Candle JUNE
キャンドル・ジュン
1994年にキャンドルの制作を始める。1997年、ギャラリーやサロンなどでエキジビションを開催する。その後、ファッションショーや野外イベント、ライブステージ、レセプションパーティのデコレーションなど、キャンドルを中心とした空間演出を手掛ける。
Candle JUNE さん(キャンドル・アーティスト)
自分と向き合うというと、少し恥ずかしく感じる人もいるかもしれない。でも、自分の体験や感覚を最も知るのは、自分しかいない。都会のさわがしさや静かな森にいても、自分は自分からは離れらない。Candle JUNEさんがロウソクをつくり始めたのは、自分との対話がきっかけだったという。たったひとりの自分のための火がなぜ平和の火を灯す活動になっていったのでしょう。
その経緯はすんなりいまだに話せません。とにかく物心ついてから、「自分は何のために生まれてきたのか?」という問いが自分の中にずっとありました。たぶん親がクリスチャンだったせいもあるでしょう。ほかには世代的に世紀末は何か起こるとか、未来のイメージがよくなくて、生きることに刹那的な思いを抱いていました。そんな中で、個人がどうあるべきか—いわゆる自分探しですが—を考える自分との対話を行っていました。
10代の終わりくらいですから、これから「自分で食っていく」ことが大きなテーマでした。これまでは悩んでいても、家にご飯もあれば寝るところもある。自分ひとりで生きていくとなると、そこに向き合わざるをえません。そうすると「何でそんなにまでして家賃を払わないといけないのか」「ご飯を食べないといけないのか」と考え込みました。当たり前かもしれませんが、そのために日々の大半を費やすわけですから、そうであれば「何のために生まれてきたのか?」という問いに対する答えを得ないことには、それに向かって歩めません。そこで選択肢はふたつしかないように思えました。つまり、そうするかしないか。「しない」というのは、死ぬことです。そこから始めてみようとしました。
この先の人生はもっと楽しいとかおもしろいといっても、その「もっと」すらいらないという選択はないのかと思いました。もっと楽しいことがあれば、もっと悲しいこともあるはず。「もっと」を望まない道もあると思うと、自ら死ぬという選択肢もあるんじゃないか。それをただいけないことだと思わずに、そのことも考えてみました。
生きていくとは、自らアクションを起こし、働いて食べ物を直接、間接的に手に入れることです。何かをしたら何かが返ってきます。では、自ら死ぬ行為を選んだとき、そのことで何が返ってくるかというと、「もっと」の世界から逃れるかもしれない。けれど、自分の最後のアクションで周囲には、どうしようもない悲しみを何年も与えてしまうかもしれない。そういうことをするために10数年間、葛藤してきたのかと思うと、それは違うと思いました。
自死を選ばないとすると、では自分は何のために生まれてきたのかを考えないといけない。「悩んでも始まらないから何かやったほうがいい」と言う人もいます。何だかわからないのにやるより、立ち止まるほうが勇気があるのではないか。そういうことを考えるために、自分の部屋を生活っぽい感じではなく、それらしい空間にしようとしたら、明かりはロウソクがよかったのです。気がつけば自分と対話する相手がロウソクになっていました。
そういう時間を過ごす中、あるときお腹がとても減りました。食べたい。でももっと考えなくてはいけないとも思った。そうするうちに無意識のうちに食べ物を買いに行き、レジの店員に「ありがとうございました」と言われ、業務的なはずの言葉がとても印象的に感じられたのです。「自分はどうあるべきか」と考えていて、ほぼ無意識に食べ物を買いに行き、どちからといえば自分の欲望に負けている瞬間だったのに、それでも「ありがとうございます」と言われた。それが「生きるほうを選んでくれてありがとう」と聞こえてしまった。実際、買った食べ物がおいしかった。
自分は生きることを望んでいる。そう気付いた結果には真摯に接したい。もう食べることを選んだのなら、生きることだけに集中しようと思いました。10代は「これがかっこいい」とか「こんな遊びをしなくちゃいけない」とか、しなくちゃいけないことがいっぱいあった。でも、ようやくシンプルになれた気がしました。必要なものは必要で、いらないものはいらない。
そうすると、自分の身に起きることすべてに意味のあるような感じを持つようになりました。東京には、たくさんの人が住んでいるのに、何度か偶然にも会う人たちがいる。そうした機会に感謝する気持ちが起きて、勘違いかもしれませんが、生きることの意味や自分の役割が見えてきたように思えました。
僕の役割はロウソクをつくって灯していくことです。キャンドルをつくるアーティストではなく、灯すまでの空間と時間をつくっていると思っています。
ロウソクを灯した自分ひとりの空間に友人が来たとき、その場を共有できたのです。すると、その友人の友人も集うようになり、穏やかな空間で初対面同士の人も話すことができた。そうしているうちに部屋がいっぱいになって、「何かやらないか」と言われ、気がつけばイベント化していました。
それで食べていこうとは思っていなかったし、ロウソクを自分でつくり始めたのも、お金がないからロウソクの残りを溶かして新しくつくっていただけでした。
絵を描いたりもしていましたが、形が残ってしまうことに違和感を覚えて、自分は形よりも時間や空間に関心があることに気付きました。ロウソクなら使えばなくなるし、作品性はありません。灯しているときはその人の空間になる。そういう時間をつくることの手伝いはできると思って、人にプレゼントするようになったら、それが少しずつ広がって、販売という形になっていきました。
自分はそういう考えは嫌で、本当にしたいことを一個だけにして、それだけでやっていけるのか試してみました。お金がなくなっても材料はあるのでつくっていたら何とかなりました。好きなこと一個だけに向き合っていれば、何とか食べていける。それだけだと食べていくことはできても、それ以上はない。でも気がついたら広島や長崎で火を灯したり、ビジネスとして拡張する気はなくても、必要なものが向こうからやってくるようになりました。
ただ必要以上の欲望を抱くとよくないものが返ってくると思うから、「これは正しいことなのか」「それは必要なのか」という問いと正面から向き合うようにしています。
自分がどうあるべきかが大事で、それには常に気をつけていたいです。でも、いろんなところを旅する過程で、「自分がどうあるべきか」は大事だけれど、出会った人の抱いている悲しみに触れ、またそれについてどうしたらいいかも教えてくれるうちに、人との出会いで教わって、学んだけれど、もらったものを形にしていかないと、いつまでも「学んでいます」と言っているだけでは教えてくれた人に失礼だと思うようになりました。
そこで自分が金銭面でも困らず生きていけるという仕組みをつくることで、自分に関わる人たちにとってもいいお返しができると思い、会社や店を立ち上げました。
10代の頃にネイティブアメリカンに関する本を読んで、教えられたことがずいぶんありました。かといって、自分もネイティブアメリカンになりたいと思わず、自分は日本に生まれた意味を学んで、日本にあるものを取り入れる必要があると思いました。それをすることが、その本から学ぶことではないかと。
日本を旅して平和の火を灯していく中、ニューヨークでのテロがあって、アメリカへ行こうということになりました。けれどニューヨークにいきなり行きたくなかったし、いろんなアメリカを知りたいと思い、旅の途中でネイティブアメリカンに会いに行きました。
中にはアルコール依存症のどうしようもない人もいましたが、それも彼らの抱えている問題なので、リアルに現状が見られたのでよかったと思います。
それでも彼らと話していている中で、ネイティブアメリカンの言っている自然というものへの考えがわかるようになり、同時に日本的な礼儀作法も自分の中でまとまってきた感じがしました。つまり新しい場所に行けば、まず自分が何者かを名乗り、最高の礼儀作法で表さないといけないということの大切さに気づいたわけです。
ところでネイティブアメリカンの発想では、自分の体を地球にたとえたりします。大地があって空があり、東西南北があってと球体のイメージです。さらに輪になって人が集まることで、誰が先生で生徒という関係性もない。何か物事を教えるには、そういう関係は有効です。でも、それでは本来なら同じ考えを持っている人と目が合わない。そういう関係で世界は成り立っていないんです。
あるときからロウソクをみんなで一緒に灯そうということになると、自然ときれいな輪をつくることに気づきました。アメリカ人も日本人もいて、いろんな人がいろんな大きさのロウソクを手に持って、ひとつの輪をつくる。これが平和というものかもしれないと感じました。
自分のいる場に感謝し、人が集まるとひとつの輪になり、全員の顔が見えます。それぞれが教え学ぶことができる。そのとき平和な時間と場所を瞬間的につくることができたと思えました。人は戦争の時間をつくることができるけれど、逆の時間もつくることができます。たった1、2時間のことだから一瞬だと人は言うけれど、実はそういう時間で一日はできあがっています。いろんな人が集って、そう感じられたら、新聞やテレビだとか全体を考えることはシャットアウトしてもいいんじゃないか。
大きな問題を全体的に考えることに人は懸命になります。でも、本当の現実は、その人がいまここにいることです。この時間が一番の現実で、世界で起きていることはそのとき知らない。この時間を平和に過ごす実感を持てたら、ほかでその体験を話せます。自分は平和な時間を過ごすことができたと。それを連続していけるのではないか。瞬間の平和しかないかもしれない。でも瞬間からできるはずです。
「戦争は終わらない」とあっさり言いがちですが、確かに人は生きていく以上、競争します。でも、それと戦争はわければいい。それには自分の限界を知ることが大事だと思います。
たとえばスポーツだと努力すれば成長していけることが学べます。けれど、絶対的に勝てない相手もいることも知ります。僕はそうしたとき、勝てる勝てないからいかに抜け出せるか。オンリーワン的なものを見つけるようにしました。人は誰かと比べて、特別な何かになることはできない。自分自身になることしか人はできないんだと思います。
お金持ちになりたいとか有名になりたいとか思いません。うまく立ちふるまえば、簡単に手に入るかもしれない。でも、そうならないようにしつつ、かといって、シャットアウトしてヒッピー的な生活をするのでもなく、中間をいきたい。多くの人に会うと、それがぼけてしまいます。極力、集中してやるべきことをやる。そうなると本当に必要な人にしか出会いません。やりたいことをやることが原点です。人前に出ていかなくても、何かに集中していたら人と人をつなげる人が現れて、勝手に広げてくれるものです。
たとえば洋服をつくりたいなら、専門学校へ行くのではなく、つくってみる。そういう「つくりたい」気持ちで学校へ行ったはずなのに、学校で学ぶのは、「その業界で生きていくことは難しい」ということだったりします。気付けば就職は学んだことと関係なく、理想と現実は違うと口にしたりするようになります。
つくっていくうちにぶつかることがあって、そのときに知識や技術がないことがわかり、それを学びに行くならわかります。何となく行くよりも、つくりたいことがあったらそれをやってみる。そのことで自然と出会いはあります。自分の限界を知ることがまず大事だと思います。
Candle JUNE
キャンドル・ジュン
1994年にキャンドルの制作を始める。1997年、ギャラリーやサロンなどでエキジビションを開催する。その後、ファッションショーや野外イベント、ライブステージ、レセプションパーティのデコレーションなど、キャンドルを中心とした空間演出を手掛ける。
2001年に広島で平和の火を灯してから「Candle Odyssey」と称する争いのあった地を巡り、火を灯す旅を始め、2002年にはアメリカを横断、N.Y,グランド・ゼロで火を灯す。2003年にはアフガニスタンへ。それ以降もカンボジアの孤児院を巡り、また新潟中越地震被災地川口町に行きチャリティーイベントを開催。2005年の8月15日、終戦記念日には中国、チチハルにて火を灯し、9月末にはテロ事件のあったロンドンへ行くと共にパリコレクションにも参加。
http://www.candlejune.jp/