体制保守のみなさまへ
私は私人として運動をしているわけではないので、インターネットで公人として言葉を発しているつもりだ。いつもグダグダとブログで吠えるのは、保守派と言われる人々には、2種類あると感じるからだ。
まず一つは、思想をしっかりと持ち、先人から受け継いだ、価値があると思われる精神の形式を保守せんと努め、多少の犠牲をはらおうが、自分をもそこに組み込んでいこうとする伝統保守。もう一つは、現在の体制、民主主義や個人的自由、技術的合理を守ろうとする人々。要は自分らの生命と財産を守ろうとする体制保守(考え方・思想としては左翼)。この体制保守が圧倒的に多い。
私はこの体制保守に、もう一歩進んでもらうために、拙くはあるが、ブログを書いているつもりだ。
新しく運動に参加した人があると話を聞いてまわるのだが、ネットで目覚めたという人が圧倒的に多い。私はこれを否定するものではない。初めの一歩である。しかし、この人たちは、昨日まで日常生活の隅々にまで近代思想=左翼思想に漬かって生きていた人たちで、天皇陛下万歳なとと言ってはみるけれども、思考の型や頭の中身は変わっていない。だって近代思想に漬かって生きてきた自分を総括し反省してないんだもん。総括すれば、その次の二歩、三歩が始まるのに。
いつも「国体護持!」と言っている仲間の一人が以前このようなことを言ったことがある。「僕はアメリカの文化は好きなのだ。だってかっこいいじゃん。日本もアメリカのようになればいいと思う。それに、あなたのいうのが保守なら、自分は保守ではない。」 こうぬけぬけと倒錯したことを言ってのけたのだ。。この人にとって、国体護持という言葉は、刹那的な感情であり、ファッションでしかないことが見て取れてしまった瞬間だった。
また親米保守と言われる人も少数いる。今、ミクシィで議論して説得しようと努力しているのだが、これがなかなかしぶとい。親米保守はなぜか経済だ貨幣だとうるさい。戦後、アメリカから与えられた個人的自由と技術的合理が好きで好きでたまらないらしく、団塊世代のオッサンたちに、欲望、感情というキーワードから抜け出させることは、困難を極めるだろう。ここは私も譲れない。だって代表じゃん。なんとか説得せねば。
体制保守に共通しているのは、生命・財産という自分らの都合で運動しており、私人性が強いという点である。
私事と書いて「ひそかごと」と読むがごとく、私人性とは人々から隠された次元にある。感情的な要素が強いのだ。私人性が強いと、良い場合では愛情や好意といったものになるが、悪い場合では嫉妬や怨恨ということも起こる。マスコミもも私人性ばかりをクローズアップするなあ。感情とはうつろいやすいものである。ロジックなき感情は一貫性がなく刹那的で矛盾をはらむものである。
変わって、昔の武士が外国人に尊敬されたのは、彼らは感情や私的な意思を封殺した公人だったからだ。維新の折、欧米を訪れた使節団に外国人が度肝を抜かれたのは、彼らの美しい立ち居振る舞いだったという。
公人性において最も重要であるのは何か??言葉のロジック(論理)である。論理とは言語活動の前提、推論、結論を、できるだけ誰にでもわかるように明示することだ。自分の言論に正当性を裏付けるため論理を駆使するわけだ。
公人性とは、強い意志をもって日本語を可能な限り論理的に駆使し、公の場で自分の出現を示すことである。デモクラシーというのも、一般の民衆が、公人として議論を展開し、決定を下す制度のことに他ならない。公の決定に対し私人性をむき出しにして不平不満をぶつけるだけなら、それは衆愚政治である。
日本の戦後の右派と呼ばれる人は、励ましあったり同情しあったりすることはやってきたけれども、思想営為を積んでキリキリと絞り込んでいくようなことはしなかった。情念のみでやってきた。今の右派だって同じだ。確かな思想がなければ、仲間内の言論はヒューマニズムに流れていくのがオチだ。
ロジックというのは公人として言葉を発する以上、必要不可欠なものである。このロジックが現代日本人に不足しているため、世論がだらしないものとなる。
体制保守よ、まず自分のふがいなさを知ることからすべては始まるのだ。励ましあったり同情したり、みんな仲良くもいいけど、運動内世論もだらしないんだよ。お上が悪いとぶちまけるだけなら左翼と変わらないんだよ。自分たちは同情し合い、悪いのはお上だってかっこ悪いと思わないか? 感情論はやめようぜ。保守派が村の衆じゃダメなんだよ。 君らの意見が人を感化できるとは思わないが、仮に多数の国民を感化したとしよう。結果出来上がるのはヘンチョコリンな人たちによるだらしない国家でしかない。わかんねーだろうがな。言っておくよ。
ま、でも、私はこれまで、どこへ行っても規格外のはみ出し者だったからね。はみ出し者の言うことは、いつかふとした瞬間に思い出してくれさえすればいい。
で、また上から目線と言われそうだ。上から目線というのは、平等主義者の言う言葉だ。それは覚えとけ。
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コメント
近代も既に過去、今の時代は現代ないしポストモダンということではないでしょうか。
それならば、近代を保守する考え方があっても問題はないかと。
投稿: | 2010年8月20日 (金) 23時48分
・・・3種類ある。
伝統保守と体制保守と、あと一つは職業保守。
ただし、職業保守は前二者のそれぞれと重複している。
投稿: 日ノ本零 | 2010年8月20日 (金) 23時52分
職業保守のことを少し詳しくお願いします。
投稿: | 2010年8月20日 (金) 23時55分