沖縄の夢をかなえた左腕を包むように、甲子園に大きなうねりが起こった。試合後、興南のアルプス席から起きたウエーブは東海大相模側へとつながりマンモスを1周。沖縄勢の初出場から53年目の悲願達成を、4万7千人の観衆が祝福した。
最後の夏を締めくくったのは、あらん限りの力を込めた直球勝負だった。九回2死、島袋はすべて直球の7球目で空振り三振。「最高でした。選抜優勝からこの夏を目指してやってきた。達成感があります」。この夏初めてガッツポーズを見せた。
いつもマウンドで表情を崩さない左腕は、決勝でも冷静な判断で勝利への流れを引き寄せた。初回先頭の中前打で、キレを欠いた直球を狙われていると察知すると、変化球主体の配球に切り替え。奪三振は4にとどまったが、ツーシームとスライダーを効果的に使い、打たせて取った。
「重圧を感じることも幸せ。避けて通ろうとは思わなかった」と弱みを見せなかった左腕。だが、母・美由紀さんは違う一面を見ていた。沖縄をたつ3日朝。いつも時間ぴったりに支度を終える息子が、時間を持て余していすに腰掛けていた。「緊張しているのだなと思いました」。遠征時は家族全員が握手で送り出すのが島袋家の決まり。母は、あえて「体に気をつけて」と普段通りの言葉で送り出した。
そんな母の思い、そして県民の願いを背負っての6試合。春夏の甲子園で通算11勝は、1998年の松坂大輔(横浜、現レッドソックス)に並んだ。通算奪三振数は2006年の斎藤佑樹(早実-早大)、田中将大(駒大苫小牧-楽天)を超える130個に上った。
「小さな島で生まれた子どもたちが、よくやってくれた。待ちに待った深紅の大優勝旗。先人の思いが実った」と我喜屋監督は感激をかみしめる。島袋ら南の島から旋風を巻き起こした選手たちが、高校球界に新たな歴史を刻んだ。
■興南高校
1962年創立の私立共学校。校名は「南(沖縄)を興す人材育成」を目標としてつけられた。野球部は同年に創部、甲子園出場は夏が今年で9度目、春は4度。本土復帰前の68年夏に沖縄勢で初の4強入り、今春の選抜大会で初優勝した。主な卒業生に仲田幸司(元阪神)やデニー友利(元西武、中日など)、ボクシング元世界王者の具志堅用高、女子プロゴルファーの宮里美香ら。校訓は「和、師弟同行」。生徒数848人(女子272人)。那覇市古島1の7の1。久貝宮一校長。
=2010/08/22付 西日本新聞朝刊=