Huna blentyn yn fy mynwes,/我が子よ 私の胸の中で眠りなさい
Clyd a chynnes ydyw hon/暖かく居心地が良い
Breichiau mam sy'n dyn am danat,/母の腕の中で
Cariad mam sy dan fy mron/母の愛に抱かれて――
●
歌声の中でクロノが意識を取り戻してから一番最初に目に入ったのはアスファルトの硬い地面。
寝ぼけた身体を動かし、力を込めて握った掌の中にS2Uの感触は無い。
まずいな、という思いもそこそこに、未だに煙る視界の中、投げ出されていた身体を空になった両手をついて起こすと、
……痛みが――?
無い。身体に残っていた鈍痛が、霧散するように消えている。
より正確に言えば、消えて行っている最中、といった感じで、一番顕著なのは意識が途切れる直前に受けた後頭部の痛みだ。
回復していると気づくのにそう時間はかからない。しかし入れ替わりである不安が頭をよぎる。
……負けた、のか?
意識が途絶えた時点で、もしくは武器であるデバイスを手放した事で負けと見なされてしまった可能性がある。
だがそう考えるには人が居らず、何処かに運ばれている訳でもない。煙にまぎれて聞こえてくる歌以外に目立つものも感じられない。
そこでようやく回復している事自体に疑問が湧いた。回復魔法でも、手当をされるでも無いのに何故痛みが引いていくのか。
疑問は尽きないが、いつまでも手ぶらのままでいる訳にもいかない。まだ終わっていないのならなおさらだ。
膝を立てて立ちあがり、辺りを見回す。幸いこの近辺で魔法を使ったのは自分一人、デバイスに残る魔力をたどれば直ぐに見付ける事が出来る。
そうして目を向けた先からは薄い光が漏れ出ており、日の光とは違う、やや青みがかった光が霧の様な白煙に混じって色を残していた。
歌も、同じ方向から聞こえている。
「――――――」
引き寄せられるように近づくと、直ぐにその発信源へと辿り着く。
行く先にあった魔法の杖は、見慣れたその身を立てて宙に浮き、全体を静かに明滅させながら歌っていた。
Ni cha dim amharu'th gyntun,/誰も貴方を傷つけない
Ni wna undyn a thi gam/何も眠りを妨げる物はない
Huna'n dawel, anwyl blentyn,/私の愛しい子よ 安らかに眠れ
Huna'n fwyn ar fron dy fam/母の優しい胸の中で――
聞き覚えの無い唄は意味を通じて子守唄だと知れる。
ゆっくりと手を伸ばしてS2Uを掴むと、じんわりとした熱が伝わってくるような感覚がある。
全身を包んだ熱はやや高く、腕先から順に冷えた身体に沁み渡っていく。
S2Uは手の中で一度震えると、こちらの掌に収まった。
唄と光は小さくなり、しかし止む事無く続けながら己の存在を示している。
そして煙は晴れ、
「……ったく、鹿島の野郎、いくらなんでも出力低過ぎんだろうがよ、っと」
視界の先にはナナシを肩に担いだ熱田がいる。
面倒くせぇ、とぼやきながらこちらを一瞥すると、無造作な動きで剣を横なぎに振るった。
反射的にスタンスを広げ、腰を落としながらバリアジャケットに魔力を足す事で防御態勢を取る。
だが、来るはずの打撃は手に伝わる振動と、それに続く金属音にとって代わった。
「え……?」
デバイスに当たったというのは分かるが、その理由が分からない。
今の状態なら武器を狙うまでも無いのは誰が見ても明らかだ。
戸惑いながらも熱田へ目を向けると、自分と同じく意外そうな顔で起きた結果を眺めている。
しかし相手はそのまま口端に笑みを作ると、
「おいおい何だよ、まだ面白そうな芸が残ってんじゃねえか!」
言葉と共に腕を振り上げ、今度は大上段から一直線に振り下ろす。
衝撃と振動が動作に続き、周囲に余韻を響かせる。
だがそれ以上は無い。直撃するはずの攻撃は、杖に受け止められていく。
そんな中、こちらの疑問とは裏腹に、熱田は納得した様子でナナシを担ぎ直し、
「子守唄か。血のめぐりが悪いガキだと思ってたが、少しは知恵も回るみたいだな。もう少しばかりぶっ叩かれりゃあもっと面白くなるか?」
「そ、そんな訳が無いだろう。それにこれだって、僕がやった事じゃ……」
「あぁ?何言ってんだテメェは。テメエじゃなかったら一体誰が――」
そこまで言うと、熱田は浮かべていた笑みを止め、
「けっ、そう言う事か。頭を使ったんじゃなくて、ビビって後ろに隠れてただけかよ。
――前言撤回だ馬鹿野郎、こんなんじゃ相手をしてやる気も失せるってもんだ。ま、一応勝ち負けはあるからとっととぶった切って終わりにするぜ」
「あなたには、これが何だか分かるんですか?」
「当たり前だ。むしろここまでヒントがあって分からねえお前の頭の方がどうかしてる。
分かった事は結局の所、テメエが俺達2nd-Gを何一つとして理解してねえって事だ!!」
三度目の斬撃。
音と共にS2Uが大きく震え軋みを上げる。
「隠れんな、終わらねえだろうが。それとも自分じゃ負けも認められねえか?
言えよ糞餓鬼、参りましたってな。本当ならまだこいつのテストをしなくちゃならねえんだが、優しい俺様は降伏する機会を作ってやる。だから負けちまえ」
「くっ……勝手な、事を……!」
「ママのおっぱいに縋りついてる奴が言うセリフじゃねえな。テメエは模擬戦レベルでも敵になれないんだっていい加減気づいとけ。
俺は単調な仕事を面白おかしくやろうとしただけで、お前を相手にして遊んでる暇は無いんだよ」
言葉が止まり、静寂が訪れる。
実力差は圧倒的だ。今ならばこの男が剣神と呼ばれるのも理解できる。
だが諦める訳にもいかない。持ちかけた勝負に見せ場も無く敗れたとなっては今後の行動に支障が出る。
一矢を報いる事すら出来ないと分かれば、プライドや士気がどうというよりも、交渉自体進める事が困難になりかねない。
その沈黙をどうとったのか、熱田は大袈裟に肩をすくめて溜め息をつくと、
「そうか、なら話はここまでだ。さっくりシメて終わりにしてやるよ」
四撃目。
衝撃と音は変わらず、しかしそれまでとは違う事がその後に訪れた。
悲鳴にも似た軋みはS2Uの全身に罅を入れ、僅かに欠片が落ちる。
「――ッ!?」
「威力が落ちてるとはいえ剣の直撃を耐えてたんだ、良い杖なのは間違いねえ。だが持ち主がヘタレなばっかりにそれも今日までだ。
一遍支えを砕いてやりゃあ、少しは自立心って奴も育つだろ」
そう言って、熱田は五撃目を構える。
右腕のみで振っていた先程までと違い、両手でしっかりと構えた大上段。
「道具に庇われる様なザコに興味はねえが、その杖には礼儀をはらうぜ。――今出せる全力でぶっ壊してやる」
力を増して叩きつけられる威圧感を前に、思わず手の中に在るS2Uを握りしめる。
応じるように杖は歌う。剣神を前に再度声を張り上げ、歌にノイズを混じらせながらも会場全体に響かせる。
その姿と身を包む歌の加護に、僅かに緊張が解け、一瞬の合間を縫って意識を杖に向けた。
S2U。"Song to you"を捩って名付けられた、歌を贈る杖。母さんから貰ったデバイスだ。
手にしてから十年近く、調整と改良を加えながら使い続けて来た相棒でもある。
インテリジェントデバイスのように使い続ける事で変化が有る訳ではないが、信頼性は何より高い。
――それが壊されるとなれば、黙ってやられるには大きすぎる代償だ。
(だがどうする……相手が"神"なら、勝つ手段は無いに等しい――!)
覚悟が決まれば後の行動は迅速だった。向けられる重圧をから来る緊張感を燃料に彼我の戦力差を計算し、使える手立てを検討する。
澄んでいく意識の中、あの胡散臭い交渉役が与えたヒントが今なら分かる。
S2Uはその名に従い歌を贈り、紡がれた歌は自身の名を持って守りの力となった。
本当に、少し考えれば分かる事だ。呆れられるのも無理はない。
答えは最初から与えられていた。後は自分がそれを受け入れるかどうかの話だったのだ。
素直に認めよう、と思い顔を上げる。少し前の自分は考えているつもりで、ただ怯え、立ち止まっていただけなのだと。
……考えろ。執務官としての最善は何なのか、そして僕にとって優先すべきは何なのか。
振り下ろされる寸前の剣を前に、短く、しかし深く息を吸う。
時間は無い。土壇場で増えた手札を使い、一発勝負へ打って出る。
決着は、次に息を吸う前に着くはずだ。
●
剣を構えたままの体勢で、熱田はクロノの取った行動を見ていた。
罅の入った杖を構えた少年は、逃げも守りもせずに前へと出る。
その様子を視界の中央に捕えながら、
……破れかぶれの突貫、にしちゃあ目が死んでねえな。
何かするつもりだ、というのは分かる。
だがそれを知っても身体は動かず、また動きを変えようという考えも起きない。
相手が何をしようと勝手だが、通じるかどうかは別問題なのだ。
だから受け止める。小者の様な小細工等はせず、ただ己の行動を押し通す。
彼我の距離は約四メートル。飛ぼうと走ろうと剣を振り下ろすまでに懐に入るのは不可能な距離だ。
向こうは距離を詰めようとしている。ならばこちらの動きを止める何かが来るのは間違いない。
大して期待はしてねえが、という思いを頭の片隅に置き、
「――ふっ!」
振り上げた剣を地面に叩きつける勢いで振り下ろしにかかる。
さっきまで使っていて分かった事だが、どうにもこのナナシは変換効率が悪い。
分岐する可能性から一つを選びとっている所為か、返ってくる手ごたえが浅いのだ。
体感では半分もいっていない。剣神である自分が扱うからこそ並みの威力が出ているが、普通の人間が使えば決め手に欠ける。
……この辺は鹿島の仕事だな。ま、他にも何かあるみたいだし、今はこれで我慢してやるか。
どの道ここまでくれば大差はない。動きに鈍さはないが、並みとはいえ直撃を受け続けた身体が全快したとは考えにくい。
おそらくは子守唄の加護の一旦だろうが、その力はさほど強くはないと熱田は踏んでいる。
親が子を守るのは広く通じる守りの力、しかしそれは所謂"自己犠牲"の力だ。
身を盾にする事であらゆるものから対象を守り抜き、そのためならば己が傷を負う事も厭わない。
しかし神族の子孫といった例外は別として、そうでもない限りはダメージを肩代わりするか、多少回復を早めるのが関の山だろう。
つまり今クロノが動けているのは回復しきれない痛みや身体の軋みを、デバイスが肩代わりしているからに他ならない。
万全の状態ならばこの程度を引き受ける事に問題は無いが、今は四度の攻撃を耐えて崩壊寸前の状態だ。
単なる全力疾走だけでも長くは持たない。
「おらさっさと来い!今更もったいぶってんじゃねえ!!」
呼びかけに応じるように、
「スティンガー・レイ!」
振り下される剣に対してカウンター気味に一発の光弾が放たれる。
以前の物よりやや大きく輝きも強いが、それ以外に変わった所は見られない。
……はっ、二度ネタだったら死ぬほど後悔させるぜ――?
速くはあるが弾道は真っ直ぐ正面、剣の軌道上にある。
何もせずとも少し手首をかえしてやれば迎撃出来てしまうコース。
その通りに迎撃行うべく、柄を持つ手を絞って鍔元で受ける。
目の高さに来ていた光弾を叩き落とそうとするその瞬間、
「――フラクタルシフト!!」
クロノが声を上げると同時に光弾はナナシへと当たり、残滓を残して砕け散る。
しかし今回はそれだけで終わらない。
砕けた中から6つの光弾が新たに飛び出し、剣の両脇を抜けて絡み付くように両手へと襲いかかったのだ。
反射的に腕を押しこんで柄を前に出すと、剣先を引くようにしながら踏み込む事で閉じ行く光弾の合間へと身体を入れた。
腕と肩を使い、外側に弾きだす要領で攻撃を受ける。
右に二発、左に一発が当たって砕け、残りは顔の横を掠めて後ろへと抜けた。
当たった箇所に怪我らしい怪我はないが、
……服を切れる位にはなったか!
右は肩と前腕、左は二の腕の辺りが綺麗に裂かれ、隙間から肌が覗いている。
着ている長衣は作業用の物だが、長持ちするように相応の処理が施されたものだ。
それを切り裂いたという事は相手が2nd-Gの概念についてそれなりに理解を示した事を指す。
だが、
「それじゃあまだ足りねえよ!」
出していた腕を引き、踏み込んだ身体に合わせて下へ。
先程よりも小さく、回すようにナナシを振って飛び込んでくるクロノを打ち伏せにかかる。
一度攻撃を受けた事で僅かながら遅れたものの、それでも懐に入らせるまでには至らない。
弧を描いて戻って来た剣はタイミングを計ったかのようにクロノの頭へと落ちる。
熱田は柄を持つ手に力を込め、
「――潰れろ糞餓鬼!!」
今度こそ、大剣を振り下ろした。
●
大勢の観衆が見守る中、熱田の振り下ろす剣に対してクロノが左手を差し出した。
受け止めようとするかのようなその動作は、相手まで残り二メートルを切った所で上からの刃に阻まれる。
クロノは地を蹴り、飛行に跳躍の動きと加速を追加する。
速すぎる剣の先端部は無視して鍔元へ手を伸ばすクロノに対して容赦なく大剣は振り下ろされるが、クロノはもう片方の足を地へと突き刺す。
再度の加速、しかし後少しという所で届かない。
駄目か、と観客達から落胆の溜め息が出かけた矢先、
『届いた!?』
会場に響く声に、居合わせた全員がその光景を見た。
剣の動きが僅かに鈍り、届かぬと思っていた手がナナシの鍔上、刀で言えば棟の腹へとかけられている。
「くぅ、――あっ!」
そのまま刀身を受け流し、上から地面に押しこむ動きで送り出す。
クロノは押し込んだ反動を利用して身体を浮かせ、刀身の上へ乗る。
さらにそこから熱田の頭に手を着くと、倒立の要領を以って空へと飛び込み頭を下にしたまま熱田の背中側へと抜けた。
そして手にした杖を前へと翳す。
●
……よし、抜けた!
天地が反転した世界でクロノは未だ背を見せている熱田を見下ろしている。
攻撃は来ておらず、手の中のS2Uも健在。
剣が完全に振り下ろされた今になっても無事だという事は、自分の立てた推測は大筋で正しいという証明だ。
あのナナシという大剣は"攻撃できるかもしれない"場所全てを射程に収める規格外の一品だ。
距離を取っても逃げる事は出来ず、防御や障害物も役には立たない。
バリアジャケットやS2Uの加護の様に攻撃対象そのものの防御力を上げたとしても、その上から通すだけの威力もある。
しかし万能と思えるこの武装にも弱点がある。
……そう、あらゆる場所に攻撃が出来ると言っても、それはあくまで"可能性"を実現した結果に過ぎないんだ。
可能性が存在しない場所には攻撃が出来ない、と言葉にしてしまえばそれだけのことだ。
振り下ろされる剣に対し、わざわざ相手の懐に飛び込んでいったのはその"可能性"を少しでも削るのが目的だった。
攻撃は一振りで一回。当たり前の話だが、ここではそれが重要になる。
つまり"剣による直接攻撃"と"概念による間接攻撃"は同時に行う事が出来ないのだ。
だがこれだけでは足りない。
例え間合いに入ろうと、始めから概念での攻撃を行うと決めていたのなら密着した所で攻撃は当たってしまうからだ。
だからこそ攻撃を受け流した。いや、目的から言えば剣に触れに行った、と言う方が正しい。
可能性は可能性であって事実を超える事は出来ない。
分岐の元は一つ、という概念からも分かる様に事実があるからこそ可能性はある。
ならばその"事実"に干渉すれば攻撃を止める事が出来る。
すなわち、
……刀身に着いた物に攻撃できる剣はない……!
手は触れているだけだったが、触れるという事は"そこにいる"という何よりの証拠だ。
しかもそれが攻撃対象そのものなのだから無視する事も出来ない。
その状態で剣を振ったとしても当たる筈がない。
何故なら触れる事によって剣と攻撃対象の位置が決まってしまっているからだ。
ならば触れられている方向へ攻撃を行えば良いと思うかもしれないが、動きが縦である以上それは叶わない。
重量級の武器であるナナシは、縦に振り下ろされる動きの先に横へ攻撃を行う可能性を持た無いからだ。
"体勢が違う"可能性を以って攻撃の方向を変える事が出来ても、動きそのものを変える事は出来ない。
可能性の分岐を以って攻撃を行うナナシにとっては鋼よりも強固な楔だ。
尤も、対策はあるだろう。近づかせないのは元より、何か少しでも攻撃出来る可能性が残っていれば良いのだから難しい事では無い。
だが新型、それもテスト段階の試作品ならば対策は取られていない可能性の方が高く、その予想は結果によって肯定された。
推測ばかりの突撃だったが、今度からは自分の推理力にもっと自信を持って良いかもしれない。
そんな事を頭の片隅で考えながら、遠ざかっていく熱田に対し追撃をかけるべく魔力をデバイスへ流し込む。
……生半可な攻撃は通らない。けど、S2Uの力を合わせれば!
狙うのはブレイクインパルス。すれ違う際に振れた段階で既に必要な情報は集め終わっている。
近接魔法本来の射程から大きく外れてしまっているが、今の自分にはそれを補う物が有る。
元々ブレイクインパルスは対象の固有振動数を割り出した上で、それに合わせた振動エネルギーを送り込む事で破壊する魔法だ。
魔法で起こす振動は魔力による物のため、遠距離では空間に残る魔力によって乱されてしまい、届く頃には効果を失ってしまう。
そのために直接接触して振動を送り込む必要が有るのだが、逆に言えば振動エネルギーが確保できれば遠距離にも対応できる。
そして今、手の中にあるデバイスは、加護を与える歌という分かりやすい振動エネルギーを生み出す事が出来る。
「聖なる歌よ、高らかに響け。その名の下、安らかに誘え」
詠唱をしながら術式を遠距離用に組みかえる。
魔力で行う事を歌に置き換えるだけなのでさほど難しくはないが、それを許すほど相手も甘くはない。
右回りに身体を捻り、振り返りながら逆袈裟に切り上げに来る。
振り抜かれれば終わる。が、分かっている事に対策を取らない程愚かでは無い。
熱田がこちらを向くために足を踏み込んだ所で、それは発動した。
足元に魔法陣が形成され、伸びた鎖が僅かに目を見開いた熱田の全身を拘束する。
ディレイドバインド。設置した場所に踏み込んだ者を拘束する捕縛魔法、そして攻撃を行うための僅かな時間を稼ぐための切り札だ。
長くはもたないというのは想像に難くない。だからこそ突撃時の危険を冒してでも温存したのだ。
一分か、十秒か。だが例え一秒であっても動きが止まればいい。
それだけの時間があれば、最低でも相討ちに持ち込める。
攻撃が効かないかもしれない、という危惧はあるが、事ここに至っては考えるだけ無駄だ。
倒し切れなければどの程度ダメージを与えたかで交渉の幅が変わる。
故に結果がどうなるとしても、まずは攻撃を当てなければ始まらない。
行け、と思う心に応えるように拘束する力を強めた鎖は、
「な……!?」
――その身を砕かれて宙へと舞った。
●
細切れにされた鎖の破片を身に纏いながら、熱田は視線の先に居るクロノを見た。
視界に映ったのは驚いた表情のクロノだったが、次の瞬間には何かを行う様な素振りを見せる。
その様子に熱田は思わず笑みを浮かべた。
試合が始まった頃なら驚いて終わりだったのが、今は生意気にも抗おうとしている。
相手にならない雑魚である事に変わりはない。
だが同じ雑魚でも得点が高ければやる気が違う。橙色ならアイテムが付いたかもしれない。
良い感じだ。これなら止めを刺す前に答えを教えてやっても良い気になる。
熱田は剣を振る動きを止めぬまま、
「剣神熱田は剣の化身だ。――縛った所で断ち切られるに決まってんだろ!!」
日本において、物が神となる事は珍しい話では無い。
付喪神等を見ても分かる様に、力を持つ道具はそれだけで神や妖怪としての容を与えられるのだ。
剣神とは剣の化身であり剣そのもの。その力を抑えるには専用の"鞘"を作るか、全体を丸ごと覆う様な封印を施す必要がある。
惜しくはあったが選択を誤った事に変わりはない。
理解したかは別として答えも言った。後は宣言通りシメてやれば終了だ。
しかしクロノはまだ諦めていないのか、前に翳していた杖を頭上へと掲げ、
「歌え!S2U!!」
だが、
「おせぇ!」
デバイスに応じる事すらさせずに、熱田は剣を振り抜いた。
●
熱田の攻撃で起きた事は明確だった。
バリアジャケットが光の残滓となって割れ爆ぜ、クロノには剣の軌跡通りの傷が刻まれる。
斬られた勢いで弾き飛ばされた身体は、血を撒き散らしながら観客席へと落下していく。
落下地点にいた観客達は落ちてくる事を知って慌て、しかし避けるのはまずいと思ったのかその場に留まったまま身構える。
そこへ周りの観客達から一斉に上着類が投げ込まれ、周囲で売り子をしていた自動人形数体が重力制御と合わせて即席のクッションを作る。
クッションと観客数人を下敷きにしてクロノは頭から着地。
動きが止まった事と落下時の衝撃によって血は服に染み広がり、ブリーフっぽいものが顔に!という悲鳴と救護班を呼ぶ声がそれに続く。
担架を担いだ看護服のマッチョと自動人形達が駆け寄ろうとするのを熱田の声が遮り、
「まあちょっと待て、あんまり気が早いと早死にさせるぜ」
「お前が殺るのかよ!?」
『何のつもりですか。まさかここまでしてまだ足りないとでも?』
観客の突っ込みにもリンディの感情を押し殺した声にも動じず、
「俺がこの程度で満足するワケねえだろ。
おい佐山の糞餓鬼。確か勝敗は負けを認めるか、行動不能になるのが条件だったな?」
『そのはずだ。違ったとしてもそうだとしよう、それがどうかしたかね?』
「ならまだ決着はついてねえぞ。十二分に手加減してやったからな、動こうと思えば動けるはずだぜ」
その言葉に反応するかの様に、クロノが咳き込む。
血が混じった息を吐くクロノは虚ろな目のまま身体を起こそうとし、痛みに顔をしかめて動きを止める。
熱田はナナシを担いだ状態で観客席へと飛び乗り、倒れたまま動けずにいるクロノへ近づいていく。
『待ちなさい!時空管理局側の監督者として、この模擬戦におけるこれ以上の戦闘行為の中止を命じます。
同時に管理局代表選手の敗北を認め、一刻も早い救援活動の再開を要請します!』
「うるせえな、手加減したっつってんだろ。放っておいてもそう簡単に死ぬような怪我じゃねえよ。
――ほら起きろ。さっさと済ませないと面倒な事になりそうだからな」
熱田は倒れているクロノの頭の側に立つと、頭を足で軽く小突く。
荒い息を吐きながら、クロノは覗きこんで来る熱田の視線を受け止め、
「何か……?」
「元気そうだな。これならもう少し切り込んでやってもよかったか?」
「別に、そん……な」
「コラ、人の話の最中に寝るな。せっかくそこで拾った土産も持って来てやったんだからよ」
そう言って、熱田は左手から何かを放りなげる。
黒い金属板の様なそれは、
「S2U……!」
「別の歌で子守唄を止めよう何て、面白え気を起こしたもんだ。
負けた時の事を考えて行動するのは三流のやる事だが、それを踏まえて戦術を組みたてられりゃあ及第点だ。
ま、そこについては褒めてやるよ」
罅割れたカードとなったS2Uはクロノの胸板へと落ちる。
クロノはそれをしばらく眺め、
「……僕の、負け、ですね」
「そうだな。俺が勝ちでお前が負けだ。
傷はそこらの連中が勝手に治すだろうから、しばらく寝とけ」
その言葉を聞き終えるとクロノは今度こそ意識を失い、担架に乗せられ運ばれていく。
リンディを始めとするアースラ組がそれに続いた所で、
『あ、えーと、ゲストの方が全員いなくなってしまいましたが、とりあえず模擬戦はUCAT代表の勝利です!
皆様お疲れさまでした!物を投げるのは程々にしてくださいねー?』
実況係の声が響き、ブーイングと投げ込まれた物を残して模擬戦はその幕を下ろした。
●
「過程はともかく結果は予想通り、かしら。簡単に負けられても困るんだけど、また仕事が増えるわねぇ」
開発部内、テレビから目を放して月読は大きく伸びをする。
「ほら鹿島、アンタもいい加減動画見るの止めなさい。模擬戦終わってるわよ」
「――――」
「鹿島?」
「――後五分延長でお願いします」
月読は無言で立ちあがると、ノートパソコンから伸びるコンセントを引っこ抜いた。
省電力モードになって明度が落ちた画面を見て、家庭に影が落ちた、と嘆く鹿島にノートパソコンを閉じる事で止めを刺し、
「やる事やったら続きを見なさい。そうすれば仕事も捗るでしょ」
「その間にもパソコンの中で奈津さんや晴美は暗い場所でひもじい思いを……」
「現実に目を向けろ。そうでなくても仕事を速く終わらせれば良い話よ、終わったら帰っていいからさっさとやりなさい」
しぶしぶ立ちあがる鹿島を部屋から出て行かせると、
「これからちょっと忙しくなるから、シャマルさんも今日はもう帰ってもらった方が良いかもしれないわね」
「あの子の治療ですか?」
「身内の馬鹿がやった事だからねぇ。使える物使って治療すれば、三日もあれば完治するでしょ」
三日、という見積もりにシャマルは驚いた表情を見せる。
その表情に月読は苦笑を浮かべ、
「あの交渉役の事だから、医療技術を見せつけるのも計算してるはず。
重傷っていっても毒やら呪いやらがある訳でもないし、それだけあれば十分よ。
あなた達の主人に使う検査機なんかの準備も、今日一杯はかかるでしょうしね」
「そうですか……。なら丁度いいですし、失礼させていただきます」
「はいお疲れ様。渡した賢石を持っていれば大丈夫だと思うけど、一応外までは送るわ」
「ありがとうございます。出来るだけ早く、また窺いたいと思います」
互いに笑顔を交わすと、開発部の扉を開け、
「ま、気楽に行きましょう。この世界じゃ、生きてる限り何とでもなるんだから」
「はい。――Tes.」
そしてそれぞれの居るべき場所へと歩き出した。
――後書き――
どうも、お久しぶりです。
前回からまた随分と期間が空いてしまいましたが何とか書き上がりました。
いやー、十月終わりから何故かイベント事が続きまして。
親知らずを抜いて一週間ほど物を食べるのに苦労したり、
洗濯機の排水ホースが抜けてその後始末に苦労したり、
生物にとって大事な所から血を出したり、
その後トイレに入ったら貧血起こしてぶっ倒れたり、とまあいろいろありました。
特に血が出た時は驚きましたね。見慣れた物が赤く染まってるだけで別物に見える不思議。何このファンシーな色。
しかもその後で大きなおできまで出来たんで、その手の経験無いのに性病でもかかったか……?とわりと真剣に悩んでおりました。
結局その後は何ともなく、おできはクレーターとなり、それも今はほぼ治ってほっとしてます。
今からすれば、血が出た原因はこのおできではなかろうかと思うが……はて。
下ネタ嫌いな人はすみません(汗
でも本当に怖かったんですよぅ……。
さて今回でようやく模擬戦も終了。上手く書けたはともかく一区切りがつきました。
これも偏に皆様の応援のおかげです。感想もありがたく読ませていただいてます。
その感想も、自分の返信除いても二百に届きそうな感じで……もう何とお礼を言ったらいいか。
これからものんびりと付きあっていただければ幸いです。
それでは、ここまで読んでくれた人に感謝を。