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「言論の自由を守る」
    ==========新聞研究委員会のあゆみ==========

 社内の民主化は、報道機関で働く者にとって、言論の自由を守り、日本の民主化を押し進めるうえで欠かせない取り組みです。組合は71年に新聞研究委員会を設け、以来、「新研かわら版」(下段参照)を編集・発行しているのも、新聞紙面の日常的監視と批判を呼び起こすと同時に、社内言論を活発にして真に民主的な職場を築きあげていこう、との狙いからです。

 社内の民主化は、報道機関で働く者にとって、言論の自由を守り、日本の民主化を押し進めるうえで欠かせない取り組みです。組合は71年に新聞研究委員会を設け、以来、「新研かわら版」(下段参照)を編集・発行しているのも、新聞紙面の日常的監視と批判を呼び起こすと同時に、社内言論を活発にして真に民主的な職場を築きあげていこう、との狙いからです。

 また、朝日労組は発足当初から一貫して日本の新聞労働者の中心に位置し、現在も新聞労連内で重要な役割を担っています。新聞経営者が合理化を進めるうえで連絡を密にしていることから、新聞労働者の側も統一した取り組みが不可欠なものとなり、朝日労組の活動がますます大きな意味をもってきています。さらに、綱領に明記してあるように、平和の擁護のため、朝日労組は世界の労働者と手を握ってたたかってきました。原爆記録写真特集号のアサヒグラフを全世界の首相に送ったのをはじめ、安保反対やベトナム和平、反核・軍縮での取り組みでは大きな成果を上げました。

 また、90年から91年にかけての湾岸戦争の際も、即時停戦を訴える社内署名を実施、武力行使の中止を訴えるアピールを出しました。86年5月3日、阪神支局が銃を持った男に襲われ、記者2人が撃たれ、小尻知博記者(当時29)が死亡しました。また9月24日には名古屋本社新出来寮が襲われ、東京本社にも銃が発射されていたこともわかりました。ペンをにぎる記者に向けられた銃口を私たちは許すことはできません。
→言論の自由を考える5・3集会のページ


 89年4月には、朝日新聞夕刊に掲載された沖縄・西表島のサンゴの落書き写真について、撮影したカメラマン(退社処分)が自らの手で傷つけたものとわかり、厳しい批判を受けました。新聞社を取り巻く状況が厳しくなっている中で、私たち1人ひとりが新聞の在り方を問い続ける意味は、一層重要なものになっているのです。(1991年朝日労組発行「新しい仲間へ」参照)