2010年8月21日
徳島で生まれ、北海道から九州の各所に根付いた阿波おどり。首都圏でのブームの火付け役となった東京・高円寺のグループ(連)による演奏がCD「ぞめき壱」に収められた。今月28、29日の開催で54回を数え、いまや都会のフォルクローレ(民族音楽)とも呼べる熱気あふれるビート。酷暑の折、まずは「聴く阿呆(あほう)」になるのも一興だ。
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CDをプロデュースしたのはミュージシャンの久保田麻琴。昨年、高円寺の阿波おどりを体験し、「音量感と真剣味に、泣きそうなほどじーんと来た」。
久保田は「裸のラリーズ」でバンド活動を始めた。「夕焼け楽団」で「ハイサイおじさん」をカバーし、沖縄の喜納昌吉を県外に紹介。ディック・リーらアジアの歌手のプロデュースも手がけ、心を動かす音楽を求めてブラジル北東部やエチオピアも訪ねた。3年前に沖縄・宮古島の民謡に出会い、「乾きを潤すのは、今も呼吸を続ける日本の歴史の古層だと気付いた」。
そんな耳に、高円寺のビートが爆音で飛び込んだ。「70年代のザ・バンドなど、『これぞロック』と感じた音楽と通じるものがあった」
型にとらわれず心の叫びを解き放つのがロックだとすれば、高円寺の阿波おどりの始まりもロックそのものだ。
地元商店街の青年部が町おこしのために企画した「高円寺ばか踊り」が起源。阿波おどりを見たことのある年長者の話から想像を膨らませ、白塗りの化粧、チンドン屋のおはやしで踊った当時の人々の姿は実に破天荒だ。やがて本場に教えを請うようになり、踊りも演奏も本格化した。
CDには11の連が協力した。「チャンカチャンカ」と鳴る鉦(かね)の音や笛、三味線が軽快な伝統の二拍子系だけでなく、主に打楽器だけの“ドカドカ系”など、多彩なビートやテンポを紹介する。
鉦(かね)の演奏で参加した「江戸っ子連」の平野治彦連長(54)は「高円寺ならではの演奏を、臨場感のある音で収録してもらえた。未体験の人にはイメージを膨らませてもらえるし、来てくれた人には思い出として持ち帰ってもらえる」と喜ぶ。
一方、こうも語る。「徳島の阿呆連を師として三十数年。初めて現地で見たとき、鬼気迫る踊りと演奏に血の気が引いて立ち上がれなかった。太鼓の『ドン』という音一つとっても、奥深さが違う。『まねから入ってもいつか自分たちのものを見つけろ』と教えられてきた。それが何なのか結論は出ないが、一瞬一瞬にかけ、けいこを積むしかない」
久保田は先週、本場徳島の阿波おどりを訪ねた。高円寺の人々も師と仰ぐ踊り名人の四宮生重郎(しのみや・せいじゅうろう)さん(82)にCDを聴いてもらった。いわく、「東京の阿波おどりやね。どこがどうというのではなく、何とは無し……。踊れるけど、ノリがねぇ」。
ラテン音楽の「テキーラ」も「おどるポンポコリン」も、ジャズもファンクも踊りこなす自由人だが、本場のノリと粋に関しては譲れない一線があるようだ。
その一線は何なのか、頭だけで考えるのは無粋な阿呆なのかもしれない。いずれ徳島版のCDも作りたいという久保田に、「それはやっぱり、一緒に踊ってもろて、汗いっぱい流してもろてからやね」と名人は笑った。(藤崎昭子)