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もう遅くなったがぼちぼち書くか… 先日行われたコミケ78、私は3日間全てに一般参加で行って来た。 コミケは母も通勤電車の広告を見て知っていた。 私が生活苦を承知でコミケ3日間前日行ったのは、わが嫁「ジュエルペットてぃんくる☆」本を探す、ただそれだけのために私は戦場に赴いた。 三日間共に猛暑で汗が絶えず、シャツもすっかり汗を吸い、一日で着れなくなってしまった。 同人誌のほかに、熱中症予防のためにスポーツドリンクなどにどれだけ投資したのだろう? 本のほかに飲み物にもたくさんお金を使うとは… ハンカチではなくタオルにすべきだったな。 とにかく暑すぎて頭がボーっとして、何度倒れかけたことか。 ちなみに夏の参加は2005年(17歳)の初参加以来5年ぶり。 それまでは夏はいつも岩手に帰っていたため、冬しか参加できなかったが、今年は岩手の実家が無人となり、伯母も上京したため帰省のしようがなく、夏コミに行けた訳だ。 初参加のときは、夜行バスで岩手から上京し、赤羽のマックで時間をつぶし、赤羽駅でウーロン茶などを買い込んだ思い出が今もある。 3日間通じて一般で来てみてわかったことは、三日目のほうがコンビニに並ぶ列が圧倒的に多く、一方通行などの規制の箇所が多い。そして何より三日目が最も参加者が多いことを改めて見知った。 初日・二日目のほうがコンビニの列も少なかった。 さて、そんなコミケ参加ルートだが、私は三日間通して、 ・一日目 足立区 ↓伯母と共に池袋まで都バスで移動 池袋 ↓埼京線・りんかい線 有明・コミケ会場 ↓埼京線・りんかい線 新宿 マイミクのVBCテレビさんと新宿で会食 ↓西武新宿線 本川越 一日目はアニメ・漫画ジャンルということでジュエルペットてぃんくる本を期待して行ったら、この日は割と少なかった。 代わりにまいん本やマイメロディ・味楽くるミミカ・セイントテール・セーラームーン本など新規を開拓することができた。 ジュエルペット本だけが目標だったのに… そしてジュエルペットてぃんくる以上にロングセラーのリリカルなのは・らき☆すた・けいおん!・ハルヒ・化物語が圧倒的だった。 ・二日目 ジュエルペットてぃんくる☆本放送を見て、ゆっくりしてから川越から乗り換えなしで埼京線で一本! 午後になって着いた。 事前に調べていたサークル「要」さんのてぃんくる☆本に直行し、何とかゲット! 加えてなんと、私が宣伝している秋田のお米「萌えみのり」のマスコット、「みのりん」のコピー本を発見!! これは大変貴重な出会いだった。 まさか萌えみのり本にここで会えるとは… しかし東方スペースに入り込んでしまったため、あまりの人口密度に早くも全身ヘトヘト… ツイッターのTLでは東方の人口密度に耐え切れず、コミケを脱落したとのツイートが多々見られた。 このため西も東の残るところも周る気になれず、自分も早々と会場を脱出。改めて東方のすごさを肌で思い知った。 携帯の電池がやばくなったので、豊洲に移動し、ららぽーと豊洲のSBショップで充電。 この日おりしもお台場は「東京湾大華火」の日。 なんとららぽーとまで会場になっていた。 ららぽーとの会場はすでに満員御礼となっており、入場規制がかけられ、晴海にまで移動してくれとガードマンに言われたが、私は紀の影の見えにくいところに腰を下ろし、そこからコミケ会場での花火を途中まで見た。 だからコミケ会場に浴衣・甚平姿のカップルが多数見えたわけだ。 午前中に来てピンときたが… 豊洲からは有楽町線・南北線を経て王子まで行き、母のアパートに戻る。 ・三日目 足立区 ↓バス 王子 ↓京浜東北線 東京 ↓臨時バス 会場 いよいよ本番! 前々日・前日よりも人がすごく、一方通行規制が異なっていたり、コンビニの列が半端じゃないことに改めて見知った。 まるで同じイベントとは思えなかった。 私は大手には目もくれず、ひたすら東の島を重点的に回り、ジュエルペットてぃんくる本を探し回る。 そしていつも買いに行っているサークルさんにも立ち寄ってその人の新刊もゲットした。 お昼にはタコスが売っていたが、ケバブに比べて食べにくかった。汁が垂れるし… この日てぃんくる本は何冊か買うことができ、私の創作のエネルギーとなる創作幼女本も多数買えた。 午後になって、同じく会場に来ている知人と会うことになり、西のファミマ前に。 しばらく腰を下ろしてコミケの感想・そして東急線もすでに始発からコミケだったことを話し合い、ジュースを買って会場を後にした。 会場にはカシロップかけ放題かき氷が来ていたが長蛇の列だった。 国際展示場駅からりんかい線に乗り、知人は大井町で下車(ここで多数の参加者が降りる)、私はそのまま終点の川越(三次元)まで同じ電車に乗り続けたが、川越に近づくにつれ、コミケ参加者は少なくなり、完全にリア中の電車となっていった… 尾など電車とは思えなかった。 川越に着いたところですでにグロッキー状態となり、シャワーを浴びて寝込む。 コミケに参加された皆様、本当にお疲れ様でした。 3日間続けて参加する原動力は「ジュエルペットてぃんくる☆」だった。 そのてぃんくる本は私が見つけれたのは計9冊。 これしか発見できなかったが、コピー本を含めるとまだあったと思う。 だがジュエルペットてぃんくる☆は全体的な感想としては、大多数ジャンルにはなっていなかった。 一部一部他のジャンルの場所で頒布していたのだった。 依然として、三日間通してなのは・ハルヒ・らき☆すた・ハヤテといったロングセラーと、けいおん!・化物語・ラブプラス・コードギアスが幅を利かせ、ジュエルペットてぃんくるはその足元にも及ばなかった。 もっと多くのサークルでジュエルペットてぃんくるが一台ジャンルになっていると想像したのだが。 てぃんくる☆本に出会えてうれしい反面、一大ジャンルになってなかったことに拍子抜けした今年の夏コミであった。 ちなみにタキシードバニーちゃん(アトリエダーム)が売り子として壁サークルに、しかもmixiバニーガールコミュの管理人さんとお話ができたことにはびっくりしたがとてもうれしい出来事だった。
川越市民の夏祭り!川越百万灯祭が今年もやってきた! 31日と1日に行われた百万灯祭は、蔵の町をメイン会場に、川越市街地が幾つものカラフルな提灯に彩られた。 川越駅からクレアモールはカオス!10代の男女が圧倒的に多く、身動きが取れなくなる程だった。 また、今年はカラフルで可愛い女性向け甚平が売られていたのか、大人もギャルも幼女も浴衣派と甚平派に分かれていた。 本川越駅前は出店の集中地帯。きゅうりだけはよくみかけた。ハイボールブームに乗っかってかハイボールを売る出店もあった。高いけど。 そして見所なのが、昨年の連ドラ「つばさ」のロケで使われた建物が蔵の町に再現され、つばさ続編・再放送要望の署名活動も行われていた。つばさロケ展に俳優陣のサイン展示、ドラマ内の架空のラジオ「ラジオぽてと」が再現されたりと、スポット的につばさフィーバーが戻っていた。 そして極めつけは川越一番街からそのつばさロケの建物までをサンバカーニバルが練り歩いたのだ! ドラマ劇中でもサンバカーニバルがキーワードとして出てくるので、それとなんとあの浅草カーニバルに出場経験のカーニバルがタイアップして実現したのだった。 百万灯祭にカーニバル、市民はつばさを忘れていなかった! 続編となればNHKのどの枠が最適だろうか?
足立区名物、「足立の花火」に昨夜行ってきた。 新田地区の母の家からバスで一本だが、行きのバスはすし詰め状態だった… この日雨が降りかかり、強風も吹いていたが、足立の花火はお金とスポンサー・そして威信がかかっているため、雨でも開催するという… さすが足立区、粋だねぇ~ さすが江戸っ子じゃないか! 挨拶の近藤やよい区長は共産党だが… 私は傘をござ代わりに上に乗っかり、荒川の近くで荒川の流れと共に、ビールを飲みながら間近での打ち上げ花火を楽しんだ。 近くで見る花火はすごいものだな…すっかり魅了され、観客も興奮していた。 ただ近くを警備の人がしょっちゅう見回りに来ていて花火が見えにくくなったが… 足立区に住んでいた頃は見れなかった足立の花火。 相当な動員数だったみたいだ。 出店が会場の外だったのが残念だったが。 すごく有名な足立の花火を荒天の下でだが、粋な花火に酔わせてくれてありがとう足立区! 今年は花火大会中止にした川越市とは対照的に、決めたらやる江戸っ子気質で粋な区である。
昨夜自衛隊入間基地、それこそ私の住んでいる川越市の近くだが、そこで納涼祭があると聞いたので、行ってみる事にした。 自衛隊の基地の広場の中での納涼祭という一風変わった趣のお祭りには大変に興味を持った。 灼熱地獄の下、西武線で本川越駅から狭山市駅へ移動。 狭山市駅前は改装されたばかりで立派になっていて、テラスまでできていた。 そばには「ここにドトールあったよね?」と必死になって通行人に聞いてくる爺さんの姿もあった。 狭山市駅はとても快適な駅ではないか。 開始まで時間があるので、入間基地前の狭山市役所のカフェで時間つぶし。 狭山市役所からは入間基地は展望できなかった… 狭山市役所付近から西部バスに乗って会場の最寄り駅、西武池袋線の稲荷山公園駅へ。 付近には入間基地の米軍ジョンソン基地時代の名残ともいえる放置されたままの軍用地があちらこちらにある。 近くに基地入り口を見つけると、すでに多くのサラリーマン、浴衣姿のおばさん、学生、家族連れ、若者が基地入り口に詰め掛けていた。 そして5時、時間と共にどっと入間基地内に入り、自衛隊員の案内の元、会場の広場へ。 広場には盆踊り台が設けられ、なんと出店も会場を囲むくらい来ていた。しかもファミリーマートまでわざわざで店でファミチキ等を売りに来ていたのだ。 自衛隊うちわが無料で配られ、自衛隊パンフも配布された。 それはまるで「お兄さん自衛隊に入らない?」と客引きまがいの軍人スカウトに見えた。 当たりは芝生、始めてきた私はブルーシートを持ってくるのを知らず、内輪を強いて芝生に腰をおろした。花見同様ブルーシートが必要らしい。 ビールはなんとモルツの専売特許でロング紙コップ400円!ボッタクリ値段なのはわかっていたので、SEIYUで買っていてよかった。ちなみに他の人も同じ考えなのか出店では売っていない種類のビールを持ってきて飲んでいた。 会場は盆踊りが始まるころにはすっかり人でいっぱいになっていた。 特に子供たちの数が多く、各々の巻き上げた茶髪の髪型に振り不利レースのついた甚平・浴衣にスカートタイプの浴衣など、かわいく彩られたロリっ子達が走り回っていた。 それを見ていた隣に座っていたばあさん曰く「こども手当て1万3千円で買ったんじゃないの?」と。 入間地区の盆踊りが続き、清のズンドコ節も踊られた。 自衛隊員が見回り、ごみを集める施設内での盆踊りは新鮮な反面、妙に重々しかった。 そして滑走路からの打ち上げ花火は、30分間ながらも打ち上げのスパンは早く、そして美しかった。 自衛隊の滑走路から花火が打ちあがっているのだ。 ロケーションとしては最高だろう。 このとき盆踊り台の電球は消され、人々はいっせいに滑走路の方を向いた。 人々の拍手が基地内に響く。 こうして入間基地納涼祭りは幕を下ろし、早々と入間基地から引き上げた。 稲荷山公園駅からは狭山市駅まで西部バス。西武線で本川越に戻ったが、慣れない雪駄を履いたのか足の裏がまだ腫れて痛い… 来年もこの基地でお祭りがあるのならブルーシート持参でまた来て見たい物だ。
あかりちゃんの一人ぼっちお誕生日会は明後日のてぃん曜日に放送予定だけど、OPのプロフには今日が誕生日と堂々と… 私をはじめ、同じあかりちゃんを嫁に持つ人たちの中にはケーキを用意して、あかりちゃんの気持ちになろうとぼっちで誕生日パーティーをしている同志たちもいる。 私も31アイスクリームのアイスケーキを用意して、一人でてぃんくるDVDブックを見ながら嫁の12回目の誕生日を祝いたかったけど、常に財政ギリギリだから、角ハイボールロング缶とブラックニッカクリアハイボール缶で「ハ~イ~ボ~ル」でお祝いしてあげるからね、あかりちゃん。 私の嫁、桜あかりちゃんの誕生日を祝って自宅でひっそりと乾杯! そして明後日の放送が楽しみだ!
↑この見出しの言葉は私のためにあるようなものだ。 昨年の今月、私は前回記述した生活保護を受けるにあたって、「診療内科医に診て、生活保護を受けながら精神を整えていきたい」と福祉課に願い出た。 すると川越の生保指定の診療内科医を紹介され、そこの病院へ。 川越市街地の外れにあり、とてもわかりにくい場所である。 ここの病院は初回外来が午前限定とかなり不親切だったが、二回目は午前に来た。 そして診察の前にソーシャルワーカーによる事前診断が行われ、ここにきた理由として、これまで職場いじめによって精神を病んだと報告。 その結果、医師との面談を許され、通された。 私はその医師に、18で上京し、代アニに入り、中退してバンタンに入ったものの、結局就職できなかったことに加え、その間新聞奨学生や派遣アルバイトでいじめ・虐待を受け続け、社会の不理解に苦しめられたこと。新卒で就職できず、義父から殺されかけたこと、親との仲がうまくいっていないこと。さらには卒業後に就いた昨年の二つのアルバイトでいじめられ、「自分は何もできない無能な人間である」とのノイローゼになってしまったと訴えた。 また、ソーシャルワーカーや医師から加えて以前も心療内科にかかったことはあるか?と聞かれ、それに答えて、以前に日記に書いた↓ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=268894073&owner_id=7350986 この千歳船橋の藪医者(心療内科医)にろくな診察もなく、薬代・診察費をボッタくられたと怒りに任せて愚痴ってしまった。 とこんな感じで今までの経緯を長々とだが、医師に自分が苦い思いをし、ノイローゼになったと伝えた。 するとその医師の診断結果は…… ………… …… … 「お前は居るだけで周りの人間に殺意を与える生きている価値のない人間だ」である。 これは本当にあった診断結果なのだ。 決してうそではない。 医師は続けて、「お前と話しているとこっちがムカついてくる。お前自身いるだけで周りの人間を不快にさせているんだよ」とも言ってきた。 心療内科医が、人格否定同然の診断を下したのだった。 私の過去を話すなり旧に冷たくあしらいだした。 医師は続けて、 「お前ずっといじめられてきたんだろ?」 と自分が幼稚園時代からずっといじめられっこだったことを見抜いてきた。 「お前はいじめられて当然の人間だ」 と続けて人格否定をしてきた。 「私(医師)はこれまでいろんな人を多く見てきた。お前が過去にどんな経験を経てきたかは知らないが、とにかくお前は馬鹿だ。だからどこにも就職できないんだよ。働くなんて絶対無理!」 医師はますます人格否定を強めてきた。 「私が言っていることが間違っているか?ええ??」 それはまるで「自分のいっていることが全て正しい」と、全知全能の主ぶったS者の先輩と同じ人間性の持ち主だった。 ますます上から目線で横柄な態度を強めていく。 私はただそれに怯むだけだったが、その言葉を受けて、 「じゃあ生きている価値がないなら死ぬしかないですね?」 と問い返した。 すると「何?私はこれからお前の主治医として生保の申請の手助けをして、お前の社会復帰を助けてやろうとしていたのに」とえらそうに返した。 「もしここが嫌なら他の心療内科行って鬱の診断書もらってきな。そしてそこではくがいいさ、ここの悪口を。“藪医者にぼったくられました”てな。さぁどうする?私の診断を受け続ける?辞退する?」 脅迫まがいに迫ってきた。 実に横柄極まる無慈悲な接し方で、まるでお情けで生保申請の手助けに鬱の診断を下し、その治療をしてやるといわんばかりであった。 いつもの私なら、この場で頭に来て暴れまわるか、とっとと出て市役所に抗議し、新たな病院を紹介してもらうところだったろう。 しかしこのときの私は違った、 「生保をとるためには、鬱の診断書が必要だ。しかしここで意地を張って抗議したら、生保どころではない騒ぎになってしまう。生活の基盤を安定させ、精神を安定させるためにも、生保をとるために…恥は一時、志は一生、ここは我慢だ(出典:韓信の股くぐり)」と冷静に判断し、お情けと知っていながらも医師に鬱の診断書を作ってもらうことを頼んだ。 怒りや屈辱を押し殺し、生活保護を受けながら精神を直すために医師から直接川越市役所にうつ病の診断書が作られ、送られることとなった。 かくしてその医師は私の主治医となったわけだが、 「コミュニケーションを鍛えるためにも、これから厳しく行くよ」 と、最後まで横柄な医師だった。 私は「自分は不器用で要領悪いから時間かかるよ…」とごまかして病院を後にした。 この横柄な心療内科医に、お情けで冷たくあしらわれた記憶は今もまるで昨日の事のように覚えている。 これは現実にあったのだ。 S者の先輩のごとく、「自分のいうことが間違っているか?」と自分こそ正しいという傲慢な人間に見えた。 かくして、一時の意地の押さえが聞いたのか、生保申請はうつ病治療を理由に受けれる運びとなり、受給が決定した。 今も受給理由は「うつ病の治療のため」となっている。 しかし現実はどうか? あれだけ医師でありながら患者の人格をクソミソに否定しておいて、後でお情けで直してやるよ、なお憂いな態度は、私にまた新たな心深い傷を作った。 心の病を治したくて心療内科に行ったのに、逆に新たな心の病を抱えてしまうという矛盾に出くわしてしまった。 私にできる報復としては、2ちゃんねるにそこの病院の悪口を書き、新規の患者数を減らし、川越市生保指定を取り下げることくらいだろう。 それはともかく、私は精神を治すための精神病院に近づくことすら怖くなった。 その病院に必要があっても近寄りたくすらなくなった。全身が拒絶する。 それからその病院にはあと一回しか行っていない。 先生を変えるという条件付で。 しかしそれもとうとう限界…私は川越市役所と協議し、保健所への相談もあって生保指定ではないが、病院を変えることを許された。 そしてそこで、この病院で先生に「お前は居るだけで周りをイラつかせる人間」の真意が判明するのである… しかしあの医師だけは絶対に許さん。医師の癖に新たな心の病を作りやがって… おかげで誰も信じられない「人間不信」が病気に追加されたではないか!? 絶望した!!生きている価値のない人間、と診断した心療内科医に絶望した!!! 自分は「生きている価値のない人間」として心療内科医から正式に診断されたのだ。 こうなったらマジで自殺すべきなのか?
三連休最後の日、昨年の同じ日何があったかというと、私が生活保護に関する相談、そして申請をした日だ。 カミングアウトすると、私は今まで一年間、生活保護を受けて生計を立ててきた。 生保受給者として半ば世捨て人のような暮らしを営んできた。 きっかけは一年前、川越版派遣村「川越なんでも大相談会」に駆け込んだことだった。 そこでアルバイト先でいじめられていた実態を告白し、「自分は何もできない上に夢をかなえることすら許されない。もういじめられながら働くのはうんざりだ」と愚痴をこぼしたところ、翌々日の川越市役所に集団で生活保護の申請に行こう、と共産党の川越市議の人に連れられていったのが始まりだった。 それから市議の人の後ろ盾の下、スムーズに申請をし、受給認定がおりたのだった。 そもそも私が生活保護を受けようと思ったのか? きっかけは戦術のとおりだが、それを動かしたのは、昨年に勤めていたアルバイト先でいじめられ続け、心身ともに疲弊していたからだ。 要するに「働くことって馬鹿馬鹿しい」と感じたからだ。 何故ならば、私の場合、いつもどこでもどんなに真面目に勤めようとしても、何やっても「おかしくない?」 何やっても「仕事にならない」 何やっても「お前に仕事ないよ」 何やっても「馬鹿」呼ばわりされる… 生きるためにこんな人権の無い毎日、生き地獄を味わい続けなくてはならないのか?給料のために馬鹿にされ続ける。 加えて自分の目指す作家という夢を否定され続け、体育会系的社会の下で組織の奴隷となる虐待を受け続ける… こんな馬鹿馬鹿しい生き方なんて無い! 自分は馬の骨の奴隷となるために働くわけではないからだ! 労働など所詮他人の奴隷になることである! 昨年の日記に書いたDQN企業を退社したときも、退社後に愚痴ったら、知人から「そこは中卒・不良上がりの行く職場。辞めて正解」と言われた時にはほっとした。 そのときにも知人から青年ユニオンを通して生活保護を受けるように進められたが、このときの自分は埼玉の倉庫での仕事が決まった。 しかしそこの倉庫の仕事も、自分が不器用で要領の悪く、仕事が遅いことを理由に毎日いじめられ、言葉の暴力を浴びせられていた。 そこに勤めていた人たちもろくな人たちではなかった。 結局そこを一年前の今月にやめてから何でも大相談会に駆け込んだ… 要するに自分はDQN企業、ろくでもない心の無い人たちばかりの職場でいじめられ続けた苦い経験から、「仕事」に対し、恐怖感を持ち、働けなくなったこと。 とにかく働くことに拒絶反応を示すようになった。 「働けば、またいじめられる…」と。 あれだけ罵倒や野次を飛ばされ、仕舞に何もできない無能者、という扱いをされたら「労働の義務を果たす資格なし」と決定付けられるだろう。 もう、誰にもいじめられたくない。 誰にも無能者呼ばわりされたくない! 誰にも馬鹿にされたくない! そんな気持ちが爆発し、最初は躊躇った生活保護を受け取る気持ちになったのだ。 それが第一の理由。 第二の理由は、創作の時間を確保すること。 これまで専門学校期間を除けば、アルバイトのために時間を大幅にとられ、どんなに作ろうとしても作りきれないのが現実だった。 通勤のために長時間ロスにされ、アルバイトでクタクタになって創作意欲が減退し、何もする気になれずゲームなどでごろごろするだけで前に進まなくなる… 要するに生活のために自分の自由な時間が奪われていく… 体を回復させざるを得ないからな。 このままアルバイトを続けちとしても、シナリオや物語を書ききる時間は確保できない。もっと余裕を持って書きたい。 こんな糞な仕事している時間があったら、物語書いていたいよ、と何度仕事中、心に愚痴ったことか。 だが生活保護のおかげで毎日が自由時間となり、一日の全てを執筆に投入できる夢のような環境が手に入った。 好きなだけ寝ていられるし、万全のコンディションで物語を書き進めれる。芸術家にとって夢のような環境を手に入れ、私の創作意欲は高まって言った。 もし、私と同様に仕事しながら芸術家の道を望んでいて、しかも労働に悩んでいる人がいれば生活保護を受給することを勧めたい。 受給するに当たって、私の両親や親族が扶養可能か調査するのがあったのだが、私の両親や親族が生活が苦しく、しかも私を過去に虐待・果てには殺そうとしたこともあったことから、扶養不可能と断定され、受給資格を得た。 しかも全財産をお金に換えてまで生活費を工面できるかも調査されたが、一人暮らしの私にそんな財産などは無い。これも受給OKのサインとなった。 かくして私は作家志望の生保受給者となった。 しかし無限に自由な時間と職場いじめからの開放、精神的安心感と引き換えに得たものは、周囲からの生保に対する偏見・無理解という蔑視、そしてギリギリ以下の生活である。 「最低限度の生活を保障する」というのが生活保護だが、実態はギリギリ以下である。 川越市は月11万円である。ここから家賃・高熱通信費を支払っていく…しかも単発アルバイトや仕送りがあれば、申請せねばならずそれがその保護費から引かされ、ますますギリギリ以下となる。 結果、部屋に引きこもるしか節約の道は無く、本当にニート暮らしとなってしまう。 実際物価の高い川越市では、どんなに知恵を絞り、工夫しても(家賃込み)11万円では足りない。 切り詰めても切り詰めてももう限界… 何度飢えに直面したものか… 労働からの解放と引き換えになったどん底の貧乏暮らし。 私は本腰を入れて、作家になるためにせっせと今日も作品を書き溜めている… それから私にはもうひとつ夢ができた。 若くして生活保護を受給している人たち、そして受給したい人たちのために、社会活動をすることだ。 有り余る時間を利用して、生保受給者の地位向上に私の精神力や知恵を活かしたいのだ。 誰にも馬鹿にされずに人間らしく生きる。そのために私は社会活動家として歩み始めたのだ。 私と同じ労働で苦い経験をした人たちを助けるべく… 偏見を打ち砕き、苦い経験をしてきた人たちに光を! 社会の底辺にいる者たちよ、団結せよ!! |一覧| |
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