八月二十三・二十四日 | |
日本の飢饉の大半は旱(ひでり)によるもの だが、享保17年(1732)、西日本を襲った 大飢饉はウンカの大発生を加えて生じた 飢饉で、日本三大飢饉と言われるくらい ひどく、博多も人口の三分の一を失った。 それら餓死し放置された人々を博多の人は 埋葬して地蔵を建て手厚く弔った。これを 飢人地蔵(うえにんじぞう)と呼び福岡市内 に沢山残っているが、博多区中洲2丁目 博多川畔のそれは今も霊験あらたかで、 願い事がかなうと線香の煙が絶えず、 毎年八月二十三、二十四日、 川端の人たちによって供養が行われている。 |
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地蔵様に手を合わせた人たち には、あめ湯・しょうが湯などで、 おもてなし。 |
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最終日の24日には、約600個の 灯籠を博多川に流しながら、花火を 打ち上げます。 |
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博多町人文化連盟賞受賞 川端地蔵組合 |