。お前の都合も考えずに連れてきてしまったのだが頼めないだろうか?」

 霊夢としてはうららかな午後の陽気をめんどくさそうな話で壊されたくはなかった。
 勿論、口には出さなかったが。
 しかし男性は彼女の不満をどうやったのか敏感に察知し、自分の荷物を砂利の上に降ろすとあろうことか。

「俺はどうしても帰らなあかんねん。そっちの都合考えないで来たのはほんとに済まん思てる。やけど、どうかお願いします」

 頭を地面にこすり付ける勢いで土下座をした。
 慧音も驚いたのか息を飲むような仕草をしたのがわかる。
 霊夢自身も正直なところ、驚いていた。

 博麗の巫女という幻想郷に置いてとても重要な立場にあるとはいえ、彼は『幻想郷の理』の外の人間。
 ましてや男性で彼女より大体一回り程度、年上だろう。
 今までも外来人が迷い込んでくる事はあったが、靈夢がこの幻想郷に置いて色々な事に精通しているだなんて信じない輩が多かった。
 こんな小娘に何が出来ると隠しもせずに見下すような人間すらいたのだ。
 それに何か恨み言があったわけではない。
 ただ気に食わないと感じていた事も事実だった。
 だから彼のこの行動に霊夢は戸惑いを感じた。

「別に、構いませんよ。そういうのもアタシの仕事ですから」

 飲んでいた湯飲みを脇に避け、立ち上がる。
 霊夢はなるべく無愛想に答えたつもりだったが動揺が口調に出ていないか無性に気になった。
 福太郎は彼女が色好い返事をしてくれた事にホッとしたらしく、立ち上がると霊夢と慧音にまた頭を下げた。

「ありがとなぁ、巫女さん。慧音さんも無理言ってすみませんでした」
「いや気にしなくていい。故郷に帰りたいという気持ちは誰でも持っているものだしな。まして君は来たくて来たわけではないのだから気が焦るのも仕方ないさ」
「私の場合、こういう事を解決するのが役割ですから。それと私の名前は博麗霊夢です。巫女さんって一括りで呼ばれるのはなんか嫌だから名前で呼んでください」

 言うだけ言ってさっさと歩き去っていく霊夢。
 無愛想な顔で、特に感じる事などないと言わんばかりの態度だ。
 彼女が無関心なのはいつもの事だがここまで徹底的に愛想がないのは珍しい。
 慧音はその事を感じ取り、困惑した視線を彼女の後ろ姿に向けていた。

「慧音さん。俺、なんかあの子を怒らせるような事言ったんですかね?」
「いや……正直なところ、今まで私が関わった外来人の中では非常に好感の持てる態度だったと思うが……礼儀正しかったしな」
「なんや虫の居所が悪いところに声、かけてしもたんかなぁ?」

 二人が首をかしげて唸り声を上げているなど露知らず。
 霊夢は淡々と外来人を帰す術の準備を始めていた。

 準備と言ってもそれほど時間のかかる作業ではない。
 ただ普段は隔たれている外と幻想郷を繋げるための門を開くだけだ。

 門の基点となるのは博麗神社の大鳥居。
 石階段を登り切った所にあるこの鳥居こそが外と中を繋ぐ門なのである。

 普段は停止させている機能を札と術式、博麗の巫女の霊力を持って起動させる。
 札さえ切れていなければ、十分程度で終わる作業だ。
 そして今回の場合、札はしっかりと補充してあり、まだまだ余裕があったので想定通りの時間で作業は完了。
 福太郎はその説明を受け、ぱぁっと顔を明るくして喜んだ。

「あとはあなたが自分の世界を思い描きながら鳥居をくぐれば外に帰れます」
「わかったわ! ほんっとありがとな。霊夢ちゃん!!」
「はいはい。わかったから早く行ってください」

 屈託のない、年の割に子供っぽい笑顔で礼を言われ、内心で霊夢はまたも戸惑う。
 博麗の巫女として『当然の事をしている』彼女は実のところ、感謝される事に慣れていなかった。

 異変が起これば博麗の巫女が解決する。
 それはこの幻想郷におけるルールの一つ。
 最近では彼女とは別口の人間が首を突っ込む事も多いが。
 原則として異変に際して博麗の巫女は動かなければならないのだ。

 それが当たり前である以上、彼女に対してわざわざお礼を言いに来る者はいない。
 彼女が人里を訪ねれば、お礼を言う者も少なからずいる。
 だがそれは『当たり前の事をした労い』に過ぎない。
 そして普通の人間である彼らからすれば異変に立ち向かえるだけの力を持つ霊夢の存在は妖怪たちとさして変わらないようで。
 その態度もどこか遠慮がちで、一歩引いた物だ。
 友人であるところの霧雨魔理沙やアリス・マーガトロイドたちのような、彼女と対等である事が出来るだけの能力を持っていない人間ならばそれも仕方のない事。
 対抗する術がなければ、どうあっても対等ではいられないという事を霊夢は理解し、諦めていた。

 故に彼女は普通の人間であるはずの福太郎の態度と言葉に。
 自分に対して何の遠慮呵責無しに伝えられる想いに困惑していた。

 緊張した面持ちで鳥居の前に立つ福太郎を見つめる。
 この僅か一時間に満たない時間で彼女のペースをかき乱した男は、ゆっくりと鳥居をくぐるべく足を踏み出す。

 鳥居を潜り抜ければ彼の存在は蜃気楼のようにこの幻想郷から消える。
 そのはずだった。

「……あれ?」
「あれ~~?」

 鳥居をくぐり終えた彼がそこにいた。
 くぐる前とまったく変わらずに。
 キョトンとした顔で首を傾げながら。
 想定していなかった事態に霊夢も釣られて首を傾げる。

「戻れなかった、のか?」
「ウソ……」

 慧音の端的な結論に霊夢は思わず駆け出す。
 鳥居に貼り付けた札とそこから漂う自身の霊力を視る。
 まったくの正常である事を確認し、未だ事態を飲み込めていない福太郎を見る。

「なんで?」
「いや俺に言われても、なぁ? とりあえずもう一回やってみよか」

 危機感に欠ける発言の後、鳥居をくぐってみる。
 しかし何度やっても結果は変わらず。
 彼の姿は未だに幻想郷に残ったままだ。

「札は正常。術式もちゃんと動いてる。……なんで戻らないの?」
「霊夢。術が正常ならば何か他に原因があるのではないのか?」

 自身に問いかけるように顎に手を当てて考え込む霊夢と混乱している彼女を諌めるように意見する慧音。
 しかしその意見が霊夢に届いているかどうかは微妙な所だ。
 こういった事態は初めてなのだろう。
 どうにかしようと必死になって思考している彼女の姿は彼女の性格を知る者たちからすれば驚愕モノだ。
 慧音も彼女のこの様子には内心、とても驚いている。

「あ~、霊夢ちゃん霊夢ちゃん」
「っ!?」

 思考に没頭している彼女を引き戻したのは当事者である福太郎だった。
 霊夢の頭を軽く掌で叩いて正気に戻す。
 随分、手馴れた様子の彼と霊夢の姿を見て、慧音は場違いにも二人が『年の離れた兄妹』のように思えてしまった。
 何故、突然こんな事を考えたのか本人としても不思議だったが今の二人を表す言葉として自然と出てきたのだから仕方がない。

「とりあえず俺は帰れへんって事で、ええんかな?」
「……はい。今までこんな事なかったんですけど。いえ……言い訳はしません。すみません」

 ため息をつくようにゆっくりと自分の置かれた状況を言葉にする福太郎。
 そんな彼の言葉を悔しさを滲ませた口調で肯定し、謝罪する霊夢。

 常に自分のペースを崩さず、ともすれば自分勝手と見なされる態度を取る彼女がこれほど真剣な態度で謝罪する所を慧音は見た事がなかった。

 正確には霊夢が失敗するところを彼女は知らない。
 だから自分の失態を全面的に謝罪する所を見たことがないのだ。

「ああ、ええよええよ。原因がわからんっちゅうんならしゃあない。たまたま今日は運気が悪かったとかそーいうのがあるかもしれんから。そんな気にせんといて」

 霊夢ならば元の世界に帰せると彼が知った時の喜びようは慧音も見ている。
 そんな彼が帰れないという事実にショックを受けていないはずはない。
 だと言うのに彼はそんな事は些細な事だとでも言うように霊夢を気遣っていた。

「霊夢。当事者である彼がそう言っているんだ。あまり気に病むな(……しかし驚いたな。ここまで人間が出来ているとは)」
「でも失敗してそれで『はい終わり』だなんて出来ないわよ。スキマ以外で福太郎さんを還せるのは私だけなんだから」

 霊夢は唇を噛み締めて、彼女から見れば気休めとしか思えない言葉をかけた慧音を睨みつける。
 彼女も失敗するとは思っていなかっただけにショックを受けていた。
 そうでなければここまで露骨な八つ当たりをするような人間ではないのだ。

「落ち着け、霊夢。私たちが怒鳴りあっても彼が現状、帰れないという事実に変わりはないんだぞ?」
「う……わかってるわよ」

 慧音を睨んでいた顔を背けて、自分を落ち着けるように深呼吸をする霊夢。
 実年齢に比べて達観している印象のある彼女の年相応の仕草に慧音は微笑ましげに口元を緩めた。

「あ~、霊夢ちゃん落ち着いた?」
「すみません、福太郎さん。見苦しい所を見せました」

 頭を下げる霊夢に手をひらひら横に振って気にするなと言う福太郎。
 こんなやり取りを十分ほど続けて彼は慧音に声をかけた。

「慧音さん。とりあえず帰れないようなんでまた人里まで連れてってもらえますか?」
「あ、ああ、わかった」

 福太郎の元の世界への執着心の一端を知っているだけにあっさりと諦めたその様子に慧音は思わず目を瞬いた。

「霊夢ちゃん、何度も言うけどあんまり気にせんといて。俺はええから」
「それじゃ私の気が済みません。色々調べて、絶対に貴方を外へ帰してみせますから」
「ほんまに気にせんでええのになぁ」

 珍しくやる気を見せる霊夢と苦笑交じりに頬を掻く福太郎。
 そんな二人のやり取りがまた『兄妹』のように見えて慧音は笑みを浮かべた。

「さ、福太郎。そろそろ行こう。それじゃまたな、霊夢」
「ええ。福太郎さんは人里でゆっくりしていてください。くれぐれも危ない真似はしないでくださいね。死なれたりしたら私がこれからやる事が無駄になっちゃいますから」
「あははは、肝に銘じとくわ。でも霊夢ちゃんも無理せんといてな」

 術式を解いた鳥居を抜けて石階段を降りていく福太郎と慧音を見つめながら霊夢はさっそく神社の蔵へと向かった。

 
 博麗神社からの帰り道。
 慧音は隣を歩く青年に気になった事を聞いた。

「なぁ、福太郎。君は元の世界に帰れなかった事にショックを受けていないのか?」

 愚問である。
 ショックを受けていないわけがない。
 慧音とてそれはわかっている。
 だがわかっていながら聞かずにはいられなかった。
 それほどに福太郎は自然体だったのだから。
 まるで帰れなかった事を気にしていないような。

「……勿論、ショックは受けてますよ。正直、帰れへんかったんは痛いです。約束もあるし、勝手にいなくなって心配してくれる人もいるんで余計に」

 博麗神社にいた時の危機感のなかった彼はそこにはいなかった。
 顔の右半分を右手で隠すようにしながら呟く彼の顔は本当に辛そうで痛々しかった。

「……すまない。だがそう思っているなら何故、霊夢にもっと食い下がらなかったんだ?」

 わざわざ帰れない事を気にしていない風に振舞ってまで、彼は霊夢に気を使った。
 こういう事に対処する最も有力な存在である彼女に。

「俺を送り帰せなかった事で傷付いてるみたいでしたからね、あの子。あれ以上、何か言って泣かれたり怒鳴られたりしたくなかったんですよ」

 基本、ヘタレな人間なんでとおどけて言う彼に、しかし慧音は納得できなかった。

「だが当事者である君ならもっと言いたい事を言っても罰は当たらないぞ。君が悪いわけではないんだからな」
「ん~~、責めるとか文句言うのは余り好きじゃないんですよ。ましてや頑張ってる人間にもっと頑張れなんて馬鹿な事も言えませんしね」
「……君は、人の気持ちに敏感なんだな」
「怒られたないから、人に嫌われるような事もしたないからって考えてたら自然にこうなったんですよ。別に偉そうに言えるような事じゃないです」

 そう言って彼は自嘲するように笑う。
 それから二人は無言のまま、人里への道を歩いていった。

「義鷹ぁ、ちょい戻るの時間かかりそうや。言うまでもない事やけどそっち頼むなぁ」

 彼が小さく呟いた言葉は慧音の耳にも届いていたが、彼女はそれについて触れる事はなかった。


 霊夢はこの二日後、人里に足を運んだ。
 買出しと、あくまでその『ついで』に福太郎の様子を見るため。

 慧音から彼が阿求の所で世話になっている事を聞いていたので、そちらに向かう為に大通りを歩いていると。

「こんちゃー、霊夢ちゃん」
「えっ?」

 目的の男性の声が聞こえた。
 声の方向に慌てて振り向くと妙に立派な看板の横に骨組みしかないような椅子に座って、細長い棒を指で回しながら笑っている福太郎がいた。

「福太郎さん……何してるんですか?」
「うん、帰れる方法が見つかるまでただダラダラ居候っていうのも人間としてアレやからね。自分に出来ることでお金稼ぐ事にしたんよ。ちょっと制限かけてるけど」

 そう言って福太郎は何枚かの紙を霊夢に渡す。
 紙に描かれた物を見て、彼女は驚いた。

 それはこの大通りを描いた絵だった。
 黒色の、筆とは違う細い線で人の往来までを細かく描かれた物。
 吸血鬼が住まう紅魔館で似たような風景画を見た事があった。

 別に彼女はその手の芸術に興味があるわけではないが、今手にある絵には生き生きとした何かが感じ取れる。

「これ……福太郎さんが?」
「うん。昔取った杵柄というかそんな感じやね。これやったら物珍しさに惹かれてお客さんも来てくれるし。俺の腕も鈍らない。一石二鳥や」

 楽しげに笑いながら余り見たことのない木製の台に乗せられた板に紙を乗せる。
 先ほどまで指で回していた棒、外の世界で鉛筆と呼ばれるソレで彼はスラスラと紙に何かを描き始めた。

 邪魔をしては悪いと思い、霊夢は彼が描いた絵を一枚ずつ見る事に集中する。
 彼は真剣に自分の描いた絵を見ていく霊夢を照れくさそうに横目で見ると、また絵の作成に取り掛かった。

 それからしばらく二人は無言でお互いの作業に没頭する。
 主に街の中の風景が描かれたその絵は、本当にその風景をそのまま切り取ったようにリアルだった。
 風景を切り取るという意味ではかの鴉天狗のカメラで取った写真もそうだ。
 だが福太郎の描いた絵は描き手の想いが込められているように暖かく感じられる。
 その暖かさに霊夢の表情は自然と綻んでいた。

「なぁ、霊夢ちゃん」
「あ……はい?」

 絶えず動かしていた右手を止めて、福太郎は彼女を見つめる。
 あの日、博麗神社で土下座した時のような真剣な表情に霊夢は同じく真剣な面持ちで向かい合う。

「君は俺よりも長く生きてな」
「え? あの、それってどういう」

 突然の言葉に訳もわからず霊夢が聞き返す。
 だが福太郎はその言葉には答えず、今さっき描き上がった絵を彼女に手渡した。
 彼女の目が見開かれる。

「これ、私?」
「絶対に元の世界に戻してくれるって言うてくれたやろ? 俺に出来ることなんてこれぐらいやからね。安っぽくて悪いけど御礼や。気に入らんかったら捨ててもええよ」

 柔らかく微笑む自分の胸像画に霊夢の胸が熱くなる。
 こんな顔が自分に出来たのかと言う今更知った自分の事がおかしくて思わず笑ってしまった。

「こんな事されたら私も頑張らないといけないですね」
「程々にしてな? 君に助けて欲しい人間は何も俺だけやないんやから」

 今まで所々で感じられた子供っぽさが抜けた静かな笑み。
 彼女は福太郎のその言葉に自信に満ち溢れた表情で頷くと宣言した。

「大船に乗ったつもりでいてください。博麗の巫女の力、見せてやりますから!」
「ああ、うん。これからよろしくなぁ」

 年相応の躍動感のある霊夢の表情は非常に魅力的だった。
 意気揚々と去っていく霊夢の背中を見送り、彼はまた紙に鉛筆を走らせる。

「あの子なら俺より先に死ぬことはないやろな」

 下書きを終え、筆を持つ自身の右手首を眺めながら静かに笑う。
 まるで悟りを開いた老人のような、儚く脆い笑み。
 自分の行き着く先を見据えたその顔は実年齢以上に大人びて見えた。

 この日、最も時間をかけて描き上がった絵は最高の笑顔を浮かべた霊夢。
 阿求邸を描いた時と同じように絵の具を使って鮮やかに彩られたその絵の出来に満足げに頷くと福太郎は今日の仕事を終了した。
 完成した絵は阿求邸の彼の部屋の押入れに今もひっそりと置かれている。


 幻想郷にとってはほんの小さな、語られる事もない歴史の一部。
 しかし博麗の巫女と何の力も持たない絵描きにとっては忘れられない思い出。
 これからも積み重なっていくだろう思いはやがて良くも悪くも人間を前へと進めていくだろう。
 これは『楽園の素敵な巫女』と『迷い込んでしまった絵描き』の物語。



あとがき
誰だ、この巫女は?(挨拶)

作者の白光でございます。
霊夢に関しては年が一回りも離れていて男性が相手なのだから敬語かなぁ?と漠然と感じて書き進めました。香霖には敬語だったような気がしたというのもありますが。

今回は霊夢と福太郎の出会いと親しくなる切っ掛け部分になりました。
霊夢の在り方や境遇など多分にオリジナルっぽさが混じってしまったように思えますが違和感なく読んでいただければ幸いです。

次の話は下記の三名からのいずれかになります。
1 普通の魔法使い
2 完全で瀟洒な従者
3 宵闇の妖怪

誰の話かドキドキワクワクガクガクブルブルしていただければ幸いです。

この物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと宵闇の妖怪
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2010/08/21 22:01
 人里での暮らしにある程度、慣れた頃。
 好奇心の強い福太郎は、人里の外に興味を抱いていた。

 彼が外に出たのは霊夢を尋ねて博麗神社に行った時と慧音の誘いで香霖堂へ行った二度だけ。
 以降は人里の中のみを活動範囲にしてきた。
 その間、それなりに人妖様々な者たちと関わったのだが異様に個性の強い連中だった為、他にはどんなのがいるんだろうと考えるようになってしまったのだ。

 人里の中なら人が妖怪に食われるような事態にもならないので安全に妖怪と関わる事が出来た事も彼の好奇心を煽っている。
 元々、危険だからという理由で止まるような人間ではないというのもあった。

 とはいえ人里の外へ行ってくると言えば止められるのは分かりきっている。
 だから彼はいつも通りに外出すると阿求に伝えた上で、人里の外へと出て行く事にした。
 ばれたら心配させてしまう事もわかってはいたが、こういう性格なので好奇心を止める事が出来ないのだ。

「何があるんやろなぁ。楽しみや」

 鼻歌交じりに人里を出る福太郎。
 その手には絵画作成の道具一式と適当に作った昼飯を入れた袋。
 土地勘などない為、いきなり遠出をするつもりはないがそれでも道がわからなくならない程度には歩くつもりでいた。
 道なりに進むと、深く生い茂った森林が見えてくる。

「うん、ええなぁ。天然自然で空気が美味い感じや。白亜の森と似とる」

 自分がいた世界にあった『大昔の森林が復活していた森』の事を思い出しながらのほほんと深呼吸を一つ。
 さらに先へと歩いていくと分かれ道が見えてきた。
 木で作られた案内板によれば右を進めば博麗神社方面、左に進めば『魔法の森』らしい。

「魔法の森言うたら確か、普通の人間には害のある空気が吹き出てるって話やったっけ。ずっといると死ぬとかなんとか聞いたなぁ」

 むぅと思案顔になる福太郎。
 普通ならば迷わず博麗神社方面だろう。

「……気になるなぁ」

 だがこの田村福太郎という男は、時に自分の命よりも自身の好奇心を優先する刹那的な生き方をする変人である。
 よって多少の危険は彼の選択肢を狭める事にはならない。
 そもそも特に目的もなく興味本位で人里の外に出る事が幻想郷では普通でないのだが。

「行ってみよかな。勿論、入り口辺りまでやけど」

 この選択をした事で彼は彼女と出会う事になる。
 人を食料とする無邪気な妖怪と。


 その人間は変な人間だった。
 いつも通りに食べてもいい人間を捜していて見つけた変な格好をした人間。
 その人間は見たことない光る骨みたいなイスに座って周りの景色を見ながら細長い棒で白い紙に何か書いている。
 やっている事がよくわからなくて私はしばらく声をかけないでじっと様子を見ていた。

「うん?」

 たまに隠れてる木の方を見てくるので慌てて隠れるけれど、私の事に気付いた様子はなくて、またよくわからない作業に戻る。

 この辺りは私を入れて沢山の妖怪が出てくるから、普通の人間は中々来ない。
 食べられる事がわかってるから。
 なのにこの人間は平気な顔をして座ってのんびりしてる。
 食べられるのが怖くないのかな?
 よくわからない。

「……おお、もうお昼やんか。時間経つの早いなぁ」

 持っていた棒を置いて人間はぐっと身体を伸ばした。
 気持ち良さそうに唸りながら持ってきた袋を開ける。
 中から出てきたのはおにぎりだった。
 ぐぅっと私のお腹が鳴る。

「んん?」
「あう」

 思わず木の陰から出てしまった私と人間の目が合う。
 様子を見るのに夢中で忘れてた。
 私、お腹空いてたんだ。

「こんちゃー、妖怪のお嬢ちゃん」
「こ、こんちゃー……」

 にっこり笑って挨拶(たぶん)してくる人間。
 思わず言葉を返してしまった。

「あなた、私が妖怪だってわかるの?」
「え? ああ、うん。ここ、普通の人は来ないらしいし。こんなちっちゃい人間の子が一人でいるのはおかしいからね。人間やないんやったら妖怪かなぁってなんとなく」

 なんとなくでわかったんだ。
 この人間、意外とすごいのかな?
 私、あんまり怖くないから人間の子供って思われて声をかけられた事が何度もあったのに。
 食べてもいい?って聞くと妖怪だって気付いて皆、逃げていくけど。

「妖怪は人間を食べるんだよ? 怖くないの?」
「ん~~」

 顎に手を当てて唸り声を上げる人間。
 私が首をかしげると、のんびりした表情のままこう言った。

「お嬢ちゃんは自分を食べるって言われたらどう思う?」
「ん~~、言われた事ないからわかんない」
「そうかぁ。わからんかぁ~~」

 困った顔をして人間はまたう~んと唸った。

「それじゃお嬢ちゃんは自分をやっつけるって言われたらどう思う?」
「やっつける? 退治するって事? だったらやだ。痛いし苦しいから」
「ああ、うん。そうそう、そういう事」

 満足そうに頷いてる人間。
 でも言っている事がよくわからなくて私はまた首をかしげた。

「痛い事、苦しい事が嫌なんは誰だって一緒。そういう事してくる相手が怖いのも当たり前や。やから俺は自分を食べようとしてくる妖怪は怖いよ。食べられたら痛いし苦しいからね」
「そーなのかー」

 この人間も妖怪が怖いんだ。
 でもだったらなんで笑ってるの?
 私も妖怪なのに。

「私、お腹空いてるんだよ? あなたを食べようとしてるんだよ?」
「そうなんか?」
「そーなのだー」

 やっぱり全然、怖がってるように見えない。
 でも霊夢みたいに強そうには見えないから、食べようと思えばすぐにでも食べられそう。

「ねぇ。あなたは食べてもいい人類?」

 こう言うと今まで会った弱い人間は逃げ出した。
 霊夢とか魔理沙みたいな強い人間はほとんどいないから。
 けどこの変な人間は妙な事を言い出した。

「出来れば今は食べないでほしいなぁ」
「今は?」

 聞き返すと人間は頷いてさっきまで何かを書いていた紙を見た。
 釣られて私も見る。
 黒くて細い線で書かれた森が紙の中に広がっていた。

「わぁ……」
「まだ完成してないんよ、この絵。食べられたら描かれへんようになってしまうから。やから今は勘弁してくれへんかなぁ?」
「うーーん」

 正直に言えばお腹が空いてるから今すぐにでも人間を食べたい。
 でもこの『エ』が完成した所が見たい気もする。
 また私のお腹がぐぅっと鳴った。

「ほんとにお腹空いてるんやねぇ」
「うん……でもこの『エ』、完成したのが見たい、かも……。今、あなたを食べたら見れなくなっちゃう。でも……お腹空いた」
「そっかぁ。ごめんなぁ、悩ませてしもて。とりあえず……はい」

 人間が袋を開けておにぎりを一つ、私に手渡した。

「えっ?」
「俺の絵、完成したの見たいって言ってくれたやろ? そのお礼。ありがとうなぁ」
「あ……お、礼?」
「お礼ってわからん? その人に感謝するって意味の贈り物の事。感謝って言うのはありがとうって言う気持ちの事。ありがとうって言うのは……上手い言葉が見当たらんなぁ」
「……知ってるよ」

 お礼の意味は知ってる。
 感謝って言う言葉も知ってる。
 ありがとうって言葉も知ってる。

 でも人間にそんな事を言われた事はなかった。

 なんだか不思議な感じだ。
 怖がられて、逃げられて、捕まえて、食べていた人間にそんな事を言われるなんて思わなかった。

「あ、そうなんや。うん、じゃ食べよか」
「うん」

 地面に座って隣をポンポンと叩く人間。
 座れって事だと思ったから私は素直に横に座った。

 不思議だけど嫌じゃない。
 変な気持ちだけど嫌じゃない。
 私はこの不思議で、変な人間を横目で窺いながらおにぎりを食べた。

 あんまり食べた事はなかったし、その時はおいしいと思わなかったはずなのに。
 この時、食べたおにぎりは何故かとってもおいしかった。
 私の顔を見て人間は何故か嬉しそうに笑っていた。

「ええ笑顔やね」
「私、笑ってた?」
「うん。嬉しいから出る自然な笑顔って感じやったよ」

 両手の親指と人差し指を合わせて四角を作って私の事を覗き込む。

「なにしてるの?」
「ええ顔してたから。忘れない内に頭に焼き付けておこうと思ってな」

 なんだか恥ずかしくなったから人間から顔を背けておにぎりを食べる事に集中する。
 あっという間になくなったから、おいしかったけど物足りなかった。

「食欲旺盛やねぇ。はい、どーぞ」

 物足りないと思っていたのが顔に出ていたみたいで、すぐに二つ目のおにぎりをくれた。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして」

 二つ目のおにぎりもとってもおいしかった。

 おにぎりがなくなったら人間は細長い棒を持って『エ』作りを再開した。

「これで書くの?」
「鉛筆って言ってなぁ。筆より細い線が書けるんよ」

 サラサラと紙の上を滑るみたいにエンピツが動く。
 どんどん木や葉っぱが紙の中に出来上がっていく。

 こんな事が出来る人間も妖怪も妖精も私は知らない。
 霊夢や魔理沙は弾幕ごっこはすごいけど、こんな事は出来ない。
 友達のチルノちゃんやミスチー、リグルたちも色んな能力を持ってるけど、こんな事は出来ない。

 この人間は能力なんて持ってない弱い人間なのに、でもこんな事が出来る。
 それはとてもスゴイ事だと私は思った。
 そこまで考えてふと気が付いた。

「ねぇ、名前なんて言うの?」
「お? ……そういやまだ名乗っとらんかったか。なんか普通に馴染んでもうたから忘れてたわ」

 エンピツを、紙を置いている板に置くと人間は私と目を合わせた。

「んじゃ改めまして。田村福太郎、言うんよ」
「私、ルーミア。よ、よろしく。フクタロー」

 よろしくなぁっと聞いた事のない調子で言って頭を撫でるフクタロー。
 その笑顔を見て、私は何も言えなくなって、ただ顔を下に向けて頷いた。



 時間はあっという間に過ぎていった。
 フクタローは『エ』を作りながら、私に話しかけてくれる。
 私がエンピツや『エノグ』について聞くと、エンピツを置いて答えてくれる。
 人間なのに、妖怪が怖いと言っていたのに、私の事を怖がらない不思議な人間。
 こんなに人間と話したのは生まれて初めてかもしれない。
 『絵』や『絵の具』はこういう字を書くのだとか、絵は『作る』って言うんじゃなくて『描く』って言うんだとか。
 色んな事を教えてくれた。
 人間と一緒にいてこんなに楽しかったのも初めてだった。

「今日はここまでかなぁ?」
「うわぁ……」

 絵は絵の具を使って色が付けられて、エンピツで描いていた時よりも綺麗になっていた。

「面白かった? ルーミアちゃん」
「うん……」

 私の返事に元気がない事が気になってフクタローは目を丸くした。

「なんや沈んでるなぁ、どないしたん? やっぱりこんなオッサンの話は聞きたなかった?」
「……フクタローと話をしてるのはとっても面白かったよ。絵の事、イッパイ教えてくれた。とっても楽しかったよ」

 でも。
 フクタローは帰っちゃう。
 楽しかった時間が終わっちゃう。
 そう考えると、とっても悲しくなってしまう。

 そう思った事を全部伝えると、フクタローは髪を掻いて「あー」と唸り声を上げた。

 やっぱり迷惑だよね?
 私、妖怪だもん。
 ごめんね、フクタロー。
 ワガママ言ってごめんね。

「ルーミアちゃん」

 顔を下げてフクタローの顔を見ないようにしていた私の頭にポンっと手が置かれる。

「俺と仲良くしてくれてありがとなぁ」
「う、うん」

 なんだかお別れの言葉を言われてるみたいで嫌だった。
 頭を撫でる手がとっても暖かくて離してほしくなかった。

「俺は弱い人間やから。一人で外に出歩くとどっかで死ぬかもしれへん」

 死。
 私は今まで人間を食べて殺してきた。
 フクタローの事も最初は食べようと思っていた。
 なのに。
 フクタローが死んでしまう事が、誰かに殺されてしまう事が、『すごく怖い』と感じた。

「やからな。今度はルーミアちゃんが人里に遊びにおいで。人、食べたりせんかったら妖怪も入れるから」
「また……私と会ってくれる?」
「俺が生きてる間やったらね」

 フクタローは片目を瞑って笑いながら、明るい声でそう言ってくれた。
 私は嬉しくて思わずフクタローに抱きついた。

 食べる事以外で人間に抱きつくのは初めてだった。
 嬉しくて人間に抱きつくのは初めてだった。
 人間の事を好きになったのは初めてだった。

 今日は初めての事ばかりの日だった。

 私とフクタローは笑ってお別れする。
 でも挨拶は『さよなら』じゃなくて『またね』。
 だから今は寂しいけどまた会えるから悲しくなかった。
 私はフクタローの背中が見えなくなるまで手を振り続けた。


 数日後。
 人食い妖怪としてそこそこ知られているルーミアが、福太郎の所に顔を出すようになった。
 当初は何の前触れもなく人里に現れた人食いに里人が恐がり、慧音が呼び出される騒ぎになったのだが。
 福太郎の膝の上でおとなしくしているルーミアに全員が毒気を抜かれた。

「フクタロー、今日は何するのー?」
「そやなぁ。今日は自分の家を描いて欲しいって人がおったからまずはその人の所に下見に行ってくるわ。一緒に来る?」
「いくいくーー!!」

 こんなのんびりした会話の様子を見せられては怖がっていた里人たちも呆気に取られると言う物だろう。
 そして数日も経てば彼女の存在も受け入れられ、今では絵描きのお店の可愛い看板娘という扱いを受けるようになっていた。


「なぁルーミアちゃん」
「なに、フクタロー?」
「最近、人間の食事ばっかりやけど大丈夫なん? 人食べるの我慢してるんと違うの?」
「う~~ん。我慢はしてないよ。フクタローがご飯食べさせてくれるからお腹空かないもん」
「そっかぁ。ならええよ。でも俺の我儘でルーミアちゃんが苦しむのは嫌やからね。なんか困ったら言ってな。弱いなりに頑張るから」
「あは~! ありがとう、フクタロー」


 人食いを当然としていた無邪気な妖怪はこうして自分の在り方を変えた。
 たった一度の出会いが彼女をここまで変えたのだ。
 それが彼女にとって良い事かどうかは、今はまだわからない。

 絵描きは彼女の生き方を変えてしまった事を抱え込んで、これからを生きていく。
 自分の言葉が、存在が彼女に影響を与えた事を理解しているから。
 重い物から逃げるのは『あの時』にやめた。
 関わった物を背負って彼は彼女たちと笑い合うのだ。
 いつか来る別れを見据えて、最期の最期まで自分らしく生きる為に。

 これは『宵闇の妖怪』と『迷い込んでしまった絵描き』の物語。


おまけ
 帰ってきた福太郎を待っていたのは慧音と阿求による追求と説教であった。
 無断で人里の外に出たと知った時の二人の表情は筆舌に尽くし難く。
 福太郎は肉体的な意味でも(頭突き的な意味)、精神的な意味でも(説教的な意味)疲れ果てた状態になった。
 さらに後日、その話を聞きつけた紅白巫女が福太郎をさらなる地獄に叩き込むのだが。
 それは本筋には関係ないので割愛する。



あとがき
誰だ、この可愛らしい妖怪は?(挨拶)

作者の白光でございます。
今回はルーミアのお話になりました。
幼い感じのキャラの視点で書くのが非常に難しく、ところどころに違和感があるかもしれません。
そういったご指摘などあれば気軽にお書きください。
ルーミアに関してはそこまで精神的に幼くないというのが自分の見解なのですが、知らない事を知っていくという過程を書いていたらいつの間にか幼い系になってしまいました。
自分で難度を上げておいてこれでは、まだまだ精進が足りません。

さて次回のキャラですが、明言しません。
誰が出るのか楽しみにしていただければ幸いです。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。

初版 2009/9/28
修正 2010/8/21



[11417] とある絵描きと完全で瀟洒なメイド
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/09/28 05:23
 彼女は約二週間ぶりに人里に出ていた。
 自分が仕えている館の食糧その他の備蓄が心許なくなってきたからである。
 荷物持ちとして妖精メイドたちを連れ出そうと思ったが、あまり大人数で出かけて注目を浴びるつもりはなかった為、同伴者は無し。
 それほど切羽詰まった食糧危機という訳でもなかった事もある。
 食事は新鮮な食材でという彼女の拘りによる所が大きかったのだ。

 居並ぶ店と所狭しと並ぶ食材を物色しながら、道なりに歩く。
 人通りの最も多いこの大通りはそうであるが故に人目に付きやすい。
 多少は里人にも慣れられたとはいえ、彼女の珍しい洋装に物珍しげな視線が突き刺さるのは当然の事だった。
 彼女からしてみれば今の服装は仕事着であり、着るのが当然の代物なので視線を向けられようがお構いなしだが。

「あら?」

 そんな彼女の視線に珍しいモノが目に留まった。
 この人里には基本的にどんな種族でも出入り自由である。
 だから居酒屋で飲み比べをしている鬼がいたり、八百屋できゅうりを物色している河童がいる事などざらであり、見慣れた光景だ。
 だが彼女の視界に移った妖怪が人里にいるのは非常に珍しい事だった。

 ルーミア
 闇を操る程度の能力を持つ妖怪。
 短めの金髪に赤いリボンを付け、くりっとした紅い瞳の可愛らしい少女である。
 だがその外見を裏切る特徴が彼女にはあった。
 人食いの妖怪だと言う事である。
 しかも何の躊躇いも無く捕食するのだから、人間からすれば非常に危険だ。

 であるにも拘らず、周囲の里人が彼女を恐れる様子はない。
 むしろ。

「(ずいぶんと彼女を見る目が優しいわね?)」

 まるで人間の子供を見るような目で微笑ましげに見ていた。
 なんでも受け入れる幻想郷とは言え、人食いや強大な力を持つ者は忌避されるのが当然だ。
 彼女の主然り、スキマ妖怪然り、その性格から害意のない白玉楼の主ですら、その能力故に恐れられている。
 それが当たり前だ。

「(私の知らない間に何かあったという事かしら)」

 彼女が思考に耽っているとルーミアはいきなり走り出した。
 無意識のうちに彼女を目で追っていると、少女は何かの出店をやっている青年の胸に飛び込むように抱きついた。

「うわっと!? なんやルーミアちゃんか。今日も遊びに来たん?」
「うん! こんちゃー、フクタロー!」
「はは、こんちゃー」

 青年は独特の訛りがあるしゃべり方で飛び込んできたルーミアに挨拶を返すと、彼女を抱き上げて頭を撫でる。
 気持ち良さそうに目を細める彼女の姿はとても楽しそうだった。

「驚いたわね。あのルーミアが人間に懐くなんて……」

 目の前の光景が信じられず、思わず呟いてしまう。
 その声が聞こえていたのかフクタローと呼ばれた青年が彼女の方を見た。
 目が合うと彼は彼女の服装に一瞬、目を瞬かせると笑みを浮かべる。

「どうも、こんにちは~」
「こんにちは」

 軽く頭を下げる彼に合わせて彼女も会釈する。

「えっと初めまして。最近、里に住み着いた人間で田村福太郎言います」
「これはご丁寧にありがとうございます。私は『十六夜咲夜(いざよい・さくや)』。霧の湖にある紅魔館という館で、吸血鬼であらせられる『レミリア・スカーレット』様にお仕えするメイド長でございます」

 名乗ると同時に自身のスカートの裾を摘まみ、深く頭を下げる。
 さらりと揺れる銀髪とその優雅な振る舞いに思わず福太郎の口から「おお~っ」と感嘆の声が漏れた。

 十六夜咲夜
 本人の名乗り通り、人里から離れた紅魔館という館で吸血鬼に仕える人間。
 短めの銀髪に蒼い瞳、頭にはカチューシャ、極めつけに『メイド服』を着た女性である。
 キビキビとした姿勢と微塵の揺らぎのない完璧な立ち居振る舞いは正に従者の見本と言えるだろう。
 同時にナイフ投げの達人でもあり、『時間を操る程度の能力』を所有。
 戦闘能力が極めて高く、迂闊に手を出せば低級妖怪など軽く返り討ちに出来るほどの実力を持っている。


「吸血鬼、ですかぁ。外国の種族もいるんやねぇ、幻想郷って」

 感心した口調で呟く福太郎。
 その言葉にルーミアが首をかしげて疑問の声を上げた。

「フクタロー、知らなかったの?」
「うん? ああ、吸血鬼がいるっていうのは聞いた事なかったなぁ。妖精は話だけ聞いてたけど」
「じゃあ私の方が物知りなんだね?」
「そやなぁ。じゃあ今度、ここら辺に住んでる妖怪について教えてくれる?」
「うん、いいよー!」

 なんとものんびりと話す彼らに咲夜は僅かに口元を緩め、先ほどの里人の態度に納得した。
 こんな兄妹のようなやり取りを見せられては、ルーミアを怖がる気などなくなるだろう。
 同時にルーミアをここまで無害にした男性に彼女は僅かばかり興味を抱いた。
 主への良い土産話になるかもしれないと思ったのだ。

「身なりから察するに外来人の方とお見受けしますが?」
「ええ。原因はよくわかってないんですけど。この人里の阿求さん家の庭に倒れてたらしいんです。あ、阿求さんってわかります?」
「ええ、稗田阿求様のお名前なら存じています。では今はそちらに?」
「はい。袖触れ合うも多生の縁と言いますか、こんなようわからん男を置いてくれてます」

 「ありがたい事ですわ」と笑う福太郎に咲夜も微笑みながら「それは何よりです」と合わせる。
 話を盛り上げる上で表情と仕草を上手く使うのは基本であり、相手を立てる事を当然とする従者である彼女はその辺りをよく心得ていた。

「フクタローは絵を描く人なんだよー」

 二人で談笑している所に、笑顔でルーミアが口を挟む。
 すごく楽しげで見ている者を和ませる声に二人の笑みも自然と深くなった。

「絵描きを生業にされているのですか?」
「ええ、まぁ。昔取った杵柄というヤツで。幻想郷じゃ珍しいらしくて結構、贔屓にしてもらってます」

 視線で自分の商売道具を示す福太郎。
 彼の視線を追った咲夜の目に何枚かの絵が貼り出されている立て板が映った。

「これは……不躾ですがここに置かれている絵を手に取って見てもよろしいですか?」
「はい? ああ、どうぞどうぞ。一応、見本なんでクシャクシャにしたりせんでくださいね?」
「ふふ、心得ていますわ。では失礼します」

 立て板に並べてある絵を一枚ずつ丁寧にピンを外して手に取る。
 この世界では恐らく紅魔館でしかお目にかかれないだろうタッチの風景画。
 描かれているのは主に人里の風景。
 大通り、どこかの邸、長屋や子供たちが遊んでいる広場。
 どれも鉛筆のみで描かれていたが非常に細かく鮮やかな絵。
 紅魔館にある風景画と比べても遜色の無い物だと咲夜は感じた。

「素晴らしい腕前と感服しました。絵心に乏しい為、上手く言葉が出てきませんのであまり参考にはならないと思いますが」
「いやいや、そうやって褒めてもらえるってだけで俺みたいな単純な人間はもっと頑張ろうと思えますよ。だからありがとうございます」
「そんな謙遜される事はありませんよ」

 苦笑を浮かべて頭を掻く福太郎に、笑みを崩さない咲夜。
 二人の様子を見てニコニコ笑っているルーミア。

 絵描きと従者の出会いはこんな和やかな始まりだった。


 平凡な男。
 私が彼、田村福太郎さんに抱いた第一印象だった。

 幻想郷の住人は個性が強い者が多い。
 特に戦う事が出来る者たちには。
 それぞれに自分の力に自信を持っているから自分の考えを曲げない、折れない。
 だからぶつかる事も少なくない。
 他人事のように言っている私も、そちら側の人間なのであまり大きな事は言えないが。

 そんな人間たちと関わっている身としては彼と言う存在は特別、興味を抱かせるようなモノではなかった。
 柳のような受身な姿勢と、柔らかな物腰は非常に好感の持てる物だったが、でもそれだけだ。
 外来人にしては妙に幻想郷に馴染んでいるように見えたが、環境に適応しやすい人間など幾らでもいる。
 こちらに出現した当初に騒ぎを起こした妖怪の山の神社連中も今ではすっかり馴染んでいる事からも明白だ。

 彼が思ったよりも普通であった事に少々、拍子抜けしながら私はどうやって会話を切り上げようか考えようとした。
 その時だ。
 ルーミアが嬉しそうに話したのは。

「フクタローは絵を描く人なんだよー」

 彼女の言葉に、恥ずかしげに頬を掻きながら彼は自分の背後に視線を向ける。
 恐らく私への配慮だろう。
 彼は半歩、引いて私に出店が見えるようにしてくれた。

 こういうさり気ない配慮が出来る人間は幻想郷では珍しい。
 私は普段から配慮する側の人間だから、こういう事をされる事は稀だ。
 勿論、悪い気はしない。

 彼の視線を追って見えたのは、それなりにしっかりとした作りの立て板とそれにピンで留められた何枚かの絵画。
 鉛筆のみで描かれたソレらは、確かに幻想郷では珍しい物だろう。
 人里では基本的に筆が主流であるし、魔理沙やパチュリー様も何かをメモするのに使っているのは羽ペンだ。
 鉛筆を使って作業を行う人間などそうはいない。

 私は物珍しさに惹かれてお客が集まるという彼の言葉に納得した。
 そして平凡と評した彼がどのような絵を描くのかという点に私は新たな興味を感じた。

 メイドとして主の希望に沿う為にはただ仕えていればよいというわけではない。
 炊事、洗濯の技術は元よりこういう美術鑑賞の知識も求められる事があるのだ。

 過去にお嬢様の気まぐれで美術品を捜しに幻想郷中を歩き回った事がある。
 その時、お持ちした調度品(白磁に白金の刺繍の入ったティーセット)には満足していただけたようだった。
 何が言いたいかと言えば、私の目はそれなりに肥えているという事だ。

 彼から許可を貰い、作品を一つ一つ丁寧に鑑賞する。
 お世辞を抜きにしてこう思った。

 素晴らしいと。

 一枚一枚の絵画からその時の光景をそのまま切り取ってきたかのような鮮明さを感じる。
 ただ細かく描いただけの絵では伝わらない『作者の気持ち』がこの絵には込められているのだとわかった。
 見ていて切なくなるほどの気持ちが込められた絵。
 こんな作品は見たことがなかった。
 技術で言えば私が今まで見てきた作品と同等か、少し下回る程度だろう。

 だがこの溢れんばかりの思いが、絵画の価値を上げている。
 それも一枚ではない。
 全ての絵にそれが込められているというのだから驚きだ。
 一筆一筆に思いを込めて、決して妥協せずに描き上げる。
 口にするのは簡単だがその実、とても難しい事。
 果たしてどれだけの画家が出来るだろうか?

「素晴らしい腕前と感服しました。絵心に乏しい為、上手く言葉が出てきませんのであまり参考にはならないと思いますが」

 上手く言葉が出てこないというのは本当の事だ。
 才能という言葉だけでは片付けられない言葉では表せない物を感じたのだから。
 見たところ二十台程度だろう目の前の男性が、ここまで奥深い絵を描いている事には本当に驚いている。

「いやいや、そうやって褒めてもらえるってだけで俺みたいな単純な人間はもっと頑張ろうと思えますよ。だからありがとうございます」

 謙遜しているのか、素なのかはその表情からは窺う事は出来ない。

「そんな謙遜される事はありませんよ」

 自分の腕を過大評価はしないその謙虚な姿勢はやはり好感の持てる物だ。
 これならば仮にお嬢様に会わせても粗相をする事はないだろう。

 ただルーミアが何故、ここまで懐いたのかはわからなかった。
 無邪気で人を食べる事にも躊躇わない種族の彼女が、種族としての性(さが)を無視して人里に入り浸るほどの魅力が目の前の彼にあるようにはどうしても思えない。

「おーい、福太郎さん! お客さん来てるよーー!」
「ええっ!? ああ、すみません。ちょっと待ってください!!」

 隣で屋台をやっている男性に言われて、慌てて店に戻ろうとする彼。
 私との会話がまだ終わっていなかった事に気付いたのだろう。
 走り出そうとした足を止め、こちらに向き直って頭を下げた。

「すみません。仕事が来たみたいなんで。話の途中で申し訳ないんですが……」
「私の事はお気になさらずに。中々、楽しい話が出来ましたので」

 「それでは」と告げ、スカートの裾を摘まんで会釈する。

「はい。それじゃまた縁があった時にでも」
「ええ。その時にまた」

 相手が不快に思わないようにゆっくりと、しかし無駄な動きはせずに背を向ける。

 平凡。
 彼自身に向ける私の評価は結局のところ、変わる事はなかった。
 ただ、普通の外来人とは違うようにも思える。

 あの絵にしてもそうだ。
 まるで一日のその時の光景を、一瞬たりとも漏らさずに描き出そうとする気迫のような物を感じた。
 それはまるで『余命僅かな老人が何かを残そうとする』かのような。
 ただそこまで時間が無い事への切迫した感情は感じられない。
 あの感情は、どちらかと言えば。

「今を精一杯生きるという『覚悟』のような。……ふふ、田村福太郎さん、か」

 自然に口元が緩む。
 非常に興味深い。
 あれほどの絵を描くその感性がどのように形作られたのか。

 さっそくお嬢様に話してみよう。
 月を見ながらのティータイムの時にでも。
 暖かな紅茶とお茶菓子を用意して、興味深い絵描きの話を。

「きっと興味を抱いてくださる」

 吸血鬼の存在をあっさり受け入れ、無邪気な人食い妖怪に懐かれた外来人。
 ある意味、人間と言う枠組みの中での異端者である彼。
 実際にお嬢様と対面した時、彼がどのような事を言うのかも気になる。

「不思議な物ね。主を第一と考える従者ともあろう者が他者をここまで気にかけるなんて」

 だがそれを悪い事とは思わない。
 結局の所、私の中の『優先順位』には何の変動もないのだから。
 人里を出て、いつも通りに空を飛ぶ。
 一度、彼が店を出している辺りに視線を向け、もう一度会釈する。

「またお会いしましょう。田村福太郎様」

 私は自分の能力を使用し、紅魔館への帰路に着いた。


「おうっ!?」
「フクタロー、どうしたの?」

 背筋に走る悪寒に思わず、奇声を上げて椅子から立ち上がる福太郎。
 その様子を見て向かいの椅子に座って足をプラプラさせていたルーミアが首をかしげて聞き返す。

「あ、いや……なんかこう、寒気がして……なぁ」
「ん~~? 風邪でも引いたの?」
「う~ん、そうかもしれんなぁ。夜、冷えてきたしなぁ」

 首筋に浮かんだ鳥肌を撫でながらぼやく福太郎。
 まさか自身に吸血鬼との会合フラグが立ったとは夢にも思っていない。

「じゃあさじゃあさ! 今日は一緒に寝よ! 一人で寝たら寒いかもしれないけど二人でくっついて寝たら寒くないよ!!」
「あはは、いやさすがにそれは色々あかんと思うよ。主に俺の世間体的な意味で……」

 目を輝かせて提案するルーミアに苦笑しながら彼は筆を進める。
 妖怪である彼女ならば。
 自分よりも長く生き、これからも生きていく彼女ならばと思い、こうしてルーミアの似顔絵を描いているのだ。

 話をしながらでもその眼の奥にあるのはただただ真摯に、彼女の姿と想いを映し出すという意志。
 自分はこんな顔で笑っている、この時を楽しんでいたのだと言う記念を残してやりたいという想い。
 風景画にしてもその一瞬を残してやりたいという想いは同じだ。

 妖怪からすれば短い、人間の一生を精一杯に生きる為に、己を表現した物を残す為に、彼は今日も絵を描く。

 仕事とルーミアの絵の下書きを終えた福太郎は商売道具を片付けながら昼間の世間話を思い出す。

「(素晴らしい、かぁ。お世辞って感じやなかったけど。やったら何を持って俺の絵を素晴らしいって思ったんやろなぁ)」

 今日、出会った慧音とは異なる銀髪の女性。
 自分の内面を探ろうとしていた笑顔の中にあった鋭い視線が頭を過ぎる。

「(……そんな興味持たれるような事した覚え、ないんやけどなぁ)」

 害意こそなかったけれど、興味を持たれた事で厄介事に発展する事は珍しいことではない。

「(メフィストさんとか、誄歌先生とか……人をいじるの大好きな人らには前例いるもんなぁ)」

 思い出されるのは足洗邸の住人である悪魔教師と、自分が勤めていた学園の教師の姿。
 姿を思い浮かべるだけで高笑いが聞こえてきそうだから不思議なもんである。

「なんか、やな予感がするなぁ」
「どーしたの? フクタロー」

 自分の手を握って見上げてくるルーミアに「なんでもない」と返す。

「ほな、帰ろか? (まぁ何が起こっても俺は多分、いつも通りなんやろうけどなぁ)」
「うん!」

 見た目、年の離れた兄妹にしか見えない二人が夕焼けの中を歩く。
 種族の違いなど詮無い事だとでも言うようなその光景を生み出した彼はそれがどれほどの偉業であるかの自覚はまったくなかったのである。

 余談だが結局、彼はルーミアと一緒に寝る事になった。
 一応、抵抗はしたのだが今にも泣きそうな顔で睨まれてしまい、『自称ヘタレ人間』にはどうする事もできずに押し切られてしまったのだ。
 阿求や邸の人間たちはそんな二人の様子を慈しむ目で微笑ましそうに覗いていたのだが、当人たちは知る由もない。


 紅魔館 二階テラス

 月明かりが降り注ぐ夜。
 吸血鬼の館として人里では恐れられているその場所に二人の人物がいる。

 一人は咲夜。
 座っているもう一人の脇で直立不動のまま、かしづくように待機している。
 
 もう一人は少女である。
 咲夜と比較しても一回り幼い容姿。
 だがその背にある物が彼女が人間ではない事を如実に物語っている。
 それはコウモリの羽。
 容姿と不釣合いな禍々しさを持つその羽を揺らめかせながら少女は機嫌良さげに咲夜に視線を向ける。

「それで咲夜。人里で面白い話を仕入れたと言っていたけれど、聞かせてくれるかしら?」

 テーブルに置かれているほどよい湯気が立ち昇るティーカップを持ち上げる。
 優雅さを感じさせる手つきで一口、紅茶を味わいながら彼女はその外見を裏切る妖しい笑みを浮かべた。

「はい。では僭越ながら話させていただきます。人里に住む外来人の絵描きの話を」
「ふふ、貴方が興味を持つ人物の話なんて中々聞ける物じゃないわ。楽しみね」
「光栄です」

 そして咲夜は福太郎の事を包み隠さず語り始める。
 語り終えた後の少女の表情は外見相応に可愛らしく見えると同時に、その背の羽のような禍々しさを感じさせた。

「ふふ、咲夜。次に人里に行く時は私も行くわ。日傘の用意をしておいて」
「はい」

 一切の疑問を出す事なく即答する咲夜。
 その答えに満足げに頷く少女。

「ふふ、妖怪に好かれ、咲夜を唸らせる絵を描く男。私の絵を描かせたらどんな物が出来るのかしら。ふふふ、今からとっても楽しみね。あははははははッ!!」

 可憐な笑い声を上げる主を咲夜は一歩下がった従者の距離を保ちつつ、見守っていた。
 その顔に嬉しそうな笑みを浮かべて。


 従者は絵描きと出会い、久しく感じていなかった人間への興味を思い出す。
 彼の絵を生み出す感性の根源を知りたいと思った彼女は、その瞬間だけは『従者』ではなく一人の『人間』になっていた。
 その興味という名の感情がこれからどのように変化していくかは本人にすらわからない。

 絵描きは従者と出会った事で、さらなる異形の存在を知った。
 その好奇心と何者をも分け隔てなく接する思考が導き出す答えは一つ。
 従者に対してもその主に対しても彼は『いつも通り』に接するだろう。
 いずれまた出会った時を思い、彼はこれからの毎日を過ごす。

 これは『完全で瀟洒なメイド』と『迷い込んでしまった絵描き』の物語。


 吸血鬼の少女は従者の話と楽しげな彼女の態度から絵描きへ興味を持った。
 自身の従者として恥じない姿勢を崩さない彼女の心を動かした男を少女は面白いと感じたのだ。
 そして思い立てばその行動は早い。
 長く生きる者にとっての大敵である『退屈』を無くす為に。
 彼女は遠からず訪れる会合の時を思って楽しげに笑い続けた。

 これは『永遠に紅い幼き月』が『迷い込んでしまった絵描き』と描く物語の序章。


あとがき
従者が人間観察に目覚めたようです(挨拶)

作者の白光(しろひかり)でございます。
今回は咲夜メインのサブにルーミア、お嬢様の構成になりました。

自分の中の咲夜の印象はこんな感じでしたので霊夢やルーミアに比べるとドライな感じでまとめました。
好意というのもあくまで模範的と言いますか、普通の人間同士のコミュニケーションで抱く程度の好印象止まりです。
しかし咲夜の口調やら性格付けは難しかった。
今まで書いてきたキャラでは一番難しかったです。
よって違和感、感じる部分などありましたら是非ともご指摘いただきたいと思いますのでお気軽に感想掲示板にお書きください。

さて次のお話ですがこのまま紅魔館編には行きません。
他に絡めやすいキャラがいますのでそちらの第一次接触からやっていこうと思います。
具体的には下記三名のいずれかになります。

1 普通の魔法使い
2 七色の人形遣い
3 人里の守護者

誰の話になるかは作者のモチベーション次第になりますので気長に待っていただければ幸いです。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう



[11417] とある絵描きと普通の魔法使い
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/10/12 20:51
 振り注ぐ日の光が気持ちいい。
 本日も快晴。
 道行く人々も店先で呼び込みを行う人たちも活気に溢れている。
 そんな日の午後。
 のんびりと仕事に励むわけでもなく、大通りを流れる人の波を眺める福太郎。

「あ~~、ええ空気やなぁ。秋頃やから日差しがキツイって事もないし。……くぁあああ~~」

 程よい陽気についつい欠伸が出てしまう。
 幻想郷に来てからこっち、落ち着いた日々とは無縁のそこそこに忙しい時間を過ごしていた為、その反動でもあったのか今日の彼は妙に眠そうだ。

「あかんなぁ。今日は仕事にならんかもしれへん」

 ぼうっとする視界を目で擦ってはっきりさせようとするが、押し寄せる眠気に対してあまりにも小さな抵抗だった。

「……あ~~、あかんわ。もう、無理」

 とうとう睡魔に負けて椅子にもたれかかったその時。
 妙に甲高い音が彼の耳に聞こえてきた。

「?」

 椅子にもたれかかり、頭上を見上げる形になっていたので手で日の光を遮りながら目を開ける。
 なにやら豆粒のような物が近づいてくるのが見えた。

「ごみ、なわけないよなぁ。鳥にしてはデカイし」

 嫌な予感を覚えた彼は椅子から立ち上がり、その場から離れようとする。
 それよりも早く黒い物体は彼の頭上に落ちてきた。
 否、滑空してきた。

「いやっほーーーーーーーーーー!!」

 思い切り彼の頭上を掠めるように通り過ぎたのは少女だった。

 黒い三角帽子に白黒で全てを表現できる洋服。
 長い金髪をたなびかせて『箒』に跨った、物語に出てくる魔女その物の格好をし、快活な笑みを浮かべた少女だ。

「どっわぁ~~~~!?」

 爆風のような風――勿論、彼女が突撃してきたせいで巻き起こった物だ――の余波で吹き飛ばされ地面を紙くずのように飛ばされる福太郎。
 それはもう出来の悪いスタントのような無様さで転がった彼は、十メートルばかり転がったところで建物の壁にぶつかってようやく停止した。

「あ、やっべ……。大丈夫か?」
「あたたっ、一体なんやねんな」

 やばいと言いつつ妙に落ち着いた様子で近づいてくる少女。
 まだフラフラする頭を抑えて座り込む福太郎。
 どうやら脳震盪のような状態になってしまったようだ。
 頭上を急加速してきた物体が通り過ぎた上に、巻き起こった風に吹き飛ばされて地面を転がればそうなってもなんら不思議はないが。

「おいおい、だらしないぞ。あんちゃん。男だろ」
「いやいやいや、俺は普通の人様よりバラメータ低いから……っていうか普通の人じゃあんな風に吹き飛ばされたらこうなるって」

 苦笑いしながら差し出された少女の手を取って立ち上がる福太郎。
 彼らは見ていないが通りの人間たちは騒動の下手人が『彼女』であるとわかると注目するのをやめ、各々の作業に戻っていった。
 どうやら彼女がこういう事をするのは人里では見慣れた光景のようだ。

「あ~~、まだフラフラするなぁ」
「ホントに普通だな、アンタ。……あんまり見ないその服と言い、もしかして霊夢が話してた福太郎って外来人か?」
「ん~? お嬢ちゃん、霊夢ちゃんの友達?」

 福太郎は頭をゆっくり回し、ようやく安定し出した視界で少女を見つめる。

「おう。私は『霧雨魔理沙(きりさめ・まりさ)』。普通の魔法使いだぜ! よろしくな!!」

 快活な、見ている者を元気にさせるような笑みで名乗った少女。
 さっそくその元気を分けてもらえたのか福太郎も釣られて笑って挨拶を返した。

「田村福太郎や。よろしくなぁ」

 福太郎の眠気は彼女の来訪のお蔭でいつの間にか吹き飛んでいた。


 私、霧雨魔理沙は久しぶりに友人である霊夢の神社を訪れていた。
 愛用の竹箒に跨り、意味もなく全速力で。

「よぉ! 霊夢、遊びに来たぞ!!」
「帰れ、馬鹿魔女」

 相変わらず歯に衣着せないヤツだぜ。

「おいおい、久しぶりに友人が訪ねて来たのにその態度はないだろ。集めた落ち葉を吹き飛ばしたのは悪かったけど」
「ようやく終わる所だったのにこんな事されてどう歓迎しろってのよ。迎えてほしかったらやり直しになる掃除を手伝いなさい」
「え~~、勝手に上がって待ってる……と思ったけど手伝ってやるぜ。私のせいだもんな」

 ふぅ、いきなりスペカを持ち出すなんて今日の霊夢は沸点が低いな。

「わかればいいのよ。ほら、さっさとご自慢の箒で散らかした落ち葉を集めなさい」
「へいへい」

 霊夢と二人でさっさと境内の掃除を済ませる。
 縁側でのんびりしているとお茶請けとお茶を持って霊夢が戻ってきた。

「お、さすが霊夢」
「なにがどう『さすが』なのよ。さっさと飲んで食べて帰ってよ。面倒なんだから」

 ほんと、釣れないヤツだ。
 まぁいつも通りで、私も慣れてるけどな。
 隣で湯呑みに口を付ける霊夢を横目で窺いながら自分の分を飲む。

「ふぅ……そういえばアンタ、最近たかりに来なかったわね。珍しい事に一ヶ月くらい」
「ああ、ちょっといいキノコを見つけてさ。ずっと実験にかかりっきりだったんだよ」

 お蔭で食費が普通にかかって大変だった。
 一日に一回は霊夢の所で食べてたからな。
 余計な出費をしちまったぜ。

「そのままかかりっきりだったら良かったのに」
「おいおい、友達に対してなんて言い草だ。本当は私が来なくて寂しかったんだろ?」
「五月蠅いのが来なくて清々してたわ」

 うう、なんか今日の霊夢、いつも以上に冷たいぜ。
 なんか私がいない間に遭ったのか?
 っとそう言えば気になる事が一つあった。

「なぁ霊夢。その本、なんだ?」

 霊夢がお茶請けと一緒に持ってきた本を指差す。
 別に魔術書とかの類じゃないみたいだけど、妙に古い冊子の本だ。
 というか今まで霊夢が本を読む所なんて見た事がない。
 本を読むくらいならお茶を啜ってるだろうから正直、違和感しかない。

「ああ、これ? 博麗の巫女が今まで関わってきた出来事の記録よ。慧音風に言うなら博麗神社の歴史書と言った所かしらね」
「へぇ~~。そんなのを引っ張り出してどうしたんだ?」

 なんか面白そうな事になってる気がするけど。

「……ちょっとね。外来人が関わった出来事がないか調べてるのよ」
「外来人? 誰か来たのか?」

 そんなに頻度は高くないけど、幻想郷の外の人間がこちらに迷い込む事があるって言うのは知っている。
 何も知らないで魔法の森に迷い込んで死にそうになってるヤツを助けた事もあったし。
 せっかく助けてやったのに化け物呼ばわりされた事もあったけどな。
 まったく礼儀知らずにも程があるぜ、あいつら。

「なんか態度が悪かったとかそういう事か? あいつら、貧弱っつーかなんつーか臆病なのが多いし妙に偉そうだったりするからなぁ」
「そんな事でわざわざ記録なんて持ち出さないわよ。そんなヤツならとっとと還してそれで終わりじゃない」
「それもそうだな。じゃあ何があったんだ?」

 一瞬、霊夢の表情が変わったのが見えた。
 あれは滅多に見ない悔しがってる表情だ。

「前に慧音に連れられて外来人が来たのよ。元の世界にどうしても戻りたいって向こうからすれば小娘にしか見えない私に土下座までしてね」
「へぇ、まともなヤツもいたんだな。外来人って」

 素直に驚いた。
 なんか妙に絡みづらいヤツしか知らないからな、私は。

「でもね。その人の事、還せなかったのよ。私」
「なんだって?」

 あの霊夢が自分の仕事を失敗した?
 思わず聞き返した私に霊夢は苦々しい表情をして頷いた。

「術に異常はなかった。間違いなく外の世界と幻想郷はあの時、繋がっていた。なのに福太郎さんを還せなかった」

 悔しさで唇を噛む霊夢。
 すごく珍しい姿だな。
 それなりにこいつとは付き合いがあるけどこんな表情見たことがない。

「でもあの人は私に何か言う事もなかった。文句を言っても誰も咎めやしないのに。それどころか私を気遣って……帰れない事がショックじゃないはずないのに」

 湯呑を握り締める手が震えていた。

「それで霊夢はそいつを帰す為に記録を漁ってるわけか。よっぽど悔しかったんだな」
「ええ。なんだかんだで博麗神社の歴史は長いからね。その長い時間の間になら同じような事例があるんじゃないかと思って……」

 記録書を捲りながら告げる霊夢の目は異変の元凶と戦う時くらいに真剣だった。
 
 こいつは誰か一人に肩入れする事はない。
 誰にでも平等に接するから。
 そこに妖怪だろうと幽霊だろうと人間だろうと差異はない。
 気持ちの芯をいつも真ん中に置いて、どちらにも転ばない。
 そういうヤツだ。
 それが自分の術が失敗したってだけでこんなに必死になるなんて思わなかったな。
 いや気持ちはわかるけどな。
 私だって自分が必死に考えて作った魔法がわけもわからず失敗したらこれくらい必死になって原因を突き止めようとするだろうし。

「あ、でも一つだけ訂正よ。魔理沙」
「ん? 何がだ?」

 さっきまで張り詰めるような真剣な眼をしていた霊夢の顔が不意に綻んだ。
 なんか今日の霊夢はずいぶん百面相だな。

「悔しかったって言うのは勿論あるわ。博麗の巫女としてやらなきゃいけない事が出来なかったって言うのは沽券に関わるしね。でも今回の件に関して言えば私が頑張っている理由はそれだけじゃない」
「? なんか他に理由があるのか?」

 霊夢は私の質問には答えずに湯呑をお盆に乗せると縁側を離れた。
 私は何も言わずに離れていく霊夢に付いて行く。
 特に文句を言わないって事は付いて来て正解だったって事なんだろう。

 台所にお盆を置くと霊夢はそのまま自分の部屋に入った。

「これ。福太郎さんが書いてくれた絵なんだけどね」

 殺風景な霊夢の部屋の中でその絵はすごく存在感があった。
 いわゆる胸像画ってヤツで、白黒だけで描かれた霊夢の絵。
 思わず見惚れてしまうくらい綺麗な顔をした霊夢がその絵の中にいた。

「……驚いたな。そいつ、こんなに上手い絵が描けるのか」
「ええ。風景を描いてる絵も見たけど、紅魔館に置いてある絵と同じくらい綺麗だって私は思ったわ」

 へぇ、そっちはそっちで見てみたいな。

「福太郎さんはこの絵を私への『お礼』だって言ってくれたの」
「お礼?」
「絶対に元の世界に戻してみせるって言ってくれたお礼だって」

 へぇ~、すごく義理堅いヤツなんだな。
 人当たりの良い外来人なんているんだなぁ。

「今まで失敗したことのない術を失敗して悔しかったから言っただけの言葉だったのにね。この絵をもらったらさ。いつの間にか私自身が『この人を助けたい』って思ってた」

 霊夢は今まで『博麗の巫女だから』という理由で異変を解決していた時とはまた違った目をしていた。
 こいつの心を掴んだ外来人、かぁ

「会ってみたいな、ソイツに」
「福太郎さんは人里の阿求のところに居候してるわ。でも日中は仕事で大通りに出てる事の方が多いわよ」
「教えてくれてサンキュー、霊夢」
「……別に会うのは止めないけど、福太郎さんに迷惑かけないでよ?」

 うきうきしているのが顔に出たのか霊夢が忠告してくる。
 でも気にしないし、するつもりもない。
 だってあの霊夢にここまで言わせた男がいるんだぜ?
 興味持つななんて無理は話だ。

「とりあえず善処するぜ!」

 言って私は霊夢の部屋を出る。
 廊下を小走りで走り抜けて、靴を履き、庭先に立てかけて置いた自分の箒に跨って飛ぶ。

「またな、霊夢。お茶美味かったぜ!!」
「あ、ちょっと!! ほんとにわかってるの!? 待ちなさい、魔理沙!!」
「待てと言われて待つヤツはいないんだぜ!!」

 かっこよくセリフを決めて私は人里へと全速力で飛び出していった。


人里

「なるほどなぁ。霊夢ちゃんに俺の話を聞いて興味持ったと」
「そうだぜ、あんまり人里には来たくなかったんだけど、どうしてもアンタの事が気になったから来ちゃったぜ」
「そら、光栄やねぇ」

 ワイワイとはしゃぎながら話す魔理沙とのんびりと受け答えする福太郎。
 先ほどの騒動の混乱はあっさり沈静し、福太郎も倒れたイーゼルなどを立て直していつも通りパイプ椅子に座っている状態だ。
 魔理沙は客でもないのに客が座る方の席に陣取っている。

「で、実物見てどう思ったん?」
「すっごく普通だな。拍子抜けするくらい」
「まぁそうやろねぇ」

 どストレートな魔理沙の物言いに気分を害した様子もない苦笑いする福太郎。

「なぁ福太郎。アンタの絵を見せてもらったけど、景色ばっかりだよな?」
「ああ、主に風景画やからね。俺が描くのは」

 鉛筆を紙の上に走らせながら答える彼が描いている絵は人里にある長屋だ。
 長屋の主人に依頼された物である。

「人物画は描かないのか?」

 芸術にはあまり興味のない彼女から見てもよく描けていると思える作品だったあの霊夢の絵を見ているから。
 なぜもっと積極的に人物画を描かないのかというのは彼女からすれば当然の疑問だった。

「……人物画は魂が篭もりやすくてなぁ。あと後で見るのが辛いねん」

 どこか遠くを見つめる彼の視線はとても悲しげで、『何か大切な物を失くした事』があるのだと魔理沙に伝わる。
 これ以上は質問しないでほしいという無言の拒絶が感じられたが、それでも彼女は問いかける事をやめなかった。

「じゃあさ、福太郎。アンタ、なんで霊夢の絵を描いたんだ?」
「あ~……」

 言葉を濁すように息を吐き、頭上を見上げる福太郎。
 魔理沙はその行動を、言葉を選んでいるのだと察すると黙って彼が話すのを待った。

「霊夢ちゃんは、俺より長生きしそうやったからやな」
「長生きしそうだったから?」
「うん。あの子やったら俺を置いていくって事はしないだろうなぁって思ったんよ。やから描いた。なんて言うんやろな、生きる気力に満ちてるって言えばええんやろか」

 福太郎の正直な感想だ。
 自分にはなかった躍動的で、生き生きとした眩しいくらいの輝きを感じたのだ。
 それは彼女だけではない。
 ルーミア、咲夜、慧音、目の前にいる魔理沙にしてもそうだ。
 幻想郷の住人は自分よりも早く死ぬことはないだろうと思わせる『頼もしさ』のような物を感じさせてくれる。

「やから安心して描いていられるんよ」
「ふーん。よくわからないけど、アンタなりの拘りがあるのはわかったぜ」
「拘りなんて偉そうなもんとは違うけどね。我儘よ、俺のは」

 自嘲気味に笑う福太郎に、魔理沙はにっこり笑うとこう言った。

「じゃあ私の事はどうだ? 安心して描けるか?」
「ん? そやなぁ」

 福太郎としては魔理沙を描く事に抵抗感はほとんどない。
 霊夢の友人という時点で普通ではないだろうという事は予想できる。
 なにより彼女の快活な雰囲気が『死』など寄せ付けないと無言で語っていた。

「……ひとつ聞いてええかな? なんでそんな質問したん?」

 だから気になる事を問いかけた。
 描いて欲しいと思っているのは言葉から察しは付いている。
 なら何故そう思ったのか。
 福太郎はそれが気になった。

「霊夢のところでアンタが描いた絵を見た時にさ……」

 恥ずかしげに視線を明後日の方向に向ける魔理沙。
 言うか言うまいか少しの間、悩んだ彼女は頬を掻きながら自分の心情を語り始める。

「霊夢の事を羨ましいって思ったんだ。あんな風に綺麗に描いて貰えて。絵の中のあいつの顔も嬉しそうだったから余計に綺麗に思えてさ」
「俺が描いたんはその人が自然に浮かべた感情やからね。絵のモデルなんて意識してない素の笑顔やったから、あの絵は綺麗に仕上がったんよ。霊夢ちゃんって見た目も良いしね」

 自分の技術を誇るわけでもなく、モデルの良さを褒める。
 他意などない純粋な賛辞に、魔理沙はますます描いて欲しいという気持ちを高めていく。

「なぁ、私を描いてくれないか?」

 答えられていない最初の問いかけをもう一度、口に出す。
 より具体的に願う形で。
 ここまで言われてしまっては福太郎とて逃げるわけにはいかなかった。
 だが、それでも彼女に確認しなければならない事がある。

「一つだけ約束してくれるかなぁ?」
「? 何をだ?」

 首を傾げるその仕草が妙に可愛らしく見え、思わず笑みを浮かべるが福太郎はそのまま言葉を続けた。

「俺より早く死なんといてな」

 その言葉を受けた時、魔理沙は即答する事が出来なかった。
 福太郎の表情を見てしまったからだ。
 それは約束と言うよりも懇願。
 その顔は笑みの形を取っていたが、その目はこう言っていた。
 『置いていかれるのは嫌だ』と。
 『失くすのはもう御免だ』と。

 妖怪相手でも気圧される事のなかった彼女が一瞬とはいえ全ての行動を止め、息を飲んだのだ。
 それだけ重たい思いを魔理沙は彼の言葉に感じ取っていた。

「任せろよ。しっかり後に死んでやる! なんならアンタが死ぬのを看取ってやろうか?」

 感じ取ったからこそ彼女はいつも通りの気楽さで答える事を自分に課した。
 そうする事で安心しろと彼に呼びかけたのだ。
 最も自分らしく応えようと思ったのには特に深い考えがあったわけではなく、ただの直感だったのだが。

「……あ、あははは。そうかぁ、看取ってくれるんかぁ」

 かつて友に言われた言葉をまさかこの幻想郷で言われるとは思わなかった。
 こちらの事情を何も知らない人間の言葉ではあったが、気を抜けば涙が出そうになる。

「ああ。だから安心して描いてくれよ!」
「わかった。魔理沙ちゃんの絵、しっかり描かせてもらうわ」
「おう、頼むぜ。福太郎!!」

 約束の証にお互いの右手をがっしり握り合った。


 十数分後、描き上がった絵をマジマジと見つめる魔理沙。
 穴が空くほどにじっと絵を見つめながら、笑みを浮かべたり仏頂面になったりと百面相をする。

 「なぁ福太郎……」
 「ん? どしたん?」

 満足げに彼女を見つめていた福太郎は、一仕事終えた解放感を感じさせる笑みで応じた。

 「私、こんな顔で笑ってたのか?」

 自分が描かれた絵を福太郎に見せながら質問する。
 その絵の中にはいつもの子供っぽい活発さを感じさせる笑みではなく、しっとりと嬉しそうに笑う自分の姿。
 福太郎と話しているうちに不意にこぼれた優しい笑み。

 「余計な力が入ってない良い笑顔やったよ」
 「そ、そっか……」

 ガサツであると自覚しているだけにこんな笑顔を自分が出来るとは思っていなかったのだろう。
 彼女は福太郎の言葉に戸惑いながらもう一度、未知の自分を見つめている。

 「……あの元気の良い笑い方も好きやけどね。俺は」
 「ん? なんか言ったか?」

 自分の絵を見る事に集中していた為か、彼の言葉を聞き逃した魔理沙は顔を上げて聞き返す。
 
 「結構、気合入れて描いたから大事にしてくれると嬉しいなって言うたんよ」
 「へへ、勿論だぜ! ありがとな、福太郎!!」

 笑い合う二人の姿を見て今日が初対面だと信じる者は果たしてどれほどいるだろう?
 まるで数年来の友人のような気安い雰囲気を感じさせた二人は日が落ちるまで他愛のない話を続けた。

 
 そして彼の家の押入れに新たな絵が加わった。
 金色の髪をなびかせて宙を舞う可愛らしい魔女の絵。
 風を切るように飛翔するその表情は楽しげで。
 今、その瞬間を精一杯に生きている事を感じさせる。


 少女は僅かに絵描きの心に触れ、その表情の裏に隠された悲しみを知った。
 その結果、彼女はいつも通りに振る舞う事を己に課し、彼の力になろうと思うようになった。
 興味本位に、ただガムシャラに力を振るっていた時とは違うその感覚を、より深く知る事で彼女はさらに成長していく事だろう。
 彼と関わる事で今までの自分と違う自分を見つける喜びを知ったのだから。

 絵描きはこの快活な少女に僅かに心を許した。
 己が言って欲しいと思っていた言葉を言ってくれた彼女にどこか『親友』の姿が重なった事もある。
 そのお礼にと彼女の要望を受け入れて彼は筆を取る。
 彼女の願いに答える為に。
 霊夢を描いた時に勝るとも劣らぬ気迫を込めて最高の絵を描く為に。

 これは『普通の魔法使い』と『迷い込んでしまった絵描き』の物語。


あとがき
この魔女は書き易かった(挨拶)

作者の白光(しろひかり)でございます。
今回はメイン魔理沙のサブ霊夢になりました。

少々、遅くなったダゼっ子でしたがどうでしたでしょうか?
咲夜や霊夢に比べると異様に書き易かったので途中から深く考えずにノリで書き上げました。
一応、見直しもしましたがどこか違和感などありましたら気軽にご一報ください。

さて次のお話ですがこれは決めています。
清く正しくがモットーの彼女です。

話の構成がまだまとまりきっていない為、更新が遅れそうですが気長にお待ち頂けると嬉しいです。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。

9/30
魔理沙分を僅かばかり追加。
ご指摘のあった文章を修正。



[11417] とある絵描きと最も里に近い天狗
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/10/12 20:50
「今日も良い天気やなぁ」

 道具一式を入れたバックを持ち、福太郎は整理された道を歩く。
 彼は無断で外に出た時は慧音と阿求にこっぴどく叱られてしまい、以降は『弾幕勝負が出来る同伴者』を連れて行かなければ里の外に出る事を禁止されてしまった。

 慧音は寺子屋の授業で定められた休日以外は基本的に忙しい。
 こちらの都合でせっかくの休日に付き合わせるのも福太郎としては気が進まない。

 阿求はそもそも戦闘能力が無い為、付き合わせるわけにはいかない。
 彼女も基本的に外に出ない人種なので福太郎的には「気分転換がてら連れ出すのもありかなぁ」などと思っているがそれはそれだ。

 霊夢や魔理沙は適任ではあるのだが里に現れる頻度が低い為、福太郎が出掛けたいと思うときに遭遇できず、同伴をお願いする事が出来ていない。
 出会えたからと言ってこちらのお願いを聞いてくれるかと言うと微妙だと彼は思っているが。

 咲夜はあの日の談笑以来、会えていない。
 尤も仕える主がいる彼女が他人の道楽とも言えるお願いを引き受けてくれるかと言えば首をかしげざるを得ないが。

 ルーミアは慧音たちに何か吹き込まれてしまったらしく、福太郎が外に出る事に否定的になっている。
 「危ないから駄目」と言って服を掴まれてしまえば福太郎としても無理に引き剥がす事は出来なかった。
 しかも彼の言い訳にも耳を貸してくれないので現在、『人里の外に出る』というあまりにも小さな野望の一番の障害になっている状態である。
 今日もさっきまで引っ付いて止められていた。
 一緒に連れて行くと言うと揺らぐのだが、どうしても乗ってくれない。
 まぁこれには福太郎が行こうとする『場所』にも問題があるのだが。

 だが彼は野望を達成し、今こうして人里の外を歩いていた。

 ルーミアは引き止められないなら付いて行くと言っていたのだが今、隣にいる『同伴者』が口八丁で煙に巻いた為、一緒に来ていない。

「(ルーミアちゃんには帰ってからしっかりお詫びせんとなぁ)」

 ちらりと隣を歩いている同伴者に視線をやってから、福太郎は気分を切り替えるべく深呼吸を一つ。

「ほな、妖怪の山の入り口までお願いしますわ。射命丸さん」
「はい。この射命丸文にお任せください」

 射命丸文(しゃめいまる・あや)
 妖怪の山を根城にする天狗たちの中で頻繁に幻想郷中を駆け回る鴉天狗の少女。
 トレードマークの団扇、頭に付けている頭布(ときん)と呼ばれる多角形の帽子。
 これだけ見ればまさに鴉天狗なのだが、その服装は袈裟と篠懸(すずかけ)という山伏の衣装ではなく白と黒を基調にした洋服である。
 新聞記者を生業としておりその肩にはカメラを掛け、胸ポケットには万年筆と文花帖と呼ばれるメモ帳を携帯している。
 見た目は17、8歳程度の少女だがかなり長生きしており、強い者には媚を売り弱い者には強気に出るという実にわかりやすい性格をしている。
 唯一の例外が取材対象に対してであり、その処世術も相まって問題を起こす事も少ない。
 倦厭する者が多いというだけで。
 上下関係に厳しい天狗社会で培われた性格ではあるがそれに輪を掛けて徹底している為、彼女を知る者たちからは『これが素である』という意見でまとまっている。

 呼ばれた少女はにっこりと笑いながら彼女は自分が妖怪である事の象徴とも言える黒翼を広げた。
 ひょいと彼の両脇を細い手で掴む。

「それじゃ行きますよ。荷物はしっかり持っていてくださいね」
「了解了解。かしこまり~~」

 のんびりとしたやり取りを終えて、彼女は空中に舞い上がった。

「おお! 飛んでる飛んでる!! 空飛ぶって気持ち良いなぁ!!!」
「人里と妖怪の山の往復代金として取材一回。約束は守ってくださいね!」

 ヤッホウ! とはしゃぐ福太郎に苦笑いしながら、釘を刺す。
 そう彼女の目的は『最近、人里に住み着いた絵描き』の取材であった。
 そして福太郎は彼女の取材を受ける条件として人里と妖怪の山を運搬してもらう事を依頼したのだ。

「守らないと俺、道に迷って死んでまうし。今更、約束破るなんて言わへんよ」
「ソレを聞いて安心しました。それじゃ飛ばしますよ~~」

 黒翼をはためかせ、文は一気に加速する。
 彼は目を瞑って迫ってくるはずの風に備えた。
 だが予想に反して、彼の身体に風が打ち付けてくる事はなかった。

「……あれ?」
「清く正しくをモットーにしている私が、取引相手に負担をかけるような事をするとお思いで?」

 してやったりと笑いながら福太郎の顔を覗き込む。
 対する福太郎はポカンとした表情を隠そうともせずに彼女と目を合わせた。

「これってなんかの能力使ってるの?」
「ええ。風を操る程度の能力。読んで字の如くの能力です」
「なるほどぉ。自分の周囲の風圧を操ってるって所なん?」
「いえいえ。ただ貴方を避けるように風を操っているだけですよ」
「いやぁどっちにしても人間には真似できひん事やし、その能力がスゴイって言うのは変わらへんよ」

 空を飛んでいるという普通の人間からすれば出来ない事を体験しているというのに慌てない。
 勿論、空を飛ぶ事など彼は初体験である。
 だと言うのにその瞳に恐怖は無く、純粋な喜びと子供っぽい興奮に満たされていた。

「それほどでもありません。さぁそろそろ見えてきますよ」

 向けられた純粋な瞳に僅かに動揺しながら、彼女は視線を目的地へ移す。
 釣られて福太郎も視線をそちらへ。

「おお!! 『秋』で綺麗に彩られてるやないかぁ!! こりゃ描き甲斐があるわぁ!!」

 紅葉で彩られた山々の美麗な景色に魅せられながら彼らは妖怪の山の入り口へと降りていった。



 私こと射命丸文は今、人里を訪れている。
 理由は発行している『文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)』を配布する為だ。
 納得のいかない事にあまり購読者がいない私の新聞ですが、この人里には数少ない(本当に不本意ですが)愛読者がいますのでそちらに出来たての新聞を届けに来たわけです。

 最初に訪れたのは稗田屋敷。
 そこの中庭でのんびりと日向ぼっこをしていた阿求さんに声をかけた。

「あら、文さん。少し振りですね」
「はい、阿求さんもお元気そうで何よりです」

 社交辞令の挨拶を交わし、新聞を手渡す。
 玄関ではなく中庭に直接、降りて来たことにも慣れられてしまったようで至って普通に対応されてしまった。
 むぅ、つまらないですねぇ。

「今回は早かったんですね? 何か面白い話でも仕入れたのですか?」
「それは読んでからのお楽しみですね」

 お代をもらい、すぐさま飛び出そうとする。
 そこでふと視線の端にいつもと違う光景がある事に気が付いた。

「阿求さん。あの部屋って確か空き部屋じゃありませんでしたっけ?」
「ああ。ついこの前から人を泊めているんですよ」
「おや、新しい人でも雇ったんですか?」

 珍しい事もある物だ。
 稗田の家は、人里で最も歴史の古い由緒正しい家柄。
 そこに勤めている人間は、よほどの人手不足にならなければ代々仕えている人間だけのはず。
 これはなにやら面白そうな匂いがしますねぇ。
 新聞記者としての勘がそう言っています。

「いえ雇い入れた訳ではなく。外来人の方を一人、居候という形で。少し変わった方で……」

 言い難そうに口ごもる彼女の様子に自分の勘が外れていなかった事を実感する。

 というか外来人ですか。
 あの礼儀知らずの世間知らずどもは正直、嫌いな部類なのですが。
 人の姿を見て、化け物とか金切り声で叫ばないでほしい。五月蠅いから。
 別に取って食ったりなんてしないと言うのに。
 丁寧に対応してやったらやたら態度が大きくなるし。
 その癖、まともに取材に応じようともしないし。
 外に帰りたいと自分の主張を通すのは勝手ですけど、それなりの頼み方ってもんがあるだろうに。

 おっといけない。
 つい連中との不毛なやり取りを思い出してしまった。

「変わった方とは? 私見になりますが外の人間と言うのはこちらで暮らしている人たちとは相性が悪い人種が多いように思われますが……」
「ああ、福太郎さんに限って言えばその辺りは問題ありませんよ。礼儀正しい方ですし、誰に対しても物怖じしない性格ですから」

 ほう。外来人の名前は『福太郎』で礼儀正しい性格と。
 今まで関わった外来人とは違うと言いますが、あの稗田家の人間が滞在を許可したのであればそれだけでそれなりに信用できる人間という事なのでしょうな。

「ふむ。阿求さんがそうおっしゃるのであれば人柄は信用できるのでしょうな」
「ええ、人里の人たちとも上手く打ち解けていますし、聞いた限り妖怪とのいざこざも無いようですから……むしろ」

 そこで阿求さんは何かを思い浮かべて、クスクスと上品に笑った。

「おや、思い出し笑いですか?」
「ふふふ……ええ、少し福太郎さんの武勇伝を」

 武勇伝とはまた大層な呼び方をされます。
 とはいえ思い出して笑うくらいなのですから内容は微笑ましい物なのでしょうが。

 ふむ、福太郎という外来人に興味が沸きましたな。
 新聞を配り終えたら早速、会いに行ってみますか。

「記者魂でも騒がれましたか?」
「おや、気付かれてしまいましたか」
「好奇心で頬が緩んでいましたから。私でなくても気付いていたと思いますよ」

 これはとんだ失態ですね。
 自分の感情を容易く読み取られてしまっては記者としても『鴉天狗』としても失格です。

「福太郎さんは今頃、人里の出入り口辺りか大通りにいると思いますよ」
「なるほど。背格好の特徴も教えていただけますか?」

 文花帖を開き、万年筆片手に阿求さんの言葉を書き留めていく。

「背は人里では大きい方ですね。長い髪を背中に流す感じにしています。全体的に黒い服装を好んでいるようです。あとあまり馴染みのない木彫りの道具を持ち歩いていると思うので見ればすぐわかりますよ」
「なるほどなるほど。よくわかりました。情報提供、ありがとうございます」

 礼儀正しく彼女に一礼し、改めて飛び立とうと羽を広げる。
 そこで彼女は思い出したように手を叩いてこう言った。

「ああ、そうそう。今日に限って言えば見つけるのは簡単だと思いますよ」
「はぁ……? 何故ですか?」
「ルーミアちゃんが引っ付いて彼を里の外に出さないようにしてますから」
「はい?」

 話の内容が上手く飲み込めず、思わず聞き返すが彼女はただ笑うだけで答えてくれない。
 結局、見てみればわかるという事で納得し私は稗田邸を後にした。



 阿求さんの言っていた通り、噂の彼はすぐに見つかりました。
 いや、まさか本当にルーミアに引っ付かれているとは。
 よくあの人食い妖怪が食欲に走りませんね。

 しかもなんだか彼女は怒っているのか、彼の背中から離れずに髪の毛を引っ張っています。
 で、引っ付かれている彼の方はそんな彼女の様子に困っているようです。
 でもむりやり引き剥がしたりはしませんね。
 優しいと言うか弱気と言うか、判断に苦しみます。

「なぁ今回だけでええから見逃してくれやぁ、ルーミアちゃん」
「ダメーーー! フクタロー一人で外に出たら死んじゃうでしょーーー!!」
「いやそこはまぁなんとかする、いやなんとかなったらええなぁって感じじゃアカン?」
「ダメーーーーー!!!」

 ふむ。遠目から見ているとまるで兄妹のようなやり取りですな。
 周りもなんだか微笑ましい物を見る目をしていますし。
 察するに人里の外に一人で出ようとする福太郎氏をルーミアが引き止めているという所ですかね?
 そんなに心配ならルーミアが付いて行けば解決するような気もするのですが。

「じゃあルーミアちゃんも一緒に来ればええやん。ほら、弾幕勝負も出来るんやろ?」

 お、どうやら同じ考えに行き着いたようですな。
 ルーミアもその言葉を聞いて言葉に詰まりましたし、これは脈ありですかな。

「むむぅう……やっぱりダメッ! 私じゃどうしようもない妖怪とか出たらやっぱり危ないもん!!! 『妖怪の山』って私より強い妖怪とか神様しかいないもん!!」

 なんと。
 福太郎氏は『妖怪の山』に行きたかったのですか。
 確かにあの辺りはルーミアでは荷が重いですな。
 基本、どこに住んでいるか不明なルーミアですが、あの辺りに姿を現した事はありません。
 彼女の食糧になる人間がいない事は勿論、強さとしての格が違う事を本能的に察しているのでしょう。

 自分ではもしもの場合、彼を助けられないからあれほど必死になって止めているという訳ですな。
 大体の事情は飲み込めました。
 ただ何故、福太郎氏が妖怪の山などと言う人間からすれば危険極まりない場所に行こうとするのかがわかりませんな。

「はぁ、困ったなぁ。せっかくこんな世界におるんやから行ける場所には全部行っておきたいんやけどなぁ」

 なんとも暢気な理由ですな。
 確かに今まで関わってきた外来人とは違う感性を持っているようです。
 しかもこの世界の常識を理解した上で恐れていないように見えます。
 度胸があるのか単なる無謀なのか非常に判断しづらいです。

「むぅ~~~!」 
「ああ、わかった。わかったからそんな顔せんといてや」
「……えへへ」

 がっくり肩を落とす福太郎氏を見て、満足そうにルーミアが笑う。
 ため息をつく彼の表情はルーミアを忌々しく思う物ではなく、子供の我儘を聞く父親のような、そんな慈しみが感じられる物だった。

 私はその彼の顔を見て純粋に疑問を抱いた。
 彼女は『妖怪』で、『人食い』で、『彼よりも長く生きている』というのに。
 何故、人間である彼があのようにルーミアを見る事が出来るのか。

 同時にすごく面白いと思った。
 記者としては勿論、鴉天狗という一妖怪として、『射命丸文』個人として私は彼に興味を持ったのだ。

 様子を窺っていた瓦屋根から飛び降りる。
 突然、頭上から降ってきた私に彼は目を白黒させた。

「お取り込み中、すみません。こんにちは」
「あ、どうも。こんにちは」

 営業スマイルと共に頭を下げる私に合わせて、ルーミアを引っ付けたまま頭を下げる福太郎氏。

「初めまして。私、新聞記者などをやっております。鴉天狗の射命丸文と申します」
「これはどうも、ご丁寧に。最近、人里に居着きました田村福太郎、言います」

 「よろしゅうに」とのんびりとした口調で話しかけ、右手を差し出してくる。
 妖怪相手にまったく怯えない、種族の違いに躊躇う事もない。
 頭のネジでも外れているんでしょうか?
 まったく常識外れな事を平然とする人ですね。
 勿論、そんな驚きを表に出したりせずに私は笑顔のまま握手に応じる。

「はい。こちらこそ宜しくお願いします」

 さてどうやって取材に応じさせましょうかねぇ。
 柄にもなくワクワクしながら私は思考を巡らした。


 取材を取り付けるのは思いのほか簡単でした。
 彼は妖怪の山に行きたいと言っていたがルーミアに止められていた。
 理由は福太郎氏に死んでほしくないから。
 ならばあの山で顔が利く存在である私が口聞きすればいい。
 勿論、山の奥地まではしっかりとした許可がなければ人間を連れて行く事は出来ないから入り口までですが。
 オマケに送迎もしてやれば今日に限っては彼の安全は保証されるという寸法です。

 彼は嬉々として了承したし、ルーミアも私の強さと妖怪の山の上下関係の厳しさは知っているので彼の身の安全が保証される事に納得してくれました。
 まぁ彼女は付いて来たかったようだけど、今回は諦めてもらいましたが。
 取材は一対一でやりたいですし、インタビューにしても本人の前じゃ本音が聞き出せない可能性がありますから。

 上手く事が進んだ事にほくそ笑みつつ、私は彼の要望通りここらで一番、紅葉で色づいた場所に降りた。

 山の中腹にはもっと良い景色の場所もありますが、まぁそこは仕方ありません。
 彼の要望通り、人間が入れる範囲で最高の場所を選んだのだから少なくとも文句を言われる筋合いはありませんし。
 まぁ隣でこの景色に見惚れている彼に限って文句なんて言ってこないでしょうけど。

「ははは、綺麗やなぁ」

 両足を肩幅まで開いて両手を広げ、彼は全身で秋を感じ取ろうとするように目を閉じる。
 ここまで絶賛されると、連れてきた身としても自然と気分が良くなる。

「そこまで喜んでもらえるとこちらとしても嬉しいですね」
「いやぁ射命丸さん。感謝しますよ、ホント。ちょっとルーミアちゃんには悪いけど」

 人里に残った彼女の事を思って苦笑しながら礼を言う福太郎氏。
 お人好しというかなんというか。
 今くらい置いてきた彼女の事を忘れてもいいと思うのですが。

「……ふ~~~、さてっと」

 深呼吸をした彼はふっと顔を引き締めると持ってきた荷物を袋から出し始めた。

「そういえばそれには何が入っているんですか?」

 私とした事が。
 事ここに至るまで所有物にまったく興味を持っていませんでした。
 むぅ、幾ら彼という存在が興味深いと言っても注意力が散漫になっているようではいけませんね。
 私もまだまだです。

「これは絵を描く道具ですよ。俺が幻想郷に飛ばされた時に一緒に来た品物で……たぶん俺の命と同じくらい大事な物です」

 そう言って木で出来た台のような物を組み立て、その上に紙を置く。
 さらに荷物を漁ると細長い棒(恐らく木筆)を取り出すと紙の上に走らせ始めた。
 サラサラと紙の上を滑るその木筆が黒い線を絵の上に乗せていき、その軌跡が瞬く間に紅葉を形作っていく。
 それらは枚数を増やし、樹齢何百年という大木に連なっていき、その一瞬の光景として紙の中へと収まっていく。

 その光景に私は戦慄した。
 私がカメラで取った写真に勝るとも劣らぬ鮮明さで描かれていくその絵を見て。
 そしてそんな絵を描く彼の瞳が、今までの彼ののんびりとした印象を打ち消すほどの真剣さを帯びていた事に。
 こんな目が出来る人だったのかと私は非常に驚いていた。

「……絵描きを生業にされているんですか。しかも筆ではなく木筆を使う描き方とは……」
「幻想郷では珍しいらしいですねぇ。そのお蔭でこっちではそれなりに繁盛させてもらってますよ。それと木筆って名前は確か明治初期くらいの言い方です。今は鉛筆って言うんですよ。ああ、あと筆も使いますよ。主に色付けの時ですがね」

 私の心の動揺は、彼には気付かれなかったようだ。
 その事に内心でホッとしつつ、意識を切り返る。

 こちらが意図したわけではありませんがこれは取材をする良い頃合いなのでしょうね。
 私は文花帖を広げ、万年筆で今までの情報を書き留めていく。

 木筆と言う言い方が古かったとは思いませんでしたね。
 情報通を自称する私とした事が人間に物を教わる時が来るとは。
 けれど自分の知識を鼻にかけた様子もなく語る彼を見ていると不思議な事に屈辱だとかそんな狭量な思いは抱きませんね。
 少しだけ悔しいとは思いますが。

 しかし今の彼に声をかけるのは憚られる気がします。
 真剣に目の前の景色と向き合い、その全てを紙の中に収めようとするその姿。
 彼の姿を含めて一つの景色として成り立っているその光景に水を差すのはなんとなく嫌ですね。
 だが彼はそんな内心を読み取ったかのように笑みを浮かべて、私の方を見た。

「それじゃ腰も落ち着けて良い感じに落ち着いたんで取材してもらってもええですかね?」
「……私としては構いませんがいいんですか? 絵を描かなくて」
「勿論、絵は描きますよ。でも……それはそれとして約束は果たさんとね」

 その瞳をただひらすら目の前の光景を焼き付けようと真剣に研ぎ澄ましていた彼は、私の言葉に何の気負いもなくのんびりとした笑顔で答えてくれた。


 赤と燈に彩られた木々が風に揺れる様を眺めながら私はその日、空を飛んでいた。
 ああ、静かで穏やかな秋の風が心地良い。
 厄神様に倣う訳ではないけれど、その場でクルクルと回ってみる。
 私の周りを踊るように通り過ぎていく紅葉の様子が美しい。

 私の、いえ私達の季節はそれほど長く続かないけれど。
 だからこそこの短い間の美しい光景を人間や人外たちに楽しんでほしいと思う。
 八百万の一柱、紅葉の神として。

 出来れば信仰してくれれば尚、良いのだけど。
 直接、生活に関わる神であるわけではないので豊穣の神である妹の穣子に比べて私は信仰が少ないのが実情。
 みんな、紅葉狩りとか楽しんでる癖にそれを当たり前だと思っているから私が感謝されるのは正直、稀だ。
 あ、自分で考えていて悲しくなってきた。

「はぁ~~~……」

 肩を落として大きなため息を一つ。
 これはまた幸せ(信仰)が逃げたかな?
 そんな埒もない事を考えていた私の視線に、珍しい物が横切った。

「あら? あれは鴉天狗の新聞記者と……人間?」

 本当に珍しい。
 見たところ何の力も持っていない人間とあの自己中心的な鴉天狗が一緒にいるとは。
 しかもあれは。

「周囲の景色を見て楽しんでいる?」

 秋という季節がもたらすこの儚くも美しい風景を楽しんでいるようだった。
 しかもあんなにも嬉しそうに。

「……良い感性を持った人間のようね」

 屈託のない笑みを浮かべる人間の姿を遠巻きで眺めているだけの私まで嬉しくなってくる。
 どんちゃん騒ぎを好む者が多いこの幻想郷で、ただただ景観を愛でる事が出来る人間がいた事を知れて私の心はひどく高揚していた。

「せっかく楽しんでいる所を邪魔するのも気が引けるわね」

 彼と言う人間の事がもっと知りたいとも思ったけれど今回は諦める事にしよう。
 ただ彼の純粋な心に敬意を表して私なりの施しをする事にした。

 右手を彼らがいる場所に向ける。
 意識を辺り一体の木々に傾け、力を集中。

「より赤く、より橙に染まった美しい景色を存分に楽しんでいってくださいね」

 聞こえはしないだろう言葉を風に乗せ、私は良い気分に浸りながらその場を後にした。



「おお!? なんやなんや、急に周りの葉っぱの色付きが増してきましたよ!? うわぁあ!! すごいわぁ~~~!!」
「お~~、これは壮観ですねぇ」

 福太郎氏が驚いている姿を尻目に、私は今までよりもより美しくなった景色をカメラに収めるべくシャッターを切る。
 ついでに何枚か彼の姿も納めておく。
 次の新聞の見出しに使おうと考えて。

「はぁ~~、綺麗ですけど幻想郷って唐突にこんな事が起こるんですか?」
「いえいえ。さすがに自然現象でこんな事は起こりませんよ。これは山に住む神の仕業ですね」
「ルーミアちゃんも言ってましたけど、どんな神様が住んでるんです? ここって」

 山に住む神という存在に興味を抱いた彼の質問。
 ふむ。まだ幻想郷に居着いてまもない彼に先輩として少しばかり物を教えてあげるとしましょうか。
 さっきは私が教わりましたし、これで貸し借り無しとしておきましょう。

「八百万の一柱である『豊穣の神』、『紅葉の神』、『厄神』、最近こちらに越してきた連中で『現人神』、『戦の神』に『祟り神』と有名所はこれくらいですね」
「ほ~~、という事は急に紅葉の色付きが増したのは紅葉の神様の力ですかね?」
「おそらくそうですね。遠くからこちらを窺っていたようですし、彼女の仕業と見て間違いないでしょう」

 一つ一つの情景の変化に感動している様子の福太郎氏が面白くて私は笑みを浮かべながら答えた。

「う~ん。なんでこんな事してくれたんですかね? 紅葉の神様は……」
「さぁ? 幻想郷の神は気まぐれな方が多いですし今回も案外深い意味はないのかもしれませんよ」

 これは半分嘘だ。
 確かに幻想郷の神は気まぐれな連中が多い。
 ただ今回に限って言えばあの神が、こんな事をした理由には察しが付いている。

 『彼』があまりにも純粋に景色を愛でていたから。
 あんなにもキラキラとした目で、自らの分身とも言える存在を眺めて楽しんでいる姿を見せられれば、ささやかなお礼の一つもしたくなるだろう。

 つまりこの光景は彼だけの為に行われたのだ。
 彼の純粋な気持ちが神の一柱の心を動かしたのだ。
 本当に彼は興味深い。

「よっしゃ! 気紛れでもなんでもええ。せっかくこんな綺麗な物、見せてくれたんや! しっかり描いて今度、神様にお供えしに行こッ!!」
「絵のお供え物とはまたなんとも奇抜というか、珍しいというか」

 なんとなく彼らしいとは思いますが。
 とはいえお供え物をすればあの神はとても喜びますね。
 なにせ紅葉の神は妹の豊穣の神に比べるとどうしても感謝されにくいですし信仰も少ないですから。

「射命丸さんも取材もええですけど、この景色を写真に収めたらどうですか? これは記録に残しておくべきですよ!!」
「勿論! この光景は次の新聞に使わせてもらいますからね。ベストアングルで購読者を感動させてみせますよ!!」

 興奮した様子で鉛筆を走らせる彼に対抗するように私もカメラを構える。

「ははは! そりゃ楽しみですねぇ。次の新聞から俺の所にも届けてくれますか? 射命丸さんの新聞」
「ええ、喜んで! あ、それと堅苦しい敬語は無しで構いませんよ。射命丸さんという呼び方も。気軽に文で構いません」
「ほなら俺の事も気軽に呼んでくれや。敬語とか使うのは慣れてるけど使われるのは苦手なんよ」

 今日何度目かになるのんびりとした笑みと共に語る福太郎に対して私も釣られるように今日『初めて』何の気負いもなく屈託なく笑った。

 敬語を崩させたのは先行投資というヤツだ。
 彼はこれからも私を楽しませてくれるだろうから。
 きっと彼は新鮮な話題を私に提供してくれるだろうから。

 平凡でありながら非凡であるという意味のわからない異常な在り方に敬意を表して、私は記者としての仮面と鴉天狗としての仮面を外そうと思ったから。

「それじゃ福太郎。これからも『文々。新聞』と射命丸文をよろしく!!」
「こちらこそ平凡な絵描き田村福太郎をよろしゅうな、文!!」

 お互いが素の笑顔で、パンと手を打ち鳴らす。
 これが彼らの出会いであり、長くなるかもしれない付き合いの始まりであった。


 鴉天狗の少女は絵描きと出会い、その異端さの一端を見抜いた。
 それはヒトを観察する事に長けていた彼女だからこそ出来た事であり、本質的に彼が自分と似ている事を感じ取ったからこそ勘付けた事でもあった。
 強きに媚を売り、弱きに強くなるという彼女と自分が傷付かない為に嘘を付き、傷付く事を恐れる余りに人と深く関わる事をやめた彼。
 本質的に『自己中心的』と言える彼らはお互いに妙なシンパシーすら感じていた。
 彼女がたった一度の出会いで彼にここまで心を許した本質もそこにある。
 気安いけれど、深くは入り込まない。
 それはひどく歪ではあるけれども確かな信頼の形でもあった。


 絵描きもまた彼女に対して妙な安心感を抱いていた。
 霊夢たちにもまだ見せていない気安い態度を見せたのは彼女が自分と似たようなモノである事を察したから。
 敬語を無しにしてほしいと願い、彼女の申し出で敬語をやめた理由。
 彼女なら自分と一定の距離を取って付き合ってくれる。
 病気とも言える彼の臆病な性格が彼女という存在の在り方を正確に捉えたからだった。
 自分という形を成していたほとんどのモノを失くし、もう失いたくないと願った彼は気安い友人付き合いに飢える反面、必要以上に親しくなる事に怯えていた。
 今では色々と吹っ切れていたが、それでもそれなりに長く生きてきて出来上がってしまった性格はそう簡単には変わらず。
 無意識に他者との間に線引きを求めてしまうのだ。
 彼女の在り方と彼の臆病な性格が意図せずして上手く組み合わさった結果、この気安い関係に落ち着く事が出来たと言えるだろう。


 かたや筆を取り、かたや写真を撮る。
 一瞬の出来事を残す事を生業とする二人は、自分の新鮮な気持ちを残す為に日が落ちるまでそれを表現する道具を揮い続けた。

 これは『最も里に近い天狗』と『迷い込んでしまった絵描きの物語』



あとがき
ブン屋が絵描きと意気投合したようです。(挨拶)

作者の白光(しろひかり)でございます。
いや今回は難産でした。
文メインのサブにルーミア、阿求、そしてまさかの静葉出演という構成になりましたがいかがだったでしょうか?

正直、文の性格付けと福太郎との関わり方が読者に受けるかどうか物凄く不安です。
この二人は根本的に自己中心的であるという考えの元、執筆しましたので正直なところ投稿するのが怖いです。
怖いからエターなるという選択肢はなかったので案ずるより産むが易しとも言いますし、思い切って投稿させていただきました。

ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと騒霊ヴァイオリニスト
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/10/26 22:52
 田村福太郎は変人であるというのが彼に関わった事がある者たちの共通した見解である。
 誰とでも分け隔てなく関わるという姿勢は、何の力も持たない人間が『幻想郷』で行うのはあまりにも難しい。
 だが幻想郷の外から来た彼はその難題を特に意識せずにやってのけたのだ。
 人食いの少女と仲良くなり、中庸を旨とする人間という枠組みの異端児である博麗の巫女を普通の少女のように扱う。
 悪魔の館と言われる紅魔館のメイドと普通に談笑し、唐突に顔を見せた白黒の魔法使いとは和やかな雰囲気で打ち解けた。

 極めつけは妖怪の山に住まう天狗と意気投合し、新聞の一面を飾った事だろう。
 公平中立を旨とする(割には自己中心的が過ぎるが)あの天狗が、悪名轟く(プライベート侵害な上に捏造が多いため)自身の新聞に彼の存在を全体から見れば非常に好意的に書いていたのだ。

 『外来人の中の異端児。田村福太郎氏に迫る』という題名で発行されたソレは、購読者だけに留まらず、契約をしていない場所にまで赤字覚悟(文個人のポケットマネー的な意味)でばらまかれた。
 それこそ幻想郷中に。
 勿論、文がこのような行為に及んだのには少なくない打算があるわけだが。

 紅魔館や香霖堂、人里は勿論、幽霊たちが住む冥界の楼閣、竹林の奥にある御屋敷、妖怪の山の山頂にある神社、曰くつきの妖怪たちが住み着く洞窟の奥にある元地獄、たまたま空中遊泳していた竜宮の使いやサボリストの姉御肌死神にも新聞を渡したので下手をすれば天界や三途の川の向こう側にまでその名前が広まっている可能性がある。
 新聞を読んだ人間から人伝で広がる可能性も考えれば相当広まっていると考えて良いだろう。

 その在り方が異端である彼は本人の意図しない所で、ホットな話題に飢えている幻想郷にその存在を知らしめてしまったのだ。

 当然、余興が大好きで暇を持て余している人妖が多いこの世界では、動く気になったモノからそれはもうアグレッシブに動き出すわけで。
 のんべんだらりと一日一日を大切に過ごそうと考えている『彼』が騒動に巻き込まれる事は悲しい事に確定的な状態になっている。
 それにかこつけて話題性のあるネタを提供してもらうというのが文の目的なのである。

 これは彼の事が広まる少し前、文が新聞作成に勤しんでいる頃に起こった会合の話。


 福太郎は魔法の森に来ていた。
 弾幕勝負が出来る同伴者という事でルーミアも一緒である。

 前に彼女と出会った場所とは異なる森の風景を眺めながら歩く。
 描きたいと思う光景を捜すという名目で散歩がてら魔法の森(勿論、瘴気の影響がない外周部)を回っている彼らの間の雰囲気はとても和やかだ。

「フクタロー、こっちの道を行くとチルノちゃんの縄張り、『霧の湖』だよ!」
「チルノって……ああ、氷精の子やったっけ?」
「うん、妖精の中でたぶん一番強い子で、いつも親友の大ちゃんと一緒にいるんだ!」

 福太郎の数歩先を楽しそうにスキップするルーミア。
 彼と一緒の人里の外へのお出かけが嬉しくて仕方がないようだ。

「大ちゃんって言うんは?」
「大妖精って言うんだよ。名前が無いからチルノちゃんがあだ名を付けたんだ!」

 のんびりと笑っていた福太郎の表情が僅かに固まる。
 『名前が無い』という単語に名前を含めた全てを失くした時の自分の事が脳裏を過ぎったのだ。
 そんな事で同族意識や同情などされてはその大妖精とやらも迷惑だろうと福太郎は頭を振ってその考えを払いのける。

「どうしたの、フクタロー?」
「……なんでもないよ」

 自分の右背を軽く抑えて、固まった表情を緩める。
 だがルーミアは福太郎の言葉に納得せず、心配そうに彼を見つめた。

「あだ名をつけてくれる友達がおるってええよなぁって思ったんよ」

 そんな目で見られる事が申し訳なくて、彼は苦笑しながら誤魔化す為にこんな事を言った。
 目をパチクリさせながらルーミアが聞き返す。

「そーなのかー?」
「うん。ルーミアちゃんは思わへん? あだ名付けてほしいって」
「あーー、大ちゃんが羨ましいなぁって思った事はあるよ」
「そうそう、そういう気持ち」

 彼女が上手く話に食いついたのを良い事に先ほどの空気を消そうと朗らかに福太郎は語る。

「下の名前を呼び捨てにするのも親しい感じするけど、そういうのもええなぁって思うんよ、俺は。俺もフクちゃんとか呼ばれてたしね」
「ふーん。私はフクタローに名前を呼んでもらえると嬉しいよ」

 ニッコリと笑うルーミアの不意打ち気味の言葉を聞いて、福太郎は驚きに目を見開いた。
 彼女は先ほどとは別の意味で固まってしまった彼の周囲をスキップしながら回る。

「私はフクタローの事、好きだから。好きな人に名前で呼んでもらえる事が嬉しいんだ!」

 掛け値なしの、打算も何もない純粋な言葉は彼にとってもとても嬉しい物である。
 その好意と笑顔が彼には、まったく似ていないはずの『天井下りの少女』と重なって見えた。
 
 見えてしまった。
 一度、思い浮かんでしまった気持ちは意図せずに彼の心に広がり、郷愁にも似た感情を抱かせる。

「(いつか俺は向こうに帰る。別れなあかん日が来るのが分かってるのにこの子に好かれてええんか?)」

 傷付けたくないという気持ちは、自分が傷付きたくないという事の裏返し。
 失くす事に臆病だった彼は、未だ心のどこかで『素直な好意』を受け止める事を拒んでいるのだ。

「……うん、まぁあれやね。どういう風に考えるかは人それぞれって事やね」

 その無垢な笑顔を直視できずに顔を明後日の方向に向ける。
 心の中で素直に気持ちを受け取れなかった事を謝りながら。

「そーだねー」

 そんな彼の寂しさ、自分に対する不甲斐なさを内包した複雑な心境を純粋であるが故に敏感に察したのか、ルーミアは福太郎の右手をぎゅっと握った。
 思わず彼の手が震えるが彼女は硬直しているその手を両手で握り締める。
 暖かいその手に緊張していた身体がほぐれ、浮かんでいた暗い思考が晴れていくのがわかった。

「……ごめんな。そんでありがとな」
「どういたしまして!」

 硬直していた手で小さな手を握り返しながら気を取り直すように彼は笑った。

「ほな、もう少し歩こか。ルーミアちゃん」
「うん!」

 そして二人はいつの間にか止まっていた歩みを再開させた。



 いつも持っている大事なヴァイオリンを宙に浮かせて、私は森の近くにある草原に来ている。
 鬱葱と生い茂った森に囲まれて、ぽっかりと空いた穴のように円形に広がる草原。
 天然で作られたこの小さなステージは私たち三姉妹にとっては良い練習場所になっている。

 『プリズムリバー楽団』だなんて名乗ってかなりの時間が経つけれど、一日の練習を欠かした事は一度だってない。
 私たちにとって『音楽を奏でる事』は存在意義と言っても過言じゃないから。

 ただ音を発てていればそれでいいと考えていたのは遠い昔の話。

 今は『私達の音』で誰かを楽しませたいと思っている。
 だからこうして努力して、少しでも上手くなろうとする。
 私たちの音は生きているモノの精神に影響を与えてしまうから不安定な子供とかには聞かせられないけど。

 弾幕勝負の実力も上げておかないといけない。
 こっちはあくまで自衛手段だからそれほど熱心じゃないけどね。

 さて余計な事を考えるのはこの辺にして。
 妹たちが戻ってくる前にもう少しおさらいしておこう。

 ヴァイオリンを構えて、楽譜を思い浮かべる。
 楽器とそれを弾く弓に意識を集中させて。

 ~~♪ ~~♪ ~~♪

 気持ちの赴くままに弓を弾く。
 普段、私はあまりしゃべらないけれど、その代わりに音を響かせる事が出来る。
 誰の心にも響く、心地よい音色を目指して精一杯に。

「静かでええ音色やなぁ」
「あ、ルナサだ! お~~い!」

 よっぽど集中していたからだろう。
 広場の囲む森の中から男の人がこちらを見つめている事に私は一曲、弾き終わった頃になってようやく気が付いた。
 その隣ではルーミアが私に手を振っている。

 人間と妖怪が捕食や戦い以外で一緒にいる光景。
 私は驚いてルーミアに返事をするのも忘れて瞬きをした。

 私が返事をしなかったからか、ルーミアはパタパタと走り寄ってくる。
 男の人はその場から動かずに温かな日差しを受けて昼寝をする犬猫のように気持ち良さそうに目を細めて、私の音の余韻を楽しんでいた。

「こんちゃー、ルナサ!」
「……えっと?」

 男の人にばかり意識が向いていて目の前まで来たルーミアの挨拶(多分)に返答が出来なかった。

「むぅ。こんちゃー、ルナサ!」
「あ、うん。こんにちは、ルーミア……」

 返事がなかった事が気に入らなかったらしいルーミアが頬を膨らませながら二回目の挨拶をする。
 怒らせるつもりは私には微塵もないから今度はしっかり挨拶を返した。

「うん!」

 私の返事を聞いて満足そうに笑うルーミア。

 不思議だ。
 無邪気に笑う事が多い子だけど、今の笑顔は前に見たときよりも……なんというか輝いて見える。

「驚かしたんならごめんな。邪魔するつもりはなかったんやけど。あんまり良い音色やったから聞き入ってもうて……」

 男の人は手をパタパタと振って自分に害が無い事を示しながら、ゆっくり近づいてくる。
 ルーミアは近づいてくる人の方に駆け寄ると抱きついた。
 少しよろめいたその人はルーミアの頭を優しく叩く。
 この人、ルーミアが人食い妖怪だってわかってるんだろうか?

「えっと……俺の顔になんか付いてる?」
「……別に」

 じっと彼の顔を見ていた事を誤魔化すようにヴァイオリンと弓を横に浮かせて私は二人に向き直る。

「ルーミアちゃんの友達さん。俺の名前は田村福太郎、言うんよ。最近、人里に住み着いたんでそっちがよければよろしくなぁ」
「私はルナサ。『ルナサ・プリズムリバー』。私たち『プリズムリバー楽団』の曲を聴いてくれるなら……よろしくするわ」

 自分でも嫌になるくらいそっけない話し方をする私。
 騒霊として生まれてからずっとこうだった性格は今も勿論、変わっていない。

「私、たち?」
「私には妹が二人いるの。メルランとリリカ。演奏は基本的に三人でやるから」
「なるほどなぁ。三人やから楽団っちゅーわけか」

 しきりに感心したように頷く田村、さん。
 なんだか子供っぽい仕草をする人だ。
 そういえばこの人はなんでこんな所にいるんだろう?
 昼間とはいえ妖怪が出ないわけではないのに。

「あの、あなたたちはなんでこんな所に?」
「ああ。俺らは散歩」
「……はっ?」

 さらりと言う田村さんに私は思わず聞き返してしまった。

「いやええ景色が見つかったら絵描こうとは思っとったけど。まぁ当てがあるわけでもないから気楽に散歩しとったんよ。なぁ、ルーミアちゃん」
「うん! お話しながら散歩するの楽しいよ!」
「せやねぇ」

 のんびり笑い合う二人を見つめて絶句する。
 やり取りを聞いてればわかる。
 嘘なんて付いてない。
 この二人、本気で散歩してるんだ。

 別に散歩が悪い事だなんて言わないし、これがルーミアだけなら別に驚くような事じゃない。
 けれど普通の人間に過ぎないはずの田村さんが、何の対策もなしに何の気負いもなく人里の外に出ているのははっきり言って異常だ。
 人里の外に出るという事はそれだけ危険な事なのだから。

 なんでこの人はそんな事が出来るのだろう?
 自殺願望でもあるんだろうか?

「なんでこんな危ない「あ……」……?」

 私の言葉を遮るように田村さんが声を上げた。
 手で何かを思いついたように叩いて背負っていた荷物をその場に降ろす。

「フクタロー? 絵、描くの?」
「うん。ここってちょっと珍しい景色やし……お詫びとお礼も兼ねてな」

 確かに周囲一体の木が綺麗に無くなって森に囲まれているこの場所は珍しいとは思うけど。

「お詫びとお礼?」
「練習、邪魔したみたいやのにこうして話してくれたやろ。俺にはこれくらいしか出来ひんしね」

 さっきのルーミアのような無邪気な顔をして笑う田村さん。
 なんでこの人、私の事を『普通の人間』みたいに扱うんだろう?

 はっきり言って訳がわからない。
 この幻想郷で、誰かと対等であろうとするには力がいる。
 それは人間であろうと妖怪であろうと幽霊であろうと変わらない。
 力が無い者、主に人間は種族による力の差をもっとも早く認識するからよほどの事が無い限り不可侵地帯である人里から出てこない。
 それは死ぬかもしれないという『恐怖』がそうさせる。

 なのにこの人は私やルーミアを怖がらない。
 馴れ馴れしいっていうわけじゃないけど、人間らしく相手を見ているって言うか。
 相手に関する『先入観』がない。

 まるで……何者にも肩入れしないが故に平等に接する『博麗の巫女』のような。

 でも力が無いのにそんな接し方をするのは正直、とても危ない。
 力が絶対だと考えるのは人外にとって当たり前の思考だから、彼の関わり方はいつどんな相手の機嫌を損ねるかわからないんだ。

 私が考え込んでいる間にも、田村さんは絵を描く準備を整えて見たことのない銀色の椅子に座る。

「あの……」
「うん? あ、勝手に話進めてもうたけどもしかして絵、描かれるんは嫌やったかな?」

 私が声をかけると不安そうな表情をしながら聞いてきた。
 百面相と言うか表情をはっきり顔に出して話す人だ。
 躍動感のあるしゃべり方というか、メルランに似てるかも。
 少し羨ましい。

「絵を描いてくれるのは嬉しいよ。でもそれよりも聞きたい事があるんだけど」
「ん、なに?」

 紙を組み立てた木製の台に乗せながら私と目を合わせる田村さん。
 やっぱりその目には私に対して必要以上に引いた様子は見られない。

「あなたはどうしてそんな態度で私に接するの?」
「ん~~? そんな態度って……あ、もしかしてなんか気に障ったかな? やったらごめんな」

 違う。そうじゃない。
 あなたの態度は私にとって心地よく感じられるくらいに好ましいモノだ。
 気を使っているように見えないからこっちも気を使う必要が無い。
 霊夢を除けばそんな態度で接してきた人間を私は知らない。
 だけど。

「あなたは怖くないの? 私は見て分かると思うけど人間じゃない。騒霊、ポルターガイストなんて呼ばれてる存在よ?」
「それ言うたらルーミアちゃんかて妖怪やろ。なぁ?」
「うん。それにフクタローは怖くないわけじゃないよ、ルナサ」
「怖くないわけじゃない? じゃあなんで……」

 私が尋ねると彼は鉛筆を置いて「ふむ」と言って腕を組む。
 なにを言おうか言葉を選んでいるみたいだから私は彼が話すのを待つ事にした。

 ルーミアは私と彼の間の真剣な空気を読んだのか「ちょっとその辺で遊んでくる」と言って止める間もなく行ってしまった。

「まず言うておくけど俺は死ぬのは怖いよ。痛いのも苦しいのも嫌や。危ない目に遭うのも出来ればごめんやね」
「え?」

 出てきた言葉はごく普通の人間の考えだった。
 でもそれは今の状況と矛盾している。
 怖いなら近づかなければいい。
 なのになんでこの人はわざわざ自分から危険に近づくのか。
 私の疑問を察した田村さんは、頷くと言葉を続ける。

「でも危ないからって理由で止めれない事もあるんよ。俺みたいな趣味人間やと特に、な。自分の好奇心を抑えられないで、危険も顧みない。怖いって気持ちをどっか放り投げて動いてまう。呆れるくらいに自己中な馬鹿者。それが……俺がこういう危ないはずの場所におる理由やね」

 自分の事を卑下しているのに彼はとても楽しそうな笑みを浮かべていた。

「でもそれじゃいつ妖怪に襲われるかわからない。妖精の悪戯だって普通の人間のあなたからすれば一歩間違えれば大怪我、下手をすれば死んでしまう」

 恐怖を無くすほどの好奇心を持っている事はわかった。

 でもそれじゃあいずれこの人は死んでしまう。
 普通の人間にしては旺盛すぎる好奇心が災いして。
 そんな事には出来ればなってほしくない。

「そうなったらそれまで、なんやろな」
「それって……死んでも構わないって事?」

 私は思わず固い口調で聞き返した。

 私たち三姉妹は騒霊として生まれてからそれなりに長い。
 でも最初からこういう存在として生まれた事を認めていたわけじゃない。
 慰めあって、葛藤して。
 そんな時間を乗り越えて今、こうしている。

 それを含めて今まで過ごしてきた長い年月で実感した事は一つ。
 『死ぬって事は決して軽くなんてない』という事だ。

「勿論、最後の最後まで無様に足掻いた上で死ぬつもりやけどね。出来れば満足して死にたいって言うのも俺の目標なんよ」
「だったら! こんな危ない所に近づかなければいいでしょ!」

 思わず声を荒げてしまった。
 ダメだ。
 彼の物言いが余りにも軽すぎて、色々な事が頭の中に噴出してきて止まらない。

「こんな事を続けてたら、あなたはいつか死んでしまう! 死ぬのってホントに怖いのに! 自分から近づくなんて馬鹿げてる!!」
「……」

 じっと私の言葉を聞くその人の顔はどこまでも真剣で。
 だからこそ私は自分が感じた事を叩き付けるようにしゃべり続けた。

「家族が死ぬその瞬間をただ見ているしか出来なかった気持ちが!! 残された人がどんなに悲しむかわかる!? あんな……あんなもの見たくなかったのに!! 独りで死なせたくなんてなかったのに!!!」

 今でも鮮明に残っている。
 私たちよりも幼い妹なのに一人だけ年を取っていく『あの子』。
 私たちを置いて逝く事を最期まで気にしていた『あの子』。
 年老いて苦しむあの子に何もしてやれなかった『私たち』。

「でも生き物はいずれ死ぬよ」
「っ!?」

 真剣なその言葉に私は冷水を浴びせられたような気分になった。

「俺も……慧音さんも……人里の人たちも……『君が言うてる誰か』も」
「だからいつ死んでも一緒だって言うのッ!?」

 思わず彼を睨みつける。
 その言葉が理解した通りのモノだったら私は彼を許さなかっただろう。

「違うよ」
「えっ?」

 ゆっくり首を横に振る彼の姿に全身に入っていた力が緩んだ。

「俺は生きるって事は本人が悔いを残さん事やと思ってる」

 指に持っていた鉛筆をクルクル回して彼は言う。

「周りがどうと違て、まず自分。……どれだけ他人と縁を繋いでも死ぬときは一人やから」

 言っている事がまたひどく自己中心的で私はまた彼の事を睨みつけた。
 でも彼はそんな私の視線を真っ向から受け止めて言葉を続ける。

「勿論、悔いを残さん為やから何をしてもええわけやない。けど他人の顔色窺ってばかりやったら結局、やりたい事が出来ひん。やから俺は……一日一日を『大切』に生きる事にした」

 その言葉は彼にとってとても重く、そして揺るがない誓い。
 でもその言葉の意図する所を私は読み取れ切れなかった。

「どういう意味?」
「死ぬその瞬間までを必死に生きるって事」

 聞き返すと即答で言葉が返って来た。

「たぶんそうやね。ルナサちゃんが言うてる事は当たってるよ。俺はいつか周りの人を悲しませてまう。でも……それでも俺は『今の自分である事』をやめへん。やって……」

 ―――俺と関わってくれた人たちは『今の俺』と関わってくれたんやから。

 自分勝手な理屈なのは理解していた。
 それがただの言い訳なのは理解していた。
 でも反論する言葉が出てこなくなっていた。

「軽蔑してくれても構へんよ。けど俺は色々なモンを天秤にかけて自分なりに考えて出した結果やったらどんな事でも受け入れたいと思ってる。それが……俺に出来る精一杯の覚悟やと思うから」
「……それって開き直ってるだけじゃない」

 思わず反論するけれど心はもう納得していた。
 この人は理不尽で死ぬことを諦めているわけじゃない。

 理不尽で死ぬことを覚悟しているんだ。
 自分がいなくなって他人を悲しませる事さえも覚悟しているんだ。

 それは確かに自分勝手な事だけど。
 この人はその覚悟の為なら苦しい事も痛い事も受け入れるんだろう。

 そしてその姿勢は。
 遠い日に妹だったあの子とよく似ていた。

「そう言われてもうたら返す言葉がないなぁ」
「もう、いいわ」

 わかったから。
 あなたの覚悟はわかったから。
 言っても止まらない事がわかったから。

 そして同時にどうして無口な私がここまでこの人と話し込んだのかも理解できた。
 なんでこの人の言葉に感情を剥き出しにしたのかも理解できた。

―――お姉ちゃん。

 私はこの人に。

―――姉さん。

 唯一の人間であった末妹を重ねていたんだ。

―――ごめんね、姉さんたち。そして今までありがとう。
―――姉さんたちの妹で、私は最期のこの瞬間までずっとずっと……幸せだったよ。

 独りきりで逝かせるのに。
 一緒に逝く事もできない私たちなのに。
 なんで『幸せ』だったかが理解できなかった。
 だから無意識にあの子と雰囲気が重なっていた田村さんに言葉をぶつけていたんだ。

「ねぇ。幸せだって言って死んだ子は本当に幸せだったのかな?」

 理解してしまったから余計な言葉が出てきてしまった。
 ずっと聞けなかった、ずっと気になっていた事が口をついて出てしまった。
 それは呟いただけで答えなんて求めてなかったけど。

「難しい質問やね。その時、その場所にいたわけやない俺には難し過ぎるわ。けど……」

 すっと彼の目が頭上、青天の空に向けられる。
 私が釣られてそちらを見ると彼は続く言葉を口にした。

「本人の事はわからんよ。けどその時『君』がどう思ったかは自分の事やからわかるんちゃうかな?」

 さっき宣言した自分の言葉を立証するようなアドバイス。

 思い返してみるとその光景がすぐに頭に浮かんだ。

 そして改めて思う。
 私はあの時……あの子が嘘を付いてるなんて思わなかった。
 あの時、逝くその瞬間のあの子は確かに私たちと一緒に笑っていたあの頃のままだったから。
 だから私たちもなんとか笑って……泣きながら笑ってあの子を送り出せた。

「私はあの時、あの子が幸せそうだと思った」
「やったら……その時に感じた自分の気持ちを信じてやればええと思うよ」
「……そっか」

 ずっと引っかかっていた心のしこりが取れた気がした。

「自分の道つらぬいてよ、人生まっとうできりゃぁよ。生きた甲斐もあるってもんよな」

 私に言ったわけじゃないその言葉は風に乗って広がり、私だけに届いて霧散した。


 私はそれからすぐに今の開放感とも達成感とも呼べる奇妙な気持ちを表現する為にヴァイオリンを弾き始めた。
 田村さんは田村さんで絵を描き始めたから、お互いに干渉しないように自分のやりたい事に集中する。

 私が八曲ほど弾き終わると、彼は道具を置いて立ち上がった。

「……帰るの?」
「うん。そろそろええ時間やからね」

 頭上を見上げれば空は青から橙に変化していた。
 ああ、もうこんな時間か。
 時間が経つのがとても早くて。
 その事をとても寂しく感じたけれど、口には出さなかった。

「また……会える?」
「妹さんたちにも会ってみたいし、合奏だとどんな風になるのかも気になるしな。会いに行くと思うよ。まぁ人里で演奏してくれたらこっちとしては楽なんやけどね」
「うん。考えておく」
「ありがとうな」

 お礼の言葉と一緒に彼は一枚の紙を差し出してきた。
 私が弾いている間、ずっと描いていた絵だ。

「これ、私……」
「お礼とお詫び。ええ顔してたから俺的には満足しとるんやけど、どやろ?」

 夢中になって弾いていたから表情なんて気にしていなかった。
 感情を表情に出すのが苦手な私だからきっといつもと同じ仏頂面だと思っていた。
 でも絵の中の私は頭を撫でられて喜ぶ子供のように目を細めて口元を綻ばせ、控えめだけどとても楽しそうにしていた。

「……あ、ありが……とう」
「うん。どういたしまして」

 姉妹にすら見せた事がないような表情を、今日知り合ったばかりの男の人に見られた恥ずかしさで私は思わずもらった絵で顔を隠して俯いてしまった。

「おーい、フクタロー!!」
「「姉さーーんッ!!」」
「お、丁度良く帰ってきたみたいやね」
「……うん。妹たちも一緒だ」

 きっとこっちに来る途中でルーミアと会って遊んでたんだろう。
 二人はともかくルーミアは泥だらけだ。

「ルーミアちゃん、そろそろ帰ろか」
「うん!」

 ルーミアが彼の手を握る。
 痛くない程度に彼もその小さな手を握り返す。

「姉さんが男の人と二人っきりと聞いて飛んできました! お赤飯でも炊く!?」
「メルラン。別にそういうのじゃないからはしゃがないで」
「でもホントに珍しいよね。姉さんが普通の人間、しかも男と一緒にいるなんてさ」
「はぁ……だからそういうんじゃないって」

 からかってくる妹たちにため息を一つ。
 まったく。この子達は変わらないな。
 あの子と一緒にいたあの頃から、本当に変わらない。

「それじゃルナサちゃん。俺ら、この辺で帰るよ。妹さんたちもまた機会があったら会おな」
「今度会った時にでも姉さんとの馴れ初め聞かせてね~~」
「姉さんを攻略したかったらアタシたちを納得させるよう努力しなよ」
「だから二人とも、田村さんとはそういうのじゃないから……」
「あははは~……またなぁ、プリズムリバー楽団さん」
「またね~、三人とも!」

 手をぶんぶん振るルーミアと小さく手を振る彼に私たちは手を振り返す。

 ああ、今日は良い日だった。
 なんだかとても清々しい気分だ。

「で、姉さん。あの人からの贈り物、私たちにも見せてよ」
「そうそう。アタシもすっごく気になる!」
「いいけど、破いたりしないでよ」

 気に入っているんだから。

 メルランに絵を渡して、私は茜色に染まった空を見上げた。
 目の前に広がる光景はいつもと変わらないはずなのに、何故かいつもの何倍も綺麗に思えた。


 そういえば田村さん。
 私の独奏を聞いていたのに、特に憂鬱になってなかった。
 私の『鬱の音を演奏する程度の能力』は、精神に作用してしまう人間にとっては度が過ぎればとても危険なモノだ。
 なのにあの人は平気な顔をしてずっと絵を描いていた。
 それどころか最初に会った時、『良い音』だって……。
 今度、会った時に聞いてみよう。
 そして叶うならもう一度、私の独奏を聞いてほしい。
 あなたのお蔭で、今までとは違う音が弾けそうだから。
 
 あなたに死んでほしくないという思いを込めた音を。


 騒霊の少女は絵描きと出会う事で、長年抱いていた疑問を解消させた。
 彼女にとって呪縛とも言えた末妹の最期。
 悲しみだけを残した思い出は、今は悲しみと同時に喜びをもたらすモノに変わった。
 ただただ在るがままに生きる絵描きの言葉の全てに同調したわけではないけれど。
 死にたがりと言われても仕方のない彼の生き方は決して認められないけれど。
 変化を促したその言葉の一つ一つは、彼女の心にいつまでも息づいていた。


 絵描きは自分の心情を素直に騒霊にぶつけた。
 素直に想いをぶつけてきた彼女には、そうする事が正しい事のように思えたから。
 自分がどれだけ自分勝手な存在かを誰かに知っていてほしかったのかもしれない。
 自分がどれだけ自分勝手な存在かを再確認したかったのかもしれない。
 どちらにしても彼はこれからも変わらずに日々を過ごすのだろう。
 誰と関わっても、何と関わっても。
 別れるその日を頭の片隅に置いて、いつか来るその日を見据えて。

 これは騒霊ヴァイオリニストと迷い込んでしまった絵描きの物語。


あとがき
騒霊長女が鬱脱出を目論んだようです(挨拶)

作者の白光(しろひかり)でございます。
アリスか慧音と見せかけてのルナサでしたがいかがでしたでしょうか?
ルナサメインのサブルーミアで、実は前半部のルーミアの所に伏線があるかもしれないという構成になりました。

あまり目立つキャラではないのでしっかりと書けたかどうか不安が残りますがその辺りを気軽に感想版に書いていただければと思います。

さて次回のお話ですが『人形』がキーワードのキャラになります。
まぁこんなキーワードのキャラはそう多くないのでわかりやすいとは思いますが、ストレートに名前を書くのもつまらないので(捻くれ者)こんな風に書かせてもらいます。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。





[11417] とある絵描きと七色の人形遣い
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/11/24 00:59
 その日、福太郎は阿求邸でのんびりとしていた。
 こちらに来てから絵描きの仕事を始めたり、好奇心で人里の外を出歩いたりと周囲から見れば忙しない日々を送っていたのを、阿求に「そんなに毎日、動き回っていては身体を壊してしまいます」と諌められた為である。
 今の今まで休日返上(幻想郷に明確な日付の線引きはないが)で動き回っていたのだから彼女としては心配にもなるという物だろう。
 本人が割と平気そうな顔をしている辺りが彼女の不安を煽った大きな要因でもある。

 間違えてはいけないのは福太郎はごく普通の人間だと言う事だ。
 在り方が異端であろうとなんであろうとその肉体の造りは人間その物。
 つまりどう足掻こうと疲労と言うものは溜まっていくのだ。

 色々なところに気を使って遠慮する性分である彼の事、居候先に迷惑をかけないよう疲れた素振りなど見せないようにしていてもなんら不思議はない。
 というよりも大いにあり得るというのが阿求の見解である。
 だからこそ家主命令という強権を行使して、休ませる事にしたのだ。
 そうでもしなければ自分の好奇心や自分たちへの恩を優先して倒れるまで動き続けるだろうから。

 そして家主直々に心配されてしまった上に命令という名のお願いをされてしまっては居候である彼としても反発などするわけにもいかず。
 今日は邸でゆっくりするという運びになったのである。


「あ~~、ええ天気やなぁ」

 何のかんので幻想郷に漂流(?)してから無意識に気を張っていたのだろう。
 休みを貰った彼は心の中で区切りを付けて、今はだらけ切っていた。
 家主の強権発動に最初は渋っていたのだが、この切り替えの早さは大した物である。

 外出するわけではないので漂流当初に来ていたTシャツとズボンではなく、紺色の甚平を着ている。
 稗田家に勤めている古参の老人の若い頃の物を格安で譲ってもらった物だ。
 当初はタダで譲ってくれると言っていたのだが福太郎が遠慮してしまい、しかし相手も引き下がらなかった結果、妥協案として購入時の半分以下の値段で買うという運びになった品物である。
 使い古しという割に特に生地が傷んでいるという事もなく、着心地も良かったので福太郎も愛用している。

 和風の庭園に、和風の服装、そしてゆったりとした空気。
 甚平姿の福太郎は見事に稗田屋敷という世界に馴染んでいた。

 見事な庭園を眺めながら縁側に腰掛けてお茶を啜る。
 以前、仕事中に眠りこけそうになった時は魔理沙に強襲されたが今日はそう言った事はない、はずだ。
 人里では知らぬ者がいないこの稗田屋敷が誰かに強襲されるという可能性はほぼ無いのだから。

「くぁあ~~……。仕事しとるわけでもないんやし……ええかな」

 うららかな午後の日差しをほどよく受けていた彼は、急激に迫ってきた眠気に逆らう事が出来ず、その場で柱に身体を預けて瞼を閉じた。

 次に目を覚ました時、新たな出会いがある事など露知らず。


 私は一人で静かに家のラウンジで紅茶を楽しんでいた。
 元々、他人と関わるのを苦手にしていた私は騒々しさよりも静寂を好む。
 魔法使いとしての性質(さが)がそれに拍車をかけ、私はいつの間にか人妖があまり近づかないこの魔法の森に居を構えるようになった。

 ただここ最近は、周囲の環境が変化しているのを感じている。
 とある異変を境に私は他人と、ある程度まで関わりを持つ事を許容するようになったからだ。

 偏屈で孤独に生きる魔法使いという種族。
 私と、私なんて比べ物にならない時間を過ごしてきたあの趣味の悪い真っ赤な館に住む魔女も同じ。
 今まで必要以上に接していなかったはずの他者との関係の線引きが曖昧になっていた。

 それもこれも。

「魔理沙と霊夢の所為なんだけどね」

 いつの間にか友人になっていた二人の顔を思い浮かべる。
 さっぱりとして快活な人間の魔法使いと、人妖の区分なく平等に扱う巫女。
 白玉楼の連中が起こした異変に関わって、それから妙に私に構ってきた魔理沙とそれの付き添いで現れる霊夢。

 人里に買い物に行った時、ばったり会って特に意識もせずに霊夢と一緒に歩いた事もあった。
 魔理沙が強襲してきて、なし崩しに一緒に食事をする事もあった。
それがいつの間にか当たり前だと思えるようになっていた。

 友達付き合いが出来る人間と出会ったのはおそらく初めてだろう。
 自分で言っていてそこはかとなく寂しい人生だとは思うが。

 それから自分でも少しずつ積極的になっていくのがわかった。

 人里で気が向いた時に行っている人形劇の時間を慧音や阿求に伝えて広めてもらい、より多くのヒトに見てもらおうと考えてみたり。
 好きなように作った人形を売りに出していた雑貨屋に、リクエストがあれば伝えるようにと言付けてみたり。

 昔の、ただ淡々と目標に向かって突き進んでいた私から見れば今の自分のやっている事は寄り道でしかないだろう。
 でも関わって、そして変わってしまった『私』にとって今の日常は無駄ではない。
 少なくとも自分はそう思っている。

 彼女らと関わる事が楽しいという気持ちは私の掛け値無しの本音だ。
 本人たちには絶対に言わないけど。

 物思いに耽りながらカップに口を付ける。
 程よい甘みが喉元を過ぎていく感覚を味わいながら、私は向かいの椅子に座らせた『上海人形(しゃんはいにんぎょう)』を見つめる。

 完全に自立した人形の作成という私の目標。
 この子は試験的に魔力を形にした偽魂(生き物にとっての心臓のような物)を組み込む事で、ある程度の自立行動を可能にしていた。
 まぁ単純な思考能力しか持っていないし『○○をして』と指示しないといけないからまだまだ『完全自立』まで先は長いのだけど。
 こうやって少しずつ目標を形にしていければいいと思っている。
 魔法使いという種族には時間が腐るほどあるのだから。

「上海、鴉天狗が頼みもしないのに置いていった新聞を持ってきて」

 つい昨日、開けていた窓から放り込まれた新聞。
 あの鴉天狗が押し売りでなく押し付けていった珍しい新聞。
 まぁ押し売りだったらいつものように返り討ちにしていたのだけど。

 顔すら見せずに新聞だけ放り込むというのは彼女からすれば異例な事だ。
 いつもなら隙間妖怪もかくやの嘘臭い笑顔で、自分の新聞を買わせようとしてくるというのに。
 まぁだからこそ薪と一緒に暖炉に放り込まずに今まで持っていたのだけど。

 読まなかったのはちょっとした意地だ。
 なんとなくあの天狗の思惑通りに進むのが気に入らなかったという自分でもなんだかなと思うような意地。

 それを読むつもりになったのも言ってみれば気紛れ。
 この麗らかな午後の一時のちょっとした刺激になればいいと考えての事だ。

「外来人の異端児?」

 最初に目に映ったのはデカデカと張られた白黒写真。
 そこに映し出されていたのは見るもの全てを捉えようとする真剣な眼差しをした男性の姿。

 私はその男性の瞳に。
 『人間』だからこそ存在する『限りある時間』を必死に生きようとする気概を感じ取っていた。
 そしてその姿に写真越しでありながら尊い物を感じた。

 霊夢の在るがままを受け入れる生き方。
 魔理沙の全てを巻き込む躍動的な生き方。
 これらに勝るとも劣らぬ人間ならではの輝きをこの男性は放っていた。
 興味を持つなという方が無理な話だった。

 読み終えた記事をテーブルに置く。

「上海、行くわよ」

 記事の主役と話をしに、ね。
 自然に口元が緩むのがわかった。
 そして何度となく思った事を改めて実感する。
 やっぱり私は変わったのだと。


 人里ではとりあえず彼が出店を出しているという大通りを歩いてみた。
 けれどそれらしい人は見当たらず。
 人形作りの材料探しに利用する雑貨屋の店主に話を聞いたらどうやら今日は店を休みにしたらしい。

 なんでも幻想郷に来てからまともな休みも取らずにあちらこちらに行っていた為、家主である阿求直々に休むよう厳命されたらしい。
 話を聞くとどうも魔理沙並に好奇心が旺盛なようだ。
 しかし幻想郷に住む者たちの自衛手段とも言える弾幕が撃てるわけではなく、周りから見ていてもかなり危なっかしい人物らしい。
 新聞である程度の人物像は把握していたけれど、実際に人に聞くと実感が違う。
 あの鴉天狗が書いた記事が眉唾ではない事もほぼ間違いないと見ていいだろう。

「それでもなんかあの人がやってるとしゃあねぇなぁって感じになっちまうんだよなぁ。不思議な事に」
「ホントにねぇ。ルーミアちゃんが来た時はアタシら怖がって慌ててたってのに今じゃ全然だもんねぇ。あの子も人食いなんて呼ばれてる割にあの人に懐いてからはそういう事しなくなったみたいだし」

 カラカラと笑う店主と控えめに笑う奥さんに礼を言って、私は彼が居候している阿求の屋敷に歩を進めた。

「これはマーガトロイド様」
「こんにちは」

 深く頭を下げる門番の男性に合わせて私も頭を下げる。

「今日は珍しいですな。先日行われた人形劇の公演からからまだ二週間程度しか経っておりませんが」
「ええ。申し訳ないのだけれど阿求は今、お手隙かしら?」
「少々、お待ちください」
「お願いするわ」

 浅く一礼して屋敷の中に消えていく男性。
 実直で真面目なこの稗田屋敷の守り手だ。
 紅魔館の門番と同じく、彼も自分の担当する時間が終わるまで決して門を離れる事はない。
 普段ならば来訪者については彼ではなく、中から人を呼んで確認させている事を私は知っている。
 なぜなら五年ほど前までは私の時もそうやっていたから。
 正直なところ何が切っ掛けになったかはわからないけれど、彼は私の事を信用してくれているらしい。
 だから私に平然と背を向けて自らの足で阿求に確認に向かうんだろう。

 その無言の信頼に気付いた時は柄にもなく喜びを感じた。
 勿論、彼や阿求には気付かれないようにだけど。

「お待たせしました。阿求様は自室でお待ちです。ご案内など今更ご不要とは思いますがこちらの侍女の後にお続きください」
「ええ。毎回、ありがとう」
「もったいないお言葉です」

 彼はまた深く頭を下げると連れてきた侍女に目配せする。

 この人も私とは長い事、顔を合わせている人だ。
 名前すら知らないから友人と呼ぶほど深い関係ではない。
 でも他人と呼べるほど遠くもない、そんな関係。

 彼女は彼の目配せに頷いてから、私に対して笑みを浮かべると右手で屋敷を示した。

「さぁ中へどうぞ。マーガトロイド様」
「ありがとう」

 いつも通りのやり取りを終えて、私は阿求のところへ向かう。

 相変わらずこの屋敷の空気は心地よい。
 人里の中にありながら、外の活気とは隔絶された静謐な雰囲気。
 この屋敷はかなりの広さだから働いている人間もそれなりに多い。
 だと言うのに慌しい空気は微塵もない。
 動き回っている人間は確かにいるのだけれど、その所作はどこか余裕を感じさせる。

「阿求様、マーガトロイド様をお連れしました」
「はい。どうぞ」

 鈴の音を思わせるコロコロとした阿求の声に従い、襖を無駄のない動きで開く侍女。
 彼女に一言、礼を言って私は阿求の部屋に入った。

 僅かに感じられる墨の匂いと整然とされた本棚。
 変わらない形を維持する彼女の部屋に入ると、まるで自宅にいるような安心感を覚える。

「こんにちは、アリスさん」
「ええ、こんにちは。突然、訊ねて悪かったわね」
「ふふっ、そんな事はないですよ」

 挨拶を終え、出されていた座布団に座る。
 阿求とはそれなりに付き合いがあるから正座にも慣れた物だ。

「それで今日はどうしたんですか?」
「次の人形劇の公演についてね。また里に通知してほしいのよ」

 私の言葉を聞いて彼女は目を瞬いた。
 何年もの間、一ヶ月に一回のペースでやっているし、そういう流れが出来上がっているから驚くのも当然だろう。
 門番の彼も驚いていたし。

「珍しいですね」
「ちょっと趣向を変えた劇を思いついてね。で、それについての相談も一緒に」
「劇についての相談を私に……ですか?」

 阿求が首をかしげる。
 基本的に私は劇の内容を公演するその時まで公開しないし、今まで劇の内容について誰かにアドバイスを求めた事もない。
 人形劇について私が頼る事なんて精々、日時の通知と公演するステージの設営くらいな物。
 それ以外は全て私がやっているのが当たり前だから阿求が聞き返すのも無理はない。

「正確には貴方自身じゃなくて……ここに居候している外来人の協力をお願いしたいのよ」
「福太郎さんの? というと何か絵を描いてほしいとそういう事ですか?」

 さすが阿求。
 話が早くて助かるわ。
 私は上海に持たせていた新聞を彼女に手渡す。

「鴉天狗が書いた新聞なんだけど。その記事を信じるならその田村っていう人、絵を描くのが上手いらしいじゃない。人形劇の背景を描いてほしいのよ」

 勿論、腕前が記事通りだったらだけどね。

「ああ、文さんの……。あの人、アリスさんの所にまで新聞を?」
「ええ。押し売りじゃなくて押し付けにね。顔も見せずに窓から放り込んできたから何事かと思ったわ」

 私が肩を竦めながら言うと阿求は口元を手で隠してクスクスと笑った。

「なるほど。文さんも大層、福太郎さんの事を気に入られたみたいですね。きっと色々な人に彼の事を知ってほしかったんですよ」
「新聞を見ればあの天狗がこの人の事を気に入ってるのはなんとなくわかるわ。ここまで好意的に書かれた新聞なんてアイツの書いた物では珍しいもの」

 自分の目で見た物を最も面白おかしい見解で書きたてるのがあの天狗の新聞だ。
 昔、私と魔理沙が一緒に食事しているのを撮られて書かれた新聞は酷かった。
 
 なにが『魔法使いたちの秘密の逢瀬!?』よ。
 魔理沙は全然、気にしていなかったけれど。
 私は思いっきり腹を立てて、天狗を弾幕勝負で懲らしめた。
 とはいえ懲りずにネタを捜しているらしい事はわかっている。
 私を題材にしないのは単純にアイツの求めている面白おかしいネタが出てこないだけだ。

 ……思い出したらまた腹が立ってきたわね。

「そういう事でしたら福太郎さんをお連れしましょうか?」
「あ、いいわよ。私から会いに行くわ。頼み事をするのはこちらなのだからそれが礼儀でしょ」
「では案内しますね」

 ゆっくりと立ち上がる阿求に合わせて私も立ち上がる。
 さてあの真剣な瞳の主がどんな人か、楽しみね。

 当の本人はすぐに私の前に現れた。
 中庭で程よい日差しを受けて柱に身体を預けるようにして眠っていたけれど。
 すごく気持ち良さそうに眠っているその姿は写真の彼とすぐには結びつかなかった。
 驚くほどのんびりとしているその姿は、着ている服と相まって外来人とは思えない。
 まるで何年もここに住んでいるような、この世界に馴染んでいる印象を受ける。

「あら、福太郎さん。お休みみたいですね」

 足音を発てないようにそっと近づく阿求。
 私も彼女に倣ってゆっくりと歩く。

 近づいていくと彼の膝の上に猫が乗っているのが見えた。
 丸くなって心地良さそうに眠っていたが私たちが近づいている事に気付いたのか、今はじっと私たちを窺うように見ている。
 二本の尻尾は相変わらず気持ち良さそうに揺れているが。

 ……二本の尻尾?
 それにあの黒のリボン、どこかで見た事があるような気がするんだけど。

 私がじっと見ている事を何か勘繰ったのか、猫は彼の膝から降りて素早い動きで屋敷の床下に逃げてしまった。
 床下に潜る寸前に彼の方を名残惜しそうに見ていたけど、そんなに彼の膝の上は気持ちよかったのかしら?

「それにしてもよく眠っていますね」

 静かな寝息を立てている男性の姿を見て微笑む阿求はすごく母性的だった。
 何回も転生して前世の記憶を引き継いでいるのだから、『阿求としての年齢』よりも遥かに長く生きている事になるのだけど。
 こんな表情もするのね、この子。

「そうね。起こすのも可哀想だし、今日の所は出直そうかしら……」
「う……んん」

 踵を返そうとした所で寝ていた彼の瞼が呻き声と共に揺れた。

「ん~~、くあぁ~~~~。あ~~……」

 ぐっと身体を伸ばし、首をグルリと回しながら目を擦る。
 そして擦り終わってゆっくり開かれた目と彼の所作を何の気なしに眺めていた私の目が合った。
 そして目が合ったまま、私の身体は硬直してしまった。

 特に意識しているわけでもないのに、目が離せない。
 『普通の人間』がするモノじゃなかったから。
 その目の奥にあるモノに当てられて、私の背筋は凍りついた。

 勿論、阿求や彼に気取られないようにはしたけど。
 よくばれなかった物だと後になって思ったのは私だけの秘密だ。

「……え~っと、こんにちは?」
「ああ……えっと。……こんにちは」

 そんな私の混乱や見えない努力など微塵も気付いていないだろうこの人は、しごくのんびりと挨拶をしてきた。
 混乱した頭でどうにか返答できた自分を褒めてやりたい。

「おはようございます、福太郎さん」
「あ、阿求さん。おはようございます」

 彼の視線が離れた事に全身を覆っていた緊張感が薄れていくのがわかった。
なんだったの?
 別に睨まれたわけでも殺気を向けられたわけでもないのに。

 私は彼の瞳の奥にある物を『怖い』と感じた。

「えっとそっちの人は……」
「私はアリス。『アリス・マーガトロイド』よ。魔法の森で暮らしている魔法使い。人里じゃ人形師の方が通りがいいかしらね。そしてこの子は上海人形」

 私の隣でずっと浮いていた上海が彼に会釈する。

「おお! 人形が自分で挨拶しとる!! ああ、えっと自分は田村福太郎、言います。よろしくお願いしますわ、マーガトロイドさん。上海ちゃん」

 ペコペコと私と上海に頭を下げる彼の姿にさっきまで感じていた妙な緊張感は完全に吹き飛んだ。
 あまりにもその仕草が子供っぽくて思わず笑ってしまう。

「アリスでいいわ。苗字は言い難いだろうからね。あと敬語もいらない」
「じゃあ俺も好きなように呼んでええよ」

 ニカッとやはり子供っぽく笑う福太郎。
 記事で見た真剣な表情は微塵も見せないけれど、これはこれでなんだか面白かった。
 彼の横で阿求も笑っている。

「さてそれじゃ福太郎さんも起きましたし、アリスさんの用事について話しましょうか」
「? それって俺も関係ありますの?」

 首を傾げながら立ち上がる福太郎。
 座っていた時はわからなかったけどこの人、背が高いわね。
 私も阿求もそんなに身長はないから自然と彼を見上げる形になっちゃうわ。

「むしろ貴方がいないと始まらないわね」
「俺がいないとって……ああ、もしかして」

 「これ?」と右手に何かを持って中空に絵を描く仕草をする。
 彼の仕事の事を指しているんだろう。

「ご明察よ。別に急ぎでもないんだけれど仕事の依頼をしたいの」
「今日は家主命令で仕事するのは禁止されてるから話を聞く事しかできんけど?」
「あ、その言い方は酷いですよ。福太郎さん!」

 わざと阿求を窺いながら返答する福太郎。
 彼女のせいだと暗に揶揄しているのがわかる。
 勿論、冗談の範疇だから彼女も本気で取り合ったりはしない。
 頬を大袈裟に膨らませて怒っている事を表現するくらいだ。
 むしろ可愛らしく見えるわね。

「構わないわよ。今日の所は話さえ聞いてくれれば」
「そういう事なら廊下で話すような事でもないし、部屋にでも行きますか」
「ええ」
「阿求さんもどうです?」
「お二人の邪魔にならないなら」
「気にしなくていいわよ。居候の家主なんだから充分に聞く権利があるわ」

 とんとん拍子に進む会話に悪くない気分になっていたけれど。
 心の片隅には彼のあの目に感じた怖さが残っていた。

 同時に気になった。
 今の彼からはまったく感じられない、自殺志願者もかくやの『孤独』と『絶望』を感じさせた目の理由が。
 せいぜい二十年そこそこしか生きていないだろう彼が何故、あんな目をしたのか。
 昔の私なら他人事だと切り捨てたんだろうけどね。

 彼の部屋は質素で私物はほとんどなかった。
 まぁ幻想郷に来た経緯が経緯だし、こちらに来てから一ヶ月も経ってなければそんなものだろう。
 だが全体から見れば限りなく少ないその私物に私の目は釘付けになった。

「ほんと、あの鴉天狗が書いた記事も馬鹿にならないわね」

 彼の絵を見ながら切実にそう思う。
 毎回、こういう正しい情報を記事にしてくれれば購読してもいいんだけど。
 まぁ今回に限った事だろうから思うだけ無意味だろう。

 私は彼に依頼の内容を説明した。
 すると彼は押入れから今まで自分が描いた絵を取り出した。

「アリスが自分の目で俺の絵を見てや。そんでそっちのお眼鏡に適ったら描くよ」
「あら、回りくどいわね。理由は?」
「人伝やなくて自分で評価して依頼してくれるんやったらこっちもよりやる気になるやんか」

 そう言ってのんびり笑う彼の言葉に納得して私は頷いた。
 何かを作る人間ならモチベーションを可能な限り引き上げて取り組もうとするのは当然の事だ。
 私も形は違うけど作る側の人間だから。
 毛色は違うけどそういう人の気持ちやそういう拘りはそれなりにわかる。

「それにしてもすごいわね。文が褒めちぎるのもわかる気がするわ」
「そこまで褒められるようなもんでもないと思うんやけどね。身の丈に合わん評価してくれたもんやで、文もアリスも」
「そんな事ないですよ。中庭の絵、あれも素晴らしかったです!」
「お礼やねんから最低限、渡す相手にくらい気に入られるような絵を描きたいって思って描いただけですよ。じゃなきゃお礼の意味ないじゃないですか」

 人里の大通りにどこかのお店、子供達の遊ぶ広場や魔法の森に果ては妖怪の山など。
 見せてもらった風景画は彼風に言うなら『私の目に適う出来』だった。

 しかしこの人、欲がないというか腰が低すぎやしないかしら。
 謙遜にしても度が過ぎてるって言うか。
 いや私が気にするような事じゃないんだけど。

 もっと誇ってもいい腕なのに……。
 いや私が良いって思うだけでそこまで絵心がわかるわけじゃないけど。

 でも家に飾ってある絵(昔の高名な画家の作品らしい)と比べても遜色のない細かく描かれたソレには比べた絵にはない想いが込められていた。
 私が人形を作る時、一針一針に想いを込めるように彼は筆の一塗り、いえ鉛筆での下書きの時からその一筆一筆に想いを込めているんだろう。

 見ていて感化されてしまいそうな、切羽詰った物すら感じさせる静かでありながら熱い想いが伝わってきた。
 ただ同時に私はあの時、一瞬だけ見えた彼の『暗い目』を思い出していた。
 恐らくあの目に込められたモノと、絵に込められている想いは無関係ではないんだろう。

 理論で持って目的を成す者である『魔法使い』にあるまじき、漠然とした直感に近い物ではあるけれど。
 私はその予測に確信に近い物を感じていた。

「上から目線みたいな言い方になって申し訳ないけど申し分ないわ。合格よ」
「そら良かった」

 心底、嬉しそうに笑う彼に釣られるように私も笑みを浮かべる。
 でもココに来て私は鑑賞に夢中になって忘れかけていた興味を思い出していた。

「これでお話はまとまりましたね♪」
「ええ。良い話になってよかったわ」
「はは、そら買い被りやって。とはいえお仕事請けたからにはしっかりやらせてもらうけどね」

 とはいえさすがに今日、初めて会った相手に聞くような事じゃない。
 聞ける雰囲気でもないし。

「そういえば福太郎さん。アリスさんや文さんにはタメ口なのに何故、私には敬語なんですか?」
「へっ?」

 柄にも無く悩んでいると阿求が突然、不満そうな顔でそんな事を言い出した。
 ……あの顔はたぶん前から気になってたのね。
 まぁ彼の事だから阿求は自分の家主だからとかそんな理由でしょうけど。

「え、いや、だって俺は居候で阿求さんは家主ですし……アリスや文はほら、呼び捨て敬語なしで構へんって言うてくれたからで」

 ほらね。
 でもその答えだと……。

「じゃあ私もこれからは呼び捨て敬語なしでお願いします」
「ええっ!?」
「まぁそうなるわよね」

 予想通りだわ。
 というか驚き過ぎよ、福太郎。
 さっきのやり取りじゃ察しが良かったのに。

「どうしてそんなに驚くのよ? 別に私たちの時は納得してたじゃない」
「いやぁ世話になってる人には敬語って常識やん? それにほら、阿求さんの家って格式高いっちゅうかなんちゅうか他の人への示しとかもあるやろし」
「そんな事、気にするような器量の狭い人間はこの屋敷にはいません!」

 いつになく勢い込んで話す阿求。
 コレは相当、不満が溜まってたわね。
 まぁわざわざ私が火消しをするような事でもないからここは黙って見てましょうか。

 これから十数分、ごにゃごにゃと屁理屈を捏ねて福太郎はこの話を切り抜けた。
 結局、阿求のさん付けと敬語はそのままだから、彼女は今まで見た事がないほど不満そうな顔をしていたけど。

「それじゃ阿求、また今度ね」
「はい。それじゃ福太郎さん。アリスさんのお見送りをお願いしますね!」
「……わかりました~~」

 オーバーな動作で肩を落とし、げっそりとした表情の福太郎。
 阿求の申し出をどうにかこうにか押さえ込む為に彼なりに相当の労力を使ったんだろう。
 別に私は見送りなんていらなかったのだけど、阿求が「福太郎さんへの罰です」と言って聞かなかったので好意(?)に甘える事にした。

「はぁ。すまんね、なんか。別に見送りなんていらんやろに」
「阿求の気が済むなら構わないわよ。それに私があの場で断ってたらあの子、多分また騒ぎ出してたわよ?」
「そら勘弁やなぁ。気ぃ使ってくれてありがとなぁ」

 心底、困ったように眉を八の字にしながらまた肩を落とす。
 ほんと見ていて楽しいわね、この人。

「気にしないでいいわ。楽しませてもらったしね」

 上海人形を操って福太郎の肩を叩いてやる。

「慰めてくれるんか? 上海ちゃんは優しいなぁ」
「ふふふ……何か勘違いしているみたいだけど上海は自分で考えて行動しているわけじゃないわよ?」
「えっ? そうなん?」

 私ではなく上海人形に聞くのでわざと上海も一緒に頷かせる。

「私の目標は完全に自立した人間のような人形の作成。だけどそれにはクリアしないといけない問題が多いの。この子にしてもまだ簡単な命令を聞いてくれる程度の物でしかないのよ。自我は芽生えているはずなんだけどそれを表現できるほど自立して動く事ができないから」
「人間のような人形、かぁ。先の長そうな話やね」
「そうね。たぶん人間が人間でいる間には無理よ。私は魔法使い……不老だから出来るだけ」
「不老、かぁ。やっぱり先の長い話やね」
「でもやり甲斐はあるわ。目標は高ければ高いほどいい」
「ええ事やな」

 とりとめのない会話。
 彼は私の言葉の一つ一つに甲斐甲斐しいと言ってもいいくらい反応してくる。
 好奇心旺盛なようだから積極的に質問もしてくるし。
 
 こう言うの、なんて言ったかしら? 
 そうそう『打てば響くような』だ。

 会話をしていて、とても楽しいと思える。
 聞き上手だし、好奇心はあるけど必要以上に突っ込んだ事は聞かない程度に気配りも出来る。
 魔理沙や霊夢にも見習ってほしい。
 まぁあの二人、特に魔理沙が遠慮なんて覚えたらそれはそれで異変のような気もするけど。

「そういえば魔法使いやって言うてたけど、魔理沙ちゃんとは仲良ぇの?」
「……可もなく不可もなくよ。あの子の在り方は魔法使いとしては許容できないし、私は騒がしいのは好きじゃないもの」

 あの子は本当に魔法使いらしくない子だから。
 でも……あんな子だから私は嫌々言いながらも付き合っているんだろうと最近になって思うようになった。
 たぶんこれも私が変わったから思えるようになった事なんだろう。

「……優しい顔しとるよ、アリス」
「っ!?」

 福太郎に指摘されて咄嗟に自分の顔を撫でる。
 口元が緩んでいるのがわかった。

「っ~~~!?」
「あはは、テレんでもええやんかってへぶぁ!?」

 恥ずかしくて思わず上海を操って彼を殴り倒してしまった。


 それからもなんとなく世間話をしながら人里の中を歩き、あっという間に里の出入り口に着いた。
 思い切り張り倒してしまったから彼の頬には痛々しい痣が出来ている。
 今も痛そうに擦っている。
 ちょっとやり過ぎたわね。

「……ごめんなさい。つい反射的に手が出ちゃって」
「ああ、ええってええって。とりあえず命に別状ないし」

 痛みに顔を引き攣らせながら笑う福太郎は見ている方が痛々しく思える。
 はぁ……失敗したわ。

「さてこの辺でええかな?」
「そうね。見送りありがとう」
「お礼を言われるほどの事とちゃうけどね」

 ヒラヒラと手を振りながら苦笑する福太郎。
 釣られて私も苦笑いした。

「それじゃまた三日後に来るから。絵の下書きよろしくね」
「ん。了解了解、かしこまり~~。またなぁ、アリス。上海ちゃん」
「ええ、またね」

 柔らかく笑う彼に見送られ、私は人里を後にした。

 上海と二人、空を飛びながら思うのは『あの目』の事。
 結局、聞く事は出来なかった怖さの事。

 興味はあるけれど、不躾に触れるのはやっぱり躊躇われた。

 彼は一定の距離までは誰であれ招き入れるし自分から踏み込んでくる。
 けれどなんらかの線引きの先には他者を関わらせようとしない。
 彼と話していてわかった事だ。

 その辺りが理由で普段から近しい位置にいる阿求には敬語を崩さないだろうと言う事もなんとなく理解した。
 なんの拍子で自分の心の奥に踏み込まれるかわからないから、目に見える形で距離を保つ。
 敬語は彼にとって線引きの手段の一つなんだろう。

 彼は誰に対してでも変わらない。
 相手が魔法使いでも妖怪でも幽霊でも。
 でもとても『人間らしく』、そして『臆病』だ。
 歪だと思う。
 だからこそ『この場所(幻想郷)』に馴染んだのかもしれないけど。

「いつか聞いてみたい物ね」

 仮にも仕事上のパートナーになったのだから。
 魔法使いとしての興味は勿論だけど、こうして出会ったのも何かの縁だろうから。

「こんな風に考えられるようになったのもあの子たちの所為よね。まったく」

 誰にも聞こえないようにぼやきながら私は帰路についた。
 無意識に浮かんだ口元の笑みを自覚しながら。

 人形遣いの少女は絵描きの在り方を直に感じ取り、共感を覚えた。
 それは人と深く関わる事を避けようとする意志を感じたからか、はたまた物を作る者として性質ゆえか。
 瞳の奥に僅かに垣間見た生半可な体験では出来ないだろう『孤独』。
 知りたいとは思う。だがそれをするには自分も彼も『まだ』距離が在りすぎた。
 『いつか今よりも親しくなれたその時に』と心に秘め、彼女は彼を友人と見なした。
 その考え方が、自身の変化を如実に表している事を気付かぬまま。

 絵描きは人形遣いの少女に自分と近しい物を感じた。
 近づきすぎず、離れすぎないそのスタイルは自分の内心を隠したがる彼にしてみれば実に心地よい物で。
 まさか彼女が自分の心中に興味を持っているとは夢にも思っていない。
 この事が彼にとって良い事なのか悪い事なのかは今はわからない。
 自分と向き合う覚悟を決めたとはいえ、彼は今も臆病なままなのだから。
 
 この二人の関係が今後、どのように変化していくのか。
 それはまだ誰にもわからない。

 これは迷い込んでしまった絵描きと七色の人形遣いの物語。

あとがき
人形使いが絵描きとパートナー(仕事的な意味で)になったようです(挨拶)。

作者の白光(しろひかり)でございます。
難産だった。
ただそれだけが真実です。
あまりにも執筆が進まないので思わず猫フラグを立ててしまうくらいに。

アリスには微ツンデレ要素を入れましたがいかがだったでしょうか?
他のキャラに比べると他人に対して一歩引かせてみましたが、この辺りは魔法使いという孤高の生き方を自分なりに解釈した結果になります。
違和感などなければよいのですが。
そして阿求との関わりは作者の独自解釈になります。
ぶっちゃけ絡ませたかっただけなのですが。

ご意見、ご感想などありましたらお気軽に感想掲示板にお書きください。
お待ちしています。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと人里の守護者
Name: 白光◆0537c4b3 ID:57ebeb74
Date: 2009/11/24 06:23
 拝啓、足洗邸の皆さん。
 お元気でしょうか?

 今、俺は。

「今日は臨時講師として田村福太郎さんに来てもらった。彼の事を知っている者も多いと思うが改めて自己紹介を頼む」
「えっと田村福太郎、言います。里の中で絵描きの出店させてもらってる外来人です。今日は慧音先生に頼まれて美術……というか絵の事を教える事になりました。たまに顔を出す程度になりますけどよろしくお願いします」
「「「「よろしくお願いしまーーす!!!」」」」

 また教師になりました。
 臨時やけどね。

 子供たちの元気な挨拶に苦笑いしながら、彼はこうなった経緯を思い出していた。


 事の起こりはいつも通りに福太郎が仕事に励んでいた時。

 仕事柄、里の中を回る事がある彼は仕事の物珍しさと稀有な境遇、本人の親しみやすい性格から子供たちに懐かれ、たまに一緒に遊んでやったりしていた。

「ここの子供たちってええ子ばっかりですねぇ。向こうのガキどもは可愛げないのしかいなくて……」

 そう言って目尻を押さえて感動する彼の姿に、慧音や子供の親は口元を引き攣らせてドン引きしていた事は記憶に新しい。
 そんな子供たちが彼を寺子屋に招待(連れ出したとも言う)したのがそもそもの始まりだった。

「すみませんね。突然、お邪魔してしまって」
「ふっ、気にしなくて良いさ。子供たちがあんなに嬉しそうにしているんだからな」

 寺子屋の縁側に二人で腰掛け、目の前の広場でわいわい鬼ごっこに興じている子供たちを見つめる。
 元気よく走り回る彼らを見る慧音の目はとても優しく、福太郎も釣られるように笑みを浮かべた。
 同時に福太郎はこの寺子屋の現状を思い浮かべて、考えを巡らせる。

 寺子屋は慧音が一人で運営している。
 生徒の数は二十人程度。
 道徳や簡単な計算、広場を利用した運動など生活に繋がる実用性に富んだ授業。
 必要な教材は阿求や香霖堂にお願いし、持ち運びも含めて全てを彼女一人で行っているのが現状。

 彼女自身、涼しい顔をしてそれらをこなしているが福太郎がそれを知った時の感想は一つ。

「それは無茶やろ」

 かなりの年月、このサイクルを続けているとは聞いているが、それにしてもスケジュールが過密過ぎる。
 手伝う人間もいるという話ではあるが、それを差し引いても慧音への負担は相当な物だ。

 幻想郷に来てから今まで、阿求の次に世話になっている慧音の勤労状態に福太郎は心中で驚嘆していた。
 そして気が付けばこんな言葉が口を付いて出てきていた。

「慧音さん。なんか手伝える事ないですかね?」

 同情ではない。
 彼はただ慧音が身を粉にして働いている事を知ってしまった自分が『何もしないでいる事』に罪悪を感じただけだ。
 だが別に何が何でも手伝いたいとも思っていない。
 彼女が助力はいらないというのであればそれ以上、干渉するつもりもなかった。

 この幻想郷と言う世界に身体は馴染んでも、心では『外の人間』である事を強く意識している彼は積極的に物事に関わる事を良しとはしていないのだ。
 いつか必ず帰るのだと思っているから。

 とはいえ既に影響は関係各所に出ているので、積極的に関わる事を良しとしないという彼の考えが周囲に通用するかどうかは不明だが。

「お前が私の健康を気遣ってくれるのはありがたいが、私にとってはこれくらい日常茶飯事だからな。苦とも思っていないぞ」
「ありゃ? お見通しですか」

 そう言って控えめに笑う慧音に福太郎は苦笑いを返すしかない。
 出された湯飲みに口を付けながら肩を竦める。

「里の人たちや子供たちにも時々、言われるからな。一人で全部やらなくていいから、と。別にそんなつもりはないんだが……どうも周りから見ると違うらしい」
「そら寺子屋の事を実質、全部一人で仕切っとったら見てて大変やろなって思いますよ。お休みって取ってるんですか?」
「一応、寺子屋にも休みはあるぞ? 五日授業をした後、二日間だ」
「週休二日制ですね。まぁ理想っちゃ理想ですけど。それにしたって一人で授業全部って無茶やと思うんですけど?」
「ふふっ、心配してくれてありがとう。だが私とて普通ではないからな。少なくとも君に心配されるほど柔ではないぞ」
「ははは、失礼しました」

 やんわりと、しかしはっきりとした拒否の意志を感じ取った福太郎は両手を上げて降参の意を示し、この話題を打ち切った。
 彼女がそう言うならばいいんだろうと考えて。

「えー!! 福太郎、慧音先生と一緒に授業してくれるんじゃないの!?」
「せんせー、福太郎に手伝ってもらいなよ~~~」

 そのやり取りに不満を抱いたのは福太郎に懐いている子供たちだった。

「いやいやいや……慧音さんがいらん言うてるのに押し付けるのはアカンやろ。っていうか君らなんで俺に手伝わせようとするんよ?」
「福太郎のお話、面白いもん!」
「もっとお話聞きたいけど福太郎お仕事あるでしょ? だから寺子屋で先生を仕事にすればいいんだよ!!」
「お話もそうだけど絵の描き方、教えてよ! お父さんの絵、描きたいんだ!!」
「えっ? えっ? いや、ちょっと待って……俺、聖徳太子と違うからね!?」

 口々に言われて、あたふたしながら諌めようとする福太郎。
 そんな彼の言葉など聞いていないかのように迫ってくる子供たち。

「ふふふっ、本当に懐かれているな。福太郎は」

 腕に、背中に、腰にくっ付いてくる子供たちをどうする事もできず途方にくれる彼の姿を見ながら慧音は安心したように笑う。
 そして彼女は彼に出会った時の事を思い出していた。


 私が彼、田村福太郎と出会ったのは寺子屋の休みの日だった。
 最近は人里の人間が巻き込まれた騒動などは起きず、休日はゆっくりと自宅で休む事が出来ている。
 以前、霊夢たちや紅魔館の吸血鬼、白玉楼の亡霊姫たちがあの子の竹林に来て暴れた時はそれはもう大変だったものだが。
 あれ以降、人里近辺で大きな騒動は起きていない。
 温泉騒ぎや地震騒ぎは被害が広がる前に霊夢が片付けてくれたし。

 平和な一時。
 私にとって、いや全ての人にとってとても尊く大切な時間。

「すみません。慧音さん、いらっしゃいますか?」
「……ん? 阿求か。今出るから少し待っていてくれ」

 いかんな。
 すこしのんびりし過ぎたかもしれん。
 客人への対応が遅れるとは。

「どうしたんだ、阿求? お前が私の家まで来るとは」
「むぅ。別に私だって年がら年中、家で書を書いているわけじゃありませんよ」

 わざとらしく頬を膨らませる彼女の姿は年相応で微笑ましい。
 とはいえ確かに今の発言は失礼だったな。
 私は苦笑いしながら、自分の発言を謝罪する事にした。

「それはそうだな。すまなかった。しかし今日は何故、私の所に?」
「ええ。慧音さんに折り入ってお願いがあります。……福太郎さん、入ってきてください」

 阿求が玄関先から外に声をかけると、背の高い男性が戸惑いながら入ってきた。

「あなたは? ……いや、まずは自己紹介をしよう。私の名は上白沢慧音と言う」
「ああ、えっと……田村福太郎言います」

 ふむ。来ている服が人里では見かけない物だな。
 それにこの独特の雰囲気、まさか。

「慧音さん。彼は外来人です。屋敷の庭に倒れていた所を介抱しました」
「やはりそうか。ここ最近は外来人が迷い込む事などなかったと思ったが、またスキマ妖怪の悪戯か?」

 唯一、外の世界と行き来できるあの愉快犯妖怪が頭を過ぎる。
 人の目に映る場所では何もしない、あの妖怪の賢者は時折『暇だから』という理由で様々な人妖を巻き込んだ出来事を引き起こす事がある。
 正直なところ、本人があまりにも信用ならない人格の為、関わり合いになりたくないというのが私の本音だ。
 人種差別など出来る立場ではないのだが、あの性格は人種だとかそういう物とは違う次元で私とは合わない。

「わかりません。とりあえず彼にはこの世界がどういう場所かは説明しました。戸惑ってはいましたけど話は落ち着いて聞いてくれましたよ」
「ええ、まぁ。ここがどこで俺がどういう立場なんかは理解してるつもりです」

 それにしては……冷静だな。
 突然、自分の常識外の場所に来たにしては動揺している素振りがない。

「では私に会いに来た理由を聞きたいのだが。……いや客人をいつまでも玄関先で立たせておくわけにもいかないな。とりあえず中へ」

 そこまで言って私が彼らに背を向けようとした所で。
 彼が私の手を掴んだ。

「っ!?」
「すみません。無礼を承知でお願いします」

 突然の事に驚き、つい反射的に彼の手を跳ね除ける。
 そして私が振り返ると同時に、彼は軒先で土下座をした。

「阿求さんから博麗神社って所の巫女さんなら俺を元の世界に戻せるって聞きました。そこまで行くのに危険があるって言う事も。上白沢さんやったらそこまで行けるだけの力を持ってる事も聞いてます。突然の事で本当に申し訳ないけど、俺をその博麗神社まで連れて行ってください!!」

 ずっと頭を下げたまま、彼は自分の言いたい事を私に叩きつける。
 その言葉に切羽詰った思いの篭もったその言葉に私は反射的に応えていた。

「あ……ああ、わかった。すまないが支度をするので少しだけ待っていてくれ」
「そ、そうですか。ありがとうございます!」

 彼の言葉を背に受けながら、私は逃げるように家の奥へと走る。
 自分のした事が客人に対して無礼だという事はわかっていた。
 だが彼のあの言葉に言い知れない焦燥感のような物を感じた私は『急がなくてはいけない』と自然と思わされてしまったのだ。

 今まで関わった外来人は己の状況に対してあそこまで焦りを見せる者はいなかった。
 混乱しているうちに霊夢に頼んで帰してしまうのが常だったからだ。
 自分の置かれている状況を教えても信じない者が多かったというのもある。

 だが彼は冷静に現状を受け止めた上であそこまでの焦りを見せている。

 あれは見知らぬ世界に対する恐怖から来る物ではない。
 彼のあの焦りは『元いた世界へどうしても戻りたい』という執着心がそうさせているんだろう。
 あれほどの意思を感じさせる言葉を外来人から聞く事が出来るとは思わなかった。
 それほどの激情を向けられたのだ。
 私もソレに応えなければならないだろう。

 思考を巡らせているウチに最低限の支度は終わっていた。

「すまない、待たせてしまったな。では行こう」
「ほんまにありがとうございます」

 私は靴を履き、彼を促しながら博麗の巫女の事を思い浮かべる。

 この時間なら霊夢が外出しているという事はないはずだ。
 恐らくいつも通り、縁側でお茶でも飲んでいるだろう。

「それじゃ阿求。彼の事は確かに私が請け負ったよ。後は任せてくれ」
「はい。それでは福太郎さん。お達者で」
「阿求さん、どこの馬の骨ともわからん男に親切にしてくれてほんまにありがとうございました」

 深々と頭を下げ、阿求に謝辞を述べると田村は私にも頭を下げた。

「上白沢さん、すみませんけどよろしくお願いします」

 礼儀正しいが余裕のまったく感じられない彼の態度はひどく不安定で。
 見ている方がついつい余計な心配をしてしまう。

「そう畏まらなくてもいいさ。まぁそれが性分だと言うなら仕方ないがもっと気軽に話してくれても構わないぞ? 私も好きなように呼ばせてもらう事にするからな」

 だからだろうか?
 自分でも似合わないと思う気安い態度を取ってしまったのは。
 視界の端で阿求が目を瞬いているのが見えるが、既に事を起こした後ではどうしようもない。
 何か違和感がなければいいが。

「あ、ははは。すみません、気ぃ遣わせてしまいまして……」
「い、いや。こちらも済まない。余計な気を回してしまったようだな」

 彼が聡い人間であったのが返って災いした。
 何も考えずに肩の力を抜いてくれればよかったのだが。
 どうやらさり気なくやったつもりが気遣っているのがバレバレだったらしい。
 咳払いをして場を取り繕うが、福太郎はともかく阿求は口元を抑えて笑うのを堪えていた。

「それじゃ福太郎。そろそろ行こう」
「あ、はい。わかりました。慧音さん」

 赤くなっているだろう顔を隠すように私は彼の腕を引き、自宅を後にした。




「どうしたんですか? 慧音さん」

 苦い顔をしていた私を見咎めた福太郎が聞いてくる。
 いかんな、彼との出会いを思い出して恥ずかしい出来事まで頭を過ぎってしまった。

「いや……少しな」
「はぁ……」

 腑に落ちない顔で首を傾げる彼をどうにか誤魔化す。
 すると子供たちがまた騒ぎ出してしまった。

「ねぇ~~、先生いいじゃん。福太郎に手伝ってもらえば~~」
「福太郎と一緒にやれば先生も楽になるんだし!!」

 しかし、この子達。
 やけにこの話題を引っ張るな?

「あ~、もしかして君らお父さんやお母さんになんか言われた?」

 どうやら福太郎も同じ疑問を感じたらしい。
 私が言うよりも先に質問してくれた。

「うん! お父さんが慧音さんと福太郎が一緒になったら『おにあい』だって!」
「あ、僕も母さんに言われた! だから何がなんでも福太郎を寺子屋で働かせないとって」

 ……存外、素直に子供たちは暴露してくれた。
 ここまで明け透けに言われてしまっては私と福太郎は頬を引き攣らせて笑うしかない。

「……あ、の、ひ、と、た、ち、は~~~!!! まったく何を考えて!!」
「あ~~、そう言えば俺も仕事中、『慧音さんと最近はどうなの?』とか聞かれましたねぇ」
「っ~~~」

 思わず呻く私に追い討ちをかける福太郎。
 本人にその気がないのはわかっているんだが今、この時に言わなくてもいいだろう。
 恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

「わぁ~~。先生、顔真っ赤だよ?」
「これって『みゃくあり』?」
「やった! 帰ったらお父さんにほーこくしよ!」

 わいわい騒ぐ子供たちの言葉にますます顔が火照っていく。

「あ~、こらこら。センセ、からかうのはそれくらいにしいや。怒られるの嫌やろ?」
「え~~」
「……むちゃくちゃ痛い頭突きされてまうよ?」
「じゃあやめる」

 あんなにごねていたのが嘘のように即答したな。
 そんなに私の頭突きは怖いか?
 ……怖いんだろうな。

「ほれほれ、他の子たちと遊んでき」
「「「うん!」」」

 福太郎に引っ付いていた子供たちが一斉に彼から離れていく。
 じゃんけんで鬼を決めているのだろう。
 威勢の良い、羨ましくなるくらいに元気な声が聞こえる。

「ははは、すみませんね。慧音さんをダシに使ってしまって」
「気にしないでくれ。妙な話題を回避してくれたし、それで水に流そう」
「そう言ってもらえると嬉しいですねぇ」

 柔らかく朗らかな、悪く言ってしまえば気が抜けたような顔で笑う福太郎。
 先ほどの『妙な話題』を意識している様子はない。
 私は思い出すだけで恥ずかしいほど意識したんだが……この違いはなんだ?
 まさか『そういう事』に慣れているのか?
 むしろ私が免疫無さ過ぎるだけかもしれんな。

「はぁ……しかし子供たちはよっぽどお前の事を好いているようだな。運営者としては嬉しいやら悲しいやらだよ」
「そうなんですかねぇ。俺みたいな人間が物珍しいってだけやと思うんですけど」

 福太郎はあくまで謙虚な姿勢を貫くが、私はそうは思わない。

「最初はそれもあったのだろうが、子供たちが今も懐いているのはお前の飾らない人柄が大きいと私は思うよ。子供はあれでなかなか本質を見抜く目が聡い。お前が『ただ物珍しいだけの外来人』だったなら。彼らは親に言われたからと言って、寺子屋に関わらせようだなんて言わないさ」
「……そういうもんですかねぇ」

 私の言葉に答えた彼の目はどこか遠くを眺めるように空を仰いでいた。

「そういうものさ。少なくともあの子達にとってはな」
「……」

 じっと空を見つめる彼の瞳はやはりどこか遠くに意識を向けているようで。
 正直、私の言葉が耳に入っているかも疑わしかった。

 彼は時折、こんな顔をして何気なく空を見上げる。
 まるで何かを捜すように。

 当然と言えば当然だろう。
 元の世界に帰る為に私や霊夢に土下座までした彼は今も尚、こうして幻想郷にいるのだから。

 彼が自分のいた世界に帰りたがっている事は痛いほどに知っていた。
 恐らくその事を知っているのは阿求と私、そして霊夢くらいだろう。

 他にも色々な人妖が彼と関わりを持っているが、彼の郷愁を知る者はほとんどいないはずだ。
 彼は自分の本心を隠すのが驚くほど巧いのだから。
 悪い言い方になるが『病的』と表現できるほどに巧妙に。



 あの時。
 彼が『帰れなかった日』に私はこう問いかけた。

「君は元の世界に戻れなかった事にショックを受けていないのか?」

 我ながら愚問だったと思う。
 そんな事、あるはずがないのに。
 私は彼が見ず知らずの他人に土下座をしてまで『すぐにでも帰りたい』と必死になっている事を知っていた。

 だからこそ霊夢が術に失敗した時、表面上はまったく動揺していなかった彼にこんな馬鹿げた問いかけをしてしまったのだ。

 そしてすぐにその事を後悔した。
 自分の顔を半分覆うように右手で抑えながら唇を噛む彼は、見ているこちらが締め付けられてしまうほどに痛々しかったから。

 私が福太郎の本心を見たのはそれが最初で最後だ。
 以降、彼は様々な人妖と関わりながら日々を過ごしている。
 私がたまに顔を出すと霊夢やルーミアが一緒にいる事が多い。
 霊夢が、あの博麗の巫女が一個人をここまで気にするのは珍しいし、ルーミアに至っては一時期、騒ぎにもなった。
 特にルーミアは一週間のうち確実に五日は彼の所にいる。
 たまに阿求屋敷に泊り込んでいるらしい。

 大した物だと思う。
 本当はすぐにでも自分の世界に帰りたいはずなのに。
 少なくとも表面上はそんな事を感じさせず、こちらで楽しく生活しているのだから。

 私もそれなりに長く生きてきたし、人の生死にも関わってきた。
 自分が育てた生徒を看取った事もある。
 それくらい人間と関わってきたのだが、その中でも彼は異端だ。
 異常とも言えるかもしれない。

 あれほど何の気構えも感じさせない自然体で異種族と会話する人間は見た事がない。

 ルーミアに聞いたが彼女は最初、福太郎を食糧にするつもりだったらしい。
 それが会話しているウチに『食べたくなくなった』のだと彼女は言っていた。
 むしろ『彼を死なせたくなくなった』と、『彼が死ぬ事が怖くなった』と。

 しかもその会話の内容がまた常軌を逸していた。
 彼は『食べてもいいか?』と聞く彼女に『今は待ってくれないか?』と言ったという。

 それは食べられる、つまり『殺される事』自体に対しては抵抗がなかったと言う事だ。
 待ってくれと言ったのは絵を完成させたいという意志であり、逃げる為の時間稼ぎではない。

 ルーミアも姿は可愛らしい少女だがそれなりに長い年月を生きている。
 もしも福太郎が逃げ延びる為の嘘として言葉を紡いでいたならどこかで気付き、躊躇う事なく捕食していたはずだ。
 本能に忠実であるが故に『嘘』や『虚飾』には敏感であるという性質が妖怪には非常に多く、彼女はその最たる例なのだから。

 ちなみにスキマ妖怪の一派(式神の式神はそうでもないようだが)や鴉天狗、鬼たちのようにさらに長い年月を生きると論理的にその辺りを判断できるようになり、いわゆる『駆け引き』が出来るようになる。
 こうなってくると普通の人間では手が付けられない。

 交渉が出来る事を喜べばいいのか、力で太刀打ちできない存在が頭脳ですら人間を凌駕するようになる事を嘆けばいいのか。
 一応、人間側にいる私としては判断に苦しむ所だ。


 彼のぼんやりとした横顔を尻目にお茶を啜る。

 話が逸れた。
 たまに自宅にやってくる友人、藤原妹紅(ふじわら・もこう)に彼の事を話した事があったが。
 彼女は彼の事をこう評した。

「そいつ、多分とんでもなく辛い目に合ったんじゃないかな? 死んだ方がマシってくらいの。それでどこかで『区切り』を付けたんだと思うよ。私は死ぬ事がない。だから『それ自体』を選択肢に入れて今まで生きてきたからちょっと違うけど。そいつさ、たぶん死ぬ事を受け入れているんだと思うよ。捨て鉢になっているわけでも進んで死にたがってるわけでもない……でも『いつ死んでもいい』。そんな風に考えてるんじゃないかって私は思うよ」

 彼女の言葉に思わず納得した。してしまった。

 私は彼の過去を知らない。
 詮索するつもりもなかったから聞こうとも思わなかった。

 その過去に今の『異常性』の原因があると言うのならば。
 あれほどまでに巧妙に本心をひた隠しにして生きている事に納得が出来る。

 だがそれは一体どんな過去だと言うのだろう?
 妹紅が私から彼の在り方の話を聞いただけで『とんでもなく辛い目に合った』と推測する過去とはどれほど辛い物だったというのか。

 聞こうとはとてもではないが思えない。
 手前勝手な好奇心で聞きだしていい事では断じてない。


「俺の顔になんか付いてます?」

 いつの間にか私は彼を凝視していたらしい。
 さりげなく見ていただけのつもりだったのだが。

「目と鼻と口が付いているな」
「……眉毛が抜けてますね」

 苦し紛れにどうでもいい事を言うと揚げ足を取られてしまった。
 思わず笑ってしまう。
 彼の方もしてやったりと子供じみた笑みを浮かべる。
 先ほどの郷愁を引きずった歪な笑みだった。

 その笑みが私に一つの選択を決意させた。
 子供たちには感謝しなければいけないだろう。
 面白半分とは言え『選択肢』を作ってくれたのだから。

「福太郎。先に断っておいてなんなんだが先ほどの手伝いの件、頼まれてくれないか?」
「へっ? ええ、こっちから言い出した事ですから別に構いませんけど。どうしたんです?」

 彼が『帰りたい』と強く思っているのはわかっている。
 それを止めようなどとは思わないし、私に出来る事があるならば全力で手助けしよう。

 だがそれはそれとして。
 『向こうの事』を忘れろなどとは言わないから。
 せめてここにいる間は『ここでの生活』を楽しんでほしいと願うのは私の我儘なのだろうか?

「ふふ。なに、心境の変化と言うヤツさ。一週間に二、三回で構わないから子供たちに絵の描き方を教えてやってくれ」
「はぁ……ようわかりませんけど。とりあえず今後ともよろしくお願いします?」
「なんで疑問系なのかが気になるが。これからもよろしくな、福太郎」



 人里の守護者は絵描きと出会い、その人としての在り方の歪さに気が付いた。
 今まで出会ったどんな人間とも違う彼の存在は人間を愛する彼女からすればとても危うく見える。
 故に彼女はいつか彼が帰るその日まで、ここでの日々を楽しんでほしいと願うようになった。
 それが善意の押し売りと思われかねない事は勿論、理解している。
 それでも何かしてやりたいと思わせる何かを彼に感じていた。

 絵描きは守護者のその気遣いを理解していた。
 理解していたが故に心の片隅で嘆いてもいた。
 『なぜ自分などを気に掛けるのか』と、『なぜいなくなる自分に良くしてくれるのか』と。
 失くす事に怯え、捨てる事を選んでいた彼にとって彼女の気遣いは圧力にも成り得た。
 だがそれでも彼は彼女の申し出を受け入れる。
 自分の為にとしてくれた事を無碍には出来ないから。

 彼女の想いとこのやり方が彼にとって荒療治となるのか、はたまた彼の心にさらに深い傷を作る事になるのか。
 それはまだ誰にもわからない。

 これは迷い込んでしまった絵描きと人里の守護者の物語。


あとがき
守護者がお節介焼きになったようです(挨拶)。

作者の白光(しろひかり)でございます。
『慧音さんの回顧録』&『福太郎、再び教鞭を取る(導入部?)』のお話になりましたがいかがだったでしょうか?

アリスに比べるとすんなり書けましたがキャラ崩壊してないか不安です。
そしてなにより妹紅の言葉遣いに自信がありません。
セリフが一箇所しかないにも関わらず、悩みました。
セリフ回しのみならず、ご意見ご感想ありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。

さて次回ですが一番最初に感想を書いていただけた方のキャラリクエストにお応えしようかなと思います(無謀)。
とはいえキャラによっては既に作者の中で話のタイミングが決まっているのでここで前もって除外させていただきます。

具体的には下記になります。
紅魔館組み(既に話のタイミングが決まっています)、亡霊姫(半人半霊を出してからのつもりなので)、八雲一家の式神(既に話のタイミングが決まっています)、竹林のお姫様と薬師(これもまず下っ端(失礼)とのやり取りを先にしておきたい為)、閻魔様と死神(話の構想が浮かんでいません)、地霊殿姉妹(同じく話の構想が浮かんでいません)、緋想天の問題児(あの我儘具合をどう料理するか思案中)、聖蓮船組み(本編の詳細を作者が知らない為)。

すみません。
挙げてみたら結構な数のキャラがリクエストできない事に気が付きました。
でもこれ以外のキャラならどうにか……なったらいいなぁ。

試験的な試みというか限界への挑戦と言いますか。
ご協力していただければと思います。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと四季のフラワーマスター(一部修正)
Name: 白光◆20de84d4 ID:8294f3d6
Date: 2010/01/03 21:50
 寺子屋で授業をするようになったが彼の本職は絵を描く事である。
 人に教える事の面白さは元いた世界で知ったが、それでも気軽に出来る方が彼としては性に合っていると考えている。

 だからと言って授業に手を抜くという事はない。
 ないのだが店で描いている時の方が、そして自分の好奇心の赴くままに絵を描いている時の方が活き活きとしている事も事実だ。
 慧音もその辺りは理解しており、だからこそ彼に授業を頼むのは週にニ、三回に留めている。


 彼はこの日、いつも通りに店を出していた。
 最近では文の発行した新聞効果も相まってかなり客の量が増えている。
 里の人間たちはいわずもがな、妖怪の山の天狗たち、悪戯好きな妖精たちなど新聞や人伝で広まった彼の評判を聞きつけてやってくるのでそれなりに繁盛しているのだ。

 ここ数日、引っ切り無しに依頼が来ていたのでこうやってゆったりと仕事を待つ状態になるのは久しぶりの事になる。
 だから彼は久方ぶりのゆったりとしたこの空気に浸るようにパイプ椅子の背もたれによりかかるようにしてぼんやりしていた。

「あ~~、なんや久しぶりやな。こういうの」

 鉛筆を指でクルクル回しながら、覚えている風景を紙に描いていく。
 別にこれは仕事ではない。
 つい最近、香霖堂で補充したので紙や鉛筆に余裕があり、しかも今は客もいないのでただ気持ちの赴くままに描いているだけだ。
 要するにただの暇潰しである。

「ん~~……」

 さらさらと筆を動かしながら彼はぼんやりと考え事に耽る。

 幻想郷に流れ着いてからこれまでそれなりに色々な所の絵を描いてきた。
 妖怪の山ではとても綺麗な秋景色を描き、魔法の森ではおどろおどろしくも神秘的な景色を描いた。
 人里の風景ももう一通り描いてしまったような気がする。

 こうなってくると新しい風景を描こうとするなら『遠出』する必要がある。
 幻想郷は狭いようで広い。
 空を飛べればまた話は変わってくるが、あいにく福太郎に翼や霊力などという物はない。
 その割には妖怪たちと一緒に住んでいたり、神に右手首を切断されたり、取り憑かれたりと稀有な経験をしているがそれはそれである。

 人里を拠点に歩きで動くのであればせいぜい魔法の森近辺、良くても博麗神社までが精一杯(泊まる事前提)なのが現状。
 もっとも普通の人間でそんなところまで外出する者自体が滅多にいないのだが。

「そうなるとなぁ。どっか遠出する時に使わしてもらえそうなトコがあればええんやけどなぁ」

 雨風が凌げる、一夜を越せるような場所がなければそれ以上の距離を人の足で出歩くのは不可能。
 好奇心に突き動かされて行き当たりばったりな事をして、『遭難して生きて帰れませんでした』という事には彼とて出来ればなりたくなかった。
 前のように文を捕まえられれば日帰りも可能だろうが、彼女とは自分の特集を組んだ新聞を届けられて以来、会えていない。

「まぁそう上手くはいかんよなぁ」

 深く思考の海に浸かりながら、その手は止まらず動き続けている。
 ぼんやりと虚空を見つめながら、思い浮かぶ景色をスケッチするその姿は周囲の人間から見ると少し不気味だ。
 その表情が百面相しているのを見て、お隣の出店の人など顔を引き攣らせている。

 そんな彼に目を止める女性が一人。

「あら? ……へぇ、あれが噂の人間か」

 人里では見かけない白い日傘を差した洋装の女性。
 緑色の短髪を風に揺らせながら歩く彼女は福太郎の姿を見てニヤリと笑っていた。

 通りすがりの人間たちは彼女の正体に気がつき、真っ青な顔をして立ち去っていく。
 店を構えている人間も(福太郎以外は)緊張した様子で彼女の動向を見守っていた。

「お兄さん、ちょっといいかしら?」
「へっ……?」

 ニコリと『何も知らない人間』が見れば見惚れるような綺麗な笑みを浮かべる女性。
 福太郎は声をかけられた事で思考の海から抜け出し、ここにきて初めて彼女の存在に気がついたらしい。
 周囲の恐々とした空気にはまったく気付いていない。

「ああ、こらどうもすみません。ちょっと考え事しとりまして。いやいや申し訳ない。とりあえず椅子をどうぞ」
「あら、ありがとう」

 お客用に出してある背もたれ付きの椅子を座りやすいように差し出す。
 女性は日傘を閉じると礼を言って椅子に腰掛けた。

「えっと、それで何の絵を描きましょうか?」
「ふふふ……絵よりも貴方に興味があるのよ、田村福太郎」

 名前を呼ばれ、福太郎は「あ~~」とため息交じりに持っていた鉛筆をイーゼルに立てかける。

「貴方も文の誇張された新聞見て来られた口ですか?」
「そうよ。……それにしても絵を描いている時とは別人みたいね。新聞の写真と雰囲気が全然違うわ」

 感心するように言いながら、彼女は件の写真を思い出す。
 全てを見通すという人間には決してできない境地に挑むような鋭い視線。
 その瞳に反して口元は見ている風景を『かけがえのない物』を見るように、そして何より『風景を描く事』自体を楽しむように綻んでいた。
 そんな複雑な表情を浮かべる人間と目の前の人間が同一人物だと言う事実に女性は違和感を覚えていた。

「よう言われますね。酷い時は二重人格とか言われますわ。あんまり実感沸かないんですけどねぇ」
「ただ単純な人格をしているよりは良いと思うわよ? ただ見ただけで読み取れてしまうような浅い人間ではつまらないもの」

 品定めでもするかのような彼女の視線に苦笑いを返しながら福太郎は思い出したように手を叩いた。

「そういえばまだお名前を聞いてませんでしたわ。良ければ教えてもらえます?」
「あら、そうだったわね。ふふふ……」

 口元を手で抑えてたおやかに微笑む女性に首を傾げる福太郎。

「なんで笑ってるんです? なんか俺、面白いですかね?」
「半分は正解かしらね。貴方、普通の人間とは明らかに違うから見ていて面白いもの。もう半分は人間相手にこんな平和的に名乗るとは思わなかったからつい、ね」

 そう言うと彼女はそれまでの雰囲気を一変させた。
 ビシリと空間が歪むような『殺気』が彼女から発散される。

 通りかかった不幸な者も、店を出していた者もその悉くが悲鳴を上げて逃げるか腰を抜かして座り込んでしまう。
 福太郎自身、全身から冷や汗を噴出させて息苦しさに顔を歪めていた。

「私の名は『風見幽香(かざみ・ゆうか)』。幻想郷最強の妖怪。あとはそうね、『四季のフラワーマスター』なんて呼ばれる事もあるわね」
「ご、ご丁寧にどうも。田村福太郎、言います。よろしゅうに」

 幽香から差し出された右手を福太郎はどもりながらも握り締める。
 その行動に、『何の躊躇いもなく手を握った事』に彼女は目を瞬かせて驚いた。

「貴方、本当に面白いわね。私が怖くないの?」
「いやぁ勿論、怖いですよ。正直、いつ右手を握り潰されやしないか冷や冷やもんですし」

 そんな事を言っているが彼の手は未だ彼女の手を握ったままだ。
 その手からは必要以上の緊張は感じ取れても必要以上の恐れや怯えは感じ取れない。

「ふぅん。ご所望なら握り潰してあげてもいいのよ?」

 ニヤリと笑う幽香の表情は残酷であると共にひどく妖艶な物だったが。
 勿論、福太郎には商売道具とも言える手を犠牲にするつもりはなく。

「遠慮しておきます。絵を描くにはどうしてもこの両手が必要なんで」

 失礼にならないようやんわりと幽香の手を離した。
 彼女としてもそこまで本気であった訳でもなく、されるがままだ。

「……ただの人間の癖に。圧倒的強者である妖怪に対して真っ向から意見するなんてねぇ。貴方、相当の命知らずよ」

 殺気の圧力がさらに増す。
 それに比例して福太郎の冷や汗の量も増加するが、それでも周りで倒れている人間のように気絶や失神はしなかった。
 『死』という結果がすぐ傍にあるというのに彼は、幽香と向き合い続ける。
 一分か、それとも十分か、あるいは数秒だったかもしれないその睨み合い(というにはあまりにも力の差があるが)は始まりと同様、唐突に終わりを告げた。

「……そう、そういう事」

 彼女の呟きは何かに納得した事を示唆していたが福太郎には深い意味まではわからない。

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……な、何を納得されたんです?」

 息は絶え絶え、顔色も真っ青の状態でありながら会話する事をやめない。
 そんな福太郎を見て、彼女はさらに笑みを深くした。

「ふふふ、貴方が面白いって事よ。生きながら壊れている『人間』に会うのは初めてだわ」
「ッ!? ……わかるんですか?」

 自分の本質に触れるその言葉に彼は驚いて思わず聞き返していた。
 まさか初対面で、しかもほんの少しの会話で見抜かれるとは思わなかったのだ。
 
「私の殺気を受けて無事でいられる『普通の人間』なんていないのよ、田村福太郎。最強の妖怪なんて名乗っているのは伊達でも吹聴でもなんでもない」

 謳うように語り掛けてくる幽香の言葉を彼は黙って聞く。

「そんな私が、遊びであってもそれなりに本気で殺意を向けた。あの博麗の巫女や黒白みたいなヤツは例外として『人間』なら発狂してもおかしくない」
「いやいやいやそんなもんを面白半分で向けんでくださいよ、死にますから」

 聞き捨てならないセリフに思わず突っ込むが、幽香はまったく取り合わない。
 むしろ「今、いいところだから邪魔するな」とでも言うように目を細めて睨まれる始末である。

「なのに貴方は発狂するどころか意識を失う事もなく、今もこうして私と向き合っている。肉体的な強さなんて私から見れば無いに等しいのにその精神は恐ろしく頑強。実に矛盾している話だと思わない? それこそ『壊れている』と表現できるほどに」

 酷薄な笑みと共に福太郎を見つめる彼女の姿は実に愉しげだ。
 まるで子供が面白そうな玩具を見つけた時のようだと福太郎には思えたが。

「しかも貴方はそれを理解しているように見えるわね」
「……そんな風に見えますか?」
「ええ、私にはそう見えるわ。……人間らしくしているのに、どこかで人から踏み外しているようにね。それでも『人間』でいられるっていうのは素直に凄い事だとすら思えるわ。とっくに『人である事』を止めていてもおかしくないもの」

 人間が人間である事を止める事は言うよりは簡単だ。
 ただ『自分が人ではない』と思えば良いのだから。
 意識化で人でなくなれば、いずれ外見も、そしてその心の隅々までも『人間』ではなくなる。
 ただそうやって妖怪になるほど生きていけるモノが少ないだけだ。

 畏怖や敬意、恐怖を糧とする妖怪に堕ちる元人間。
 幽香の所感では彼は人間ではあるが、『そちら側』に近いように思えた。

「人間とは思えないのだけれど、人間以外の何者でもない。貴方は本当に面白いわ」
「はぁ、さいですか。褒められた事を喜べばいいのか、興味を持たれた事を嘆けばいいのか複雑ですねぇ」
「あら、こんな美人に見初められたのだから素直に喜んだらどう?」
「手頃な玩具みたいな言い方されたら幾ら美人でも喜べませんよ」

 ただの軽口の応酬であるにも関わらず、周囲の気温が下がっていくような感覚が福太郎の背筋をくすぐる。
 女性の笑顔に、これほどの寒気を感じた事は彼にはなかった。
 似たような経験はあるが。

「……どうやら愉しい一時も終わりみたいね」
「はぁっ?」

 唐突に椅子から立ち上がった幽香に間の抜けた声を上げる福太郎。
 彼女は実に残念そうにため息を漏らすと、日傘片手に彼に背を向けた。

「無粋な連中が来るみたいだから今日はこれで失礼するわ」
「え? あ、いや別に俺は構いませんけど……」

 キョトンと目を丸くしているだろう福太郎の顔を想像して彼女はそっと微笑む。

「ああ、そうだ。今度、私自慢の花畑の絵を描いてくれないかしら?」
「へ? 花畑ですか……?」
「そ。貴方により一層、興味が沸いたから貴方の描く絵も見てみたくなったのだけど。……お嫌かしら?」

 訊ねる形を取ってはいるが殺気が膨れ上がっている辺り、ほとんど首を縦に振る事を強制しているような物である。
 とはいえ福太郎としてもまだ知らない景色の絵が描けるならば是非もなかった。
 脅し半分は勘弁してほしいのが本音でもあるが。

「いえいえ嫌だなんてとんでもない。幻想郷(ここ)でまだ描いてない景色が見れるって言うんやったら謹んでお受けしますよ、お客様」
「ふふふ! 畏まった言い方はあまり似合わないわね、貴方。それじゃ約束よ」
「はい、それじゃまた。風見さん」
「幽香でいいわ。楽しみにしてなさいね、『福太郎』」

 そして彼女は人里の機能を著しく麻痺させて去っていった。

 この数分後。
 慧音とたまたま里に来ていた霊夢が駆けつけ福太郎を問いただす一幕があるのだが、既に意識を別のところに向けている幽香には関係の無い話である。


 面白い。
 私の思考はソレ一色に染まっていた。
 新聞で見た時はそんな人間もいるのかという程度の認識だった。
 人里に出たのも別に彼に会う為ではなく、半年に一度あるかないかの気まぐれに過ぎない。

 たまたま会わなければ適当に人里を回ってさっさと帰っていただろう。
 あの日、あの時に出会えた事は私にとって幸運だった。

「田村福太郎。ふふふ……」

 人間でありながら感覚の壊れた存在。
 ともすれば悟りを開いた仙人のようにすら見えるあの達観した目。
 死を拒むのではなく受け入れるという彼の姿勢は、私の目にはひどく強く見えた。
 同時にひどく残念にも思う。

 もしも彼が博麗の巫女のように私と戦えるだけの力を持っていたなら。
 心の底から燃えるような戦いが出来ただろうに。

「いえ……弱いからあれだけ強い心を持てたのかしらね?」

 ああ、まったく。
 人間という種族はこれだから嫌いだ。
 妖怪のように力が強ければ自ずと精神も強くなるわけではないのだから。

 ただただ力が強いだけの人間は時が経てば勝手に自滅する。
 心が強くともそれを示すだけの力のない人間は、自分に課した不相応な理想に溺れて消える。

 福太郎は分類するならば後者だが、正確には当てはまらないだろう。
 彼には『理想』と言う物がないのだから。
 何がどうなって今の彼が出来上がったのかは知らないが、福太郎はその時その時の一瞬を大切に生きようとしているように見える。

 それは長く生きれば生きるほど忘れられていく事であり、百年に及ぶか及ばないか程度にしか生きられない人間はまず意識しない事でもある。

 それを意識して、あるいは無意識に理解しているという時点で彼は普通から逸脱していると言ってもいい。

「くだらない事で死なせるには勿体無いわね」

 期待外れだったら鴉天狗への当て付けに食べてやっても良かったのだけど。

 直接、話してみて気が変わった。
 『あいつ』が、福太郎がどんな生き方をしてどう死んでいくのか……すごく興味がある。

「もし私の期待を裏切るような真似をしたら……その時こそ食べてしまおうかしらね」

 人間の一生は短い。
 私のような長寿で力の強い妖怪が見れば、それこそ数十年などあっという間に過ぎていくから。

「貴方の残り何十年とない一生は、私に何を見せてくれるのかしら?」

 とりあえずはあいつを招待する日に向けて花畑を整えないと。
 最高の状態にしたあの子達を描かせてやるんだから。

 久しく忘れていた心の底からの高揚感に自然と口元が吊り上がるのを自覚しながら私は我が家へ帰っていった。



 二日後。
 私は人里へ訪れた。
 勿論、あいつに約束を果たさせる為だ。

 気合を入れて花畑を手入れしていたらいつの間にか丸一日経っていたのは自分としても不覚だったけれど。
 そのお蔭で私が望む限り、最高の状態にする事もできた。
 福太郎にとってもさぞ描き甲斐のある物になっただろう。
 どんな絵が出来るか今からとても愉しみだわ。

 明確な日付を指定したわけではなかったけれど、まぁ約束はしたわけだし彼も否とは言わないだろう。
 嫌だと言っても連れて行くけれど、ね。
 むしろ拒否された方が面白い事になりそう。

 いつになく気分が浮ついている事を自覚する。
 まだ一回しか会っていないというのに、あいつはこんなにも私をざわめかせてくれる。
 これで私を失望させたら思いつく限り苛め抜いて、殺してやるわ。

 私は高揚としてきた気分のまま、笑みを浮かべて人里に向かった。


 福太郎は予想通り、大通りで店を開いていた。
 二日前と何も変わらないのんびりとした顔で客を待っている。
 これはちょうど良い時に来たかしらね?

 私は不測の事態が何も起こらない事を残念に思いながら福太郎に声をかける。

「こんにちは、福太郎」
「お、幽香さん。こんにちは」

 殺気を向けた相手によくもこんな無防備な顔が出来るものだ。

「約束、果たしてもらいに来たわ」
「まいど。こっちは準備出来てますよっと」

 彼は使っていた道具を手早く折りたたみ、置いていた袋に入れて立ち上がる。

「あら、準備がいいわね?」
「幽香さんがいつ来てもいいようにと思いまして。依頼も最小限にして被らないよう気ぃ使ったりしてたんですよ」
「それは殊勝な事ね。まぁ他に依頼があっても先約の私を優先させたけど」
「せやねぇ。……ゴリ押しとか平気でしそうやもんなぁ」

 小さく呟いたつもりだろうが最後の言葉も聞こえてるわよ?
 後ろに回りこんでそっと首筋をくすぐってやる。
 ついでに耳に息を吹き込むように囁く。

「あら、どういう意味かしら?」
「うおっ!? な、ななななんでもありませんがッ!?」

 慌てて振り返り、私が触った首筋を押さえながら距離を取る福太郎。
 挙動不審過ぎるわよ。
 隠し事をしてるのがバレバレじゃない。

「ふぅ、いいわ。女性に不義を働いた分は謝罪じゃなくて結果で返してちょうだい」
「あ~、満足出来る絵を描けと言う事ですかね?」
「わかってるじゃない。期待には応える物よ?」
「了解了解、かしこまり~~」

 そういえば人間と、それも男と二人きりで歩くなんて初めての経験ね。
 ……なんだろう、女としてひどく虚しい気分になったわ。

「さてさっさと行きましょうか。それなりに距離もあるから飛んでいくわよ」
「そう言われても俺、空なんて飛べませんけど?」

 言われなくてもわかってるわよ、そんな事。

「こっちに来る時に便利な運送屋を見つけといたから貴方はそいつに運ばせるわ」
「運送屋ぁ?……誰ですのん、それ?」
「うう、私よぉ。福太郎……」

 あら、人里の外で待たせといたのに来ちゃったの?
 もう少し答えを焦らしたかったのに、空気の読めない天狗ね。

「うぉ!? 文やんけッ!? ど、どないしたん、えっらいボロボロやけど……」
「いきなり弾幕勝負を仕掛けられてやられちゃったのよぉ。オマケに見返り無しでアンタを運搬しろって言われてさぁ」
「うわぁ……なんというかアレやね。ご愁傷様」

 失礼ね。
 それじゃ私がムリヤリ彼女に言う事を聞かせたみたいじゃない。
 ちゃんと合意の上よ?
 敗者を良い様に使うのは勝者の特権なのだから。

「鴉天狗の愚痴なんてどうでもいいわ。さっさと行くわよ?」
「わかりましたよぉ。ほら、福太郎。前みたいに運ぶから荷物はしっかり持っててよ」
「ああ、わかったわ。でもほんま、大丈夫なん?」
「な、なんとかするわ」
「途中で福太郎を落としたらその役に立たない羽、一本残らず毟り取ってやるわ」
「だ、だだだ、大丈夫ですよッ!?」

 どうだかね。

「いくわよ」
「はいはい~」
「うう、はい~~」

 まったく返事くらい元気良く出来ないのかしらね?
 そして私たちは人里から離れていった。

 幻想郷最速を名乗るのは伊達ではないらしく、鴉天狗は私の速度にしっかり付いてきた。
 おまけにしっかり福太郎を掴まえて、私が確認した限りでは落とす素振りもなければ危なげもない。

 それはそれでつまらないわね。
 弾幕でも撃ち込んでやろうかしら?

「今、ものっすごい不吉な事考えませんでした?」
「あら、わかる?」
「いやそこは『別に』とか『何が?』とか言って誤魔化すとこでしょ、普通。ちなみにすっごく黒い笑み浮かべてたんで気付けました」
「そんなに顔に出やすいかしら?」
「ええ、そらもうはっきりと」

 ほんと、ズケズケと物を言うわね。
 その気になればその首を刎ねるのなんて一瞬だって言うのに。
 あらあら、鴉天狗の方がひどい顔してるわ。
 顔中、冷や汗だらけじゃない。

「福太郎、あの人に普通なんて求めちゃダメよ。この幻想郷で妖怪最強なんて本気で自称するくらい頭のネジ外れてるんだから」
「えっ!? それマジで? 最強なんて自分から名乗るなんてすごいなぁ」

 ふふ、それほどでもないわよ。
 純粋に感心されるとこちらとしても気分が良くなるわ。
 お世辞でもなんでもないから、福太郎の反応はひどく心地良く感じられるわね。

 というか鴉天狗、普通に聞こえてるわよ?

「貴方たち、言っておくけど筒抜けよ?」
「ぴぃっ!?」

 あらあら、雛鳥みたいな可愛らしい悲鳴ねぇ。
 その可愛らしさに免じて後でまた弾幕の雨をくれてやるわ。

 私が何を考えてるのかがわかったのだろう。
 鴉天狗の顔が真っ青から土気色になった。
 だけどその程度で許してやるつもりはないわよ?

「別に楽しく話すのは構わないけど、遅れたら撃ち込むわよ?」
「「やめてくださいっ!!」」

 あら、息ピッタリじゃない。

「そんなに慌てなくても今のは冗談よ?」
「いや冗談に聞こえませんでしたけど?」

 へぇ、そんな事言うの?

「じゃあリクエストにお答えしようかしら?」

 日傘の先端を二人に向けて妖力を集中させる。

「ちょっ!? 福太郎の馬鹿ッ!! いちいち突っ込まないでよ!!!」
「ええっ、俺のせいなんッ!? ちょっと何されんの、俺ら!?」

 慌て過ぎよ。
 別に撃ちはしないのに。
 でも面白いわね、この二人。
 鴉天狗が他人に対して胡散臭い敬語を使わない所なんて私、初めて見るんだけど。

 今のこいつらを見ていると福太郎の異常さがよくわかる。

 どちらも気軽で、どうしようもないくらい自然。
 人と妖怪という垣根をまったく感じさせないほどに。

 それは世界の常識と言う名の縛りから見ればとても歪だ。
 でも、『だからこそ』面白いと感じる。
 たぶん『紫』や『吸血鬼の小娘』、『新参の山の神』なんかも同じように感じるんじゃないかしらね?

 そんな風にくだらない世間話をしながら私たちは目的地を目指していった。


 鴉天狗は福太郎を運び終わると逃げるように去っていった。
 夕方には迎えに来るように言ってあるから問題はない。

 来なかったら苛めるだけだからアレが約束を破った所で私には何のデメリットもない。
 その辺りは理解しているだろうし、わざわざ波風を立てようとも思わないだろうから時間になったら姿を現すだろう。

「さぁ、ここが私自慢の花畑よ」

 両手を広げ、私の花たちを示す。
 広大な敷地を色鮮やかに染める季節の花々。
 秋を彩る子達の存在を存分に福太郎に見せ付けてやる。

「すごっ!? っていうかきっちり区画分けされてて、めっちゃ綺麗やッ!?」

 「お~~」とか「は~~」とか声を漏らしながら忙しなく周囲を見回す福太郎。
 キラキラと目を輝かせるその姿はまるで子供のようだ。

「花にはそれぞれ咲き方という物があるからね。季節が違うだとか、咲く時間が違うとかね」
「ああ、なるほど。やからこの辺はまだ咲いてないんやね。でも蕾はあるなぁ? もしかして『夕顔』とか『夜顔』?」
「あら、夜顔を知ってるの? なかなか博識じゃない。でも夕顔が出てくるのは減点ね。あれは夏に咲く花。ちなみにそこは夜顔よ」
「へぇ~~。お、こっちは『芙蓉』に、『見せばや』に……『千日紅』かなぁ?」

 しゃがんで花の名を言い当てながらそっと優しく花びらに触れる。

 驚いた。
 ここまで花の事を知っているのもそうだけど、触れる手付きに危なげがない。

「貴方、どうしてそんなに花の名前を知ってるわけ?」
「絵を描く題材を捜してるとふっと気になる事って出てくるんですよ。花の名前なんかは特に。綺麗やと思って描いたのに名前も知らんかったらなんや申し訳ないじゃないですか?」

 優しく、壊れ物を扱うようにそっと花を撫でながらこいつは笑う。

「やから絵を描いたり、そこまでしなくても興味持ったもんについてはある程度、調べるんですよ。そんな事、続けてたらなんや詳しくなってもうたんです」

 立ち上がり、花畑をぐるりと見回す。
 優しげな瞳がまた好奇心に満ちた子供のような色に染まっていくのがわかった。

「ん~~、ええなぁ。こんだけ綺麗やと描き甲斐あるわ」

 深呼吸をすると、彼は自分の荷物から組み立て式の木台と椅子を取り出した。

「あら、もう始めるの? まだ見せてない場所もあるのだけど」
「すみません。できればここ描いときたいんですわ」

 そう言って福太郎は自分の両手の親指、人差し指を使って四角を作りそこから覗き込むようにして花畑を見る。

「……うん、ええ感じやなぁ」
「まぁいいわ。でも他のところも見てもらうわよ? 途中で逃げれるなんて思わない事ね」
「ははは、胆に銘じときますわ」

 その言葉を最後に福太郎は黙って描く事に集中し始めた。

 手持ち無沙汰になった私は日傘を意味もなく回しながら、こいつの横顔を見る。
 さっきまでの子供っぽさがなくなり、そこにあるのはただ真剣な瞳。
 目の前の光景をあるがままに残そうとする『向かい合う』という決意。

 ああ。
 本当に惜しい。
 もしも福太郎が戦える人間で、その瞳を私に向けてくれたら。
 言葉では言い表せない高揚感を感じる事が出来ただろうに。
 ままならないにも程がある。

「貴方は弱いのよねぇ」
「はい? いや俺には弾幕とか出せませんし素手で岩盤ぶち抜いたりとかも出来ませんが?」

 私の呟きに律儀に答える福太郎。
 下書きに使っていた鉛筆(なのだろう。新聞に書いてあった)を置いて、今度は筆とパレット(これも新聞に書いてあった)を手に取る。

「そうよねぇ。空も飛べないのだものね」
「空飛べるのが普通って言うのは驚きましたねぇ」
「私たち妖怪からすればそれが普通よ」
「はぁ……弾幕には興味ないですけど自力で空飛ぶのには興味がありますなぁ」

 「毎回、文に運んでもらうのも悪いし」などと言いながら、絵に色を付け始める。

 自衛手段にすら力を持とうとしない。
 それがこの幻想郷でいかに危険な事か。
 目の前の男がそれを理解できていないわけがない。
 攻撃しようとすれば怯えるし、殺気をぶつければ苦しみもする。
 だが何か人間が生きていく上で『大切な物』が壊れているせいで『死ぬ事に対する抵抗』が恐ろしく稀薄なのだ、こいつは。

 もしこの場で殺しても、こいつは私を恨まない。
 こいつにとって『死』とは恐ろしく身近な物なのだから。
 『いつ』、『どこで』、『どのような形』であれ、こいつは死ぬ事になればそれを受け入れるだろう。
 死ぬ最後の瞬間まで儚い抵抗はすると思うけど。

 冥界の楼閣にも足を運ばず、一息に三途の河に行き、何の躊躇いもなく河を渡って、そして閻魔に裁かれるんだろう。
 『死』という結果に関してこいつはどこまでも潔いのだ。

「あのぉ~~、なんでそんな不機嫌そうな顔で睨んでますの?」
「貴方がつまらないからよ」
「いや一般ピープルに最強の妖怪様を喜ばせるような事を求めないでくださいよ」

 苦笑しながら福太郎は筆を置く。
 ごそごそと持ってきた袋を漁ると中から出てきたのはおにぎりだった。

「幽香さんが来ても来なくても丸一日外にいる予定でしたから昼飯持参したんです。良かったらどうぞ」
「気が利くわね。いただくわ」

 気がつけばもう日が真上に昇っていた。

 振り注ぐ日差しと冬に向けて冷たくなってきた風を感じながら食事をする。
 会話はなかったが、この沈黙に気まずさや緊張はなくひどく心地よかった。

 おにぎりを一つ平らげると福太郎は描いていた絵を差し出してきた。

「まず一枚、出来ましたよ」

 満足げな表情で渡された絵を私は食い入るように見つめる。

 芙蓉の薄桃色、見せばやの濃い桃色、金木犀の橙色、玉簾の鮮明な白、菊芋の明るい黄色。
 色鮮やかなその光景の中に『私』がいた。
 決して前に出すぎずに夜顔のまだ開かぬ蕾に触れている。
 その顔は、人間などには決して見せた事のない柔らかな笑み。
 あの子達と過ごす時にだけ顔を出す『私』の姿。

「貴方って……強いのね」
「へっ? なにか言いましたか?」

 次の絵に取り掛かろうとしていた福太郎には私の呟きは聞き取れなかったらしい。
 まぁ聞かれていたら記憶が飛ぶまでぶん殴るけど。

 油断も隙もあったもんじゃない。
 誰にも見せた事のない私をこんなにもあっさりと見つけるなんて。
 それをこうも無防備に曝す事が出来るなんて。

「これが貴方じゃなかったら殺してるわね」
「……今、すっごい不吉なセリフが聞こえたような気がするんですが?」
「安心しなさい。ただの殺害予告だから」
「安心できる要素が微塵もありませんがッ!?」

 戦々恐々としながらそれでも鉛筆から手を離さない辺り、こいつも相当の筋金入りだ。
 たぶん死ぬ瞬間まで筆は離さない様な気がするわ。

「今日だけでどれくらい描くつもり?」
「とりあえず日が落ちるまでに描けるだけ。このペースやとあとニ、三枚ですかね?」

 鼻歌交じりにサラサラと鉛筆を動かす。
 覗き込んで見ると松葉牡丹、秋桜、女郎花が描かれていた。

「いやぁしかしフラワーマスターって呼ばれてるだけあってすごいですねぇ。こんだけ色んな花が一箇所に集まってるやなんて。植物園も真っ青ですわ」

 木を描き、枝に描かれてるのは十月桜だ。

「ふん。そう呼ばれるのは伊達じゃないわ」
「俺としても大満足ですね。こんだけの花を一辺に描いた事はないんで」

 楽しそうに、嬉しそうに、そして『今、生きているこの瞬間を愛おしく思いながら』笑う福太郎。
 それはまるで死期を悟った老人のように私には見えた。

「福太郎。貴方、いつまで生きていたい?」

 思わず口走った言葉に深い意味はなかった。
 だがこいつはそう受け取らなかったらしい。
 絵を描く時と同じくらい真剣な瞳で私を見つめながら、口元を緩ませてこう答えた。

「死ぬその瞬間まで。いつ死んでもええように生きていたいです」

 ああ、まったく。
 なんて人間だ、この男は。
 なんて男だ、田村福太郎というヤツは。

 私が、風見幽香が『殺したくない』と思う人間が存在するだなんて。
 人間を嫌う妖怪である私が『関わりたい』と思う人間が存在するだなんて。

 紫と殺し合う為に相対した時とは別種の興奮。
 静かで、じわりじわりと私の心を蹂躙する熱。

「……福太郎」
「はい?」

 振り返る福太郎を無視する形で私は立ち上がり、目の前に広がる花畑の中に足を踏み入れる。
 勿論、花を傷つけるような事はしない。

「四季って言うのは巡っていくわ。今、咲いてるこの子達もいずれ枯れて、別な花が咲き始める」
「ですねぇ。四季折々、色んな景色が見れそうで今からとっても楽しみですよ」
「あら、それは好都合ね」
「へっ?」

 私は振り返り、彼を見つめながら告げる。

「先に仕事の予約をさせてもらうわ。これから季節の変わり目毎にこの花畑の絵を描いてほしいの。……返答は?」

 口元が自然に緩む。
 いつもやっている威圧的な笑顔が浮かべられない。
 私が課した『強い妖怪』としての自分が維持できない。

「……俺が生きている間やったら、喜んで描かせていただきますよ」
「ふふふ、これからもよろしく。福太郎」
「ええ、こちらこそよろしゅう。幽香さん」

 心地よい風と共に揺れる花々の歓喜の声を受けながら、私はこの『壊れた人間』と友人になった。



 最強の妖怪は絵描きが『壊れている』事を知った。
 壊れているから恐れられる存在である自分に対してすら、対等であろうとすることを知った。
 それは最強を自称する自分からすれば屈辱でもあった。
 殺す事は簡単だった。
 何も出来ないただの人間だったから。
 だが彼女は興味本位から会話する事を選び、そして自分が絵描きに『負けた事』を自覚した。
 何者にも恐れられる存在である自分が、壊れているとはいえ人間を友人と認識してしまったのだから。

 絵描きは彼女の『誰にも負けない』という意志に惹かれていた。
 最強を自負し、誰にも負けないという彼女の自信が彼にはとても眩しく、尊く感じた。
 失ったモノの仇が討てる程の強さを持っている事を羨ましいと感じていた。
 そして彼女との会話は『あの世界』での友との会話を思い出させてくれて。
 彼にとってはひどく楽しい物だった。

 いずれこの世界を去る自分が、友の言葉を信じるならば『半年後に死ぬだろう』自分が彼女と約束をする事を躊躇わなかったわけではない。
 だがそれでも、見たいと思ったのだ。
 花畑の冬の景色を、春の景色を、夏の景色を。
 きっと彼女の事だ。
 自分の知らない最高の光景を見せてくれるだろうと。
 そんな好奇心に満ちた衝動に突き動かされてしまった。
 後悔はある。
 約束を守れるかどうかわからないから。
 でも出来るならば守りたいと思う。

 それが自分に心からの笑顔を見せてくれた彼女へ彼が出来る最大の誠意だから。

 これは迷い込んでしまった絵描きと四季のフラワーマスターの物語

あとがき
最強の妖怪が友達を作ったようです(挨拶)。

作者の白光(しろひかり)でございます。
リクエスト作品にお答えし『最強の妖怪』とのお話になりましたがいかがだったでしょうか?
難産というよりは単純に仕事が忙しく投稿が遅れた事をお詫びいたします。

さて今回のお話ですが幽香といえば『ドS』という事で言葉の端々や思考回路をそれっぽくしてみました。
自分としてはあまり違和感はないと思うのですがどうでしょうか?
ついでに文が不幸な目に遭わせてみました。
使い勝手が良かったのでついやってしまいましたが反省はしていません。

ご意見ご感想などありましたらお気軽に感想掲示板にお書きください。

さて次回ですが……決まってなかったりします。
慧音編で挙げたリクエスト対象外のキャラになるとは思うのですが、誰から手をつけようか悩んでいます。
お嬢様か、酔いどれ幼女か、月の兎か、昆虫少女か、夜雀か。
とりあえず例として挙げてみましたが何かリクエストがあれば書いていただけると嬉しいです。
とはいえ次の話に反映できるかはわかりませんので予めご了承ください。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう

12/19 文章を若干、修正。



[11417] とある絵描きと永遠に紅い幼き月
Name: 白光◆20de84d4 ID:8294f3d6
Date: 2010/01/03 21:49
 やや曇り気味の天気。
 今日も今日とて福太郎は大通りの出店でのんびりと客を待っていた。

 幽香との出会いと、彼女の花畑から無事に帰ってきたという事実のお蔭で(もちろん鴉天狗印の新聞として発行されている)人外の興味をますます引くようになったのだが本人には危機感はおろかその自覚もない。

 竹で作られた水筒に入れた水で喉を潤しながら、特に意味もなく指で鉛筆を回す。

 元の世界に帰るという目標については今の所、進展はない。
 霊夢も色々と調べてくれているようではあるがコレといって有益な情報はまだ出ていないと言っていた。

「あんまり根を詰めすぎんといてな。俺はまぁなんとか生きてられるし」
「どの口がそんな事言いますか。危なっかし過ぎて話を聞くだけで眩暈がしますよ」

 気遣ったら思い切り睨まれたが。

 幽香との一件が新聞で発行されて以来、慧音や霊夢、阿求と言ったメンバーは以前にも増して彼を注意する頻度が増えていた。
 アリスは人形劇用の背景(いやゆる書き割り)を見せた時に当たり前のように呆れられ、
 ルーミアにはポカポカ叩かれて怒られた。
 そしてそれぞれ特色に溢れた説教や忠告の後、必ずこう言うのだ。
 『ほいほい妖怪に付いて行くな』と。


 彼が聞いたのは後の事ではあるが幽香は妖怪として破格の危険度を誇るらしく人間を殺す事など虫を踏んづけた程度にしか考えていないらしい。
 福太郎とて馬鹿ではないので彼女との会話の端々からある程度、その事を把握してはいたが。
 とはいえ彼女の危険性がわかっていようが彼が気安い態度で彼女に接するのは変わらない。
 その事を知っている霊夢らは今回、福太郎が生きて帰ってきたのは相手の戯れに過ぎないと彼ののんびりとした頭に刻み込むように何度も教え込んだ。
 そういう妖怪がこの世界では非常に多いから気をつけろと。

 一重に彼を心配しての行動なのだが、本人的にはやはり危機感は薄い。
 無意識に、あるいは意識的に『死』ととても身近にある事を躊躇わない彼を『危険』というだけで止める事は出来ないのだから。


 そして今日も。

「なるほど。あの人間がそうなのね、咲夜?」
「はい。人里の絵描き『田村福太郎』様です」

 凶悪なお客様が彼の元を訪れる。


「こんにちは、田村様」
「へっ?」

 じっと大通りの人の波を眺めていた福太郎は聞き覚えのある声に間の抜けた声を出しながら振り返る。
 自分から一メートルも離れていない場所。
 確実に自分の視界に入っているはずのその場所に、彼女はまるで最初からその場にいたかのように直立していた。

「咲夜さん? こらどうもお久し振りです」
「はい、その節は私などの為にお仕事中の貴重なお時間を頂き、ありがとうございます」
「ははは、でもあん時は俺も絵、褒められて嬉しかったですから。こっちの方こそありがとうございます、ですわ」

 スカートの裾を軽く持ち上げて会釈する咲夜に、慌てたように頭を下げる福太郎。
 変わらぬ様子に咲夜は思わず微笑む。
 しかしすぐに緩めていた表情を引き締めると彼女は用件を切り出した。

「本日は私が仕えている館の主が貴方にお会いになりたいとおっしゃられたのでお連れしました。今、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構いませんよ。お客もおりませんしね」
「ありがとうございます」

 優雅に一礼すると咲夜は福太郎が瞬きをした一瞬で姿を消す。

「あれ!? 咲夜さん? どこ行ったんやろ……「お待たせしました」おわっ!?」

 周囲をキョロキョロと見回していると彼の目の前にふっと日傘を差した彼女が姿を現した。
 これも一瞬の出来事で、福太郎にはいつそこに来たのかがまったく分からなかった。

 それもそのはず。
 彼女は自身の『時を操る程度の能力』を駆使し、福太郎に知覚できない時間の中で行動したのだから。

「こちらが私のお仕えしている御方、吸血鬼であらせられる『レミリア・スカーレット』お嬢様です」

 消えては現れる自分に目を瞬かせて驚いている彼をスルーすると咲夜は恭しく礼をし、自身の背後にいる人物の為に道を開ける。

 引き寄せられるようにそちらに視線を向けた福太郎の目にはルーミア程度の背丈の少女の姿を映し出していた。

 可愛らしい少女だ。
 クリクリとした真紅の瞳に透き通るような水色の髪、真っ白い肌は同性が羨むほどの艶を放っている。
 ピンク色をメインに赤をアクセントにした服装がその愛らしさに拍車をかけていた。
 しかし彼女の背中にはその可愛らしさの全てをぶち壊す禍々しい羽が生えており、さらに良く見ればその目が好奇心に満ちていると同時に酷く嗜虐的な輝きを持っている事に気付くだろう。
 なによりも彼女から発散される近寄りがたい重圧感、威圧感のような物が周囲に無作為に振り撒かれている。

 なるほど、と。
 心中で福太郎は納得した。

 彼女が常人ですら少し注意深く観察してみればその愛らしさに隠れた凶悪さに気付く事が出来る程度に『化け物』なのだ、と言う事に。

「初めまして。紅魔館の主、レミリア・スカーレットよ」
「ご丁寧にありがとうございます。俺は田村福太郎。しがない絵描きをしとります。どうぞよろしく」
「ええ、よろしく」

 ペコリと頭を下げる福太郎に、口元を緩めながら品定めでもするような視線を彼の全身に巡らせるレミリア。
 居心地悪い気持ちを誤魔化すように苦笑いをすると福太郎は予備のお客を座らせる背もたれ付きの椅子を彼女の横に設置した。

「わざわざ来ていただいたのに立たせたままっちゅーわけにはいきませんから。良ければどうぞ」
「あら、気が利くわね。使わせてもらうわ」

 外見を裏切る威厳に満ちた態度で彼女は椅子に座る。
 だが彼女の座高と椅子の高さが合わなかったらしく、座ると足が地面に付かなかった。
 その事が気になるのか座る時に微妙に眉を寄せ、放たれていた威圧感が消え失せる。
 その見た目相応の少女らしい態度を見て「ギャップが激しいなぁ」などと思ったのは福太郎だけの秘密だ。

「咲夜さんも、ずっと日傘持って立ってるのは辛いんちゃいます? なんやったらもう一つ椅子出しますけど?」
「いえ、これは従者として当然の事ですので。どうか私の事はお気になさらずお嬢様との談笑をお楽しみください」

 直立不動でレミリアの脇に控え、日傘を差し続ける咲夜を気遣ってはみた物の特に問題ないと返されてしまった。
 ある意味、覚悟を決めて目の前で足をプラプラさせてこちらを値踏みしている少女と目を合わせる。

「ふぅん。吸血鬼相手でも物怖じしないのね、貴方」
「あんまり怖がって身動きとれんようになりたないから意地張ってるだけですよ。なんぼ強がっても敵わないもんには敵わへんですしね」

 福太郎にとって別種族を相手取ったこのやり取りはこちらに来てから何度目かわからない物だった。
 文の新聞のお蔭で相当に注目を集めた自分の元を訪れる妖。
 そのほとんどが同じ質問を彼に投げかける。
 『自分が怖くないのか?』という事に類する質問を。

「言ってる事はわかるけれど。それって言うほど簡単な事じゃないわよ?」
「そうなんですよねぇ。けど俺にとって人外って二十年間で見慣れてもうたからそれなりに平気なんですよ。そらぁ恐ろしいヤツもおるし、死ぬような目に合った事もあるから怖くないって言うたら嘘になりますけどね」

 だから彼はいつも通りに答える。
 ただ幻想郷に住んでいる人間よりも妖に近い場所にいたから見慣れているだけだ、と。

 そう。
 人間と言うのは意外に環境に順応するのが早い物なのだ。
 例え世界が壊れても。
 例え人がどれだけ死のうとも。
 生きている人間はただ生き続けるだけで『全て』に慣れていく。
 身体が辺り一面に広がる魔素を吸い込む事に慣れていき、頭は今そこにあるありえないはずの存在を『ありうる存在』へと書き換えていく。
 心がどれほど悲鳴を上げ、『変わっていく現実』を拒んでも。

「……人外が身近にいた? 見慣れるほどにすぐ傍にいたと言うの?」
「ええ。俺のいた場所はそういう世界でしたから」

 福太郎の聞き捨てならない言葉にレミリアの目が細められる。
 その瞳には彼の言葉を疑う意図がこれ以上ないほどに明確に宿っていた。
 もちろん彼も気付いているが、だからと言ってそれが事実であるのだから肯定こそすれ否定する理由はない。
 押し潰されるような威圧感に冷や汗が流れようとも、曲がりなりにも二十年過ごしてきた自分の世界を否定する事は出来ない。

「ふ~~ん。嘘ではなさそうね」
「嘘やと思われるのは心外ですねぇ。これでも人並みに苦労してきたんですよ?」

 自分の全てを見通してしまおうとするような不遜な視線に晒されながら、福太郎はおどけながら応えてみせる。
 その行動そのものが幻想郷では珍しい事なのだと言う事に気付く事無く。

「本当なら面白そうな話ね。ねぇ、聞かせてくれない? 貴方の世界の貴方の話」

 ニヤリという擬音がよく似合う笑みでお願いという形の脅迫をするレミリア。
 こういうの幽香さんの時にもあったなぁ、などと思いながら額に掌を押し当てて小さなため息を一つ。
 とはいえこの世界の人たちに自分の世界の事を伝えるのは彼としても望む所でもあったから拒否する理由もない。

「(こんなにも常識が違う世界に俺が来てもうた事にもしも『意味』があるんやとしたら、やっぱり『ここ』の事を知って『向こう』の事を伝える事じゃないかって思うんよなぁ。そういう意味やと、ええ機会なんかな?)」

 今までは話す機会に恵まれなかったが、自分の昔話と絡めるのなら話す事は上手く調整できるだろう。
 文の取材の時には自分のこちらでの生活や趣味趣向がメインで、『あちら』について自分から進んで語る事もなかったのだから。

「ええ、俺のようなヤツの拙い話で良ければお聞かせしますよ」
「ふふふ、楽しみだわ」

 日の光が注がないあいにくの天気の中、吸血鬼との談笑が始まった。


 咲夜に話を聞いていた以上に、目の前の人間は面白かった。
 私のような人外がどういう存在か理解した上で、不遜とも取られかねない気安い態度を取る。
 それがどれほど命知らずな事か、この男は理解している。

 弾幕も放てない、自分を守る事も出来ない普通の人間。
 だと言うのにこの男は『危険』に対して呆れるくらいに無防備だ。
 私の存在がどれだけ危険か理解している癖に、身構える様子も見せず、怯える様子も見せず。

 咲夜を疑うわけではないけれど。
 正直、この目で確かめるこの時まで大きな期待はしていなかった。
 霊夢や魔理沙、咲夜みたいな『強い人間』なんて早々いないから。

 この男は弱い。
 私や咲夜などと比べるまでもなく、その辺の妖精や下級妖怪をすら相手に出来ないほどに非力だ。

 私がその気になれば、あの細い首を握り潰す事など造作もない。
 その事を理解しているというのに恐れないというのは異常な事だ。
 恐れられるのが当然の存在である所の私から見れば、その異常さはよくわかる。

 そういえば咲夜が話していたけれど。
 こいつはあの花妖怪の所に行って生還したらしい。
 基本的に人間などその辺の雑草のようにしか思わないあの妖怪が、一日とはいえすぐ傍に人間を置き、何もせずに帰らせたと言う。

 この平凡そうな男の何があいつにそうさせたのか。
 新しい興味が沸いた。
 このままこいつの話を聞いていればその謎は解けるかしらね?

「俺のいた世界は、二十年少し前までは『普通の場所』でした。妖怪やら悪魔、神様なんかは空想(おはなし)の中にしかいなくて、お隣さんも人間の。それが当たり前の世界でした」

 届かないほどに遠いどこかに思いを馳せるような目で、福太郎は語り始める。
 私はその言葉がさっき話していた事と矛盾している事にすぐに気が付いた。

「ちょっと。貴方、さっき自分は『人外が見慣れるほど身近にいた世界』にいたって言ってたじゃない」
「ええ、そうです。別に嘘なんて付いてませんよ? そうでなかった時もあったんですよ。大昔ですけどね」

 私の不満を宥めるような笑顔と一緒に説明されてとりあえず納得する。
 ただ私の扱い方が納得できない。

 なによ、こいつ。
 いくら私の見た目が幼いからって子供をあやすみたいに言われるのはなんだか腹が立つ。
 これでも500年生きているのに。

「俺が七つか八つくらいの時、『世界』は変わってしまいました」

 その時の福太郎の声は不覚にも私が寒気を感じるような、底冷えのする暗い声だった。
 思わずどうでもいい事に憤慨していた事も忘れて彼を見つめる。
 どこまでも遠くを見つめるその目はひどく空虚で、その時にこいつが『何もかもを失ったのだ』と言う事を言葉よりも雄弁に語っていた。

「それまで正しかった事が塗り替えられて、全てがひっくり返って……今まで空想の中の存在だったモノたちが世界に顕現していった。そんな出来事の最中、大勢の人間が命を落とす中で、俺は運良く生き延びました。……家族とか友達とかそういう大事なモンはほとんど失くしてしまったんですけどね」

 苦笑いしながら思い出話のように語るその姿は実に自然。
 だけどその目は遠い日の思い出に囚われているように見えた。
 脇に控える咲夜に目を向ける。
 どこか納得したように福太郎の言葉を聞いていた。

 私は戯れに人を食べる。
 大抵は『調理済み』だけれど、時々生きたままの状態に人間を頂く事もある。
 その時、どう足掻いても自分が生き延びられない事を理解した人間でもこんな目はしていなかった。
 生きる気力を完全に失くした、何故自分がこんな目に合うのかと嘆く目とは比較にならないほどの暗い瞳。
 きっと私が今、想像している以上に辛い目に合ったんだろう。

 上手く隠しているけれど……いえ、もしかすればこいつ自身も気付いていないのかもしれない。

 理解できていない自分の気持ちを隠して相手に不快感を与えないよう気遣う。

 なるほど。
 確かに目の前の男は人間だ。
 群れる為に不安定な自分を偽り、色好い言葉で集団に溶け込もうとする。
 孤独を友とする妖怪とは住む世界が違う。

「その日から俺のお隣さんには人外もいるようになりました。変わってしもた世界は最初の何年かはともかくそれなりに快適でしたよ。色々と知りたい事も出来ましたしね」

 嘘ね。
 全部が全部とは言わないけれど全てが本心でもない。

 少なくとも快適だったというのは嘘。
 今度は意図的に隠そうとしたようだけど。
 割と分かりやすい性格してるわね、こいつ。
 少し突っ込んでみましょうか。

「快適だったって言うのは嘘でしょ? 何の準備期間も無しに魑魅魍魎の跋扈するような世界に望んでもいないのに放り込まれて『慣れる』なんて事が出来るとは思えないわ」

 私の言葉に福太郎は目を瞬いて驚いた。
 頬を掻きながら「あー」とか「えー」とか言って言葉を捜すように視線を宙に彷徨わせている。

「そうですねぇ。実の所、こっちに来る少し前までずっと違和感あったんですよ。いやソレは今も変わりませんけどね」

 苦笑いしながら観念したのか自分の心を素直に吐き出す。
 余りにもあっさりと暴露してくれたので私は拍子抜けしてしまった。

「まぁ生きてれば色々と出会いとか出来事がありまして。たぶん良い出会いってヤツがあったんですよ。お蔭で世界を見る目って言うんですかね? それが少し変わったんです」
「ふぅん。曖昧な言い方ね」
「俺にとって自分の事って結構、難解な代物でしてね。よくぶれるわ、自分の言った言葉に言った傍から自己嫌悪に陥るわで大変なんですよ」

 頭をガシガシと乱暴に掻きながら苦笑いする。

「貴方、自分の事が嫌いなの?」
「多分、他の誰かを嫌う以上に自分が嫌いですね」

 臆面もなく言い切るその姿は実に清々かった。

 なるほど。
 都合の良い御託を並べて相手を説き伏せる実に『人間らしい生き方』をしながら、こいつはそんな自分が嫌いなのか。
 力が弱い人間だからこそ言葉を武器にする物だし、理由をつけてその事実を肯定的に捉える物だけれど。

 この男はそんな生き方をする自分が嫌いらしい。
 それでもそういう生き方をしなければいけないから多分、余計にそう思うのだろう。
 実に矛盾した話だ。

 でも自己を偽る事をすら自覚して丸ごと自分で背負っているその姿勢は評価できる。
 こいつは自分に向けられる罵詈雑言を、誹謗中傷を、様々な害意を当たり前のように受け入れるんだろう。
 「そんなものだ」と笑いながら。

 力は弱いけれど、この男は心が強い。
 傷だらけの心なのに、これからも傷付く事を恐れていない。

 これが出会いによってもたらされた変化だと言うのなら、こいつは本当に良い出会いをしたんだろう。

 くだらない話だけど。
 もしも昔の私と『フラン』のすぐ傍にこういうヤツがいたならば、私たち姉妹の事を「そんなものだ」と受け入れてくれる『誰か』がいたならば。
 私たちの関係ももう少しマシな物になっていたかもしれない。
 もしもの話だなんて本当にくだらないわね。
 こんな事を考えたの霊夢と魔理沙が殴り込みに来た時以来だわ。

「? レミリアさん……どうかしたんですか?」
「お嬢様?」

 ……少し物思いに耽り過ぎたわね。
 福太郎も咲夜も呆けていた私を心配そうに見ている。

「なんでもないわ。貴方のいた世界について少し考え事をしていただけ」
「やっぱ珍しいもんなんですかね?」
「そうね。貴方のいた世界は私たちが情報として知っている『外の世界』とはまるで違うから。興味深いわ」
「そら良かった」

 のんびりと笑う福太郎の顔はとても穏やかで。
 あの花妖怪がこいつに手を出さなかった理由がわかった気がした。

「こっちでは絵描きと寺子屋のワーハクタクの手伝いをしてるらしいわね。向こうでは何をしていたのかしら?」
「ワーハクタク? 慧音さんの事ですかね?」

 質問に対して質問で返されるのはあまり良い気分ではないのだけど、あまりにも素直に驚きを顔に出す物だから文句を言う気がなくなってしまった。
 と言うか。

「貴方、人里に住んでいるのにあの女がどういう存在か知らないの?」
「あー、寺子屋を一人で切り盛りしてて、人里の守護者って言う荒事収め役もしてるって事くらいですかね? なんか普通と違うから身体が丈夫だとか聞きましたけど」

 指折り数えてワーハクタクについて知っている事を話す福太郎に私は呆れた。
 特に認識が間違っているわけではないけれど根本的な情報が抜け落ちているのだから。
 とはいえわざわざ私が教えてやる必要もない。

「まぁワーハクタクの事は置いておきなさい。気になるなら本人に聞けば良い事なのだし」
「そりゃそうですわ。それじゃ話を戻しまして……俺は向こうの世界では絵描きを趣味に学校、こっちで言う寺子屋の規模が大きくなった所で教師をしてました。美術……主に絵の描き方を教える仕事ですね」
「あら、今とそう変わらないのね」
「生徒はやたら個性的でしたけどね」

 生徒たちの事を思い出したのか遠い目をしてまた笑みを浮かべた。
 どうでもいいけれど目の前の話し相手を蔑ろにして思い出に浸るなんて失礼じゃないかしら?

「その生徒ってどういうヤツだったの? 霊夢みたいなマイペースなヤツ? それとも魔理沙みたいな借りると称して物を盗む自己中心的なヤツ?」
「あはは、まぁ一口で言うのは難しいですねぇ。強いて言うなら人間はほとんどいませんでしたわ」
「へぇ? 世界が変わって寺子屋に通うモノまで変わったのね。幻想郷の寺子屋なんて人間専用なのに。どんな種族がいたの?」

 福太郎自身も面白いけれど、こいつの世界の話は私の好奇心を適度に刺激してくれる。
 多分、今の私はその辺ではしゃぎながら遊んでいる子供と大差ないだろう。
 とはいえ自制できないくらいに興奮しているのだから仕方ない。
 今は少しでも多く、こいつの話を聞きたい。

「『狼男』やら『猫男』、『狸娘』に『狐娘』、『外国から来た呪術師っぽい人』に『ロボット』、『手の平サイズの妖精さん』に『ずっと日本甲冑を着てる人』やら『額に三つ目が付いてる人』、『エルフの女の人』に『パ○ットマ○ットみたいな黒子さん』、『生態吸血鬼(ヴァンパイア)』だとか……思い出してみると個性豊か過ぎるやろ、これ」

 眉間に皺を寄せて額を抑える福太郎。
 頭痛でもしてきたのかしら?
 まぁ正直、こんなにバラエティに富んでるなんて聞いた私にしてもまったく予想外だったけど。
 ほら、横で咲夜もポカンとしてるじゃない。

「人間以外が居過ぎよ。ところどころ知らない単語が混じってるけど相当にゴチャゴチャしてるのはわかったわ。と言うか吸血鬼もいるのね?」

 同族が寺子屋に通っているというのはなんというか想像しづらい。
 食事とかどうしてるのかしら?

「ええ、レミリアさんとはたぶん毛色が違う種族やと思いますけどね」
「そうなの?」
「ええ」

 なんでも福太郎の知っている吸血鬼は近づくだけで精力を吸い取るタイプらしい。
 そうであるが故に彼女の傍には無機物が妖化した存在が侍り、本人もあまり人を寄せ付けない物静かな性格だと言うのだ。
 福太郎が知る限り、生きている存在から血を吸っている姿は見た事がないらしい。
 助けられた時に近づいて身体がだるくなった事はあるんだそうだ。

「同族でも違うモノは違うモノね。私たちに比べて随分と人間に優しい存在のようだし」
「言われてみればそうですね。やっぱりそれも世界が変わった影響、なんですかねぇ」
「そうなのかもしれないし、その吸血鬼の元からの性かもしれない。どちらにしても面白い話だわ」
「喜んでもらえると話した甲斐もありますねぇ。そういえば『私たち』って言うてましたけど? 幻想郷にはレミリアさん以外にも吸血鬼がおるんですか?」

 む、しまったわね。
 少し口が滑ったかしら。
 というかこいつ、妙な所で鋭い。

「ええ、妹がいるわ。もっとも館からは出てこないけれどね」
「そうですかぁ……なんや大変そうですね」

 追求されたくないという私の気持ちを察したのか福太郎はそれ以上、突っ込んだ質問をしてこなかった。
 咲夜もホッと息を付いているのが見える。

「ええ、とても大変よ。でも可愛い妹の事だからね。多少の苦労なんてどうって事ないわ」

 いけない。
 こいつの緩い雰囲気に当てられて余計な言葉が出てしまった。

「妹想いのええお姉さんしてますね」

 どこか羨ましそうに言う福太郎の言葉に、私は苦い顔をする。
 大きな事を言ったけど、私がやっていた事が『あの子の為になっているか』と聞かれれば正直に言って私自身ですら首を傾げてしまう。

 あの子はたぶん私を憎んでいるだろう。
 あんな所に閉じ込めた私を恨んでいないはずがない。
 あの破壊衝動と能力の危険性は元からだが、それをより不安定にさせたのは間違いなく私なのだから。

「そんな事、ないわよ」

 思わず出た否定の言葉は思いのほか小さくて。
 福太郎にも咲夜にも聞き取れないほどの物だった。

「? 今、何か……」
「いいえ、なんでもないわ」

 私は何をしているのだろう。
 今日、会ったばかりの人間にこんな事を話してしまうだなんてどうかしている。
 確かにこの男が強い事は認めるけれど。

「そうですか。……そや、レミリアさん」
「なにかしら?」

 自然と俯いていた顔を上げる。
 意識して明るい声を出す福太郎に答えるように。
 そして彼は紙を置いていたイーゼルを自分の横に引き寄せ、その手に鉛筆を構えて私にあのゆるりとした笑顔を向けた。

「せっかく店に来たんですから一枚、どうです?」
「ふふふ、いいわね。お願いするわ」

 毒気の抜けるその笑顔に釣られて私も笑みを浮かべる。
 ただそのままこいつの思惑に乗るのは面白くないのでしっかり釘を刺しておく事にした。

「私の気に入る絵を描きなさいよ」
「ははは、善処します」


 三十分ほど時間をかけて出来上がったのは涼しげな表情の吸血鬼の姿。
 その横には侍っていた従者も描かれ、実に力強いその存在感を表した絵はレミリアをして『納得の出来』と言わしめるものになった。
 その功績を称えたレミリアは相場の三倍の代金を置いていき、福太郎を自分の館に招待すると言い出した。
 迎えには咲夜をやるから霊夢らが提示した『弾幕勝負の出来る同伴者』という条件は問題ないと言われ、特に断る理由もなかった彼もそれを了承。

 意気揚々と自身の描かれた絵をその手に抱きながらご機嫌な様子で咲夜と手を繋いで帰るその姿は面白いくらいに見た目相応で。
 彼女の手をしっかり握ってこちらに一礼する咲夜に笑顔のまま手を振って。
 福太郎は少しだけ無くなってしまった『自分の家族』に想いを馳せた。


 吸血鬼の少女は絵描きを自身の好奇心を満たす格好の獲物であると位置づけた。
 そこには『あるがままを受け入れる』という幻想郷の在り方そのものを体現した男への敬意と羨望が込められている。
 人間の身でありながらよくこんな生き方に至ったという敬意。
 自分がもっと早くこの人間のような生き方のモノに出会えていたらという羨望。

 霊夢や魔理沙と出会った時に感じた想いを彼女は福太郎と出会う事で再確認した。
 やはり自分は『あの子』の姉であり、そしてどうしようもないくらいに不出来な姉なのだと。

 絵描きは吸血鬼との会合を果たした。
 一目でソレと知れる人外の怖さは幽香の時に感じていたから、自身でも思っていた以上に静かでいつも通りに応対できたように思う。
 慣れてきた事を喜べばいいのか、悲観すればいいのか彼にはまだ判断が出来ない。
 なんとなく慣れれば慣れた分だけ『自分の世界』が遠のいてしまうように思えたから。
 どこか陰が見え隠れした幼い見た目の吸血鬼は、時に見た目通りの幼さを見せて。
 その姿が福太郎にはどこか無理をしているように思えた。
 具体的に何を無理しているかなど初対面の彼には理解できない。
 彼女が触れられてほしくないように振舞っている以上、自分が関わるのは筋違いだろう。
 だからせめて彼女が『自分をどのように見てほしいか』を自分なりに解釈し、素直に絵に描いた。
 そう在りたいと願う彼女の想いに少しでも報いたいと思ったから。


 これは迷い込んでしまった絵描きと永遠に紅い幼き月の物語。


あとがき
あけましておめでとうございます。
今年もチマチマと執筆していきますのでどうぞ宜しくお願いします。
作者の白光(しろひかり)でございます。

今回はようやっと吸血鬼のお嬢様のお話になりましたがいかがだったでしょうか。
キャラ的には自分としては違和感なかったのですが。
ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。

さてこの後、別のキャラを何人か挟んで紅魔館編に突入します。
紅魔館編は基本、館在住の面々をメインに据える予定です。
門番やら図書館の面々やら妹様ですね。
もう少し先の話ですのでこちらは気長にお待ち頂ければと思います。

次のお話ですが永遠亭の住人か半人半霊、氷精辺りで行こうと思います。
誰になるかは作者のモチベーション次第なのでここではこれ以上は言いません。

最後にこの物語を最後まで読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと永遠と須臾の罪人
Name: 白光◆20de84d4 ID:8294f3d6
Date: 2010/01/17 10:17
 福太郎が幻想郷に落ちてきてもうすぐ一ヶ月になる。
 人当たりの良い彼は人里の者たちにはすぐに受け入れられ、その種族の隔たりを気にしない性分から人外にも興味を抱かれ。
 気が付けば彼の周りは『第二の博麗神社』と言われるようになっていた。
 あれだけ力のある人妖が頻繁に現れれば当然と言えば当然だが。

 渦中の人物には力の強さを感じ取る事が出来ない為(殺気や怒気などの感情ならまだしも)、まったくもってのんびりとした態度で彼らと接している事から微妙にずれた尊敬の念を集めていたりもしている。

 曰く『どのような妖怪すら恐れない爪を隠した賢者』
 曰く『その目を見ただけでどんな妖怪でも戦う気を失くす猛者』

 彼を少しでも知っている者たちからすれば笑い話以外のなんでもない評価である。
 人里の子供たちですらこの話を聞けば笑い転げていただろう。

 言っているのは下級妖怪や彼の周囲に集まる妖怪たちが怖くて彼と接点のない人間たちである。
 どうやら遠目から福太郎の周囲の環境だけを見ているとそんな風に見えてしまうらしい。

「で、どうよ。幻想郷一の有名人になった感想は?」
「いやそんな身の丈に合わん評価はいらんて、俺は」

 依頼された風景の絵を描きながら椅子の背もたれに寄りかかっておざなりに質問してくる文。
 見慣れてしまった彼女の行動に、苦笑いしながら福太郎が答える。

「そんな事言って、お客も増えて商売繁盛。内心で嬉しがってるんじゃないの~~?」
「まぁ阿求さんとこに家賃入れるのやら霖之助ん所で絵の具やら紙やら仕入れるのには困らんからええ事ではあるけどなぁ」

 そうは言っても彼の仕事による収入はそれほど多くはない。
 やたら格安で仕事を引き受ける為だ。
 元々、趣味でやっているような物ではあるし、特に贅沢などしたいという願望もない。
 レミリアのように絵を気に入ってかなりの額を支払ってくれる者もいれば福太郎の方から進んで絵を描き代金を貰わないというケースもある為、結果としてこの仕事による稼ぎはそれほど多いとは言えないモノになっているのが実状である。

 サラサラと筆を走らせる。
 今回は寺子屋の子供たちの依頼だ。
 皆でお金を持ち寄って、寺子屋の景色を描いてほしいと頼まれた。
 なんでも普段、世話になっている慧音先生にお礼をしたいという事らしい。

 「ほんま、ええ子達やなぁ」と話を聞いたその時、福太郎は思わず目尻を押さえた。
 そんな健気な彼らの気持ちに思いっきりほだされた彼は代金などいらないと言ったのだが、子供たちも頑として譲らず押し切られてしまった。

 子供たち曰く「お仕事してもらうんだからお金を払うのは当然の事だって慧音先生が言ってた」との事。
 「慧音先生ってほんま優秀な先生やなぁ。……頭突きはちょっとあれやけど」と福太郎はしみじみ思ったという。

「しっかし私が来ない間に紅魔館の吸血鬼が来てるとは思わなかったわ。なんでそんな日に限って天狗の集会があるかなぁ……お蔭でスクープ逃したわ」
「お~~い、体制批判はまずいんと違うかぁ? 上下関係厳しいんやろ、天狗って」
「誰かが密告(チクる)わけじゃないんだし。別にいいじゃない」

 サラサラと筆を動かしながら「せやね」と適当に相槌を打つ。
 最近になって人里で見慣れられたツーショットは、これまた見慣れられた適当な談笑をして穏やかな一時を満喫していた。
 だがそういう時に限って。

「ふふふ、面白そうな外の人間。どんなヤツか楽しみだわ!」
「姫様ぁ、お願いだから騒ぎを起こさないでくださいよ~~~」

 彼の元に一癖も二癖もある客が現れるのも、もはや見慣れられた出来事と化していた。

 意気揚々と人里を歩く女性の名は『蓬莱山輝夜(ほうらいさん・かぐや)』。
 永遠亭という迷いの竹林の奥にひっそりと立っているお屋敷の主。
 艶やかな黒髪をさらさらと風に流れるままに、ゆったりとした気品を感じさせる和装をした女性である。

 彼女の隣で情けない声を上げる女性は『鈴仙・優曇華院・イナバ(れいせん・うどんげいん・いなば)』。
 月兎の妖怪であり、ブレザーにスカートという幻想郷では非常に珍しい服装をした女性。
 腰よりも下まで伸ばした銀髪を揺らしながら、兎耳をクタリと垂らして涙目で輝夜に付き従っている。

 福太郎ののんびりとした一日はこの二人の来訪によって終わりを告げた。


「ごめんください、でいいのかしらね? 出店の場合でも」
「お? お客さんやね。文、悪いけど今日の駄弁りはここまでな」

 私が声をかけると彼はそれまで話していた鴉天狗に断りを入れてから、私に椅子を差し出してきた。

「(ふぅん、客に対する最低限の気配りは出来るようね)」

 差し出された椅子に座り、描きかけの紙を脇に退けて新しい紙を置いている男を見つめる。

「はいはいっと……あれ? 永遠亭の引き篭もり姫に月の兎じゃない。里に出向くなんてどういう風の吹き回し?」
「げ、パパラッチ天狗。……私は姫様の護衛よ。別に用事なんてないわ」

 ウドンゲが鴉天狗を威嚇している。
 ま、そう言う事にしておきましょうか。
 本当は外に出ようとした私に引っ張ってこられただけなんだけどね、対永琳説教用の対策(生贄)として。

「ふぅん。つまり外出の首謀者はそっちのお姫様なわけね? で、どういうつもりよ」
「貴方の新聞を読んでね。この人に興味を持ったのよ」
「またですかぁ。文、お前どこまで新聞配達しとんねん。千客万来過ぎてちょっと食傷気味なんやけど?」

 苦笑しながら、でも言うほど来客を拒否している様子はない。
 まぁ客商売ならそんなものでしょうね。
 愛想良くしなければ成り立たないでしょうし。

「そんな事より……話をしてもいいかしら?」
「ああ、構いませんよ。まぁ文の新聞は誇張表現、酷いんでご期待に沿えるかどうかはわかりませんけどね」
「それは私が決める事よ」
「そうですね。あ、そっちの兎のお嬢さんも椅子どうぞ」
「えッ!? あ、…………どうも」

 あら、珍しい。
 あのウドンゲが地上人の言う事を素直に聞くなんて。
 でもなんだか様子が変ね。
 ずっと彼の事、凝視してるし。
 自分の目が人間にとってとても危ないって事、もしかして忘れてるのかしら?

「ウドンゲ、あんまり殿方をじろじろ見つめる物じゃないわよ?」
「へっ!? あ、いいえ。別にそういう意味じゃなくてですね……」

 からかってやると面白いぐらいにうろたえてくれた。
 そんなんだからいつまでも永琳に馬鹿弟子呼ばわりされて、てゐにからかわれるのよ。

「まあまあ落ち着いて、兎のお嬢ちゃん。お客さんもあんまりからかったらあきませんよ」
「ふふふ、そうね。ウドンゲはただでさえ初心で、人見知りだし……」
「ひ、姫様!!」
「ほ~う、こいつ人見知りだったんだ。どーりで……」
「メモするんじゃないわよ! このデバ鴉!!」

 鴉天狗がウドンゲの情報をいつも持ち歩いているメモ帳に書いている。
 ヒートアップしているのかウドンゲの方も食って掛かり、鴉天狗のニヤニヤ笑いがさらに深みを増した。
 あれは完全に目標にされたわね。
 ゆっくり話すのにあの天狗は邪魔だし、ウドンゲにはこのままあいつを引き付けてもらいましょ。
 あ、天狗が逃げてウドンゲが追いかけていった。
 しばらく帰ってこないわね。
 ま、二人きりの方がゆっくり話が出来るから都合がいいんだけどね。

「それじゃあっちの二人は放っておいてお話しましょう? 外来人さん」
「ええですよ。えっと……お姫様さん?」

 その呼び方でもいいのだけど、ここは礼儀として名乗っておきましょうか。

「私の名前は蓬莱山輝夜。かつて大罪を犯した罪で地上へと追放された月の姫よ」
「ご丁寧にありがとうございます。俺は田村福太郎。しがない絵描きをしとります。よろしゅうに」
「ええ、よろしく」

 頭を下げる福太郎。
 個人的に色々と暴露した自己紹介だったのだけど、特に食いつかないわね。
 あまり他人の事を言及しない人間なのかしら?
 見たところ私が姫と聞いても、月の住人だと聞いてもその態度に変化はない。
 いや畏まった感じはするけれど、媚を売るような不快さは無い。

 私の姫という『立場』を考慮したんだろう。
 気遣いの出来る男だ。
 これだけでも中々、得点が高い。
 昔、求婚してきた貴族たちにもこういう細かい気配りが出来るような男がいてくれれば良かったのに。

「それでどんなお話をご所望で?」
「そうね。……貴方が何を想いながら絵を描いているかを聞きたいわ」

 あの新聞に載っていた彼の姿はとても刹那的な美しさを持っていた。
 人が人として生きる限界に挑もうとする強い意志を感じた。

 あれはたかだか二十年程度しか生きていない人間が、普通の人生を歩んでいる人間が持つモノではない。

 彼にとって『そうなる』、あるいは『そうならざるを得なかった』出来事という物が必ずあるはず。
 私は新聞を見たその時から、『あの強い意志の根幹がなんなのか』がとても気になった。
 あの光景の中の福太郎が、『一生が決して終わる事の無い』私にはとても眩しく思えたから。

 この質問はそれを聞くための第一歩。

「難しい事、聞きますねぇ」
「そうね。難しいかもしれないわ。でも……貴方なら答えられると思ったのよ」

 見ている者に写真越しでありながら、強い意思を感じ取らせる顔が出来る男なら答えられると私は思っていた。

「抽象的になりますけど……『俺がその時、生きた証』を残したいって思ってます」

 そして彼は言葉を選びながら、少し恥ずかしそうに私の質問に答えてくれた。

「いつ死んでもいいように、今のうちに好き勝手やっておきたい。勿論、自分なりの良心に従って出来る限り迷惑をかけんようにね」
「いつ死んでもいいように、か。貴方、年の割に達観してるわね?」

 本当にそう思う。
 見た目まだまだ若いし、別に病気を持っているようにも見えない。
 この年で『いつ死んでもいいように』なんて考えるのは普通ではないだろう。
 平凡な若者のはずなのに、その考え方は非凡。

 幻想郷に居着くまで、それなりに長く旅をしてきたけれど。
 こういう変なズレ方をしている人間は珍しい。
 そしてそういう人間は、他人には想像も付かない出来事に遭遇している事が多い事を私は知っている。
 気になるわね。

 また一つ、目の前の青年への興味が深まった気がした。

「まぁ若輩モンには違いないですけどね。いろんな出来事に遭遇して、出会いと別れを繰り返して気が付いたらこんな感じでしたよ」

 何かを思い出すように遠い目をする福太郎。
 ただ昔に思いを馳せるにしてはその瞳は悲しげに見えた。

「どういう体験をしたらその年でそんな風になるのか細かく聞きたいけれど……今はいいわ」
「へ? そうですか。前に来たレミリアお嬢さんなんか普通に根堀葉堀、聞いてきましたけど」
「あら、あの吸血鬼も貴方に会いに来てたの?」

 ち、先を越されたか。
 でも……あの吸血鬼も福太郎に興味を持ったのね。

「今日、初めて会った相手にそこまで不躾な事を聞くつもりなんてないわ。殿方との逢瀬はゆっくり段階を踏みながら楽しみたいのよ、私は」
「へぇ~、そら奥ゆかしい。俺のいた世界では絶滅危機種ですよ。そういう人。俺は話にしか聞いたことないですし。……周り騒がしいのばっかでしたしねぇ」

 私の言葉にのんびりと感心しながら福太郎は応える。
 なんだか最後の方で重いため息ついたけど。
 もしかして女に頭が上がらなかったとか、そういう経験あるのかしら?

 まぁ私自身、偉そうな事は言ってみたけど、あんまりそういう事の経験ってないのよね。
 『かぐや姫』として持て囃されてた時だってそういうしっとりとした関係なんてなかったし。
 ぶっちゃけ怒涛の勢いで「結婚しろ、結婚しろ」捲くし立てられて、ドン引きしてたくらいだし。
 五つの難題だってああいう連中に諦めさせる為にやらせたんだし。
 あれ?
 もしかして私ってまともな異性経験した事ない?
 うわ、自分で考えてものすごく凹んだわ。

「貴方はそういうのないの? 男と女の関係って」

 墓穴を掘って傷付いた内心を隠しながら、そんな事を私は口にしていた。
 べ、別に悔しくなんてないんだから!

 福太郎は困った風に頬を掻き、目を右に左にせわしなく動かした後、ため息をつきながら話し出す。

「俺を好いてくれるヤツはいましたね」
「へぇ? どんな娘なの?」

 思わず椅子から乗り出して聞いてみる。
 恋愛話はいつの時代であっても格好の暇潰しで娯楽だ。
 それが他人事であれば、好き勝手に品評して遊ぶ事も出来るしね。

 ……半分くらい八つ当たりだけどね、今回の場合。
 ちくしょう、なんで私には運命的な出会いがないんだろ?

「元気の塊みたいな子ですよ。色々、特殊ですけどね。俺が幻想郷に来る前の住居に越してきたその日に出会いまして。以後、なんか気に入られましてね。今、思い出すと色々と恥ずかしい目に合わされましたわ」
「ふ~~ん。でも……言うほど嫌ってわけじゃなさそうね。むしろ楽しそうよ?」
「あ~~、そうですねぇ。たぶん楽しかったんやと思いますよ」

 苦笑いしながら遠い目をする福太郎。
 ああ、なるほど。
 なんか幻想郷の住人とは違う感じがするとは思っていたけれど。
 そう、そう言う事ね。

「あなた、元の世界に帰りたいって思ってるのね?」

 キョトンと目を瞬かせながら福太郎は私を凝視する。
 ふふ、驚いてるわね。
 気付かれないと思ったのかしら?

「貴方が向こうの事を語る時。言葉の端々に感じるの。望郷や郷愁じゃなくて、渇望とでも言えばいいのかしらね? とても強い想いよ。初対面の私にすら感じ取れるくらいにね」
「……そう、ですかぁ。自分ではイマイチわからないんですけどね。あの世界の事をどう思っているかが」

 寂しそうな、切なそうな顔をしながら福太郎は言葉を続ける。

「昔は、嫌いでした。すぐにでもこんな世界から消えてしまいたいと思うくらいに」

 暗い瞳で、暗い声でかつての自分の胸中を語るその姿はとても痛々しい。
 まだ深入りするつもりのなかった彼の心に今、私は触れていた。

 いけない。
 私は意図せずに、福太郎の心の奥へ踏み込んでしまった。
 これはルール違反だ。

「こっちに来る少し前に、色々と遭って覚悟を決めました。俺は何があろうとあの世界で生きていくって」

 それはとても重苦しい気持ちの吐露。
 赤の他人であった私に、今日会ったばかりの人間にしていい話じゃない。
 私も、こんな気持ちを聞き出すつもりなんてなかった。

 すぐにでも福太郎の独白を止めたかった。
 でもかける言葉が出てこない、焦るばかりで思いつかない。

「でも、この世界に来てもうすぐ一ヶ月。それだけの間、ここで過ごしてきて……俺は少し悩んでます」

 その声は鬱屈とした気持ちがそのまま現れたように沈んでいた。

「……ああ、すんません。初対面の人に話す事じゃありませんでしたね」

 気分を変えるように福太郎は不必要に明るい声を出す。

 ああ、まったく。
 そこまで暴露しておいて今更、気を使おうとしないでよ。
 赤の他人が聞くような事じゃないでしょうけど、赤の他人だからこそ吐ける悩みもあるでしょうに。
 この話は私にとって、もう乗りかかった船なのよ?
 最後まで聞いてやるわよ。

 半ばヤケになりながら私は首を横に振った。

「話しなさいよ、その悩みを。私は絶対に他言しないから話して楽になりなさい」

 はしたなく鼻息を荒げながら告げると福太郎は目を瞬いて呆然とした。

「ああ、えっと……すみません」
「謝らないでよ。元を正せば私のせいなんだから。それで?」
「はい。ここでの生活があんまり居心地が良いもんだから、不安になりましてね」

 肩を落としながら告げる福太郎は弱々しい笑みを浮かべている。

「不安?」
「今以上にこっちの世界に慣れてしまったら俺は……いずれ向こうの世界の事を忘れてしまうんじゃないかって。その事がとても不安で、とても怖い」

 右手を自分の顔に当てて、歯を食いしばるようにして何かに耐えるようにする彼の姿は、今にも消えてしまいそうなくらいに儚く思える。

 そんな彼の告白を聞いて最初に私が思った事は「羨ましい」という物だった。

 私は永遠を生きる。
 蓬莱の薬を好奇心から飲んだ私には『死』という物がない。
 だが長く長く生きてきた私のような存在でも、記憶という物は有限だ。
 古い事柄から少しずつ、でも確実に忘れていく。
 経験した、体験した当時はとても大切に思っていた事すらも。
 忘れないと思っていたはずの想いも。
 長く生きているとどうしても覚えていられない。

 その事を私はとても辛いと思っていた。
 自業自得ではあるけれど。

 普通の人間からすれば贅沢な悩みだ。
 死ぬ事がないからこそ出来た悩みなのだから。

 そういう風に考えて辛いと思うことにすら慣れて、忘れる事にも慣れて。
 そうやって生きてきた私から見ると、自分勝手極まりないけれど、彼の事を羨ましいと思えてしまうのだ。

 大切な事を忘れてしまう事に一喜一憂出来る福太郎が。
 忘れる事に悩む事が出来る福太郎が。

 羨ましくて、そしてそれ以上に彼の事を。
 ……やめておこう。こんなその場だけの気持ちを表に出す事など出来ない。

 でもまさか。
 私にこんな風に男性を思える感性がまだ残っているとは思わなかった。
 それだけでも大した退屈しのぎになったわね。
 さぁ、私は満足したのだから、彼に相応のお礼をしなければいけないだろう。
 これは彼の心に無遠慮に触れてしまったお詫びでもあるのだから。

「福太郎……少しじっとしていてくれる?」
「え? あの……」

 椅子から立ち上がり、彼の後ろに回りこんで抱き締める。
 福太郎の身体に触れる時、彼の身体が微かに震えて強張った事に気付いたけれど無視した。

「いいからじっとしてなさい。別に抱き締められるのなんて初めてじゃないでしょ」
「いやぁお姫様に抱き締められるのなんて初めてですよ」
「あら、じゃ存分に堪能しなさいよ。私も男にこんな事するのは初めてなんだから」

 軽口を叩き合うと、少しずつ身体に入れていた力が抜けていくのがわかった。

「貴方は忘れないわ。自分の世界の事」
「へっ?」

 ゆっくりと彼の心に届けるように囁く。
 聞き返す間抜けな声は気にしない。

「私はね。貴方とは比べ物にならないほど長く生きている。それこそ私の事が御伽噺として語られるくらいに、ね」
「御伽噺で、輝夜で、月の姫って……まさか『なよ竹のかぐや姫』?」

 やっと私の事に気が付いたんだ。
 案外、鈍いわね。

「そう。それくらい長く生きている私の記憶は古い物から無くなって行く。無くす事にもう慣れてしまった。でもね、それだけ生きていても無くならない物もあるのよ?」
「無くならない、物?」
「私にはね、一緒の時を生きる従者と、会えば殺しあうような仲の知り合いがいる。それ以外にも永遠亭に住む兎妖怪たちがいる。『私の事を知っていて覚えている者たち』がいるわ」

 とめどなく出てくる言葉をただただ勢いに任せて紡ぐ。
 彼の心に無作為に踏み込んでしまった謝罪の意を込めて。

「貴方が元の世界に帰りたがっている事を知っている人はいるかしら?」
「……あ、そういう、事ですか」

 私の言葉の意味する所を理解した福太郎の体から急激に力が抜けていく。
 不安が払拭された事に対する安堵が彼の体に広がっていったのだ。

「そう、誰かが貴方の気持ちを知っている限り、それを覚えている限り、たとえ貴方が忘れてしまってもその気持ちはこの世から無くなりはしない。そして誰かが覚えていれば思い出す事も出来るわ。私はその事を良く知っている」

 私が忘れていた罪を復讐と言う形で思い出させ、今も決して忘れさせない妹紅。
 私のすぐ傍で私と共に罪を背負い続ける永琳。

 たとえ私の記憶から風化しても、二人が覚えていてくれれば思い出せる。
 そしてそれは私達のように死なないという事はなくても、私に関わった全てのもの達にも同じ事が言える。

 私の悪戯を、私が迷惑をかけた事を、私が楽しんでいた事を、些細な事でも覚えていてくれる。
 そんなモノたちがいてくれれば、記憶は残り続ける。

「意図した事ではなかったけれど私も貴方の気持ちを知った。絶対に忘れない。貴方が忘れても、その時は私が思い出させてあげるわ。だから貴方が不安に思うことなんて何もない」
「…………ありがさんやなぁ。ほんまに」

 掠れるような小さな声のお礼の言葉。
 なるべく軽く言おうとして失敗したようだけど。

「…………なんで、ここの人達ってこんな優しいんでしょうねぇ」
「さあ? 案外、貴方にだけ優しいのかもね」

 少なくとも私がこんなに熱心に自分から関わろうとした人間は貴方が初めてよ。

「そらまた、重たいですなぁ」
「どういう形で関わるかは自由よ。相手がどう関わるかは相手が決める。貴方がどう関わるかも貴方が決めればいいじゃない。いつ死んでもいいように好き勝手したいんでしょ?」
「そうですね。ありがとうございます。気が楽になりましたわ」
「それは良かったわ」

 礼を言うのは本当ならこっちなのだけどね。
 貴方のお蔭で良い退屈しのぎが出来たから。
 それに私がまだこんな気持ちを抱けたなんて思いもしなかったし。

「……ところでいつまで抱きついてますの?」
「あら? 別にいいじゃない。貴方も役得なんじゃない?」

 ウリウリと福太郎の背中に身体を押し付ける。
 椅子越しだからちょっとやり難いけど。

「いや、すっごく恥ずかしいんですけど……」
「平気よ。でもま、これくらいにしておきましょうか」

 もう少しからかっても良かったけれど。
 あんまり『能力』を使い続けるのも疲れるし、今日はこのくらいでやめておこう。
 私は用意されていた椅子に座り直し、彼に気付かれないように自分の能力を解除した。

「……あれ?」
「どうしたの?」
「いや、すんません。なんか今、違和感が……」

 環境の変化に敏感なのかしら?
 福太郎を抱き締めてから今までの間、私たちの周りの空間だけを永遠にして周囲と切り離していたのだけど。
 能力を解く瞬間を違和感として捉えられるなんて。
 やっぱりどこか普通じゃないわね。

「気にする事ないわ。害があるわけじゃないから」
「はぁ、わかりました。気にしません」

 イマイチ納得してないみたいだけど、まぁ気にしなくて良いでしょ。
 というかホントに疲れたわね。
 ただの暇潰しのつもりだったのに能力まで使う羽目になるなんて思わなかったわ。

「すみません。愚痴聞いてもらって」
「いいわ。原因は私の方にあるもの。結局、吸血鬼となにも変わらなかったわけだしね」

 そこだけが不満だ。
 意図してやったわけではないにしても、彼の心の一端を覗いてしまった。
 その行為はあの吸血鬼のやった事と何も変わらない。

「いえいえなんやすっきりしましたわ。世話になってる人らにこんな事、聞かせるわけにもいきませんでしたしね」
「ならいいじゃない。貴方が水に流して、私も水に流すって事でこの件についてはもうおしまい。いいわね」
「はい、わかりました」

 気の抜けた笑みに釣られるようにして私も笑う。
 すると彼はそっと自分の商売道具に手を伸ばした。

「どうですか? せっかく人里まで来てつまらん男の話を聞いた記念に一枚」
「自分を過小評価するものじゃないわよ。少なくとも私は貴方をつまらないとは思っていないんだから。でもその提案には賛成。綺麗に描きなさいよ?」
「善処します」

 鉛筆を取り、私を見つめる彼の目は新聞で見たあの強い意志を感じさせる瞳になっていた。
 弱さを晒した時とはまるで別人。
 でもどちらもが田村福太郎という人間であり、その一面に過ぎない。
 面白いと思うよりも、興味深いという意識が先に来た。

 私の絵を描き終わるのと、疲れた顔をしたウドンゲが帰ってくるのはほぼ同時だった。

 そして帰り際に受け取った絵はとても綺麗に描かれていた。
 絵の具を使って描かれたソレはまるで写真のように鮮明で美しいと感じさせてくれた。
 でもそれ以上に惹き付けられたのは私の表情。
 柔らかく明るいその顔はとても楽しげで、私自身ですら見惚れてしまうようなモノだったのだから。
 横から覗き込んでいたウドンゲも驚いていた。

 お礼という事で代金はいらないと言った彼にむりやりお金を握らせた。
 こんな綺麗な絵を描いてもらったのにお金しか出せない事が無性に情けなくて、ついつい永遠亭に招待するなんて言ってしまった。

 招待する事は別にいい。
 ただ永琳を説得するのはかなりの難題になるかもしれない。
 でも難題に挑もうとする事に躊躇いはなかった。

 きっと彼の事をもっと知りたいと、そう思っていたからだろうと思う。
 
 ああ、まったく。
 月の姫ともあろう者がずいぶん惚れ込んだものだと、私は自嘲にしてはやけに小気味良い笑みを浮かべながら、ウドンゲと連れ立って帰り道を歩いていった。


 月の姫は絵描きと出会い、その飾らぬ人柄に惹かれた。
 自身が引き出してしまった彼の弱さに普段は感じない罪悪感を覚え、謝罪する姿など彼女を知る者からすれば考えられなかっただろう。
 彼女の永遠に続く一生の中で、正に一瞬のようなこの出会いがお互いにどのような影響を及ぼすのか、それはまだ誰にもわからない。

 絵描きは姫との会話の中で、自分の抱える悩みを吐露した。
 この世界に馴染んでしまった事から生まれた弊害。
 外来人でありながらこの世界に関わり続けた為に生まれた苦悩。
 慧音や阿求、文らには決して言えなかった悩みを打ち明ける事が出来たのは『たまたま彼女がその事に触れてきたから』に他ならない。
 例えば悩みに触れたのが阿求だったら、文だったら、霊夢だったら、魔理沙だったら、ルーミアだったら、彼は決してこの悩みを打ち明ける事はなかっただろう。
 近しい距離にいる人達に無用な心配をかけないように、彼女達の負担になってしまう事を嫌って。
 意図せずして噛み合った結果、二人はこうして縁を作った。
 この縁がどのように広がるのか、それとも儚く消えていくのか。


 これは迷い込んでしまった絵描きと永遠と須臾の罪人の物語。


あとがき
月の姫が絵描きに一目惚れ(人格的な意味で)したようです。
作者の白光(しろひかり)でございます。

今回は月のお姫様編です。
少々、趣向を変えて好感度高めな感じにしました。
出会ったその日から始まる恋(笑)があってもいいよね!
まぁ福太郎の性質上、そんな事にはなりませんが。
姫様の性格がいまいちまとまらなかったので自分が感じた印象をそのままに書いてみましたがいかがだったでしょうか?

ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。

さて次回は半人半霊を書く予定です。
そして半人半霊を区切りとして紫と出会う前の話を終わりとさせていただきます。

あとアンケートというか質問になるのですが福太郎がいない状態の足洗い邸の描写などを描いた方がいいでしょうか?
書くとしても外伝という形になりますし、福太郎が行方不明なので多分に欝というか暗い感じが入るとは思いますが、参考までにご意見を聞かせていただければと思います。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと半人半霊の庭師
Name: 白光◆20de84d4 ID:b4031ab0
Date: 2010/04/11 22:33
「はぁ……まったく幽々子様にも困ったものです」

 人里へ続く道を、肩を落としながら歩く人影。
 銀髪のショートボブに黒いリボンを付けた小柄な女の子だ。
 せいぜい十三、四歳程度にしか見えない彼女は、異様に年季の入ったため息を吐きながらトボトボと歩いていた。

「いきなり「いつものドラ焼きが食べたくなったから買ってきてー」だなんて。まだ庭の掃除が終わっていなかったのに……」

 また一つため息を零し、真っ白な『人魂』を引き連れて歩く。
 そう、彼女は己の背に人魂を従えていた。

 彼女の名は『魂魄妖夢(こんぱく・ようむ)』。
 白玉楼という冥界のお屋敷で庭師兼剣術指南役を務める『半人半霊』の少女である。
 腰には二本の刀を佩き、それぞれ楼観剣、白楼剣と言う。
 いずれも彼女を象徴する代物だ。
 周りの印象としては庭師云々や剣の腕よりも白玉楼の主である亡霊姫の小間使いというかお世話係と言った印象の方が強いのだが。
 ともかく人間ではない彼女の実年齢はルーミアなどと同じく外見と結びつけてはいけない。
 常に共にある人魂は彼女が純粋な人間ではない証なのだ。

 幻想郷の主要人物が適当だったり自己中心的だったりする中、慧音や阿求と並ぶ常識人であるところの彼女は常に周りの人物に振り回されていた。
 今日は独り言の内容通り、主人の命令で人里へお使い中である。

「はぁ……」

 本日、三度目のため息。
 ため息を付くと幸せが逃げると言われているが、それが事実だとすれば彼女は既に相当量の幸せを逃している事になるだろう。

 とはいえ彼女はお使いに出されるという事についてはそこまで不満はない。
 自身の事を半人前と戒め、常に己に厳しくあろうとするところの彼女にとってはどのような些末事であっても修練の糧と認識しているのだから。

 彼女の陰鬱とした気分の原因は些末事を言い渡してくる主人の表情にある。
 
 楽しそうなのだ。
 自分が仕えている主が楽しげに日々を過ごしている事自体は喜ぶべき事なのだが。

「(あの楽しげな様子を見ていると無性に不安になるのは何故なんだろう?)」

 主の友人であるスキマ妖怪の顔が妖夢の脳裏を過ぎていく。
 彼女には今の主の顔が『物事を無意味に引っ掻き回そうとする時の紫』と同じように思えた。

「……幽々子様がああなられたのっていつからだったかなぁ?」

 ぼんやりと頭上を仰ぎながら呟く。
 そしてふと思い当たった。
 今の自分と同じようにぼんやりと空を見上げていた男性の事を。

「田村さんの事を話してから、だったかな?」

 人里に居着いた外来人の青年。
 出会った時は、彼が『文々。新聞』の一面を飾った人物だと気が付かなかった。
 妖夢自身が新聞にあまり興味がなかった為に。

「そういえば……あの人に初めて会ったのもこんな風に晴れている日だったな」

 言って彼女は人里へ向かう道すがらその時の事を思い返していた。



「今日~~も良い天気~~~」
「そ~なのか~~~」

 調子っぱずれの福太郎の歌に合わせて合いの手を入れるルーミア。
 今日も今日とて人里の外へ散歩に出る福太郎。
 同伴者としてルーミアを連れてきていた。

「フクタロー、今日はどこ行くの?」
「久しぶりに博麗神社に行くで。お礼言いにな」
「お礼~~?」
「霊夢ちゃん、俺を元の世界に戻すって躍起になってるみたいやからね。そのお礼と無茶せんように釘刺そうかなって」
「そーなのか~~」
「そーなんよ~~」

 笑顔で談笑しながら道を歩く二人。
 以前も通った魔法の森と博麗神社への分かれ道に差し掛かる。

「ん?」
「あれ?」

 二人同時に上げる疑問の声。
 魔法の森方面の道から歩いてくる人影が見えたからだ。
 
 思わず博麗神社へ向かおうとしていた足を止める。
 じっとこちらに向かって歩いてくる人影を見つめる二人。
 輪郭のみでしか見えなかった影が近づいてくるにつれて鮮明に見えてくる。

「……大きな人魂?」

 近づいてくる人物、見た目が幼い少女の姿を捉えた福太郎。
 だが口から出てきた言葉は彼女の背後にふよふよ浮いている真っ白な塊についての物だった。

「あ、妖夢だ! おーーい!!」

 ルーミアは人魂について特に気にした素振りもなく少女に声をかけている。
 呼ばれた少女も、顔見知りの存在に気付いたのか小走りに駆け寄ってきた。
 なにやら大切そうに両手で木造の箱を抱えているが、その歩みに危なげはまったく無い。

「ルーミアさんじゃないですか? こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「うん、そうだね! 妖夢と会うのって久しぶりだから嬉しいよ!」

 ニッコリ笑うルーミアに釣られるように笑みを浮かべる少女。
 彼女の素直な気持ちを表現するように人魂がふよふよと周りを飛ぶ。

「えっと……ルーミアちゃん、お友達?」
「そうだよー。時々、お菓子くれるの!」
「えっと貴方は?」

 「わはーっ」と嬉しそうに笑いながらルーミアは福太郎に抱きつく。
 対して少女の方は彼女の様子に目を見開いて驚きながら福太郎を見つめていた。
 捕食以外の目的でルーミアが人と一緒にいる姿が珍しい為、無意識に探るような視線になっている。

「あー、俺は田村福太郎言います。少し前に人里に居着いたただの人間です。よろしゅう」

 自分のような見た目幼い者に対して頭を下げる福太郎の姿を見て、妖夢は自分の行為が礼を欠いていた事に気が付いた。

「あ、その……す、すみませんでした。初対面で無礼な真似をしてしまって」
「ああ~、ええよええよ。気にせんで。怪しい男なんは自覚あるし」
「いいえ、そんな事はありません。本当にすみませんでした」

 無礼な態度で威嚇のような事をしてしまったことを少女は慌てて謝罪する。
 福太郎も苦笑いを崩さず、手を振って気にしていない事を示したがそれでも彼女はもう一度、深く頭を下げた。
 その頑なな態度に彼がどう言葉をかけたものかと悩んでいると彼女は勢い良く頭を上げて真剣な眼差しを向けてきた。

「コホン、改めまして……私の名前は魂魄妖夢。白玉楼という冥界のお屋敷で庭師と主である西行寺幽々子様の剣術指南役をしています。よろしくお願いします」

 咳払いで軽く雰囲気を作りながら名乗り返し、彼女は深々と頭を下げる。
 その礼には先ほどの不躾な視線への謝罪がこれでもかというほど込められていた。

「敬語って使われるの苦手やからそんな畏まらんでええよ。でもってこちらこそよろしく」
「あ、……よろしくお願いします!」

 のんびり笑う男性に妖夢は元気良く応えた。

「(なんだか……普通の人だな)」

 これが魂魄妖夢が田村福太郎に抱いた第一印象である。



 私はその時、幽々子様の命(と言う名のお願い)で香霖堂に行き、『とある物』を買った帰りだった。
 拾った物を売りに出すというぼったくりに近い商売をしているあのお店には外の世界の品々が沢山ある。
 その中には幽々子様や咲夜さんなどの美術に造詣が深い人達の目に留まるような物も稀にだけどあるのだ。
 私から見ればいつも食事に使っているお皿などと同じように見えるけれど、店主から提示される金額は驚くほど高い。
 ついさっき買ったこの『徳利』にも払ったお金ほどの価値があるようには思えない。
 でも普段、美味しい物を食べる事にしか興味を示さない幽々子様がこんな大金を払ってまで欲しがるなんて相当なのだろうと自分を納得させている。

 ……やっぱりこういう芸術もわかるようになった方がいいのかな?
 はぁ、お師匠。妖夢は未だ半人前の域を出れないようです。

 少し鬱屈とした気分のまま、香霖堂を後にした私がしばらく歩いていると前方に二つの人影が見えた。

「誰だろう?」

 昼間とはいえ人里の外に出てくる人間は少ない。
 里の中に畑や田んぼ、果物が生る木もあるから収穫だからと外に出る人間は私が知る限りいないはず。
 最低限、弾幕勝負が出来るか自分の身を守る程度に武芸に秀でていなければ。

「あ、妖夢だ! おーーい!!」

 私の思考を遮るように響く小さな少女の声。
 近づいてきた人影の一つが私に向かって手を振っている。
 その声と鮮明に見えてきた姿を確認し、私は小走りに駆け寄る。

「ルーミアさんじゃないですか? こんな所で会うなんて奇遇ですね」

 以前、博麗神社の宴会で持っていった料理を食べさせたら懐いた妖怪の女の子。
 
 それがルーミアさんだ。
 彼女が嬉しそうに笑う姿を見ていると私まで楽しくなってくる。
 妖怪で人食いという普通の人間からすれば天敵であるし、実際に無邪気に人に襲い掛かる彼女だけれど屈託の無い笑みを浮かべる姿はとても可愛らしい。

「うん、そうだね! 妖夢と会うのって久しぶりだから嬉しいよ!」

 妖怪にとって人を捕食するという行為は、空腹を満たすという人間にとっても当たり前の欲求だ。
 だからそこに嫌悪感を挟む事は人間側の都合でしかない。
 「人食いをやめろ」だなんて事は口が裂けても言えないし、言ってはいけない事だ。
 だから彼女と出会う度に感じてしまうこの哀しみは、彼女が人を食べているという事実を悲しい事と感じてしまうのは、人間側にいる私自身の都合でしかない。
 間違っても口に出す事は出来ない。

「えっと……ルーミアちゃん、お友達?」

 私の沈んでいく心を引き上げるようなのんびりとした男の人の声。
 ルーミアさんから視線を外すと一緒にいた人物が彼女に声をかけていた。

「そうだよー。時々、お菓子くれるの!」

 ニッコリと笑いながら彼女は男性に抱きつく。
 普通の人間にこんなにも自然に懐く彼女の姿と、妖怪に懐かれても平然としている男性の姿に私は驚いていた。

「えっと貴方は?」

 反射的に警戒してしまって自分でもわかるくらい硬い声で訊ねる。

「あー、俺は田村福太郎言います。少し前に人里に居着いたただの人間です。よろしゅう」

 私が警戒している事がわかったのだと思う。
 困ったように苦笑いしながらその人は頭を下げて名乗ってくれた。

 そこで私ははっとした。
 初対面の人に私は今、何をしたんだ? と。
 
 田村さんは普通の人間だ。
 特に私に害意があるわけでもないのに。
 なのにあんな威嚇するような態度を取ってしまうなんて。

「あ、その……す、すみませんでした。初対面で無礼な真似をしてしまって」
「ああ~、ええよええよ。気にせんで。怪しい男なんは自覚あるし」

 私の無礼な態度を気にした素振りも見せず、むしろ当然と言ってくれる。
 こんな良い人に私はなんて事をしてしまったのか。

「いいえ、そんな事はありません。本当にすみませんでした」

 納得できなかった私は幽々子様に頼まれた品物を丁寧に地面に置いてからもう一度、頭を下げた。
 短絡的な行動を取った自分がどうしても許せなかった。

 心の中できっちり五つ数えてから頭を上げて無礼のないようにしっかりと相手の目を見る。

「コホン、改めまして……私の名前は魂魄妖夢。白玉楼という冥界のお屋敷で庭師と主である西行寺幽々子様の剣術指南役をしています。よろしくお願いします」

 今度は先程よりも短く頭を下げる。
 よし、今度は絶対に無礼な振る舞いにはなっていない。
 ちゃんとした自己紹介が出来た事に満足しながら顔を上げる。
 すると田村さんは目をパチクリさせると頭を掻きながらまた苦笑いをした。

 なにか自分の気付かない所で無礼な事をしてしまったのだろうか?
 思わず不安になった私の心境を理解したのか田村さんは私の肩を軽く叩いて言ってくれた。

「敬語って使われるの苦手やからそんな畏まらんでええよ。でもってこちらこそよろしく」
「あ、……よろしくお願いします!」

 この時、私はまったく気付いていなかったのだけど。
 私たちのやり取りを見ていたルーミアさんが自分を無視されていると思い込み、頬を膨らませて唸っていたらしい。

 田村さんが取り成してくれなければ彼女はその日の間、ずっと私を睨んでいたかもしれない。
 仮にも私の事を友人と呼んでくれる方が不機嫌でいるというのは辛いから。
 田村さんには本当に感謝しています。



「その後、ルーミアさんに引っ張られて霊夢のところに行くのに同行して、後から魔理沙やアリスさんが現れてなし崩しに宴会になったんだっけ」

 ある意味、博麗神社での宴会というのはいつも通りだったけれど。
 その日は田村さんもいたからいつもと違って落ち着いた雰囲気だった。
 まぁいつもよりは静かだったって言うだけで最後にはほとんど皆、酔いつぶれてたけど。
 博麗神社では萃香さんがいつの間にか現れて田村さんに絡んでいたし、宴会中にはどこから聞きつけたのか文さんも乱入してきたし。
 この時に潰れなかったのは私と霊夢、そして田村さんだけだった。

「霊夢ちゃんや魔理沙ちゃんも飲むんねぇ、お酒とか」
「まぁ人並みには飲みますよ。お茶の方が好きですけどね」
「わ、私もお酒はあまり……萃香さんに絡まれなくて良かったです」

 神社の縁側で並んで座りながら惨状を眺める私たち。

 魔理沙は酒ビンを抱きかかえて猫みたいに丸くなって寝ている。
 その寝顔は普段の活発な感じとは違ってすごく女の子らしくて可愛らしい。

 アリスさんは木に寄りかかって寝息を立てている。
 いつもの人形も一緒だ。
 酔っ払って泥酔しているはずなのに、あんなにもおしとやかに眠れるのはある意味凄い。

 萃香さんは大の字になって地面に寝転がっている。
 それ自体はいつも通りなんだけど、今日は隣で文さんが顔を青くしながら寝ている。
 あれは寝ているというより失神に近いかもしれない。
 天狗では鬼に逆らえないらしいのでたぶん限界を超える量を飲まされて倒れてしまったんだろう。
 後で気付けに味噌汁でも作ってあげた方がいいかもしれない。
 ほんとに絡まれなくて良かった。

「はぁ……これの後片付け、また私がしないといけないのね」
「まぁまぁ。俺も手伝うから、そう暗くならんで」

 苦笑いしながら手をプラプラと横に振る田村さん。
 彼の膝ではルーミアさんが静かに寝入っている。
 その表情はいつも以上にあどけなくて、心の底から安心しきっているように見えた。

「一応、名目上は福太郎さんの歓迎会のはずなんですけどねぇ、この宴会」
「確かに。主賓の方が後片付けを手伝うというのはどうかと……」

 霊夢と私、二人で微妙な表情をするけれど。
 この人は「気にするな」と笑いかけるだけだ。

「歓迎してもらえてるって目に見える形でわかるのって嬉しいもんなんよ。やからそのお礼に手伝わせてや」
「釈然としませんけど。使える物は使う主義なんで、お言葉に甘えますね」
「ははは、ありがとさんやなぁ」

 二人の掛け合いが妙に板に付いていて私は内心で驚いていた。
 
 特に霊夢の態度に。

 博麗の巫女という幻想郷に置いて特別な位置にいる彼女は誰にでも平等に接する。
 幽々子様に対しても横柄な態度を崩さないし、閻魔様に対しても恐れ多い事にそれは変わらない。
 異変の時なんか特に考えもしないで歩き回った挙句、見つけた人妖の悉くに弾幕戦を仕掛けて叩き潰してしまう。
 それで恨まれるという事もほとんどない。
 私にはとても真似の出来ない事を平然と、何も考えずに行ってしまう人間。

 正直、敬語を使っている事にさえ違和感を覚えてしまう。
 失礼な事だけど、なにか企んでいないかと勘繰ってしまうくらいだ。

「妖夢。あなた今、すっごく失礼な事考えなかった?」
「い、いやッ!? そんな事ないわよ!?」
「その反応で自白してるようなもんよね」
「妖夢ちゃんは嘘付けん子なんやなぁ」

 私が霊夢に問い詰められている様子を田村さんはのんびりと眺めている。

 お願いです見てないで助けてください!
 霊夢、にじり寄らないで!!

 縁側から立ち上がって後退する私に、同じく立ち上がってじりじりと迫ってくる霊夢。

「さっさと吐いた方が身の為よ? それとも弾幕勝負でむりやり吐かせてほしい?」
「あうあうあう」

 ドスを効かせたその言葉で以前の異変の時にボロボロにされた事を思い出してしまう。
 前より腕を上げたとは思っているけれど、それでもまだ霊夢に勝てるとは思えない。
 必要とあれば勝てないとわかっていても挑むけれど。

 まだそんな心構え出来てない!?

「霊夢ちゃん。脅すんはその辺でやめてあげてや。妖夢ちゃん涙目になってるやん」
「別に妖夢が素直に話せば私は何もしませんよ? つまり素直に話さない妖夢が全部悪いんです」
「ええッ!? 確かに私が敬語を使ってる霊夢が不気味だとか思ったのがいけないんだけど!! 全部、悪いだなんて酷いッ!!!」

 思わず抗議の声を上げると、霊夢と田村さんがポカンとした顔で私を見つめてきた。

「あ、あの……なにか?」
「アンタさぁ……いやいいわ、もう」

 思わず敬語で聞くとなんだか呆れたようにため息をつかれて霊夢は縁側に座り直してしまった。
 急に矛を収めてしまった事に、なんだか居心地の悪い物を感じながら私も縁側に腰掛ける。
 霊夢の隣は怖いので今度は田村さんの隣にだけど。

「妖夢ちゃんって天然?」
「ド真面目でド真っ直ぐなだけです。間違った方向にも全力で取り掛かるから異変の片棒担いだ事もありますし」
「異変って、幻想郷で起こったって言う『誰かが引き起こす天変地異の類』? あんな真面目な子が?」

 隣でヒソヒソ話さないでほしい。
 聞こえないように配慮してもらっても嫌でも耳に入ってしまうから。
 ていうか異変の事は言わないで、霊夢。
 迷惑をかけた事、今でも気にしてるんだから。

「もう言わないでよ、霊夢。これでも反省してるんだから」
「そりゃ異変が解決した後、関わった連中のところに菓子折り持って訪ねていけば反省したって言うのはわかるけどね。他の連中、そんな殊勝な事しなかったし」

 あれは迷惑って言うよりも幽々子様を止めてもらえた事への感謝の気持ちの方が大きいんだけど。
 だってもしも霊夢たちが幽々子様を止めてくれなければ。
 幽々子様はあの時に……。

「妖夢ちゃん、どうかしたん?」
「ひゃい!?」

 『最悪の未来』を想像して考え事に耽っていた私は、田村さんに声をかけられて珍妙な声を上げた。
 うう、恥ずかしい。

「どうせあの異変の事、思い出して凹んでたんでしょ? アンタもいい加減、引き摺り過ぎなのよ。女々しいったらありゃしない」
「女々しいってそんな! 私はただ自分の未熟さと考え無さが情けないと思っているだけよ!!」
「それを女々しいって言うのよ。そんな事してる暇があるなら鍛錬でも修行でもしてた方がまだ建設的じゃない。私は嫌だけど」
「勿論、鍛錬は一日たりとも怠ってない! でも剣の腕前を上げるだけではどうしようもない事だって、あるの……」

 思わず尻つぼみになりながら私は心中で例を挙げた。

 例えばそれは、主の真意を読み取れなかった事だったり。
 例えばそれは、霊夢や魔理沙のような自分が負けるとは考えない強い意思であったり。

 結局のところ、私はまだまだ未熟だという事に帰結するのだ。
 剣の腕もそうだけど、それ以上に精神的な面で靈夢たちに遠く及ばない。

「ええなぁ」

 私と霊夢の会話に紛れ込むような小さな声で、田村さんが呟いた。
 私たちは会話を止めて彼の顔を見つめる。
 ぼんやりと夜空を見上げていた田村さんは自分に向けられる視線に気付いたのか、ルーミアさんの頭を撫でるのをやめて、やっぱり苦笑いしながら先ほどの言葉の意味を教えてくれた。

「自分を鍛えられるだけの力を持ってるのも、自分で物事を解決できる力を持ってるのも羨ましいなぁって思ったんよ」

 その言葉は軽い言い回しとは裏腹に、寂しげで悲しそうな響きを持っていた。

「福太郎さん……」

 掛ける言葉が見つからずにただ名を呟く霊夢。

 そうだ。
 田村さんのような普通の人から見れば私たちは恵まれているんだろう。
 この幻想郷では普通の人は自分の身を自分で守る事すらおぼつかない。

 そんな所にあって異変を解決できる霊夢や異変に加担できるだけの力を持っている私は……。
 この人はもしかすれば羨ましいと思うと同時に嫉妬しているのかもしれない。

 私にはこの人の気持ちが理解できるなどとはとても言えない。
 なんとなく予想できるというだけで。
 だから霊夢と同じでこの人に掛けるべき言葉が見つからなかった。

「あ~、気にせんといてな。なんも出来んオッサンの独り言やからね」

 今までと表面上は同じように見える苦笑い。
 でもどこか陰があるように感じられるのは先ほどの言葉のせいだろうか?

「田村さんは……強い力が欲しいんですか?」

 思わず私はそんな事を問いかけていた。
 力がある事を羨ましいと言った彼にとっては愚問であるだろう言葉。

「いいや」
「えっ?」

 私たちから視線を外して、また夜空を見上げながら彼から出てきたのは否定の言葉。
 私が予想した言葉と正反対のモノ。

「それじゃ福太郎さんは今の自分を変えたいんですか?」
「いいや」

 疑問の声と共に硬直する私を尻目に霊夢が続けて質問する。
 その突拍子の無い言葉に、でもこの人は何の躊躇いもなく否と答える。

「じゃあ田村さんは……何をしたいんですか?」

 てっきり私は彼が強くなりたいんじゃないかと思っていた。
 私達の事を羨ましく思ったのだから、強さが欲しいと思っているんじゃないかと思っていた。
 でもこの問答でそうではない事がわかっている。
 ならこの人は一体……何がしたいのか。

「死ぬその時まで絵を描いて生きていたいなぁ」

 戦う事なんて出来ないから。
 戦う場面に出遭ったら脇目も振らずに逃げ出して。
 逃げ出す事が出来たならそれを絵に描いて誰かに語って聞かせよう。

 襲われるモノを減らす為に。
 襲ったモノの存在を教える為に。
 語り継ぐ為に、自分は絵を描こう。

 田村さんの言葉を聞いて、私はまた己の未熟さを痛感した。

 戦う事の出来る者とはまったく異なるその考え方。
 でもそれを自分の生き方だとこの人は定めている。

 たぶんこの人は実際にそういう場面に出くわしたら、今言った行動を取るんだろう。
 躊躇いなく、でも力の無い自分に苦しみながら。

 この人に『戦う能力』がない事は、半人前とはいえ私にも一見してわかる。
 そして人間として三十路に近い年齢である事から、今から『そういう事』が出来るようになるとも思えない。

 霊夢はもう持っている。
 私も努力さえ怠らなければ出来る(と思っている)。
 でもこの人には『戦う』という選択肢を持つ事はおろか、そこに至る為の道すら用意されていない。

 なのに危険と向き合う事をこの人は覚悟している。
 この世界で、人里という安全地帯を出れば何が起こるかわからないこの幻想郷で。
 それだけの覚悟を『戦えない人間』が出来ているという事実に、私は驚くとともにショックを受けていた。

 私などよりも田村さんの方が遥かな高みにいるように感じられた。
 羨ましいと感じると同時に、私も負けていられないという対抗心が沸いてくる。

 霊夢の方を見て話しているから、こちらに向けられている背中。
 お師匠以外ではほとんど見たことのないほど近くに在る男性の背中。
 今の私の気持ちを表しているのか、その背中が一回りも二回りも大きく見えた。

 いつか追いつきたいと願った背中と目の前にいる人の背中が重なったような気がした。

「……私ももっと頑張ろう」
「ん? 妖夢ちゃん、なんか言うた?」

 背中が消えて、田村さんの穏やかで子供っぽい瞳が私を見つめてくる。

「いいえ。ただこれからも時々で良いのでお話しに来てもいいですか?」

 私はつい出てしまった独白を隠し、言葉を投げかけた。
 回答がなんとなく読めていたし、別に聞かなくても会いに行けば応えてくれるだろうけれど。
 それでもなんとなく明確な答えが欲しかった。

「ん、普段は人里にいるからそっちに来てくれれば話し相手くらいお安い御用やね。気軽に来てや」
「はい、ありがとうございます!」

 予想通りの言葉に、自然と顔が綻ぶのを感じた。



 あの時の事を幽々子様に話してから、妙にお使いの量が増えた気がする。
 そして幽々子様が今日みたいな表情をする事が多くなったのも。

「なにか、すごく変な方向に勘違いされてる気がする……」

 問い詰めてものらりくらりとかわされてしまって結局、幽々子様の真意はわからないままだ。
 
 はぁ、お師匠。
 やはり妖夢はまだまだ未熟です。

 ドラ焼きの入った袋を落とさないよう丁寧に、しかし絶対に離さないよう気を配りながら。
 私は阿求様から聞いた『田村さんがいるだろう場所』へと歩を進めた。

 今日はどんな事を話そうかと考えながら。
 今日はどんな事を聞かせてもらおうかと考えながら。


 半人半霊の少女は絵描きと出会い、自身の人生における目標を一つ増やした。
 力ではなく心で自分よりも高みにいる絵描きに覚えたのは年上としての父性のようなものであり、また尊敬の念でもある。
 それはかつて自分に剣を教えた師に抱いた気持ちに似ていて。
 彼女が心を開くには充分すぎる理由となっていた。

 絵描きは半人半霊の少女と出会い、その真っ直ぐさを羨ましく思った。
 ひねくれた自分には決して出来ないだろう心根が眩しくて、どことなく関西弁の少女を思い出させた。
 『彼女』の時は否定した真っ直ぐな思い。
 見ている事すら辛かった眩しさを今度は見届けたいと彼は思っていた。
 ルーミアとは違う意味で自分に懐いてくれた彼女の心根を大切にしてやりたいと。
 そんな事を思いながら、彼は真っ直ぐな少女と語り合う。
 こんな想いが世の中にはあるのだと、こんな考え方が世の中にはあるのだと。
 それでも尚、揺るがない意思を持っている少女を、やはり眩しく思いながら。


 これは迷い込んでしまった絵描きと半人半霊の庭師の物語。


あとがき
庭師が絵描きを超えるべき壁(笑)と定めたようです。
作者の白光(しろひかり)でございます。

予告通りの半人半霊編でしたがいかがでしたでしょうか?
執筆時間が予定以上に取れなかった事と、妖夢の口調が一貫せずに何度も書き直しました。
誰を呼び捨てで誰をさん付けにするか物凄く悩みました。
結果、なぜかルーミアがさん付けというよくわからない仕様に。
基本、呼び捨ては霊夢と魔理沙、あとは妖精や一部妖怪などになります。
咲夜はなんだか呼び捨てにしづらいというかイメージがさん付けだったので。

ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。

さて今回の話を区切りとし、次回からは読みきり仕様だったプロローグ後の時間軸になります。
まぁ時間軸が変わったと言っても基本的には一人のキャラにつき一話という形式は変わりません。
間に多人数で過ごす話を入れる事があるくらいですか。

東方キャラ同士の絡みがみたいなどのご要望ありましたら気軽にお書きください。
反映できるかどうかはちょっとわかりませんが。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。




[11417] とある絵描きと湖上の氷精
Name: 白光◆20de84d4 ID:b4031ab0
Date: 2010/02/21 23:14
 拝啓
 足洗邸の皆さん。お元気ですか?
 俺は今。

「走っていますぅうううううう!!!」

 右手に商売道具を入れた鞄を抱えて、後ろから迫り来る脅威から彼は必死に逃走する。

 追いかけてくる影。
 小柄な、明らかに彼よりも小さいその影は背中にある結晶のような羽で羽ばたきながら必死に逃げる彼に追いすがる。
 掌を彼に向かってかざし、弾幕を放ちながら。

「あーーっ、もう!! 逃げるな福太郎、ヒキョウだぞーーーーー!!!」
「出会い頭にダイ○モンドダストなんぞ撃たれたら逃げるに決まっとるやろがぁあああああーー!!!!」
「オマエが逃げるのがわるいんだーーー! 強いんだったら真っ向勝負しろーーーーー!!!」
「俺はただの人間やから強ないって!!」
「うるさぁーーーい!!!」
「どないせぇッちゅーねぇえええええええん!!!!」

 両腕を風を切る勢いで振りながら全力疾走する福太郎。
 青い髪に青い服、オマケに青い弾丸を放つ氷精少女は目の前の宿敵(もちろん彼女主観による独断)を追う。

「よけるなぁ!!!」
「当たったら痛いやろがぁ!!」
「じゃあ負けを認めろーーー!!」
「認めるから弾幕撃つのやめーーー!!」
「認めるならあたいの弾幕を喰らえーーー!!!」
「痛いから嫌やって言うてるやろがぁあ!!!」
「じゃあ負けを認めろーーー!!」

 以下エンドレス。

 いい加減、息が切れてきたがそれでも彼は足を止めるわけにはいかなかった。
 少女は本気で彼を攻撃している。
 未だに攻撃が当たらないのは彼としては不幸中の幸いではあるが(彼女の弾幕が正面にいる福太郎を避けて左右に広がるように放たれている為)、それも正直いつまで持つかわからない。

 足を止めてしまえば、狙い撃ちされるだろう事も目に見えている。
 会話も会話になっていないので外交的に止める事も出来ない。

「おお! 見えた、人里ぉお!!」

 木で出来た囲いの中にある人里への入り口。
 見張り番が立っている物見台に立っている人が福太郎の姿に気付いた。

「開門! かいもーーーん!!!」

 彼の後ろで氷弾をぶちまけているチルノの存在を見て状況を把握したのだろう。
 物見の男は周囲によく通る大声で、閉ざされている門を開けるよう指示する。

「ぬぅおおおおおおお!!!」

 重たい音を立てながら、両開きの大きな門が開くのを見つめながら福太郎はラストスパートとばかりに速度を上げる。

「にがすかぁッ!!」

 里側の動きが見えたチルノも、弾幕の密度を上げる。
 だがやはり福太郎には当たらない。
 時々、掠るので彼からすれば冷や汗が流れっぱなしなのだが。

「うおおおおお、タッチダウンやぁああああああ!!!」

 気分はフットボール選手。
 幻想郷に住んでいる人間には意味がわからないだろうが。
 ずざざざ!と砂煙を上げながら門を潜り抜ける福太郎。
 しかしそこで立ち止まらず、さらに数メートル走り続けたところでようやく立ち止まった。
 途端に両足が訴えかける疲労感により、その場に座り込む。
 仰向けに倒れそうになるのを両手で支えながら「あー」と唸り声を上げて頭上を見上げる。

「つ、疲れたぁ」
「うぎぎ、またにげきられた。う~~……」

 自分のすぐ傍でギリギリと歯軋りしながら悔しそうに唸る少女。
 紅魔館近隣の『霧の湖』と里で呼ばている場所に出没する氷精『チルノ』である。

「もういい加減、鬼ごっこはやめにしてくれへん? 毎回毎回、俺もう死にそうなんやけど」
「ダメ! 勝ちにげなんてゆるさない!! 次はぜっっったいにあたいが勝つんだから」

 涙目で凄まれてもちっとも怖くないのだが、空気の読める福太郎は突っ込んだりはしなかった。

「あ~~、わかったわかった。次、人里の外で会ったらまた鬼ごっこな」

 思わずルーミアにやってるように彼女の頭を撫でてしまう。
 氷の妖精であるから彼が触った瞬間、冷たさに手がかじかんだのだがそこはなんとか顔に出さずに堪える事が出来た。

「ごっこじゃない! しんけんしょうぶだ!!」
「あ~~、わかったわかった。真剣勝負な、うん」

 ペシっと自分を撫でていた手を叩いて彼を指差し、彼女は怒鳴り散らす。
 自分が真剣にやっている事をお遊びのように言われてご立腹のようだ。
 とはいえ小柄な身体で精一杯、自分を大きく見せようとする姿には威圧感などよりも先に微笑ましさを感じてしまう。

「はぁ~~、疲れたぁ。そうや、チルノちゃん。今日、ルーミアちゃんが遊びに来るんやけど君も来る?」
「あ、行く行く!! お菓子出るかな!?」
「阿求さんやからねぇ。まぁ出してくれるやろ、たぶん(あとでお菓子の分のお金入れんとな)」

 さっきまでの敵視はなんだったのか、チルノは「わぁい!」とはしゃいでいる。
 その様子を苦笑いしながら見つめて、福太郎は物見台を見上げる。
 いち早く門を開ける指示を出してくれた青年に手を振ると、彼は快活な笑みと共に親指を立てて福太郎に応えてくれた。

「サムズアップって幻想郷にもあったんやね」

 どうでも良い事を呟きながら、彼は道もわからないのに先に行ってしまったチルノを追いかけて震える足に鞭打って歩き出した。

 チルノとじゃれあっている(里人主観)姿が見慣れられるようになって、既に七日。
 初めて出会った日から続く二人の『真剣勝負と言う名の遊び』には未だ終わる兆しが見えなかった。



 変な人間が人里に出てきたって話をあたいが聞いたのは……いつだったっけ?
 うーん……そうそうルーミアがあたいの遊び場にあんまり来なくなった頃くらいだ。
 スターとかサニー、ルナが話してたのを聞いたのが最初だった。

「なんか珍しい格好してる人間見かけてさ。三人で悪戯してみたんだ!」
「そしたら思っていた以上に反応してくれてすっごく面白かったよ!!」

 ルナとサニーがすっごく楽しそうに言っていた。

「その後、霊夢が出てきて弾幕勝負でボッコボコにされたけどね。相変わらずなんで能力使ってるのに私達の居場所がわかるのかしら?」

 スターの言葉でその時の事を思い出して三人して震えてたけど。

「ふぅ~~ん。つまり霊夢をしゃてーにしてるその人間は霊夢より強いって事ね!!」

 そんな人間、見たことない! すっごく見たいししょーぶしたい!!

「チルノちゃん、霊夢さんは別にその人の舎弟ってわけじゃないと思うよ。ってやっぱり聞こえてないよね? うう……」

 なんか大ちゃんが言ってるけど、よく聞こえなかった。
 あたいはルナたちに人間の見た目を教えてもらって大ちゃんといっしょに人里目指して飛んで行った。

「大ちゃんも大変だよね。チルノの相手……」
「でも付き合っちゃうんだよね。あの付き合いの良さ、あたしじゃ絶対無理だわ」
「ていうか大ちゃんの付き合いの良さって菩薩とか女神の領域だと思うんだけど。そのうち祀られたりするんじゃない? 忍耐とか包容力とかの神様って」
「あんまり冗談に聞こえないわね、チルノ見てると」



 人里で人間がいつもわいわい騒いでる大きな道。
 そこでなんかよくわからない道具で何かしてるルナたちが言っていた人間を見つけた。

「ああ、ルーミアちゃんが話しとったチルノちゃんと大妖精ちゃんって君らかぁ。オッチャンは田村福太郎言うんよ。よろしくなぁ、ってぶっ!?」

 のんびり名乗った人間に氷弾を一発、叩き込む。

「チルノちゃん!? なにやってるのっ!?」
「せんてひっしょうよ! 人間相手でもゆだんしない、あたいったらサイキョーね!」

 「うおお……」って唸り声を上げて顔を抑える人間。
 今まで見たことがないくらいカンペキに弾が当たったのがうれしくてガッツポーズをした。

「ああー、痛い上に冷たいわぁ。ヒリヒリするし……」
「すみません、ごめんなさい!!」
「ああ、ええよええよ別に。いや痛いけどね」

 赤くなったおでこを擦りながらあたいを睨む人間。
 ふふん、どうやらこいつの方もやる気になったみたいね。

「受けてたってやるわ! あたいの氷弾をもう一発くらえーーー!」
「待って!! もう一発とか洒落にならんからやめて!!」

 ぶんぶん手を振ってあたいの攻撃を止めようとする人間。

「ふふん、じゃああたいの勝ちね!!」

 攻撃するのをやめて胸を張ると人間と大ちゃんが揃って笑い出した。
 むぅ、なんかむかつく笑い方だ。

「あ、あのすみません。チルノちゃんが」
「はぁ~~。いや、もうええよ。気にせんといて。とりあえず椅子あるんでどーぞ」
「あ、あう。ありがとうございます」

 笑顔で椅子なんて出してくる。
 なに、こいつ。
 さっきまで痛がってた癖にもう平気そうな顔してる。
 もしかしてさっきまで痛がってたのは演技!?

 むむむ、こいつ。
 あたいをだまそうとするなんてやるじゃない。
 わざと攻撃をくらってあたいがゆだんするのを待ってるのね!
 さすが霊夢をしゃてーにした人間。
 頭が良いわね。
 でもそうは……えっと…………そうは豆腐屋がおろさないわよ!

 あたいは人間を睨みつけながら大ちゃんのとなりの椅子に座る。

「えっと大妖精ちゃん? あの子、どうしたん? なんかずっと俺の事見てるんやけど」
「た、たぶんお兄さんの事を警戒してるんじゃないかと」
「警戒って……まぁ怪しい男やろうからしゃーないかぁ」
「いえ、あの。以前に霊夢さんが他の妖精たちの悪戯から貴方を助けたって話を聞いて、何をどう勘違いしたのか、霊夢さんが貴方の舎弟だって思っちゃってて……」
「……えーっと、つまりあの子は俺が舎弟(笑)である霊夢ちゃんよりも強い(笑)と思ってて、それで警戒してると?」
「すみません。その通りです」

 あたいが人間をけーかいしながらどう戦うか考えている時、大ちゃんは人間と普通に話をしてた。

 さすが大ちゃん。
 あたいがひっしょーの作戦を考えている間、人間の注意をひきつけてくれてるってわけね。

「とりあえず誤解も良いところなんやけど、どうしたら止められると思う? 大妖精ちゃん」
「すみません。チルノちゃんって思いついたら一直線で話を聞いてくれない子なんで、こうなっちゃうと私にも……」
「うわぁ……俺、死ぬかもしれんなぁ」

 人間の顔が青くなってる。
 大ちゃん、話をするだけで霊夢をしゃてーにするようなヤツを怖がらせたの?
 さすが親友、腕を上げたわね!
 あたいも負けてらんないわ!

「よし、決めた! アンタ、人里の外であたいと勝負しろ!」
「は? 人里の外?」

 あたいの言葉を繰り返す人間。
 意味がわからないって顔ね!

「人里の中だと弾幕ごっこは出来ないでしょ! だから外に行くの!」
「……あー、大妖精ちゃん。本気で言うてる、この子?」
「ごめんなさい」
「……えっとチルノちゃん。俺、普通の人間やから弾幕撃てへんのやけど」

 ふふん、あたいをまただまそうったってそうはいかないわ!

「そんなウソじゃだまされないわよ! さぁさっさと人里の外に行くわよーー!!」
「えー、マジかよーー」

 ようやく観念したのか人間はゆっくりと立ち上がった。
 う、なんか背が高いわね、こいつ。

「ん~、それじゃチルノちゃん。勝負するんは構へんけど、勝負方法はこっちで決めさせてくれへん?」
「何言ってるの? 幻想郷でしょーぶって言ったら弾幕ごっこ以外にないわよ」
「やから俺は弾幕撃てへんて。チャレンジャーは君やねんから受ける側の俺が勝負方法、決めさせてもらわんとね。君が勝負しろってお願いしたのを俺が受けたんやから今度は君が俺のお願いを聞く番。やないと君、正々堂々と戦わない卑怯者になってまうよ?」
「あたいはひきょーものなんかじゃないわ! いいわよ、アンタが言うしょーぶ方法で戦ってやるわよ!」
「オッケー。んじゃちょっと待っててな」

 人間は笑いかけるとあたいの頭を軽く撫でて、少し離れた店のおばちゃんに声をかけた。

「おばちゃんとこ、雑貨屋やろ。おはじきとか碁石とかあるかな?」
「おはじきならあるけど。福太郎さん、買ってくのかい?」
「ええ。ちょいとあの子らと遊ぶ事になりまして。女の子なんでなるべく綺麗なヤツにしてくれます?」
「あいよ」

 おばちゃんがコッチ見て笑いかけてくる。
 あ、あのおばちゃん。
 前に人里に来た時、お菓子くれた人だ。

 あたいは思わず手を振った。
 大ちゃんも横で嬉しそうに手を振ってる。
 おばちゃんも手を振り返してくれて、あたいはなんかすごく嬉しくなった。

「はい、お待っとさん」

 人間が持ってきた袋を開けて、中の物を出した。

 人間の手の中にあったのは綺麗な石ころ。
 なんか透明で氷みたいだったけど、別に冷たくない。
 普通の石みたいにごつごつしてなくて、ツルツルしてる。
 なんか触ってるだけで気持ち良い。

「お~~」
「綺麗です」

 大ちゃんと二人で石を見たり触ったりする。
 人間はその間、何もしないであたいたちをずっと見てた。
 さっきのおばちゃんみたいな優しい笑顔で。
 
「はっ!? こら人間、こんな物であたいを釣ろうったってそうは行かないわよ!」
「ああ~~、いやいやそういう事やないよ。その石、おはじきって言うんやけどね。それを使って勝負するんよ」

 人間は持ってきた袋の中身を全て台に乗せる。
 全部で、え~っと二十五個。
 うん、数えられた。

「二十五個あるこのおはじきを俺とチルノちゃんが交互に取っていく。最後の一個を取った方が負けや。一回に取るおはじきの数は三つまで。簡単やろ?」

 む、なんか馬鹿にされてる気がする。
 それになんか簡単すぎて面白くない。
 でもこいつが言ってきたしょーぶがこれなんだからあたいがイヤだって言ったら負けになっちゃう。

「いいわよ! じゃああたいが先に取るわ!」
「ええよええよ。でも一個から三個までやからね」
「じゃあ三個!」

 おはじきの中であたいが目を付けた特に綺麗なのを取る。

「ほな、俺も三個」
「む、あたいはまた三個!」
「じゃあ一個にしとこかな?」
「ふふーん。あたいはまた三個! そんな弱腰じゃ勝てないわよ!」
「そらどうやろな。二個取るわ」

 楽しそうにおはじきを取る人間。
 むぅ、絶対負けないんだから!

「チルノちゃん。三個ばっかり取ってたら負けちゃうかも……」
「大ちゃんがそう言うならここは二個にしておくわ!」
「ほな、三個もらうわ」

 あっという間におはじきが無くなって残りは五個になった。

 えーっとここで三個取れば、二個残って……あ、あれ?
 えーっと二個取って、三個残せば……あれ?
 えーっと一個取って……あれあれ?

「あ……」

 これ、あたいの負けだ。

「う、うう~~~」

 人間に、負けた。
 弾幕ごっこじゃないけど負けた。
 さいきょーのあたいが。

 霊夢とか魔理沙にも負けたけど。
 なんかこんな普通の事で負けると。
 その時よりもすごくくやしい。

「俺の勝ちやね?」

 人間があたいの頭を撫でながらしゃべる。
 うるさい、勝ったからってえらそうにすんな。

「でもな……弾幕勝負やったら君の方がずっと強いんよ」

 あたいは驚いて顔を上げる。
 人間は笑いながらあたいを見つめていた。

「俺は弾幕撃てへんから。弾幕勝負やったら何も出来ひんまま負ける。その分野じゃ弾幕が撃てるって言うだけで俺に勝てるよ。それこそ君だけやない。大妖精ちゃんもそうやしルーミアちゃんもそう。弾幕が撃てるヒトら全員に負けるほど俺は弱い」

 自分の事を弱いって言い切った人間は、なんかうらやましそうにあたいを見た。
 なんだろ? 弾幕ごっこが出来るのがうらやましいのかな、この人間。

「強さなんてやる事によって変わるんよ? 今回は君が負けたけど次は俺が負けるかもしれへん。やからまぁ……また勝負しにおいで。仕事してなかったらいつでも相手したるよ。弾幕勝負は無理やけどね」
「……」

 なんか、こいつ変な人間だ。
 霊夢とか魔理沙は一回、負けてからはこっちから勝負しにいっても相手にしてくれなかったり、めんどくさそうにするのに。

 なんか。
 なんかよくわかんないけど、嬉しい。

「次はぜったいに負けないからな!! 手を洗って待ってろ、『福太郎』ーーー!!!!」
「洗って待つのは手やなくて首やね」

 なんか恥ずかしくなって大声出してさっさと飛んでいく。

「ほな、大妖精ちゃんもまたなぁ」
「は、はい! 今日はありがとうございました! 待って、チルノちゃん!!」

 大ちゃんが追いかけてくるのがわかる。
 ちょっと飛んでから一回、振り返ると福太郎はあたいたちに手を振っていた。
 それがまたなんか恥ずかしくてあたいは逃げるみたいに飛んでいった。

「チルノちゃん……」
「なに、大ちゃん?」

 追いついた大ちゃんがあたいに声をかけてきたのでそっちを見る。
 大ちゃんはニッコリ笑ってこう言った。

「良かったね」

 嬉しそうな顔の大ちゃんを見て、あたいは自分が笑ってるのにようやく気が付いた。

「……うん!」

 なんでかわからないけど、なんかとっても嬉しかった。



 出会いから一週間が経過した今。
 チルノや大妖精が福太郎の元にいる事は珍しい事ではなくなり。
 ルーミア共々、福太郎とじゃれ合う姿を里人たちから暖かな目で見守られるようになっていた。


 氷精は新しい遊び相手を見つけた。
 妖精としては破格の力を持っている彼女は、手加減と言う物を知らず。
 遊ぶ事が出来る者は少なく、心のどこかでそのことを寂しく思っていた。
 最強などと自称し、誰彼構わず戦いを挑んでいたのは寂しさの裏返しだった。
 そんな彼女からすれば、遊ぶ事を確約した福太郎の存在はとても嬉しい物であり、宝物のような物でもあるのだ。
 本人が気付いているかどうかは別として。

 絵描きは無邪気な妖精ですら持っている強さに羨ましさと僅かな疎外感を覚えていた。
 人が自由に生きるにはこの世界はあまりにも厳しい事を改めて実感した。

 だがそれでも。
 自分が変わる事はないだろうという事も確信していた。
 自分が相手をする事で、喜びを隠そうとして隠しきれていない寂しがりやの氷精と遊ぶのも悪くない。
 少しでも他人と関わる事で、純粋な氷精の子が『何か』を感じてくれればそれでいいと考えながら。


あとがき
氷精が遊び相手を見つけたようです。(挨拶)
作者の白光(しろひかり)でございます

超難産でした、チルノ。
チルノの思考回路をチルノの視点で書く事がこんなに難しいとは。
何度、書き直したかわかりません。

ご意見ご感想などありましたら感想掲示板にお書きください。
それと話数もそれなりの量になりましたので、その他掲示板への移転を考えています。
いつ移転するかなどはまだ決めていませんのであくまで予定ですが。
さて次は誰を書こうかな?

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと小さな百鬼夜行
Name: 白光◆20de84d4 ID:b4031ab0
Date: 2010/04/13 22:53
 本日の仕事は休業。
 以前、阿求の命令と言う名の嘆願を受けて出店をお休みさせてから福太郎は定期的な休日を設けるようにしていた。
 自分に関わってくれる人々(人ではないモノも多いが)に余計な心配をかけない為だ。

 福太郎は身体能力的にはごく普通の人間である。
 走れば疲れるし、無理をすれば体は悲鳴を上げる。
 適度に休息を入れなければ、いずれは身体を壊してしまう可能性があるのだ。

 そして今日は事前に周知していた定休日であり、彼は稗田屋敷でのんびりとしていようと決めていた。

「あ~~、平和や」

 ずずっとこの一ヶ月少しの間に自分専用になった湯呑みでお茶を啜る。
 ぼんやりと中庭の風景を眺めながら、時折聞こえてくる屋敷の外の喧騒に耳を傾ける。
 休日での福太郎は大抵、そうして一日を過ごすので稗田屋敷では既にそれは見慣れられた光景だ。

 もっとも最近は彼の休みにかこつけて屋敷を訪ねてくるモノも多いのだが。

 例えばそれは最初に彼に懐いた宵闇の妖怪であったり。
 例えばそれは彼の事を宿敵と称して追い掛け回す氷精や彼女のストッパー妖精であったり。
 例えばそれは深夜の会合を経て、彼の事を認めた妖怪の賢者であったり。
 例えばそれは事ある毎に駄弁りにくる幻想郷最速の鴉天狗であったり。
 例えばそれは用事のついでにと偽って様子を見に来る異変解決の第一人者である巫女であったり。

 人妖様々な者たちがまるで示し合わせたかのように彼の休日に押し寄せてくるのだ。
 そして今日もまた。

「よ、福太郎! 相変わらずジジ臭いねぇ」

 彼の前に関わった事のあるモノが姿を現す。

「こんにちは、萃香ちゃん。君は相変わらずへべれけやねぇ。まだ昼前なんやけど?」

 前触れもなく縁側に腰掛ける彼の横に現れ、腰の瓢箪を口に付ける少女。


 伊吹萃香(いぶき・すいか)。
 幼い容姿とは裏腹の立派な二本角を持った『鬼』であり、幻想郷最古参の八雲紫の友人である。
 その怪力は凄まじく、彼女がその気になれば山一つ動かす事も出来ると言われている。


「鬼が酒飲むのに昼も夜もないんだよ~~。飲みたい時に飲んでこそ酒は美味いのさ」
「そら一理あるけどなぁ。人間には真似できひんよ。そんなキツイのを水みたいに飲むんわ」

 お茶を啜り、ほっと息を付きながら会話をする福太郎。
 萃香は彼の横に腰掛け、大口開けて瓢箪の中身を流し込む。
 その豪快な飲みっぷりは見ていて清々しい。
 普通の人間である福太郎には絶対に真似は出来ないが。

「福太郎はあんまり強くないもんねぇ。宴会の時もこれ一杯でフラフラだったし」

 瓢箪を示しながら萃香はケタケタと人懐っこい笑みを浮かべる。

「やからそれ人間が飲むにはキツイんやって。一杯だけやけど一気したんやからええやんか」
「あはは、確かに。あたしが囃し立てたとはいえ宴会の楽しい雰囲気を崩さないように付き合ってくれたのには感謝してるよ」

 彼と彼女が最初に出会ったのは博麗神社。
 時折、自身の『密と疎を操る程度の能力』で人の噂を集めている彼女は、幻想郷に居着いた絵描きに興味を持っていた。
 博麗神社で福太郎と出会い、紆余曲折あって歓迎会を開く事を提案し、提案者として参加。
 鬼らしく真正面から福太郎と腹を割った話し合い(と言う名の絡み酒)を行った事を切っ掛けに彼と良好な関係を築いていた。

 幻想郷に在る妖怪の中でもかなりの古株であり強大な力を持つ鬼である彼女と友情を育んだ事によって、彼の評価がまた一つ塗り替えられているのだが例によって本人はまったく気付いていない。

「今日はどうしたん? 宴会のお誘い?」
「ん~~、いや福太郎がお休みだって聞いてさ。暇だったし世間話でもって思ってね」
「ああ、そういう事ね。今日は一日、ぼうっとしてる予定やしかまへんよ」
「それじゃダラダラとお話しようか。……(相変わらず気負いも何もないなぁ、福太郎は。一応、アタシは鬼なんだけどねぇ)」

 人外に対する緊張や気負い、何の躊躇も感じさせず自然体で彼女と会話する福太郎。
 純粋な人間でありながら鬼と相対する事が出来るモノは少ない。
 歴代の博麗の巫女や阿求乙女、今の世になって生まれた普通の魔法使いや吸血鬼の従者。
 阿求乙女以外の者は全て人外と対等に渡り合う力を持っている。

 しかし彼は外来人。
 何の力も持たない、対抗する術を持たないはずの人間だ。
 だと言うのに彼は幻想郷に来てから一ヶ月足らずで様々な人妖と縁を作った。
 それは彼にとっては自然な事だが、幻想郷に生きるモノ達からすれば話は別。

 人とそれ以外の存在の垣根が明確に分けられているこの世界で、彼の行動はある種の異端である。
 何者も区別しない気質を持つ博麗の巫女は例外だが。

 だから紫は彼を警戒した。
 普段は飄々としていて何を考えているかわからないが、八雲紫は幻想郷を愛している。
 別に人間と妖怪が仲良くするなとは言わない。
 そんな事を言うならばまずは今の博麗神社の状況こそ真っ先にどうにかするべきだろう。

 妖怪がその在り方を変えた結果、その存在が消失するのならばそれすらも受け入れる。
 『全てを受け入れる場所』である幻想郷では『変化』もまた受け入れられる。

 度の過ぎた変化が起こったその時、『博麗の巫女』が動くのだ。
 今まで起こってきた様々な異変を解決してきた時のように。

 しかし緩やかな変化であれば、彼女が動く事はない。
 昼行灯と言うか、色々とマイペースが過ぎるところのある今代の彼女は自分で異変を察知して動き出す。
 今までは規模の大きいモノばかりだったが。
 彼のような力を持たない人間が起こす小さな、しかし『悪意ある変化』に反応するとは思えなかった。

「(だから紫は自分で動いて福太郎を測った。もしもコイツに悪意があった場合を想定して。結果はコイツがこうしてココにいる事からもわかる)」

 もしも紫との会合で、福太郎が彼女に危険視されていたら。
 彼は次の日にはこの幻想郷から文字通り消されていただろう。

 彼女のスキマならばただの人間を消す事など容易い。
 否、実際に彼を殺そうと思えば誰でも出来るのだ。
 何の能力も持たない同じ人間でさえも。

「(そんな貧弱な存在のはずなのに福太郎は相手が誰であっても変わらない。変わらないで在るという事はただそれだけで難しいのに)」

 長い年月が過ぎ、時代が流れ、人の意識が変わっていき。
 故に忘れられた人外たちは幻想郷に来たと言うのに。

 何者も在るがまま受け入れる彼の存在は畏怖される存在として見れば不快感があるが、それ以上に傍にいる事が心地よく感じられる。
 霊夢と一緒にいる時と同じかそれ以上に緩いこの雰囲気が、彼女にとってはとても心地よいのだ。

「あ、だから紫は福太郎を気に入ったのか」

 思考に耽っていた萃香は唐突に出た答えを思わず口に出していた。

「ん? 何の話?」
「ああ。紫が福太郎を気に入った理由がわかったんだよ。だから思わず声に出たのさ」

 相変わらずの赤ら顔で、ふにゃりと笑いながら萃香は告げる。

「へぇ? それは結構、気になるなぁ。教えてくれへん?」
「あはは、そりゃ駄目だよ福太郎。そういう事は本人から聞き出さないと」

 チッチッチと人差し指を振りながらニヒルに口元を歪める萃香に福太郎は「せやね」と相槌を打つ。
 元々、無理をしてまで聞き出そうと思っていない。
 彼女の意見も最もな事だしと納得したのだ。

 そしてなにか次の話題はないかと彼が中空に視線を彷徨わせていると。
 唐突に萃香が瓢箪を福太郎の手に押し付けてきた。

「……」
「……」

 無言で彼女に視線を送る。
 彼女はニヤニヤ笑いながらくいっと何かを煽る仕草をしてみせた。

「……えーっと、もしかしなくてもこれは」
「話題が無くなったなら付き合いなよ」
「えーー、今日は駄弁りに来ただけちゃうの~~」
「酒は気分を良くするからね。素面の時には出来ない事を話す気になれば、駄弁るのも盛り上がるだろ?」

 情けない声で抗議する福太郎に対して萃香は笑みを消す事なく自分の胸を逸らしてふんぞり返る。

「いやぁ酔い潰れんのいややし、遠慮したいなぁって思うんやけど」
「だったらさっさと話題を振るんだね。さあさあ!!」

 話をしろと言いながら萃香はぐいぐいと瓢箪を押し付ける。
 潰されない為に必死に頭を働かせて福太郎は話題を捜す。

「そ、そういえば初めて萃香ちゃんと会った時もこんな感じでお酒進めてきたっけなぁ」
「うん? ああ、博麗神社での宴会の話ね。確かに色々と被ってるとこあるかもねぇ」

 なんともわかりやすい且つ不器用な話の振り方をする目の前の男に相槌を打ちながら萃香はその時の事を思い返した。



 その日、私は「なんか面白い事がないかなぁ」なんて考えながらブラブラと空を飛んでいた。
 最近は地底の方で鬼仲間の勇儀やその取り巻きと飲んでたから地上に出るのは少しぶりになる。
 だからとりあえず霊夢に会いに行こうと博麗神社に向かいながら、能力で人里の話を集めていた。
 なにか変わったことがあればすぐに耳に入るようにしておきたい。
 何が面白い事になるかわからないのが世の中だしね。
 まぁ実際には中々、面白い話なんてないんだけど。

 でも今回は違っていた。
 地底から博麗神社まで空を飛べばそんなにかからない。
 せいぜい一刻ってところだ。
 でもそんな短い間に集まった話の中に、私はすっごく興味を引かれる物を見つけた。

 『外来人の絵描き』
 一ヶ月経つか経たないかくらい前に人里の稗田屋敷に居着いた人間。
 能力を持たないごく普通の人間でありながら宵闇の妖怪や妖精に慕われ、あのパパラッチ鴉天狗と懇意にし、あまつさえあの風見幽香と友人になるという離れ業をやってのけた男。

 そんな男が現れたという。

 こんな面白い話に私が飛びつかないわけがない。
 話を集める限り、霊夢とも浅くない関わりがあるらしいし、偶然を装って話を聞いてみると面白いかもしれない。

 私は集めた話を聞きながら、博麗神社目指して飛び続けた。
 気持ちが逸ってなんか速度が上がってたような気がするけど、それも仕方ないだろう。

 霊夢や魔理沙たち以外で『そんな面白い事をする人間』がいるなんて思いもしなかったんだから。


 神社に着くと霊夢の姿はなかった。
 この時間なら境内で掃除してると思ったけど。
 いつも通りの見事な鳥居をくぐり抜けて、境内を見回す。
 耳を澄ませてみると拝殿の奥、本殿の方から話し声が聞こえたのでそっちに行ってみる事にした。

「(話し声って事は霊夢一人だけじゃないね。ん~~、ここからじゃよく聞こえないなぁ)」

 能力を使って話し声を集めてもいいんだけど、そうすると確実に霊夢に気付かれるからなぁ。
 前に異変起こした時から、能力使うと勘とか言ってすぐにばれるんだもんなぁ。
 あの直感は一種の能力だよね。

 こっそりと本殿の影から覗き込む。
 本殿の裏手は住居の庭と直結してる。
 お客を迎える時は大抵そこだけど、今回も例に洩れずにそこにいるみたいだ。

「まったく、自分の身の安全を第一に考えてって何度言わせるんですか……」
「いやぁなんかごめんなぁ」
「謝るなら心配かけないでください」

 霊夢と聞きなれない男の姿が見える。
 いつも通りの赤い巫女服を着た霊夢は目の前でポリポリ頬を掻いてる男に向かって文句を言っていた。
 肩を怒らせて見ていてわかるくらいに機嫌が悪そうだ。

「しっかり怒ってね、霊夢! じゃないと福太郎、またなんかやるからさ~~」
「霊夢が誰かを説教する姿なんて初めて見た……」

 その二人から距離をとって野次を飛ばしてるのは確か宵闇の妖怪。
 その隣にいるのは白玉楼の庭師だ。

 よくわからない取り合わせで話しかけるタイミングが掴めないでいると霊夢がこっちを見た。

「あら、萃香じゃない。何しにきたのよ?」

 話の矛先が逸れた事で男があからさまに「助かった」って顔したけど、すぐ傍に居る霊夢が気付かないわけがない。

「福太郎さん、まだ話は終わってませんよ?」
「ほんまにすいませんでした!!」

 霊夢のドスを利かせた声にその場で頭を地面に付ける勢いで謝る男。
 うん、見事な土下座だね。

 って言うか霊夢、怖いよ。
 ほんとにあんた、巫女かい?
 まぁ今更かもしれないけど。

「あっはっは! なんか面白そうなところに出くわしたねぇ」
「なにが面白いのか知らないけど、ほんとにアンタなにしに来たわけ?」

 なんだかいつになく素っ気無いねぇ、霊夢は。
 土下座をやめてぼんやりこっちを見てる男に私の事を紹介してもいいだろうに。

「えーっととりあえずそっちの人は初めまして。最近になって人里に住み着きました田村福太郎言います」
「おお! お前が噂の外来人の絵描きか! 集めた話で興味持ってたけどもう会えるとは思わなかったよ! いやぁ今日はついてるな!!」

 ある程度、予想していたけど実際にそうだとわかればやっぱり嬉しいもので。
 私は思わず名乗った福太郎の傍によりその背中をバシバシ叩いた。

「いた!? チカラ強ッ!? もっと手加減してお嬢ちゃん!?」
「大丈夫? フクタロー?」
「あわわ。す、萃香さん。止めてください! 鬼の力で叩かれたら田村さん死んじゃいますから!!」

 背中を叩かれるのを嫌って仰け反りながら距離を取る福太郎。
 その反応が面白くて追いかけてもっと叩いてやろうとすると庭師の妖夢が慌てて私を止めてきた。
 もうちょっと遊びたかったんだけど、まぁいいか。

「福太郎、私の名前は伊吹萃香! この雄々しい二本角が示すとおり鬼だ! よろしくな!!」
「へぇ、鬼かぁ。これからよろしゅう、萃香ちゃん」

 まだ痛いんだろう背中をルーミアに擦られながら私に右手を差し出す。
 ふぅん。
 私は見た目がこんなんだから初対面の人間が警戒するって事は稀だけど、正体に気付いた人間は警戒するか怖がるのが常だ。
 まぁ酔っ払った人間たちの場合、混じって気安くしてれば全然、気にしないでいてくれるけど。
 素面だったらやっぱり怖がられるっていうか距離を置かれるのが当たり前。

 だけどこいつは素面で私と相対しているのに必要以上に恐れていない。
 鬼と名乗った事で私の事を『違う種族』だと認識はしているようだけど、でもそれだけだ。
 うん。こいつは予想以上に面白い。

「よろしく、福太郎!!」

 自然と良くなっていく気分をそのまま顔に出しながら差し出された手を握る。
 人間の暖かい体温が手を通して私に流れ込んでくるような気がした。

「福太郎さんと親睦深めるのはいいけど。……質問したアタシを無視するってのはどういう了見なの、萃香?」
「ひゃいッ!?」

 心の底から怒りを搾り出すような霊夢の声に私の身体が硬直した。

「いだだだだだだッ!? 手が潰れる!? 商売道具が潰れてまうぅううううう!?」

 思わず掴んでいた手を握り締めてしまって福太郎が悲鳴を上げたが、申し訳ない事に気を使ってやる余裕がない。

 さっさと手を離して振り返る。
 そこには既にお祓い棒持って、臨戦態勢の霊夢がいた。
 視界の端に福太郎に駆け寄るルーミアと妖夢の姿が見えて、助けが期待できないという事を理解する。
 いつになく好戦的な霊夢の様子はちょっと気になったけどここまで明確に勝負を挑む姿勢を見せられたら私のやる事は一つしかない。

「……これはやるしかないね。鬼が勝負事から逃げたとあっちゃあ山の四天王と呼ばれた私の名が廃るし」
「良い度胸ね。説教が中断しちゃったから、その憂さ晴らしさせてもらうわ」

 憂さ晴らし。
 なるほど、福太郎が言う事聞かないから溜まった鬱憤を弾幕勝負で晴らそうってわけか。

 お互いに中空に舞い上がりながら私は思考を巡らせる。

 でも本当にソレだけかな?
 霊夢は歴代の博麗の巫女の中でも特に理不尽な事をするヤツだ。
 異変解決にしたって目に付く妖怪に片っ端から喧嘩を売って気が付いたら解決しているって言うご都合主義だし。

 だから憂さ晴らしって理由で弾幕勝負をしようとするのは霊夢らしいと言えばらしいんだけど。
 それにしてはカリカリしてるって言うか、怒り具合が成熟してるって言うか。
 少なくとも『福太郎への説教が中断した』だけとは思えないぐらいイライラしているように見えた。

 まぁそれはいいや。
 後で考えれば。
 今はただ。

「目の前の勝負に集中するだけってね!!!」

 幻想郷を代表する戦いで相手は霊夢。
 相手に不足などあろうはずもない。
 心躍る戦いが始まる事に、私はただただ喜び勇み、笑みを深くした。


 そしてあっという間に夜になった。
 苛立ちとか鬱憤とか色々と詰まった弾幕をぶつけてきた霊夢は、いつも以上に手強かったけど。
 いつもの余裕が見られなかったからか、勝負は私が勝つ事が出来た。
 別に何か賭けていたわけじゃないけど。
 ただ勝負しただけって言うのもなんだか味気なかったから『福太郎の歓迎会』と称して宴会をするように霊夢に持ちかけた。

「……そういう事ならまぁいいわよ。準備、手伝いなさいよ?」
「お、今日は乗り気だね? いつもならグチグチ文句言いながら用意するのに」
「いいじゃない、別に。妖夢、丁度良いからアンタ手伝いなさいよ」
「なにが丁度良いのかさっぱりわからないんだけど? っていたたたた!! 引っ張らないでよ、ちゃんと手伝うから!!!」

 追求されたくないのか、早足で社務所に入っていく霊夢。
 腕を掴まれて引きずられていく妖夢を尻目に私は福太郎に声をかける。

「いやぁ悪いね。つい力が入っちゃってさ。手、大丈夫?」
「ああ、うん。平気平気。いや痛かったけどね」

 さすが鬼やなぁ、なんて妙な感心をしながら福太郎はのんびり笑う。
 別にやりたくてやったわけじゃないけど、手を握り潰しかけた相手によくこんな顔が出来るなぁ。

「フクタロー。手、真っ赤だよ」
「大丈夫大丈夫。ルーミアちゃんは心配性やねぇ」

 問題ない事を示そうと福太郎は真っ赤になった右手でルーミアの頭を撫でる。
 うん、ほんとに問題ないみたいだね。
 やっといてなんだけど大事無くて良かったよ。

「勝負には勝ったし、宴会には出れるし今日はほんとについてるよ」
「嬉しそうやねぇ、萃香ちゃん」

 霊夢が出したお茶を啜りながら福太郎はほっと息を付く。

「鬼にとって勝負事とか宴会みたいな馬鹿騒ぎは望む所だからねぇ。鬼は根本的に皆、こんな性格だよ」
「毎日が楽しそうで結構ですなぁ。っていうか鬼って他にもおるの?」

 瓢箪の中の酒を飲みながら、語ってみせると興味津々に相槌を打ってくる。

「うん。私以外にも地底にいるよ。その中でも力のあるヤツに勇儀って名前のがいてね。そいつが地底の鬼たちの元締めみたいな事してるんだ」
「ほぉ~~、鬼って案外、まとまってるんやね。元締めとかいるんや」

 意外そうに、感心したように言う福太郎に私は苦笑いした。

「昔は皆、好き勝手やってたんだけどね。長い時間が経って、色々と変わっちまって、鬼もそのままってわけにはいかなくなったのさ」
「あー、そうなんや」

 私の笑い方になにか感じ取ったのかそれ以上、こいつは追及してこなかった。
 うん、気遣いが出来る男だ。
 好奇心は旺盛みたいだけど超えちゃいけない一線を心得てる。
 ちょっと気遣い方があからさまだけど。

「ほら、萃香! アンタ、料理くらい運びなさいよ!」
「おっと呼ばれてるから私は行くよ」
「はいはい、いってらっしゃい」
「いってらっしゃーい!」

 あまり接点のない宵闇の妖怪が無邪気に笑いながら手を振るのに応えながら私は霊夢のところへ向かった。

「あのルーミアが人間に懐いたか。人里の話を集めた時に聞いてはいたけど、実際に見るとやっぱり違うね」

 あれは本当の意味で心を開いていた。
 心の底から相手を信頼しきっていた。
 無邪気であるという事は時にとても残酷な事。
 実際にあの妖怪は罪悪感など持つ事なく人を食う。
 そういう性を持った者であるから、罪悪感など抱かないし、そこを疑問に思ったりもしないはずだ。
 
 その彼女がああして人間と共に在る。
 在り方を変えたのは間違いなく福太郎だ。

「まるで桃太郎みたいだね」

 その昔、桃から生まれた異端児がお供を連れて鬼と戦い改心させた物語を思い出す。
 今も尚、子供に言い聞かせられる英雄物語。
 あの性格じゃ『戦う』んじゃなくて『言い聞かせた』だけなんだろうけど。
 異種族を心変わりさせたという点では共通している。

「そういえばどっちも『太郎』だね。いやいやほんとに面白いなぁ」

 私の独り言は誰にも聞かれる事はなくただ私の心にだけ響き渡った。


 宴会はごくごく小さな物だった。
 突然の召集で集まったのは魔理沙とアリス、どこからか聞きつけた文にその場に居合わせた妖夢とルーミアだけ。

 福太郎としてもそんなに大勢で来られても気後れするから、これくらいで丁度良いと笑っていた。

 博麗神社の宴会は食事よりも飲む方が多い。
 どいつもこいつも酒が飲めないヤツはいないから(いたって飲ませるけどね)、いつも盛り上がる。
 勿論、今回は主役に盛り上げてもらうつもりだ。

「さぁ福太郎! ここが男の見せどころだよ! さぁ思いっきり行きな!!」

 そう言って霊夢が用意してくれた杯に瓢箪の酒を注ぐ。
 人間にはこの酒がキツイ事はわかっていたけど、この不思議な人間が面白いからいつも以上に羽目を外してしまった。
 霊夢にだってした事なかったんだけどね、酌なんて。

「あ~~、う~~。ほんなら一杯だけ」

 匂いを嗅いだだけでキツイ酒だと言う事がわかったんだろう。
 福太郎は右へ左へと目を動かしてから覚悟を決めたように一息に飲み干して見せた。
 魔理沙や霊夢、ルーミアが「おおっ」と驚き、アリスが呆れたようにため息を付く中で私はただ笑った。

「ぷはぁ! キツっ!? 思ってたよりキツイわ、これ」
「あははは! わかってて飲んだ癖になに泣き言いってんのさ!」

 そう言って瓢箪の中身を一気に呷る。

「これでアンタと私は酒を飲み交わした仲だ! 光栄に思いなよ? 鬼と飲み交わす普通の人間なんて幻想郷にだっていやしないんだからさ!!」

 バシバシと肩を叩いてやると福太郎は控えめに笑った。

「ほなら、俺もお返しがいるかな。今度、人里に来た時にでも俺んとこ来てや。君の絵を書いたるから。まぁ気に入るかどうかは萃香ちゃんに任せるけど」

 そいつはまた雅なお返しもあったもんだ。
 鬼の絵なんて粗雑で邪悪な『昔の在り方のモノ』しかないって言うのに。
 今の鬼の姿を書こうだなんて。
 今、在る鬼の形を残そうとするなんて。
 本人は絶対にわかってないんだろうけど、それはとても素晴らしい事だ。

「そいつはいいね! ああ、まったく今日はほんと気分が良いよ。なぁ鴉天狗、ちょっと付き合ってよ!! お前は福太郎より飲めるだろ!!」
「うぇ!? は、はい! 謹んでお付き合いさせていただきます!!」

 自分に話が来るとは思わなかったんだろう天狗が慌てて立ち上がる。
 少し逃げ腰なのはこれから私の本気の飲みに付き合わされる事がわかっているからだろう。

「よっしゃ浴びるほど飲むぞ~~~!! 福太郎と三日月と幻想郷にかんぱ~~~い!!!」
「「「「「「かんぱーーーい」」」」」」

 私の音頭に合わせて集まった六人が乗っかる。
 いいね、宴会はやっぱりこうじゃないと。
 瓢箪の酒を一気に口に含みながら、私は天に昇った上弦の月を見上げた。



「あの宴会の何日か後に、人里に行ってアンタに絵を描いてもらったね」
「嬉しそうやったもんなぁ、萃香ちゃん」

 描いた側なのにすごく嬉しそうに笑う福太郎に釣られて私も笑う。

「あれさ、描いてもらった後に地底に行って鬼仲間に見せびらかしてきたんだよね」
「えっ? それ、マジで?」
「鬼は嘘付かないよ。勇儀とかすっごく羨ましがってたからその内、来るかもね」

 見せびらかした私も大概だけど、あの時の勇儀の悔しがっている姿はほんとに子供っぽかったな。
 思い出すだけで良い肴になる。

「勇儀が、一本角の鬼がアンタを訪ねてきたらさ。私と同じように接してやってよ」
「ん~~? おんなじようにって言われてもなぁ」

 意味がよくわからなかったんだろう福太郎は首を傾げる。

「そうそうそんな感じでいいよ。別に気構える必要なんてないさ」
「ふ~~ん。まぁお客として来るんやったらどんな人でも歓待するよ、俺は」

 何の気無しに軽く言うけれど。
 それを異種族相手に実行する事がいかに難しい事か。

「やっぱりアンタも『太郎』だねぇ。頼もしい限りだよ」
「ん? なんか言うた?」

 首を振りながら、私はなんとなく福太郎に手を差し出した。

「アンタが幻想郷からいなくなるまで。改めてよろしく」

 福太郎は私が差し出した手を短いながらも見慣れたのんびりとした笑みを浮かべながら握り締めた。



 小さな百鬼夜行は絵描きと出会い、その在り方を認めた。
 長い年月を良くも悪くも人と関わりながら生きてきた鬼にとって彼の生き方は心地よく、またとても面白い物で。
 関わる事を是とする事に一辺の躊躇いも生まれなかった。

 絵描きにとって彼女は文のように気安く話せるモノである。
 幼い外見とは裏腹に、酒飲みで一見ではただの酔っ払いにしか見えないがその瞳の奥に隠された思慮深さは一歩下がって物を見る彼を安心させて余りある物だった。
 お互いに超えてはならない一線が理解できるならば余計な気遣いは不要なのだ。

 この二人が関わる事で幻想郷に新たな『太郎伝説』が生まれる事になるかどうかはまだ誰にもわからない。

 これは迷い込んでしまった絵描きと小さな百鬼夜行の物語。



あとがき
鬼が新たな話し相手(絡み酒の)を見つけたようです。
覚えている方はお久し振りです。
作者の白光でございます。

年度末と年度初めで仕事が忙しく土日も働くという強行軍。
お蔭で投稿がこんなにも遅くなってしまいましたし、ろくろく修正も出来ていません。
まずはコノ場をお借りして謝罪させていただきます。
申し訳ありませんでした。

さて今回の萃香話でしたがいかがだったでしょうか?
微妙に妖夢話と軸を被らせてみましたが、どこか不自然な点が見られるかもしれません。
ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。
さて次は誰にしようか。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
更新は不定期になりますがまた次の機会にお会いしましょう。



[11417] とある絵描きと九尾の狐
Name: 白光◆20de84d4 ID:b4031ab0
Date: 2010/05/09 22:33
 福太郎はこの日、仕事を休みにしていた。
 理由は至って単純。
 外があいにくの雨模様だった為である。
 彼の出店は絵を描くという性質上、雨というか水に弱い。
 紙が濡れてしまえば絵は描けなくなるし、絵の具にしても不適当な量の水に付けてしまえば望んだ色が出せなくなってしまう。

 よって本日は臨時休業になったのである。
 彼がこの幻想郷に来てから仕事のある日で天候の崩れに見舞われた事はなかった為、臨時休業は初めての事だ。
 一応、自分の店を訪ねてくる人がいた場合を考慮して出店のご近所さんには今朝早くに休業の件は伝えてあるのでお客が待ちぼうけになる事はない、はずである。

 開け放たれた窓の外から小さな雨粒が地面に落ちる音が聞こえる。
 風はほとんどなく、シトシトと降り注ぐ雨は風情を感じさせた。

 心地よい静けさに包まれた自室で福太郎は本を読んでいる。
 古い冊子の本だ。
 表紙には達筆な字で『幻想郷歴史録 参の巻』と書かれている。
 慧音が作成している歴史書とは別に『稗田家』が保管している物で、当主の許可がなければ閲覧できない代物である。
 内容は幻想郷が始まった頃から『稗田家当主』が記してきた幻想郷の出来事についてだ。

 福太郎は自分が元の世界に帰る為の手がかりを探していた。


 彼は幻想郷にいる事に抵抗はないが、己がいた世界に帰る事を諦めているわけではない。
 こちらの世界を精一杯、楽しんでいるせいで周囲には『こちらに骨を埋める気である』と勘違いしているモノも多いのだが。

 本人としてはソレはあくまで最終手段だ。
 果たしたい約束があるし、『自分の死を看取る』と言ってくれた友人もいる。
 だから彼は帰る為に出来うる限りの手を尽くす。
 その結果、帰れなければその時こそ彼は『幻想郷で朽ちる事』を覚悟するつもりなのだ。

 閑話休題。
 今、彼が読んでいる書物は字体が彼の知っている文字に比べて古い為、読み進めるのも一苦労の代物だ。
 約一ヶ月もの間、地道に目を通してやっと三冊目にかかっているのが現状。
 読めない箇所に当たる度に阿求や屋敷の住人、慧音や遊びに来る連中に聞きだして『ようやく』の成果なのである。
 進行具合が芳しくない上に、帰還に役立ちそうな記述も今の所、見つかっていない。

 前途多難であるが、だからと言って諦めるつもりは彼にはない。

 そして彼の意志を正確に知っている『幻想郷の賢者』は時折、手伝いとして自身の式神である『彼女』をよこすようにしていた。

「福太郎。今、構わないか?」
「ああ、藍さんですか? どうぞ」

 部屋の主の色好い返答を受け、音もなく障子が開かれる。
 シズシズと入室してきた女性はまた音もなく障子を閉めると福太郎に対面するように座った。

「ああ、すいません。座布団どうぞ」
「ん、すまないな」

 彼が押入れから出した座布団に座り直す女性。


 彼女の名は八雲藍(やくも・らん)
 中華風を思わせるゆったりとした衣服を身に纏った女性。
 その背には大きな尻尾が九つも揺らめいており、彼女が人間ではない事を物語っている。
 彼女は数々の書物にその名を連ねる『九尾の狐』なのだ。
 色々と悪さをしてきたとされている彼女は現在、八雲紫の使い魔としてこの幻想郷の管理に携わっている。
 妖怪としての力はずば抜けて高いが主が適当且つ面倒臭がりの為、幻想郷に関連した彼女がやるべき仕事のほとんどを代行している。
 上司に恵まれないサラリーマンのような苦労性を持ってしまった常識人である。


「順調か?」
「ええ。まぁ自分のペースでやってますよ。というかすみませんね。前に手伝ってもらって」
「お前への助力は紫様の命だ。それに書物に触れる作業は嫌いじゃないからな。私自身、楽しませてもらっているのだからお前が気にする必要はないさ」

 恐縮しながら頭を下げる福太郎に対して、涼しげに微笑みながら告げる。

 語られる物語では良い行いをするモノとは言えない九尾の狐だが、藍に関して言えばその気性は至って穏やかな物であり、温厚その物。
 人とは違う感性を持つ存在でありながら人の常識も弁えた実に出来た存在なのだ。

「今日は一日、歴史書を読み解くつもりだと当主殿に聞いている。まだこちらの字でわからない物も多いだろうしそちらが良ければ手伝わせてもらうぞ」
「ああ、えっと。ありがたい話なんですけど……紫さんと橙ちゃんはいいんですか?」

 藍の申し出に頬を掻きながら聞き返す福太郎。
 その脳裏に真剣な時とそうでない時の落差が異様に激しい幻想郷の賢者と藍自身の式神である元気一杯な猫又の少女の姿が過ぎっていた。

「紫様は食事もせずに眠ってらっしゃるからな。あの様子では丸一日寝たままだろう。橙は雨を嫌がって家に篭もっている。本当は一緒に来るはずだったんだがな」
「式神で尚且つ猫ですからねぇ、橙ちゃん」

 尻尾と猫耳をへんにゃりとさせながらしょんぼりと家で留守番している少女を思い浮かべて福太郎は悪いと思いつつ苦笑いしてしまう。

「橙はお前の事を気に入っているからな。あれでかなり警戒心が強い子だから正直、あそこまで懐いた事には私も驚いているよ」

 言いながら藍は重ねておいてあった本を一冊、手に取った。
 福太郎が読んでいる本の次の巻である。

「さ、雑談はこの辺りにしよう。読めない箇所があったら遠慮なく聞いてくれ。前にも言ったが下手な遠慮はなしだぞ、福太郎」
「すみませんねぇ。よろしくお願いします。藍さん」

 いつも人妖入り乱れて騒がしい福太郎の周り。
 しかし今日は静かな一日になりそうであると二人は期せずして同じ事を考えていた。
 かたや苦笑いを浮かべ、かたや微笑を湛えながら。


 私の名は八雲藍。
 幻想郷の守護者である紫様の式神である。
 幻想郷と外の世界を別つ結界を定期的に調査する事が主な仕事だ。
 まぁ我が家であるマヨイガの家事全般も私の仕事ではあるが。

 私はあいにくの雨模様の中、人里に向かっている。
 理由は最近、幻想郷に流れ着いた外来人『田村福太郎』の様子を見る為だ。

 『外の世界に存在しない外来人』という特殊な存在である彼を当初、紫様は警戒していた。
 あの方にしては珍しく、本当に珍しく真剣な面持ちで彼と話をすると言い、私や橙を動員して有事に備えさせるという、いつになく本気のご様子に私たちも気を引き締めて事に臨んだのだが。
 結果、彼に害意など無く能力も持っていないという事を確認しただけに終わった。
 大事無く終わった事にホっとしていた私だが、一つだけ想定外な事が起こっていた。
 それは。

「紫様が福太郎の事をいたく気に入ってしまった事、か」

 普段、悪戯心以外の感情を他者に掴ませない主があそこまで明け透けに他者を気に入り、それを態度で示すというのは実の所、非常に珍しい。
 長年の親友である西行寺様や萃香殿に対しては別だが。

 此度の博麗の巫女である霊夢や事在る毎に異変に首を突っ込む魔理沙の事をあの方は大層気に入っているのだが、それを態度に表す事はほとんどない。
 周囲に言われ続けている『胡散臭い笑顔』で好意を押し包んでしまっているのが常だ。
 あの方の友好的態度の基準は長く仕えている私にもよくわからないが、自分の気持ちを容易に相手に伝えないという一種の『線引き』をしている事くらいはわかる。

 だが福太郎と話す時は違う。
 いつも通りの態度を取ってはいるが、霊夢たちへの態度と比べるとより近しい所に線を引いているように思える。
 我が主は西行寺様たちよりも遠く、しかし霊夢たちよりも近いという新しい位置取りに福太郎の存在を置いているのだ。
 僅か一度きりの会合で、だ。

 彼については事前に情報収集を行っていた。
 わざわざ外の世界に出向いて彼の存在を調べる事はもちろん、幻想郷に来てからの一ヶ月間でどのような事をしてきたのかという所まで。

 なんの能力も持っていないただの人間。
 であるにも関わらず宵闇の妖怪に懐かれ、あの最速の文屋と懇意になり、あまつさえあの人間友好度最悪であるフラワーマスター殿と友好関係を結ぶと言う普通ではない事を仕出かしていた事に驚愕したのは記憶に新しい。

 紫様の『境界を操る程度の能力』で彼の身体能力や能力の有無について調べた結果、何度やっても『普通の人間』である事しかわからなかったと言うのに、やってる事は普通を大きく外れていたのだ。
 驚かない者などまずいないだろう。

 特に幽香殿に関しては人間のみならず『他者』にたいして恐ろしく攻撃的な存在だ。
 種族問わずに機嫌が悪ければ殺意を漲らせて襲い掛かってくるので彼女に関してはよほどの事情がなければ関わろうとする者もいない。
 彼女の住処に望んで近づく者など自殺志願者くらいのものだろう。
 まぁその自殺志願者にしても彼女に殺されようとするくらいなら素直に首を吊って死ぬ事を選ぶだろうが。
 とにかくそんな存在である彼女が人間と友好的な関係を築くなど正直、天変地異の前触れのようにすら思えてしまう。
 紫様と共にそれなりに彼女と関わった(殺し合いという意味でだが)お蔭でその人となりを知っているからこそ、この事実はより衝撃的だった。

 この時は福太郎の得体の知れなさに不安を抱いたものだが。
 結果的にその不安は杞憂だった。

 紫様に福太郎の過去について聞かせて頂き、私は彼についての『普通』という認識を改めた。
 確かに能力は持っておらず、その身体能力も同年代の人間と同等かそれ以下でしかない。
 ソレだけを見れば彼は正しく『普通』だ。

 だが彼は色々と複雑な境遇の人間だった。
 複雑と一言で表すのも憚られるほどに。
 そのせいで普通の人間に比べて異なる感性、価値観を持っていた。

 私は死にたがりな人間を腐るほど見てきた。
 人ならざる者を恐れる人間など吐いて捨てるほど見てきた。
 
 だが彼のように『死を受け入れている人間』は知らない。
 死という結果に対してどこまでも真摯な(言葉が違うかもしれないが他に良い言い回しが思いつかない)彼は危険を危険と認識せず、あるいは認識しても特に意識しない。
 人ならざる存在を相手にしても『気負う事』がないのだ。

 そうであるが故に彼自身の良識に従ってズバズバと物を言うし、その発言に遠慮はない。
 種族の違いは時に致命的な認識の齟齬を生み、それは時に己が命を危険に晒してしまう事もある。
 だと言うのに『既に死という結果を受け入れている』彼は常人が己の命を護る為に意識して抑える所を抑えない。

 これはもはや人間として『異常』だ。
 壊れていると表現しても恐らく問題はないだろう。
 月の姫や紅魔館の吸血鬼に興味を抱かれ、あの一癖も二癖もある文屋と意気投合したのはその在り方が最も大きいと見て間違いないだろう。
 絵描きという幻想郷では珍しい彼の仕事や彼自身の性格も影響しているとは思うが。

「普通に接する分には本当に普通なのだがな」

 危険を危険と認識しないとは言ったが。
 萃香殿の話では彼女の持っている人間にはきつ過ぎるお酒を飲む事は拒否したそうだし(結局、一杯だけ付き合ったらしいが)、故意ではないが腕を握りつぶしかけた際には普通に痛がっていたとの事。
 痛みには敏感であるし、苦痛に対する拒否反応は至って普通の人間なのだ。
 あの氷精に出会い頭に弾幕勝負を挑まれては必死になって逃げ回っているという話も聞いている。
 死ぬ事に対しての抵抗は限りなく低いが、そこに至るまでの過程では人間らしく抵抗する。
 要はひどく歪で理解し難い性格の持ち主なのだ、彼は。
 まぁ人間に関わらず生きている存在には多面性がある物だ。
 普段、優しい人間がその裏に凶暴な人格を有している事など良くある事。
その逆も然り。

 そう簡単に測れてしまうような存在などいない。
 性根とは一見、単純に出来ているように見える物であっても複雑に出来ている物なのだから。

「……だからこそ他者との繋がりと言う物は途切れる事はないのだろうな」

 長々とした思考を締めくくるように呟きながら私は眼前に広がる人里を見やる。

「ふむ。とりあえずは当主殿の屋敷に行こう」

 雨が降っている日は仕事が出来ないと言っていた。
 豪雨というほどではないがこのような日に外出するような人間ではないから、居候している屋敷にいるだろう。
 雨でぬかるんだ地面を踏みしめながら私は人里の中へ足を踏み入れた。


 本を捲る音だけが四畳半の室内に響く。
 どうやら福太郎もこの世界の字(彼のいた世界に比べて字体が古いらしい)に慣れたらしく、今日はまだ質問も来ない。
 中々に優秀だな。
 知的好奇心が旺盛な彼は調べるという事を面倒だとは感じない類だ。
 時々、驚いたり感嘆の息を漏らしたりするその表情の変化は見ていて面白い。

「あ、藍さん。ちょっと聞いていいですか?」
「ん、ああ。なんだ、福太郎?」

 自分が読んでいた本に栞を挟んでから彼に視線を移す。

「この『吸血鬼異変』ってレミリアお嬢さんが起こしたんですかね?」
「ああ、それか。懐かしい話だな」

 幻想郷にいた妖怪たちが色々と情けない有様になっていたときに移住してきたレミリアたちが起こした異変。
 自分が一番強いのだから妖怪も人間も私に従えというある意味、わかりやすい理屈で引き起こされた事件だったな。
 結果は当時、妖怪の山で猛威を奮っていた天狗の元締めである天魔殿と紫様、幽香殿に私が出向いて彼女らの『自分たちが一番強い』という狭い認識を粉々にしてやったのだが。

 まぁ私がやったのは露払いだけで大体は自分の領域を侵されて怒り心頭だった天魔殿とノリノリだった紫様、幽香殿が片付けてしまったのだが。

 大まかな経緯を説明してやると福太郎は「ほーっ」と間抜けに口を開けて感嘆の息をついた。

「……レミリアお嬢さんって相当強いんやと思ってましたけど、幽香さんやら紫さんも大概なんですねぇ」
「あの頃に比べて彼女も力を付けているとは思うが、それを差し引いても紫様の方が上だろう」

 自身の主であるという贔屓目を抜きにしてもそう思う。

 レミリア・スカーレットは私たちから見れば子供だ。
 たかだが五百年生きた程度で自分、引いては吸血鬼という種族が一番強いなどとふんぞり返れる辺り、世間の広さを知らな過ぎる。
 本来なら主より広い見識を持って諌めなければならない従者がただ付き従っているだけというのも私的な評価が低い理由でもある。
 あれは忠誠というよりは依存に近いように見える。

 まぁ在り方はそれぞれなので指摘するつもりなどないし、幻想郷にとって不利益にならなければ私としてはどうでもいいが。
 今は博麗の巫女が定めた『スペルカードルール』もあるし、そこまで大事になる事もない。
 異変解決についても『第一人者』がいるから私や紫様が出張るような事態になる事も稀だ。

 稀と言ったのは紫様に限って言えば異変に介入する事があるからだ。
 白玉楼の異変以降、異変が起こる度に嬉々として向かって行かれる。
 天人が起こした異変に限って言えば私ですら寒気を覚えるほどに本気でお怒りになっていたな。
 幻想郷の要とも言える博麗神社を勝手に自分の別荘にしようとされれば、あの方がお怒りになるのも無理はないが。
 今更ながらあの天人、よく生きていられた物だ。


 ……そういえば白玉楼の件では私自身が異変に加担してしまったな。
 しかしあれは霊夢たちが橙をボコボコにしたせいであって私のせいでは。
 いや結局の所、紫様が面白半分で起こしていたのだから式神である私にも責があるのは明白か。
 ……何故、私はあの時もっと考えて行動しなかったのだ?
 これでは紅魔館の従者と変わらないではないか。

「あの~~、藍さん? どこか身体の調子が悪いんですか?」

 思わず頭を抱えて蹲ってしまった私を心配して福太郎が話しかけてくる。
 
 うう、この男はほんとに普通だなぁ。
 こうやって気遣われるなんてマヨイガじゃ絶対にないというのに。
 いや橙は良い子だし私の為を思って行動してくれるんだがそのやる気が空回りする事も多いから後始末とかが大変で。
 紫様に至っては仕事を丸投げしてくる事も少なくないし。

「ああ、すまない。少し自分の浅慮な行動を思い出してしまってな。別に体調を崩しているわけじゃない」

 気を取り直して間を保つ為に咳払いを一つする。

「まぁその異変についてはそんな所だな」
「ありがとうございます」

 ペコリと頭を下げて福太郎は手元の本に目を落とす。
 私も栞を挟んだ本を開き、また読み進め始めた。
 先ほど同様の心地よい沈黙と本を捲る音だけが空間を支配する。

「……幻想郷に来るって言う事は外の世界で忘れられるって事なんですよねぇ」
「えっ?」

 唐突に、ポツリと呟かれたその言葉は感情豊かな彼から出たとは思えないほど空虚な響きを持っていた。
 思わず彼の顔を見つめる。
 本から視線を外していないがその顔には隠しきれない不安の色が見えた。
 私の視線に気付いた福太郎は苦笑いをしながら私と目を合わせる。

「ちょっと考えてみたんですよ。俺がなんでここに来たのか」

 先ほどの呟きと今の表情を見れば彼が何を考えているのか容易に予測できる。
 幻想郷の成り立ちや在り方を理解している福太郎ならば容易く辿り付いてしまうだろう推測。

「お前が自分のいる世界から忘れられたから、幻想郷に来てしまったと考えているのか?」
「……ええ」

 人々の記憶から消えた者、あるいは外の世界で忌避された者が最後に行きつく場所である幻想郷は外界と隔離されている。
 普通の手段では辿り付く事が決して出来ない場所なのだ。
 特にただの人間が来る事は出来ない。
 結界の綻びが生み出す突発的な物を除いては。

「偶然、来てしまう事もある。むしろ外来人はそういう境遇の者ばかりだからな。確証もないのに自分の事を卑下するような発言をするのは感心せんぞ。それは今までお前と関わってきた者たちに対する侮辱にも成り得るんだからな」
「はは、すみません」

 咎めるように言ってやると福太郎は苦笑しながら謝ってきた。
 だがその表情は曇ったまま。

「……忘れられてしまう事に何か心当たりでもあるのか?」

 福太郎の態度にまさかと思いながら聞いてみる。
 すると彼は頬を掻きながら頷いた。

「心当たりというか、まぁ『もしかしたら』くらいの可能性なんで俺の思い過ごしの気がするんですけどね」

 ため息を一つ付くと福太郎は自分の右肩を左手でそっと撫でた。

「俺の背中に『莫奇(ばくき)』がいるって言う話は知ってますか?」

 彼のいた世界が『大召喚』と呼ばれる出来事で異界と融合したという話は紫様から聞いている。
 その出来事の折、異界の生き物と融合してしまった人間がいるという事も、福太郎もそんな人間の一人だと言う事も聞かされた。

「ああ、存在の記憶を喰らうという。夢食いの『獏(ばく)』と言うよりも『白澤(はくたく)』に近い種族だと聞いているが……おい、まさか!」

 何の予備知識も下準備もなく行われた異種族との融合。
 それは人間側にとってもそれ以外の存在側にとっても想定外の事態であり、混乱のドサクサで死ぬ者も多かったという。
 そんな中にあって福太郎と彼と融合した獏は良好な関係を築けていたはずだ。

「お前と融合した莫奇はお前に対して不利益な事をする存在ではないのだろう?」
「あくまで可能性の話です。こっちの世界に来てから莫奇は俺の呼びかけに応えてくれないですし。まぁ今まで自分から呼び出した事もなかったんでこれだけじゃ何の根拠にもならないんですけどね」

 動揺を鎮めて話を聞く私に対して福太郎は淡々と語り続ける。

「背中にいる事は今でもなんとなくわかるんです。ただ幻想郷に来る前は感じていた『すぐそこにいる』って言う感じがなくなってましてね」
「だからなにか莫奇に変化が起こり、それが原因で周囲の『お前の記憶』が無くなった結果、幻想入りしたという可能性が成り立つわけか」

 確かに可能性としては無いとは言い切れない。
 福太郎の世界で起こった事象については前例がないから、考察する事も難しい。
 人間と異種族の融合、確か融合した人間の事は『ダブルマン』と呼称されているらしいが妖怪や霊に憑かれていると言うわけではなく完全に肉体と同化している。
 通常、生き物に別の存在が重なっていればなんらかの形で違和感をもたらす物だが福太郎には別な存在を内包している事を感知できるだけの違和感は無い。

 故に紫様でさえ福太郎の記憶を覗くまで『その存在』を感知できなかったのだ。

 傍目には一人の人間がいるとしか思えないのだから当然だろう。
 妖力などを感じ取る事もできないので、かの存在について知っているのは極々小数しかいないはずだ。

 その彼について私が知っているのは人間を見守る存在である事と福太郎に害意がないという事くらい。
 紫様から聞いた話の限りだと、相当な力を有している事は予測できるが実物を見たわけではないので断言も出来ない。
 ただ周囲の記憶から福太郎の事を吸い出す事くらいは容易く出来るんだろう。
 福太郎もそう考えているからこそ先ほどの推測が成り立つのだ。

「しかし……」
「ええ、わかってます。全部、俺の思い過ごしだって事も充分に在り得る事は。ただ……どうしても考えてしまうんです」

 彼の視線が私から外れる。
 釣られるようにその視線を追うとそこには『まだ完成していないどこかの邸を描いた絵』が立てかけてあった。
 絵の中には八人の男女の姿がある。
 彼が幻想入りする前に住んでいたという『足洗邸』の住人たちなのだろう。

「こいつらに忘れられてたらと思うと……今、必死になって帰ろうとしている事が無意味になると思うと怖くて怖くて仕方ないんですわ」

 爆発しそうになる感情を堪えるように右手で顔の半分を覆いながら告白するその姿はひどく痛々しい。
 私は彼になんと声をかけていいかがわからず沈黙するしかなかった。

 彼の推測を否定する事は簡単だ。
 あくまで可能性の域を出ないのだから論理的に説明しその可能性の低さを指摘してやればいい。
 だがそんな口先だけの言葉では彼の不安を軽くしてやる事すら出来ない事も私にはわかっていた。
 彼自身、可能性が低い事は理解しているのだ。
 それでもその少ない可能性が『在る事』に怯えている。
 もしもそうなってしまったらと。

 孤独に生きる事すら種族の性としている妖怪の私には、今の彼の気持ちを察する事はできても払拭してやる事は出来なかった。

「……すまない」
「はははっ……藍さんが謝る事じゃないですよ。仮定の話で勝手に怖がって、勝手に不安になってる俺が弱いってだけの話ですから」

 だから気にしないでください、と言外にそう言われているのがわかった。
 酷く痛々しい笑みを浮かべながら。

 何故、お前はそうなんだ?
 自分の感情を仮面で隠して、私を気遣う。

 わかっているのか?
 お前の付けている仮面は、お前が思っているよりもずっと薄っぺらいんだぞ?
 勘が良い者、或いは思慮深い者ならば簡単に気付けてしまうほどに。

 推測とは言え私を信用して話してくれた事は嬉しい。
 だがその後のあからさまな気遣いは要らない。
 下手な遠慮は無しだと言ったはずだろう?

「お前は今の自分がどういう顔をしているかわかっているのか?」

 自然に語気が荒くなってしまう。
 私の感情に呼応して九本の尻尾がざわめくのを止められない。

「……すみません」

 痛々しい笑顔を消して頭を下げる福太郎。
 誤魔化せないと悟ったのだろう。

「謝るな。そして気にするな」

 お前が自分の気持ちを知られたくないと言うのなら私は触れない。
 それくらいの気遣いは出来る。
 触れられたくない事なんて誰にでもあるのだから。

「一つ聞くぞ、福太郎」
「? なんです?」

 この問いかけは彼にとって痛みの伴う物になるだろう。
 だがそれでも今、問いかけねばならない事だと私は思った。

「先ほどの推測、それが仮に当たっていたとして……お前はそれでもお前が生きていた世界へ帰る事を望むか?」
「……」

 黙り込み視線を床に落とした福太郎をじっと見つめ、彼の言葉を待つ。

「そうなってみないとわからないと思います」

 当たり障りのないその回答はある意味、私の予想通りだった。
 これからの行動を限定させるような決断をする事を拒んだのだろう。
 当然と言えば当然の言葉に私は納得し、しかし僅かな失望を心の片隅に感じていた。
 だが彼はさらに言葉を続けた。

「ですけど今の俺の気持ちとしては……たぶん帰ろうとすると思います」

 曖昧な表現を使ってはいるが、福太郎は真剣な目で私を見つめてそう言った。

「……そうか」
「はい。まぁ多分ですんで実際にどうなるかはわかりませんけどね。優柔不断ですみません」

 先ほどまでの痛々しい表情はなりを潜め、穏やかな苦笑いを浮かべながら頬を掻く福太郎。

「いや構わないさ。むしろ飾らずに本音を語ってくれた事に礼を言うよ」

 彼の感じていた不安や恐怖は今も心の中にくすぶっているんだろう。
 それを払拭する術を私は持っていない。

 その事を不甲斐ないと思ってしまう事が、私も橙や紫様と同じようにこの男を気に入っているという事を証明していた。

 私は紫様の式だ。
 そうであるが故に優先順位の決して揺るがない位置に紫様を置き、その為には他の何者をも切り捨てる事が出来る。
 やりたくはないしそんな状況になる事も御免だが、必要とあらば私の式である橙ですらも。

 普通であり異質である稀有な男『田村福太郎』。
 私は自分の中で彼の順位が思っていたよりもずっと高い所にある事を今、認識した。
 友人兼苦労性仲間という位置に。

 ならば私は私に出来る事で彼の手助けをするとしよう。
 彼がどのような形であれこの世界からいなくなるその時まで。

「やれやれ。長話をしてしまったな」
「すみません、手伝ってもらってるのに作業の手ぇ、止めさせてしまって」
「気にするな。話を発展させた責任は私にもある」

 まったく。
 謝るなと言ってすぐにそれか。

「おや? 雨が上がったようだな」
「へ? あ、ホンマや」

 窓から見える灰色の雲の合間から部屋に日差しが降り注ぐ。

「天気が変わった事に気付かないほどに話に集中していたらしいな。私もまだまだ未熟のようだ」
「いやぁそんな事ないと思いますけど」

 肩を竦めておどけたように言ってみるとなんとも不器用な慰めの言葉が返ってくる。

「ふふ、しかし良い天気になりそうだな」

 雲間から見える陽光がまるで雲を切り裂くように広がっていく。
 福太郎を横目で窺うと私と同じように窓から見える景色を見つめていた。

 この光景で少しでもお前の暗鬱とした気分が晴れてくれればいい。

 そんな事を考えていると私の耳に聞き覚えのある声が届いた。
 可愛らしい私の式の声だ。
 まだ随分と距離があるようだが、風を切りながらこちらを目指してきているのがわかる。

「福太郎。もうすぐ橙が来るようなんだが構わないか?」
「へ?」

 間抜けな顔をする福太郎。
 そんなやり取りをしている間にも橙はどんどん近づいてきているようだ。

「藍さま~~~~~~~!!! 福太郎~~~~~~~!!!」
「……なんか俺にも聞こえてきましたわ」

 私としてはあの子が私を呼ぶのと同じくらいの声でお前を呼んでいる事が気になるな。

「ふふふ、ほんとにお前は橙に好かれてるな」
「藍さんほどじゃないですよ」

 示し合わせたように二人で笑い合った。
 まだまだ未熟な愛すべき式がこの場所に辿り付くその時まで。
 この穏やかで静かな一時を満喫するように。


 九尾の狐は絵描きと語らい、彼の意思を感じ取った。
 聡い彼女は彼の稀有な性根に理解を示し、そうであるが故に彼にとっても己にとっても心地よい距離を保つ事を心掛けるようになる。
 親身になり過ぎる事が彼自身の心に負担をかける事を察したからだ。
 それは式でありながら己を確立させている彼女だからこそ出来る最上の心遣いだった。
 愚痴る事が出来る友人を得たという彼女にとってとても重要な思いが混じっているが。

 絵描きは彼女に対して苦手意識を持っていた。
 聡明で誠実な気質の彼女は彼からすればとても眩しく、こちらの心を察した上で真っ向から触れてくる。
 あちらの世界では見ないタイプの存在であるが故に距離を測りかねていたのだ。
 だがそれもこの日の会合で変化した。
 距離感が掴めずについ洩らしてしまった本音に彼女が真剣に応えてくれた事で。
 自分の距離に彼女が合わせてくれる事を理解する事が出来たから。

 これは迷い込んでしまった絵描きと九尾の狐の物語。


あとがき
九尾の狐が愚痴る相手を見つけたようです。
作者の白光でございます。

今回は藍のお話になりましたがいかがだったでしょうか?
藍との個人エピソードというより物語全体の流れに触れまくっていたので今までとは趣向が変わっているように思います。
それでも藍視点での話なので彼女っぽさが出ていると感じていただければ幸いです。
ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。
さて次は誰にしようか。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。




[11417] とある絵描きと河童の少女
Name: 白光◆20de84d4 ID:b4031ab0
Date: 2010/06/21 06:31
 本日、福太郎は仕事で妖怪の山から人里に流れている川の絵を描きに朝から出かけていた。

 心地よい日差しに目を細めながら、荷物を地面に置く。
 今回の『モデル』である小川を両手で四角を作った中から覗き込み、自分が気に入る構図を探り始める。

「……この辺、かな?」

 しばらく両手の間から景色を見るという周囲から見れば奇妙な行動をすると彼はイーゼルを立て、画板を置きその上に画用紙を置いた。
 愛用のパイプ椅子に腰を落ち着けて鼻歌交じりに鉛筆を握る。

「~~♪」

 ほど良い日差しに自然と高揚する気分に流されながら、彼は絵を描き始めた。
 その姿をじっと見ている存在がいる事に気付かないまま。



 今、妖怪の山で噂になっている事がある。
 『外来人の絵描き』の噂だ。

 強い者に媚を売り、弱い者に強気になるあの『文』が打算交じりとは言え、友人だと表明した人間。
 一ヶ月と半月くらいの短い間に、彼女の新聞の話題をほとんど独占しているほどの事を仕出かしている人間。
 文も霊夢も魔理沙も彼に関わった事のある者たち全てが口を揃えて『ただの人間だ』と言っているけど、やっている事が命知らず極まりない『ある意味』で普通じゃない人間。

 あの『自称最強』の妖怪に目を付けられて死なないどころか友人になるなんて私じゃとても無理だ。
 そもそもあの人と会ったら脇目も振らずに逃げちゃうよ。

 全部、文の新聞に書いてあった事だから山では『また捏造したんだろ』とか『こんな人間がいるわけがない』だなんて色々、言われてる。

 私も初めて文にその外来人について書いた新聞を見せられた時は半信半疑だった。
 でもそんな人間がいたら会ってみたいという興味も沸いていた。
 文の新聞に『彼』が出始めてから今まではどうしても踏ん切りが付かなくて人里にも行けなかったんだけど。

 私は……なんというかこう、初対面の人間が苦手というか……人見知りだ。
 だから噂の人間に会いたいと思っても躊躇ってしまう。
 一ヶ月もずっと動かなかったのは自分でもちょっとと思わないでもないけど。
 そーいう性分だから仕方ないと思う。

 文とか椛に言わせればただ臆病なだけかもしれないけどね。
 と言ってもこればっかりはほんとにどうしようもない。

 人間を盟友としている河童の矜持。
 でも私たちは妖怪だから、人間からすれば『怖い物』だ。
 いくら今の『河童の在り方』が違うって言っても『妖怪』には違いない。

 今でも時々、思う。
 本当に人間は盟友なのかな?って。
 表立って口に出した事はないし、私自身も盟友だって言っているけど。
 ふと昔の事を思い出してしまう時がある。

 私が初めて里に降りた時。
 里の人間達の私たちを見る目は一見、友好的だったけど。
 浮かべている笑顔はまるで能面のような作られた物のように感じられた。
 
 妖怪に対する憎悪、忌避、恐怖。
 悪意を押し隠して浮かべられた笑み。
 人間は盟友だと教えられて育てられてきた私にとって幻想を壊すには充分過ぎる物だった。

 あの笑顔が怖くてずっと頭から離れなくて。
 それ以来、人間と関わる事が怖くなった。
 ……これでもけっこうマシになった方なんだけど。
 人間が何回も代替わりする時間をかけて極度の人見知りって言うのも情けない話だ。

 最近は霊夢とか魔理沙とか現人神の癖に人間寄りの早苗とかで慣れてきたけど、やっぱり初対面の相手はキツイ。

 それでも好奇心だけはどうしようもなくて、悶々として、ようやく重い腰を上げて人里に降りてきた。
 やっぱり怖くて光学迷彩を付けて、だけど。
 
 今日は良い天気だから人が結構、外に出ている。
 商いに精を出している人、顔見知りと世間話をしている人、笑顔で遊んでいる子供たち。
 妖怪の姿が見えないから普通にしている。
 能面のような顔は無い。

 こういう顔をしているのを見ているとやっぱり人間と仲良くしたいって思う。
 でも……あの顔を向けられるかもしれないと思うとやっぱり怖い。

 光学迷彩は姿を完全に周囲と同化させてくれるから、私の事に気付いている人間はいない。
 霊夢みたいに『勘』で気付くなんて理不尽な事が出来る人間はいないから、安心して歩ける。
 姿が見えないだけだから近づかれるとばれちゃうけど。
 そこは私の方で気を付けてなんとかしてる。

「(……どこにいるんだろ?)」

 阿求の家には最初に行ってみたけど、目的の外来人はいなかった。
 盗み聞いた話によると今日は朝早くに仕事に出たらしい。
 楽しそうに鼻歌交じりに出かけたと門番の人と阿求が話していた。

 だから私は里の中を捜している。
 新聞で何度か写真を見ているから、姿を見ればすぐにわかるはずだ。

 何度か走ってくる人間にぶつかりそうになったり、驚いて思わず声を出しそうになったり、びくびくしながら歩いているとそれっぽい人間が小川にいるのが見えた。

「(あいつ、かな?)」

 男にしては長い黒髪を紐で背中にまとめるようにしている。
 木の板を重ね合わせた台とか台に乗せた紙の上を走らせている鉛筆とか、文の新聞の情報通りだったからすぐにわかった。

 声をかけようと近づいたけど、すごく真剣に作業している様子がちょっと怖くて。
 人間の横まで近づいたところで私はじっとその様子を見ていた。

「~~♪ ~~~♪」
「(うわぁ、すっごく楽しそうに描いてる)」

 目の前の景色と紙の上とを行き来する鋭い視線。
 鼻歌交じりで少しだけ口元を緩めている姿は真剣なのに楽しげ。
 没頭するその姿が機械弄りに精を出している自分の姿と重なって見えた。

 邪魔したくない気持ちも手伝ってさっきまでよりも意識して気配を殺す。
 普通の人間らしいからもう少し離れていれば気付かれないだろう。

「ん~~、今日もええ天気やなぁ」

 切りの良い所まで描いたんだろう。
 鉛筆を置いて椅子の背もたれに寄りかかって身体を伸ばす人間。
 さっきまでの鋭い視線がなくなって、代わりになんだかほっとするような緩い雰囲気になった。

「(あ、なんか今なら話しかけられそう……)」

 緊張してすごくドキドキする心臓を押さえながら光学迷彩を切ろうとした正にその時。

「おーい! フクタローッ!!」

 女の子の大きな声が不意打ち気味に私の耳を打った。

「ひゅい!?」

 思わず奇声を上げる私。
 声が聞こえるくらいの距離しか取っていなかったから人間はどこからともなく聞こえてきた声に反応してこっちを見た。

「……今、妙に近い所から声が聞こえたよーな?」

 じっと私の方(たぶん声が聞こえた方向を見てるだけ)を見つめる人間。
 さっきまで話しかけようとしていた私は、首を傾げている人間と目を合わせている。
 それだけで私の頭はパニックを起こしていた。

「(う、うわわわわ!? ま、まずい。ばれた? ばれたの!?)」

 そうじゃないだろうという事はなんとなくわかるんだけど、それでもじっとこっちを見る人間の姿に私は冷や汗が止まらなかった。

 今は普通の表情をしている。
 でも妖怪である私がいると知ったらこの顔が能面のようになってしまうかもしれない。
 その事を考えると、とても怖くて冷や汗が止まらなかった。
 この人間の絵を描く姿に引き込まれていたから余計にそう思った。

 そんな思考に頭が一杯になっていた私は後ろから近づいてくる存在に気付かなかった。

「わはーっ!!」

 風切り音と共に突撃してくる無邪気な声。

「あいたーーーっ!?」
「びゅげっ!?」

 私の存在に気付いていなかった声の主は人間に抱きつくつもりで私の背中に突撃した。
 背中からの衝撃に思わず仰け反ってくの字になってしまう。
 オマケに自分でもどうかと思う悲鳴付き。
 さらにオマケに手を伸ばしていた光学迷彩のスイッチを押してしまった。

「は? ってぎゃーーーーーーッ!?」

 完全な不意打ちを受けた私は踏みとどまる事が出来ずに人間と正面衝突。
 人間が使っていた木の板やら椅子やらを巻き込んで倒れこんでしまった。

「いったぁ……」
「いたたたた……」
「う~~、フクタローの前になにかいた~~~」

 一番、被害が少なかったのは私に(そうとは知らずに)突撃してきた声の主。
 早くどくよう言う為に無理して顔を後ろに向ける。
 私の上に圧し掛かるようになっていた姿勢だった女の子が起き上がる所だった……って。

「ルーミア?」
「あ、にとりだ! 久しぶり~~」

 私を襲撃してきた子は顔見知りである『宵闇の妖怪ルーミア』だった。

「人里に何しに来たの!? ま、まさか人間を食べに?」
「むぅ! 違うよ! フクタローに会いに来たんだよ!!」
「へっ?」

 いかにも心外だと頬を膨らませるルーミア。
 その予想外の回答に私は目を丸くした。
 いやルーミアなら「そーなのだー」とか言ってにっこり笑うと思ってたから。

「フクタローって外来人の?」

 質問してから私は文の新聞記事の一部を思い出していた。
 外来人に懐いたルーミアが人を食べなくなったという記事を。
 妖怪の性って言うのはそう簡単に変えられる物じゃないから流石に眉唾だと思って忘れていたんだけど。
 まさか本当だったなんて思わなかった。

「うん! 今、にとりの下にいる人間だよ~~~」
「え、下?」

 そういえば地面に倒れこんだはずなのに痛くない。
 土に触れているにしては柔らかい感触が手に……ってもしかして。

 後ろに向けていた視線を元に戻す。
 そこには両手で頭を抑えてうんうん唸っている人間がいた。
 そして自分が人間の上に倒れこみ、抱きつくような形になっている事も、これ以上無いくらい鮮明に認識した。

「ひゅいーーーーーーーーッ!!!」
「ぎゃーーーッ!!! 耳がぁああああああ!!!!」

 思わず発した私の悲鳴の直撃を受けて、頭を抑えていた手を耳に当てて絶叫する人間。
 私の顔は今、赤くなったり青くなったりしているはずだ。

「なんだか楽しそうだなぁ」
「これのどこを見たらそう見えるの、ルーミア!?」

 指を銜えて羨ましそうにするルーミアに思わず突っ込んだ。


「あー、つまり君は妖怪の山に住んでる河童で。文の新聞読んで俺に興味を持って里に来たと」

 混乱した頭をどうにか静めて、人間を助け起こして場を落ち着けるのにはかなり時間がかかった。
 騒ぎを聞きつけて人間たちがこっちを見たりしたけど全員が全員、この人間を見て納得したように頷いて通り過ぎてしまうから私が頑張るしかなくて……すっごく疲れた。

「う、うん。私、『河城にとり』って言うの。えっとよろしく」
「俺は田村福太郎言うねん。よろしく、にとりちゃん」

 ちゃ、ちゃん付けって。
 こう見えても私、福太郎よりずっと年上なんだけどなぁ。

 でも良かった。
 さっきあんな事になったけど福太郎は普通だ。
 あんな能面じゃない、素の表情だ。

「ん~~。ごめん、にとりちゃん。一個、気になる事があるんやけど聞いてええかな?」
「な、なに? 福太郎」

 うう、でもやっぱり緊張する。
 さっきまで緊張なんて感じる暇もないくらい焦ってたから気にならなかったけど、面と向かって向き合うとやっぱり怖い。

「さっきまで君、ここにいなかったやんか。なんやルーミアちゃんが突撃してきた時、急に出てきたような気がするんやけど……」
「あ、ああ。その事ね。あれはね、ええっと……これのお蔭だよ」

 背中のリュックから手の平に収まるくらいの棒状の装置を取り出す。
 ただ棒の先端に赤いスイッチがあるけど。

「なんかのスイッチ?」
「これは光学迷彩発生装置のスイッチだよ。これを押すと……ポチっとな」

 カチッと言う音と共に私の姿が、霞がかったようになっていき最後には完全に消える。
 自分でも自分の手が見えなくなるから装置が動いているか確認は出来た。
 一応、全身に効果が出ている事を確かめるけどさっきのルーミア突撃で壊れてるって事は無さそうだ。

「お~~、なるほど。透明になってたんやね。しかしすごいなぁ。これ、能力やないんやろ?」

 素直に驚いて感心する福太郎。
 その様子があんまり素直で子供っぽいから私は装置を切って胸を逸らした。

「ふふん、その通り。河童の科学力は凄いんだよ、福太郎!」
「おお、凄い凄い! 魔法とか能力とかじゃないって所がホント凄いわ!!」

 うん、やっぱり自分が得意な事を披露出来るのは良い気分だ。
 霊夢に言っても「ふ~~ん」とか気のない返事しか返ってこないし。

「わは~~、凄いのだ~~」

 隣でルーミアが私の真似をしてるのが、なんだかくすぐったいけど楽しい。

「いやぁ幻想郷って明治時代の最初くらいで科学技術は止まってるって聞いてたんやけど、それって人間だけの話やったんやねぇ」
「そうだよ。河童の技術は日進月歩。常に前に進んでるのさ! と言っても話だけで聞いてる車とか電車とかは作れないんだけどね」

 幻想郷は変化すらも受け入れる場所。
 けど度の過ぎた科学技術が無用な争いを生む事も事実だし、楽を覚えれば人は苦労する事を拒否するようになってしまう。
 だから生態系や生活に密着し、人に楽を覚えさせるような発明はこの世界の守護者である紫が許可しない。
 光学迷彩にしても私が個人で使う分には問題ないとされているだけだ。

 確かにこれを悪用すれば盗みなんてし放題だし、能力者が持ってしまえば幻想郷にとって脅威になるかもしれない。
 私にそんなつもりはまったくないけれど。
 結局、発明品って言うのは物だから。
 扱うモノの心根一つで恐ろしい物になる事もある。
 だから私は自分の発明に関しては紫か藍に全部、報告して許可が出なかった物はすぐに壊してる。

 自分の作った物が『怖い物』になるのが嫌だから。
 あの能面のような顔で自分が見られるのが怖いから。

「えっと……にとりちゃん。なんか暗いけど大丈夫?」
「お腹でも空いたの?」

 心配そうな二人の言葉にはっとする。

「ご、ごめん。ちょっとぼうっとしちゃった。やっぱり研究ばっかりしてたからかな? 寝不足かもしれない」

 いつもの事だけどねと付け足して声を出して笑う。
 それでも心配してくれるルーミアの頭を撫でる。

「そんなんやったら日ぃ改めても良かったんとちゃうん? あかんで、体調管理には気ぃ付けんと」
「あははは、大丈夫大丈夫。その辺は弁えてるよ。だから心配しないで福太郎。ルーミアも」

 にっこり笑って自分が元気だと伝える。
 納得してくれたのか二人とも笑顔になった。

「そういえばルーミアちゃん、今日はどうしたん? 遊びに来たんか?」
「うん! 阿求の家に行ったら出かけたって聞いて里中を捜してたんだよ」
「ありゃ、そら面倒かけてもうたねぇ。出先くらい伝えとくべきやったわ」
「別にいいよ~~」

 ピョンピョン跳ねながら福太郎の周りを走り回るルーミア。
 すっごく楽しそうなその様子にこっちもなんだか楽しくなってくる。

「(……ほんとにルーミアは福太郎の事が好きなんだ)」

 里中を探し回ったって事は何人も、何十人もの人間とすれ違ったって事。
 妖怪に向けられる『悪意』が怖い私にはそんな事は出来ない。
 光学迷彩を利用して、人の目を避けて行く事しか出来なかった。

 純粋な好意を、他者を気にせずに真っ直ぐに示す事が出来るこの子が少し羨ましい。

「でも福太郎、お仕事中だったの? 邪魔しちゃったかな?」
「ああ、うん。ここら辺の風景画を描いて欲しいって言われてな。でも下書き終わっとるから邪魔って事はないよ。今日中に終わらせるつもりやからまだ続けるけどね」
「う~~ん、じゃあ今日は一緒にいるだけでいいや」
「ごめんなぁ。でも一緒におるだけってツマランかもしれんよ?」
「いいの! 私は面白いんだから!」

 この二人のやり取りを聞いて、二人の種族が違うなんて誰が思うだろう?
 ルーミアが人食いの妖怪だなんて誰が信じるだろう?

 私は唐突に理解した。
 自分は人間とこういう関係になりたくて、だから怖い怖いと思いながらも人間と関わる事に憧れていたんだって。

 種族の差なんて気にかけず、お互いに屈託なくごく自然に談笑している。
 私が求めていた光景が目の前にあった。

「ねぇ。福太郎、ルーミア」
「あ! ごめんなぁ、にとりちゃん。なんかほったらかしにしてもうた」
「気にしないでいいよ。なんか楽しそうで邪魔するのも気が引けたしさ」

 頭を掻きながら申し訳無さそうに頭を下げる福太郎に苦笑いする。
 ほんとに邪魔なんてしたくなかったんだけど、どうしても聞きたい事があったんだよね。

「二人は友達、なのかな?」

 聞くのに少し勇気がいる質問だった。
 今の二人の様子を見ておいて何言ってんだって思われるかもしれないけど。
 どうしても声に出して直に確認したかった。

「友達かぁ。うん、私はそのつもりだよ!」

 元気一杯に全身で表現するルーミア。

「うん。せやね。俺もそのつもりよ」

 静かに、優しく、でも嬉しそうに答える福太郎。

「ね、福太郎……」

 私は今、すごく勇気のある事を言おうとしている。
 人見知りの私が初対面の人間にこんな事を言うなんて自分でも驚きだ。
 でもルーミアを見ていると、そして今まで見せられてきた文の新聞の内容を思い出してみると勇気を出すだけの価値があるって自然とそう思えた。

 だから私は。

「私とも友達になってくれないかな?」

 緊張で声が震えているのが自分でもわかる。
 ああ、まずい。
 ドキドキして心臓が飛び出しそう。

「ええよ。こんな俺で良ければな」

 ああ、良かった。
 怖かったけど、心臓止まりそうなくらい緊張してドキドキしたけど。
 勇気出して本当に良かった。

「うん。それじゃ改めてよろしく。福太郎」
「こちらこそよろしくなぁ、にとりちゃん」

 差し出された右手を自然に握り締める。

 妖怪を相手にして気遣いはしても気後れはしない不思議な人間。
 私はそんな不思議な人間と友達になれた事を一生涯、忘れない。

 福太郎は私に希望を見せてくれた。
 河童と人間が盟友になれる可能性を。

 福太郎は私に教えてくれた。
 自分自身ですら信じきれていなかった言葉が現実に成り得るという事を。

 そんな盟友との出会いを私は絶対に忘れない。

「うん。良い笑顔やね」
「ホントだねぇ~~」
「ひゅ、ひゅい!?」

 不意打ちに褒められて思わず奇声を上げて顔を赤くする。

「仕事終わったら今度はにとりちゃんの絵、描こうかな? 友達になった記念って事で」
「あ、それいいよ! にとり、良かったね! フクタローの絵、すっごく綺麗だからにとりもきっと気に入るよ!!」
「ええッ!? わ、私の絵? えっと、いいの?」

 控えめに確認してみるけど、声に期待が篭もっているのが自分でもわかる。
 良い事尽くめで有頂天になっているのが多分、顔にも出ているはずだ。

「俺の方が描きたいって言うてるんやから遠慮せんでええよ。あ、でも一個だけ約束してくれへんかな?」

 思い出したように手を叩いて私の顔をじっと見つめる。
 さっきまでと変わらない空気のまま、でも目の奥が真剣に見えたから私も昂ぶっていた気持ちを落ち着けて福太郎を見つめた。

「俺よりも長く生きしてほしい」

 福太郎の表情はまるで死期を悟った老人のように儚く見えた。
 一瞬で今まで高揚していた気分が吹き飛ぶ。
 それくらい真剣に福太郎は私の言葉を待っていた。

「うん。約束するよ。福太郎よりも長生きする。福太郎が死んでも私は絶対にお前の事、忘れないから」

 私の言葉に満足した福太郎は小さく頷くと笑いかけてくれた。

「ありがとさんやなぁ」
「お礼を言うのは私の方だよ」

 二人でペコペコ頭を下げあっているとルーミアが福太郎の腕に抱きついてこう言った。

「二人ともお礼言ったんだから、それでいいでしょー? それよりフクタロー、早くにとりの絵、描いてあげなよ! 私も見たいーー!!」
「え? いや先に仕事の方を仕上げんとあかんから今日は描けへんよ?」
「ええーーーーー!!!」

 二人がじゃれ合ってるのを笑いながら見つめる。
 この二人のお蔭で私は人里に来るのがほんの少し怖くなくなった。

 我ながら単純だけど。
 そう思わせてくれた二人にはほんとに感謝してる。
 いずれ種族の違いが二人を引き裂くだろう事もわかっているけれど。
 出来れば二人が別れのその時まで、今みたいに楽しく生きていければいいって。
 切実にそう思った。

 そして私もこの二人みたいに、福太郎や霊夢たちとだけじゃなくて、他の人間とも気兼ねなく話す事が出来るようになろうって。
 今日、改めて決心した。


 河童の少女は絵描きが作り上げた光景を見て自分のトラウマに立ち向かう決意をした。
 大昔から彼女の心に巣食っていた怖さ、『人間への不信感』は今も尚、根強く。
 克服する事が並大抵の事ではない事は彼女自身、よくわかっていた。
 だがそれでも逃げ続ける事を止める事が出来たのは福太郎とルーミアのお蔭。
 彼らが見せてくれた在り方は彼女にとってとても尊い物として映り、自分にも出来るはずだと決意させるには充分過ぎるほどの輝きを放っていた。

 絵描きは河童の少女が自分、引いては人間に対して一歩引いている事に気付いていた。
 それが『恐れ』からなのか自分の種族に対する『尊厳』から来るのか、はたまた別の何かなのか初対面の彼にそれを察する術はない。
 だから彼はいつも通りである事を自分に課した。
 自分はこういう人間なのだと知ってもらい、あとは彼女に判断を委ねる。
 そして福太郎は彼女と友人として付き合う事を決めた。
 文とは違う繊細な性格な彼女との付き合いが自分に苦痛を与えるかもしれない事を恐れながらも彼女の勇気に応えたいと思ったから。

 これは迷い込んでしまった絵描きと河童の少女の物語。


あとがき
人見知りの原因はオリジナルです。(挨拶)
作者の白光でございます。

スランプ状態でどうにかこうにか仕上げました。
今回はにとりのお話になりましたがいかがだったでしょうか?
ルーミアを絡めた福太郎を客観的に見る存在としてのにとりを選びました。
彼女が人間を盟友だと言っている事に付いてオリジナル要素が入りまくっていますが彼女っぽさを感じていただければ幸いです。
ご意見、ご感想などありましたら気軽に感想掲示板にお書きください。

次のお話ですが実は紅魔館編を執筆中です。
ただ中々、話がまとまらない上に一話に一人という形式が崩れているので書き上げるのに難儀していて、次に挙げられるかはまだわかりません。
また別のキャラで一話書くのが先になるかもしれません。
ですので気長にお待ちしていただければと思います。

最後にこの物語を読んでいただきありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。




[11417] とある絵描きと紅の館(始まり)
Name: 白光◆20de84d4 ID:b4031ab0
Date: 2010/08/21 21:32
「田村様、準備はよろしいですか?」
「はい。わざわざ迎えに来てもらってすんません」
「いいえ、主のお客人をご案内するのは従者たる私の役目ですから」

 日が真上に昇った頃。
 福太郎は人里の出入り口である大門で咲夜と会っていた。
 彼の手には外出する際に持っていく絵描き道具一式。

 今日、彼は人里の人間ならば誰もが恐れて近づかないと言われている紅魔館へ行こうとしていた。
 咲夜は館への案内をするようにレミリアに言いつけられ、こうして人里まで迎えに来たのである。

 ちなみに彼女のご主人様は福太郎の来訪に備えて今は眠っている。
 種族としての性で基本的に夜行性である彼女にとって昼に寝る事は普通の事だ。
 今回の場合、福太郎との『夜の語らい』の為にしっかり休んで英気を養うという意味もある。

「それじゃ阿求さん。行って来ます」
「はい。道中は勿論、あちらに着いてからもくれぐれも気をつけてくださいね? 例え相手に悪意がなくてもですよ?」

 念押しするようにゆっくりと、声に力を入れて語る阿求。
 彼女はこの日のために紅魔館に住んでいる存在について耳にタコが出来るほど念入りに福太郎に教え込んでいた。
 スカーレット姉妹、メイド長は勿論、紅魔館の地下にある図書館の主と使い魔、妖怪の門番、果ては妖精メイドについてもである。
 門番と妖精メイド、使い魔以外は一筋縄ではいかない存在ばかりの為、彼女のレクチャーもかなり熱が篭もっていた。
 お蔭で福太郎はここ数日、寝不足に陥っているほどだ。
 彼の危機感の足りなさを知識を叩き込む事で矯正しようとしたのだが、そんな阿求の努力が実を結んでいるかと言えば特にそんな事もなく。
 結局、彼は何も変わらないまま今日と言う日を迎えてしまった。

 阿求としては慧音やルーミア、霊夢らから愚痴交じりに彼の自己を顧みない行動を聞かされているだけに彼を一人で紅魔館に行かせるのが心配で仕方がないのだ。

 それでも止めないのは福太郎がレミリアの招待を受けてしまった為。
 騒動を起こさなければ人外ですら出入りが自由である人里に置いて個々の自由意志を尊重するのは暗黙の了解。
 脅迫などによる強要ならばなんらかの対応を取る事も出来るが今回に限って言えばレミリアに正式に招待され、彼は喜んでそのお招きを受けている状態だ。
 仮にも人里で最古参であり最大の発言力を有する稗田家の長ともあろう者が、その規則(ルール)に反するわけには行かなかった。

 だからと言って自伝で危険度『高』と記しているような場所に、何の予防策もなく大切な客人を送り込むような素直な事を累計で数百年生きている老獪な彼女がするはずもなく。
 紅魔館側には内密に手を打っていたりする。
 それでも彼女の心には不安が残るのだが。

「はいはい。ほな、行きましょうか」
「それでは阿求様。田村様の身はこの咲夜が、紅魔館の従者として責任を持ってお預かりいたします」
「はい。宜しくお願いします」

 優雅に、そして無駄なく一礼する咲夜。
 福太郎を促すその所作にも、一点の揺らぎも見られない。
 しかし見る者に安心感をもたらすだろうその力強い動作でも阿求の不安を払拭する事は出来ない。
 何故なら阿求は彼女がどこまで行っても『紅魔館のメイド長』である事を知っているからだ。
 咲夜の心の中心に在るのは自分の主であり、客人への礼儀正しい対応の裏には主に恥を欠かせない為という想いが大前提としてある。

 彼女は主が黒と言えば例え白い物でも黒と見なす。
 阿求が咲夜の言葉と態度を信じる事が出来ない理由はそこにある。
 彼女自身が福太郎に対してどれほど友好的であろうと、主が福太郎に敵意を抱けば。
 自分の思いなど何の躊躇いもなく捨て去り、主側に回るだろうから。

 彼女は内心の不安を押し隠しながら、遠ざかる二人の姿を見守り続けた。


 
 背中に突き刺さる視線を感じながら、隣の客人に合わせて歩を進める。
 私が彼女にどう思われているかなどとっくの昔に承知の上だ。
 その認識を不快に思う事もない。
 それが事実である事は私自身がよく知っている。
 彼女の認識の通りなのだから否定のしようがないし、そのつもりもない。

 人に害成す種族であり、実際に被害を出している吸血鬼に仕える人間である私へ人里の住人から罵詈雑言が投げかけられる事も少なくない。
 あの程度の視線では特にどうなるという事もない。
 もう慣れているから。

「咲夜さん。紅魔館までって歩いてどれくらいかかります?」
「そうですね。田村様のペースに合わせて考えますと日が傾き掛ける頃になるかと」
「ふぇ~~、やっぱ空飛べないとキツイですねぇ」

 かかってしまう時間を思って暢気なため息を付く田村さん。
 そのどこまでも緩い彼の空気に触れて、私は先ほどまでの疑念の視線を忘れてしまいそうになる。

「(私と彼女の間に流れていた空気がわからないほど愚鈍でもないでしょうに)」

 冬も間近に迫った気候の優しい日差しに気持ち良さそうに顔を綻ばせながら身体を伸ばす彼の姿は実に自然体。
 だけど私は彼が発散させている空気と異なり、聡い人物である事を知っている。

 誰かに気を使って行動するという事は案外、難しい物だ。
 時には自分の意志を捻じ曲げて遜(へりくだ)らなければならない従者という立場である私はそのことをよく知っている。

 彼の気遣いが今まで私を不快にさせた事はほとんどない。
 人里での会合の際にお嬢様を『子供を見るような目』で見ていた事を除けばまったくないと言えるだろう。

 今回もそう。
 『阿求と私』、いえ『人里と紅魔館』の関係を表すようなさっきのやり取り。
 ある程度の事情は彼女から聞かされているだろうから、内心で気になっているだろう。
 やり取りをしていた時の私たちをじっと見ていた事からもそれは容易に察せられる。
 だがこうして二人で歩いている間、彼は先ほどのやり取りの事など忘れてしまったかのような話しかしてこない。
 追求されたところで特に問題があるわけでもないが愉快な話でもない。
 それを理解しているから話題に上げないんだろう。

 これがどこぞの脇巫女なら。

「目の前でグチグチと気分の悪くなるやり取りしないでくれる?」

 とでも言うんだろう。
 あの巫女はマイペースで自分勝手が過ぎる。
 相手を気遣うところなど少なくとも私は見た事が無い。
 自分勝手やらマイペースやらは私やお嬢様を含めた幻想郷で暮らしている連中のほとんどが当てはまるから人の事は言えないのだけど、ね。

 彼の気遣いをありがたく受け取り、他愛のない話をしながら歩く。
 私の能力を使えば移動時間を短縮できるのだけど、それはお嬢様に止められた。
 自分の準備(起き抜けでぼんやりとした頭を覚醒させてお召し物を替え、さらに身だしなみを整える)が終わるまで彼を館に入れないようにと言われている。
 最も威厳のある姿で田村さんを出迎えたいのだろう。

 最近、幻想郷内で『カリスマブレイク』とか『レミリア、うー☆』とか言われているのを
 気にしていらっしゃるから、外来人である彼には威厳があるところを見せておきたいのだ。
 以前の会合で子供っぽい姿を見せているからもう手遅れのような気がするのだけど、まぁそれでお嬢様の気が済むならば黙って従うべき……よね?
 個人的には外見相応に無邪気に戯れられるお嬢様も可愛らしいから有りだと思うのだけど。

「そーいえば咲夜さんは紅魔館の管理一切を任されているそうですねぇ」

 思い出したように話題を振る田村さん。
 本当にただの世間話にしかならない話題しか出さない彼。
 その目には人里で人外に仕えている私に向けられる畏怖や恐怖から来る怯えや憎悪の気配は無い。
 外来人だから私たちがやってきた事に対する実感が沸かないのだろうが彼の場合、彼自身の境遇も多分に影響しているんだろう。
 人外たちの教師をしていたらしい彼にとって吸血鬼の存在は割と身近らしいし。
 そもそもこの世界の人間とは生活環境があまりにも異なるから比べるのも無駄とも言える。
 常識が異なれば存在への認識も異なるのだから。

「ええ、そうです。具体的にはお嬢様のお世話や館の炊事洗濯、妖精メイドたちの指揮などですね。勿論、お客様のお世話なども私がさせていただいています。と言っても泣く子も黙ると悪名轟く吸血鬼の館に来られる客人など滅多にいないのですけれど……」
「あ~、まぁ普通はそうなんでしょうねぇ。特に人間から見れば怖いもんは怖いやろし」

 多少、私たちの立場を皮肉った表現をしてみても彼は軽く同意するだけで流してしまう。
 だが同時に普通の人間としての意見を出してくる辺り、自分が『そちら側』にいる事を理解している事が伝わる。

 ただ自分を普通の人間と定義しているのに、こうしてお嬢様と交流している事が如何に異質であるかを理解しているかどうかはその表情からは窺えない。
 聡い人だから周囲と自分の意識の違いには気付いていると思うのだけど。

「あれ? でも霊夢ちゃんとか魔理沙ちゃんとかとは交流あるんですよね? あの二人って紅魔館に行った事あるんですよね?」
「霊夢はお嬢様が招待する事がありますが、魔理沙は断じてお客様ではありません」

 あの白黒め。
 毎度毎度、パチュリー様の図書館から本を掻っ攫って。
 私が家事で忙しい時間を見計らったように来るから現行犯で捕まえる事も出来ないし。

 美鈴は毎度毎度、出し抜かれて門番としての役割を果たせていないし。
 真っ当な勝負なら私ですら敵わないくらい強いはずなのに一体、何をしているのか。
 小悪魔やパチュリー様も魔理沙が来る度に応戦しているけれど素早い彼女を捕まえられず本だけを取られてるのが現状。
 警備の強化として妖精メイドを増員しても焼け石に水と来ている。
 お嬢様の手を煩わせるわけにもいかないし、一体どうすればいいのよ。

「あ~、そういえば前にレミリアお嬢さんが借りると称して本を盗むとかなんとか言ってましたけど……もしかしてあれってホントに?」

 どうやら怒気が外に洩れてしまったみたいね。
 おっかなびっくり話しかけてくる田村さんを見て、私は熱くなった頭を冷やすために深呼吸を一つした。

「遺憾ながら……毎度毎度、彼女には紅魔館が誇る大図書館から本を強奪されているのが現状です。本人は死ぬまで借りるだなんて戯言を言っていますが……」
「死ぬまでって……実質、借りパクですねぇ。わざわざ宣言して盗むのはなんだか魔理沙ちゃんらしい気もしますけど」

 どう反応していいのかわからないらしく田村さんは曖昧な苦笑いを浮かべる。
 まぁ普通の感性を持っていれば宣言して盗むなんてしないだろうから返答に困るのも当然だろう。

「申し訳ありません。お客様に気を使わせてしまいました」

 歩くのを止め、直立の姿勢から相手が不快に感じない程度に頭を下げる。

「あ~~、そんな畏まって謝られるような事じゃありませんから顔上げてください。とりあえず魔理沙ちゃんに会ったら俺の方からも注意しときますんで。まぁそれで効果があるかどうかはわかりませんけどね」

 荷物を持っていない右手を振りながら頭を上げるように言ってきた。
 畏まられるのには慣れていないようだ。
 しかし……前に会った時も感じた事だけど気を使われるって言うのはどうも妙な気分ね。
 調子が狂うとまでは言わないけれど、気が緩んでしまうと言うかなんというか。
 まぁ悪い気分ではないのだけど。

 止まっていた歩みを再開しながら思う。
 勿論、今度は思考に没頭してお客様を蔑ろにするような事にはならないよう注意しながら。

「……そういえば紅魔館の近くに霧の湖ってありますよね?」

 話題転換が露骨な辺り、腹芸はあまり得意とは言えないらしい。
 以前、お嬢様と談笑している時にも感じた事だけど。

「昼の間だけ霧が発生する為、そう呼ばれているらしいですね。確かにありますがそれが何か?」

 魔理沙の事は私の精神衛生上よろしくないから、その気遣いはありがたく受け取る事にする。
 私が新しい話題に乗った瞬間、彼がホッと息を付くのが見えた。
 どこまでも害意が感じられない彼の態度に引き結んでいた口元が緩んでしまう。
 あまりにも普通過ぎる反応のはずなのに、人里の人間とはまた違う。
 その反応一つ一つが私には新鮮に見えて仕方ない。

「その辺にチルノって言う氷の妖精が住んでるんですが。咲夜さんってその子の事知ってます?」
「ええ、もちろん。買い物帰りに何度かちょっかいを出してきた事があります。悉く返り討ちにしていますが」
「返り討ちって……ちょっかい出す方もそうやけどそんなあっさり返り討ちに出来るもんなんですか」

 「すごいなぁ」と独特の訛りで感心したように彼はため息を付いた。
 彼のような能力のない人間からすればあのバカ妖精の弾幕ですら脅威なのだからその感想も当然か。

「いえ、かの妖精は確かに妖精としては破格の力を持っていますが幻想郷全体で見てみればやはり下の方になりますので。迎え撃つのにもそれほど労力を割く事はありません」
「いやぁ俺のいた世界でも人外とタメ張れる人間っていましたけど。やっぱり戦えるって事はそれだけで凄い事ですから。謙遜なんてせんと胸張ってええと思いますよ」

 その言葉の裏に羨望と僅かな嫉妬のような物を感じた私は、歩みを止めないまま横目で彼を窺う。
 空を見上げるその瞳はこことは違うどこか遠くを見つめていた。

「俺には一生かかっても出来ひん事ですしね」

 独白のような呟きに込められた自分自身への嫌悪にも似た感情。
 真に不甲斐ない事だけど。
 私はその言葉に応えるに足る言葉を探し出す事が出来ず、ただ聞かなかった事にして沈黙する事しか出来なかった。



「う、ん」

 ぼんやりとした意識が浮上する。
 寝心地の良い枕に顔を埋めながら私は壁にかけられた時計に視線を向けた。

「……午後3時? かなり早く目が覚めたわね」

 道理でまだ眠いわけだわ。
 眉間を揉み解しながらゆっくりと起き上がる。
 冬に差し掛かったこの時期ならあと2時間は寝ていられるのに。
 今日に限って何故、早起きしたのか。

「まぁわかってるんだけどね。早起きの理由なんて」

 私は視線を時計から、最近になって部屋のインテリアに追加された物に移す。
 咲夜が買って来た品の良い額縁に収まったソレを見て私は自分の口元が緩むのを感じた。

 吸血鬼である私は姿を映す物全てに映る事がない。
 鏡だけでなく窓のガラスや水の水面にも、悉く。
 まぁ流水は弱点だから川なんかでは試した事はないけど。

 そんな私が自分の姿を見る事が出来る貴重な絵。
 それを描いた興味深い人間が今日、紅魔館に来る。
 思っていたよりもずっと私はこの日を楽しみにしていたらしい。

「柄にもなく興奮しているみたいね。人間の子供じゃあるまいし……」

 外見は子供の容姿だけど人間の寿命換算で数回分の年月を生きているのに。
 もうちょっと色々と成長してくれてもいいと思うのだけど。
 あの亡霊姫やスキマ妖怪並とは言わないから、せめて霊夢くらいの背丈とかが欲しいわ。

「……ってぼやいても仕方ないわね。まぁ私はまだまだこれからなのだし気長に行きましょう」

 あれくらいに成長するのにどれだけの時間がかかるかという部分には全力で目を逸らしながら私はテーブルに置いてあった呼び出しベルを鳴らした。

 私は咲夜の代わりに部屋を訪れた妖精メイドたちの拙い先導で服を着替える。
 あの外来人に無様な姿を見せたくなかったので念入りに髪を梳いてもらい、服装も紅魔館の主として威厳を保てるドレスにする。
 人里に出た時はある程度、色を抑えていたが自分の住居で客を迎えるのだ。
 真っ赤なドレスに身を包み、私の象徴とも言える自慢の羽も念入りに手入れをしてもらう。

 今日はどんな事を聞いてやろうかと心躍らせながら。
 気になる事は、聞きたい事は山ほど在るのだ。
 それこそ一日中、話をしていても足りないほどに。

「特に私の能力が見せた『異常』については言及しなければね」

 私の持つ『運命を操る程度の能力』は『他者の持つ運命』、つまり『これから起こる出来事』を感覚的に読み取り、さらに起こりうる事象を改変する事が出来る。
 以前の人里での談笑の時、私は去り際に『彼が紅魔館に来る』という運命を与えてやろうと思い能力を発動させた。

 だが結果としてそれは失敗した。
 失敗したという事実に悔しいと思うよりも前に起こった事象に驚嘆したのは今でもよく覚えている。
 よく表情に出さなかった物だと後になって思ったわ。

 何故なら人里の絵描き『田村福太郎』には本来、一つの存在に付き一つしか存在しないはずの運命が三つか四つ重なっていたからだ。
 波長の異なる複数の運命が折り重なるようになっていた為、そのどれが『福太郎の運命』なのかを判別する事が出来ない。
 その上、密接に絡み合っていた四つの運命はどれか一つでも変えてしまえば他の運命に影響を及ぼすだろう事が簡単に読み取れた。
 何がどうなるかまったくわからなかった為に手出しが出来なかった。

「(一体、どんな事をしたら複数の運命をその身に宿せるというの?)」

 あんな運命は見た事がない。
 能力や力を駆使して私の能力に抵抗したモノなら何人か存在した。
 幻想郷に来た当初に起こした異変の際に対峙した連中なんかが該当する。

 能力で私の能力を無効化した化け物。
 幻想郷の賢者『八雲紫』。

 膨大な妖力で力任せに私の能力を無効化してみせた化け物。
 フラワーマスター『風見幽香』。
 妖怪の山に住む天狗の元締め『天魔』。

 こいつらは当時の私と比べて明らかに力量に差があったから能力が効かなかった事も仕方ない。
 ……今の私なら負けないけど。

 まぁそれはともかくとして。
 複数の運命を持った存在なんて珍しいなどと言う次元の話ではない。
 一体、どういう経緯でそんな事になったのか。
 とても気になる。
 絶対に話させてやるわよ、福太郎。

「ふふ、楽しい夜になりそうね」

 一番、気になる話題はソレだが他にも聞きたい事は山ほどあるんだから。



「……小悪魔、その本を元の場所に戻しておいて」
「あ、はい。わかりました。それが終わったら新しい紅茶をお持ちしますね?」
「お願いするわ」

 日光の差し込まない薄暗い大図書館をポツポツと点在する僅かな光源が照らす。
 そんな普通の人間から見れば不健康極まりない空間の中で私『パチュリー・ノーレッジ』の日常は今日も廻る。

「……」

 心地よい沈黙の中、私がページを捲る音だけが一定のリズムで響く。
 小悪魔は五分と経たずにティーセット一式を持って戻ってきた。

「お待たせしました、パチュリー様」
「ありがと」

 読んでいた本に栞を挟み、暖かい湯気を出すカップを受け取る。
 カップに口を付け、ゆっくりと入れたての紅茶を飲む。
 本の内容を把握する事に集中させていた脳を休める意味でこのティータイムはとても重要だ。
 自他共に認める本の虫である私でも小休止を挟まなければ効率良く読書する事はできない。
 文字を追う事は出来ても内容が頭に入ってこないからだ。

「……そういえば今日ってレミィの招待で客が来るって言ってなかったかしら?」
「あ、はい。私も咲夜さんから軽く聞いています。なんでも外来人の男性で絵描きを生業にしているのだとか」
「絵描きねぇ……レミィの招待を受けるなんて相当な物好きね」

 命知らずとも言えるわ。
 招待されたとは言え、わざわざ吸血鬼の根城に足を運ぶなんて。
 まぁ外来人なら人外への危機感が薄いのは納得できるけど。
 でもそんな普通の思考しか出来ない人間にあのレミィが興味を持つとも思えないわね。

「とりあえずレミィの事だから私のところにも連れてくるつもりよね?」
「たぶんそうだと思います。咲夜さんが図書館での持て成しは貴方に任せるっておっしゃってましたし」

 ふぅ……やっぱりね。
 自分で行けば済むところをわざわざ招待なんてするからこうなる事は予測してたわ。
 待つより自分で動く方がレミィの好みだし、ただ自分が会いたいだけなら霊夢に会いに博麗神社に行く時みたいにさっさと出掛けるはずだもの。
 そうしないと言う事は私や小悪魔、美鈴や咲夜とその男を引き合わせるつもりで招待したと考える方が自然。
 さすがに会わせたい理由までは情報が足り無すぎて推測すら出来ないけど。
 あのレミィがわざわざ会わせたがる以上、その男には何かあると見ていいだろう。
 私にとって本を読むよりも有益になると思わせる『何か』が。
 それはまぁいい。
 レミィは我儘で自己中心的で子供っぽいからこっちの都合を考えないなんて今更なのだし。
 ただ一つだけ私には懸念事項がある。

「……まさかとは思うけど妹様とまで会わせるつもりはないわよね? レミィ」

 情緒不安定なレミィの妹であるフランドール。
 その強力な能力の暴走を恐れてレミィ自身が断腸の思いで地下に閉じ込めた唯一の家族。

 幻想郷縁起で言う所の『紅霧異変』の折に霊夢や魔理沙とスペルカードルールで戦ってから少しずつ安定しては来ているけれど、それでもいつ狂気が顔を出すかわからない。
 そんな状態で普通の人間に会わせるなんて出来ない、はず。

「……まぁいいわ」

 それを判断するのは私ではなくレミィだ。
 そして仮に妹様がその男と接触したとして困るのは私じゃない。

「小悪魔、とりあえず咲夜経由でその外来人に伝えておいて」
「はい? 何をでしょう?」
「図書館に来るなら本に絵の具の匂いを付けないようにしてから来なさいって」

 私が気にするのはこの図書館と私に対してレミィの客が不利益な事をしないかどうかだけでいい。
 それ以外の部分を考えるのは咲夜たちの仕事。
 私は自分の思考をそこで締めくくり、また読書に没頭し始めた。
 どんなヤツが来るのか、心の片隅で気にかけながら。



 いつもと変わらない紅魔館の門前。
 そこで私はいつも以上に緊張して咲夜さんの帰りを待っていた。

「今日はお嬢様が招待したお客様が来られるから、くれぐれも仕事をサボらないようにしなさい」

 わざわざナイフを構えて威圧するような笑顔と共に言われた言葉が頭を過ぎる。

「お嬢様がわざわざ館に招待するお客様かぁ」

 館の主であるお嬢様からの正式な招待なんて紅霧異変が終わった後の霊夢たち以来じゃないかな?
 そもそも吸血鬼と言う普通の人間からすれば恐怖の対象でしかないだろう存在の住む館に足を踏み入れる者は少ない。
 最近は図書館の本を目当てに強襲してくる白黒の魔法使いとか、霧の湖で迷った人間が運良く門前まで来るとかそういうパターンしか記憶にない。

 咲夜さんは招待客が外来人だと言っていた。
 なら危機感とかそういう生存本能みたいな部分が足りないのかもしれない。
 何度か外来人と接触した事はあるけれど、誰もが私を妖怪だと思わなかった。
 わざわざ教えても「何言ってんだ、こいつ?」って目で見られるだけだったし。

 その癖、いざ命の危機に見舞われるとそれはもう盛大にうろたえて必死になって命乞いをする。
 命乞いが悪いとは思わない。
 その様がどんなにみっともなくても『生きようとする気概』があるという事だから。

 けれど、ならなんで最初から周りを警戒しないのか?
 自分で自分の身を守ろうとする最低限の意志が見られない存在。
 殺し、殺されるという当たり前の事を認識していない、弱肉強食という摂理の上で助けるに値しない存在。
 私の外来人の認識なんてそんなモノだ。

 外の世界は『あんな存在』を容認するような平和で温い世界になったのかと門を守りながら考えた事もある。
 私が外の世界にいたのは随分と前の事だからうろ覚えだけど、昔はもっと骨があったように思う。

 昔と比べれば今の私も充分、腑抜けてるけど。
 敵対者に容赦しないのは変わらないけれど、ここでの生活は安穏としているから。
 自分で言うのもなんだけどかなり緩んでいると思う。
 鍛錬こそ欠かさないけれど。
 白黒が強襲してくる時、毎回してやられるのも昔に比べて緩んでいる結果なんだろう。

 妖怪としての性に忠実で独りきりだった私と少数とは言え他者と関わる事を容認し輪を求めた私。
 心構えの差とでも言えばいいのか。
 仮に今の私と昔の私が戦ったらほぼ確実に昔の私が勝つだろう事が簡単に想像できてしまう。
 腕前とか技術とか年月が刻む成長を考慮しても。

 ぬるま湯に浸かりきった私を嘲笑する昔の自分の姿が鮮明に思い浮かんだ。

「う~~ん。ってあれ? お客様の事、考えてたはずなのにいつの間にか自分の事に?」

 思考が横道に逸れていた事に気付く。
 とりあえず自分自身に関するこの煮え切れない微妙な気分は脇に追いやった。

「はぁ~~。なんか変だなぁ、今日の私」

 頭を振って気を取り直す。
 じっと目の前に広がる湖の先を睨みつけ、仕事に意識を集中しようとする。
 だが脇に追いやったはずの気持ちが、隙を見ては浮上してきて意識が逸れてしまう。

「むぅ~~。いつもならなにか考え事をする前に眠くなるのになぁ。あ、それも緩んでる証拠になっちゃうか」

 ポリポリと帽子の上から頭を掻く。
 まずい。
 本当にらしくないぞ、今日の私。

 何故か無性に昔の事を思い出してしまう。
 別に今の自分に不満なんてないはずなのに。
 いやまぁ紅魔館での私の扱いが悪いなぁとは思うけど。
 それだって大部分は自分のせいだしなぁ。

 でもここ何百年と意識もしなかった昔の自分の事を思い浮かべるなんて。
 いつもと違う事、それも『悪い事』が起きるって暗示なんだろうか?

「……いやいやいやそれはさすがに考え過ぎでしょ。ただ今日は珍しいお客様が来るってだけだし」

 不安ばかりが募っていく自分の心を否定する為にわざと声に出してみる。
 もう一度、頭を振った。
 両頬を叩き、痛みでヒリヒリするのを我慢して前を見据える。
 でも咲夜さんがお客様を連れてくるまで、この心のもやもやは消えてはくれなかった。



「う~~、早起きしちゃったから暇だなぁ~~」

 日の光は愚か、物音も何も届かないような地下室。
 私の部屋はそこにある。

 いつもなら起きない時間に目が覚めて、目が冴えちゃってもう一回寝る事が出来なかったから椅子に座ってぼうっとしてた。
 何もない部屋じゃする事もないから外に出ようとも思ったけど。
 お姉様もまだ寝てるだろうしから外に出ても面白くないだろうからやめた。

「むぅ~~」

 何もやる事がないのはつまらない。
 魔理沙も来てないだろうから弾幕ごっこも出来ないし。

「むぅ~~、お姉様早く起きないかなぁ?」

 ちょっと前に魔理沙と霊夢が私と弾幕ごっこしてからお姉様は『暴れないなら』って条件付だけど部屋の外に出ることを許してくれるようになった。
 時々、なんでもいいから壊したい気分になってついやっちゃうけど怒られるだけで前みたいに部屋に閉じ込められる事はない。
 この狭い部屋でじっとしている時間はもう寝る時だけ。

「約束を守るなら館の中で自由にしていいわ」

 お姉様にそう言われた時、本当に嬉しかった。
 思わずお姉様に抱きついちゃったし。

「う~~ん。なんだか考えたらまたお姉様に抱きつきたくなっちゃった」

 よし。
 寝ててもいいからお姉様の所に行こう。
 一緒に寝られるかもしれないし、そうなったらすっごく嬉しいもん。

「えっとこういう時なんて言うんだっけ?」

 確かこういう時に使う言葉があった気がする。
 う~ん、前にパチュリーと小悪魔に教えてもらったんだけどなぁ。

「ま、いいか♪」

 私はパジャマを脱ぎ、ルンルン気分で着替える。
 楽しみだなぁ、お姉様の所に行くの。

「よぉし、レッツゴー!」

 とっても楽しくなってスキップしながら地下室を出た。
 面白い人間との出会いがあるなんて知らずに。




あとがき
咲夜さん視点が異様に多めですが紅魔館編の序章です(挨拶)
二ヶ月かかりましたがようやく完成しました。
スランプもそうですが、仕事が忙しすぎる。
不景気なんて言葉、幻想入りしてしまえばいいのに(現実逃避)。

とまぁ愚痴るのはここまでにしましてお待たせして申し訳ありませんでした。
フランとレミリアの関係をどうするかに苦慮しましたが基本、仲良し路線で行く事にしました。
外出許可が下りたので長年閉じ込められていた恨みをその分、楽しむ事で発散したという設定で行きます。
美鈴の昔語りについても作者の捏造です。
実際、何の妖怪かもわからない謎のキャラなので。
とりあえず全体を通してキャラらしさを感じていただければ幸いです。

次回ですが紅魔館編ではなく別キャラを書くかもしれない事を前もってお伝えしておきます。
行き詰った時に別キャラが書きあがるかもしれないので。
それと紅魔館編ですが基本的にはまだ絡んでいないキャラの話を書きます。
美鈴、パチュリー、フランの三名ですね。
小悪魔は……ちょっとどうなるかわかりません。
余裕があれば書きますが現時点では控えようかと思います。

それではまた次の機会にお会いしましょう。



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