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【肥田美佐子のNYリポート】来日直前のサンデル教授に独占インタビュー

【日本版コラム】

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 今、日本で最もセレブな米知識人といえば、間違いなくこの人、マイケル・サンデル・ハーバード大学教授である。のべ1万4000人もの学生が履修した講義のタイトルは、ズバリ「Justice(正義)」。その人気ゆえ、大ホールで授業が行われる、ハーバード大随一の人気講座だ。米国では、昨秋、講義の様子が初めてテレビ放映され、教授の著書『Justice: What’s the Right Thing To Do』は、哲学書では異例のベストセラーとなった。

講義「正義」の授業風景

 一方、日本でも、今年春から初夏にかけて、NHKが、その授業風景を「ハーバード白熱教室」と題して放映。サンデル人気に火がついた。5月25日に出版された邦訳版『これからの「正義」の話をしよう』(早川書房)は、発売後ひと月足らずで早くも25刷重版。すでに20万部以上を売り上げている。

 「あなたが路面電車の運転手だとしよう。突然、電車が暴走する。線路で仕事をしている5人の作業員を救うために、待避線へとハンドルを切って1人の作業員を見殺しにするのは『正しい行い』といえるのか。最大多数の幸福原理を唱える『功利主義』によれば、答えはイエスだが、個人の権利はどうなる?」

 「持って生まれた才能には差がある。(実力主義者が報酬のよりどころとする)個人の貢献度や達成度は、少なくともある程度は天賦の才で決まるのが現実だ。とすれば、(元バスケットボール選手の)マイケル・ジョーダンやビル・ゲイツが巨額報酬を手にするのは正当なことなのか。所得と富の分配の『正義』は、いかにして達成されるべきか」

 英哲学者ジェレミー・ベンサム(1748-1832)の功利主義、正義論で知られる米政治哲学者ジョン・ロールズ(1921-2002)の格差原理・平等主義。ロールズをはじめとする、個人の自由と再分配に重きを置くリベラリズム(自由主義)、機会の形式的平等を伴う自由市場を支持するリバタリアニズム(自由至上主義)――。サンデル教授は、難解な論理を具体的な事例に則して対話形式で語りかけ、学生を深い哲学思考へといざなう。

 8月上旬には、英BBCのドキュメンタリー番組「Justice」の収録で、独哲学者カントやアリストテレス(ギリシャ)、ベンサムら功利主義者の軌跡をたどるべく、ベルリン、アテネ、ロンドンを旅した。25日に東大で行われるNHK収録の「ハーバード白熱教室 in JAPAN」に向けた来日を控え、多忙な毎日を送るサンデル教授に話を聞いた。

――日米で著書がベストセラーになりました。

マイケル・サンデル教授 Kiku Adatto

マイケル・サンデル教授

サンデル教授 反響の大きさに驚いている。偉大な哲学者たちの考えを、われわれが毎日の生活で直面する道徳的・政治的ジレンマに結びつけること――これが、わたしが著書を通して試みたことのひとつだ。だから、一般の人たちにも読んでもらいたいとは思っていたが、日米で哲学書がベストセラーになるとは思ってもみなかった。米国でも日本でも、道徳や精神について、もっと活発で刺激に満ちた議論が渇望されているのではないか。

――日本の終身雇用制度と米国の「Employment at Will(解雇自由の原則)」について。雇用の安定はあるが、労働市場の流動性に欠ける日本と、その逆の米国。それぞれのシステムに「正義」はどの程度あると考えますか。

サンデル教授 いずれの国でも、雇用の安定と新規労働者へのチャンスとの理想的なバランスが達成されているとは思わない。米国では、外国へのアウトソーシングや労働組合の衰退のせいで、(収入や富の)不均衡が増大している。生涯を通じて同じ会社で働く米国人は、減る一方だ。「流動性のある」労働市場は、女性や若者、移民などに、より開かれたチャンスを与えるが、既存社員には雇用の不安定さをもたらす。

 一方、指摘のとおり、日本の制度は、逆の問題につながるかもしれない。既存社員の身分は安定するが、新規労働者へのチャンスは減る。私は雇用政策の専門家ではないが、日米は、互いの国や一部欧州の国々から学ぶことで、雇用の安定と流動性のバランスをより良くすることができるのではないか。

――米国の最高経営責任者と一般社員の年収差は、07年現在で275倍だという調査結果が出ています(日本は05年時点で10.8倍)。一般的に、日本のほうが平等主義的で経済格差が小さいことで知られていますが、こと男女間の平等となると、米国のほうが、はるかにフェアに見えます。どちらが、より「just society(公正な社会)」に近いと思われますか。

サンデル教授 米国のほうが一般的に収入格差が大きい反面、日本のほうが男女間の経済格差が目立つのは確かだ。この問題は、社会正義について、2つの重要な問題を提起している。まず、公正さの点から、経済格差を縮める努力をすべきだ。貧富の差が大きすぎると、民主主義がむしばまれるからである。また、日米社会とも、男女間の収入格差を減らすよう努めねばならない。職場での性差別は、男女間の経済格差を招く一因だ。こうしたことに加え、子供のいる社員が、育児休暇取得後、不利益を被ることなく仕事に復帰できるよう、フレキシブルな家族休暇制度を設ける必要もある。

――日本では、過労死や過労自殺が社会問題となっており、自殺率は米国の2倍です。会社というコミュニティーへの帰属意識が強い分、過労やストレスにさらされやすいのが一因です。コミュニティーや「共通善」を重視する「コミュニタリアン(共同体主義者)」として、日本の企業社会をどう見ますか。

サンデル教授 (自殺率の高さは)考えさせられる数字だ。日本の事情をもっと学ぶ必要がある。アウトサイダーとして論評を加えるのは差し控えたい。日本の集団志向規範と米国の個人主義は、社会学者にとって、なじみのあるテーマだ。集団的価値観と個人主義的価値観は、どちらも極端に走る可能性がある。日本の読者や同僚、友人などとの対話を通じ、日米社会に横たわる、こうした倫理的な違いの強みと欠点について、もっと理解を深めたいと考えている。

――教授にとって、「グッドライフ(善良な生活)」とは何でしょう?

サンデル教授 善良な生活の重要な部分を占めているのが、仕事と家庭生活のバランスだ。とりわけ二人の息子が小さなころは、そうだった(最近、大学を卒業)。アカデミックな生活については、学究的な貢献と公共社会への参画、および一般社会での活動を融合させたいと、常に考えてきた。知的生活と、市民社会への参画である。私から見ると、どちらも善良な生活の礎となるものだ。

――25日の講義では、東大生300人に加え、公募で当選した一般市民も参加すると聞いています。どういった授業展開を期待していますか。

サンデル教授 ハーバードでやっているように、正義に関する手ごわいジレンマや問いかけについて、聴衆とインタラクティブな対話を試みるつもりだ。活発で精力的な議論を望んでいる。今回の招へいを心から光栄に感じるとともに、当日を心待ちにしている。

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肥田美佐子 (ひだ・みさこ) フリージャーナリスト 

肥田美佐子氏

東京生まれ。『ニューズウィーク日本版』の編集などを経て、1997年渡米。ニューヨークの米系広告代理店やケーブルテレビネットワーク・制作会社などに エディター、シニアエディターとして勤務後、フリーに。2007年、国際労働機関国際研修所(ITC-ILO)の報道機関向け研修・コンペ(イタリア・ト リノ)に参加。労働問題の英文報道記事で同機関第1回メディア賞を受賞。2008年6月、ジュネーブでの授賞式、およびILO年次総会に招聘される。 2009年10月、ペンシルベニア大学ウォートン校(経営大学院)のビジネスジャーナリスト向け研修を修了。『AERA』『週刊エコノミスト』、『サンデー毎日』『ニューズウィーク日本版』『週刊ダイヤモンド』『週刊東洋経済』などに寄稿。日本語の著書(ルポ)や英文記事の執筆、経済関連書籍の翻訳も手がけるかたわら、日米での講演も行う。共訳書に『ワーキング・プア――アメリカの下層社会』『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』など。マンハッタン在住。http://www.misakohida.com

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