田辺浩三、糖尿病悪化
テーマ:土佐
八月五日。 朝も九時に二分前、玄関のベルが鳴る。外に出ると、田辺浩三は、近くの公園で、朝日と毎日新聞を広げていた。
「おはようございますっ。ネットでは朝日だけになってたのに、毎日もおとりですね」
「断れなかっただけじゃ」
「そのうち、読売もきます。それにぜんぜん読まずに、ドアの外に積み上げてるじゃないですか。まさ子さま、この田辺が片づけておきました。田辺めは、まさ子さまを心配してこうしてやってきたのです。ファミレス、もう開いております」
八王子の映画評論家の家に泊まったという。一晩中、評論家は飲んでいた。妻子が神隠しにあったというが。
「パールにも、ビールを飲ませたら、元気にさせようとしたのに、ぐったりしました。猫は飲めないのですね」
とにかくすずしいファミレスに猫を運んだ。
「ビンボーなまさ子さまなので、頂けるなら一番、安いのでけっこうでございます。パールにドリンクサービスを」
結局、ストーカー氏は、昼まで居座り、ランチを注文し、弁当を巻き上げ帰って行った。わたしは、ノミがうつって、少しかゆくなった。
「わたしの娘は、まさ子さまに似てきますっ」
「あのねえ、あなたの娘さんは、あなたを捨てた奥さんの産んだひとなの。最高裁まで離婚訴訟やったから、覚えてるよね」
「パールくんは、まさ子さまの家に昔いたミャウさんにそっくりです」
田辺は、糖尿病で脳血栓ができたので、いのちは短いといいだし、うれしそうなのであった。
「ネットに書いてくださいね。ふたつの病院を掛け持ちして、お薬を飲んでいますから、薬剤被害者になり、まさ子さまの仲間になれるのて゛す。これが最後のご奉公」
三時間、ひとりで喋り抜く。
「ネットにはいつ書いてくれるんですか。あなたのことだから、ぼくをののしるでしょう。どうか、田辺を悪く書いてください。実名で住所も載せて。
まさ子さま、あなたにののしられること、踏みつけられ、あざけられ、道の石よりもぶんぶん飛ぶ蚊よりも、あざけりを受けることが、畢竟、田辺の喜びでございます」
土産だといって、高知龍馬館でガメてきたボールペンを差し出すので、いらないとわたしはいった。
「死ぬ間際の、お願いがございます」
「?」
「娘でございます。娘がハダカの写真を撮影し、部屋に貼り、カギを開け放し、いつでも誰でも部屋を美術館にしております。宣伝を書いてやってください。キャッチには、こう書いて。19歳の娘のハダカ、父親が宣伝」
「で、でも、泥棒がきたら?」
田辺は、眼をうるませるようにしていった。
「どうかパンティを持って行ってください。娘のバンティをタダでとっていっていいという父親は、世界にそういないでしょう。売る人はいても」
「…」
「どうです。これが田辺の芸術作品です」
かつてかれは幼い娘の手をひき、賞味期限の切れた食料品を貰いに店に、また知人の家の夕暮れ時に玄関に座っていた。うちにも物乞いにきていたが、田辺はあいさつするように娘にいうと、へらへらと頭を下げた。
そのとき、三歳の娘さんは痩せた体をひるがえすと走って逃げていった。一瞬、にらむように向けたあの眼差しは、たぶん遠い日のわたしだった。
「娘さんに、おもちゃを…あ、そうか、もうおとなになっちゅうか」
わたしは、ふっと気がついた。田辺、東京駅に出るがやったら、高いきに切符をゴマかさんと。こっちも同じ生活保護やきに、切符はよう買わん、ゴマかし方だけ教える。田辺は、賢い犬のような顔つきで、じっと聞いていた。
映画学校をつくる、映画評論家のところに娘を同居させて芸術家にする…芸術、ゲイジュツ。昔からずっと、念仏のようにいいつづける。
「まさ子さま。ガイジンのナンパに走ってるそうじゃないですか。「キクとイサム」(戦後映画)みたいに、黒人の子をつくってください。「赤線地帯」(映画)みたいに、花開いてください。芸術、ゲイジュツがなによりも大事でございます」
炎天下の街角で、駅に向かう田辺は猫の籠を抱き、真っ赤なキャップ帽を深めに被っている。陽炎のように、その姿がかすんでいく。
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