きょうのコラム「時鐘」 2010年8月20日

 連載「丈夫がいいね」に「風の道」が取り上げられていた。風の通り道を生かした涼しい街づくりの提案である。ことしは川風の心地よさが殊更ありがたい

寺の広い本堂も、ひんやりとして気持ちがいい。木々の葉を揺らして風が通り抜ける。昼寝を誘うような心地よさ。お年寄りは「極楽からの風」と言って喜ぶ、と住職に教わったことがある

クーラーが普及する前、どの家庭でも夏は戸や窓を開け放し、風の道をつくった。涼しい風のほかに、筒抜けの夜にはいろんなものが通り抜けた。隣の家の怒鳴り声や裏のラジオの大音量。親に大目玉を食った翌日には、不名誉が近所に漏れなく伝わった

いまは窓をピシャリと閉めて「隣は何をする人ぞ」である。それがご近所の熱中症を見逃したりする。そんな出来事が続くと、何でも筒抜けだった近所付き合いが懐かしくなる。が、時に他人の目が煩わしかった日々に戻りたくないとも思う

ほどほどのおせっかいが好ましいのだろうが、これが難しい。風の通る道に劣らず、おせっかいの通る道づくりにも知恵を巡らせたい。暑い夏の宿題であろう。