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[16353] 【完結】リバウの若鷲 8月26日記念SS投稿予定 (ストライクウィッチーズ×大空のサムライ)
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/08/18 23:16
お知らせ。
8月26日にもっさん誕生日記念SSを投稿する予定です。
見てやってください。 

 * * *

はじめまして、小山の少将と申します。
ここのその他板に投稿されているkdさんの作品に触発され、ストライクウィッチーズに嵌ったあげく筆を執った次第であります。
以下、前書きがつらつら続きますので、そんなもの見たいくない方は次へお進み下さい。

この作品は、ストライクウィッチーズの登場人物である坂本美緒少佐の過去を、モデルとなった坂井三郎さんの著作「大空のサムライ」を元に再構成したものです。
従ってアニメなどよりかなり戦時色の強い内容になっています。

本作には以下の注意事項がございます。
・本作はモデルの都合上バットエンドです。
・主人公のモデルは、別のキャラとして公式設定に存在します。
・(!重要!)本作を読む前に大空のサムライを読むことをお勧め「しません」。むしろ読んではいけません。
 何故ならば、百合ゆりしているはずの本作が、アーッなBL小説に見えてきてしまうからです。作者は大ダメージをくらいました。

前書きは以上です。
では、本編をお楽しみ下さい。

Since2010/02/10



[16353] 序章 あの日を思う
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/14 12:24
 今日もまた、夏の赤い夕陽が水平線に沈もうとしている。
 その夕陽を背景に、私――坂本美緒は手にした竹刀を肩に担いで声を張り上げた。
「よし 今日の訓練はここまで」
『あ、ありがとうございました』
 号令と共に倒れるように座り込む宮藤芳佳軍曹とリネット・ビショップ軍曹。
 両肩で大きく息をし、疲労の具合が手に取るように分かる。
 それでも、ここ――ストライク・ウィッチーズ基地に配属になった当初を思えば、気力・体力共に格段に上昇していると言えた。
 当初など身体を起こすこともままならないほど疲労困憊になったのだから、その差は歴然だ。
 そして何より、彼女たちはもう私の手が必要ないほどの、立派なウィッチに成長したのだ。
 その証拠に、つい十日ほど前に偶発的に発生したネウロイとウィッチの決戦で、単独にて敵に乗っ取られたウォーロックから赤城を守り、その後のネウロイに侵食された赤城迎撃戦において艦内部に侵入しコアを破壊するという華々しい活躍を遂げている。
 この活躍により、長くブリタニアを苦しめていたガリア上空のネウロイの巣が消え、ブリタニア本土防空戦――バトル・オブ・ブリタニアが終結した。
 私たち古参ウィッチが成せなかった悲願を、ついに彼女たちが成就したのだ。
 そんな彼女たちを見るにつけ、彼女たちを教導する栄誉に恵まれた私は誇らしい気分でいっぱいになる。
「よく頑張ったな宮藤、リーネ。だがまだまだ気を抜くなよ。ガリアのネウロイは消えたが、大陸にはまだまだごまんとネウロイがいるんだからな」
『は、はい これからもよろしくお願いします』
 宮藤とリーネが慌てて身を起こして答えた。
 あれだけ華々しい戦果を挙げても決して驕らず、新兵のように直向きに訓練する宮藤とリーネ。
 そんな優秀な二人を見て、笑みがさらに深くなる。
「あははは そうだ、その意気だ」
 愉快な気分のまま、私は深い紫に染まりつつある空を仰ぐ。そこにいる姉妹より深く繋がった戦友に向け、声よ届けとばかりに大きく笑う。

――――見ていらっしゃいますか分隊長。あなたの姉妹たちは今日も元気です。


『序章』

―― あの日を思う ――

 食堂に入った瞬間、いきなり視界いっぱいに紙吹雪が散った。いきなりの事態に、柄にもなく驚いて固まったしまう。
『誕生日おめでとう 坂本少佐』
 続いてブリタニア語圏で一般的なハッピー・バースデイの大合唱。ニコニコと笑ったウィッチーズの隊員たちが声を合わせて歌う。
『Happy birthday to you! Happy birthday to you!! Happy birthday dear Maj.Sakamoto!! Happy birthday to you!』
 割れんばかりの拍手に続いて、大きな花束を抱えた宮藤とリーネが進み出てくる。
 この期に及んでようやく硬直の解けた私は、混乱をそのまま口にした。
「な、な、何の騒ぎだ、これは」
「もちろん坂本さんの誕生日会ですよ みんなでこっそり準備したんです ねぇ、リーネちゃん」
「はい」
 宮藤とリーネは顔を合わせ、花束を差し出してくる。
『お誕生日おめでとうございます。坂本少佐』
「あ、ありがとう」
 花束を受け取り、もう一度拍手の嵐。やっと思い出した。そう、今日は8月26日。私のちょうど二十回目の誕生日であった。
 花束の重さにようやく実感が湧き、それを我が事のように祝してくれる部隊のみんなに目頭が熱くなる。
「ありがとう、みんな。こんな嬉しい誕生日は……生まれて初めてだ」
 温かい拍手に包まれ、万感の思いで花束を掻き抱いた。
 パンパンと二度それまでと違う拍手の音がして、全員が音の主に注目した。
「はい、皆さん席について。せっかくの料理が冷めてしまうわ。美緒は特等席ね」
 ミーナの号令でそれぞれが思い思いの席に腰を落ち着ける。
 私はミーナに引かれるまま長いテーブルの端に特設された誕生日席に腰を下ろした。ここからは隊員たちの顔一人一人が見渡せた。
 テーブルの上には各国の手料理が所狭しと並べられ、ワインとビールのボトルが林のように乱立している。
 コホンと咳払いしてミーナが立ち上がった。
「今日は坂本少佐の誕生日です。そしてガリア方面のネウロイが排除され、ついにブリタニア本土の警戒レベルがグリーンに引下げられた目出度い日でもあります」
 ミーナの言わんとすることは常に無い量のボトルが示していた。隊員たちそれぞれの手元には並々と満たされたグラスが置かれている。
 ミーナが私に目配せして私のグラスにワインを注いだ。私も頷いてグラスを片手に立ち上がる。
 席を見渡せば、隊員たちが期待に満ちた目で私を見ていた。
「今日は私のためにこのような席を設けて頂き感謝の言葉もない。今日は無礼講だ みな思う存分楽しんでくれ ――――乾杯」
『カンパーイ』
 グラスがぶつかる音が響き、宴が始まった。

 どんちゃん騒ぎとはまさにこのことだろう。
 会場を食堂からラウンジに移して、シャーリーとルッキーニが陽気に歌いエーリカが歓声を上げる。顔の赤いバルクホルンは宮藤に絡んで無理矢理酒を飲ませている。
 みな湯水のように酒を飲み干し料理に舌鼓を打つ。
 普段はおとなしいリーネやサーニャ、エイラなどもそれが酒でないかのようなペースだ。流石はヨーロッパ人。宮藤が早々に撃沈しているのとは対照的だ。
「うーん、目が回るぅ。リーネちゃんの……きい」
「どうした宮藤 これしきの酒で酔いつぶれるとは皇国軍人の名が泣くぞ」
 宮藤はダメだ。完全に沈んでいる。バルクホルンが檄を飛ばすが宮藤の目には既に理性がない。何故か肉食獣の目でリーネの胸を追っていた。
 私は別に同性の愛を否定はしないが、やはり宮藤は胸魔神だったのか。時々怪しげな視線を感じると思ったがやはり……。
 それにしても。
「あははは」
 私もアルコールが回り愉快な気分だ。
 普段は飲まない酒も、このような席なら特別だ。
「少佐、お注ぎしますわ」
「お、すまないな、ペリーヌ」
 それまでチラチラとコチラを窺っていたペリーヌが空いたグラスにワインを注いでくれた。
「まったく、今日の主役である少佐を差し置いて。羽目を外しすぎですわ」
「あははは かまわん、ペリーヌ。こうした祭騒ぎなど滅多にできんからな。今日くらいは思う存分飲ませてやれ」
「坂本少佐が……そう仰るなら」
 ワインが回ったのか赤い顔をするペリーヌ。ふと見れば彼女のグラスは空だった。
 ペリーヌの手からボトルをもぎ取ると彼女のグラスに並々と注いでやった。
「しょ、少佐 少佐にお酌されるなど……」
「そう畏まるな。今日は無礼講 貴様も十分に飲め」
「少佐がそう仰るなら……」
 ペリーヌは戸惑い気味にグラスを仰ぐ。空いたグラスにまたワインを注ぐ。
「良い飲みっぷりだ それ もっと飲め」
 椀子蕎麦のようにグラスを空け続けるペリーヌを見ながら、私も部屋から持ち出してきた秘蔵の扶桑酒を私物の椀に注いで仰いだ。
「わはははっ」
 良い気分だ。酒がうまい。



 どれほどの時間が経ったのだろうか。
 いつの間にか私の肩に頭を預けて寝ていたペリーヌをソファーに横たえ、上着を掛けてやる。
 ラウンジを見渡せば、酔いつぶれた隊員たちが死屍累々と折り重なっていた。エーリカなどビール瓶を抱きかかえて眠りこけ、オヤジ臭いことこの上ない。
 私も酒が回って身体が火照っている。
 夜風に当たろうと思って出たテラスは少し肌寒かった。都市から遠く離れたこの基地から見る空は澄んでいて、振り仰いだ夜天には無数の星が瞬いている。
 月も綺麗で、月見には少々早いがこれもまた風情。
 一升瓶片手に胡座をかいて座り、酒を注ぎ直しチビチビ啜る。
「隣良いかしら」
「無論だ」
 それまでバカ騒ぎに混じらず、見守るようにワインを飲んでいたミーナが私の横に座った。
「扶桑の酒だ」
「頂くわ」
 別の椀に酒をとくとくと満たす。
 ミーナはそれを受け取ると一気に飲み干した。
「不思議な味だけど美味しい。美緒の国の食べ物はみんな独特ね」
「あははは そう言えばミーナは肝油も大丈夫だったな」
「ええ……」
「……」
 それから暫し無言になる。空いた椀に酒を注ぎ直す音と波の音だけが辺りを包む。
「今日は楽しそうだったわね」
 先に口を開いたのはミーナだった。
「あぁ、こんな愉快な気分は久しぶりだ」

「だけど悲しそうだったわ」

 私は椀を持つ手を止めた。
「酔っているな、ミーナ。言っていることがメチャクチャだ」
「じゃああなたの前に置かれてる椀は何」
「……」
 答えることができなくて、私は黙り込む。
 私の前に置かれた椀。ちょうど向かい合う誰かのために用意されたような椀が、無人の席に置かれていた。
 止めていた椀を傾ける。
「――――旧き日の……愛する友に」
 視線を落とす。
 無人の席に、まるで主の代わりのように置かれたそれ。
 細かな傷が無数につき、半ばから引きちぎられたベルトのバックル。咆哮する虎の浮き彫りが施された小さな小さなそれ。
 小さくなってしまった友を撫でる。
 ミーナの視線を横顔に感じたが、あえて無視した。
 煌々とした月明かり。静かな波の音。
 思い出すのは遠きリバウの戦場。あなたのいた旧き日々。
 月影の向こうに、私は今でもあなたを見る。軍鶏と呼ばれた苛烈さと、それに似合わぬ細面の美貌の――――あなたの面影を。

「……その人のこと、聞かせてもらえるかしら」
 躊躇いがちに口を開いたミーナに視線を向けることなく、夜天を仰ぐ。幾多の戦友と、彼女のいる天空を。



「名を笹松一子、扶桑皇国海軍少佐。――――今日が、命日だ」






[16353] 第一話 君に出会う
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/28 16:42
 時は1938年11月。台湾の空はどこまでも青かった。
 一台のトラックが砂埃を濛々と巻き上げながら大地を疾駆していた。整地されていない地面を、ボロボロのトラックは軋みをあげながら健気に走り抜ける。
 笹松一子皇国海軍中尉は、振動に尻を痛めながらも目を瞑り微動だにしなかった。
 女子にしては短すぎる黒髪に、冷たさを漂わせる細面の美貌。瞑想する様はどこか神棚に奉られた神刀を思わせる鋭さがあった。
 同じトラックに同乗する一子の同期の少女たちは忙しなく身じろぎしていた。
 緊張と期待を顔に浮かべて、これから自分たちが配属になる部隊のことを考えていた。
 だが瞑想する一子に遠慮して押し黙っていた。
 こんな調子でトラックの中は彼女たちが降り立った港から変らず静かなままだった。
 しかし、その静寂を破って大きく動く者が現れた。
 他の誰でもない。それは瞑想をしていた一子だった。
 俄に彼女の身体が淡く発光したかと思うと、尖った獣の耳とフサフサの尻尾が生えたのだ。
 灰色の耳が別々に忙しなく動き、尻尾は何かを期待するようにゆらゆらと揺れていた。
「来た……」
 何が?
 同乗していた少女たちは同じ事を思った。
 疑問顔で自分を見つめる視線をまるきり意に介さず、一子は立ち上がると開け放たれた幌から外を見上げた。
 やがて他の少女たちの耳にも、それがはっきりと聞こえるようになった。
「魔導エンジンの音!」
「え!」
 少女たちも荷台の後ろに詰めかけ空を見上げた。音の源を探そうと目を細めて周囲に首を巡らす。
 その中で一子は一点を見つめたままだった。
 一子の目はこちらに向って一直線に近づいてくる三つの影を捉えていた。その影はものすごい速さでぐんぐんとトラックに近づいてくる。
 ようやく周りの少女たちも接近する影に気がついた。
 その頃には影は人型になり、お互いの顔もしっかりと確認できるほどになっていた。
「ウィッチだ!」
 誰かが叫んだ。
 同時に、飛来した三機のウィッチはトラックの幌の上をすれすれで飛び抜けた。猛烈な風がトラックの幌を打ち鳴らし、少女たちは咄嗟に身を伏せていた。
 一子は食い入るように緩旋回するウィッチを見上げていた。その口は常の引き結んだ真一文字が歪み、堪えきらない三日月の弧を描いた。
 一子の視線と、三機編隊の長機を飛ぶウィッチの視線が絡んだ。猛禽を思わせる眼帯の隻眼が一子に注がれる。その視線は一子を推し量っているようにも感じられた。
(面白い……!)
 周囲の少女たちが立ち直って黄色い悲鳴をあげる中、一子は静かに胸の内に闘志を燃え上がらせていた。

『第一話』

―― 君に出会う ――

 三機のウィッチが、完璧な編隊を保ったまま滑走路に着陸した。まるで一個の生き物のような編隊飛行が、彼女たちの練度が如何に非凡なものかを物語っている。
 滑走路を緩やかに移動するウィッチは、指揮所の前にいる二つの人影に近づいていった。
「どうだね? 坂本一飛曹」
「共に飛んでみないことには明言致しかねます」
 長機を駆っていた坂本美緒一飛曹が答えると、二つの人影はうんうんと頷いた。
 何を隠そう、彼らこそ精鋭と名高い台南航空隊の隊長と副長である斉藤正久大佐と小園安名中佐であった。
 彼らは勿論ウィッチではなかったが、歴戦の戦闘機乗りで空を知り抜いた勇士だった。
 同じ空の戦士であるウィッチに理解があり、心中複雑であろうが幼い彼女らをよく可愛がっていた。
「たいへんだろうが、彼女たちをよろしく頼むよ。彼女たちはまだまだ学生が抜けきらないヒヨッコだ」
「心得ています」
 美緒は大きく頷いた。

 それから暫くもしない内に、ボロボロのトラックが飛行場に到着した。
 トラックから飛び降りてきた少女たちが、息を弾ませて斉藤大佐たちの前に整列した。
「笹松一子中尉以下三名、ただ今台南航空隊に着任致しました!」
「うむ。私が台南航空隊隊長の斉藤正久大佐だ。貴官らの着任を歓迎する」
 斉藤大佐は鷹揚に頷き、それから小園中佐が言葉を引き継いだ。
「私が副長の小園中佐だ。さて、さっそくで悪いが、貴様たちには先任航空歩兵の訓練を受けてもらう。彼女たちには階級の別なく遠慮無用と伝えてあるのでそのつもりでいろ」
 小園中佐の言葉に合わせて美緒以下の四人のウィッチが前に進み出た。それぞれが担当となる新人の前に立ち、失礼にならない程度に視線を送る。
 新人たちの多くは鋭い視線に晒されて居心地悪そうに身を竦ませた。
 美緒の前に立っていたのは、先ほどの飛行で目が合った笹松一子中尉だった。
 彼女は一歳年上で歴戦のウィッチである美緒の視線を受けても、萎縮するどころか爛々と目を輝かせて睨み返してきた。
「では、坂本一飛曹。あとは頼んだぞ」
「はッ」
 敬礼を交わし合い、隊長陣は指揮所に消えていった。
 美緒は新人たちに向き直った。
「さて、早速でありますが、編隊飛行の訓練を行います」
「なんだ、格闘戦の訓練ではないのか?」
 真っ先に異論を唱えたのは案の定笹松中尉だった。傲岸不遜に腕組みし、全身で不服を表現している。
 美緒は気取られないように溜息をついた。
 厳格な階級社会の軍隊にあって、下級の者が上官にものを教えるのはやはり不自然でやりにくいものだ。
 他の先任ウィッチたちも下級のものに教導するのと勝手が違うのでやりづらそうにしている。
「編隊飛行は全ての戦闘機動の基本であり、これを見ることで中尉殿たちの力量を計る意味もあるのです」
「なるほど了解した。ならすぐ飛ぼう。今すぐ飛ぼう」
 ごねられたら堪らないので丁寧に説明すると、意外にも笹松中尉は素直に引き下がった。むしろ早く飛びたくてうずうずしているように見える。
 身構えていた美緒はちょっと拍子抜けした。



 空に上がると、やはりと言うべきか、新人たちの力量はお粗末なものだった。
 地上で笹松中尉に説明したとおり、編隊飛行にはウィッチの気質や気迫、力量がこれでもかと反映される。
 民間機であれば数百mの距離であってもニアミスと言われる空の世界で、ウィッチは僅かに数十m、ことによると数mの距離で敵と渡り合い、列機と翼を並べるのだ。
 そこには繊細にして高度な技術が要求される。
 お互い会話ができる距離で編隊を維持しながら飛ぶのだから、少しでも気を抜けば接触し、下手をすれば墜落した。
 もちろん訓練隊でも編隊飛行の訓練を行うが、ほんとうに初歩の初歩だけである。
 美緒たちが緩旋回から左右への急旋回、急上昇に急降下と連続で“振ってやる”と、新人たちは面白いように乱れて列機の定位置から弾き飛ばされてしまった。
 それでも新人たちは必死に美緒たち先任ウィッチに追いすがり、列機の位置を維持しようとする。
 そこで問われる微妙なスロット操作や飛行脚の運動、体重移動で、だいたいの力量がしれるのだ。
 結果から言うと、新人四人の力量はそれほど変らなかった。特に笹松中尉については飛行脚の操作が雑で、何度か長機である美緒に接触しそうになった。
 しかし、食らいついてでも列機の位置を固持しようとする意気が美緒の背中越しにヒシヒシと伝わってきた。その並々ならぬ気迫は、新人たちのなかで飛び抜けていた。
 どれだけシステマチックに戦おうとも、最後は気合と根性に行き着いてしまう航空戦にあって、この気迫こそが空の戦士に最も必要とされているものだった。
(これはひょっとするかもしれんな……)
 美緒はそこに極めて荒削りな金剛石の輝きを見た気がした。

 その翌日から、すぐさま戦闘機動の訓練が開始された。
 数ある戦闘訓練の中でも重点が置かれたのは、一対一の単機空戦の戦技だった。
 何よりもまず、飛行脚を己の手足の延長のように操れるようにならなければ話にならない。その為には、より多くの飛行時間を経る以上の訓練は無かった。
 同じ高度、同じ速度。完全に同位の状態から訓練は始まる。
 もちろんのことながら玄人と素人ほども力量に差があるので、笹松中尉は美緒の後ろをとることすらままない。
 この時のふたりには、十機の笹松中尉が美緒を取り囲んだとしても逆に返り討ちにあうくらいの差があった。
 しかし、終始美緒が笹松中尉を追いかけ回しているだけでは訓練にならないので、美緒はわざと隙をつくって後ろを取らせたり、最初から後ろに着かせた状態から訓練を始めたりもする。
 笹松中尉はベテラン・ウィッチ特有の変幻自在の運動に幻惑されながら、それでも美緒にペイント弾を叩きつけようと必死に食い下がった。
「この! ちょこまかと!」
 先ほどまで美緒のいた空間を笹松中尉の銃撃が射抜く。
 美緒は幾条もの火線に晒されるが、機体を小刻みに振り、僅かに滑らすことで苦もなく潜り抜けた。
 端から見れば弾の方が美緒を避けているかのようだ。美緒の機動は、笹松中尉には舞い落ちる木葉のようにつかみ所無く感じられるだろう。
「そんな我武者羅な銃撃では百年経っても私は墜せませんよ」
「何を!?」
 美緒の安い挑発に笹松中尉の集中力が乱されたのを見計らって、美緒は左に最小半径でひねり込んだ。
 左ひねり込み。美緒の十八番だ。
 瞬く間に攻守が逆転し、間髪入れずに引き金を引いた。
 軽い発射音で放たれたペイント弾が笹松中尉の飛行脚をオレンジ色に染め上げた。
「集合」
 模擬空戦は終了し、美緒の二番機の位置に笹松中尉がついた。
 笹松中尉は自分の飛行脚に咲くオレンジの花を悔しそうに見た。
「むぅ、また完敗だ……」
「中尉は飛行脚の扱いは大分ましになりましたが、照準が甘すぎるのです。だから後ろについてもみすみす逃げられてしまうのです」
「しかし、どうすれば照準が良くなるのだ?」
 美緒は素知らぬ顔でしれっと言った。
「簡単な事です。照準器いっぱいに敵が見えるほど近づけばいやでも弾は当たります」
「それができれば苦労しない。さらりと難しいことを言うでない」
 笹松中尉は苦笑いした。美緒が言ったのは空戦の基本にして極意であった。
 訓練が終わった後には必ず反省会が行われ、新人たちは自身の問題点と改善案を指摘し合って技能向上に努めていた。
「――――であるから、上位をだな――――」
「――――いや、それはおかしいですよ! それじゃ徒に高度を――――」
 流石は海兵出(海軍兵学校出身)なだけあってその発表会は正鵠を射たものなのだが、空に上がるとそう巧くはいかない。正しく言うは易く行うは難し。
 だが悪戦苦闘しながらも、彼女らは着実に力量を上げていた。
 特に笹松中尉は闘志を剥き出しに一心不乱に訓練に打ちこみメキメキと頭角を現し、海兵時代の軍鶏の呼び名が隊にまで広がる程だった。
 笹松中尉は不遜な態度の少女だったが、美緒の言葉には素直に耳を傾け、真摯(?)に教えを請うていた。ともあれ、ふたりは良き師弟と言えた。

 そして新人たちが着任してから二週間が過ぎる頃には、彼女たちは一端に飛行脚を操るようになっていた。
「中尉、よろしいですか?」
「いつでも構わない」
 無線機を通して笹松中尉が了解を返してくる。
 美緒が斜め後ろを振り返れば、笹松中尉が張り付いていた。美緒が合図を送ると笹松中尉は徐々に加速し完全に並んだ。
「始め!」
 これが合図だった。
 二人は同時に左右に別れた。
 空戦開始。
 美緒は旋回を開始した。笹松中尉も同じように旋回をしていた。
(さて……)
 旋回を続けながら、美緒は笹松中尉を観察した。
 着任して始めの頃のように飛行脚を無駄に動かして速度を失うようなヘマはもうしないだろう。適切に足を振って、最小半径で旋回しようとしている。
 悪くない。
「悪くない。が、まだまだだ」
 美緒はそれよりさらに小さな円で旋回して、あっさりと笹松中尉の背後をとった。
 後ろをとられた笹松中尉は美緒を振り払おうと有らん限りの回避運動を開始した。
 緩急織り交ぜた旋回に急上昇急降下。しかしどれだけ複雑な機動をしようとも、美緒は噛みついたスッポンのようにまるで離れない。
 笹松中尉は美緒の射線を躱すだけで手一杯だった。
 美緒の前で笹松中尉が苦し紛れの斜め宙返りをしようとしていた。美緒はそろそろ空中戦に区切りをつけるべく追従した。
 やがて宙返りの頂点に差し掛かろうとしたとき、不意に笹松中尉がバランスを崩し左に沈んだように見えた。
(失速した? いや、違う!!)
 美緒は目を剥いた。
 一瞬のうちに笹松中尉の姿が視界から消えたのだ。
(まさか……!)
 美緒はその技を知っていた。何故ならば、それはつい一週間前に美緒が笹松中尉に見せた技だったからだ。
 故に、この後に続く攻撃も分かる。
 背後から殺気。
 しかし美緒は回避を行わなかった。そのままゆるゆると旋回を終える。
 発砲音。続いて軽い衝撃が飛行脚にはしる。見てみれば、美緒の九六艦戦に鮮やかなペイントの花が咲いていた。
「止め!」
 訓練終了の合図を送り集合する。
 美緒の横に並んだ笹松中尉は喜色いっぱいの顔で言った。
「見たか先任下士。ついに貴様に一泡吹かせたぞ!」
「いつの間にあのような大技を覚えたのですか?」
 美緒は純粋に驚いていた。あの失速間際の機動は、一朝一夕でできるほど柔な技ではないのだ。それこそ名人芸の名に恥じない高難度技である。
 笹松中尉は胸を張った。
「うむ。先日見せた貴様のあれに衝撃を受けてな。目を盗んではこっそりと練習しておったのだ」
「まさか、あの一回だけで技を見切ったのですか?」
「うむ、如何にも。――――それにしても、貴様のその顔を見れただけで苦労した甲斐があったというものだ。はははっ!」
 大笑いして笹松中尉は俄に増速した。まるではしゃいだ子供が早足になるように。
 そんな無邪気な姿に美緒は毒気抜かれて黙って速度を合わせた。
(まさか、本当にあれをやってのけるとは……!)
 美緒は密かに戦慄すると共に、笹松中尉に確かな才気を感じ取っていた。



 笹松中尉に遅れて基地に帰り着いた美緒は、ハンガーでペイントに染まった我が機を見て苦笑した。
 笹松中尉の成長ぶりには目を見張るものがあったが、まさかこれほどとは思ってみなかった。
「明日からはもっと厳しく行かんといかんなぁ」
 美緒がポツリと呟いた。
「美緒!」
 美緒は名前を呼ばれて振り返った。
「醇子か……」
 そこにいたのは美緒の親友である竹井醇子一飛曹だった。
「聞いたわよ。笹松中尉に一本取られたんですって?」
「あぁ、それは見事にな。さすがは海兵出の士官だ。我々もうかうかしてられんぞ。わっはっはっは!」
 それを聞いた醇子は疑いの目で美緒を見た。
「ほんとうに、そんなに強くなったの?」
「う……うむ。まぁ、その……なんだ」
 長い付き合いである友人の視線に、美緒は途端にしどろもどろになった。
「……いつも遠慮無く叩き落としていたからな。今日はちょっと花を持たせてやりたかったんだ。その方が笹松中尉の自信になると思ったしな」
「まったく……。美緒の事だから、そんなことだろうと思ったわよ。いくら何でもついこの間まで学生だったようなウィッチにあなたが墜されるなんて信じられないもの」
「いや……」
 呆れた目で見てくる友人を、美緒は静かに見返した。
「笹松中尉は本当に強くなられた。私もここまで見事に一本取られるとは思ってもみなかったのだ」
「美緒……」
 真剣な美緒の様子に、醇子は笹松中尉の実力が自分が思っていたよりも遙かに高くなっていたことを知った。
 醇子もひとり新任中尉の教導をしていたが、まだまだ後ろをとらせるつもりはなかった。だが、笹松中尉は美緒の後ろをとれるかどうかというところまで成長していたのだ。
 それは驚異的な成長速度と言えた。醇子が先任航空歩兵の後ろをとれるようになったのは、これより遙かに長い時間が掛かってのことだった。
 しかし。
「美緒、でも今日のはやりすぎ。今、笹松中尉が美緒を墜したと言い回っていたわよ。このままじゃ天狗になっちゃうんじゃないかなぁ」
「むぅ。それは本当か?」
 美緒は難しい顔をして押し黙った。
 醇子が言うように、本当に笹松中尉が天狗になっていたら、それは不味いことだった。彼女はまだまだ発展途中で天狗になるのは早すぎる。
「これは一つ締め直してやらんといけないな」

 次の日、笹松中尉は昨日とうって変わった消沈した様子で基地に帰還した。
 その日の模擬空戦で美緒に僅か三旋回で後ろに着かれたあげく、訓練終了まで一瞬たりとも射線から逃れることができなかったからだ。
 これが実戦なら、美緒に何回撃墜されたか分ったものではない。
 完膚無きまでの、ものの見事な完敗だった。
 この意味を分からぬ笹松ではなかった。
「笹松中尉」
 美緒が笹松中尉を呼ぶと、彼女は目をつり上げて美緒を睨みつけてきた。誇り高いこの中尉は、美緒に故意に手を抜かれていたと知って怒り狂っていたのだ。
「少々宜しいでしょうか」
 美緒は笹松中尉と連れだって滑走路横の芝生まで歩いてきてドカリと座り込んだ。笹松中尉も美緒の前に腕組み胡座をかいて座った。
「なんだ先任下士。貴様の小手先で滑稽に踊った馬鹿者に何を言う?」
「中尉……」
 完全に冷めた蔑みの目を見て、美緒は自分がとんでもない失策をしたことを知った。
 この中尉は今まで一度たりとも中途半端な態度で美緒の教えを請うたことはなかった。
 いつも全力で、美緒の全てを絞り尽くすかのように、一滴の取りこぼしもなく吸収してしまおうとする意気の塊のような少女だったのだ。
 それに応えるように、美緒も誠心誠意彼女を鍛えていたはずだった。
 昨日のあれだけを除いて。
 あんな小手先の褒美など、この中尉が欲しがろうはずがなかったのだ。
 それは美緒もよく分かっているはずだった。
 もはや、失った信頼を取り戻すには、自分から腹を割って本音をぶつけるしかない。
 美緒は意を決して口を開いた。
「笹松中尉、あなたは入隊以来、日に日に上達してきました。もう格闘戦だけなら、若い下士官たちと互角に戦えるでしょう。しかし、私たち古いウィッチに対しては、まだまだたいへんな差があるのです」
 笹松中尉は下唇を噛みしめながら美緒の言葉を聞いていた。まだ話を聞いてくれることに安心して、美緒はさらに言葉を続けた。
「ウィッチの技術には、これでよしということはないのです。上には上があり、私たちでさえ、まだまだと思っています。天狗になったら、技術の世界ではおしまいです」
「……」
「しかも格闘戦は、空中戦の技術の中の一項目です。格闘戦は将棋にたとえるなら詰め将棋であって、空中戦の最後の詰め技でしかないのです。本当は、この格闘戦にはいるまでの持っていきかたが大切なのです」
 美緒は笹松中尉の眼に有らん限りの力を込めた視線をぶつけた。
「あなたは、将来我々の指揮官となるかもしれません。編隊のリーダーとして空中戦は奥が深いのです。まだまだ訓練すること、覚えることが沢山あるのです」
「……」
 暫くして、笹松中尉は無言で頷いた。
 美緒の心は、無事に笹松中尉の心に入ったのだ。



 立ち去る間際、笹松中尉は美緒に背を向けたまま言った。
「初めて貴様の飛行を見たとき、この世にはこれほど美しいものがあるのかと私は感動した。それに近づくために全力で努力した。貴様はそれによく応えてくれたと思ってる。
 実を言うと、今日貴様に完膚無きまでに叩きのめされて、私は安心したのだ。あの日見た貴様は、まだまだ簡単に追いつけないほど遠い。そう確認させてもらった。だからこそ、やり甲斐があるというものだ」
 言葉を切って、笹松中尉は振り返った。
「これからもよろしく頼むぞ、“坂本兵曹”」
 挑戦的な視線で、笹松中尉の口がニヤリと歪む。
 それはまるで猛々しい猛禽のような笑み。夕陽を背にした“宣戦布告”は、あまりに鮮烈で美しかった。
 それを見た美緒は惚けたように動けなくなった。
 その表情が、美緒の脳裏に深く刻み込まれたのだった。





[16353] 第二話 ありがとう
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:5b7351ff
Date: 2010/02/14 12:27
 時は1938年。
 第一次大戦以来沈黙を守っていたネウロイが再び活動を開始し、扶桑海海上で偶発的に発生した機械化航空歩兵ウィッチと怪異の戦闘――扶桑海事変の翌年の事である。
 本土で機械化航空歩兵教程を修了したばかりの笹松一子中尉他三名は、戦雲の気配忍び寄る台湾は台南航空隊への配属を命じられた。
 だが扶桑海事変以来頻発するネウロイの襲来を潜り抜けて来たベテラン・ウィッチばかりで構成された台南航空隊の練度と、学生の青さが抜けきらない半人前以下の一子たちのそれとは、天と地ほどの差があった。
 本来ならば時間を掛けてゆっくりと練度をあげるべきなのであるが、風雲急を告げる情勢は彼女たちの慣熟を待ちはしない。
 半人前以下の未熟なウィッチを戦場の空に上げることに憂慮した台南航空隊副長の小園安名中佐は、ベテラン・ウィッチたちに彼女たちの練度を至急に引き上げることを要望したのである。
 笹松中尉は海兵時代の軍鶏の呼び名に恥じない苛烈な気迫で訓練に挑みめきめきと腕を上げ、僅かに二ヶ月半が過ぎる頃には、先任航空歩兵の坂本美緒一飛曹をして平時の半年から一年分に相当する進歩を遂げたと言わしめた。

『第二話』

―― ありがとう ――

「坂本兵曹、坂本兵曹はいるか!?」
 冬の寒い日、美緒が下士官用の大部屋でゆっくりとしていたところに、喜色満面の笹松中尉がやってきた。
 美緒は何事かと飛び起きた。
「何事ですか、中尉」
「聞け、坂本兵曹。ついに私の初陣が決まったのだ!」
「本当ですか!」
 美緒は驚いて目を丸くした。
 台南航空隊は皇国海軍が誇るウィッチ部隊であり、粒ぞろいの優秀なウィッチが揃っている。
 いくら笹松中尉が急成長しているとは言え、彼女より優秀なウィッチは掃いて捨てるほどいた。
 なので美緒は、笹松中尉の初陣はもっと後になると踏んでいたのだ。
「大陸の陸軍を支援するためにネウロイを強襲するそうだ。ついに私の出番がやってきたのだ!」
「おめでとうございます」
「うむうむ」
 笹松中尉は満足そうに頷くと、余りの嬉しさに大笑いをしながら大部屋を飛び出していった。ドタドタと荒い足音が遠ざかっていく。
 部屋に残された美緒は唖然とその後ろ姿を見送った。
「まるで嵐ね」
「あぁ」
 親友の竹井醇子の言葉に美緒は頷いた。
「……」
「……」
 暫くして、醇子は読みかけの本に目を落とす。
「――――『おぉマドレーヌ、君はなんて美しい……』『いいえ、湧き立つ泉のように清らかなシュザンヌ様に比べれば……』――――」
「醇子、貴様いったい何を読んでいる?」
「『フランスの美少女 ~禁断の愛~』」
「文章を音読する癖をどうにかしろ。あと恋愛小説を朗読するな」
 親友の変な癖に、美緒はピシャリと言った。



 次の日、機械化航空歩兵用格納庫の中は20に及ぶ魔法陣の輝きに埋め尽くされていた。それは壮観な眺めだった。
 これだけのウィッチを揃えられる国など世界にそうあるものではない。
 出撃に備え飛行脚の暖機を行っているウィッチたちの傍ら、笹松中尉を見送るべく美緒と醇子も格納庫に来ていた。
 初陣の直前とあって、さしもの軍鶏中尉も緊張していると見え、端正な顔を緊張と期待に引きつらせていた。
 落ち着かないのか、腰から提げた軍刀の鯉口を切ったり戻したりしている。
 美緒が笹松中尉の横に立って、ようやく彼女は美緒に気がついた。
「坂本兵曹か」
「笹松中尉、緊張する必要はありません。ネウロイなど、この私や隊の先任航空歩兵たちに比べたら鴨も同じ。蠅が留まって見えるでしょう」
「そうだな……!」
 美緒の言葉に、笹松中尉の顔が目に見えて明るくなった。やはり彼女を教え導いてきた美緒の言葉は効果覿面である。
 それを確認して、美緒は用意していたものを差し出した。
「ん? なんだ、それは」
「マフラーです。戦闘機乗りが一人前になると巻くことが許される神聖なものです」
 美緒が差し出したのは、長い長い純白のマフラーだった。
 ウィッチは魔力フィールドによって外気の影響を受けないため防寒対策は不要なので廃れた文化だが、験担ぎにと美緒が持ち出したのだ。
 美緒の気遣いに笹松中尉は大いに感激したようで、礼を言ってマフラーを首に巻いた。
「どうだ?」
「たいへん似合ってます」
「そ、そうか?」
 美緒が褒めると、笹松中尉は頬を染めてはにかんだ。
 そうすると彼女が常に纏う鋭さが消えて、年相応の少女のように見えた。美緒が初めて見る、笹松中尉の少女らしい一面だった。
 そこに集合の号令が掛かり、出撃の時刻になったことを告げた。
 美緒と醇子は敬礼を笹松中尉に送り、彼女も答礼で応えた。
「では、征ってくる」
「お気を付けて」
 やがて総勢で二十機にもなるウィッチの大部隊が格納庫から飛行場へ出て大空へと舞い上がっていった。

 笹松中尉たちを見えなくなるまで見送ってから、美緒たちは無線機の置いてある指揮所に顔を出した。
 美緒たちが出撃するまでにはまだもう少し時間があるので、その間に笹松中尉の様子を探ろうと思ったのだ。
 指揮所に足を踏み入れると、何やら慌ただしげな様子で無線のやりとりが行われていた。
 美緒は状況を知るために通りがかった司令部要員を捕まえた。
「何があったんだ?」
「故障機が出たんだが、そいつがどうしても帰投したがらなくて困ってるんだ」
「むぅ」
 台南航空隊に配備されているA5M4九六式四号艦上戦闘脚は、名機と名高い九六式艦上戦闘脚を宮藤理論に基づき再設計した最新型で、今年に入ってから生産が始まったばかりである。
 初飛行から四年、実戦配備から二年が経つ九六艦戦は初期不良が克服された優秀な飛行脚だが、それでも故障と無縁とは言い切れない。
「どんな故障だ?」
「魔導エンジンが息をつくらしい」
「そうか」
 魔導エンジンが息をつくとは、何らかの不良によりエンジンの回転が安定しない状態のことだ。出力は上がらず、最悪の場合は突然停止することもあり得る。
 帰還命令は妥当と言えた。
 その時、無線でやりとりする小園中佐と件のウィッチの会話が聞こえてきた。
「馬鹿者! 笹松中尉、すぐさま帰還しろ!」
『嫌だ! 私は死んでも出撃する!!』
 美緒は額に手を当てて天を仰いだ。
 困り果てた様子の小園中佐の目に美緒がとまった。手招きして呼び寄せられる。
「坂本一飛曹。貴様から言ってやってくれ。わしじゃどうにもならん」
「はぁ」
 美緒は無線機のマイクをとった。
「笹松中尉……」
『むむ……そ、その声は坂本兵曹だな。い、いくら貴様の言葉でも、こればかりはきけんぞ!?』
「笹松中尉……」
『む、むぅ……』
 見る間に笹松中尉の威勢が萎んでいく。
「出撃の機会はまだごまんとあります。どうか今日のところは辛抱してください」
『……………………あい分かった』
 長い沈黙の後で、無線が切れた。
 司令部中から集中する感謝と感心の視線が、なんだかやるせない美緒だった。

 美緒が司令部から出て待っていると、空の向こうから笹松中尉が帰ってきた。消沈した様子で、俯きながら格納庫に入っていく。
 美緒と醇子は再び格納庫に足を向けた。
『このド戯けが!』
 格納庫の薄い外板越しに、凄まじい怒声と物音が聞こえてきた。美緒と醇子は顔を見合わせると急いで格納庫に飛び込んだ。
 果たして、そこには倒れ込む整備兵と今まさに刀を抜かんとする笹松中尉の姿があった。
 美緒と醇子は笹松中尉に飛びかかって、必死に押さえつけた。
「笹松中尉!」
「笹松中尉、お止め下さい!!」
「離せ! 離せ、坂本兵曹!!」
「離しません! 整備兵に当たり散らして何になりましょうか!!」
「別の機材を用意しろ! 今すぐ追いかけて出撃する!!」
「副長から出撃禁止命令が出ております。再出撃は無理です!!」
 出撃禁止と聞いて、笹松中尉の力が弱まった。
 美緒たちも腕の力を緩めると、笹松中尉は腕を振り払い、格納庫の隅の古びた椅子に座り込んでぐったり項垂れてしまった。
 あれだけ喜び勇んで出撃したのに。美緒には掛ける言葉が見つからなかった。
 その内に、美緒と醇子も出撃の時刻を迎えてしまった。

 その日の出撃で、美緒と醇子は超大型ネウロイ・ディオミディアの共同撃墜に成功した。
 欧州戦線でカールスラント軍が苦戦に苦戦を重ねた超重爆で、扶桑皇国はおろか、世界で初めての撃墜例だった。
 生憎とネウロイの戦闘機に相当するラロス型には出会えなかったが……。
 美緒が基地に帰還すると、基地は笹松中尉が参加するはずだった攻撃隊の上げた戦果にわきかえっていた。
 何でもネウロイのラロス型と中爆ケファラス型合わせて30機以上に遭遇し、たちまちその全てを撃墜したというのだ。
 ディオミディアを撃墜した美緒も引き込まれて揉みくちゃにされ、基地は活気に満ちていた。
 そんな大戦果に歓声を上げながら武勇伝を語る攻撃隊の輪の外に、寂しげに聞き耳を立てている笹松中尉の姿があった。
 輪から離れた美緒は、笹松中尉の背後からそっと近づいた。
「笹松中尉」
「ひゃっ……」
 笹松中尉は跳び上がり、驚いた顔で振り返った。
「な、なんだ坂本兵曹か。驚かすな……」
「笹松中尉、よろしいですか?」
「うむ」
 美緒の方へ向き直り、笹松中尉は神妙な顔になる。
 美緒は咳払いをしてから話し始めた。
「笹松中尉、戦いはこれからです。がっかりすることはありません。初陣の空中戦は、ウィッチにとって得難いではあるけれども、一番危ないときでもあるのです。もしも今日の空戦にあなたが参加していたら、ひょっとするとやられていたかもしれない。そう考えて、今日のことは諦めることですね」
「うむ、私もそう思っている。それでもやっぱり悔しいよ……」
 笹松中尉は切なそうな顔で沸き立つ攻撃隊の方を眺めるのだった。



 失意の笹松中尉であったが、再戦の機会はなかなか訪れなかった。
 地上軍支援のために出撃を繰り返すも、肝心の戦闘機型飛行兵器に出会わず、初戦果は長いことお預けとなったのだ。
 しかし、武運の女神は笹松中尉を見放しはしなかった。
 明くる1939年2月。大陸に進出した攻撃隊から敵機発見の報が届いた。その攻撃隊に笹松中尉も参加していたのだ。
 美緒はそれを司令部の無線越しに聞いていた。ネウロイに攻撃を加えた攻撃隊は直ぐさま格闘戦へと持ち込み、がっちり組み合っての乱戦に突入した。
 交錯する無線の中から笹松中尉の声を探し出そうと美緒は耳を傾けた。
 裂帛の気合いが聞こえたのはその時だ。
『……当たれ』
 別段大きな声だったわけではない。むしろ静かな、落ち着き払った声だった。だがその声は、他の全てを圧して美緒の耳に飛び込んできた。
 美緒はそれが笹松中尉の声だとすぐに分かった。美緒は息を詰めて続く言葉を待つ。
『やった!』
 続いたのは歓声だった。笹松中尉は首尾良く初戦果をあげたようだ。美緒は胸をなで下ろした。
 それからすぐに部隊集合の合図が掛かり、その日の空戦は終了した。
 帰投の途中、笹松中尉は無線機が入っていることも忘れ「やった♪ やった♪」と喜びの凱歌を歌っていた。その無邪気な喜び様に、司令部の中は微笑まし気な生暖かい笑いに包まれたのである。

 基地に帰還した笹松中尉は、喜び冷めやらぬ様子で戦果を報告した。
「笹松一子中尉、本日の空戦にて――――」
「――――一機撃墜だな?」
「あれ?」
 本来報告を受けるべき斉藤大佐に言葉の先をとられ、笹松中尉は不思議そうな顔をした。
「貴様、無線機を切るのも忘れて、やったやったと歌っていたではないか」
 斉藤大佐の種明かしに、その場にいた全員が声を上げて笑った。からかわれた笹松中尉は顔を赤くして照れ笑いを浮かべた。
 出撃後の諸々の事務が終わってから、笹松中尉はすぐに格納庫にいた美緒の元へと飛んできた。
「聞け、坂本兵曹! ついにだな、私は――――」
「――――一機撃墜ですね」
 またもや言葉の先を越されて、笹松中尉はポカンとした顔になる。
「ま、まさか……。貴様も聞いていたのか、坂本兵曹」
「勿論です」
 こみ上げてくる笑いをかみ殺しながら至極まじめな顔で美緒が言うと、笹松中尉は「一生の不覚……」と言って大いに顔を赤面させた。
 美緒がとうとう堪えきれずに吹き出すと、笹松中尉は恨まし気に睨みつけてきた。
 しかし赤面させながら睨まれてもただ微笑ましいだけで、美緒の笑いの発作にさらなる薪をくべる結果になった。
 一通り心ゆくまで笑った美緒は、俄に背筋を伸ばした。笹松中尉も合わせるように背筋を正す。
「本日は初撃墜おめでとうございます」
「うむ」
 笹松中尉は鷹揚に頷き返した。
「あぁ、その、なんだ……」
 それからどういう訳かしどろもどろになると、また赤面してボソボソと二、三言付け加えた。
「――――……貴様のお陰だ。ありがとう」
 だがその言葉は美緒の耳にはうまく届かなかった。
「は? もう一度お願いできますか」
「う……。いや、何でもない。さらばだ!」
 言葉に詰まった笹松中尉は、真っ赤な顔のまま逃げるように格納庫を飛び出していってしまった。
 美緒は不思議そうな顔でその後ろ姿を見送るのであった。



「あれ? おかしいな」
 美緒が格納庫を出て兵舎に戻ろうとしたとき、首を傾げている整備兵が目に留まった。それは笹松中尉の戦闘脚を担当している整備兵だった。
「どうしたんだ?」
「坂本兵曹」
 整備の手を止め、立ち上がって敬礼しようとする整備兵を手で制し、美緒は説明を求めた。
「それで、どうしたんだ?」
「それが、機銃弾がほとんど減ってないのですよ」
 整備兵は言った。
 整備兵の前に広げられた機銃弾を見てみると、確かにあまり減っているように見えなかった。せいぜい30発程か。
「28発減ってます」
「ほぉ」
 それを聞いて、美緒は感心したように頷いた。
 僅か28発での初戦果。その意味を美緒はよく理解できた。
 笹松中尉は美緒の教えをよく守り、ネウロイの背後に肉薄し、無駄弾を撃つことなくネウロイを撃墜したということだ。
 新人のウィッチには逸る気持ちや恐怖心を抑えられずに数百m先から撃ってしまう者もいるというのに、笹松中尉は驚くべき冷静沈着さと集中力で心を制し、続いてネウロイを制したのだ。驚くべき事である。
 この28という数字には、そんな素晴らしい意味が込められていた。
(やはり、ただ者ではなかった……!)
 美緒は笹松中尉に見た金剛石の輝きが偽物ではなかったことを改めて確信したのであった。





[16353] 第三話 台南空の出陣
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/14 12:37
 時は1938年。
 海軍兵学校を卒業した新任中尉として精鋭・台南航空隊に配属になった笹松一子は、先任航空歩兵・坂本美緒一飛曹の指導の下、めきめきと腕を上げていた。
 そしてついには単独の初戦果をあげ、名実共にウィッチの仲間入りを果たしたのである。
 この戦果を皮切りに一子はさらなる戦果を重ね、エースに名を連ねるまでに成長を遂げたのだった。
 一子着任から約一年の時が過ぎ、ネウロイの攻勢が本格化したころ、台南航空隊に新たな辞令が下された。

『第三話』

―― 台南空の出陣 ――

「上層部より新たな指令が下された」
 突然の呼集で航空隊のウィッチ全員が集められた会議室に、部隊長・斉藤正久大佐の声が重々しく響いた。
「去る9月1日より敵ネウロイが突如としてオストマルクに侵攻し、人類連合軍の勇戦虚しく同国が陥落したことは、すでに諸君らも聞き及んでいると思う。そして現在、ネウロイの魔手は友邦カールスラント帝国にまで及ぼうとしている!」
 斉藤大佐は大部屋に詰められたあどけない少女たちの顔を見渡した。
「これを受けて、我が扶桑皇国はカールスラント支援のため機械化航空歩兵隊を含めた大規模な遣欧軍を送ることを決定した!!」
 ウィッチたちの間に見えない衝撃が駆け抜けた。
 欧州戦線の劣勢は新聞でも大きく報じられていた。ついに来るときが来たのである。
「我々台南航空隊はこの遣欧軍の主力として北欧はリバウに進出し、カールスラントの主戦線を側面より支援する!」
 戦雲は留まることなく扶桑皇国を呑み込もうとしていた。

「ついに来たな」
 轟々と鳴り響く寿四一型魔導エンジンの轟音と魔法陣の輝きを受けながら、笹松中尉は腕組みして東の空を見つめていた。
「欧州は魔女の本場だったな、坂本兵曹」
「カールスラントのウィッチはたいへん優秀だと聞いています」
「そうだ。かの第一次大戦の撃墜王“レッドバロン”リヒトホーフェンもカールスラントのウィッチだった。彼女の娘たちが住まう国、か……」
 笹松中尉は獰猛に笑った。
「面白そうだな」
「全くです」
 美緒もまったくその通りだと思っていた。まだ見ぬ欧州の戦友を思うと、笹松中尉ならずとも心躍る。
「いくぞ、坂本兵曹、竹井兵曹。遅れるな!」
 続々と舞い上がる台南航空隊のウィッチたちに続いて、晴れて分隊士となった笹松中尉率いる小隊も跳び上がった。
 翼を連ねる彼女らが目指すのは海上にある遣欧艦隊の空母部隊だった。
 台湾の山々を越え、野を越え、町を越え、海岸を越え、海を越えた先に彼女らはいた。
 海に浮かんだ小島のように巨大な航空母艦が四隻。完璧な輪陣形の中心でウィッチたちを待受けていた。
 笹松中尉はその中でも一際大きな空母に向って降下を開始した。
 甲板に大きく描かれた『ア』の文字。遣欧艦隊航空艦隊旗艦の赤城だった。
 笹松小隊は完璧なアプローチの後、三機次々と着艦して見せた。甲板上に張られたロープを巧く掴み制動をかける。
 すぐさま甲板員が駆け寄ってきて笹松中尉を抱き上げた。空母に着艦したウィッチはそうして駐機場まで運ばれるのだ。
 続いて美緒と醇子も同じように運ばれる。
 笹松中尉は、彼女を運ぶ甲板員の顔がだらしなく緩んでいることを気にも留めず、この扶桑皇国最大級の空母に興味津々だった。
「以前、利根に乗っていたときに赤城を見たことがあったが、やはりこの飛行甲板に降りる感覚は素晴らしいな!」
「ありがとうございます!」
 乗艦を褒められた甲板員は我が事のように喜んだ。
 駐機場は先に降り立ったウィッチたちが列を成していた。笹松小隊もその列に加わり、格納庫に降りる順番を待つ。
 手持ちぶさたになった笹松中尉はキョロキョロと辺りを見回していた。
「坂井兵曹」
「なんですか?」
「私は今ほど海軍に入って良かったと思ったことはない」
「は?」
「あれを見ろ」
 意味が分からなくて疑問顔だった美緒は、笹松中尉が指した方向を見て得心いった。
 そこには空母と共に護衛艦の輪陣形に守られる輸送船の姿があった。その甲板には、半裸になった陸軍のウィッチたちがへばっていたのだ。
 扶桑本土より遙かに南に位置する台湾沖は、有り体に言ってものすごく蒸し暑かった。
 それにも関わらず、あのような小さな輸送船に詰め込まれては、中は蒸し風呂状態だろう。
「それに、よく見ればあそこで伸びているのは扶桑海の隼ではないか」
 しかもその中には扶桑海事変の英雄である加藤武子少尉の姿もあった。扶桑海の隼の異名をとる歴戦の勇士も、暑さには勝てなかった。
 その姿はどうしようもなく哀愁を漂わせる。
「こうなっては、扶桑海事変の英雄も形無しか……」
「全くです」
 美緒も思わず同意してしまった。



 それから数日、艦隊は最初の寄港地であるシンガポールに立ち寄り、一路インド洋を抜けて大西洋を目指す。
 目的地、欧州へたどり着くのは、なんと一ヶ月も後というたいへんな船旅だ。
 それだけ過酷であり、乗員の健康には気が配られていた。特に、大事な戦力であるウィッチには格別の配慮が成されていた。
 だが、そんなウィッチならではの苦悶が、軍隊生活最大の楽しみの後に待ち構えている。
「よーし。皆に行き渡ったか?」
 笹井中尉が片手に小瓶を提げ、元気よく言った。
 夕食を終えたウィッチたちの手に乗せられた三つの白い錠剤。
 これを受け取ったウィッチは一様に顔を歪めて忌々しげにこの小さな錠剤を睨みつけた。
 それはマラリアの予防薬であるキニーネという薬だった。
 では何故ウィッチたちはそのありがたい薬を苦々しげに見つめるのか?
 何を隠そう、この錠剤はとても苦かった。
 下手なのみ方をすれば、余りの苦さに夜も眠れぬ思いをする恐ろしさだ。
 何者も恐れぬ古強者も苦手とする小さな小さな強敵だった。
 マラリアは恐ろしい熱病であり、それを予防するキニーネは貴重薬だ。艦の全員に配るほど大量にある物ではなかった。
 なのでウィッチに優先的に回されているのだが、華も恥じらう乙女には苦すぎた。
 よってこれを受け取ったウィッチは、みんな飲むフリをしてこっそり捨てていたのだ。
 しかし、それを見咎めた者がいた。
 他の誰であろう、それは笹松中尉その人だった。
 その日から、キニーネは決まって夕食後に笹松中尉から配られ、彼女の目の前で飲み干すように言い渡されてしまった。
 反対しようにも彼女の中尉という階級と、その背後に見え隠れする隊長陣の姿に断念せざるを得なかった。
「苦いからと言って捨てるんではないぞ! 私がこの目で見張っているからな!」
「ひどい!」
「おーぼーだ!」
 ウィッチたちが口々に文句を垂れた。
 古参ウィッチの手管を以てしても、この若いエース・ウィッチの目を盗むのは至難の業だった。
「わっはっはっはっ! 何だ、こんなものが苦くて飲みにくい? 私なんか噛んで飲んでいるぞ!」
「嘘だ!」
「そんなこと言うなら、今飲んでみてくださいよ!」
 誰かが調子に乗ってそんなことを言った。
 言った本人も本気にはしていなかっただろう。いくら何でも無茶苦茶だった。
 だが、それを聞いた笹松中尉は至極まじめな顔で手の小瓶を開けると、キニーネを口に放り込んでガリガリと噛み砕いてしまった。
 ウィッチたちは唖然とした顔で笹松中尉の顔を見た。
 あんなに噛み砕いてしまっては、口中にキニーネの味が広がってさながら苦み地獄のようになってしまう。
 多くのウィッチが笹松中尉の舌の性能を疑った。
 固まって動けないウィッチたちの前で、笹松中尉は水を呷ってついに薬を飲み干してしまった。
「どうだ!?」
 満足気に言い放つ笹松中尉を前にして、もはや誰も飲み渋るようなマネはできなかった。



「坂本兵曹、ちょっと」
 苦い薬を飲み終えたウィッチたちが何杯も水をお代わりする中、美緒は食堂の出入り口の所から半身を乗り出した笹松中尉に手招きされた。
 美緒は口の中に残る苦みに辟易しながら笹松中尉に近づいた。
「何か?」
「もうちょっとこっちへ来い」
 笹松中尉が美緒の腕を引っ張って通路の物陰に引き込んだ。
 そこはパイプとパイプの狭い隙間で、今までになく二人の身体は密着した。
(な、ななな……!)
 突然の事態に美緒は緊張した。鼻をくすぐるえも言われぬ芳香が緊張に拍車を掛ける。
 間近に迫った笹松中尉の黒い瞳が美緒を見上げていた。
 完全な不意打ちだった。その濡れた瞳に、美緒の胸が大きく跳ねた。
(な、なな、わ、わた、私はノーマル……!)
 美緒の頬にひんやりとした笹松中尉の手が添えられた。
「どうした? 顔が赤いぞ。熱があるのか?」
「い、いえ」
 確かに朝から熱っぽかった気がするが、これは全く違う。
 美緒がカクカクと首を振ると、笹松中尉は妖艶に微笑んだ。
「ならば良い」
 笹松中尉の手が頬から滑り落ち、顎を細い指で挟んで引き寄せられた。
「坂本兵曹、貴様は背が高いな。屈んで目を閉じろ」
 混乱の極地にいる美緒は、言われるまま素直に屈んで目を閉じてしまった。こうすると、美緒の顔は笹松中尉の顔とちょうど同じ高さになった。
 目を閉じたので、自分の心音がいやによく聞こえた。普段より遙かに大きく、遙かに早かった。
 顔が火を噴きそうなほど熱い。
「ふむ、ちょうどいい。動くなよ、坂本兵曹」
 そう言いながら接近してくる笹松中尉の気配。僅かに顔に掛かる吐息。それが甘く感じるとは一体どういうわけか。
 身体が熱く、浮遊感でくらくらする。
(も、もうダメだ……!)
 何がダメなのか美緒にも分からなかった。

 その時、美緒の唇に柔らかなものが押しつけられた。
 そして前歯の隙間を割って口の中に広がる甘い味。

「……!!」
 もはや声にもならない叫び。それは果たして悲鳴か歓声か。
 一つ確かなのは、美緒の中で何かが拓けたことだった。



「おかしい」
 ペラペラと本を捲る音がした。
「本によればここで真っ赤になって怒り出すはずなのだが……」
(ん?)
 美緒は疑問を感じた。
 笹松中尉が喋っている。つまり口が自由である。ならば今押しつけられている柔らかな感触は何だ?
 美緒は恐る恐る目を開けた。
 そこには、何やら本に目を落とす笹松中尉がいた。
「お、ようやく帰ってきたか」
 美緒が目を開けたのに気がついて、笹松中尉はしたり顔で意地の悪い笑みを浮かべる。
 二人の顔は数㎝も離れていなかったが、美緒の動悸は治っていた。
 なぜなら、二人の顔の間には割り込むように笹松中尉の二本指があったからだ。それが、美緒の唇に押しつけられていた。これが正体だった。
 口の中に広がる甘い味の正体も分かった。
 異物を噛み砕く。先のキニーネとは正反対の、柔らかな甘みで口がいっぱいになった。
「金平糖……」
 目を落とす。
「何を読んでおられるんですか?」
「『女性のためのウィッチ撃墜法 ~搦手編~』。他にも攻勢編、守勢編とある」
「ちなみに誰からお借りに?」
「竹井兵曹だが、なにか?」
 美緒の中で、全てがストンと落ち着いた。
 それから沸々と何か熱いものが湧き上がってくる。
 そらがやがて限界を超え、
「じゅううぅんこぉぉぉ……!」
 吼えた。
「ま、待て! 坂本兵曹、こんな狭いところで暴れるな! ひゃッ、変なところに……んッ……あたって……あッ!」
 怒りに狂った美緒は悶える笹松中尉に気付かない。
 しかも怒りの対象が、何故か目の前の少女ではなくこの場にいない親友に向いていることにも気付かない。
「と、止まれぇ坂本兵曹!」
 笹松中尉の悲鳴が虚しく響いた。



「ひ、ひどい目にあった」
「それはこっちの台詞です!」
 息も絶え絶え乱れた服を掻き抱いて、目を潤ませ頬を上気させる笹松中尉は艶めかしかったが、平常心に戻った美緒はピシャリと言い返した。
 笹松中尉はつまらなそうに美緒を見る。
「さっきはあんなに可愛かったのに……」
「笹松分隊士!!」
「冗談だ」
「まったく……」
 美緒は溜息をついた。
「それで、ご用件は何ですか? 何もないなら食堂に戻りますよ」
「おぉ、そうだった」
 ようやく本来の用件を思い出したのか、笹松中尉はゴソゴソと上着のポケットを漁りだした。
「これをやる」
 取り出されたのは、紙袋に入れられた金平糖だった。美緒の口に突っ込まれたものと同じものだ。
「実は国の母から大量に送りつけられてきてな、私ひとりでは食い切れんのだ。貴様にやるから皆に分けてやれ。だがくれぐれも私からの物だと言うなよ。士官からもらったとあってはせっかくの金平糖が不味くなるからな」
 人の目を気にするように周囲を見ながら笹松中尉は紙袋を美緒の胸に押しつけた。隊の皆に食わせるのに十分な量だ。
 美緒はそれが笹松中尉なりの気遣いであることがすぐに分かった。本国からの郵便はもう一ヶ月ほど届いていなかったからだ。
 これは口直しのために皆に配ってやれという気遣いなのだ。
「分かりました」
 そうと分かれば美緒は直ぐさま食堂にとって返した。
 食堂にはまだ苦みに顔をしかめるウィッチたちが屯していた。
「皆聞け!」
 美緒の大音声に、なんだなんだとウィッチたちが顔を上げた。
「笹松分隊士より金平糖を頂いたぞ! 皆で食べるようにとのことだ!!」
「坂本兵曹ぉぉ!!」
 一瞬にして笹松中尉が飛んできた。
 笹松中尉は美緒の襟首を掴むとガクガクと前後に振った。
「貴様ぁ、くれぐれ私の名は出・す・なと言っただろ! 貴様の耳は節穴か! 詰まっているのか!」
「いえ、もちろん先ほどの悪戯の仕返しです」
「坂本兵曹ぉぉぉ!!」
 美緒は高笑いした。
 先ほどはしてやられたが、まんまと借りを返せたのだ。
『笹松中尉!』
 綺麗に揃ったウィッチたちの声がした。ふたりは動きを止めてそちらを見た。
 立ち上がったウィッチたちが、目をキラリと光らせ一斉に一礼した。
『ご馳走になります!』
「う……むむ……」
 言葉に詰まる笹松中尉。
「の、残すなよぉぉぉ――――!!!!」
 捨て台詞にもならない言葉を残し、顔を真っ赤にして食堂を飛び出していってしまった。
 食堂の中は、その寸劇を見ていたウィッチ以外の乗務員も含め温かな笑い声に包まれたのであった。



 誰もいなくなった食堂で、美緒は自分の分の金平糖をチビチビ食べていた。
 思うのはこの金平糖の主、笹松一子中尉のことだ。
 陸軍ほどではないとは言え、下士官・兵と士官が別の人種かと思うほど格差がある海軍にあって、笹松中尉のように兵たちへの気遣いのできる士官は驚くほど少なかった。
 まずもって、普通の士官はこのような下級兵士用の食堂に足を運ぶことなど無い。もし運んだとしても、兵たちは息の詰まるような思いをするだけで心休まらない。
 だが、笹松中尉はどうだ。
 兵たちに好かれ、士官たちからも一目置かれている。
 笹松中尉は空戦技能に優れているだけではなく、まことに素晴らしい将器すら兼ね備えていたのだ。
 いよいよもって、笹松中尉はいつしか皇国ウィッチたちの頂点に立つような逸材かもしれない。
「だが……まだ幼い」
 そう、まだまだ笹松中尉の翼は幼い。
 空に冠たる大鷲も幼い頃は脆弱な雛なのだ。大事に大事に育てなくてはいけない。この輝ける少女を失わせてはいけない。
「私も頑張らねばな」
 最後の金平糖を口に放り込み、美緒は席を立とうとした。

 視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 いきなり世界が滲み、平衡感覚が失われた。
「なッ……」
 体中から冷や汗が吹き出し、悪寒が身体を襲う。朝からどこか本調子ではなかったが、今はその比ではない。
 美緒は堪らずテーブルに手を突こうとして失敗し、盛大な音を立てながら座席を押しのけ地面に倒れた。
「坂本兵曹? 坂本兵曹!?」
 薄れいく美緒の意識の中で、誰かが駆け寄ってきた。
「どうした坂本兵曹! 答えろ坂本兵曹! 坂本ぉ!!」
 美緒の意識はそこで途切れた。





[16353] 第四話 君は願う
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/28 16:42
「原因不明! 分からないと言うのか!?」
 赤城の医務室で、一子は軍医より坂本の診断を聞いていた。
「ここの設備には限りがあります。陸の病院なら分かるかもしれませんが……」
「どうにかならんのか? ほら、こんなに熱を出して苦しんでいるではないか!?」
 一子は軍医に詰め寄るが、彼はゆるゆると首を振るだけだ。
 一子は悄然と丸椅子に座った。
「とにかく絶対安静です。静かに寝かせて、彼女の生命力を信じるんです」
「坂本……」
 滝のような汗を流しながら横たわる坂本を、一子は悲しそうな目で見つめた。

『第四話』

―― 君は願う ――

 その日から一子の看病生活が始まった。
 一子は自分の自由になる時間の全てを坂本の看病に費やした。
 その熱意たるや凄まじいもので、軍医や斉藤大佐を説き伏せて医務室での寝起きを認めさせるほどだった。
「坂本兵曹、しっかりしろよ」
「坂本兵曹、何か欲しい物はあるか?」
「坂本兵曹、喉は渇いていないか?」
 一子は高熱で朦朧とする坂本に声をかけ続け、献身的に看護を続けた。
 濡れ手拭が温くなれば新しいのに代える。掠れた声で水を求められれば抱き起こして飲ませてやる。
 寝汗がひどければ拭い取ってやり寝間着を着替えさせた。寝たきりの人間を着替えさせるのはそれはたいへんな重労働だったが、ウィッチの魔法力をも使ってやり遂げた。
 それどころか、果ては下の世話までしたのだから、同僚の士官たちにはひどく不思議がられた。
 彼女らにはどうして一子が下士官のひとりにそうも入れ込むのか理解できなかったのだ。
 それでも一子は看護を止めなかった。
 彼女の脳裏には、幼い頃病弱だった彼女を献身的に看護してくれた母と女中の姿がちらついていた。
 病弱のあまり生死の境すら彷徨ったことのある一子がここまで立派に育ったのは、他ならない彼女たちの愛があればこそだった。
 一子はその恩に報いようとするように坂本の看護に打ちこんだ。
「坂本兵曹、早く良くなれよ」
 一子はすっかりやつれてしまった坂本の目を見ながら言った。
 一方の一子も連日連夜の看病で目の下に黒々と濃い隈ができ、下手をすれば彼女も病人に間違えられそうなほどだ。
 だが目だけは爛々と強い力を込めて坂本を見つめていた。
「貴様、いつか言ったな。私には貴様らのリーダーになるために、もっと沢山覚えなければならない事があると。そして技術の世界には終わりがないと」
 一子は噛みしめるように言った。
「貴様は諦めるのか? 更なる高みを。今より強い自分を。私は諦めないぞ。ウィッチに生まれたからには世界最強を目指してやる。かのリヒトホーフェンすら越える最強のウィッチになってやる」
 それは一子の胸にずっと納められていた言葉だった。
「だが私はまだ未熟だ。私を導く師匠がいる。そう、貴様だ。貴様が私を世界最強に導く師匠だ。だから、貴様が死ぬことは許さん。いいか、絶対に元気になって私を鍛えろ」
 一言一言に全力を込めた。いつか坂本が一子にしたように。
 一子の熱意を受け取った坂本も全力で応えた。それは弱々しく小さな首肯だったが、一子には全て分かっていた。

 しかし、一子の身を削る看護にもかかわらず、坂本の容態は一向に好転しなかった。

「今晩が山でしょうな」
 坂本の高熱も四日目になった夜、軍医が言った。すでに赤城の医務室で行えるあらゆる手段が講じられていた。もはや軍医は無力だった。
「頼りになるのは坂本一飛曹の生命力だけです」
「あい分かった」
 一子は坂本の眠るベットの傍らで彼女の手を握っていた。
「軍医、頼みがある。今夜はふたりにしてくれ」
「分かりました。私は隣の部屋にいます。もしもの時は呼んで下さい」
「感謝する」
 軍医が出て行き、医務室は一子と坂本のふたりになった。
 一子は握った坂本の手を額に当てた。
「坂本、死ぬな……!」
 あぁ神様仏様。誰でも良い。この素晴らしいウィッチを死なさないでくれ。この偉大なウィッチを私から取り上げないでくれ。
 一子は生まれて初めて本気で神に祈った。ただひたすら、一念に願い続けた。
 壁着け時計の秒針がけたたましく無情に時を刻む。赤城の巨大な船体が、わずかに歪んで獣のような唸りを上げる。
「寒い……」
 坂本が掠れた声で言った。
 見てみれば彼女の肌には玉のように大きな汗が幾つも浮かび、身体が小刻みに震え続けていた。
「坂本」
 悪寒に震えていた。
 一子は必死に自分にできることを探した。
 その聡明な頭脳を使って、膨大な記憶を紐解いていく。
 程なくして答えは見つかった。
「坂本……」
 彼女の名を呼ぶ一子の声には今までに決意が込められていた。
 一子はやおら立ち上がると、一息に服に手を掛けた。一種軍装の白い詰襟が地面に落とされ、続いて身体に密着したアンダー・ウェアが剥けるように落ちる。
 生まれたままの姿になった一子は坂本の布団に身を潜らせ、彼女の纏う寝間着の中へ手足を進めた。
 母親以外で初めて触れる人肌に、滴るような冷たい寝汗に、一子は臆することなく身体を寄り添わせ四肢を絡める。
 そしてふたりの素肌が密着し、互いの体温が徐々に、徐々に溶け合っていった。
 一子は坂本の頭を胸元に抱き寄せ耳元に囁きかけた。
「死ぬな……坂本」
 その響きは慈愛に似ていた。

 * * *

 美緒は長いこと微睡んでいた。
 どこか温かく、白くふわふわとした世界で。浮遊感とも全能感ともつかぬ安心感の中で。
 誰かが必死に自分の名前を呼んでいた。
 その誰かは美緒の大切な人だった。
「死ぬな……坂本」
 囁きかけような小さな声は、しかし万の言葉より大きな力を美緒のココロに与えた。
 私は……死ねない。
 死んではならない。
 萎えていた精神が盛り返し、身体の力が戻ったように感じた。
 腕の中にある温もりが美緒に力を与えていた。
 私は死なない。
 美緒は再び深い眠りに落ちた。



 目覚めは緩やかだった。
 小さな衣擦れの音に薄く眼を開けてみれば、差し込む清々しい朝日の中に、雪のように白い背中が見えた。細くしなやかな、小さな背中だった。
 それからわずかに掛かっていた布が落ち去り、脇腹から臀部へのなだらかな曲線が露わになる。少女の青さを残す、未熟で危うげな稜線だ。
 さらに、それらを彩る子鹿のように伸びやかで躍動感溢れる太股。肉付きの薄い手足。細い首の上に頂かれた、妖しさを醸す白いうなじ。
 動かない頭で、美緒はただ、その光景を目に焼き付けた。
“それ”を“それ”と認識しながらも意識しない。そんな微妙なバランスの上で見つめ続けた。
 足下から薄いアンダー・ウェアが引き上げられ、シルエットだけ残して身体を包み込む。続く白の軍装は、か弱い少女を精強な皇国の軍人に変えた。
 彼女が常に手に持つ軍刀が凛とした音と共に刀身を覗かせ、朝日の中で冴え冴えとした光を放つ。その光は美緒の微妙な均衡を崩すに十分だった。
 刀を収めた彼女は、呆然とする美緒に微笑むと耳元に口を寄せた。
「あなたはもう大丈夫」
 それは今までに彼女から聞いたことがない、穏やかで慈愛に満ちた声音だった。
 それから、彼女ははだけられた美緒の寝間着を整え、滑らかで静かな歩みで隣の部屋へと消えていった。
 次ぎに軍医を引き連れて現れたとき、彼女はいつもの彼女に戻っていた。
「どうだ、坂本兵曹?」
「おかげさまで、気分は上々です」
「それは重畳」
 笹松一子中尉は軍医に目配せし、軍医が簡単な診断をした。
 結果、四日に渡る発熱で著しく体力を消耗しているものの、もはや命の危険はないということだった。ただし療養のために明日まで医務室で待機の命令がでた。
 それから二、三付け加えて、軍医は隣部屋へ戻っていった。
 美緒は一子を見上げた。彼女は美緒を見ておかしそうに笑う。
「どうした、坂本兵曹? 狐に化かされたような顔をして」
「いえ……」
 美緒は首を振る。
 聞きたいことはあった。
 だが、昨日のことは聞いてはいけない。そんな気がした。
 この夜の思い出は、そっと胸に仕舞っておくべきだ、と。
「そうか」
 一子は深く追求しなかった。
「では、坂本兵曹。明日までに体調を整えておけ。訓練だ。この四日間で鈍った身体を本調子まで回復させるぞ!」
「了解しました」
「うむ」
 一子は満足気に頷き、完爾と笑った。



「はぁぁぁぁ――――!!」
「ふんぬぅぅ――――!!」
 乙女にあるまじき声を上げながら、美緒と一子は赤城の飛行甲板を疾走していた。
 猛スピードで走る二人の少女に、甲板員たちの目は釘付けになる。彼らの目には、赤道の強烈な太陽以上に彼女らの健康的な太股が眩しかった。
 しかし、当の本人たちはそのことをまるで意に介さず、惜しげもなく太股を晒しながら飛行甲板を駆け抜けた。
 ゴールは間近。両者横並び。
 いや、
「だっしゃぁぁ――――!!」
 頭一つ分先行して、一子がゴールに飛び込んだ。
 無理な前傾姿勢をしていたために一子はバランスを崩し、軽い体も相まって面白いように甲板を転がった。
 それを追いかけるように、同じような態勢だった美緒もすっころびゴロゴロと前転していた。
「ぷはぁぁ――――!!」
 5mほども転がって、仰向けに止まった一子は清々しく息を吐いた。
 これだけ盛大に転倒してもかすり傷一つ無いのは、彼女がウィッチであるからに他ならない。
 一子は寝ころんだまま、同じく仰向けの姿勢で大きく肩で息をする美緒を見た。
「わはははは! どうだ見たか、坂本兵曹!!」
 年下の少女に勝ち誇られて、美緒は憮然とした顔になった。
「今回はわざと勝ちを譲って差し上げたのです。私が本気を出せば、あなたなど一ひねりです」
「わっはははは! この私にいつまでもそのような嘘が通用すると思うなよ! ゴール間際、私が一歩飛び出したときの貴様の悔しそうな顔! あれは傑作だった!!」
「く……」
 悔しげに呻く美緒。一子はなお大きく笑った。
「まったく。ふたりとも怪我はありませんか? あんなに転んで」
 荒い息を整えていると、美緒の顔を天地逆さまに覗き込む顔があった。
 親友の竹井醇子一飛曹だった。
「ほんと、このところ仲がよろしいですね、ふたりとも」
『いいや、向こうが突っかかってくるのだ!』
 異口同音に答え、美緒と一子は顔を見合わせた。
 その様子を見て醇子は笑う。笑われたふたりは不機嫌な顔になった。
 だが、それもすぐに元に戻る。
「さて、坂本兵曹。次は何で私に挑んでくる?」
 足を振った反動で飛び起きた一子が美緒を見下ろした。
 見下されるのが癪で、美緒も跳ね起きた。
「次は武術がよろしいと思います」
「うむ、いいな。何をする? 薙刀、棒、空手、柔道、相撲なんでもよいぞ」
 一子は自信満々に言う。
 それもそのはず。この若き中尉は幼少の病弱の反動からあらゆる武道に手を出して、その悉くで段位を取得した猛者なのだ。
 実家の自室には親の目を盗んで出場した武道大会の賞状が山と積まれている。
 一方の美緒は、喧嘩に自信はあれどまともな武道の経験はない。
「そうだ、坂本兵曹。貴様は刀を使わんのか? 皇国軍人たるもの、刀の一つでも振れなければ格好がつかんぞ」
 思い出したように一子が言った。
 確かに美緒は機銃による空戦技能は一子に伝授したが、皇国軍人の代名詞である扶桑刀の戦闘技能は一度も触れなかった。それどころか、美緒が刀を持っているところを一子は見たことがなかった。
「お恥ずかしながら、実は私はなかなか機会が無くて刀を振ったことがないのです」
「ふむ、それはいかんな」
 一子は顎に手を当てた。
「よし。欧州にはまだ二週間ほどある。その間、私が貴様の剣を見てやろう」
「は……?」
「うむ。我ながら良い考えだ。貴様に普段の“お返し”もできるし、貴様も皇国軍人として面目も立つ。うむうむ……」
 何やら“お返し”に言外の意味が込められているような気がしたが、満足げに頷く乗り気な一子の申し出を断れる美緒ではなかった。
 一子はすぐさま醇子に命じて竹刀(なぜか艦の備品)を取ってこさせ、一本を美緒に渡した。
「よし、まずは思うように振ってみろ」
「は……?」
「は、ではない。ほれ、早くしろ」
 まずは基本的な型を教えるとかもっとやることがあるだろう、と美緒は思ったが、口には出さずに竹刀を上段に構えた。
 いつか何かの機会に見た構えを、朧気な記憶の中から拾い上げる。
 それを見ていた一子の目つきが変った。
「はッ!」
 気合いと共に踏み込み、竹刀を振り下ろす。体中の力が無理なく竹刀に集中し、美緒自身が驚くほど鋭く切っ先が奔った。
 空気が引き裂かれ悲鳴を上げる。竹刀が軋む。
「まさかと思ったが……」
 振り抜いたままの姿勢で、美緒は一子を見た。
 そこには確信に満ちた笑みを浮かべる彼女がいた。

「貴様は刀を振うために生まれてきたようだな……」

 皇国遣欧艦隊が欧州に到達する16日前のことだった。

 * * *

「なんてこと……」
 カールスラント帝国のウィッチ、ヴァルブルガ・ツァンバッハ中尉は迫り来る敵の多さに戦慄した。
 空には中爆型飛行兵器ケファラスが列を成し、その周りを護衛のラロスが囲っている。その数は数百に届こうかという大編隊だ。
 対する人類連合軍の航空ウィッチは、10人にも満たない中隊が1つきり。とてもではないがネウロイの爆撃を阻止し、背後にあるリバウの街を守ることなどできない。
 しかも奴ら(ネウロイ)には、ケファラスよりも恐ろしいものがいた。
 小山が動く。コンクリートの大きな建物に、蟹のような赤錆の浮いた脚。真っ赤な火線を幾つも吹き上げ、味方ウィッチの接近を許さない。
 移動要塞型巨大兵器、ジグラット。
 ヤツが現れる意味はただ一つ。

「ネウロイめ、リバウを占領するつもりなの!」

 地上軍の侵攻による、市街地の完全制圧に他ならない。
 未だ市街地には逃げ遅れた人間が軍民問わず大量に残されていた。もし彼らがネウロイが発する瘴気に晒されればたちまち死んでしまうだろう。
 何としてもジグラットを撃破しなければならなかった。
 ヴァルブルガは加速するとジグラットの脇を擦るほど間近に飛んだ。ついでに舐めるように満遍なくMG34の鉛弾をお見舞いする。
 自分を追ってくる火線を必死に躱して離脱しながら、ヴァルブルガは背後を振り返った。
「やっぱり。この程度じゃまるで効かない……!!」
 何事もなかったかのように進撃を続けるジグラット。
 ウィッチたちの持っている7.92㎜機関銃では、ヤツの分厚い装甲を抜いて有効打を与えることはできない。
 撃破するには、もっと大口径の砲で攻撃するか、人型兵器が犇めく内部に侵入し直接コアを破壊するしかなかった。
 時間は残り少ない。
 ならば採れる道は一つだ。
「ハンナ、ついてきて」
「了解……!」
 二機編隊(ロッテ)のハンナ・デュッケ少尉は青ざめた顔で了解した。ジグラットの中に突入する。その意味の分からない彼女ではない。
「中隊各機はケファラスの侵入を何としても阻止しなさい」
『了解!』
 ヴァルブルガは自分の声が震えていない自信がなかった。
 彼女も帝国に忠誠を誓ったウィッチであったが、同時にわずか16歳の少女でもあるのだ。これから向う死地が恐ろしくないはずがなかった。
 それでも逝かねばならない。
「ハンナ!」
「はい……!」
 自分より幼いウィッチに呼びかけ、ヴァルブルガはジグラットに向って急降下を開始しようとした。

 その時だ。
 天の声はいつも唐突に聞こえてくる。


『あいや待たれよ!』


 同時。
 今まで体験したこと無い破壊の嵐が吹き荒れた。凄まじい轟音が響き渡り、巨大な土柱が巻き上がる。衝撃波がヴァルブルガの身体を容赦なく襲った。
「ジグラットが……!!」
 ハンナ少尉が叫ぶ。
 ヴァルブルガは我が目を疑った。あれだけ堅牢を誇ったジグラットが、跡形もなく吹き飛ばされてしまっていた。残されたのは、クレーターのように巨大な穴だけだ。
 ヴァルブルガは破壊の正体を一瞬で看破した。
「まさか砲撃!? ……でも、これは野砲じゃない。200㎜……いえ、もっと大きい。もしかして……そんな……」
 ヴァルブルガは振り返った。冷たい鉛色の海へと。
「……これは戦艦クラスよ!!」



「凄まじい物だな、戦艦の砲撃というのは」
「金剛は旧式です。新鋭艦はこの比じゃありませんよ」
 広い飛行甲板の中、エレベーターが徐々に迫り上がっていた。
 警告ブザーの音も、軋みを上げる昇降機の振動も、何もかもが心地よい。この一ヶ月、夢想した大地が目の前にある。
「ふむ。しかし戦艦にはもう休んでもらおう。次は我々の出番だ」
 純白のマフラーが翻る。
 傲岸不遜に腕組みして不敵に笑う。
「あぁ、待ちこがれた北欧の大地よ」
 エレベーターが止まったとき、溢れるような光が飛行甲板を満たした。
「巫女が来たのだ。そう、東洋の魔女が……鬼を屠り続けた女の末裔が……」
 その数、実に36。

「恐れよネウロイ。扶桑刀の切れ味は欧米のなまくらとはひと味違うぞ!」

 笹松一子中尉は獰猛な笑みを浮かべた。






 いきなりのガチレズ展開にドン引きする読者を幻視しながらも自重しない作者。
 どうか見捨てないで下さい。



[16353] 第五話 台南空の斗い
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/19 07:35
 時は1939年。
 謎の怪異ネウロイの侵攻により、人類は再び窮地に立たされていた。
 史上空前の犠牲を払って終結した第一次ネウロイ大戦から、わずかに二十年後の出来事だった。
 先の大戦終結からネウロイを監視し続けていた国際ネウロイ監視航空団は勇戦虚しくネウロイの圧倒的な物量に押し潰され、最前線の国家オストマルクはネウロイに蹂躙された。
 オストマルクと国境を接するカールスラント帝国は直ちに防衛戦を開始し、同時に各国からの援軍を広く受け入れネウロイに抗しようとした。
 これを受けて扶桑皇国も欧州派兵を決定し、陸海軍虎の子の機械化航空歩兵部隊を含めた強力な遣欧軍を組織した。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉は遣欧軍の一員として、後にウィッチの墓場と呼ばれることになるラトビア防衛戦に、今まさに参戦せんとしていた。

『第五話』

―― 台南空の斗い ――

『制空隊急速発進せよ!』
 命令一下、制空隊の最前列にいた隊長のウィッチが弾かれたように発進した。それに続き彼女の列機が、小隊が、中隊が次々と発艦していく。
 彼女らはこの赤城本来の航空歩兵隊であり、その手際は鮮やかの一言だ。
 美緒の視線の先で、彼女の中隊長が右手を挙げた。赤城航空隊に続いて台南航空隊に発艦の順番が回ってきたのだ。
 美緒は飛行脚に魔力を流し込みながら前に立つ一子の背中を見た。威風堂々と腕組み立つ姿は、恐怖とも緊張とも無縁だ。
 美緒はふと思った。
 彼女の背中はこれほど大きかっただろうか。これほど頼もしかっただろうか。
 一子の列機となるのは、実に久しぶりのことだった。台湾にいた頃は別々の小隊として出撃することが多かったので、一子の後ろを飛ぶ機会はなかなか無かった。
 その間に、一子は初戦果をあげ、エースになり、病魔から美緒の命を救い、剣の手解きを与えた。
 美緒は腰に下げた軍刀に触れた。
 この軍刀も一子が隊長に直接掛け合って確保した上物だ。さらに彼女は本国から美緒のために刀を取り寄せてくれるという。
 ひとつひとつ、彼女の存在が美緒の中で大きくなっていく。
(あぁ、そうか……)
 美緒は理解した。
 この頼もしさは、信頼なのだ。一子はもはやヒヨッコの新任中尉ではなく、美緒と真に対等なウィッチになったのだ。この信頼感はその証だった。
 一子がチラリと振り返った。目と目が絡む刹那、美緒は一子の瞳に自分と同じ信頼の色を見た。
「行くぞ!」
 一子はマフラーを引き上げ、俄に発進する。
 だが美緒は当然のようにそれに続いた。
『赤城一番から制空隊各機へ』
 耳に填めたインカムから無線が流れる。
『艦隊上空にて中隊ごとに集合した後、戦闘空域に突入せよ。我々の任務は一に敵の爆撃阻止である。ラロスには目もくれるな。扶桑の巫女の恐ろしさ、ネウロイにしっかり教育してやれ!』
『応ッ!』
 36の巫女がネウロイに殺到した。

 美緒の中隊は大きな円を描く軌道で爆撃隊の上空を占位した。ネウロイは基本的に愚かであり、優位な位置に着くことはさほど難しくはない。
 中隊長が手を振った。
「中隊突撃!」
 それに合わせて一子が急降下した。美緒と三番機の醇子もそれに続く。
 視界の中で急速に大きさを増すケファラス。急降下するこちらに気がついたのか、ようやく反撃の火線が伸び始めた。
「遅い!」
 九七式7.7㎜機関銃を構える。
 美緒たち笹松小隊はまるで一つの意思に制御されているかの如く同時に引き金を引いた。
 タタタタ……と軽い音と共に、三条の火線がケファラスの編隊に吸い込まれた。閃光のように火花が散り、やがて火を噴く。
 美緒たちは勢いのまま敵編隊の下に抜けた。
 首をひねって敵編隊を確認すれば、中隊の攻撃によって何機ものケファラスが火を噴きながら編隊から落伍していた。
 美緒たちは急降下の速度で高度を買い戻し、水蒸気の尾を引いて反転。再び突撃する。
 ケファラスはウィッチに比べれば遙かに鈍重で、墜すのはさほど難しいことではなかった。
 ラロスも追いすがってくるが、優速の九六艦戦にはとても追いつけない。
「む!」
 一子が何かを見つけて急降下した。美緒と醇子も急降下する。
 その先では、二機のBf109がラロスの編隊に後ろを取られていた。本来なら九六艦戦すら凌ぐ高速のBf109だが、今は高度と速度を失い追い詰められていた。
 Bf109に夢中になっているラロスの背後から、笹松小隊が食らいつく。
 たちまちラロスは火だるまになり、地面に叩きつけられて四散した。
「大丈夫か?」
「危ないところでしたが、大丈夫です」
 問いかけると、Bf109のウィッチが言った。
 一子は鷹揚に頷いた。
「ここは我等に任されよ。貴官らの奮闘はしかと見届けた」
「ありがとう。そろそろ弾薬も魔法力も心許なくなっていたの」
 傑作機と名高いBf109であるが、航続距離が短いのが玉に瑕だった。
 設計思想の違いもあるが、その航続距離は扶桑で足の短いと言われる九六艦戦の、さらに半分ほどでしかない。
 Bf109のウィッチは目礼すると、僚機を連れて戦場を離脱していった。
「よし、次ぎに行くぞ!」
 それを最後まで見届けることなく、笹松小隊は戦闘に復帰した。

 幾度と無く突撃と離脱を繰り返している内に中隊はバラバラになり、戦場は小隊あるいは単機ごとの乱戦へと様変わりした。
 相手をしていたケファラスの編隊を撃滅した笹松小隊は、いったん高度を取るべく戦闘空域の上空に移動していた。
「流石は主戦線の欧州。ネウロイの戦力が凄まじいな」
 円を描いて旋回を続ける彼我の軌跡を見ながら一子が呟いた。それに美緒と醇子も首肯する。
 確かに、これほどの勢力を持った敵と戦ったのは初めてだった。既に敵は二波三波と次々に戦力を送り込んできており、その物量には怖気すら覚える。
 しかし、技量・機材共に皇国の最精鋭たる遣欧航空隊を相手取るには、まだまだ足りない。
 未だ味方に損害はなく、ラロスに背後を取られても悠々とひねりこんで叩き落とす余裕があった。
「む……」
 その時、美緒の目が何かを捉えた。美緒は右目の眼帯を上げて魔眼を露わにする。
 美緒の最大の武器である遠見の魔眼は、戦域に突入しつつあるケファラスの三機編隊を映し出した。
 高度は美緒たちよりいくぶん下。どういう訳か護衛のラロスも着けずに孤立していて、絶好の獲物だ。
「笹松中尉、ケファラス型三機が戦域に突入します」
「む」
 美緒に場所を教えられて一子も敵機を発見した。
 普通なら第一発見者が隊を率いて戦闘を優位に進めるようにするのだが、今日の美緒は少しばかりの茶目っ気を出した。
「中尉、あの敵機は全て差し上げます」
 一子は驚いた顔で美緒を見たが、すぐに美緒の意図を察してニカッと笑った。
「じゃあ、頂くとするかの」
 答えるや否や一子は身を翻して降下していった。少し遅れて美緒と醇子も続く。
 降下する一子はぐんぐん速度を上げながら、敵の背後から近づいた。ケファラスは一子に気がついていない。
 絶好のタイミングで一子の機銃が火を噴いた。豆粒のような光弾が最後尾のケファラスに吸い込まれ、たちまちの内に燃え上がり空中分解した。
 一子は破片を避けるようにまた上昇し、再び優位な姿勢からケファラスに突撃した。
 この期に及んでも、ケファラスはまだ一子に気がついていなかった。えてして、編隊の最後尾は死角になりがちなのだ。
 一子は冷静に狙いを定めて機銃弾を叩き込んだ。
 一子の機銃弾はケファラスの鼻先を強烈に打ち据えてへし折った。
 鼻先を失ったケファラスは突如として猛烈な空気抵抗に晒され、つんのめるように横転したと思うと、空気の壁にぶつかり一瞬で砕け散ってしまった。
 残るは一番機だけだ。
 みたび一子は右からひねり込んで照準器に敵を捉えようとした。
 しかし、あと少しのところでケファラスが一子に気付いた。
 ケファラスは出力を上げたエンジンに身を震わせながら逃亡しようとする。
 美緒は息を詰めて一子とケファラスの空戦を見守った。もし逃げられそうになったら、逃げ道を塞いで撃墜できるように身構えた。
 だが、一子はどこまでも冷静だった。絶好と思われたタイミングをわざと一拍はずして、ケファラスの挙動をつぶさに観察していたのだ。
 ケファラスがわずかに機体を振った。それは右旋回の兆し。
 一子の身体が爆発したように前進した。ケファラスの出鼻を挫くように先回りし、スラリと軍刀を抜きはなった。
 先回りに気付いても、もはやケファラスは止まれなかった。
「はぁッ!」
 北欧の空に銀弧が奔る。
 ケファラスの機体は二つに分かれ、思い出したかのように爆発した。
「お見事!」
 一部始終を見ていた美緒は、そこが戦場であることも忘れて拍手した。
 それは今までに見たことのないほど鮮やかな撃墜劇だった。わずか数秒の内に、たちまち三機を叩き落としてしまったのだ。
 一子は照れくさそうに笑っていた。
 その時、銃声と共に一子の後ろで小さな爆発が起こった。
 美緒はギョッと振り返った。そこには硝煙を燻らせる醇子の姿があった。
「気を抜きすぎです、ふたりとも。常に背後への警戒は怠ってはいけませんよ」
 呆れたように醇子は言った。
 そう、今の爆発は、気を緩めた一子に背後から近づいていたラロスを醇子が狙撃したものだったのだ。
 これには一子も美緒も恐縮して「すまんすまん」と空中で手を合わせた。

 それから間もなく、空の上から敵影が一掃された。
『全機集合せよ!』
 それから制空隊隊長から号令がかかり、36機のウィッチが集合した。
 美緒は編隊を組むウィッチたちを見回したが、大きな怪我をしている者はいなかった。皆いきなりの大規模戦闘、大戦果に興奮冷めやらぬ様子だ。
 誰も欠けることなく、負傷することもなく、遣欧軍航空隊の初戦はウィッチの完全勝利だった。
 敵地上軍も、田淵美津中佐率いる赤城攻撃隊のウィッチによって撃退されていた。
『これより帰還する』
 リバウの街は、上空にいても分かるほど歓声に満ちあふれていた。人々が通りという通りに溢れだして、上空を行くウィッチたちに手を振っていた。
 歓声を受けるウィッチたちは誇らしげに胸を張って綺麗な編隊を組んだ。完璧な雁形を描く編隊は、地上からはさぞ強そうに見えるだろう。
「おい、坂本兵曹、竹井兵曹」
 すると、小声で一子が話しかけてきた。
「私に良い考えがある。ちょっと耳を貸せ」
 そう言って、一子は“良い案”の内容を美緒たちに伝えた。
 全てを話し終えたあとに、一子はニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「どうだ、名案だろう?」
「面白そうですね」
「私も賛成です」
 美緒と醇子も口々に賛成して、同じような笑みを浮かべる。
「ではいくぞ!」
 一子の掛声で、笹松小隊はそっと編隊を離れた。
『おい! 編隊を崩すな!!』
 すぐに隊長に見咎められたが、一子たちは無視して高度を下げた。
 やがて街一番の目抜き通りの上空に差し掛かり、美緒たちはガッチリと編隊を組んだ。お互いの間隔は2mもない、手を伸ばせば届きそうな編隊だ。
 十分に速度が乗ったところで、三機は一機に上昇に転じた。そしてそのまま縦旋回を続け、ついには一周する。
 まるで糸で繋がれたように、寸分の狂い無く編隊を組んだままの見事な宙返り。それをを三回。
 水平飛行に戻ったとき、目抜き通りは割れんばかりの歓声と拍手に包まれた。
「もう一回!」
 それで気分を良くしたのか、醇子が一子に言った。一子も満更ではなくすぐに承知した。
 今度はさらに高度を下げ、道に溢れる人々の顔ひとつひとつを見分けられるほど低空で。また完璧な宙返りを披露して、リバウの歓声を一身に受ける。
 通りの建物よりも低く飛びながら、道に溢れる人たちに手を振った。醇子など満面の笑みで手を振っていた。
『馬鹿者! なにをやっているか!』
 とうとう堪忍袋の緒が切れたのか。隊長の怒声に、三人揃って首を竦める。
 それから先に行ってしまった本隊を慌てて追いかけて、まさに“飛ぶように”母艦に帰還した。
 もちろん、すぐさま斉藤大佐に呼び出されてこぴっどく叱られたのは言うまでもない。

 * * *

 その夜。
 遠く東洋から来た巫女たちを歓待すべく、リバウ市長主催の歓迎会が開かれた。
 戦時下とあって大規模な会は自粛されたが、初めて見る欧州の文化や料理は巫女たちを圧倒した。
『――――して、バルト海は西欧諸国の生命線であるのです。我がリバウにはバルト海を守る最後の砦としての義務が――――』
 ワイングラスを片手に、一子はリバウ市長の挨拶を聞き流していた。
 リバウの重要性は一ヶ月の航海の内に耳にたこができるほど聞かされている。今更市長に聞かされるまでもない。
 他のウィッチたちも同じ気持ちなのか、それぞれに談笑したりカールスラントのウィッチと親睦を深めていた。
 ひとりの一子はモソモソと料理を口に運ぶ。
 列機の美緒と醇子はここにいない。下士官の美緒と醇子はこの士官用の会場に入れないのだ。
 手持ちぶさたなので、一子は欧州の素晴らしい料理を食べながら、どうしたらこの料理を美緒たちへのお土産にできるか考えていた。
「もし……」
 声を掛けられて、一子は顔を上げた。
 そこには濃紺色のカールスラント空軍の軍服を纏ったウィッチが立っていた。襟の階級章は、事前の座学によれば中尉であると示していた。
 一子の顔を見たカールスラントのウィッチは、青色の目を細めて微笑んだ。
「今日の戦闘では危ないところを助けて頂きありがとうございました。私はカールスラント空軍中尉、ヴァルブルガ・ツァンバッハです」
「あぁ」
 一子も合点いった。彼女は一子たちが助けたBf109のウィッチだったのだ。
「扶桑皇国海軍人、笹松一子中尉です。大事ないようで何より」
 ふたりはしっかりと握手した。
「どうですか、欧州の感想は?」
「敵の数が扶桑とは比べ物になりませんね。いくら性能で優越しようとも、あれだけの物量で攻められては」
 それは一子の偽らざる所感だった。
 もしもネウロイがその物量に物を言わせて数百機、数千機単位で侵攻してきたならば、わずか1個航空隊程度のウィッチではとても戦線を支えきれない。
 リバウの街は、直ちに灰燼に帰すだろう。
 ツァンバッハ中尉も首肯した。
「ネウロイで何よりも怖いのはあの物量です。オストマルクの国際ネウロイ監視航空団も物量で磨り潰されました。今の欧州戦線ではそれの焼き直しが行われようとしています」
 つい今日までその破砕機の顎に晒されていた彼女の言葉は重かった。
 人類が未だに大陸で勢力を保ち続けられているのは、ネウロイでは飛び越えることのできない高い山脈と、やつらが苦手とする水――河川を用いた防衛戦を展開しているからだ。
 ウィッチは数が少なく、戦術的勝利は望めても戦略的勝利には貢献しがたいのが実情だった。しかも通常の兵力ではネウロイに対抗できない。

 果たして、人類はネウロイに打ち勝つことはできるのだろうか?

 一子は押し黙って、ふとそんな事を考えてしまった。
「まぁ、そのようなことは上の人間が考えれば良いんです。私たちは今日の出会いを祝しましょう」
 どこか辛気くさくなってしまった雰囲気を、ツァンバッハ中尉は殊更明るく振る舞うことで吹き飛ばした。
 先の見えない戦いに漠然とした不安を抱いた一子も、ホッとした表情で頷く。
「そうだな、その通りだ。――――今日の出会いに!」
「出会いに!」
 ふたりはグラスを掲げて飲み干した。
 空になったグラスを弄びながら一子が言った。
「そう言えば、欧州に来て嬉しかったことがある」
「何でしょう?」
「欧州は酒がうまいな! ブリタニアの寄港地で思わずジョニ黒を買い占めてしまったぞ。――――もちろん、上官には秘密だがな」
 最後に息を潜めるように付け加えると、ツァンバッハ中尉はおかしそうに笑った。
「飲むのが好きなんですか?」
「もちろんだ」
「それならウイスキーも良いですけど、ぜひビールも飲んで下さい」
「ビールか……」
 一子は難しい顔をした。
「ビールはちょっと苦みがな」
「その苦みがいいのよ! カールスラント・ビールを飲めば分かります」
「むぅ」
 渋い顔の一子を見て、ツァンバッハ中尉は彼女の手を引いた。
「着いてきて。本物のビールを飲ませてあげるわ!」
「いや、ビールはなぁ」
「カールスラント軍人の目に留まったのを不幸だと思うのね!」

 その夜、一子はカールスラント・ビールに嵌り、ツァンバッハ中尉と意気投合して飲み明かすことになった。
 翌日の朝には青い顔をした一子の姿が美緒によって目撃された。





[16353] 第六話 私を知らず
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/19 07:43
 目覚めは最悪だった。
「う、うーん……」
 一子は重たい頭を苦労しながら起こした。頭の奥がガンガンする。久しく経験していなかった完全な二日酔いである。
 憂鬱な気分で辺りを見回す。
 窓の外はまだ薄暗く、明け切るにはもう少し時間が掛かりそうだ。どれだけ飲んだのか、部屋の中は何本ものボトルが転がり惨憺たる有様だった。
 そこでふと気付く。
 一子はこの部屋に見覚えがなかった。
 一子に本来割り振られた部屋にもそれほど馴染みあるわけではないが、家族と隊の集合写真は飾ってある。それが見あたらない。
「私は……」
 一子は靄が掛かったようにハッキリとしない頭で記憶をたぐり寄せる。
 昨日の晩はリバウ市長の歓待があって、そこでツァンバッハ中尉に会って、ビールの話で盛り上がって、それで……それで……
「う~ん」
 その時、一子のすぐ脇で穏やかな寝息が聞こえた。
「は……へ?」
 寝息の主を見て、一子は目を剥いた。
 そこには昨日知り合ったばかりのカールスラントのウィッチ、ヴァルブルガ・ツァンバッハ中尉が眠っていたのだ。
 しかも真っ白な肌を惜しげもなく晒して。
 一子が起きたことでシーツがはだけられ、いろいろなものが丸見えである。
 その豊かな膨らみに羨望を覚えるより早く、一子は声にならない悲鳴をあげて後退った。
 しかしそこは本来一人用の小さなベットの上。一子はベットの端から転がり落ち、それでも転がるように壁まで後退した。
「ツァ、ツァンバッハ中尉……!?」
 よほど寝付きが良いのか、あれだけ物音を立てても彼女は起きなかった。或いは、彼女も酔いつぶれているのかもしれない。
 一子は眠り続けるツァンバッハ中尉に安心し、胸に手を当てて――――気がついてしまった。
 下を向く。
 声にならない悲鳴再び。
「わたっ……私……ほんとうに……いや……そんな……でも……ふたり……はだか……」
 一子は混乱しながらも頭をフル回転させた。酔いなどとうの昔に吹っ飛んでいた。猛烈な勢いで記憶の糸をたぐり寄せる。
 ツァンバッハ中尉の部屋でビールを飲みながら談笑して、話が思いの外弾んで自分のウイスキーも持ち出して、先に酔いつぶれて……
『あれぇ? 潰れちゃったわね……』
 昨日の記憶が蘇る。
『こんなところで寝ては風邪をひいてしまうわ』
 ツァンバッハ中尉に抱き上げられ、ベットに運ばれて……。鼻歌交じりに身包み剥かれて、それで……。
『綺麗……。こんな肌理の細かい肌、初めて』
 臍の上から撫で上げられる冷たい感触。それとは別に背筋を這い上がってくるような感覚を最後に、一子の記憶は途切れている。
「な、なんてことだ……」
 絶望に染まった顔で一子は呟いた。
「そんな、私の初めては……。…………と思っていたのに……。――――は……!?」
 そこで一子は何やら閃いて、眠りこけるツァンバッハ中尉に背を向けながらゴソゴソと手を動かす。
 そして長い長い安堵の溜息を吐いた。
「よ、よかったぁ」
 ちょっぴり目の端に涙も浮かぶ。酔った勢いで事に及ぶなど、華も恥じらう乙女としては断じて認めるわけにはいかなかった。
 とりあえず純潔を確認できた一子は、脱ぎ散らかされたアンダー・ウェアを着込んでようやく人心地ついた。
 それから、いつまでも丸見えでは忍びないと、一子はツァンバッハ中尉にシーツをかけ直した。ツァンバッハ中尉の寝顔は穏やかで、まだまだ起きる兆しがない。
「それにしても、これが文化の違いか……」
 一子は感慨深く呟いた。
 寝るときに裸になるなど、一子にしてみれば無防備すぎて落ち着かない。ましてや自分以外の人間がいるとなると尚更だ。
 そして何より、恥ずかしい。裸を見られると言うよりも、貧相な身体を見られるのが。
 一子は全く成長の兆しを見せない胸と腰を思って暗澹たる気分になる。人様に見せられたものじゃない。
 それに比べて彼女は――――
「わ、私は何を見ているんだ……!」
 ついまじまじと見つめてしまった事に居たたまれなくなって、一子は首を振って雑念を振り払った。
「そろそろ戻らねば」
 窓の外は夜が明けている。間もなく起床のラッパが鳴るだろう。点呼までに部屋に戻らねば拙いことになる。
 一子は落ちていた上着を抱えて部屋から顔出した。
 右見て、左見て。もう一度右を見る。
 誰の目も無いことを入念に確認して、一子は人目を忍ぶようにツァンバッハ中尉の部屋を後にした。

『第六話』

―― 私を知らず ――

 坂本美緒一飛曹の朝は早い。
 軍において一日の始まりを伝えるラッパの音より早く、まだ空も明け切らない内から起きだして自己鍛錬に励む。
 台湾にいた頃にはそのような事はしていなかったのだが、欧州への航海の途中で一子から剣を習って以来、人目のない朝早くに鍛練を積んで“師匠”である一子を驚かせるために日々欠かすことが無くなった。
 一ヶ月に渡る航海がようやく終わって欧州にたどり着き、即日に大規模な戦闘を行ったとしてもそれは変らない。
 北欧の身を切るような朝の寒さの中で、美緒は正座をして瞑想に耽る。
 しかしそれは厳密な意味での瞑想ではない。宗教家でも求道家でもない美緒は、己の精神をより高い次元に導こうなどとはしていないのだ。
 ただひたすら敵を打倒するために、あらゆる想定で戦術を構築しては破壊する作業を繰り返していた。
 そうして微動だにしないまま幾らかの時間を過ごし、美緒はゆっくりと目を開ける。空は夜の闇色を完全に失っていた。
 美緒は脇に置いていた木刀を手にとって立ち上がった。
 手を鞘に見立てて木刀引き抜き、正眼に構える。
「一」
 右足を進めるのと同時に木刀を振り上げ、すり足で踏み込み振り下ろす。木刀の切っ先が空気を切り裂き振わせる。
「二」
 今度は逆に右足を戻すのと同時に木刀を振り上げ、左足を引き寄せると共に振り下ろす。
「一」
 再び踏み込み、次の号令で元に戻る。
 たったこれだけの単純な動作を、美緒はただ愚直に繰り返した。何十回、何百回、何千回。剣を習った日より絶えることなく続けていた。
 今や美緒の手は肉刺だらけの斑模様に成り果てていた。
 だが美緒はそれを恥ずかしいとは思わないし、醜いとも思わない。むしろそれは自分の努力の証明のようで誇らしい気持ちだった。
 心ゆくまで木刀を振った美緒は、近くに置いておいた手拭いで汗を拭いた。
 そろそろ起床のラッパが鳴る時間だ。汗を流す時間はあるだろうか。
「む?」
 その時、美緒は物陰に隠れるようにこそこそと蠢く人影を見つけた。
 誰かと目を凝らせば、それは一子だった。
 普段は威風堂々としている一子が、小動物のように辺りを気にしながら物陰から物陰に移動する様は何だか滑稽だった。
 美緒の心の中で悪戯心がむくむくと首を擡げる。
「……わた……、で……はだか……いや……文化……」
 美緒はこっそり一子の背後に回り込むと、ブツブツと何やる呟いている彼女の耳元にそっと囁きかけた。
「こんな時間に何をなさっているのですか?」
「ひゃ!」
 案の定、一子は跳び上がって驚き、尻餅までついてしまった。
「さ、坂本!? 坂本兵曹! い、いや、ち、違うんだ! 私は何もやましいことはしていない!!」
「は?」
 何やら盛大に自爆している一子を見て、美緒の目が点になった。
「何かやましいことがあるのですか?」
「い、いや何もない。何もないぞ! わははは!」
 冷や汗をダラダラ流しながら視線を泳がせる一子。あまりの挙動不審ぶりに、これでは自ら黒であると言っているようなものだ。
 美緒の目が半眼になる。
「何を隠しているのですか?」
「な、何も隠してないと言うておろうが! 私には何ら後ろ暗いことはないぞ! ――――ホントだぞ?」
「最後が疑問形になっている時点で黒です」
「なぬぅ!?」
 一子は愕然とした顔になった。
 やれやれと美緒は溜息をつく。一子は嘘をつくのが壊滅的にへたくそだった。
 一子の自爆ぶりがあまりに不憫なので、美緒はこれ以上の追求を止めることにした。
 だが、そこに火に油を注ぐ存在が現れた。

「カズコ中尉!」

 美緒の後ろからの呼びかけに、一子の顔が瞬時に真っ青になった。
「ツァ、ツァンバッハ中尉……」
 何事かと振り返れば、そこには美緒の知らないカールスラントのウィッチが立っていた。
 階級章は中尉。美緒は反射的に敬礼した。
 そのウィッチもカールスラント式の敬礼を返してきた。
 それから視線を一子に送る。
「カズコ中尉、忘れ物よ」
 突き出された右手に握られていたのは、一子が常に佩びていた軍刀だった。
「す、すまん、ツァンバッハ中尉」
「あら?」
 ツァンバッハ中尉は首を傾げて右手を引っ込めてしまった。
 刀を受け取ろうとした一子の手が空しく宙を掻く。
「私のことはヴァルガと呼んで下さるんじゃなかったかしら?」
「な、なぬ!」
「呼んでくれないと、この剣は返せないわねぇ?」
 挑発的な視線を送るツァンバッハ中尉と狼狽する一子。
 美緒の胸中で、なにやらもやもやと暗雲が立ちこめた。
「ツァ、ツァンバッハ中尉、私はそういうことについて公私をしっかりと分けるべきだと考えるが……?」
「今はまだ起床ラッパ前で私的な時間よ」
「む、むぅ」
 なけなしの抵抗も封殺されてしまい、一子は言葉もない。
 一子は諦めた様子でガックリと肩を落とした。
「そう虐めないでくれ、あー、ヴァルガ……中尉……」
 躊躇いがちに名前を呼ぶ。如何なる理由からか、彼女の白い頬は紅色に色づいていた。
 美緒は胸のもやもやがさらに大きくなるのを自覚した。
「カズコ中尉、あなたは本当に愉快な人ね」
 ツァンバッハ中尉は笑って軍刀を手渡した。
「今朝も、服も着ないで一喜一憂して、笑いを堪えるのに苦労したわ」
「なッ……」
 一子の顔が一瞬にして真っ赤に染まった。
「な……うぁ……ま、まさか、見ていたのか。……狸寝入りしていたと?」
「朝日の中で見るあなたの寝顔は格別綺麗だったわねぇ」
 もはや一子の口から漏れるのは意味を成さない呻き声だけだ。
 一方、蚊帳の外に置かれた美緒の機嫌は加速度的に傾斜を増していた。それに比例するように柳眉も逆立っていく。
 しかし上官同士の会話に一下士官に過ぎない美緒が割り込めるはずがない。
 なので美緒は冷静(のつもり)に一子と話すウィッチを観察した。
 西欧人らしく美緒よりも頭半分高い身長、それに見合うメリハリの利いた体つき。鈍い金色の髪を後ろでまとめ、一分の隙もなく濃紺の制服を着込んでいる。
 そして首下に光る騎士鉄十字章と斜めに被った制帽が、彼女にただ者ならぬ風格を与えていた。
 間違いなく腕利きのウィッチ。年齢的に見ても今が脂の乗りきった頃だろう。
 ツァンバッハ中尉は美緒の視線を感じて愉快そうに笑った。
「じゃあ、そろそろ邪魔者は退散するわね。そこで怖い顔をしている娘もいるし。また飲みましょうね、カズコ中尉」
「うむ。からかわないならご一緒させてもらおう」
「それは無理ね」
「なぬ!?」
 しれっと言い残してツァンバッハ中尉は去っていった。
 美緒はその背中が見えなくなるまで射殺さんばかりの視線を送り続けていた。視線に殺気すら込められていたのに、視線の主はそのことにまるで気がついていなかった。
 残されたふたりの間に何とも言えない空気が漂っていた。正確には、一方の人物から垂れ流される真っ黒な空気が原因だった。
 しかも当の本人にはまるで自覚がないので、なおのことタチが悪い。
「あぁ、あの……坂本兵曹?」
 沈黙に耐えかねて、一子が躊躇いがちに口を開いた。
 だが、
「点呼の時間なのでお先に失礼します」
 美緒は続く言葉を待たず、ピシャリと言って歩き去ってしまった。
 後には項垂れた一子だけが残された。



「なんか最近機嫌が悪いわね、美緒」
「そんな事はない」
 親友の醇子の言葉を、美緒は即座に否定した。
「私の機嫌などどうでもいい。そんな下らないことを言っている暇があったら箸を動かせ、醇子。皇国軍人たる者、常に早飯早便早風呂だ」
「年頃の女の子の言葉じゃないわね」
 ポツリと醇子が呟くと、美緒は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「年頃の女の子など……私は女である以前に皇国のウィッチなのだ。そんなことに現を抜かしている暇などない!」
 そう言って、美緒はお椀の米を掻き込んだ。
 醇子は深い溜息をつく。
「……この頑固者」
「何か言ったか?」
「な・に・も!」
 一字ずつ区切るように言って、醇子は食事を再開した。
 その間にも美緒は食事をとり終えて、さっさと席を立ってしまった。その後ろ姿には、高ぶった感情のせいで現れた使い魔の尻尾が不機嫌そうに揺れていた。
「自覚が無いのは罪よね……」
 大股で歩き去っていく美緒と、下士官食堂の入口で見え隠れする灰色の尻尾を見て、醇子はしみじみと呟くのであった。

 * * *

 定期の哨戒任務を終え、笹松小隊はゆっくりとした速度でリバウの飛行場に進入した。
 一子は左後ろ――――二番機の位置にいる美緒を盗み見た。美緒は感情の読みとれない厳しい顔をして前だけを見つめている。
 美緒の機嫌が損なわれてから、はやくも一週間近くが過ぎようとしていた。
 一子はもちろん、醇子も手伝って彼女の機嫌を直そうとしたが、未だに成果は出ていなかった。
 それでも三人の息はぴったりと合い、同時に滑走路に接地した。
 格納庫で戦闘脚を脱ぎ、すぐに指揮所に向って、そこで事務的な報告事項を済ませる。
「坂本兵曹」
 報告の後、一子は美緒を呼び止めた。
 美緒は無表情のまま振り返った。
「何か?」
「すこし暇はあるか?」
「申し訳ありません。これから書類を書かなくてはならないので」
「そうか……。呼び止めてすまなかった」
「失礼」
 職務を理由にされては、私事では呼び止めることができない。
 一子は去っていく美緒の後ろ姿を見つめることしかできなかった。
「坂本一飛曹はずっとあんな様子なのか?」
 ふたりの様子を見ていた副長の小園中佐が言った。
 一子は力無く頷いた。
「はい……。原因を問おうにも、本人は機嫌は悪くないの一点張りで。私にも何が何やら……」
「ふむ」
 顎に手を当てて、小園中佐は微かに笑う。
 一子はムッとした顔になった。
「何がおかしいのですか?」
「いや、これはすまん。ただ若いなと思ったのだ。普段は大人びているからつい忘れそうになるが、貴様らはまだ二十歳にもならない年齢だったな」
「……」
 たしかに一子は13歳、美緒は15歳に過ぎない。
 だがそれが今の状況にどのような影響があるというのか。一子には理解できなかった。
 一子が説明不足で不満そうに見上げていると、小園中佐は一転して真剣な顔つきになった。
「本当ならここで若者らしく大いに悩めよと言ってやりたいところだが、何の因果かここは戦場で貴様らはウィッチだ。そんな悠長なことはしていられん。改善の兆しがないようなら、それなりの手段を講じなくてはならなくなるだろう」
「それは……」
 一子は青くなった。
「そのようなことにならないように頼むぞ」
「りょ、了解!」
 一子は背筋を伸ばして敬礼した。

 * * *

「む……」
 所定の報告を終え、兵舎に戻ろうとしていた美緒の視線の先に、今一番会いたくなかった人物がいた。
 その人物は通路の壁にもたれて腕組みをしている。
 美緒は関わらないように敬礼をして前を通り過ぎようとした。
「坂本一飛曹、ね?」
「……ッ。はい」
 予感はあったが、案の定、美緒はその人物に呼び止められた。
 美緒は舌打ちしそうになるのを堪えながら向き直った。
「扶桑皇国海軍一等飛行兵曹、坂本美緒であります」
「カールスラント帝国空軍、ヴァルブルガ・ツァンバッハ中尉よ」
 事務的な敬礼と答礼。
「ここは人目につくわ。着いてきなさい」
 美緒は否とは言わなかった。

 美緒が連れてこられたのは飛行場からほど近い波止場だった。
 周りに人気はなく、ここならば人目につかない。
「何でしょう?」
「せっかちはいけないわ」
 ツァンバッハ中尉は懐から銀製のシガレット・ケースを取り出すと一本銜え、美緒にも向けて勧めた。
「いえ、私は専らこれですので」
 美緒は皇国軍の支給品である安煙草を取り出した。
 本来なら上官に勧められた物を断るのは失礼だが、美緒はそこまで気を遣う気にはなれなかった。
 何より、目の前の人物から何かを与えられたくはなかった。
 火もそれぞれが自分で着けた。
 紫煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出す。薄い煙が燻り、潮風に消えていく。
 美緒が煙草に手を出したのは欧州に来てからだが、最初は咳き込んでいたそれも、この一週間で慣れてしまった。今ではムシャクシャするたびに無性に吸いたくなる。
「ひどい煙草ね。そんなものは吸ってはいけないわ」
「余計なお世話です」
 美緒はツァンバッハ中尉を睨みつけた。
 ツァンバッハ中尉はただ肩を竦めた。
 それきりふたりは無言になり、波の音にだけ耳を傾けた。

「私とカズコは何もないわ」

 先に口を開いたのはツァンバッハ中尉だった。
「私とカズコ中尉はただの気の合う飲み友達。あなたが思っているような、それ以上はないのよ」
「……」
 美緒は応えない。それでもツァンバッハ中尉は喋り続ける。
「あの日だって私が勝手にからかっただけ。たしかに酔っぱらってカズコを剥いちゃったけど、それは後で謝ってるわ」
「……」
「だから、あなたがカズコを怒るのは筋違いだわ」
 言いたいことを言い終えて、ツァンバッハ中尉が美緒を見ると、彼女は不可解と怒りを合わせたような複雑な顔をしていた。
 それはツァンバッハ中尉がちょっと想定していなかった表情だった。
「そんなこと、分かっています」
 溜めていたものを吐き出すように、美緒が口を開いた。
「そんなことは分かっているし、関係ないのです。なぜならば、笹松分隊士とあなたが親しかろうと、仮にそれ以上だろうと、分隊士の部下である私には関与するべきことではないからです。ですので、皆が言うように私が怒っているだとか、不機嫌だとかいうのは間違っているのです」
 今度はツァンバッハ中尉が耳を傾ける番だった。
「たしかに近頃の私は情緒が安定しませんが、そこに分隊士は関係ありません。あろう筈がありません。そもそも、分隊士とあなたが親しくして、なぜ部下の私が不機嫌にならなければならないのですか? 友軍との連携を確保する上でも、それは望ましいことです。私が反対する理由はありません」
「あなた……」
 ツァンバッハ中尉は呆然とした顔になった。
「あなた、自分の気持ちに気がついていないの……?」
「自分の胸中は今の通りですが?」
 美緒は心底不思議そうに言った。
 これにはツァンバッハ中尉も絶句する。こんな答えは想像だにしていなかった。
「あなた、軍にはいつからいるの?」
「1933年からです。それが何の関係があるのですか?」
 ツァンバッハ中尉は美緒の答えに驚愕すると共に彼女の歪さに納得もした。
 彼女は情緒を醸成する最も重要な時期の多くを軍隊で過ごしていたのだ。
 事前にした下調べによれば、彼女はブリタニアで世界初のストライカー・ユニットのテスト・パイロットに従事していた。
 普通のウィッチに比べても、実験部隊の彼女は同年代との接触が少なかったことは想像に難くない。
 大人の中で過ごした長い軍隊生活は彼女の情緒を歪に――あるいは純粋に――成長させてしまったのだろう。
 それ故に、美緒は胸に宿る感情に――――嫉妬と呼ばれるそれに名前を付けることができずにいるのだ。
「あなた……」
 ツァンバッハ中尉は思わず美緒の頭を抱きしめていた。
「な、ななな……!」
 狼狽した美緒が手足をジタバタさせた。
 それでもツァンバッハ中尉は抱く力を緩めず、優しく語りかけた。
「あなた……、あなたの心にあるそれは嫉妬よ」
 藻掻いていた美緒の力が抜けた。
「嫉妬……? これが?」
「そう。人はね、友人や恋人――――親しい人が他人に取られそうになったときに嫉妬するのよ」
「あ……」
 美緒の中で何かがストンとおさまった。
 不思議な気分だった。
「これが、嫉妬? これが、これが……」
 美緒は、今まで胸裏を焦していた暗雲が、たちどころに晴れ上がっているのを感じた。
 逼塞感に苛まれていた美緒の心は、長い冬の後に開け放った春の窓辺のような清々しさに満たされた。
 名前が無いが故に認識できなかったそれが、嫉妬という名前を与えられて払われたのだ。
「どう? まだもやもやしてるかしら?」
「いえ、久しく清々しい気分です」
 ツァンバッハ中尉の胸から解放されて、美緒は目を瞬いた。心なしか、世界までも明るく見えた。
 そんな美緒を見て、ツァンバッハ中尉は穏やかに微笑む。
「なら、早くカズコと仲直りしなさい。ほら彼女、あなたを心配してあんな所に」
 ツァンバッハ中尉が指さす方向を見ると、木の幹からはみ出していた灰色の尻尾が跳ねた。
 頭隠して尻隠さず。その典型を見て美緒は笑った。
「あははははッ!」
 久しぶりに声を上げて笑った。
 美緒に大笑いされて、一子が赤面しながら木の陰から出てきた。
「そんなに笑うこともなかろうに……」
「くくく、す、すみません……くく……」
 笑いを堪えきれない美緒を見て、一子は憮然とした表情になる。
 だがそれも、すぐに穏やかな笑みに変った。
「私の部下が世話になったな」
「礼には及ばないわ。もとはと言えば私が蒔いた種よ」
 ツァンバッハ中尉は手をひらひら振った。一子も鷹揚に頷き返した。貸し借りは無し。言外にふたりは同意した。
 それから、笑いすぎて荒い息をする美緒に向き直った。
「どうだ、気は済んだか?」
「はい。いろいろとご迷惑をおかけしました。どうかこれからもよろしくお願いします」
 笑いの発作もようやく収まり、美緒は頭を下げた。
「そ、そうか。うむ、分かればいいのだ、分かれば。心配したんだぞ?」
 頭まで下げられるとは思っていなかったのか、一子は気恥ずかしげに視線を逸らして頬を掻く。
 それを見ていたツァンバッハ中尉は意地悪げに笑った。
「そうよね。カズコったらミオのことが心配で心配で夜も眠れない程だったものね」
 一子は狼狽える。
「う、嘘だ! 私はしっかり毎晩寝ていたぞ!」
「本当? 毎晩毎晩深酒して、むりやり寝ていたんでしょう。その証拠に、ほら……」
 ツァンバッハ中尉が一子の目元を拭った。すると、そこにのせられていた化粧が剥がれ、黒々とした隈が現れた。
 一子は慌てて目元を隠すが、もう遅い。
 美緒は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 普段は化粧っ気のない一子だ。美緒なら気付いて然るべきだった。それも気がつかないほど目が曇っていたのだ。
「第一、化粧道具を私から借りておいてバレないわけないでしょう」
「むぅ」
 一子が萎んだ。
「それにあなた、酔う度に愚痴ってたじゃない。『最近、坂本兵曹の生活が乱れている』とか……」
「む」
「『髪に艶もないようだ。しっかりと食事を摂っているのだろうか』とか……」
「むむ」
「『顔色が悪い。貧血ではないのか』とか……」
「むむむ」
 次々と明かされる暴露話に、一子の顔がだんだんと赤くなっていく。
 一方の美緒は、一子の心配ぶりにいたく感動した様子だった。
「笹松分隊士……、部下の健康状態をそこまで細かく観察していたなんて……」
 しかも論点が少しずれている。
 美緒の勘違いした感動の視線と、ツァンバッハ中尉のニヤニヤ顔に晒されて、一子は口を“~”の形にしてもう沸騰寸前だった。
 そしてトドメの一撃はもちろんツァンバッハ中尉が差した。
「それに、私とミオがふたりきりになってからは、それはもう殺気にまみれた視線で――――」
「だっしゃああああぁぁぁぁ――――!!」
 一子、噴火。
 ツァンバッハ中尉の言葉を無理矢理遮った。
「と・に・か・く・だ!」
 一子は美緒の顔をガッチリと両手で挟み、

「たぁばぁこぉはぁ、身体に悪いんだぞぉぉぉぉ――――!!!!」

 意味不明の言葉を残して、飛んでいってしまった。
「な、何なんだ?」
「やっぱり愉快な娘ね、カズコは」
 残されたふたりは、それぞれ困惑と愉快の表情で呟いた。

 なお、波止場近くに植えられた木の幹が、手形が分かるほどクッキリと握りつぶされていたのは秘密である。
 後日それが発見され、脚色を交えて台南航空隊の怪談話として語り継がれることになったのもまた秘密である。



オリキャラを書くからにはやらなければならないことが三つある。
一つ、キャラの設定を考えること。二つ、キャラの立ち位置を考えること。
そして三つ、SEKKYOUの内容を考えることである。
石は投げないで下さい。せめて座布団で。



[16353] 第七話 軍馬を得る
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/20 17:09
 時は1939年12月末。
 人類は史上最大の戦乱に巻き込まれていた。
 敵は突如として人類に牙を剥いた異形ネウロイ。その恐るべき物量を前に人類は防戦一方であり、すでに欧州の過半が敵の手に落ちていた。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉と台南航空隊は祖国から遠く離れた北欧の地でネウロイと対峙していた。
 彼女らが守るのは西欧諸国の生命線であるバルト海。ここを絶たれることは、即ち主戦線であるカールスラント戦線が干上がることを意味していた。
 技量・機材共に皇国の精鋭である台南航空隊は、参戦以来その名に恥じない働きを見せ、辣々たる戦果を上げていた。
 しかし、破局は着実に彼女らに忍び寄っていたのである。

『第七話』

―― 軍馬を得る ――

 突然のサイレンがリバウ基地を揺るがした。
『サルドゥス見張所より、敵ラロス型14機! 西南西方向に進撃中! 侵攻目標はリバウ市!!』
 スピーカーが敵情報を甲高く伝える。
 この頃頻発している敵部隊の浸透攻撃だった。
 敵の小部隊が極低空で進入して奇襲攻撃を仕掛けてくるのだ。低空のため見張所でも発見されづらく、往々にして目の前にまで迫られてしまう。
 サルドゥスはリバウからほとんど離れていない。飛行兵器の脚なら一瞬だ。
 兵舎でくつろいでいた美緒は、上着をひっ掴み格納庫へ駆けだした。
「まわせぇ!! まわせぇ!!」
 腕をブンブン振り回して戦闘脚の始動を急かす。
 格納庫の中では整備兵たちが慌ただしく行き交い、武器と弾薬が引き出される。
 美緒は手近な戦闘脚に両足を突っ込むと、手早く魔力を流し込んだ。整備兵たちが戦闘脚に差し込んだクランクを回して魔力の増幅を補助した。
 背筋を這い上がるムズ痒い感触の後、使い魔の尻尾と耳が生える。増幅された魔力が全身に行き渡り力が漲る。
 大の男二人がかりで運んできた機関銃を美緒は片手で軽々と掴み、魔導エンジンを低回転にしたタキシングの状態で滑走路に進入した。
 そこで一子と目があった。彼女は先に滑走路に入り、滑走を開始しようとしていた。
 一子はニカッと笑い、茶目っ気のある敬礼をして、弾かれたように発進した。白いマフラーが尾のように翻り、漏れだした魔力が光の軌跡を描く。
 上空には同じように急発進したウィッチが猛烈な勢いで高度を上げていた。接敵する前に少しでも高度を稼いで有利な条件を確保しようとしているのだ。
 敵が接近しすぎていて打って出る時間がない。よってリバウ市の直前で待ち構える事にしたのだった。
「敵発見!」
 ウィッチの一人が地を這うように進むネウロイを発見しバンクを振った。
 要撃に上がった7機のウィッチが猛然とラロスの編隊に食らいついた。
 美緒は手頃な一体に狙いを定め、九七式7.7㎜機関銃の引き金を引いた。軽い発射音と共に、数珠球のように連なった光弾がラロスに吸い込まれる。
 ラロスは機体を引き裂かれ、炎を吹き出して墜落する――――はずだった。
「何!?」
 美緒は目を剥いた。
 必殺の弾丸が火花を散らして弾かれたのだ。
「防弾板か!?」
 美緒の驚愕はまだ続いた。
 ラロスが増速する。九六艦戦を駆る美緒たちは徐々に引き離された。なんと、このラロスは九六艦戦よりも優速なのだ。
 それだけではない。
 今までなら、不意の一撃加えればネウロイは泡を食って逃げまどうか、勝算のない巴戦に打って出るのが常だった。
 それが、このラロスたちは美緒たちに目もくれず、優速にものを言わせて一直線にリバウの街を目指しているではないか。
「先行するラロスは私たちに任せて!」
 Bf109を駆るヴァルガと副官のハンナ・デュッケ少尉がラロスを追撃した。
 このラロスがいくら九六艦戦より優速とは言っても、技術のカールスラントが誇るBf109の高速ほどではなかった。
「坂本兵曹! 近接戦で片を付けるぞ!」
 一子が軍刀を抜き放ってラロスの一機を切り捨てた。
 魔力を通した扶桑刀は、小型飛行兵器に装備できる程度の装甲など物ともせずに引き裂いた。
「はい!」
 美緒も抜刀して彼女の脇を抜けようとしたラロスを両断した。
 美緒のこめかみに冷や汗が伝う。時速数百㎞の速度で突進してくるラロスを迎え撃つのは、たいへんな技量と精神力のいる業だった。
 これほどの技量を備えるウィッチは台南空にもそういなかった。
「愛子!」
 悲鳴が上がった。台南空のウィッチの一人が迎撃に失敗してラロスと正面衝突したのだ。
 数トンに達する金属塊と激突したウィッチは、悲鳴も上げずにラロスと縺れるように地上に落下していた。
 衝突の瞬間に散った血飛沫が、その悲惨さを物語っていた。
「くそぉ!」
 美緒は悪態をついてまた一機切り捨てた。
 重傷を負った戦友を助けに行きたくても、この場を離れるわけにはいかなかった。

 迎撃隊は悄然とした様子で基地に帰還した。
「愛子ぉ、愛子……!」
 指揮所の前で、白い布に覆われた戦友に彼女の僚機のウィッチが泣きついてた。
 その痛ましさに、隊の誰もが目を逸らしていた。彼女らを預かる斉藤大佐も例外ではなかった。
 ただ一人を除いては。
「報告!」
 一子が司令の前に立った。
「本日1400時、急速接近する敵部隊に対処するため、笹松一子中尉以下扶桑皇国海軍機械化航空歩兵5機、ならびにツァンバッハ中尉以下カールスラント空軍2機出撃」
 気丈に胸を張り、悲しみを堪えて。
「同08、接敵。しかし敵ラロス型に銃撃の効果薄く、即時近接戦に移行。これを撃滅……!」
 言葉が詰まった。
 それでも報告は止めなかった。それが彼女の義務であるから。
「戦果、敵ラロス型14機、全機撃墜。――――我が方の損害、軽傷2…………戦死、1……!!」
 とうとう一子の瞳から涙がこぼれ落ち、彼女はマフラーに顔を埋めた。

 * * *

 さめざめと涙を流した乙女たちを下げて、斉藤大佐は指揮所の椅子に座り込んだ。
 卓の上にあった灰皿を引き寄せ、煙草を銜える。副長の小園中佐がマッチを擦って斉藤大佐の煙草に火を着けた。
 紫煙を大きく吸い込み、深々と吐き出した。
 老齢に差し掛かろうという大佐の顔が、歳以上に老け込んで見えた。
「ついに……」
 斉藤大佐は、今着けたばかりの煙草を灰皿に押しつけた。
「ついに、我が隊からも戦死者がでてしまったか……」
「はい……」
 小園中佐も沈痛な面持ちで頷いた。
 己より遙かに若い――――それこそ孫ほども年の離れた幼い少女が、戦場の空で命を散らした。その事実が、ふたりの心に重くのし掛った。
「覚悟は、していたはずなんだがなぁ」
 斉藤大佐は呟いた。
 斉藤大佐は、彼の預かるウィッチたちを、本当の孫のように慈しんでいた。全員の名前と顔はもちろんのこと、その出身や好物まで全て把握していた。
 それ故に、悲しさが先立った。
 軍人としての責務を全うし、最後に涙を流した少女には、頭の下がる思いだった。
「これまでの我が隊の損害は?」
「市内の病院に入院中の者が2名。ブリタニア本土に後送された者が1名。そして今日の戦死1名です。全て今週に損害が集中しています」
 斉藤大佐は窓から格納庫の方を見た。
「九六艦戦は、もうだめか?」
「はい。敵は徐々に性能を上げています。今後、九六艦戦ではさらに厳しくなるかと」
「気は進まないが、やるしかないか」
 呟いて、斉藤大佐は電話に手を伸ばした。

 * * *

「機種転換、ですか?」
 いきなり隊長室に呼び出された一子は、オウム返しで聞き返した。
 斉藤大佐の傍らに立つ小園中佐が頷く。
「そうだ。新機材の名称は十二試艦上戦闘脚、九六艦戦の後継機だ」
「そんな! 前線で戦う我々に、正式採用されていないような試作機を配備するのですか!?」
 一子は猛然と食ってかかった。
 正式採用されていないということは、即ちその機材にどんな欠陥が潜んでいてもおかしくないということだ。
 ただでさえ新鋭機には故障や事故が多いというのに、ましてや試作機を前線で実戦配備するなど狂気の沙汰だ。
 信頼性の乏しい機材が原因の事故で、台南航空隊の優秀なウィッチが失われるなど、一子は断じて認めるわけにいかなかった。
 それは、斉藤大佐はじめ、隊長陣も重々承知の筈なのだ。
「落ち着きたまえ、笹松中尉」
「これが落ち着いていられますでしょうか! 直ちに再考をお願いします!!」
「貴様の気持ちは、わしらも痛いほどよく分かる。しかし、貴様もうすうすは感づいておるのだろう?」
「いいえ、分かりません。九六艦戦はまだまだ戦えます。例え速度で負け、武装で負けても、創意工夫で戦って見せます!」
 意固地になる一子に、斉藤大佐は宥めるように言った。
「それではとても間に合わんのだよ。カールスラントの主戦線や、北アフリカ戦線にはネウロイの新型が続々と現れてきておる。その中には、九六艦戦では到底太刀打ちできないような恐ろしい敵も含まれているのだ。そしてやつらは、必ずこのリバウの空にも現れるだろう」
「……ッ」
 一子は押し黙った。
 彼女も風の噂で聞いて事があるのだ。
 戦闘脚を履いたウィッチよりも高速で、針鼠のような対空砲と分厚い装甲を纏った超重爆や、戦艦のように巨大な空中要塞の存在を。
 この驚異のネウロイを前に、列強のウィッチが蹴散らされているのだ。
 そんなやつらを相手に、旧式の九六艦戦を装備する自分たちが勝利できる道理があるだろうか。
「貴様の心配する気持ちは、わしらも理解できる。新鋭機がどれほど心許ないものかも。だが、貴様たちにはより強力な武器が必要なのだ。新しい翼が必要なのだ。
 理解してくれ」
 脇に控えていた小園中佐が捕捉するように口を開いた。
「十二試艦戦は、すでに遣欧艦隊の航空隊に配備され、基地航空隊への配備が進んでいる。スオムスを始め、各地で戦闘にも参加しているのだ」
「……」
 一子は黙したまま静かに敬礼した。



 数日後、一子ら笹松小隊他の台南航空隊はブリタニアにいた。
 もちろんリバウを空にするわけにはいかないので留守番部隊は置いているが、過半は今回の機種転換訓練に参加するためにブリタニアに渡っていた。
「よもや凱旋でも戦傷でもなく、ましてや戦死でも無い理由で再びブリタニアの地を踏むことになろうとはな」
 広大な飛行場の片隅に駐機した輸送機から降り立ち、一子は空を見上げた。太陽が眩しく、手をかざす。
「笹松中尉でいらっしゃいますか?」
「いかにも」
 駆け寄ってきた皇国軍兵士が敬礼した。
「お待ちしておりました。すぐに士官宿舎にご案内します」
「いや、まずは我々が乗ることになる戦闘脚を見ておきたい」
 一子が確認するように振り返ると、屯していたウィッチたちが神妙に頷いた。
 彼女らも一子と同じで内心複雑であったが、良い意味でも悪い意味でも新機材に興味があることには変らなかった。
「了解しました。では、格納庫にご案内します」
 こうして、台南航空隊一行はまだ見ぬ十二試艦戦の待つ格納庫へ向った。

 案内された格納庫では、十二試艦戦の群が鈍い色を放ちながら鎮座していた。
「何だこれ?」
 一子は十二試艦戦の周りを歩いて睨め回した。
 十二試艦戦の第一印象は、よろしくなかった。先入観のある分、だいぶ悪い印象と言ってよいい。
 まず見た目が悪い。
 それまで海軍の飛行脚は、必ず決まって優美な銀色をしていたというのに、この十二試艦戦は濡れた鼠のような灰色をしていたのだ。
 また機体の形も、九六艦戦が研ぎ澄ました刃のようだったのに比べて、ひょろ長く猛々しさとは無縁のように見えた。
 大きさも九六艦戦よりも一回り以上大きく、これでは碌に旋回できないのではないかと不安にもなった。
「大丈夫なのかなぁ、あの飛行脚」
「絶対、九六の方が良いわよね」
 遠巻きに十二試艦戦を眺めていたウィッチたちも、口々に悪口を言っていた。
 美緒だけが、鋭い視線で十二試艦戦を見つめていた。

 翌日、一通りの座学を終えて、ついに十二試艦戦で初飛行する段になった。
 試作機とあって誰もが尻込みする中、機種転換部隊の隊長であった一子が最初の搭乗員に志願した。
 だが彼女も新機材が信用ならず、背に落下傘を背負って、九六艦戦を履かせた美緒を連れて上がるという念の入れようだった。
圧搾(クーペー)!」
 脇に控えていた整備兵がふたりがかりで慣性起動機(エナーシャー・スターター)を回し、うなりと共に魔導エンジンに息が吹き込まれる。
 そのうなりが最高潮に達したとき、一子は魔力を魔導エンジンに叩き込んだ。
点火(コンターク)!」
 パパッ……パパッ……という不規則なエンジン音。だがそれだけでも九六艦戦の寿四一型とは比べ物にならない野太さだ。
 排気管から漏れだした青白い魔力炎が、蛇の舌のようにチロチロと見え隠れした。
 やがて回転を安定させた栄一二型のエンジン音は、正しく爆音といって相違なかった。
止め(チョーク)払え!」
 ウィッチを地上に縫い止めていた拘束が外され、十二試艦戦が解き放たれる。
 一子はタキシングをしながら滑走路の端に移動した。
 そこで徐々にエンジンの回転数を上げていく。
 エンジンの高鳴りと同期するように、地上に広がる魔法陣も大きさを増した。
 一子は癖のように左後ろを振り返り、そこにいる美緒の姿を見て安心したように微笑んだ。
 それからマフラーを引き上げ、鋭く前を睨みつけた。
「離陸する!」
 ブレーキが弛められ、一子の身体が弾かれたように前進する。
 数秒後には、彼女の身体は大空の上にあった。



「やはり私は九六の方が良いな」
「私もそう思います」
 上空を飛ぶ十二試艦戦を見ながら一子と醇子が話していた。
「確かにあの高速と航続距離の長さは魅力だがな……。それに、引き込み脚というのも不安だ。着陸の時に脚が出なかったらどうするのだ」
「それに格闘戦じゃ九六に手も足も出ませんでしたし、せっかくの20㎜機関銃もあんな漏斗弾じゃ当たる物も当たりませんし。よっぽど九六の足を長くした方が良かったんじゃないかと思いますね」
 ふたりが思い出すのは、つい先ほどまで戯れで行った九六艦戦対十二試艦戦の模擬空中戦だ。
 一子の駆る九六艦戦は、醇子の駆る十二試艦戦を苦もなくひねってしまった。
 ならばと、次は機材を交換して再戦してみれば、今度は真逆の結果が出た。
 何度繰り返しても結果は同じ。十二試艦戦を装備した方が負けた。
 十二試艦戦は九六艦戦の軽快な旋回に着いていけず、高速で振り切ろうにも引き離す前に冷静に照準されて撃墜された。
 いったい軍の上層部や設計者は何を考えてこんな弱い戦闘脚を作ったのか、ふたりにはまるで理解できなかった。
 やはり九六艦戦は素晴らしい戦闘脚なのだという結論に落ち着こうとしたとき、それに異議を唱える者が現れた。
 他ならない美緒だった。
「ふたりは間違っています。十二試艦戦が弱いのではなく、あなた達の使い方が間違っているのです」
「何?」
 一子はまじまじと美緒の顔を見た。
 あれだけボロ負けした十二試艦戦が弱くない? 間違っていたのは駆るウィッチの方だった?
 一子には美緒が理解不能の異国語を喋っているように思われた。
「じゃあ、貴様なら十二試艦戦で九六に勝てるというのか?」
「勿論です」
 美緒は自信満々に頷いた。

 当然のように、その後は模擬空戦に縺れ込んだ。
 もちろん九六艦戦を駆る一子と十二試艦戦を駆る美緒の対決である。
 同航から合図と共に空戦が始まる。
『開始!』
 審判役の醇子の声で、ふたりは左右に分かれた。
 一子はこれまでと同じように、直ぐに水平旋回して鈍重な十二試艦戦の後ろに着こうとした。
 しかし、そこに思い描いていた十二試艦戦の姿はなかった。
「待て坂本兵曹! 逃げるのか!?」
 美緒の十二試艦戦は、大馬力な新型魔導エンジンに物を言わせてぐんぐんと上昇していたのだ。
 一子も必死に追いかけたが、まるで歯が立たなかった。
 やがて九六艦戦の魔導エンジンが先に音を上げてしまい、上昇が止まった。仕方がないので一子は上昇を諦めた。
 すると、それを見計らっていたかのように美緒が急降下してきた。
 一子も急降下で逃げようとするが、十二試艦戦は九六艦戦よりも遙かに速かった。
「くそぉ!」
 一子は急旋回して美緒を巴戦に巻き込もうとした。
 だがここでも美緒は一子の予想を裏切った。
 美緒は巴戦を挑んでくるどころか急降下のまま下方に逃げていってしまったのだ。
 慌てて一子が追いかけようにも、元よりの高速に加えて急降下の速度を得た美緒に真瞬く間に引き離された。
「く……、追いつけない!」
 今までの戦い方が、まるで通用しなかった。
「こんな戦い、卑怯だ!」
 一子は叫んだ。
 その後も、一子は十二試艦戦の馬力と速度に物を言わせた美緒の戦いに終始翻弄され、へとへとになったところをあっさりと撃墜された。

 疲労困憊の体で飛行場の芝生に座り込む一子を、美緒は腕組みして見下ろした。
「どうです、分かりましたか? これが十二試艦戦の戦い方なのです」
 それを聞いた一子は、飛び起きて猛然と食って掛かった。
「あんなのズルいではないか! あれではウィッチの腕ではなく、機材の性能で勝ったようなものだ!」
「ズルくて何が悪のです!」
 美緒はピシャリと言いつけた。
 一子はグッと言葉に詰まる。
「戦場では勝たねばならないのです。美しい負けなど存在しないのです! それに、機材の性能を十全に引き出す戦いができる者こそ、真に強いウィッチと呼ばれるのです」
「……」
 美緒は厳しい口調を一転させ、優しく言った。
「これからのウィッチは、大馬力、重武装化が今まで以上に進むでしょう。十二試艦戦は九六に勝つために作られた戦闘脚ではないのです。敵はあくまでネウロイ。格闘戦だけが戦いではないことを、よく覚えておいて下さい」

 その次の日より、一子は猛烈な勢いで十二試艦戦の習熟に努めるようになった。






実際の九六艦戦は、零戦がズーム・アンド・ダイブを使っても完勝出来たそうです。
げに恐ろしき日本の空戦魂。



[16353] 第八話 君を仰ぐ
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/28 16:43
 時は明けて1940年1月。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉はブリタニアにいた。日々強化されるネウロイに対抗するために、新しい翼――――十二試艦上戦闘脚を受領する為だった。
 最初は毛嫌いされていた十二試艦戦であったが、やがてその良さを理解されるようになり、皆惚れ込むようになっていた。
 二週間の慣熟訓練を終え、一子らは熾烈さを増す北欧の戦場に舞い戻ろうとしていた。

『第八話』

―― 君を仰ぐ ――

 視界は青い海で満たされていた。
 ドーバー海峡。
 ヨーロッパとブリタニアを隔てる狭き海。最狭部は僅かに34㎞にしかならない。
 左手にブリタニアの白き壁(アルビオン)を見ながら、美緒の駆る十二試艦戦は快調だった。
 同じく十二試艦戦を駆る一子は、踊るようにクルクルと回っていた。
「この十二試艦戦、やはり脚の長さは素晴らしいな!」
「長く飛べれば、それだけ戦えますからね」
 数ある十二試艦戦の優位性の中でも、美緒が感心させられたのは大馬力の魔導エンジンでも強力な武装でもなく、航続距離の長さだった。
 美緒が前に乗っていた九六艦戦の二倍近く。全速で30分以上戦闘をしても悠々と帰還できる驚異的な航続距離だ。
 陸軍国中心で、用途が要撃や近接航空支援に限定されている欧州の戦闘脚とは比べ物にならない。
 空母を中心として広大な太平洋を戦うために生まれた扶桑海軍の戦闘脚ならではである。
「旋回性能も、慣れてしまえばそう悪い物ではない」
「それに関しては、九六が素晴らしすぎたのです」
 すかさず九六信者の醇子が言った。
 美緒の荒治療もあって、一子の十二試艦戦嫌いはすっかり治った。
 もちろん醇子も更正した(九六艦戦への愛着は残っているが)。今ではふたり揃って「九六を含めた世界中のあらゆる戦闘脚でも落としてみせる」と豪語する程だ。
 事実、ブリタニア空軍の厚意(?)で組まれた新鋭機スピットファイアMk.Vとの模擬空戦では、十二試艦戦を駆る台南航空隊の圧勝だった。
 観戦に来ていた扶桑の駐在武官のしたり顔と、ブリタニア空軍将校の驚愕した顔が忘れられない。
「あぁ、はやくリバウに戻ってあのラロス改と戦いたいな」
「もうしばしの辛抱です。私も腕が鳴ります。やつらには大きな借りがありますので」
 台南航空隊の誰もが、この十二試艦戦があればラロス改(先日公式に確認された)など鎧袖一触で粉砕できると信じていた。
「しかしこうも実戦から離れていると腕が鈍ってしまいそうだな」
「実戦に勝る経験はありませんからね――――ん?」
 美緒は視界の端に何かを見た気がして、右目の眼帯を持ち上げた。
「どうした?」
「どうやら我々はついているようですよ」
「ん?」
「敵です」
 美緒の魔眼は、今まさにドーバー海峡を越えんとするネウロイの姿を捉えていた。
 戦爆連合10機の小集団だ。規模が規模だけに本格侵攻とは考えづらく、威力偵察あたりが妥当だろう。
 しかし、ラロス改に守られる中爆は、普段見慣れたケファラスではなかった。ケファラスよりずっと速い。これも新型か。
 それまでの遊覧飛行気分が吹き飛び、美緒たちはしっかりとした三機編隊を組んだ。
「こちら笹松一番、笹松一番。敵戦爆連合10機と遭遇。応援を要請する。現在地―――」
 一子が喉頭マイクを抑えて応援を要請する。
 その間にも、三人は戦闘を優位にすすめるべく敵集団の上を占位した。
「いくぞ!」
 一子の号令一下、敵集団めがけて急降下した。
 ぐんぐん迫る敵。
 九九式一号機関銃を構える。照準器いっぱいに敵の姿が映し出された。
 九七式機関銃とは比較ならない重低音と共に巨大な機銃弾が吐き出され、太い火線が敵に吸い込まれた。
 威力は絶大である。
 九九式機関銃の20㎜弾の直撃を受けたラロス改は、装甲板ごと粉砕され四散した。
 その威力の秘密は、機銃弾にある。
 何故ならば、この20㎜弾はただ口径が大きな鉛弾ではないのだ。弾頭に炸薬が仕込まれ、着弾と同時(あるいは着弾後)に炸裂して敵を撃破する炸裂弾だった。
 その威力は見ての通りである。
 美緒の視界の中で、一子の放った炸裂弾が新型中爆を仕留めた。
 主翼を千切り取られたネウロイは真っ二つになって海面へ落ちていった。その撃墜劇は、まさに叩き折ると形容が相応しい。
 美緒たちは最初の一撃で三機を撃墜し、返す刀で同じく三機撃墜した。
 護衛のラロス改が美緒たちに追いすがろうとしたが、十二試艦戦は全ての性能でラロス改を優越していた。
 瞬く間に後ろをとり、空の上から叩き落とした。
「新型が……!」
 醇子が叫んだ。
 唯一生き残っていた新型中爆が全速力でブリタニアを目指していた。
 美緒たちも追いかけるが、初動が遅れたためになかなか追いつけない。
「やつの頭を抑えろ! 高度を奪え!!」
 一子が九九式をぶっ放した。美緒と醇子も倣う。
 初速の遅い九九式は距離が離れると命中率が著しく低下する。一子たちの弾も、敵の頭上を通り過ぎていった。
 しかし、それで良い。頭の上を擦過する機銃弾を恐れて、敵は海面ギリギリまで高度を落とした。
 その先に待つのは、切り立ったドーバーの白い壁(アルビオン)である。
 敵は衝突を避けるために高度を上げなくてはならない。つまり、そこで速度が落ちるのだ。
 距離が縮まる。一子が弾切れした九九式を背中へ押しやり、軍刀を抜き放つ。
「しッ!」
 裂帛の気合いと共にネウロイは爆散した。

 * * *

 初の実戦を終えた新たな愛機は、格納庫の中で静かに翼を休めていた。
 薄暗い照明に照らされる十二試艦戦は相変わらず濡れた鼠色だが、もはや一子はそれを惨めだとは思わなかった。
 認めなければならない。
「十二試艦戦は実戦でも十分に使えるな」
「はい。今日の戦闘で確信しました」
 一子と美緒のふたりは腕組みして愛機を見上げる。
「今日の敵は、九六では逃していただろうな」
「間違いなく」
 ネウロイの高速化、重装甲化は著しい。鈍足で軽武装の九六艦戦ではもはや立ち向かえないのだ。
 頑迷にそのことを認めようとしなかった過去の自分。格闘戦至上主義の幻想から目覚めさせてくれた美緒。
 まだまだ未熟だな、と一子は強く自分を縛めた。
「それにしても」
 一子は武器庫の方を睨みつけた。
 十二試艦戦には重大な欠点があった。
「あの機銃はどうにかならんのか? 弾は山なりだし、何より弾が少ない!」
 ネウロイにトドメをさそうとしたその時に弾切れを起こしたのには、さすがに肝が冷えた。あれで仕損じたりすれば目も当てられない。
 それもその筈。九九式一号機関銃の装弾数は、僅かに60発なのだ。下手をすれば二連射で撃ち尽くしてしまう。
 威力は素晴らしいのに。
 一子ならずとも苦々しく思ってしまう代物である。
 美緒は笑った。
「照準器に敵がはみ出るほど近くで撃てば問題ありません」
「またそれか……。いつでもそれができれば苦労はしない」
 空戦の初歩にして極意。ベテランでも難しい。
 一子は九九式機関銃について意見書を書くことを固く心に誓った。

 * * *

 美緒は飛行船から雪化粧された大地に降り立った。
 数週間ぶりに戻ってきたリバウは、身を切るような寒さだった。ブリタニアも寒かったが、ここに比べれば春のように温かだ。
 思わず手を擦り合わせて息を吐きかけてしまった。
「なんだ? 寒いのか」
 美緒の様子に気付いた一子が、首に巻いていたマフラーを解いて美緒の首に巻き付けた。
 人肌に暖められていたマフラーで、首元が仄かに温かくなる。
「分隊士は……?」
「私はこれで十分だ」
 そう言って、一子は私物のコートの襟を立てた。
 高い襟は一子の首を覆ったが、風を遮る程度しか期待出来なさそうだった。
 美緒は少し考えて、マフラーを巻き直した。
 長いマフラーの中心からズレたところを首に巻き、片方を長く余らせる。
「?」
 その長い余を、疑問顔で美緒を見ていた一子の首に巻き付けた。
 一子の顔がボンッと赤くなる。
「ななな……!」
「こうすれば大丈夫です」
 一本のマフラーでふたりが暖められ、ピタリと身体を寄せ合うので寒さも紛らわせる。
 まさに一石二鳥。
 美緒は満足げに頷いた。
「何と言うことだ……、貴様は天然か? 天然なのか!?」
 絶望したような顔で訳の分からないことを言う一子を連れて、美緒は指揮所に向った。
 その後ろで、やれやれ、と首を振る親友の姿には気がつかなかった。

 指揮所の中は、さすがに暖房が効いていた。
 同じマフラーを巻いて寄り添うようにして入ってきた美緒と一子を見て、斉藤大佐と小園中佐は苦笑した。
「仲が良いのはいいが、ほどほどにしておけよ」
「は、はい!」
 火が出るほど顔を赤くしていた一子は、マフラーを解いてパッと美緒から離れた。
 その初々しい仕草に、隊長陣は笑みを深くする。完全に孫を見守る祖父の顔だ。
 生暖かい視線を受けて、居心地悪げに身じろぎした一子は、わざとらしく咳払いした。
 踵を合わせて敬礼。後ろに並ぶ美緒と醇子もそれに倣った。
「機種転換部隊、ただ今帰還しました」
「ご苦労」
 斉藤大佐が答礼する。
「十二試艦戦はどうだね?」
「はじめは九六艦戦に手も足も出なかったので落胆しましたが、先日の戦闘で認識を改めました。十二試艦戦はこれからの戦闘を想定された戦闘脚です。新たなネウロイの驚異にも見事に対応してくれることでしょう」
「そうか」
 ブリタニアでの遭遇戦の報告は斉藤大佐にも入っている。それを見れば十二試艦戦が十分に強力な戦闘脚であることが窺い知れるだろう。
「強力な新鋭機の配備はありがたい。九六では対処に困るようになってきてな」
「この二週間で損害は?」
「軽傷6、重傷3。内、ブリタニアに後送された者が2。幸いにして死者は出ていない。だが、我が隊の作戦遂行能力は半減しておる」
 一子は唇を噛みしめた。
 ネウロイの攻勢はますます熾烈さを増していたのだ。
 思い詰めた顔した一子を見て斉藤大佐は笑った。
「ともあれ、今は長旅で疲れただろう。ゆっくりと休みたまえ。以上だ」
 美緒たちは敬礼して指揮所を後にしようとした。
「お、そうだ。笹松中尉と坂本一飛曹は少し残れ」
「は」
 小園中佐に呼び止められて、美緒と一子は首を傾げた。
 醇子に目配せして、彼女には先に戻ってもらう。
 美緒は小園中佐の前に立った。一子は斉藤大佐に連れられて別室に行ってしまった。
「何でしょう?」
「他でもない、笹松中尉のことだ」
 一子の名前が出て、美緒は佇まいをなおした。
「と言いますと?」
「うむ。実は、連日の戦いで指揮官が足りない。このたび、役不足だが、若い中尉の中から笹松中尉が分隊長に抜擢された。もちろん空中では中隊長だ。平時では考えられんことだが、やむを得ん」
 美緒はついに来るときが来たのだと思った。
「そこで、先任航空歩兵のお前に頼みだが、お前にも第二小隊長をやってもらって、第二中隊が編制された。笹松中尉を中心に頑張ってくれ」
 小園中佐は信頼した目で美緒を見た。
 美緒は、小園中佐から一子のことを託されたのだと理解した。
 まだ未熟な一子をもり立てて戦ってくれ、一子を守ってくれ、そして強いリーダーに育て上げてくれ、と。
 美緒は力強く頷いた。
「頑張ってみます。副長の命令で、派遣前から空戦の指導をさせていただいた笹松中尉は、一番気脈の通じ合う方です。いつかはこの方を中隊長にと、じつは私も思っていました。さっそく新中隊長と打ち合わせに入ります」
「よろしく頼むぞ」
 美緒は敬礼をすると、直ぐさま指揮所を出た。
「ついに……!」
 美緒は胸が躍るのを自覚した。
「ついに来た!」
 そう、ついに来たのだ。一子が中隊長になる日が。
 気心の知れた――――日頃信ずる一子の下で戦える日が。
 小園中佐の命令は願ってもないことだった。
 すぐに一子に会わなくてはならない。明日ではなく、今晩会って、このことを伝えなくてはならない。

 兵舎に飛んで帰った美緒は醇子を呼んだ。
「醇子、すまないが笹松中尉を呼んで来てくれないか? 大事な用があるのだ。先任航空歩兵の私が上官の笹松中尉を呼び出すなど失礼なことだから、こっそりと呼んでくれ。理由は適当に付けて……そうだな……星が綺麗なので、波止場で夜釣りでも如何ですか、とでも伝えてくれ」
 醇子は美緒の様子から何かを察したのか、何も言わずに頷いて兵舎を出て行った。
 ところが、今さっき出て行ったばかりの醇子が、あっと言う間に帰ってきた。しかも驚いたことに、その後ろには一子がいたのだった。
 だが同時に納得もした。一子の方も斉藤大佐から話を聞かされ、同じ考えで美緒の兵舎にやってくる途中だったのだ。
 美緒は気を取り直して言った。
「波止場へどうですか?」
「うむ」
 一子も言葉少なく頷いた。
 波止場への道は終始ふたりとも無言だった。美緒が一子を先導し、黙々と基地の施設群から離れた波止場を目指した。
 そこは、いつか美緒とヴァルガが話をした波止場だ。
「……」
 本当に星の綺麗な夜だった。夜空いっぱいにキラキラと宝石のような星々が散りばめられ、星が迫ってくるようにも見えた。
 美緒は、この夜空だけは一生忘れないだろうな、と柄にもなく思った。
 やがて波止場にたどり着き、突端にまで足を進めた。
 真っ黒な海が見渡す限り続く。
 美緒は兵舎を出てから初めて振り返った。
「“分隊長”、この辺に座りましょうか。今晩は格別星が綺麗ですね」
 さりげなく美緒は言ったつもりだったが、一子は一瞬動揺した。美緒が一子のことを分隊士ではなく分隊長と呼んだからだ。
 斉藤大佐にも聞かされていただろうが、やはり隊長から聞かされるのと美緒から聞かされるのでは別の感慨があるようだった。
「うむ、ここがよかろう!」
 一子がドカリと腰を下ろした。美緒もその隣に座った。
 波止場の浅橋に並んで座り、足を垂らす。波の音がふたりの間を流れた。
 何だか気恥ずかしくて、ふたりは黙り込んでしまった。
 普段は闘志満々、サムライ、軍鶏と厳めしい異名を取るふたりであるが、こうして一対一で話すときには照れて尻込みしてしまう乙女な一面があった。
 話のきっかけがなかなか掴めないので、美緒は上着から煙草を取り出して一服つけた。
 深々と紫煙を吐き出してから口を開く。
「笹松中尉、私はあなたが我が隊に着任された直後から、あなたと共に戦えたら……と思い始めました。そして、リバウへ来る赤城の医務室で、私が高熱を発して倒れ、あなたの看病を受けたとき、私はあなたの部下として戦うことを心に誓い、そう願い続けてきました」
 そう、美緒はあの時、一子によって命を救われたのだ。
 もし、独り船室に押し込められて寝かされていたら、美緒は快復しなかっただろう。ここで一子と話すことも無かっただろう。
「その願いを天が与えてくれ、斉藤司令が今それを実現してくれました。あなたは早くも分隊長になられたのです。第二中隊長に抜擢されたのです。私たちの指揮官です。平時の内地ならお祝いですが、ここでは明日からさっそく空中戦です」
 美緒は一子の横顔を見た。
「失礼ですが、正直なところ、本当に自信がおありですか?」
「いや」
 一子は首を振った。
「ちょっと早すぎだ。本当のことを言って中隊長としての自信はないのだ」
 美緒はすかさず強く言った。
「ないんだ、じゃ困るのです。幸い司令は第二小隊長に私を選んで下さいました。それに強者の醇子や義子もつけてくれました。あなた自身にしても、何度も空戦の修羅場を体験され、ネウロイを何機も撃墜されています。立派なものです。それなのに、自信がない、じゃ困るんです。私たちの“大将”じゃありませんか! ウィッチ隊の“大将”たる者は、強くなければなりません。強くなって頂きたい!」
 美緒は自分が興奮して紅潮しているのを自覚した。
「私をはじめ、第二中隊に今日決まった全員が、あなたを源氏の大将義経と仰ぎたいのです。私や醇子が弁慶となって、我が中隊を日本一の、いや、世界一の強いウィッチ隊に仕上げようじゃありませんか!」
 一子は静かに海を見続けていた。
 しかし美緒は構わずに捲し立てた。
「中隊長に一つだけ提案があります。編隊の先頭に立つ大将たるもの、後ろは見ないで下さい。ウィッチとして一番気になる、目のない後ろの見張は部下の全員が引き受けます。私たちを信じて下さい! そして当分の間は、列機に構わず暴れるだけ暴れ、敵機を撃墜して強くなって下さい。そして威張って下さい」
「坂本……」
「大丈夫です。敵に先んじて敵を発見する見張にかけては、我が台南空でも一、二を争う義子と私がついています。もちろん指揮官が第一発見者となることが理想ですから努力して下さい。しかもその点に関しては、先頭に立つあなたが最も有利なのですが、私も義子も負けるつもりはありませんよ。これからは競争です」
 一子が美緒を見た。
「私に、できるだろうか?」
「もちろんです」
「私に中隊長が務まるだろうか?」
「もちろんです」
 美緒は大きく頷いた。
「私は貴様らより早く敵を見つけられるだろうか?」
「そこは努力次第ですね」
 美緒は意地悪く笑った。
 一子は決心したように立ち上がると、美緒の手を握って一言だけ言った。
「坂本、頼む!」
「はい。やりましょう!」
 美緒もしっかりと握りかえした。

 この瞬間、後に世界中に武名を轟かせる笹松中隊が結成されたのだ。









「ところで、坂本兵曹」
「なんでしょう?」
「煙草は身体に悪い。吸うのは止した方が良いぞ。中隊長命令だ」
「……」
 美緒は沈黙した。



 ストパン世界の弁慶は女の子。だけど「けッ、なよなよしやがってよ!」と悪態をつくスケ番ばりの大女。
 ストパン世界の義経は、みんな大好き男の娘。やるときはヤル男の娘。

 ……という電波を作者は受信しました。
 案外、書けそうなのが怖い。



[16353] 第九話 戦いを知れ
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/02/25 16:07
 時は1940年1月。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉は、ついに分隊長に抜擢された。
 中隊を率いることになった一子は、副官の坂本美緒一飛曹の助言を受けつつ、直ぐさま中隊の組織に着手した。
 後にこの中隊は、幾多の伝説と栄光を築き上げ、そして強大なネウロイの前に散った乙女たちの悲劇の記憶と共に、世界最強の零戦隊として長く人々の心の中に刻み込まれることになるのだった。

『第九話』

―― 戦いを知れ ――

 一子の分隊長就任が決まったその日の晩、ヴァルガの部屋ではささやかな祝いの席が設けられていた。
 車座になるのは本日の主役である一子、部屋の主であるヴァルガ、そして普段はアルコールを飲まない美緒も珍しく参加していた。
「ついにカズコも分隊長ね!」
「う、うむ」
 一子は照れたように頷いた。
 たった一文字違い。分隊士が分隊長になっただけであるが、戦友を率いる立場になった。
 前々から編隊の先頭に憧れていた一子は、面映ゆい気持ちだ。
「分隊長か……。この身は未熟だが、皆の期待に応えられるように粉骨砕身頑張るぞ」
「その意気よ!」
 ふたりはグラスを合わせて、琥珀色のそれを呷った。
 喉を灼けるような熱が通り過ぎていく。
「うまい!」
「良い飲みっぷりね。ほらもう一杯」
「これはすまん」
 グラスに新しいウイスキーが注がれる。
 凄まじい勢いでボトルを空けるふたりの傍ら、美緒はチビチビと酒を飲む。美緒の酒は嗜む程度だ。間違ってもウイスキーを一気飲みなどしない。
 それに加えて、美緒は酔わないように自制していた。
 目の前のふたりが酔っぱらったらどんな惨劇が巻き起こるか。翌日の朝を三人仲良くベットの上で裸の川の字を描いて迎えることになりかねない。
 止めるのは、美緒の役割だった。
 それが分かっているので、一子もヴァルガも美緒に無理矢理ウイスキーを飲ませるようなことはしない。
「しかし、なんだかんだと言っても、中隊長になるのは不安だ。ヴァルガは先達として何か助言はないか?」
「そうねぇ」
 カールスラント空軍のウィッチ中隊を率いる立場のヴァルガは、顎に手を当てて考えた。
「強いて言うなら、個人の戦績に拘らずに、部隊の安全を最優先にすることかしら」
「うむ、やはりそうか。坂本兵曹は?」
 一子は美緒にも水を向けた。
「私は中隊長になったことがないので詳しくは話せませんが、編隊飛行についてはそれなりに助言出来ます。
 分隊長は編隊空戦をどのようにお考えですか?」
「編隊空戦か……」
 一子は今までの空戦を思い出して言った。
「まず初動で敵に優位な位置――――例えば後ろ上方を占位することか?」
「その通りです。我々の機銃は敵機の真後ろについて軸線をぴったりと合わせたときが最もよく命中するのです。編隊空戦の初動でこういう態勢を作り上げるように持っていくことが大切です」
 美緒は両の手を敵と味方の二機に見立てて話し続けた。
「空中での照準は複雑です。自速、弾速、敵速、上下左右の角度、距離、さらにGや彼我の機の滑り、機の浮き沈み。このような算定基礎をひとつでも誤ることは、照準点――――敵機の未来位置へ送る弾丸の修正量を誤らせる結果となります。こうなっては、いくらベテランと言えども、十回に一回の命中率も得られません」
 一子は真摯な目で聞いていた。ヴァルガも興味深そうに耳を傾けていた。
「つまりですね、分隊長。大切なのは無修正で直接照準、至近の位置に敵機を置くことです。こうすれば戦いを単純化し、修正量をゼロに近くすることができるからです。一対一でも一対複数でも、これは鉄則です。
 そして、この態勢をとり得るかどうかは、初動時に戦いの主導権を得られるか否かで決定されます。この空戦の形が出来上がれば、あとは射距離の問題だけになり、命中弾を得るための他の要因をすべて打ち消すことができるのです」
 美緒は喋っている内に熱が入り、饒舌になっているのを感じた。
 椀の酒を少しだけ含んで、口の中を湿らせる。
 美緒は今まで経験した戦闘を思い浮かべた。
「私の経験からお話ししますと、ウィッチの空中戦というものは、例えるなら両手をひろげて鶏の群を鶏舎に追い込むようなものです。このとき、一羽でも自分の後ろに鶏を残してはならないのです。あるいは、広い草原で羊をまとめる誘導犬の動きに似ています。あの動きが編隊空戦の理想の姿です。先手主導権をとって相手編隊を味方編隊の前方に押し出せば、勝負はこちらのものです。しかも、一番気になる後方への見張が不要となります。
 ですから、これを成功に近づけるためには、指揮官だけに任せるのではなく、編隊の全員がその形を実現することに執念を燃やして行動することです。全ての条件をパーフェクトに持っていった結果の集大成が、敵味方の戦力差になり、勝負を分けることになります。このことを味方列機に周知徹底させ、実行させることが肝要です」
「なるほど牧羊犬。言い得て妙ね」
 ヴァルガは感心したように頷き、一子も美緒の言葉を咀嚼するように頷いている。
「ありがとうございます。しかし、あともう一つだけ言っておかねばならないことがあります」
「それはなんだ?」
 美緒は一子を見た。
「これからの空中戦の鉄則です」
「なに、これからの?」
 一子は身を乗り出して耳を傾けた。
「はい。現在の皇国のウィッチ隊では、空戦訓練の場合、一対一の格闘戦に強い人が空戦の達人のように言われ、さらには相手に追尾された不利な状態から秘術を尽くして巻き返し、挽回して逆転する技を名人芸といって讃える風潮があります」
 一子には思い当たる節があった。彼女自身、新任の頃は美緒に何度も頼み込んで秘術を見せてもらい、必死に盗んだ記憶がある。
 隊の多くも、今も格闘戦の技能を必死に磨いている。
「しかし、よく考えてみて下さい。弾丸の飛んでこない訓練では一見して名人上手のように見えますが、実戦では敵に追尾されて一時的にも不利な形になることは、挽回する前に墜とされてしまう確率が高いということです。
 実戦における理想の形とは、格闘戦になる前に、素早く相手を仕留める。敵がややこしい動きをする以前に、先手をとった最初の第一撃で、各機それぞれが第一機目を討ち果たすことです。
 これについては、カールスラントのウィッチの方が進んでいます。例えば、第五二戦隊のハルトマン少尉は編隊空戦の名手ですし、ここにいるツァンバッハ中尉も上手です。対して、我が軍では陸軍の加藤少尉など、極一部でようやく認知されてきているだけです」
「むぅ。我々は遅れているのか?」
「必ずしもそうとは言い切れませんが、このまま格闘戦にこだわり続ければ、いつか手痛いしっぺ返しがあるでしょう」
 美緒は訥々と語った。
「格闘戦は最後の手段です。ですが、この格闘戦でもファインプレーの末に勝つ、というのは感心しません。ファインプレーの影には必ずピンチがあり、したがってピンチから脱して逆転勝利するからファインプレーになるのです。それは危険な勝利です。ピンチから逆転して敵を仕留めると、自分自身はたいへんな勝利感を味わい、また端から見れば名人芸に見えるものです。しかし、これはやはり危険です……」
 一子は、先日の九六艦戦で美緒の十二試艦戦に敗れたときのことを思い出した。
 あの時、美緒は強い口調で言いつけた。ズルくて何が悪い、と。なるほど、美緒のこの言葉は、彼女の戦闘理念から出た言葉なのだ。
 その理念が正しかったことは、この二週間でいやと言うほど味わった。
「訓練では、手強い相手と遭遇して互角の戦いになったときを想定して格闘戦の技を演練するのですが、これは格闘戦における際どい運動の体得であり、実戦における最後の一手の研究です。
 しかし、この最後の極め技を、実戦においていつもいつも使わなければ勝てないということは、まだまだ自分が未熟であると考えなければなりません。相手に秘術を使う前に倒す。これが勝負の理想です」
 一子の脳裏に衝撃が走った。
 一子は知っている。
 美緒は、彼女の伝家の宝刀である左捻り込みを、実戦で一度も披露したことはなかった。
 あれだけの超絶技巧、一子も何度となく煮え湯を飲まされた極め技を、美緒は実戦で使わないのだ。
 美緒は有言実行を尊ぶ人であったが、ここまで徹底していたのかと一子は感心した。
「たいへん難しい至難のことと思えるでしょうが、これに近づく研究と努力をとことんまでやるべきです」
 訓練あるのみ。美緒は最後にそう言って言葉を締めた。
「そうだ、その通りだ」
 一子は感激した様子で美緒の手を取った。
「私はまだまだ未熟だ。よろしく頼むぞ、坂本兵曹!」
「もとよりそのつもりです!」
 ふたりは手を取り合い決意を新たにしたのだった。

「あぁ、美しい師弟愛ねぇ」
 ヴァルガは見つめ合うふたりを見ながらしみじみと呟いた。

 一子と美緒のふたりは、それから暇を見つけては編隊空戦についての議論を重ね、よりよい戦術の発明に心血を注いだ。
 昼間はお互いの立場があり弁えなければならないので、議論は専ら夜に行われた。ある時は一子の個室、あるときはヴァルガの個室、またあるときはあの桟橋。
 ふたりは疑問ができるたび、問題が浮かび上がるたびに集まり、階級を超えて激論を交わした。
 ある時は作戦が通用して大戦果を収めることもあったし、失敗して思わぬ苦戦を強いられることもあった。
 その度にふたりは集まり、改善点を探した。
 ふたりの研究で導きだした答えは、美緒を通して他のウィッチたちにも伝えられ、納得させてから実行に移された。
 ふたりの目標は唯一つ。
 いかに味方の損害を少なくし、かつ最大の戦果をあげるか。
 これに集約された。

 * * *

 ふたりの研究は、頻度を増す敵の攻勢もあって、実戦で試す機会には事欠かなかった。
『敵ラロス型の一群が接近中。数30余り!』
 今日も今日とてスピカー甲高く喚き、ウィッチたちが一斉に格納庫へ走った。
 美緒も直ぐさま戦闘脚に飛び乗ると、魔導エンジンに魔力を叩き込んだ。
 始めは不機嫌そうにしていた魔導エンジンも、美緒が出撃準備を整える頃には快調に回り出す。
 美緒は小隊の部下たちに目配せすると、滑走路に進み出た。
 滑走路では、すでに出撃準備を終えたウィッチたちが次々と空に舞い上がっており、上空で編隊を組み始めていた。
 今日は敵を遠方で捉えられてので、こちらも打って出ることになっているのだ。
 美緒も小隊を引き連れて離陸し、一子の小隊を見つけてその後ろに着いた。
 一子は長いマフラーが目印になるので見分けやすい。
 美緒に気がついた一子が手を振る。
「今日もよろしく頼むぞ」
「お任せ下さい!」
 集結を終えた編隊は、翼を並べて敵を目指す。

 会敵予想地点に到着して、全員が目を皿のようにして敵を探した。
 美緒も右の眼帯を持ち上げて、遠見の魔眼を露わにする。これを持つ美緒の見張能力は台南航空隊でも一、二を争った。
 そして美緒の魔眼はその能力を遺憾なく発揮して、12、3の芥子粒ほどの大きさの敵を捉えた。
「敵機発見!」
 直ぐさまその位置は指揮官に伝えられ、編隊は敵を左に見ながら大きく後ろに回り込もうとした。
 しかし、美緒は敵を探すのを止めなかった。
 情報によれば、敵機の数は30前後である。今見えている敵は12ほどなので、必ず別の敵機が近くにいるはずなのだ。
 もしも今の敵を攻撃中に後ろに回り込まれたら目も当てられない。
「いた!」
 美緒の考えは的中し、敵編隊の後ろに、各々かなりの距離を空けて、二つの編隊が続いていた。
 危なかった。
 このまま後ろの編隊に気付かずに先頭の敵編隊を襲っていれば、無防備な後方から逆襲されるところだった。
「敵編隊の後方に、さらに別の編隊を発見!」
 美緒は再び指揮官に無線を入れた。
「私には見えないぞ」
 指揮官は必死に目を凝らしているが、敵編隊を捉えられない。美緒の遠見の魔眼だけが見通せる距離だった。
 美緒は一気に加速すると編隊の先頭に躍り出た。
「私が誘導します!」
 バンクを振って、美緒は編隊の軌道を修正する。
 一度敵から離れ、大回りに最後尾の敵編隊へ近づく。
 徐々に徐々に敵編隊との距離が詰まる。敵はまだ気がつかない。
 もう少し、もう少し。
 美緒は逸る気持ちを抑えながら、慎重に間合いを計った。
「今だ!」
 美緒はバンクを振って、敵の第一群めがけて急降下した。
 美緒に続いて、迎撃隊が全機突撃する。
 美緒は敵編隊の、人類側で言う所の小隊長機の位置にいるラロス改に狙いを定めた。
 引き金を引く。
 打ち出された20㎜炸裂弾は、ラロス改を粉々にした。
 首尾良く敵機を撃墜した美緒は、急降下の勢いのまま敵機の頭上を抜け、頭を抑えた。
 振り返れば、敵編隊の半数が、火を噴いたり、錐揉みしながら落下していくの見えた。
 残った半数は、泡を食ったように四方にばらけ、デタラメな回避運動を開始した。
 美緒たちは散り散りになった敵機を追いかけず、態勢を立て直して次の敵第二群に狙いを定めた。
 再び同じ要領で後ろから近づき、必殺の間合いで奇襲をかける。
 今度は5機が火を噴き、あとは急降下して逃げていった。急降下勝負では、十二試艦戦は自重や機体強度の関係からラロス改に分が悪い。
 これも深追いすることなく、最後の第三群に狙いを改める。
 そこで、美緒はふと思いついた。
「笹松分隊長、昨日のやつをやってみませんか?」
「やるか!」
 一子はニヤリと笑って賛同した。
 昨日のやつ、とは、急降下して逃げてしまう敵をどうやったら追い詰められるか、を考えた末に出た新戦法だった。
 指揮官の許可を手早くとって、美緒と一子たちは流れるように陣形を入れ替える。
「いくぞ!」
 一子の編隊が今までよりずっと浅い角度で敵編隊に近づき、上方より一撃加えた。
 敵機たちは慌てて背面降下しようとした。
 だが、急降下で逃げる目論見は、脆くも崩れ去った。
 その先には、下方に潜り込んでいた美緒たちが手ぐすね引いて待ち構えていたのだ。
 背面降下のために大きく機影を晒した敵機に、美緒たちは狙い澄ました機銃弾を叩きつけた。

 戦術は単純である。
 本来は、最初の一撃をかけた後に、空戦の鉄則として上方を占位するために再度上昇する。敵機が反転してきて、格闘戦になるなら、それは正解だ。
 しかし実際は、敵は格闘戦に乗らずに急降下で逃げてしまう。
 だから、逃げ道を塞いだ。
 最初の一撃をかけた後、一隊が下方に潜り込んで、上下から挟み撃ちにするのだ。
 この方法は実は大きな危険と隣り合わせで、下方に潜り込む隊は、ひとつ間違えば敵機の目の前に飛び出す危険をはらむ。
 これを防ぐために、美緒と一子は何度も議論を重ねて、通常より大分浅い突入角度をとるという結論に落ち着いたのだ。

 この作戦は見事ツボにはまり、待ち構えた美緒たちは敵編隊の大半を叩き落とすことに成功した。
 美緒は溢れてくる喜びを飲み下しながら、次の戦いに備えた。
 そろそろ、第一群と第二群の生き残りが態勢を立て直して逆襲してくるころだ。
 案の定、敵は残存機を糾合して高度を上げてきていた。
 美緒たちは猛禽のように上位から躍りかかった。

「しッ!」
 美緒は裂帛の気合いと共にラロス改を切り捨てた。
 ラロス改は爆散し、飛び散る破片をシールドで防ぐ。
 これで4機目。
「次は……」
 美緒は次なる敵を求めて視線を巡らせた。
 だがもう既に敵の姿はなく、味方だけが空に残っていた。幾本か立ち上る黒煙だけが戦場の残り香だ。
 美緒は軍刀を鞘に収めた。
 空戦が終了して、味方が集まってくる。
 美緒は味方の数を数えた。
 全機いる。しかも、誰も被弾した様子がない。
「美緒、すごい! 大勝利だよ!!」
 喜び一杯の醇子が美緒に抱きついてきた。
 美緒も喜びが沸々と湧き上がるのを感じた。
 敵味方数十機が入り乱れる大空戦で、無傷の大戦果。これに勝る大勝利はない。
「新戦法、うまくいったな」
 美緒の横に並んだ一子も、頬を紅潮させていた。
「はい。これは使えますね」
「しかし、上から見ていると肝が冷えるな。下方の隊はベテランでなくては危ない」
「そうですね」
 そこは改善の余地が残されている。
「帰ったら反省会だな」
 一子は笑って言った。
 今日成功した作戦が、明日も成功するとは限らない。
 勝って兜の緒を締めよ。
 勝ちに驕らず日々研究を怠らないことが大切なのだ。
「はい」
 美緒も笑って頷いた。

「さぁ、基地に帰るぞ!」
 指揮官の号令で編隊が組まれた。
 勝利の余韻に胸を張り、自信に満ちあふれた大鷲のように。
 この時が、台南航空隊が最も輝いていたのかもしれない。






 後書き
 どうもこんにちは。作者の小山の少将です。
 先日感想板で少々ネット環境のない僻地に飛ばされて投稿が滞ると書きましたが、なにやらいきなり先方からドタキャンされまして、話がお流れになりました。
 全く以て嬉し……げふんげふん……腹立たしいことですが、これまでの作業環境を確保することができました。
 そこで投稿は今までどおり続けていく所存なので、よろしくお願いします。



[16353] 第十話 明日は見えぬ
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/03/01 21:55
 時は1940年春。
 晴れて正式採用され、零式一号艦上戦闘脚一型と名前を改めた十二試艦戦は、優れた技量を誇るウィッチに操られて破竹の快進撃を続けていた。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉も、初めて任される中隊を率いて試行錯誤を重ねながら数々の戦果を挙げていた。
 しかし、日々の新聞が連戦連勝に沸き立つのとは裏腹に、ネウロイの攻勢は留まるところを知らないのであった。

『第十話』

―― 明日は見えぬ ――

 時が経つに連れ、戦況はますます厳しさを増した。
 カールスラントの戦線では撤退が重ねられ、村が、街が、都市が、道が、街道が次々とネウロイに占領された。
 各地より発せられた悲鳴のような電波が幾つも錯綜する。
 西部戦線を側面から支えるリバウの街と台南航空隊も、それは変らなかった。
 ネウロイの占領地域は着々とリバウの街に迫り、台南航空隊の防空網を抜けた敵がバルト海に出没するようになった。
 そして神出鬼没のネウロイによってリバウへの輸送船が沈められ、物資が不足する事態が度々起こった。
 特に嗜好品の欠乏は深刻で、ウィッチを含め、皆の不満が高まっていた。
 嗜好品は生活必需品でないが故に嗜好の名を冠すが、それが無ければ人間の生活は立ちゆかない。
 欠乏するとすぐに危機的状況に陥るということはなくても、徐々に心労が溜り心身を蝕まれる。
 数々の便宜を図られているウィッチ隊でもそれは変らず、彼女たちが切望して止まないチョコレートや飴、ガム――――そうした甘い物はとりわけ貴重だった。
 甘味は女子に需要が高いが、しかし軍隊は男子中心。
 必然的に男性向けの嗜好品――――酒、煙草などの絶対量は多くなり、確率論的にネウロイの襲撃から免れた輸送船にはこれらが乗っていることが多かった。
 数少ない甘味の嗜好品は、さらに少なくなった。
 しかし、どんなに欠乏する物でも、存在ところにはそれは存在するもので、下士官には無くても士官たちはたくさん持っていることが多かった。
 士官宿舎の近くを通るたびに、もぐもぐとガムを噛む上官や、チョコレートの甘い香りを漂わせる士官を見て、下士官や兵のウィッチは不満を募らせた。
 その不満を解消する必要がある。
 彼女たちはある物に目を付けた。
 チョコレートは無いが別の嗜好品――――煙草はある。
 ウィッチたちには健康上の理由で自粛を求められていたが、彼女たちが煙草を覚えるようになったのは、ある意味当然の成り行きだった。

「坂本兵曹、いるか?」
 美緒を探して兵舎に来た一子が、驚愕の光景に出くわして入口で固まった。
 部屋中に濛々と立ちこめる白煙。
 すわ火災かと身構えそうになって、その原因を見つけて一子は眉を潜めた。
「はい、なんでしょう」
 美緒は吸っていた煙草を灰皿に押しつけて駆け寄ってきた。
 一子はなおも喫煙を続ける下士官ウィッチたちを苦々しげに見回した。
「坂本兵曹、煙草は身体に悪いから止めるようにと何度も言っただろう。それは他の下士官もだ!」
「分隊長、私たちは明日も知れぬ身です。中毒の私は尚のこと、他の兵・下士官も、身体に悪いから、という理由では煙草を止められません」
 日頃の鬱憤が溜まっていた美緒は、言葉こそ丁寧だが明らかに反抗的な態度をとった。
 それどころか、美緒は悪びれもせず、煙草嫌いの一子の目の前でこれ見よがしに煙草を着けた。
 これには一子も怒り心頭で、猛然と怒鳴りつけた。
「坂本、貴様! 止めろと言うのがわからんのか!?」
 あまりの剣幕に、思わず他の下士官たちが煙草を吸う手を止めた中、美緒だけは煙草を銜え続けた。
「分かりません!」
 美緒は一子の言葉に頑と反抗した。
 普通の士官と下士官の関係ではできない。一子と美緒だからこそ言えた言葉だった。
 美緒は振り返って後ろにいる下士官たちを目で示した。
「前線で一番命を張っているのは彼女たちです。そんな彼女たちから健康に悪いと言って煙草を取り上げて、何も与えないつもりですか? 彼女たちは甘い物に餓えています。なのに、士官方は皆いつも甘い香りを漂わせているではありませんか!」
「……!!」
 一子の顔が怒りで真っ赤になり、それから一転して無表情になった。
 美緒にはそれが、一子の怒りの極地であることが分かった。下から美緒を睨みつける黒い瞳の奥に、轟々と噴き上がる怒りの炎が透けて見える。
 一子は何も言わず、踵を返して兵舎から出ていて行ってしまった。
「よく言った、美緒!」
「それでこそ先任!」
「かっこいいぞ!」
 それから、美緒は大将首をとった英雄のように皆に揉みくちゃにされた。

 しかし、しばらくもしない内に、兵舎の前に甲高いスキール音を響かせて一台のくろがね四起が止まった。
 何事かと外に飛び出して来た美緒たちの前に、運転席から大きな箱を抱えた一子が降りてきた。
 一子は戸惑っている美緒たちを見てニヤリと笑うと、美緒たちの前にその箱を置いて、無言のまま車に飛び乗ってさっさと走り去ってしまった。
 一子の一連の行動を、美緒たちは呆気にとられたまま見つめ、しばらくポカンとしたまま動けなかった。
「なんだったんだ……?」
「さぁ?」
 美緒と醇子は顔を見合わせる。
 とりあえず、美緒はその箱を開けてみることにした。
 そして仰天した。
「チョコレート!?」
 箱の中には、夢にまで見たリベリオン製のチョコレートが、ぎっしりと詰め込まれていたのだ。
 その上には紙が一枚。
 走り書きの文字で、
『皆で食べるように』
 それを知った下士官・兵の全員が歓声を上げた。
 一子の面目如実だった。

 * * *

 一子はその足で格納庫に向った。
 格納庫はボロボロだった。窓ガラスは全て割れ、所々崩れた壁を木材や布で必死に補っている。
 爆撃の被害だった。
 バルト海にまで進出出来るネウロイがこのリバウ基地を見逃すはずもなく、奴らの爆撃は基地にまで被害をもたらしている。
 ネウロイの支配地域が迫るにつれ、各地に置いた監視所による早期警戒網はその意義を失いつつある。
 監視所で発見出来たとしても、その頃には敵は目と鼻の先に迫っており、迎撃隊は劣位での空中戦を強いられるか、ことによるとウィッチでありながら防空壕に避難するしかできないこともあるほどだ。
 敵の優勢は、口には出さずとも最早誰の目にも明らかだった。
 敵の爆撃が下手で、格納庫や施設への被害が局地的なのが唯一の救いだ。

 一子は歪んだ開けにくくなった鉄扉を潜って格納庫に入った。
 機械油に薄汚れた作業服の整備兵たちが、寝る間も惜しんで機体を整備している。
 補給物資が乏しい状況でも、とりうる最良の状態に機体を仕上げる整備兵たちには、一子も頭が下がる思いだった。
「整備班長」
 一子は鋭い視線で整備作業を監督している整備班長に近づいた。
「これは笹松中尉」
 整備班長の敬礼に答礼を返す。
「いつもすまないな。司令から労いがあったから、届けに来たぞ」
 一子は持っていた箱を整備班長に渡した。
 箱の中身を確認して、整備班長は無精髭の顔を綻ばせた。箱の中身は煙草だった。
「あと、これは私からだ。皆で飲んでくれ」
 一子はジョニ黒のボトルを置いた。
 それを見ていた整備兵たちが歓声を上げた。
「ゴラァ! 手ぇがッまってんぞ、ゴラァ!!」
 整備班長の鬼のような怒声でいそいそと作業に戻る。
 一子の向き直った時には、先ほどの鬼の顔はどこにも残っていなかった。
「ありがたく頂きます」
「うむ。戦いはこれからどんどん厳しくなる。私たちウィッチが戦うには十全に整備された機材がいる。よろしく頼むぞ」
「心得ています」
 その時、警報が鳴り響いた。

『ディオミディア型6機、当基地に向けて接近中!』

「凶悪な白鯨(ディオミディア)か!」
 一子は手近にあった戦闘脚に飛び乗った。
「回せ! 一機でも多く空に上げるんだ!!」
 警報を聞きつけたウィッチたちが格納庫に飛び込んでくる。
 一子はいち早く起動を終えると、滑走路に躍り出た。

 * * *

 美緒が格納庫に駆け込んだのは、一子が既に出た後だった。
「回せ、回せ!」
 美緒は足下で慣性起動機機(エナーシャー・スターター)を回す整備兵を急かした。
「点火(コンターク)!」
 美緒は待ちきれずに魔力を流し込んだ。
 魔導エンジンに息吹が吹き込まれ、一瞬起動したかと思われたが、すぐに止まってしまった。
 起動失敗。
 美緒は慌ててもう一度起動手順を繰り返した。
 しかし、また失敗してしまった。
 美緒の中で焦りが大きくなる。
「来たぞ!」
 格納庫の中に残っていた誰かが叫んだ。
 その指す先には、空を悠々と飛ぶ巨大な白い影があった。周りにまとわりつくウィッチをものともせず、一直線に基地に向っている。
 もはや起動は間に合わないと見たのか、まだ発進を終えていなかったウィッチやその整備兵たちが防空壕へ向って走り出した。
 美緒の慣性起動機(エナーシャー・スターター)を回す整備兵も逃げ腰だ。
「点火(コンターク)!」
 美緒はもう一度起動を試みた。
 だが無情にも魔導エンジンは美緒に応えない。
「くそッ!」
 美緒は脇に置かれていた九九式機関銃を掴んだ。
「逃げろ!」
 整備兵を逃がし、美緒も格納庫を飛び出した。
 その頃には、敵は美緒の頭上にまで到達していた。
「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」
 美緒は九九式機関銃を敵にめがけて発射した。
 しかし魔導エンジンの魔力増幅機能と、それに伴う筋力増幅機能を得られず、弾道はバラバラ。弾にも碌に魔力が込められていないので、威力もたかが知れている。
「馬鹿者! はやく走りなさい!!」
 防空壕から半身乗り出した飛行隊長の中島正美少佐が美緒を怒鳴りつけた。
 美緒は機銃を放り捨てると、一目散に防空壕めがけて走り出した。
 その時、直上から爆弾が空気を切り裂くキーンという甲高い音が聞こえた。
 美緒はいよいよヤバいと思って、最後の力を振り絞って防空壕の中へ頭から飛び込んだ。
 それと同時に爆弾が爆発する轟音が美緒を揺さぶり、辺りが真っ暗になった。
 美緒は訳が分からないまま闇の中でかき回され、静かな暗闇の世界に閉じこめられてしまった。
 それまでの爆撃が嘘であるかのように、世界は静かだった。
 とりあえず痛い場所もなく、違和感もないので無事だろう。
 ひとまず美緒は安心した。
 そのままジッとしていると、中島少佐の声がした。
「坂本! 坂本はいる!?」
「はーい、ここにおります!」
 美緒は声を上げたが、何故だか籠もっていて変な声だった。しかも口に大量の砂が流れ込んできた。
「これはいけない。坂本が埋められたらしいわ!」
 中島少佐の言葉で、ようやく美緒は自分が生き埋めになっていることに気がついた。身体が重くて息苦しいと思ったら、美緒は土砂の下にいたのだ。
 直ぐに美緒は掘り起こされたが、世界は真っ暗なままだった。
 実は防空壕にあった出入り口が二つとも潰れて、中島少佐も含めみんな生き埋めになっていた。土砂に埋められたのは美緒だけであったが。
「しっかりするのよ! 入口に近い者は爪ででも掘りなさい!」
 中島少佐が皆を鼓舞して地上目指して穴を掘る。
 すると地上の方からもスコップで穴を掘る音が聞こえてきて、生き埋めになった皆を勇気づけた。
 美緒も必死に穴を掘った。
 スコップの音もだんだん近くなる。
 やがてボロッと天井が崩れて、眩い光が美緒の目を焼いた。美緒は咄嗟に顔を庇う。
 ようやく地面への穴が空いて、生き埋めになった全員で万歳!と叫んだ。
「ひどい有様だな、坂本兵曹」
 スコップの主は美緒を見て笑った。美緒も笑い返した。
 美緒の身体は顔と言わず服と言わず、全身土砂まみれの真っ黒だった。泥人形のような有様だ。
 美緒は腕を掴まれて引き上げられる。
 魔力と魔導エンジンで増幅された筋力は、少女の細腕一本で美緒を軽々と持ち上げた。
「あぁあぁ、せっかくの美人が台無しだ」
 スコップを脇の地面に突き刺して、一子はマフラーで美緒の顔を拭った。
「どうです、男前でしょう?」
 美緒が悪戯っぽく言い返すと、一子はポカンとした後、声を上げて笑った。
「あっはははは!! 違いない! 思わず惚れそうになったぞ!!」
「それはたいへんだ!!」
 ふたりは顔を見合わせ、もう一度大きく笑った。



 その夜、美緒と一子のふたりの研究会が開かれた。
「坂本兵曹! 次はアイツを墜すぞ!」
 一子は息巻いた。
 同じ敵にやられっぱなしでは皇国軍人の名折れである。
 すぐさま美緒と一子はディオミディアに対抗するための秘策を考えた。
 ディオミディアの特徴は三点である。
 一つ、非常に大きい。一つ、重装甲。一つ、重武装。
 この恐るべきネウロイに対抗するには、従来の迎撃方法は不向きだった。
 従来の方法とは、敵機の後ろ上方700mくらいの所から反復攻撃をかけるというものだ。
 だがこの方法だと、ウィッチたちは目測を誤ってしまうことが多かった。敵が余に巨大で、自分が思っているよりもずっと遠方から攻撃してしまい、無駄弾が多くなるのだ。
 加えて、この後ろ上方は敵も意識しているのか、ディオミディアの火線の多くはこの向きを向いていた。
 ならば、と美緒たちは思い切った作戦を考案した。

「11時方向、ディオミディア接近! 数5!!」
 美緒は右の眼帯を下ろした。
 リバウ市に向けて進撃するディオミディアを迎撃するべく発進した笹松中隊は気炎を上げた。
「坂本兵曹、あれをやるぞ!」
「はい!」
 美緒たちは中隊長の一子を先頭に一列の槍となった。
 そして、敵の右前方から反航戦を仕掛けた。

 前方からの反航戦。これが美緒たちが導きだした答えだった。
 後ろ上方から接近すると距離を誤るが、反航戦なら思いっきり接近でできる。厄介な敵の火線も前方には少ない。
 その上、機銃弾に敵味方の速力が加えられて威力の増大も期待出来た。
 真正面から突撃しないのは、進路の軸を僅かにズラすことによって敵の照準を混乱させるのが狙いだ。

「全軍突撃!」
 一本の槍となって突撃する笹松中隊。
 さっそく一子が第一撃を加えて離脱した。それに続く二番機の第二撃。
 その瞬間、狙いを定めていたディオミディアが白い光に包まれた。
 大爆発。
 爆弾に誘爆でもしたのか、ディオミディアの巨体は跡形もなく吹き飛んでしまった。
 突然の爆発に慌てた三番機は煙の中に突き抜けてどこかへ行ってしまった。
 続く四番機の美緒は軌道を修正して新しい敵に狙いを定めた。
「今だ!」
 絶好のタイミングで美緒は引き金を引いた。
 しかし、手応えがない。機銃弾が出ていなかった。
 美緒は慌てて自分の機銃を確認した。なんと、安全装置が掛かったままである。
 美緒は自分に腹立たしいやら恥ずかしいやら、仲間に申し訳なくなった。まさか今頃こんな新兵のようなミスをするとは。
 しかも、ミスは重なるもので、本来ならこんな敵の至近で悠長に機銃の安全装置を確認するのは危険極まりない行為だった。
 美緒の身体に衝撃が走り、シールドが見る間に削られていく。
 美緒は慌てて敵機のそばから離脱した。

 遠目に、一子の第一小隊が敵をまた仕留めたのが見えた。
 大爆発と共に、敵機が砕け散る。
 美緒が攻撃の位置に着こうしている間にも、もう一機が第一小隊の攻撃で爆散した。
 美緒は自分が攻撃する頃には敵が全部墜されてしまうのではと気を揉んだ。
 だが世の中よくできたもので、遁走を始めた敵がちょうど美緒に顔を向けた。絶好の攻撃位置だ。
 美緒はしっかりと安全装置を解除すると、小隊を率いて突撃した。
 美緒の機銃弾が敵の鼻面で閃光を散らせ、呆気ないほど簡単に大爆発を起こした。あれだけ手こずっていたディオミディアだけに美緒も驚いた。

 美緒は戦闘空域の上空で戦場を俯瞰した。
 最後の一機が一子によって追い詰められている。あれも遠からず墜ちるだろう。
 そこで美緒は、一機の味方が飛行脚から薄い煙を吐きながら基地に向って飛んでいくのを見かけた。なんだかフラフラして危なっかしい。
 美緒は一瞬ついて行こうかと考えたが、止めることにした。
 あの様子だったら基地までは帰れると思ったし、なにより最後の敵機に気をとられているうちに見失ってしまった。
 そのフラフラとした味方は美緒の頭の中から流された。
 それから間もなくして最後の敵機も見事撃墜された。

 ディオミディア全機撃墜の報は基地を湧き立たせた。
「報告、敵ディオミディア型超重爆5機全機撃墜!」
 指揮所で斉藤大佐に報告する一子も、興奮で頬を紅潮させていた。
 カールスラントの主戦線でも苦戦が続く難敵相手の大戦果に喜びを抑えきれない。
「よくぞやってくれたな。これも日頃の研究の賜だ。これからも精進するのだぞ」
「はい!」
 斉藤大佐はじめ、隊長陣から功績を讃えられて一子も胸を張った。



 しかし、この日、一機の未帰還機が出た。
 ウィッチ総出で捜索されたが、ついに彼女は発見されなかった。
 後日、木吉良美三飛曹に戦死判定がなされ、基地に暗い影を落とした。





[16353] 第十一話 龍の顎は開かれた
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/03/01 21:55
 時は1940年8月。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉が分隊長に抜擢されてから、早くも半年以上が経過した。
 その間に彼女の中隊は史上稀に見る大戦果をたたき出し、その武名は零式艦上戦闘脚の活躍と相まって無敵の零戦伝説まで誕生した。
 しかし、その戦果も攻勢を強めるネウロイの物量の前には蟷螂の斧に過ぎず、彼女らは次第に心身共に消耗を強いられていたのである。
 そんな折、カールスラント国防軍より台南航空隊に、オラーシャ最大の都市――旧モスクワの街にネウロイが集結中であるという情報がもたらされた。

『第十一話』

―― 龍の顎は開かれた ――

 リバウ基地の待機所には、基地に駐留する全てのウィッチが集められていた。
 現在のリバウ基地の戦力は、台南航空隊の3個中隊とカールスラント空軍の1個中隊の合わせて4個中隊。
 だが部隊の充足など望むべくもなく、人数にして20人余にまで損耗していた。
「ここも寂しくなったな……」
 一子がポツリと呟いた。
 美緒は辺りを見回した。
 部屋の中には空席が目立ち、物寂しさを漂わせている。リバウに進出してきたときは、もっと溢れるほど人がいた気がする。
「本田も山口中尉も、もういない」
 いつの間にか、台湾以来の士官は、隊長陣を除けば、一子ひとりになっていた。彼女と共に来た新任中尉たちも、誰ひとり残っていない。
 下士官も、美緒を含めて数人が残るのみである。
 この半年で、何人もの戦友が戦線を離れた。
 ある者は怪我で、ある者は病気で、ある者は魔力を喪失し、そしてある者は戦死という悲劇で。
 戦死者の数が片手で足りるのが、唯一の救いだった。
 カールスラントのウィッチたちはもっと悲惨で、本国からの増援が来ないために1個中隊と称しながらも実態は半個中隊6人に過ぎない。
 長くヴァルガの副官を務めていたハンナ・デュッケ少尉も、先日負傷してブリタニアに後送された。
 ひとつ、またひとつと増えていく空席に、誰もが次は我が身だと覚悟した。
「起立! 中島隊長に敬礼!!」
 号令が掛かって、皆一斉に敬礼する。
 待機室に入ってきた飛行隊長の中島少佐が答礼して、全員に着席するように指示を出す。
 中島少佐は軍人口調で重々しく口を開いた。
「カールスラント国防軍より情報が入った。敵の有力なる機甲部隊が、旧モスクワに集結中である。これは本格侵攻の予兆であるという分析である」
 本格侵攻と聞いて、待機室の中が騒がしくなった。
「我が方は、この集結地に対し、カールスラント空軍による爆撃を敢行することを決定した。我々はその護衛として出撃する。史上に類を見ない長距離爆撃だ。各員、魔力の節約を心がけ、不必要な行動は一切禁物とする」
「質問!」
 一子が手を挙げた。
「ウィッチではなく、通常兵力で爆撃するのですか?」
「その通りだ。先日より当基地にHe111爆撃機が配備されたのは知っての通りである。カールスラントのウィッチたちにはこの爆撃機隊に乗り込んでもらい、乗務員を瘴気から守ってもらうことになる」
 大戦初期の頃は、そうした爆撃も行われていた。
 加えて、カールスラント空軍のBf109は航続距離が短すぎて、どう足掻いても爆撃には参加出来ない。
 妥当な判断だった。
 質問が無いか見渡してから、中島少佐が号令した。
「気ヲ付ケ! これより司令より訓辞を行う」
 斉藤大佐が待機室に入ってきて、壇上に立った。
「昨日、カールスラント国防軍の情報により、旧モスクワ市内に敵の有力なる機甲部隊が集結中であることが確認された。我が隊はこれに対して全力出撃する。一部のウィッチ隊は制空隊として先行することになっている。リバウからモスクワまでの距離はおよそ560浬、扶桑の巫女がいままでに経験したことのない戦闘行動であるから、とくに油断のないように」
 訓辞が終わり、ウィッチたちは一斉に敬礼した。
 訓辞の後は、各中隊、各小隊ごとに分かれて最後の打ち合わせをする。
 今回出撃するのは、リバウ基地の戦力全て。
 台南航空隊3個中隊18人。He111爆撃機が6機。
 美緒は、一子率いる第三中隊の第二小隊長になる。
「大変なことになったな……」
 顔面を蒼白にして一子が呟いた。
 弱気になっている一子を美緒は笑い飛ばした。
「何をおっしゃいますか。これしきのこと、なんともありませんよ。何より、私がついていますから、分隊長には敵の指一本触れさせません」
「そうか……そうだな」
 一子は弱々しく微笑んだ。
「だが、何かイヤな予感がする。貴様も十分に注意してくれ」
「もちろんです」
 美緒は大きく頷いた。

 出撃の時間になり、美緒は装具の点検をした。
 長距離の爆撃とあって、普段にない念の入れようだ。
 用具袋には航空弁当の巻き鮨と、喉が渇いたときのためにサイダーが入れられていた。
「よろしくお願いしますよ!」
 整備兵の言葉に、美緒は笑みを見せた。
「もちろんだ。ネウロイなど一捻りにしてやるさ」
 最後に巨大な機関銃を受け取って、美緒は手を振り払った。
止め(チョーク)払え!」
 戦闘脚を止めていた拘束が解かれ、美緒はタキシングしながら滑走路に出た。
 すでにHe111隊が離陸を開始しているのが見える。扶桑皇国の航空機とはひと味違う美しい流線型を描く機影に美緒はしばし見惚れた。
 滑走路には地上勤務員、整備兵が総出で帽振レをしている。
 爆撃隊の離陸が終わり、ウィッチ隊の番になった。
 先頭に立つ中島少佐の右手がサッと上がった。
 午前7時50分、護衛隊の離陸開始である。
 ウィッチ隊18機は素早く離陸を終えると、先行していた爆撃隊の上空を守るように位置に着いた。
 爆撃隊からは、命を預ける護衛隊にさかんに手を振っている。
 美緒はその中にヴァルガの姿を見つけて手を振り返した。
『今日はよろしく頼むわね。絶対守ってよ』
「お任せください。私たちの零戦と台南航空隊は世界最強ですよ」
『豪毅ね。呆れすぎて安心しちゃった』
 ヴァルガはくすくす笑う。
 美緒は敬礼すると定位置に戻って警戒を再開した。

 200浬以上進み、旧ロジッテンの上空に差し掛かった頃、一子が美緒のそばに近づいてきた。
「そろそろ弁当を食べておけ。警戒は私たちが引き継ぐ」
「わかりました」
 美緒は小隊の部下達に弁当を食べるように言い、自分も用具袋から巻き鮨を取り出した。
 もうずいぶん前からネウロイの支配地域に入っているが、道中は平穏そのものだった。
 途中、引き込み足の不良で一機のウィッチが引き返した以外、なんの問題も発生していない。
 美緒は帰りに食べようと思って巻き鮨を半分残し、喉の渇きを覚えたのでサイダーを飲むことにした。
 ところが、肝心の栓抜きがない。失敗である。
 美緒はどうしたものかと悩んで、携帯用の缶切りを代用してあけることにした。
 これも失敗だった。
 長い敵地の飛行に緊張が続いたためか、美緒は妙なところでヌけていた。
 こんな低気圧の高々度でサイダーなぞあけたらどうなるか、美緒はつい失念していた。
「うわっぷ!」
 迂闊にあけたサイダーが大爆発をおこして、美緒の顔に吹き付けてきた。
 美緒は堪らずよろめいた。
 幸いサイダーの水気は吹き付ける風ですぐさま乾いた。
 しかし、水気が飛んだ後はどうしようもない砂糖のベタベタが残ってしまった。
 美緒は服の袖で必死に顔をぬぐうが、どうもうまくいかない。服もベタベタなので不快感が溜まり続ける。
 ベタベタとの格闘に専念するあまりフラフラと飛ぶ美緒に、一子が心配そうに近づいてきた。
「大丈夫か?」
「えぇ、大丈夫ですとも。ちょっと……このッ!……ベタベタがッ! 頑固なだけです……!!」
 一子は深くため息をついて、持っていたハンカチーフに水筒のお茶を染みこませて美緒の顔を拭いた。
 効果は絶大で、美緒の顔から不快感が一掃された。それだけでだいぶ気が楽になった。
「ありがとうございます」
「まったく。坂本兵曹はどこかヌけているからな」
 一子はしょうがない、とでも言うように苦笑すると、元の位置へ戻っていってしまった。

 さらに数時間飛行を続け、美緒たちは旧ボロコラムスクの上空を通過した。
 旧モスクワまであと100㎞ほど。全員が戦闘に備えて気を引き締め直した。
 美緒の眼に、モスクワ上空で煌めく銀翼と黄色い火線の束が見え始めた。
 先行した制空隊が空戦しているのだ。
 美緒は魔眼を開いて空戦を観察した。
 敵味方入り乱れて大混戦だ。中島少佐が率いて先行した制空隊は、寡兵ながら数十機の敵を向こうに回してよく戦っている。
 やがて崩れゆくモスクワの旧市街が見えてくる。
「あ……」
 飛び込んできた光景を見て、美緒は思わず声を上げた。

 黒。
 黒。
 黒。
 黒。

 そこは、犇めくネウロイによって真っ黒に染め上げられていた。とてもではないが、たった6機の中爆の爆弾だけでどうにかなる量の敵ではなかった。
 ジグラットだけでも数十、いや、数百はいる。
 それは、今まで美緒たちの心の底に、こびりついて離れなかった不安が具現化したような光景だった。
 人類のどこを見渡しても、あれに対抗できるような戦力は残されていない。
 美緒は敵のあまりの物量に怖気を覚えると共に、この戦争が人類にとって今まで以上の、想像を絶するような地獄となることを予感した。
「弱気になるな!」
 美緒は両手で頬を張った。気合いを注入し、萎えそうになる心を必死に奮い立たせると、敵を求めて視線を巡らせた。
 美緒は上空の太陽が気になって注意を向けた。

……いた!

 十数機のラロス改が太陽の中から真っ逆さまに落ちてくる。
 美緒は機関銃を振り上げ、敵めがけて引き金を引いた。美緒の行動に他のウィッチたちも敵に気がついて機関銃弾を浴びせかけた。
 何機かのラロス改が火を噴いて墜ちていったが、残りは弾丸のような速さで美緒たちの間を抜けていった。幸いにも、爆撃隊に被害は出ていない。
 その後も、美緒たちは断続的に襲いかかってくるネウロイを追い払いながら爆撃隊を守った。
 その甲斐あって、爆撃隊は一発の被弾もなくネウロイの大軍団の上空に到達した。
 He111の腹が同時に開き、ポロポロと爆弾がこぼれ落ちていく。
 投下された爆弾はだんだんと小さくなり、地上で次々と炸裂した。ネウロイの中心で爆炎が閃き、土埃が巻き上がる。
『やった!』
 ウィッチの誰かが戦果を確信して歓声を上げた。
 爆撃は予想通りの成果を上げ、地上に犇めくネウロイを薙ぎ払った。爆撃された所だけ、黒い海に浮かぶ島のように地面の色が見えた。
 しかし。
『嘘……』
 ウィッチたちは絶望に呻いた。
 黒い海の島はすぐに別のネウロイに埋められ、何事もなかったように再びネウロイの犇めく大地に戻ってしまったのだ。
 こんな爆撃、何度やったってネウロイを殲滅できない。
 彼我の圧倒的な物量差に、攻撃隊の全員が打ちひしがれた。

 攻撃隊は消沈して旧モスクワ上空を離脱した。
 その帰途につく攻撃隊に、ネウロイの航空兵器が何度も襲いかかってきた。
 再び太陽の中から逆さ落としに突撃してきたラロス改に、攻撃隊の編隊が散り散りに乱された。
 ウィッチたちはすぐさま中隊長を中心に編隊を再度組もうとするが、美緒はそこで自分の列機がどこにもいないことに気がついた。
 急速な散開で飛ばされたのか、はたまた撃墜されてしまったのか。
 美緒は必死に列機の姿を探した。
 そこで美緒の眼は、下方でラロス改に追い回されているウィッチの姿を見つけた。
 あれが美緒の列機に違いない。
 美緒は新しい敵を見つけて増速する一子に近づいた。
「分隊長! 私はあの味方を助けにいきます! 私に構わず行ってください!!」
「あ、待て!」
 一子が何か言ったが美緒の耳には入らず、美緒はまっしぐらに急降下した。
 美緒の目の前で、零戦の一機がラロス改の射程に入ろうとしている。
 美緒は無理を承知で機銃弾をそのラロス改に撃ち放った。距離は数百mも離れているので有効弾にはなり得ない。
 それでも、敵を驚かせて決定的なタイミングを逸らすことはできた。追われていた味方は何とか空戦から離脱する。
 だが、その代償として、美緒は勢い余って敵機の前に飛び出してしまった。
 美緒と敵機はぐるぐると水平の旋回を続けた。
 美緒は体を締め付けるGに歯を食いしばって耐えた。
 旋回を続けているために敵機の姿は見えず、強烈なGに美緒の精神と肉体は苦痛にされされる。
 しかし、ここで苦痛に耐えきれず別の操作をした瞬間、空戦では負けが決まるのだ。
 技術ではない空戦の極意は、何ものにも耐える強靱な精神力と負けん気に他ならない。
 美緒は必死に耐える。耐えて、耐えて、耐え続けた。
 痺れを切らしたのは敵だった。
 旋回の輪からラロス改が外れ、速度を付けた宙返りで美緒から逃げようとした。
 それが、空戦で負ける瞬間だった。
 斜め宙返りは零戦のもっとも得意とするところだ。
 瞬く間に美緒は敵の後ろにつき、機銃で粉々に打ち砕いた。

 気がついた時には、敵機はどこにもいなかった。味方も、美緒が助け出した2機を除いて見あたらない。
 取り残された3機は編隊を組んだ。
 案の定、追いかけ回されていた2機は美緒の列機だった。
 ピンチの時に颯爽と現れた美緒に、彼女たちは感動で喜び踊っていた。
「ありがとうございます!」
「なに、たいしたことではない。今度はちゃんと私の後ろについて来いよ」
「はい!」
 元気のいい列機に美緒は苦笑して、進路を帰路に合わせた。
 そんな時に、美緒の魔眼が再び敵をとらえた。遙か1万mも先に、芥子粒のような敵機が一塊りに飛んでいる。
「敵機だ。着いてこい!」
 美緒はバンクを振るとスロットルを全開にした。
 美緒の膨大な魔力に応えて、零戦はぐんぐん加速する。美緒ほどの魔力を持たない列機のウィッチは徐々に遅れだした。
 敵機までの距離が半分になる頃には、美緒はその一群が4機ずつの編隊に分かれた小型の飛行兵器であることがわかった。ラロス改だろう。
 敵は暢気なもので、まさか後ろから天敵のウィッチが迫っているとは夢にも思わず、編隊を組んだまま飛び続けている。
 絶対優位の後ろ上方を占位できる。美緒は確信した。
 美緒は右の編隊を列機に残してやり、自分は左の編隊を狙うことにした。
 1000m、500m、300m、100m――――
 敵機はどんどん近くなる。
 それにも関わらず、敵機は編隊をくずどころか美緒に気づきもしない。
 美緒は逸る心を抑えながらさらに接近した。
 90m、70m、50m――――
 今だ!

「しまった!!」

 美緒は引き金を引こうとした瞬間、目の前にいるそれを見て叫んだ。
 16挺の鈍色の銃口が美緒をのぞき込んでいた。
 敵はラロス改ではなかった。
 別の、爆撃機型の小型飛行兵器だったのだ。
 その後部機銃が全て美緒に狙いを定めていた。敵機は美緒に気づいていなかったのではなく、冷然と迎え撃つために編隊を維持していたのだ。
 何という失態。
 長距離飛行の疲労が――――集中力の低下が最悪の形で露呈した。
 美緒はかつてない危機に絶望しながら引き金を引いた。
 同時に、敵機も猛然と撃ち返してきた。
 17条の火線が交錯する。
 美緒の銃撃で2機の敵機が火を噴いた。
 しかし、美緒のシールドも猛火に曝されて瞬く間に砕け散った。

 やられる!

 瞬間、美緒は激しい衝撃を受けた。
 突然美緒の視界が真っ赤に染まり、サァっと意識が遠のく。



 美緒は血の帯を引きながらくるくると落下して行った。





[16353] 第十二話 君に誓う
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:5b7351ff
Date: 2010/08/18 23:13
 時は1940年8月。
 カールスラント国防軍よりオラーシャの都市モスクワにネウロイの大機甲軍団が集結中であるとの情報が扶桑皇国遣欧軍にもたらされた。
 遣欧軍司令部はただちにカールスラント国防軍との共同作戦を立案し、扶狩合同のモスクワ爆撃作戦が発動された。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉と台南航空隊は、その全力を以て攻撃隊護衛の任を与えられ、勇躍リバウ基地を出発。
 しかし待受ける敵は余りにも強大で、攻撃隊はその任務を全うするも戦果はほとんど得られず、命からがら基地へ帰還することになった。
 この日のことを、後年の戦史家はこう表現する。
 龍の顎が開いた、と。
 数多の魔女の命を呑み込み、後にウィッチの墓場と呼ばれるようになる龍の顎が、今まさに開かれたのである。

『第十二話』

―― 君に誓う ――

 基地に帰還した攻撃隊の士官はすぐさま指揮所に向かった。
 顔を合わせた士官たちは、お互いの顔を見て、やつれた酷い顔だと思った。
 長距離の爆撃に合わせて、何度も襲ってくる敵機に誰もが神経をすり減らしていた。
 斉藤大佐は士官たちの消耗具合に衝撃を受けていた。
「損害は、どれくらいだ」
「途中で編隊がバラバラになり、行方不明の者が何人かいます。判明しているのは爆撃機が1機食われ、乗っていたウィッチは魔力場でなんとか助かりましたが、それ以外は瘴気にやられて全滅しました」
 飛行隊長の中島少佐が報告する。
「攻撃は、まるで効果がありません。敵の数が多すぎ、たった6機程度の爆撃では敵に損害を与えられませんでした」
「どれほど、だったのだ」
「確認できただけでジグラットが数十から数百。空中にはディオミディアが数千と列をなし、未確認の超巨大飛行兵器も多数存在していました。小型兵器については、もう確認ができる状態にありません。大地が黒く染め上げられ、どれだけの敵が犇めいていたのか想像もできません」
「そんなにか……」
 斉藤大佐は呻き、小園中佐は絶句する。
 予想された戦力とは、桁どころか次元が違った。
 この敵が本格侵攻を始めれば、欧州から人類は駆逐されてしまうだろう。
 指揮所の中に、重たすぎる沈黙が漂った。
「報告 遅れていた機が帰ってきました」
 指揮所の外で双眼鏡を構えていた見張員が叫んだ。
 俯いていた士官たちは顔を上げ、指揮所から飛び出した。
 空を仰げば、東の空にポツポツと機影が見えた。
 やがてその機影は人の形になって滑走路に滑り込んだ。中にはひどく撃たれている者、怪我を負っている者もいる。
 一子は帰還した機数を数えながら、美緒の姿を探した。
 3機足りない。
 そして、
「坂本兵曹がいない……」
 イヤな予感がした。

 帰還したウィッチたちは身を引きずるようにして指揮所の前にやってきた。
 その中に美緒の列機を務めていたウィッチふたりもいた。
 指揮所まで来たその彼女たちは、一子の姿を見て泣き崩れた。
「すみませんでした、笹松中尉。私たちが不甲斐ないばかりに、坂本分隊士は……坂本分隊士は……」
「坂本がどうかしたのか 言え、何があった」
 一子は激情のまま彼女の襟首を掴むと、顔を突きつけんばかりに持ち上げた。
 興奮のあまり使い魔の耳と尻尾がでている。
 小柄な一子に持ち上げられ、鬼のような形相で睨み付けられて、列機のウィッチたちは震え上がった。
「落ち着け笹松中尉」
「彼女たちにあたっても何にもならんぞ」
 やっと我に返った士官たちが、一子を羽交い締めにして引き離した。
「離せ 後生だから離してくれ」
 一子はなおも暴れるが、ますます強く押さえつけられた。
「何があったのだ、詳しく説明しなさい」
「は、はい……」
 斉藤大佐にやさしく言われて、彼女たちは美緒に助けられてから小型爆撃機に撃たれるまでの一部始終を話した。
「私たち、坂本分隊士からどんどん引き離されて――――。気がついたときには分隊士が撃たれて墜ちていきました。私たちも必死に追いかけたのですが、ついに見失ってしまって……」
「坂本一飛曹は怪我をしていそうだったか」
「酷い怪我をしているはずです。たくさん血を流していました」
「なんということだ……」
 斉藤大佐は呆然と呟いた。
 一子は押さえつけていた手を振り払うと、指揮所の外へ出て東の空を睨みつけた。
「坂本……」



 それから一時間以上、一子は微動だにせず東の空を見つめ続けていた。
 始めはウィッチの全員が美緒や他の行方不明者の帰還を待っていたが、ひとり、またひとりと諦めて部屋に入っていってしまった。
 残ったのは、一子と醇子、そしてヴァルガだけだった。
 もう誰もが美緒の生存を絶望視していた。
 零戦の長大な航続距離でも、もう尽きていておかしくない時間だった。
「カズコ……」
 ヴァルガが背後からそっと呼びかけた。
「部屋に入りましょう。もうミオは……」
「ヴァルガ。すまない、どうしても諦めきれんのだ。坂本は必ず帰ってくる、そう思えてならないのだ」
 一子は手が白くなるほど拳を握りしめた。
「坂本兵曹は簡単にはくたばらん。高熱で倒れたときも、生き埋めになったときだってケロっとしていたのだ。たかだか帰還が一時間や二時間遅れただけで、やつが死んだなどと信じはせんぞ。魔法力が尽きれば歩いてでも帰ってくるはずだ」
 強い調子で一子は言う。
 だがそれは自分に言い聞かせているようで、ヴァルガには尚のこと痛々しく見えた。
「カズコ……」
 一子の気が済むまで付き合おう。
 ヴァルガはそう考えて瞑目した。
 さらに30分近く、一子たちは東の空を見つめ続けた。
 太陽は、西の空に沈もうとしている。

「あ……」

 その時、醇子が声を上げた。
「零戦だ 誰かが帰ってきた」
 東の空に、ポツリと小さな黒い点が現れた。
 その点は、危なっかしいフラフラとした飛行で基地に近づいていた。
 醇子の言葉を聞きつけて、指揮所、格納庫、兵舎の関係なく、また階級の隔てなく、みんな飛行場に飛び出してきた。
 一子は祈るような気持ちで双眼鏡を覗き込んだ。
 一子の目に、長い黒髪を振り乱した少女の姿が映った。
 紛れもない、それは美緒だった。
 白い水兵服は血で真っ赤に染まり、左手がだらんと力無く垂れ下がっていたが、それは間違いなく美緒だったのだ。
「坂本だ 坂本が帰ってきたぞ」
 一子は叫んで滑走路に飛び出した。
 フラフラしながら美緒が滑走路に滑り込んでくる。見るからに危うげで、肝の冷える着陸だった。
 美緒の零戦は、一子の目の前で止まった。
 美緒が意図したのではなく、魔法力が尽きて勝手に止まったのだ。
 魔力場を失ってバランスを崩した美緒を、一子が抱き留めた。
 何という奇跡的なタイミング。あと少しでも早ければ、美緒は墜落して地面に叩きつけられていただろう。
「よくぞ、よくぞ帰ってきたな、坂本」
 見れば見るほど、美緒の怪我はひどい有様だった。
 右のコメカミが抉られていて、止めどなく血が溢れていた。美緒の様子で、左半身に麻痺が出ているのが分かった。
 一子は美緒を抱いて叫んだ。
「早く車を 医務室に連れて行くぞ」
「ま、待って下さい。報告します。指揮所に連れて行って下さい」
「何をバカなことを言うか 貴様、自分がどれだけの怪我をしているのか分かっているのか」
 一子は怒鳴りつけたが、美緒は頑として譲らなかった。
 早々に一子は折れ、時間が惜しいと美緒を指揮所まで引きずっていった。
 斉藤大佐たちの前にまで連れてこられた美緒は、朦朧とした様子で、ところどころ言葉を詰まらせながら戦闘の経過を報告した。
「分かった、分かった、もうよろしい。早く医務室に行け」
 中島少佐が叫ぶように言った。
「――――報告おわり」
 美緒は最後の気力を振り絞って報告を終え、崩れるように力を抜いた。
 一子と醇子は急いで美緒の両肩を担ぐと、飛ぶように医務室に駆け込み、軍医長に美緒を突き出した。
「軍医長、坂本をお願いします」
「や、ずいぶんひどくやられたな。これでよく帰ってこれたもんだ」
 軍医長は驚きの言葉を残して、美緒を連れて医務室の奥に引っ込んでしまった。
 一子と醇子は、扉の前で処置が終わるのを待ち続けた。

   

 美緒の傷は深かった。
 神経が幾らか傷ついていて、右目の視力と左半身に障害が出ていた。
 数日寝ている内に、完全に麻痺していた左半身も徐々に自由が利くようになってきたが、大きな傷を負ったことに代わりはない。
 美緒の傷は、放置すれば取り返しの付かない障害を残しかねなかった。
 軍医長はすぐさま美緒をブリタニア本国の設備が整った病院に送るよう手配しようとしたが、美緒本人がそれを頑と拒否した。
 美緒は仲間を置いて、この戦場を離れることを極端に嫌がったのだ。
 そして療養の為に入院した市内の病院から、連日のように飛び立つモスクワ爆撃隊の轟音と空襲に来るディオミディアの不気味な飛行音を聞いて、怪我で出撃出来ない自分を不甲斐なく思い歯がみしていた。
「坂本、それじゃあ、どうにもならないじゃない。ひとまずブリタニアへ行きなさい。そして、徹底的に治してくるのよ」
 見舞いに来た中島少佐らは、そう言って何度も美緒に療養を勧めた。
 しかし皆に「ブリタニアに行け」と言われるたびに、美緒は「否」と言って頑なに拒絶した。
 美緒は、自分がいなくなった後の台南航空隊がどうなるか不安でならなかった。
 とんだ思い上がりのようであるが、美緒は自分が抜けた穴は非常に大きいと思っていた。
 そこで、もしも自分がブリタニアに行った後に、隊に大きな損害が出でもしたら。あの気の良い仲間たちや、醇子やヴァルガ――――そして一子が帰ってこなかったら。
 美緒はそれを思うと夜も眠れない。
 事実、この数日、隊の損耗率は悪夢のように増加していた。
 毎日、誰かひとりは未帰還がでたり再起不能に陥っているのだ。
 だと言うのに、美緒はのうのうとベットで寝ていることしかできない。自分の無力さに、美緒は胸をかきむしりたくなるような焦燥感にかられた。

 一子は毎日暇を見つけては美緒の見舞いに来ていた。
 最初こそ彼女も療養を勧めていたが、美緒の意思が固いと見てそれ以上言うのを止めた。
 代わりに、美緒の部屋へフラッと現れては他愛もない世間話をしたり、静かに読書をしたりして時間を潰し、また明日と言って去っていった。
 一子と話している間は、不思議と美緒の心も落ち着いた。

 だが、来るべき時は必ず来るのだ。
 その日、美緒はついに斉藤大佐に呼び出された。
「どうだ まだ決心はつかんのか」
「はい。私は帰りません」
「頑固だなぁ」
 斉藤大佐は笑った。
 それは駄々を捏ねる孫を見る好々爺のような笑みだった。
「貴様がリバウから、また台南航空隊から離れたくないという気持ちはよく分かるよ。よく分かるけども、ここは一番考えてもらいたいねぇ。貴様の傷は、軍医長の報告によれば、このままリバウにいると腐ってしまうそうじゃないか。そのまま腐っていく傷を抱えてリバウに残るか、それともブリタニアに行って傷を治してからもう一度出直してくるか……。考えるまでもないことだろう」
 斉藤大佐は諭すように優しく言った。
 しかしこの期に及んでも、美緒は「帰ります」と言う決心がつかなかった。
 斉藤大佐はしょうがないなぁと笑って、ついに言った。
「しょうのないやつだ。よしよし、それでは命令を出す。今までのは貴様にブリタニア行きを勧めていたのだが、これからのは命令だ」
 美緒は黙って聞いていた。
「貴様には、ブリタニアに行って入院を命ずる。いいか、これは貴様のためでもあり、ひいては台南空のためでもある。わかったな、よろしいな」
 命令と言われては、軍人の美緒に拒否権はない。問答無用に、ブリタニア行きの飛行機か飛行船に乗せられるだろう。今まで待っていたのは、斉藤大佐の温情だった。
 美緒は司令室を退出して、そのまま一子のところへ向った。
「坂本です。笹松分隊長いらっしゃいますか」
 美緒が部屋をノックすると、静かに落ち着いた声が帰ってきた。
「開いている」
 美緒は一子の部屋へ足を踏み入れた。
 美緒も、一子の部屋に入ったことは数えるほどしかない。
 一子の部屋は、よくまとまった簡素な部屋だった。枕元に飾られる家族と隊の集合写真、それから幾つかの小物が見えるだけだ。
 一子は机に座ったまま振り返った。机の上には書きかけの便箋が何枚か乗っていた。
「とうとう司令から帰れと言われました」
 いきなり美緒は切り出したが、一子は驚かなかった。彼女も、美緒の様子からだいたいのことを予測していたのだろう。
「そうか、よかったな」
 一子はニッコリ笑って頷いた。
 美緒にはその笑顔がとても寂しそうに見えた。
 その日の夜、リバウ基地のウィッチ総出で、ささやかながら美緒の送別会が行われた。
 醇子は涙を流して別れを惜しみ、ヴァルガなどはすぐに戻ってくるように激励してくれた。一子は、ただ黙って、その姿を目に焼き付けるように美緒を見ていた。
 その宴会の最中も、人間の情緒などまるで理解しないネウロイが空襲を仕掛けてきて、美緒は皆に抱えられるように防空壕へ入れられた。
 美緒に限らず、ウィッチたちはどうしようもなく無力な自分たちに歯がみして、もどかしさに打ち震えた。

 そして翌日、運命の日がやってきた。



 その日、あの思い出深い波止場の先に、一機の九七式大艇が泊まっていた。
 それが、美緒の乗る飛行機だった。
 波止場には、美緒の他に見送りのために一子と醇子、ヴァルガが来てくれていた。
 いよいよ、別れの時だ。
 美緒は荷物の入ったズタ袋を地面に落とすと、自由な右手を使って挙手の礼をした。
「坂本美緒一等飛行兵曹、ただ今より入院命令でブリタニアに行って参ります」
「しっかり治して来なさい」
「はい」
 三人が揃って敬礼を返す。
 美緒は再びズタ袋を担いで飛行艇に向う短艇(ランチ)に足をかけようとした。

「坂本」

 その時、一子が美緒を呼び止めた。
 振り返った美緒は息を呑む。
 一子のその目には、今まで一度も美緒に見せたことがなかった涙が、いっぱいに溜まっていたのだから。
 一子は美緒の手をしっかりと握った。
「貴様と別れるのは、貴様よりつらいぞ」
 そう言って、一子は徐にベルトのバックルに手をかけると、ビリッと引き剥がした。
「これを貴様にわたす」
 一子は引き剥がしたそれを美緒の手にしっかりと握らせた。
 美緒は掌を開けて、それをまじまじと見た。咆哮する虎の見事な浮き彫りが施された、小さなバックルだった。
「これはな、私の父上がこの戦争が始まるとき、わざわざあつらえて私たち三兄妹にくれたものだ」
 そんな大切な物を渡して良いのだろうか。
 美緒は思わず一子の目を見た。
 一子も美緒の目を見返し、美緒の内心を読みとって笑った。
「虎は千里を行って千里を帰る、という縁起だ。だから貴様も、千里のブリタニアに行って、治してからもういっぺん帰ってこい。いいか、待ってるぞ」
 一子はもう一度、強く美緒の手を握った。
 美緒はそのバックルを大切に内隠しにしまって、最後に挙手の礼をしてから短艇(ランチ)に乗り込んだ。
 短艇(ランチ)が海面を滑り出し、桟橋から徐々に遠ざかる。
「必ず 必ず帰って来いよ」
 一子が桟橋の突端に立って大きく手を振っていた。醇子も、ヴァルガも手を振っている。
 美緒も負けじと手を振り返した。








 それが、美緒と一子の今生の別れになった。






[16353] 第十三話 ごめんね
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:5b7351ff
Date: 2010/08/18 23:11
 時は1940年8月。
 連日に渡るモスクワ空中戦で台南航空隊の損耗率は加速度的に上昇していた。
 片道560浬。扶桑で例えるなら、東京-屋久島間の距離に等しい。
 その人類史上にも類を見ない長距離空襲作戦は、多大なる負担をウィッチたちに強いていたのだ。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉は、そんな大消耗戦の中で、最愛の師匠にして最も頼りになる右腕であった坂本美緒一飛曹と怪我で離別し、見るも憚られるほど意気消沈していた。

『第十三話』

―― ごめんね ――

 美緒を波止場から見送った一子たちは、押し黙って基地へ帰った。
 兵舎の前で醇子と別れ、士官宿舎のところでヴァルガが殊更明るく言った。
「なぁんか、すごく辛気くさくなっちゃったわね。どう、折角だから一本イイの空けない」
 お茶目にクイッとグラスを傾ける真似までする。
「あぁ……」
 だが、一子の返事はどこか上の空だ。
 前を行く足取りもフラフラで危なっかしい。
 その様子に只ならぬものを感じて、ヴァルガは一子の肩を掴んで強引に振り向かせた。
 そして息を呑んだ。
「あなた、なんて顔をしているの」
 俯いた一子の顔は、普段の快活で血色の良い顔色が嘘のように、顔面蒼白で、半病人のようにめっきり老け込んで見えた。
「そんな顔をしていたら、ミオは心配になって帰って来たくなっちゃうじゃない」
 ヴァルガは一子を勇気づけるように叱ろうとしたが、一子はゆるゆると首を振った。
「違う、違うんだ、ヴァルガ」
「何が違うの」
「今朝、手紙が来たのだ……」
 一子は、呻くように、絞り出すように言った。

「義兄上が戦死した」

「え」
 ヴァルガは惚けた声を出してしまった。
「軍機のために場所も日時も定かではないが、敵の侵攻で……基地が全滅したらしい。守備隊を含め、基地の全員が最後の一兵まで必死に抵抗して、見事な玉砕をしたそうだ」
 感情を顕さないような、静かで平淡なしゃべり方だったが、ヴァルガにはそれがかえって痛々しく見えた。
 ヴァルガは一子を強く抱いて、耳元で囁きかけた。
「カズコ、私の胸くらい、いつでも貸すわ」
「ヴァルガ……」
 強ばっていた一子の腕が、ヴァルガの背に回された。
「すまない。少しの間、何も聞かなかったことにしてくれ」
 それから、一子は声を上げて泣いた。全てを吐き出すように、全てを洗い流すように。泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣き続けた。
 ヴァルガはただ、幼子にするように一子の背中をさすり続けた。



 朝焼けの微睡みの中で、ヴァルガは一子の小さな背中を見つめた。
 一子はヴァルガの部屋の机で、小さな灯をつけて黙々と何かを書いていた。静かな、カリカリという万年筆の音だけが部屋に響く。
「何を書いているの」
 ヴァルガはシーツを抑えながら上体を起こした。
 振り返った一子の顔は、ヴァルガの自意識過剰でなければ昨日よりいくぶんマシになっていた。
 眠り眼を擦るヴァルガを見て、一子は微笑んだ。
「両親への手紙だ。特に母上には苦労ばかりかけたからな。その上、軍隊にも入って。これくらいしなければ親不孝者だよ」
 言いながらサラサラと万年筆を走らせて、一子は手を止めた。
 便箋を丁寧に折りたたみ、封筒の中へ入れる。
 立ち上がった一子はヴァルガに聞いた。
「何か飲むか と言っても、お茶か水かしかないがな」
「そこでキスの一つでもすれば、女はコロッとときめいちゃうのに……」
 枕に口元を埋めながらヴァルガが言うと、一子はニヤリと笑った。
「扶桑の撫子は、慎み深さが売りなのだ」
「あなたの姿とはほど遠いわね」
 一子は肩を竦める。
「昔、飽きるほどやったからな。今は、こっちの方が楽だ」
「あら、あなたにもしおらしい時なんてあったの」
「これでも昔は華族ばりの礼儀作法を叩き込まれたんだぞ。それに、この戦争が終わったら、私は見合いでもしてどこかの家に嫁ぐだろうからな。今の私こそ、もしかしたら貴重かもしれんぞ」
 なんてこと無い風に一子は言った。
 ヴァルガは目を丸くした。
「もしかして、あなたって相当なお嬢様」
「その呼び方は好きじゃない。まぁ、私の家系にはウィッチが多かったからな」
 魔法の力に恵まれ容姿端麗な者が多いウィッチは、権力者に好まれ、多くの王侯貴族、軍人、英雄、政治家の妻として迎えられた。
 これは古今東西の歴史で変わることのない人類普遍の法則だった。
 無論、カールスラントも例外ではなく、ヴァルガもその一言で納得した。
「でもまぁ、あなたの口から未来の話が出て来て安心したわ。昨日なんて、今にも死にそうな顔をしていたから」
「おいおい、そんなひどい顔をしていたか」
「あなたは鏡を見るべきだったわ。ほんと、死人が墓の下から出てきたようだったから」
 軽口を交わし合い、ふたりは顔を見合わせて笑った。



 一度は盛り返した一子であったが、連日の長距離攻撃と昼夜を問わない敵爆撃は、確実に彼女の精神を蝕んだ。
 それはリバウ基地全体にも言えることで、基地はどこか活気を失いつつあった。
 だが少女たちは、持ち前の負けん気を以て連日の激戦を戦い抜いていた。

 短い夏が終わり、そろそろ秋と冬の気配が忍び寄る8月25日。
 一子はふらりとヴァルガの前に現れた。
 昨日、一昨日と二日連続で出撃するも天候不良で引き返し、疲労をおして出撃した今日はモスクワ上空で大空中戦を繰り広げ、つい今さっき帰還したばかりだった。
 見るも無惨にやつれた一子の様子に、ヴァルガは押し黙った。
 彼女の疲労は極限状態だろう。
 一子の顔には疲労がありありと浮かび上がり、頬は痩けて黒々とした隈ができ、目は落ち窪んで見えた。
 しかし、眼光だけは爛々と妖しげな光を放っていた。
「ヴァルガ、煙草を一本くれないか」
「カズコ」
 ヴァルガは目を剥いた。
 一子の煙草嫌いはヴァルガもよく知っていた。
「どうしたというの あなたは煙草が大嫌いだったでしょう」
「たしかにそうだ。キスの時も煙草の味がしたら興ざめだ。でも今は、そういう気分なんだ。無性にムシャクシャしていて、落ち着かない気分なんだ」
 一子の言葉には、隠しようもない苛立ちが滲み出ていた。
 ヴァルガは黙ってシガレット・ケースを取り出すと、一子に一本渡した。彼女が銜えたそれにオイル・ライターで火を着ける。
 途端に濃密な紫煙が一子の喉を焼き、一子は堪らずに咽せた。
「ほら見なさい。慣れないことはするもんじゃないわ」
「ひどいものだ。おまえ達はよくこんなものが吸えるな」
「それは慣れよ」
「違いない」
 当たり前の答えに一子は苦笑する。
 一子は咽せながらも煙草を銜え続けた。
 最後の方でようやく慣れ、一子の喫煙体験は終了した。
 揉み消した自らの吸い殻を一子は複雑そうな顔で見つめた。
「で、どうしたの」
 一子の頭が冷えたと見て、ヴァルガは聞いた。
「特に理由はない。今朝、こんなものが届いただけだ」
 一子が取り出したのは長細い布の袋だった。
 ヴァルガは一子に視線で確認してから、袋の紐を弛めた。
「これは……」
 出てきたのは一振りの刀だった。
 一子が持つ軍刀拵えとは違う。正真正銘の扶桑刀。
 鍔に施された花の細工が印象的な業物だった。
 一子は自嘲的に笑った。
「本当は坂本にやろうと思って造らせたんだがな。少し遅すぎたようだよ」
「残念ね。ミオの誕生日には間に合ったのに、当の本人がいないなんて。この子は暫く主との対面はお預けね」
「……ぁ」
 ヴァルガは何の含みもなく自然と口にした言葉を聞いて、一子は何故かひどく驚いた顔をした。
 何か、大切なことを忘れていたような顔だった。
「どうしたの」
「いや、そうだな。その通りだ。坂本が帰ってくるまで、この刀には待っていてもらおう。そうしよう」
 一子は何度も頷いて、大切に刀を袋にしまった。
 その姿が、ヴァルガの目に印象深く焼き付いたのだった。

   

 翌日も、モスクワ爆撃は行われた。
 この爆撃作戦が余りに馬鹿げた机上の空論であることは、斉藤大佐以下リバウ基地の誰の目にも明らかだったが、上級司令部から出された指令に異を唱えることは許されない。
 ヴァルガの乗るHe111を守るように、一子の率いる中隊9人は飛行していた。
 ウィッチたちは誰もが疲労をしていたが、それを口に出す者はいなかったし、護衛隊の編隊は一糸の乱れもなかった。
 それが、爆撃隊に安心感を与えるための、少女たちの小さくて健気な矜持だった。
 敵の勢力圏に突入して早数時間。その間、護衛隊は目を皿のようにして、いつ襲い来るとも知れないネウロイに目を光らせていた。
 長く続く緊張は集中力を鈍らせ、時に警戒の網に決定的な欠落を生み出す結果となる。
 気がついたときには全てが遅かった。

 突如飛来した光弾に、瞬く間にふたりのウィッチが絡め取られ、血飛沫を残して墜落した。

 上空から、戦闘機型と思われる10機の小型飛行兵器が突進してきていた。
 まったく完全に、完璧に、一子たちの中隊は敵に不意を突かれた形になった。
 美緒がいれば、あるいは防げたかもしれない奇襲。彼女が抜けた警戒の穴は、補うには余りに大きすぎた。
「敵機」
 一子は叫んでバンクを振り、突撃してくる敵に正面から挑んだ。
 同時に、他方向からも敵機が迫っていた。彼女の列機は、その対応に追われた。
 別々の方向から攻め立てられて、編隊も小隊も維持する余裕はなかった。
 幾筋の火線が交錯し、ウィッチとネウロイが入り乱れる。
 敵がラロス改でないことは、最初の一撃から既に分かっていた。
“それ”はラロス改よりも一回りも二回りも小さく、それでいて加速も旋回性能も比べ物にならないくらい上だった。
 二発のエンジンを後ろに装備し、自在に機銃を操る二本の腕を持った“それ”を見て、一子たちは例外なく筆舌に尽くしがたい混乱に叩き込まれた。
 それは余りに似ていたのだ。
 自分たちの姿に。

「嘘 ウィッチが、どうして」

 そう、ウィッチの姿に。
 命からがら最初の一撃を回避した一子たちは、渦巻く混乱の中で、考え得る最悪の形で単機空中戦を余儀なくされたのだ。



 一子は敵の猛追を必死に潜り抜け、持ち前の卓越した空戦技能で逆襲に転じていた。
 しかし、一子の心は平静でいられなかった。
 敵の姿に混乱したのではなく、その姿を真似たネウロイに激しい憎悪を滾らせ、それ以上に、今までにない強敵に苛烈なまでの闘争心を燃やしていた。
 闘志の塊となった一子は、挑みかかってくるウィッチ型ネウロイを次々と切り伏せ、これ以上ない鮮烈な笑みを浮かべていた。
「どうしたネウロイ これしきか貴様等は」
 また一機、攻撃隊に取付こうとしたネウロイの胸に刀を突き刺し、切り払った。
 胸部を半分えぐり取られたネウロイは、コアを粉々に砕かれて白い破片になった。
 破片の一部が、日頃の戦闘で魔法力と共に弱まっていたシールドを突き抜けて、一子の頬を浅く裂いた。白い肌に一筋の血が流れ出す。
 だが一子は動揺しない。
 垂れてくる血を一子は手の甲で拭い取った。
『カズコ、あなた』
 その光景を見たヴァルガが叫ぶが、一子は意に介さなかった。
「攻撃隊はそのまま針路を維持しろ」
 一子は無線機に怒鳴りつけて敵に向って突進した。
 人で在らざるネウロイ。異形の存在であるネウロイ。
 心を持たず、意志を持たず。人類に敵対しているかどうかも定かではない存在。
 そんな存在が――――

「人類を騙るなッ」

 吼える。
 右手の刀でネウロイを両断し、弾切れの機銃を投げ捨てた左手に魔力を纏わせネウロイの頭を握りつぶした。
 シールドで防げない破片が体中を浅く切り裂き突き刺さり、身体を鮮血で染め上げるが一子は止まらない。
 阿修羅の如く、夜叉の如く、護国の鬼となりてネウロイを屠り続ける。
 
 そんな存在が――――一子を怖れた。
 ネウロイが怖れた。
 一歩後退し、二歩後退し。一子に背を見せ、逃げまどう。
 一子はその背に刃を突き立て、コアを蹴り砕き、破壊を振りまいた。

「くだらん。実にくだらん 似ているのは姿ばかりか……」
 一子は吐き捨て、血糊を落とすように刀を払った。
 その時、一子の前にひとつの人影が進み出た。
“それ”を見て、一子は僅かに目を剥いた。
 それから湧き上がる怒気を表すように柳眉が逆立っていく。
「貴様ぁ……。どこまで私たちを愚弄すれば気が済むのだ」
 そのネウロイの顔に、一子は見覚えがあった。
 忘れようもない。
 それは共に戦場をかけた戦友の顔だったからだ。
「木吉まで騙るとは……」
 木吉良美三飛曹。一ヶ月以上も前、行方不明になった戦友。
 必死の捜索も虚しく、基地周辺でありながら死体の回収すらできなかった。
 その周りに現れたネウロイにも見覚えのある顔が並ぶ。今尚生きている者、怪我で後送された者、戦死した者。
 その全てが一子の神経を逆なでする。
 一子の中で何かが切れた。
「貴様等だけは生きて帰さん ここで全て叩き切る」
 一子は15対1という絶望的な戦いに自ら身を投じた。冷静さに欠いた彼女は、その無謀さすら意に介さなかった。



 いつしか、戦場には一子と敵しか残されていなかった。
 味方は離脱出来たのか。何人の仲間が生き残ったのか。
 何も分からなかった。
 一子は堪えようのない怒りを敵にぶつけ続けていた。
 見覚えのある顔だろうが一子は一切の容赦をしなかった。むしろ、いつにも増した憎しみを込めて切り裂いた。
 敵は姿と同じように空戦技能も模倣しているようであったが、一子はまったく問題にしなかった。
 敵が模倣したのは極一部の空戦技能だけで、そればかり馬鹿の一つ覚えのように繰り返すか、幾度も訓練で見た通りの動きしかしなかったからだ。
 一子は簡単に敵の先を読み、撃墜することができた。
 加えて、敵は数の利を生かすような編隊空戦の妙技をまるで理解せず、愚かに一対一を挑むか、複数で向ってきてもバラバラに攻撃してくるだけ。
 終いにはお互いでお互いの射線を塞ぐ始末だ。
 生きた者を模倣した敵はそれなりに強敵だったが、日々の訓練と実戦で鍛え上げられた一子の空戦技能は、それ如きで揺るぐほど柔ではなかった。
「貴様が最後だ」
 一子は最後に残った木吉に似せたネウロイに刃を向けた。
 ネウロイに一子の言葉が理解出来たとは思えないが、敵は一直線に一子に迫ってくる。
 一子も真正面から迎え撃った。
 反航戦。
 通常の二倍以上の速度で接近する両者。
 木吉のネウロイは機銃を構えて銃撃してくるが、一子はステップを踏むように身体を左右に振って射弾を回避した。
 そしてすれ違い様、首を撫で切るように刀を振った。
「なに」
 しかし、ネウロイは寸前で一子の刀を避けた。
 明らかに、今までのネウロイとは動きの生彩が違った。
 一子は驚く間もなく旋回を開始し、両者は円を描きながらグルグルと回り続けた。
「ぐぅ……」
 今まで体験したことのないGが一子の身体を圧迫する。
 重力に従い頭から血の気が引いていき、視界が徐々に狭まっていく。
 だが一子は黒く染まりゆく視界に敵の姿を捉え続けた。その姿を睨みつけ、闘志を燃やし、持ち前の負けん気で身体を支えた。
 一子が知る由もないが、奇しくもあの日の美緒が敵に打ち勝ったときと同じ構図。
 美緒によって鍛え上げられ、実戦によって磨かれた一子が、負けようはずがなかった。

 敵が旋回の輪を離れた。

 訪れた必勝の瞬間。
「貴様の負けだぁ」
 一子はありったけの魔力を魔導エンジンに叩き込んだ。排気管から処理しきれなかった魔力炎が吹き出て、栄一二型魔導エンジンが唸りを上げた。
 一子の零戦は忠実に彼女の軽い身体を前方に弾き飛ばし、刀の届く間合いに敵を引き込んだ。
 必殺の銀弧が走る。
「む……」
 その時、敵は一子が目を見張るような反応を見せ、辛うじて刃を急所から外した。
 しかしその代償に敵は左腕と速度を失った。
 失速した敵は制御を失ってゆっくりと墜ちていく。
 一子は追撃するために縦旋回しようとし、

――――そして顔を濡らした液体に気がついた。

 視界が赤い。
「え……」
 一子はむりやり身体を捻って敵を視界に捉えた。
 敵の左肩から何かが溢れている。
 真っ赤な、真っ赤な何かだ。
 ネウロイにはあり得ないはずのそれ。
 一子の視線は肩の断面から覗く白い骨と赤い筋肉を捉えていた。
 その全て一子に訴えかける。
「う、そ……」
 それが、生身の人間に他ならない、と。
 戦友の木吉に他ならない、と。
 一子の頭が真っ白に染まった。

 呆然となった一子は、旋回途中の無防備な背を敵に晒し続けていた。

 自由落下しながら、木吉を模したネウロイは――――いや、洗脳された木吉その人は、銃口を一子に向けた。
 コマ送りのようにゆっくりとした視界の中、銃口が閃き、必殺の凶弾が放たれる。
 凶弾は弱り切った一子のシールドをいとも容易く撃ち抜き、一子の身体に食らいついた。

「み――」
 一子は口を開く。

 だが、それが意味を持つ前に、一子の身体は毎分520発の20㎜炸裂弾の猛射によって四散した。



 モスクワの空に、真っ赤な華が咲いた。













 拝啓
 七月ノ御手紙三通有難ク拝受 皆様御元気デ何ヨリト存ジ上ゲマス
 私モ其後益々元気旺盛 日々来襲スルねうろい共相手ニ活躍シテオリマスカラ御安心下サイ

 トコロデ 坂本美緒トイウ一飛曹アリ
 撃墜数百二十機以上 特ニ神ノ如キ眼ヲ持チ 小生ノ戦果ノ大半ハ 彼女ノ素早キ発見ニカカッテイルモノデシテ マタ 私モ随分危険ナトコロヲ 彼女ニ再三救ワレタモノデス
 人物 技倆トモ 抜群デ 海軍機械化航空歩兵隊ノ至宝トモイウベキ人物ダロウト思ッテイマス
 ソンナ彼女ヲ先日負傷サセテシマイ 私ハ残念デナリマセン

 最近ハ敵モ強力ニナッテキテ 特ニでぃおみでぃあニハ手ヲ焼イテオリマス
 私等ハコレヲあいすきゃんでート呼ンデ居リマス
 あいすきゃんでートハ コイツノ対空砲ガ激シク 全機銃カラ放タレル弾ガ 青白ク途切レナイ様カラ名ヅケラレマシタ
 コレヲ退治スルノハ骨デ 苦労バカリデ面白クアリマセン

 ソウシテイル内二 私ノ撃墜モ今百二十七機
 私ハ扶桑ノりひとほーへんニナリタイト密カニ願ッテオリマシタガ 既ニ彼女ヲ追イ抜イテシマイマシタ
 シカシ マダマダ彼女ニ追イツイタ気持チニナリマセンノデ 今後 私ハ益々精進シテ サラニ記録ヲ伸バスツモリデオリマス
 私ノ悪運ニ関シテハ絶対デ 数百回カノ空戦デ被弾ハタッタ二回トイウノヲ見テモ 私ニハ敵弾ハ近ヅカナイモノト信ジテイマス

 コチラハ涼シイデスガ 扶桑ノ夏ハ マタ暑イモノト存ジ上ゲマスノデ 御自愛下サイマセ
 敬具 

 昭和一七年八月一四日
 笹松三子 

 笹松 賢二様 久栄様






[16353] 第十四話 君は帰らぬ
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/03/07 19:37
 時は1940年8月26日。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉率いる台南航空隊第二中隊は、述べ数百機に渡るネウロイとの空戦の末、部隊の三分の一を喪失して敗退した。
 中隊長の一子は数十機の敵を相手に回し勇戦するも、連日の出撃の疲労が祟り、ついにモスクワの空に散華した。
 享年14歳。若すぎるエースの死に、基地中が悲嘆に暮れた。
 そしてその日は、奇しくも彼女の最愛の師匠である坂本美緒の誕生日であった。
 それから三ヶ月後、台南航空隊は潰滅した。

 * * *

 燃えるような夕陽が西の空に沈んでいく。
 それを背に、斉藤大佐は指揮所の前で東の空を眺め続けていた。攻撃隊の帰投時間はとうに過ぎ、ほとんどの機は命からがら帰還を果たしていた。
 彼は、未だ戻らぬ3人のウィッチを待ち続けていた。
「司令、お体に障りますので室内にお入り下さい」
「うむ」
 見かねた士官が進言したが、斉藤大佐はあいまいな返事を返すばかりでその場を動こうとはしなかった。
 しかし無情にも日は傾き続け、リバウに夜の帳が訪れた。
 それでもなお斉藤大佐は待っていたが、暫くしてゆっくりと腰を上げた。
「惜しい人を、死なせてしもうた……」
 誰に言う出もなくポツリと呟き、斉藤大佐はもう一度東の空を仰ぎ見ると、とぼとぼと指揮所の中へ入っていた。
 その後には、啜り泣く声が残された。
 斉藤大佐と一緒に一子の帰還を待ち望んでいた醇子が、袖に顔を埋めて泣いていた。

 * * *

 ヴァルガは重い足取りで士官食堂に入った。
 一子の姿を最後に見たのは彼女だった。混戦の中で彼女の姿を見失い、それきりだ。
 ヴァルガは胸に大きな穴が開いたような空虚感に襲われながら椅子に座った。
 目の前で配膳が行われ、扶桑の士官の席には箸箱が並べられていく。
「お箸……」
 個人専用の食器という文化に馴染みの薄いヴァルガが不思議がり、一子たちとの話題の種にしたのはもう一年近く前の話だ。
 思えばあっと言う間だった。
 台南航空隊という新しい仲間を得て駆け抜けた戦場。
 多くの仲間が脱落し、それでも必死に生き続けた。

 そしてその箸箱が永遠の空席となった一子の席に置かれようとしたとき、士官たちの誰もが泣きそうな顔になった。
 ヴァルガの胸にも、熱いものがこみ上げてきた。
「そこのあなた」
 ヴァルガは思わず立ち上がった。
 配膳をしていた従兵は驚いた顔で振り返った。
 それを見てヴァルガは悟った。彼は、一子のことを知らないのだ。彼女がもう帰ってこないことを、知らないのだ。
 ヴァルガは溢れそうになる涙を必死に堪えながら言った。
「カズコは――――ササマツ中尉は、食事は食べないと言っていたわ」
「そ、そうなんですか?」
 粗相を咎められたように慌てた従兵が箸箱を下げようとするが、ヴァルガはその前に箸箱を取り上げた。
「これは……私がもらっておくわ」
「え?」
 従兵は戸惑ったようにヴァルガを見つめ、それから食堂の端に立っていた従兵長に助けを求める視線を送った。
 しかし、全てを知っている従兵長は黙って天井を見上げたままだった。

『第十四話』

―― 君は帰らぬ ――

 1941年2月。
 ブリタニアはまだまだ冷え込みが激しく雪が舞っていた。
 入院中に飛曹長に昇進し、下士官の最高級に上り詰めた美緒は、しかし療養先の病院で、何をするでもなく曇り空を見上げて無為な時間を過ごしていた。
(リバウの冬は、また寒いだろうか?)
 舞い散る雪を見るにつけ、美緒は肌を切る寒さだったリバウを思い出す。リバウの戦場と、そこで戦っているであろう戦友たちを。
 醇子は風邪を引いていないだろうか? 彼女は昔は体が弱かったというので心配だ。
 ヴァルガ中尉は元気だろうか? 鈍重なHe111に乗る彼女が一番危険だ。
 分隊長は大丈夫だろうか? また酒を飲み過ぎて腹の調子を壊していないだろうか。
 美緒はとりとめもなく、そんなことをつらつらと考える。
『おい、坂本。髪が乱れているぞ、すこし疲れているんじゃないか?』
『分隊長こそ疲れているんじゃないですか? ウイスキーは強いから飲み過ぎると毒ですよ!』
 無精をして雑に纏めた美緒の髪を見て一子がからかい、美緒は飲み過ぎてときどき胃を悪くする一子を引き合いに出して言い返す。
 こんな軽口のやりあいも、もう半年も前の話だ。

 そう、美緒が戦列を離れて半年余り。
 美緒は最前線の様子がまるで伺い知ることが出来ず、すでに諦めの境地に入ろうとしていた。
 後方に下がった一下士官に、戦場の詳細な情報が伝わってこようはずがない。あるとすれば戦地に残した戦友からの手紙だが、それもない。
 便りがないのは大事がない報せと言うが、それはそれで不安になるものだ。
 この半年、美緒がリバウを思わなかった日は一日たりとも無かった。
 雪を見てはリバウを思い、本を見ては醇子を思い、煙草を見てはヴァルガを思い、酒を見ては一子を思う。
(この空を、分隊長も見上げているのだろうか)
 空を見上げて、美緒は前に一子と交わした会話を思い出した。
『この海は、扶桑の海にも繋がっている。それは不思議なことだと思いませんか?』
 かつて波止場で夜空を見上げていたときに、ふと美緒が言った言葉だった。
 何てことはない有り触れた会話だったが、満天の星空を見上げる一子の横顔と共に、深く美緒の記憶に焼き付いていた。
「分隊長……」
 美緒はそっと呟いて窓枠に触れた。
 そこでふと我に返って、美緒は自分の姿を顧みて激しく身悶えした。
 遠くにいる戦友を思って名前を呟くなど、乙女にも程がある。
 これではまるで、遠く異国に行ってしまった恋人を想う乙女のようではないか。
「坂本さーん、お手紙ですよぉ! ――――て、大丈夫ですか!? 先生! 202の坂本飛曹長が!!」
 病室に入ってきた看護婦がベットの上で藻掻く美緒を見つけて血相を変え、飛び出していこうとする看護婦を美緒が必死に止める。
 戦場から遠く離れたブリタニアは、信じられないほど平和だった。

「まったく、ひどい目にあった」
 ようやく落ち着いた看護婦から手紙を受け取って、美緒は溜息をついた。
 毎度同じような問答を繰り返し、一連の騒動がもはや病院の名物として扱われていることを美緒は知らない。
 ともあれ美緒は気を取り直し、手紙を裏返して差出人を確認する。
「醇子からか……」
 そこには美緒の親友の名前が記されていた。
 それから手紙が出された日時を確かめるために消印を見る。
 そこで美緒は驚愕に固まった。
「ブリタニアだと!?」
 消印には、ブリタニアの一地方の名前が記されていた。
 それが示すことは唯一つ。
 リバウにいると思っていた台南航空隊が、ブリタニアにいるということだった。
 不吉な予感を抱き、美緒は急いで封筒を開け、噛みつくような勢いで手紙を読んだ。
「ば、馬鹿な……!」
 そこに記されていた衝撃の内容に、美緒の顔面が蒼白になる。
 美緒はコートをひっ掴むと、看護婦の制止を無視して雪の外へと飛び出した。



――――八月二十六日
 ソノ日ハ 私ガ二番機デアッタニモ関ワラズ 混戦カラ笹松中尉ヲ見失イ 遂ニ大事ナ中隊長ヲ未帰還ニシテシマイマシタ
 カエスガエスモ口惜シク 無念デ 慚愧ノ念ニ絶エマセン
 マタ高塚飛曹長モ 太田一飛曹モ 羽藤三飛曹モ 次々ニ未帰還トナッテシマイマシタ――――



 美緒は電車を乗り継ぎ、手紙に記されていた地名にたどり着いた。
 そこには扶桑皇国軍が駐屯する飛行場があり、そこから手紙は出されていた。
 美緒は直ぐさま基地に乗り込もうとして、衛兵に止められた。
「お止まり下さい! 許可証と官姓名をお願いします!」
「台南空の坂本美緒飛曹長だ! 至急、斉藤司令にお会いしたい!」
「斉藤司令は転属になりました。お引き取り下さい!」
「では、誰でも良い! とりあえず私を中に入れてくれ!」
「許可がありませんと……、今確認をとりますので――――」

「美緒!」

 美緒と衛兵が問答をしていると、基地の中から聞き覚えのある声が聞こえた。
 衛兵が弾かれたように敬礼し、美緒はホッとした表情を浮かべる。
 醇子が息を切らせながら走ってきたのだ。
 美緒の声を聞いて駆け付けてきた醇子は、その勢いのまま美緒に抱きついた。
「お、おい、醇子……!」
「ごめん! ごめんね、美緒! 私、私……!!」
 醇子は人目も憚らず声を上げて泣いた。
 泣きじゃくる醇子を美緒はどうすることもできず、しかし確かめなければならないことがあった。
 美緒はなるべく優しい声音で言った。
「醇子、本当に笹松中尉は……?」
 醇子の背中が大きく震えた。
 それが、答えだ。
「そんな……」
 頭を打たれたような衝撃を受けて、美緒は蹌踉めいて一歩下がった。

(笹松中尉が、死んだ……?)

『貴様と別れるのは、貴様よりつらいぞ』
 そう言って美緒の手を強く握った一子が。
『虎は千里を行って千里を帰る。傷を治して帰ってこい。待ってるぞ』
 涙を流しながら再会の誓いを立てた一子が。
 彼女が死んでしまった?
 もう、いない?
 美緒は迫り上がる感情の巨大さの余り呆然とした。
 頭の中で、様々な感情や情景がぐるぐる、ぐるぐると渦巻いている。

 美緒は醇子を引き離すと、覚束ない足取りで基地を出て行こうとした。
「美緒!」
 顔を上げた醇子が叫んで何かを美緒に押しつけた。
「これを、あなたに! 笹松中尉の遺品は、全部本土に送られちゃったけど……これだけは、ツァンバッハ中尉が……あなたにって!」
 美緒は渡されたものを見た。
 それは一振りの見事な刀だった。
 過ぎ去りし日に、一子が美緒の為に手配してくれた、美緒の刀だった。
「くぅ……!」
 美緒の目頭が急に熱くなった。
 熱は直ぐさま体中を駆けめぐり、どうしようもないほど大きくなった。
 美緒はそれを持て余して駆けだした。

 走った。
 走った。
 走った。
 走った。
 走った。
 走った。

 冷気が喉を焼き、涙で視界が歪んだ。

 それでも走って、
 走り続けた。

 そして何もない雪原に辿り着いた。
「あああぁぁぁ――――……!!!!」
 美緒は膝を着き、頭を雪に擦りつけて泣声を上げた。
「……どうしてだ!?」
 美緒は叫んだ。
「どうして、どうしてどうして……どうして!!」
 恥じも外聞もかなぐり捨てて、大声で泣き叫んだ。
「約束したではないか!! 私を待っているとッ!! また会おうとッ!!」
 喉よ潰れろ。涙よ枯れろ。
 この苦しみが取り除かれるならば。
「どうして、私を置いて!!」
 美緒は泣き続けた。


「一子ぉッ……!!」


 美緒の慟哭は、偉大な白い大地に抱かれて、静かに消えていった。



 それからどれだけの時間が経っただろうか。
 涙を泣き枯らした美緒は、灰色の空を眺めながら煙草を燻らせていた。
 ゆっくりと立ち上った紫煙が、溶けるように空へ消えていく。
 寒さは感じなかった。
「分隊長……」
 呆然としたまま、美緒は呟いた。
 不思議だった。今まで何人もの戦友を失ったが、これほど、狂おしいまでの激情にかられたことはなかった。喪失感を味わったことはなかった。
 まるで己の半身がごっそりと失われたような、筆舌に尽くしがたい空虚感。
 美緒はただ、呆然とするしかなかった。
 このまま寒さに任せるまま凍り付いてしまえたら、どんなに楽だろうか。
 またこの煙のように、溶けて消えてしまえれば、どんなに身が軽いだろうか。
 そうすれば、またあの少女に会えるだろうか。
 それは魅力的な考えであったが、美緒の理性はそれを否定した。

 美緒は半ば雪に埋もれていた刀に目を落とした。
 それを拾い上げて雪を払い、鞘から抜いた。
 磨き上げられた刀身が雪原の光を反射し、冴え冴えとした光を放つ。
 見れば見るほど見事な業物だった。
 鏡のような刀身は美緒の顔も映し出した。
「ひどい、顔だな……」
 泣き腫らした目は真っ赤に充血し、髪は乱れて雪にまみれている。
 一子が見たら飛んで驚いて美緒に休養を命じるような顔だ。
 その姿が目に見えるようで、美緒は苦笑した。
「笹松中尉、私は……私は――――」

 その時、犬の鳴声がした。
 ワン、と一度だけ。

 美緒は顔を上げた。
 雪原を映した刀身に、一匹の犬が映っていた。
 灰色の体毛の、小さくて凛々しい犬だった。
 美緒はハッとして振り返ったが、そこには何もいなかった。
「あれは……」
 美緒には、その鳴声が別の言葉に聞こえた。
 ただ一言、美緒、と呼んだように。
 美緒の気のせいかもしれない。
 だが、美緒には確信めいたものがあった。
「中尉……」
 美緒は目を伏せた。
「ありがとう、ございます……」
 一筋の涙がこぼれ落ちた。
 そして、美緒は泣くことを止めた。
 前を見据え、火の着いた煙草を握りつぶし、残りの煙草ごと雪に埋めた。
 これは美緒の弱さそのもの。
 もはや、必要のないものだった。

 刀を片手に、美緒は歩き出した。









 海軍少佐 笹松一子
 戦闘機隊中隊長トシテ北欧作戦ニ従事 攻撃参加三百十五回 部隊トシテ敵機百六十二機撃墜セリ
 (かさね)(ここ)ニ其ノ殊勲ヲ認メ全軍ニ布告ス

 昭和十八年一月一日

 遣欧艦隊司令長官  
 山本五十六 



 笹松一子扶桑皇国海軍中尉は、戦死を以て少佐へ二階級特進し、一中尉には破格の功三級金鵄勲章が授与された。そして後日、その戦死は広く全軍に布告されることになる。
 またその戦功はカールスラント帝国やオラーシャ帝国でも高く評価され、外国人でありながら柏葉剣付騎士鉄十字章とオラーシャ帝国英雄の称号も追贈された。





[16353] 終章 君を忘れない
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:8101aa9f
Date: 2010/03/07 19:39
 1944年9月。
 第五○一統合戦闘航空団の活躍により、ガリア方面のネウロイが消滅。人類は史上初めてネウロイに全面的な勝利を収めた。
 扶桑皇国海軍の若きエース・ウィッチ、笹松一子中尉が惜しくも未帰還となってから、四年後の出来事だった。

『終章』

―― 君を忘れない ――

「――――怪我を癒した私は、台南航空隊から再編された二五一航空隊の一員として、再びリバウに戻った。そしてバルバロッサ作戦に従軍し、今に至るわけだ」
 全てを語り終え、私は口を結んだ。
 リバウの情景が、脳裏に浮かんでは消えていく。
 それを懐かしく思えるのは、ただ記憶が薄れただけか、それとも私が成長したということか。
 しかし、笹松分隊長にだけは、私は冷静でいられない。
 湧き上がる後悔に、強く歯を食いしばる。
「今でも思うのだ。あの日、私がついてさえいれば……。私が負傷さえしていなければ……。笹松分隊長は死なずに済んだかもしれない、と」
「それは……、結果論だわ。戦場に“もし”は存在しない」
「それでも、だ……!」
 そう、ミーナの言うことは正しい。全面的に。
 だが、それでは収らないのだ。
「私は私が許せなかった……。分隊長だけではない。多くの戦友がリバウに散り、私だけが、おめおめと生き残っていることが……!」
 みんな、みんな死んだ。
 同じ釜の飯を食べ、血肉分けたる戦友たちが。
 それを悲しいと思う以前に、私はそれが口惜しく、そして寂しい。
「私だけが、私だけが取り残された。置いていかれたのだ! 今でも思い出す。今でも目で追おうとしてしまう! 分隊長がいた場所を。あの白いマフラーを!!」
「美緒……」
 ミーナが私の名を呟いた。
「笑ってくれ。過ぎたことをくよくよと……。我ながら女々しくて情けなくなる」
「笑わないわ。あなたはずっと苦しんできた。それを、笑えるはずないわ」
「お前は優しいな、ミーナ」
「私は優しくなんてない」
 ミーナの顔が曇る。
「私は醜いわ。私、その娘に嫉妬しているの。死して尚、あなたの心を独り占めにしている、その娘に」
 その顔を見て、フッと表情を弛めた。
「そんな顔をするな。おまえが恋人の死を乗り越えられたように、私もいつか彼女のことを乗り越えるだろう。今はまだ、すこし時間が足りないだけだ……」
「美緒……」
 涙に潤んだ瞳で見上げてくるミーナを、そっと胸元に抱き寄せる。
 抱いたミーナは、普段思っているよりもずっと小さい。
 一癖も二癖もある部隊を取り纏め、軍の上層部とも対等に渡り合う彼女の肩はこんなにも細く儚い。
 きっと彼女も――――ミーナよりも小さかった彼女も、その儚い身体で戦場の重圧に耐え続けていたのだろう。
 だから、安らかに眠らせてやらねばならない。こちらに悔いが残らぬよう、私が掃き清めなくてはならない。
「分隊長、お飲み下さい」
 小さなバックルの前に置かれた椀に酒を満たす。
 酒を飲めなかった私は、彼女とほとんど酒を飲んだことがない。
 だが今日だけは……。
「分隊長、私は千里を越えて帰って参りました。あなたとの約束を果たし、ついにこうして勝利をお伝えすること叶いました。どうぞ、祝い酒です。共に杯を干しましょう」
 とくとくと自分の椀も満たし、掲げて飲み干した。
 酒の味は少し塩辛かった。












 後書き
 最後まで拙作にお付合い下さりありがとうございました。
 構想から資料集め、そして執筆まで含めても一ヶ月ちょいという今までにないスピードで執筆できたのは、ひとえに読者の皆様の温かいご声援があればこそでした。
 本話を以て拙作「リバウの若鷲」は完結しますが、ストライクウィッチーズは今年の夏から第二期が始まります。
 ますます広がるストパンに期待です。
 では、また会える日を願って。





[16353] 蛇足的何か
Name: 小山の少将◆d3e6567e ID:5b7351ff
Date: 2010/08/18 23:23
思いっきり蛇足的なもの。
本編を見終わってから暇なら覗いてください。



笹松 一子 (1939年→1940年)
年齢:13歳→14歳
身長:149㎝→150㎝
原隊:台南航空隊
所属:扶桑皇国海軍遣欧艦隊リバウ航空隊
階級:中尉
機材:A5M4九六式四号艦上戦闘脚(寿四一型)→A6M2a十二試艦上戦闘脚(栄一二型)
武装:九七式7.7㎜機関銃→九九式一号 20mm機関銃
使魔:土佐犬(土佐闘犬に非ず)のサダアキ
魔法:強運(敵弾が当たりにくくなる)
通称:軍鶏
容姿:黒の短髪。黙っていればどこぞの令嬢のような細面の美貌。(ネウ子がモデルだったりする)
性格:苛烈にして負けん気が強い。情に篤く階級の分け隔て無い人柄で人望もある。普段は男勝りだが、ふとした拍子に本来の少女らしさ、女らしさが出てくる。厳しい父のしつけで貴族の淑女顔負けの嗜みを備える。
戦果:162機(公認)
経歴:1926年2月13日、東京青山で生まれる。
   1934年4月、海軍兵学校に入校。7歳。
   1938年1月、海軍兵学校卒。飛行学生に。11歳。
   1938年11月、台南航空隊に新任中尉として着任。12歳。坂本美緒一飛曹(当時:14歳)に厳しく鍛えられる。
   1939年2月、台湾上空に進出した中型ネウロイを僅か28発で初撃墜。13歳。
   1939年10月、坂本美緒、竹井醇子、西沢義子らと共に欧州派兵。
   1939年11月、扶桑皇国欧州派遣軍が欧州戦線に参戦。台南航空隊は辣辣たる戦果を挙げる。美緒15歳、一子13歳。
   1940年1月、遣欧艦隊航空隊の損耗激しく、異例の中隊長抜擢。世に聞こえた笹松中隊の結成。坂本、竹井、西沢。同時に機種転換で十二試艦上戦闘脚を受領。13歳。
   1940年2月、十二試艦戦が正式採用されA6M2a零式一号艦上戦闘脚一型となる。14歳。
   1940年8月12日、坂本美緒負傷。ブリタニア本国へ後送。
   1940年8月14日、家族に宛てて手紙を出す。
   1940年8月26日、連日の出撃で魔力が十全ではないまま出撃。固有魔法「強運」の効果が切れ被弾、空中で散華した。享年14歳。死後、少佐へ二階級特進。
備考:モデルは笹井醇一。公式にこの人をモデルにしたキャラは存在する。だが彼と坂井氏の逸話を親友の一言で片づけてしまうのはあまりに惜しい。
   笹井氏の撃墜数は自称で54であるが、彼に比べて二倍ほど戦場で長く生きているので成長分も含めて撃破数は二倍強、さらに戦場が欧州であるので+α。
   地獄の欧州戦線を戦いそして果てたウィッチ。
   台南以来坂本に師事し、上官部下、そして師弟の関係を越えた深い絆で結ばれていた。恋愛感情があったかどうかは定かではない。
   その才能は坂本をして天才と言わしめ、生きていたならば皇国が世界に誇るウィッチに成長していたであろう。
   彼女の死が坂本に伝えられたのは、療養中の坂本が消沈するといけないと半年も後のことだった。坂本はその場にいたなら彼女は死ななかったと終生後悔していた。
   坂本と今際の別れとなる場で身につけていた物を渡して再会の約束をするなどお約束の人。
   ちなみに使い魔のモデルは撃墜王赤松貞明。主人公の一部にも彼の名前が入っている。非常に優れた使い魔で、こと空中戦の補助にかけては世界一。列機の位置情報を主に伝えるという特殊技能を持っていた。お陰で主人公は完璧に部隊を掌握できた。まったく本編に出てこないけど。



 各話解説

・序章 あの日を思う
 物語でやってはいけないと言われる過去語りからの導入。
 使用した逸話:笹井氏の命日は坂井氏の誕生日。

・第一話 君に出会う
 坂本と一子の出会い。始めから仲が良い人間なんていない。徐々に変化する人間関係ほど難しいものはない。一子の第一印象はあまり良くなかった。
 使用した逸話:笹井氏台南空配属。坂井氏の手抜き。

・第二話 ありがとう
 タイトルはアニメ第四話から。一子の性格などを掘り下げる。ギャップは良い……。
 使用した逸話:笹井氏の初陣で故障帰還。280発の初撃墜。坂井氏のB-17世界初撃墜。

・第三話 台南空の出陣
 早足であるが欧州進出の話。一子の台南空における立ち位置を描く。本作初の百合。
 使用した逸話:キニーネの話。坂井氏の謎の発熱。

・第四話 君は願う
 一子と坂本の関係が変化する一話。地文でもお互いの呼称が変化している。
 坂本の刀フラグその1。笹井氏は幼少から剣術を独学していたが、一子はさらにしっかりとした訓練を受けている。
 使用した逸話:坂井氏の闘病。見舞いをする笹井氏。(ガンバスターの初出撃)

・第五話 台南空の斗い
 タイトルの「たたかい」が変なのは、直前に宇宙戦艦ヤマトのBGMを聞いていたから。
 坂本の刀フラグその2。一子は本国で坂本の刀を作らせる。
 一子は笹井氏より幼いのでお茶目です。
 カールスラントのビールは世界一ぃぃぃ!!
 使用した逸話:三段撃墜。二連編隊宙返り。

・第六話 私を知らず
 何気に重要な一話。またの名をヴァルガ無双。扶桑のウィッチふたりを手玉にとる正真正銘の魔女。
 坂本の精神構造の歪さと、不安定さが露呈。
 坂本の煙草フラグその1。坂本が煙草を吸い始める。
 使用した逸話:なし。

・第七話 軍馬を得る
 欧州戦線の劣勢が垣間見える。ラロス改の初出現。ストパンの理念(悲愴にしない)に喧嘩を売る戦死者第一号(和泉愛子)。
 史実の九六艦戦の空戦無双神話。模擬空戦で零戦が手も足も出ないとは如何に。
 使用した逸話:坂井氏の零戦試乗。

・第八話 君を仰ぐ
 やはり強かった十二試艦戦。いらん子中隊ではロクな扱いをされていないけど、当時の戦闘脚中最強。
 でも九九式はダメな子。威力は抜群。
 一子が格闘戦至上主義から脱皮し始める。
 使用した逸話:B-26の世界初撃墜。笹井氏分隊長就任。

・第九話 戦いを知れ
 長々とした台詞が目立つが、これなくして坂井氏の空戦理念は語れない。重要な一話。最近出番のないヴァルガも登場。
 使用した逸話:夜の研究会。新戦術でスピットファイアに完勝。

・第十話 明日は見えぬ
 最終章を迎える前に入れたい物を全て詰め込んだ一話。坂道を転がるように悪化する戦況。
 この頃は基地の誰もが苛立っていた。
 坂本の煙草フラグその2。一子は煙草が大嫌い。
 使用した逸話:カナカ煙草事件。坂井氏生き埋め事件。B-17に完勝伝説。

・第十一話 龍の顎は開かれた
 終わりの始まり。He111は美しい。ネウロイが集結したモスクワはそのままネウロイの巣となったという裏独自設定。若かりし坂本(=坂井氏)はどこかヌけている。
 使用した逸話:ラバウル航空戦。坂井氏の負傷。

・第十二話 君に誓う
 悪夢のモスクワ爆撃行。リエパーヤ(リバウ)-モスクワ間は本当に560浬。狂気の沙汰としか言いようがない。
 ストパンの制服のどこにバックルが付いたのかは聞いてはいけない。剣帯についていたのだ。
 使用した逸話:坂井氏の奇跡的生還・内地帰還。ラエ港泣きの別れ。

・第十三話 ごめんね
 タイトルは第二話と対。ヴァルガは弱った一子を巧みに撃墜。やはり本作最恐の魔女である。そしてありとあらゆる死亡フラグを乱立させる一子。俺、この戦争が終わったら結婚するんだ……。
 そして最後の刀フラグ。
 埋まっていなかった伏線を今更回収。文末の手紙は、本文が見つからなかったため笹井氏が送った物をいろいろ繋ぎ合わせてでっち上げた。
 使用した逸話:笹井氏義兄の戦死。笹井氏の戦死。

・第十四話 君は帰らぬ
 本作において最も書きたかった話にして最も書きづらかった話。悲嘆にくれる坂本。刀フラグ、煙草フラグをそれぞれ回収。坂井氏と坂本の差はこれで埋まった。
 何の脈絡もなく現れたワンころは一子の使い魔(?)。一応、時々尻尾を出していた灰色の土佐犬(土佐闘犬に非ず)。
 使用した逸話:悲嘆にくれる台南航空隊。半年後にことを知らされる坂井氏。

・終章 君を忘れない
 タイトルはアニメ本編から。このタイトルを付けたいがために、本作のタイトルは「君~」スタイルになっている。
 思い人から過去の女の話を聞くミーナ、あなたは健気だ。坂本、あんたは鈍感だ。一子もたいがいだが。
 実は坂本、坂井氏と同じく終生一子のことを気に病んだという裏設定あり。終戦のウン十年後にリバウに戻って墓参りをする短編を考えたが短すぎたので断念。
 坂本は酒を飲まない人。今回は特別。
 使用した逸話:なし。





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