【萬物相】財閥三世のさびしい葬儀

 「夕方、不幸があった家に靴が集まる。いくらきれいにそろえて脱いでも、弔問を終えるころには散らばっている靴。くそっ、靴が靴を踏みつけるのが人生だ。踏まれないのは故人の靴だけだ」(詩人ユ・ホンジュン『喪家(そうか)に集まった靴』)

 この詩を読むと、弔問客で込み合う遺体安置所の様子が鮮やかに思い浮かぶ。弔問客の靴には、それぞれの人生の苦しみがにじんでいる。生きている者の靴はぐちゃぐちゃに乱れても、故人の靴は無事だ。

 唐の時代に書かれた歴史書『隋書』には、古代韓半島(朝鮮半島)の葬祭の風習について、「太鼓をたたき、歌を歌いながら、遺体を墓地に運ぶ」と記録されている。イム・グォンテク監督の映画『祝祭』(1996年)には、田舎の喪家で繰り広げられる酒席とけんかの様子が描かれている。悲しみを生きていることの活気、許しと和解で慰めようという、葬祭文化の一側面だ。

 アルベール・カミュの小説『異邦人』に登場する主人公は、母親の遺体安置所で涙を流さなかったことから、「社会不適応者」のレッテルを張られる。西洋でも喪主の道徳は大切だ。フランスでは2003年、夏の猛暑で85歳以上の一人暮らしの高齢者約400人が亡くなったが、遺族が現れず、遺体安置所も設けられなかった。霊安室が足りず、約100体の遺体は冷凍トラックに保管された。これについて、日刊紙フィガロは「フランスの野蛮」という社説で、「高齢者たちが品位を欠く人生の終末を迎えたのは悲劇だ」と嘆いた。

 今月20日、サムスングループの創業者、故イ・ビョンチョル会長の孫に当たる李在燦(イ・ジェチャン)元セハンメディア社長の葬儀が行われた。18日に自殺した故人は、財閥ファミリーの三世として生まれたが、遺体安置所も設けられないまま、一人寂しくこの世を去った。故人は1999年に会社が乱脈経営で売却された後、月150万ウォン(約10万9000円)の家賃で、面積33坪(約110平方メートル)のマンションに一人で暮らしていた。生活費に困り、周辺の店にツケ払いをしながら生活し、サムスンの経営者一家の集まりにも出席しなかったという。

 葬儀には妻、息子二人、実の兄弟が出席したが、サムスンファミリーの叔父やいとこの姿はなかった。サムスン関係者は、「遺族が遺体安置所を設けず、弔問も望まなかったため、親族が出棺に立ち会わなかったと聞いている」と話した。西洋では金持ちの子供を、「銀のスプーンをくわえて生まれてきた」という表現で例える。一方、「死に装束にポケットはない」という格言もある。人は皆、手ぶらで生まれ、手ぶらで死んでいく。ただし、手ぶらの手がむなしい手なのか、それとも重荷を下ろした身軽な手なのかという違いはある。

朴海鉉(パク・ヘヒョン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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