92・夏物語 第1話『3人の夏』

5点ビハインドで迎えた最終回の攻撃。城南菱創は二死1、2塁のチャンスを掴む。二塁ランナーは主将の吉川純由。二塁ベース上に立つ吉川の視線の先には、打席の大場礼、ネクストバッターズボックス・麻生孝道の二人の姿がある。吉川は二人の姿を見つめながら、「最後の夏、3人が同じ瞬間に同じグラウンドに立っている。やはり俺たち3人には何かある」と、不思議な巡り合わせを感じていた。

吉川の言うとおり、ほんの少し巡り合わせが悪ければ、3人は同じチームで最後の夏を迎えられなかったかもしれない。
2年前の春、吉川、麻生の二人は西宇治、大場は城南に入学してそれぞれの高校野球が始まった。その秋、翌年の学校統合に先立って西宇治、城南の統合チーム発足。これが3人の出会いであった。
「大場の第一印象はクールで自分の考えをしっかり持っている」(麻生)、「当時の指導は西宇治の監督がされていたので、大場には戸惑いがあるように見えた」(吉川)、「他のチームの選手とチームメイトなるなんて普通では経験できない。不思議な感覚だった」(大場)。3人は複雑な思いを胸にチームメイトとなったのだ。


好守でチームを盛り立てた麻生。

だが統合チームの部員はわずかに7人。実戦練習もままならい状況に次々と部員が辞めていく。そのうちの1人が麻生だった。
「2人には申し訳ない気持ちで一杯だったが、この状態で野球を続けることに意味があるんだろうかと疑問を持った」
麻生らがチームを去り、残った部員は2年生2人を含む4人。1年生は吉川と大場の2人だけだった。2人は歯を食い縛り、寂しい冬の練習を過ごした。
翌春、1年生が入部して、昨夏は城南菱創として初めての夏の京都大会に出場。初戦で強豪の立命館に敗れた。
その試合を麻生は制服姿でスタンドから見ていた。真新しいユニフォームに身を包み奮闘するかつてのチームメイトの姿に、麻生の野球熱に再び火が点いた。夏の大会の後、調子が良すぎるかなと不安を持ちながら、吉川と大場に野球部に復帰したいと伝えると、2人は「チームに戻ってきてくれ。一緒に野球をやろう」と温かく迎え入れてくれた。3人は再びチームメイトとなったのだ。


大場のグローブをはめてマウンドに立った吉川。

3人で迎える初めての京都大会開幕直前、チームの大黒柱であるエースの大場がアクシデントに見舞われる。開幕2日前のバンド練習中に右手の人差し指を負傷してしまったのだ。指は腫れ上がり、初戦での登板は絶望的となった。だがこの緊急事態にも3人の結束は揺るがない。
「お前がマウンドに登れるまで勝ち進もう」
吉川と麻生は気落ちする大場の肩を叩いた。
そして迎えた開会式直後の第一試合。吉川と麻生の2人は緊急登板となった1年生・高田大輔を攻守で盛り立てる。8回からその高田をリリーフした吉川は、大場の思いを胸に、彼のグラブを借りてマウンドに登った。


最後の打席、2人の思いを胸にフルスイングする大場。

だがジリジリと北桑田にリードを広げられ、5点差で迎えた最後の攻撃。二塁ベース上の吉川は夏の太陽を全身に浴びながら、たった4人だけの冬の練習を思い出していた。
「思い切りバットを振り抜け。後悔は残すな」
吉川はバッターボックスの大場に熱い視線を送った。
その思いを受けた大場の打球がショートへと転がる。二塁走者の吉川は全力で三塁を回り、麻生は思わず立ち上がってバットを握り締める。そして懸命のヘッドスライディングで一塁ベースに滑り込んだ大場は、そのまま黒土に顔を埋めた。
「最後の夏を3人で戦えて良かった。僕1人の力では何もできなかった」(吉川)、「チームに戻って良かった。2人には僕をチームメイトに入れてくれてありがとうと言いたい」(麻生)、「試合に投げられない自分が、チームのために何が出来るかを考えて今日の試合に臨んだ。野球の神様にこの怪我の意味を考えなさいと言われているように思った」(大場)
不思議な糸に手繰り寄せられた3人は、3人で過ごす最初で最後の夏をそれぞれの思いで振り返った。


by kyotobaseballclub | 2010-07-11 16:10 | 第92回夏の京都大会 | Trackback | Comments(0)
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