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腎臓移植を受けた女児の母親が、提供者の家族に送った言葉がある。「命を確かに引き継ぎました。お陰で娘は元気に小学校へ通っています」。仲立ちした日本臓器移植ネットワークの冊子で見た。3年間の透析生活を脱した少女は、神様にもらったと信じているそうだ▼一つの喪失が一つの再生をもたらす臓器移植は、命のリレーといわれる。いわば涙の水彩で花束を描き、見知らぬ家族に贈る行為である。鼓動が響く脳死段階での決断ともなれば、涙の色はより濃いだろう▼本人の書面ではなく、家族の承諾による脳死者からの臓器移植が、国内で初めて実現した。交通事故に遭ったその男性は生前、臓器を提供してもいいと家族に語っていたという。若い心臓や肝臓が5人に移された▼脳死移植の条件を緩めた結果である。15歳未満の小さな臓器も生かせることになった。海外で移植を目ざす「○○ちゃんを救う会」を必要としない時代を待ちたい。とはいえ脳死宣告に沈む家族には、気持ちを整える時間が要る。決断を急(せ)かすことは許されない▼移植を待ちながら、提供者に転じた少年がいる。心臓移植のためドイツに渡るも、直後に事切れた11歳だ。万一の時の覚悟を問われ、「僕は人からもらわんと生きられないから、使えるもんは何でもあげる」と言っていた▼息子の臓器を現地で供した親は、移植で救われた同世代に語る。「誰に何の遠慮もなく、すくすくと成長してほしい」。最愛の人が何人かの中で生き続ける。この安らぎなくして、命のバトンはつながらない。