【コラム】100年前の日本漫画に描かれた朝鮮(下)

 100年前の日本の風刺漫画で、朝鮮は鶏として描写されることが多かった。貪欲(どんよく)な日本の帝国主義は、朝鮮という鶏をいかに料理して食べるかと考え、そんな意識を包み隠そうともしなかった。

 韓国が日本に併合された1910年、前出の時事雑誌の新年号に掲載された風刺漫画では、朝鮮という鶏小屋の中で、「親日鶏」と「排日鶏」が激しいけんかをしている。そして、この2羽の鶏が「夏のハエの群れのように争っている」とこき下ろし、「自分たちが危機に直面していることも知らず、けんかばかりしている鶏は実にかわいそうだ」という説明文を付けた。国を奪われる危機に直面しているにもかかわらず、国論を二分して争っている朝鮮を、思い切りばかにしたのだ。

 そして、韓国併合当日の1910年8月29日、ある雑誌の風刺漫画では、伊藤博文があの世で代表的な征韓論者の西郷隆盛に会い、朝鮮という鶏をささげる場面が、「お祝い」として描かれている。100年前の世界は、現代のわれわれが考えているよりもはるかに残酷で、野蛮な世界だった。

 ところが、朝鮮の民衆は、世の中がどう動いているのか、十分に知ることさえできなかった。日本による韓国併合が迫っていることを伝える、1910年8月22日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、「朝鮮人は何が起こっているのかをまったく知らずにいる」と報じた。

 当時の朝鮮を描写した日本の風刺漫画の中でも特に、韓国人の心を逆なでするのは、豊臣秀吉と伊藤博文があの世で対面する様子を描いた漫画だ(前出の時事雑誌の11月1日号)。伊藤博文が安重根(アン・ジュングン)に暗殺され、あの世へ行くや、約300年前に朝鮮を侵略した豊臣秀吉がうれしそうに出迎え、対話するというものだ。

 「あなたの胸にできた(銃撃による)傷は、何よりも立派な勲章だ」(豊臣秀吉)

 「300年前にあなたが初めて試みたことを、ようやく成し遂げました」(伊藤博文)

 他国をまるで食べ物のように考えていた、殺伐とした世の中。われわれはそれでも、何とか生き残り、今日まで歩んできた。

朴正薫(パク・ジョンフン)記者(社会政策部長)

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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