MASAKO
2010-08-10 09:25:22 posted by ecranapoji707

田辺浩三、糖尿病悪化

テーマ:土佐


まさ子の日記  Masako's Depression diary まさ子の日記  Masako's Depression diary


まさ子邸の新聞を持ち去る田辺浩三 ・糖尿病の薬 右は漢方薬



八月五日。 朝も九時に二分前、玄関のベルが鳴る。外に出ると、田辺浩三は、近くの公園で、朝日と毎日新聞を広げていた。


「おはようございますっ。ネットでは朝日だけになってたのに、毎日もおとりですね」

「断れなかっただけじゃ」

「そのうち、読売もきます。それにぜんぜん読まずに、ドアの外に積み上げてるじゃないですか。まさ子さま、この田辺が片づけておきました。田辺めは、まさ子さまを心配してこうしてやってきたのです。ファミレス、もう開いております」



 八王子の映画評論家の家に泊まったという。一晩中、評論家は飲んでいた。妻子が神隠しにあったというが。

「パールにも、ビールを飲ませたら、元気にさせようとしたのに、ぐったりしました。猫は飲めないのですね」



 とにかくすずしいファミレスに猫を運んだ。

「ビンボーなまさ子さまなので、頂けるなら一番、安いのでけっこうでございます。パールにドリンクサービスを」


 結局、ストーカー氏は、昼まで居座り、ランチを注文し、弁当を巻き上げ帰って行った。わたしは、ノミがうつって、少しかゆくなった。



「わたしの娘は、まさ子さまに似てきますっ」

「あのねえ、あなたの娘さんは、あなたを捨てた奥さんの産んだひとなの。最高裁まで離婚訴訟やったから、覚えてるよね」

「パールくんは、まさ子さまの家に昔いたミャウさんにそっくりです」


 田辺は、糖尿病で脳血栓ができたので、いのちは短いといいだし、うれしそうなのであった。

「ネットに書いてくださいね。ふたつの病院を掛け持ちして、お薬を飲んでいますから、薬剤被害者になり、まさ子さまの仲間になれるのて゛す。これが最後のご奉公」


 三時間、ひとりで喋り抜く。



「ネットにはいつ書いてくれるんですか。あなたのことだから、ぼくをののしるでしょう。どうか、田辺を悪く書いてください。実名で住所も載せて。

 まさ子さま、あなたにののしられること、踏みつけられ、あざけられ、道の石よりもぶんぶん飛ぶ蚊よりも、あざけりを受けることが、畢竟、田辺の喜びでございます」


 土産だといって、高知龍馬館でガメてきたボールペンを差し出すので、いらないとわたしはいった。

「死ぬ間際の、お願いがございます」

「?」

「娘でございます。娘がハダカの写真を撮影し、部屋に貼り、カギを開け放し、いつでも誰でも部屋を美術館にしております。宣伝を書いてやってください。キャッチには、こう書いて。19歳の娘のハダカ、父親が宣伝」

「で、でも、泥棒がきたら?」


 田辺は、眼をうるませるようにしていった。

「どうかパンティを持って行ってください。娘のバンティをタダでとっていっていいという父親は、世界にそういないでしょう。売る人はいても」

「…」

「どうです。これが田辺の芸術作品です」



 かつてかれは幼い娘の手をひき、賞味期限の切れた食料品を貰いに店に、また知人の家の夕暮れ時に玄関に座っていた。うちにも物乞いにきていたが、田辺はあいさつするように娘にいうと、へらへらと頭を下げた。

 そのとき、三歳の娘さんは痩せた体をひるがえすと走って逃げていった。一瞬、にらむように向けたあの眼差しは、たぶん遠い日のわたしだった。



「娘さんに、おもちゃを…あ、そうか、もうおとなになっちゅうか」


 わたしは、ふっと気がついた。田辺、東京駅に出るがやったら、高いきに切符をゴマかさんと。こっちも同じ生活保護やきに、切符はよう買わん、ゴマかし方だけ教える。田辺は、賢い犬のような顔つきで、じっと聞いていた。

 映画学校をつくる、映画評論家のところに娘を同居させて芸術家にする…芸術、ゲイジュツ。昔からずっと、念仏のようにいいつづける。


「まさ子さま。ガイジンのナンパに走ってるそうじゃないですか。「キクとイサム」(戦後映画)みたいに、黒人の子をつくってください。「赤線地帯」(映画)みたいに、花開いてください。芸術、ゲイジュツがなによりも大事でございます」



 炎天下の街角で、駅に向かう田辺は猫の籠を抱き、真っ赤なキャップ帽を深めに被っている。陽炎のように、その姿がかすんでいく。



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2010-08-10 07:35:07 posted by ecranapoji707

朝七時のストーカー

テーマ:土佐

 エアフォース氏の発言、「あんたが勤めてる?キャハハハ」が身にしみた前日、さすがの気丈なわたしも落ち込んだ。


まさ子の日記  Masako's Depression diary  まさ子の日記  Masako's Depression diary  


左、ネコのパールくんといっしょ。前歯がナイ。

右 弁当をせびる田辺浩三氏。




キャハハハは、いやがうえにも、わたしが患者にみえ、働いている人にみえないという現実をつきつけてきたのであった。これは痛かった。

 薬の副作用と、それにともなう長い年月は、わたしを、とても働けそうもないひとにみせている。

 ちらりとのぞいた鏡に映る自分の顔も、くたびれたベルベットのようにみえる。


 まだリアルラビットほんもののウサギになれていないのに、擦り切れて朽ちようとしている。もちろん、書かなくてもいいようなことを付け加えると、あの童話は比喩である。「ベルベットのうさぎさん」が夢見たのは、生き物になるということとは違う。愛を知る存在になるということである。

 

 おとうさんが、ほしい。そうしたら、本物のうさぎになれる!!


 わたしはその夜、絵本を抱きしめたまま眠った。幼い頃と同じように。おとうさんというのは、なにか食べさせてくれて、絵本を読んでくれるひとだと思う。




 四日、朝、七時。

 玄関のベルが鳴った。「山田まさ子さまーっ」

 玄関でフルネームで、わたしの実名を叫ぶオトコといえば…。

「まさ子さまーっ。お庭番の田辺でございますっ」



 悪夢か、なぜに高知県に棲む・高知南署公式認定、ストーカー田辺浩三氏(〒780-8063 高知市朝倉丙1580-13)が、東京都国立市のまさ子のアパートの玄関で叫んでいるのだっ。

 ニャオ、ニャオ、ニャオ。

へっ? 猫の声? 


ドアを閉めようとする、わたしに田辺は、すがるように言った。


「深夜トラックに乗せて貰ってきたんです。なんにも食べておりません」

「知らんっ、帰りっ」

「田辺は、それでもようございます。けれど、この子は、猫のパールはぐったりしています。せめて、この子にお水を」



わたしは外に出た。ファミレスに連れていったが、まだ開いていない。

「朝、9時からなのですね、まさ子さま」

田辺は卑屈に敬語を使うが、その実、自分の方が知力が上だと信じている。

「お弁当屋なら開いておりますよ、まさ子さま」


さっさと歩くのよっ。

かわいそうなパール、炎天下の東京に連れてくるなんて。ネコ殺しっ。ろくでなしっ! のり弁ならいい。早く帰れっ。


「のり弁当、デラックスでくださぁい」

と、田辺浩三は甲高い声を張り上げた。

「あ、お弁当と、おむすびもつけて」

「なんなのっ」

「パールくんの昼ごはんですぅ」

2009-09-21 20:26:21 posted by ecranapoji707

小菅村のコスモス

テーマ:土佐

奥多摩、左手にダム、くねくねと曲がり、トンネルを抜けると、峠の釜めしを売っている店。ああ、驚くほど、土佐に似ている。湖を彩るごちゃごちゃした緑の色。


 帰りたい、と、わたしは叫ぶ。ロシアへと、流刑や国外追放になったひとがセリフをいうたびに、わたしには土佐へときこえていた。


 山川先生が、9月5日の午前0時に死んだ。このとき、わたしは知った。もう、ふるさとはなくなったのだと。


 今日、多摩川をたどって山梨県、小菅村の温泉、小菅の湯に向かった。遠く大菩薩峠がかすみ、温泉の前にはピンクのコスモスが咲いていた。



 わたしは、土佐の仁淀村のコスモスを想い出していた。


 上京前、コスモス畑に、山川先生やそのお弟子さんたちと集まった。ゴザをしいて、桜の花見のように、飲んで歌って。


「コスモスの花には、深い想い出があるきのう」


 やや芝居がかって先生が語ってくれていた、毎年。聞きあきた話を、我々はときどきやじりながら聞いていた。

「マサコのおとうやんも、コスモスにいわくがあるのう」


 ハゲを隠した白い帽子、色白の肌に何度もなくしたメガネ、ぬるい調子の土佐弁。


 コスモスの君の話を、もう聞くことはない。

 けれど、ピンクのこの花のやわらかい色をみると、わたしは杯を首をのばして飲む先生の姿をみる気がする。


 さよなら、先生。先生のいない土佐には、わたしはもう帰れない。


 

2008-10-28 00:08:34 posted by ecranapoji707

入院ベットは高知の文化

テーマ:土佐

http://wajin.air-nifty.com/jcp/2008/04/post_b9ec.html

 シンポジウムで、「入院ベットは高知の文化」という発言がでてます。

 お酒がいこいの土地柄。病室を追われると、路上生活になるひとも多い。
 土佐はショウガほりくらいしか仕事なく、スーパーもつぶれ、銭湯もなく。
 お風呂にちゃんと入れるのは、入院先くらいではないか。

 病院暮らしの多さを思うと、ベットの数だけ減らしてくるというのは、むちゃくちゃで。大雨もふる。土佐のひとから、お酒と「若葉」と、入院先をとりあげると、生きていけなくなってしまう。


 関東に転がりこんで、五年経つ。故郷のひとたちの貧しい暮らしを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。





じろり


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