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明確な「革命理論」はあるか?
パルチザン的「日本民族解放運動」を打ち立てよう!
写真:今年2月、私どもが主催した法務省への抗議行動で、最強タッグが法務官僚を表まで引きずり出した
『在日特権を許さない市民の会』(桜井誠会長)と『主権回復を目指す会』(西村修平代表)という「行動する運動」の中核を担ってきた両団体・両代表の路線対立から表面化した仲違いについて周辺では何かと喧しい。
決定的だったのは京都での朝鮮民族学校が隣接する児童公園の不正使用・不法占拠問題で、これに猛然と抗議した結果、両会の幹部計4名が威力業務妨害などで不当逮捕された後の対応をめぐり、在特会サイドが選任しようとしている弁護士に在日朝鮮人の人権派弁護士が存在したことではないか。
その前後を境に、両団体はそれぞれの行動に邁進する独自路線をより鮮明にすることとなり、今日のように分裂状態は周知のこととなって隠せない事実となったのである。
前にもこれに似たようなことがあった。
あれは3年前の平成19年(2007年)夏、ブログ『日本よ何処へ』主宰の瀬戸弘幸が『維新政党・新風』より比例代表候補として参議院選挙に出馬した直後のことだった。
当時、私たちは『新しい風を求めてNET連合』(略称:新風連 代表:瀬戸弘幸 現在サイトは休止)なるブロガー連合体サイトを立ち上げて新風を支援する活動をインターネット上において展開していたものだが、参院選前より協賛ブロガーの一人が星条旗にドクロマークやハーケンクロイツを模した旗を持って米国大使館への抗議行動に参加、その画像を同サイトの管理人であった私が掲載したことが内外から問題視されていた。
ちなみにこの時も米国大使館への抗議行動を呼びかけたのは西村修平代表であった。
もっとも件の協賛ブロガーのネット上での言動をめぐり、他の協賛ブロガーとのイザコザがあった延長上に例の「星条旗事件」が持ち上がって内外からバッシングされる状況が生じたわけだが、その後、私は新風連「公式」声明として「まったく問題はない」旨を明言させて頂いた。
なお、この時の声明は私の独断専行であり、後から瀬戸弘幸の事後承諾を得た。
言ってみれば日本民族に立脚して運動を展開する御家の一大事に、逐一主君にお伺いを立てて家臣からまた進言する悠長なことをしている間もなく、それが大局的な見地に基づく判断である以上、言葉を交わさずとも理解し合えていると信じていたし、事実、瀬戸弘幸の懐の大きさによって反発ばかりを招くような声明が撤回されることはなかった。
その結果、複数の協賛ブロガーが新風連を去ることとなり、当該エントリーでは内外からの猛反発が凄まじかったことを思い出す。
http://shinpuren.jugem.jp/?page=1&month=200707
しかし、この時の声明は新風連として誰の味方をして、誰を排除するといった低レベルな視点から発したものではない。
実はこの星条旗事件への対処では、後に我々がどういう路線を選択して、どういう運動を展開するかといった重大な岐路が背景に隠されていた。
事実経過として新風連とその支持者らはその後、妖面氏(この国は少し変だ!よーめんのブログ)や西村代表、そして在特会との行動に邁進していくわけだが、ここでどちらともとれない優柔不断な対応に終始していれば「行動する運動」という明確な座標軸と方向性の構築には至らなかったのかも知れない。
元は「行動する保守」と称して後に「行動する運動」、そして「行動する社会運動」からさらに「民族解放運動」なる指針は、星条旗事件如きをバッシングした奇麗事に与していては生涯にわたって私の中でも生まれなかったに違いない。
既存の保守派はよく武士精神だの悠然と構える凛とした日本人精神を説くが、日本という国・社会は既にそうした「美しき日本人」を育成・醸成する環境にない。周辺国から侮られ、内に至っては膨大な数の不逞外国人によって社会を乱されても抵抗力を奪われてしまったのが現代の日本国であり現代の日本人である。
そのような中で本来的には速やかに行動に至っているべき保守が相変わらず「語る」ことに終始しているため「行動する保守」を標榜し、より保守との違いを鮮明にするために「行動する運動」、そして保守政党を支援することにのみ狂奔する既存の保守運動・議会政治と対峙する観点から「行動する社会運動」を標榜。
さらに日本国の主がもはや在日の支那人(中国人)・朝鮮人に成り代わられ、日本人こそが差別・迫害・蹂躙・排斥されている状況に鑑みて、これは概念的に日本人のナショナリズム解放運動でなければならないとの観点から私どもは独自に日本の「民族解放運動」であると命名した。
先鋭化と言えばそうなのかも知れないが、ここまで私が社会運動への概念を構築し得たのは、やはり明確な革命・闘争理論に基づいて運動を展開されてきた西村代表や酒井信彦先生(元東京大学教授、主権回復を目指す会顧問)らの影響だろう。
私と秋田県人、そして政治・社会運動!
話を戻すが、どうも周囲は桜井誠に付くか−、西村修平に付くか−といった低レベルな観点で捉えてはいないか。
問題は誰が明確な革命・闘争理論に基づいて「生き残る」ことに適した運動を率先的に展開してきたのかということである。
西村代表の話でよく思い出されるのは「既に日本が死滅した」「終わった」という観点から、「絶滅を免れた敗残兵」としてかろうじて逃げ込んだジャングルから日本全国に辛くも散在する同志を結集させるべく「反撃の狼煙をあげていく!」という言葉だった。
これをSF映画チックに言えば、密かに侵略・侵攻して来た異星人によって地球人は一人また一人と脳髄まで侵されて、一見は平穏に見える街・社会全体がどこか不気味に動きながら、全地球人への寄生が完了に向けて着々と進行しているような状況が支那・朝鮮によって精神から蝕まれている日本人の姿と重なる。
外国人参政権法案と聞けば保守の誰もが「在日朝鮮人」の問題であることは容易に思いつくが、その背後には在日外国人の中で最多を占めるに至った支那人が控えており、この支那人との「全面戦争である!」ことを説いたのも西村代表だ。
その他、民主党と自民党が兄弟政党で、いずれの政党をも「利権分配集団である」と喝破し、長きにわたって日本を司どってきた自民党に象徴される戦後政治を打破しない限り、民族国家の再建はあり得ないことを行動で示してきたのも西村代表だった。
保守派の誰もが挙って沈黙する「日米安保条約」こそは日本人の自立・独立精神を阻害する最たるものであるとして、東京大空襲や原爆投下などの節目には米国大使館への抗議行動を一貫して継続。
「国家など何度滅んでも構わない。民族さえ残っていれば日本という国・社会を建て直すことはいくらでも可能なんだ!」(西村代表)
おそらく保守派の中でも急進的且つ最も先鋭的な革命・闘争理論であったからこそ、そのキャラクター性と相俟って多くの衝突と喧嘩、仲違いを繰り返して今なおも既存の保守派から西村代表を排除しにかかろうとする動きが顕著なのだろう。むしろ、そのため瀬戸弘幸は燈された西村修平という火を消してはならないとして務めている。
その西村代表は秋田県の出身。思えば大阪生まれの私にとって秋田県人は多くのことを示唆してくれている。
まだ19歳の頃、大阪で務めていた会社の先輩に秋田県人がいた。彼は拳法の高段者で、故・笹川良一氏の専属ボディガードが代表取締役社長を務める警備会社に在籍していたことがあったという。特定の政治思想に被れているということはなかったが、ある時、会話の中で「右翼」に話が及び、特に外国人問題に危機感を持つ自分が内包されたエネルギーを放出させるにはこの道以外にないと悟った。
その後、20歳で上京して現在に至るわけだが、私が秋田県や福島県をはじめ東北人から得た教示は政治・社会運動に限らずとてつもなく大きい。
日本人が先鋭化しても先鋭化し過ぎることはないくらい、日本が置かれた状況は危機的であるからこそ明確な革命・闘争理論そして生き残るに適した理念と方向性こそが必要不可欠なのである。
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