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詩歌に親しむ楽しみはさまざまにあるが、妙(たえ)なる一行に出会う幸せはその最たるものだ。心のポケットにしまい込み、時おりそっと取り出しては味わい直してみる。慰められたり、励まされたりもする▼歌人の河野裕子(かわの・ゆうこ)さんにお目にかかったことはなかったが、その歌はいくつもわが胸にあった。たとえば〈青林檎(あおりんご)与へしことを唯一の積極として別れ来にけり〉は、若い頃にしまい込んだ。そんな人がいつか現れる淡い憧(あこが)れを抱いたものだ▼〈たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏(くら)き器を近江と言へり〉は美しい旋律にまいった。真水を抱くのは琵琶湖だが、湖国の風土にとどまらず女性の身体性の暗喩(あんゆ)でもあるという。歌もここまでくると、一編の物語をゆうに超えると、素人ながらに感じ入った▼「母性」につらなる歌も忘れがたい。〈朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの〉。「わが子を詠んでこれほど母の思いを率直に歌った人はあまりなかろう」は、「折々のうた」での大岡信さんの評である▼そうした秀歌の数々を、しなやかに詠み続けた河野さんが64歳で亡くなった。乳がんの手術をして闘病していた。病と向き合う中でいっそう歌境を深めていたと聞く。早すぎる落花に、歌人一家で知られるご家族の悲痛を思う▼夫君の細胞生物学者、永田和宏さんは朝日歌壇の選者でもある。あこがれの青林檎は、その掌(たなごころ)への献上だったのだろうか。遺(のこ)された歌は多くの人の胸にしまわれ、これからも愛誦(あいしょう)されることだろう。励まし、慰める調べとなって。