【松井秀喜世界一までの2486日(6)】 「あ〜っ」と声を上げながら、うつむき加減で一塁に走る。日本と比べて外角に広いストライクゾーンに逃げていくツーシームを引っかけてはゴロの山を築く。そんなとき、松井秀喜はつぶやく。
「また、ゴロキング復活だな…」
不名誉なあだ名がついたのは、メジャー1年目の2003年5月のことだった。
ニューヨーク・タイムズ紙に「ground ball king」の見出しが派手に躍った。名物オーナーのジョージ・スタインブレナー氏も、ゴロを量産する姿に「われわれが日本から連れてきたのはこんなマツイではない」と嘆いた。
開幕から1カ月余りが過ぎ「外のツーシームを投げておけば打ち取れる」というゴジラ攻略法が定着した。
打撃の状態の良いときはツーシームを左翼に流し打ち、見せ球の内角球を右翼に引っ張ることもあったが、根本的な解決策が見いだせないまま、1年目が終了した。汚名返上を心に誓い、2年目に向けた練習を始めた。
「ツーシームのようにギリギリまで動く球を打つには、最後までしっかり見ることが大切。決して右方向に打とうとせず、左へ、しかも強い打球を飛ばす。そうすれば中から内への球も増えるでしょう」
実は松井、もともとは右利きだ。「生まれつき左利きの左打者と比べて、僕は左手で打球を押し込む力が弱い。それにどうしても器用な右手主導で沈む球をとらえてしまう」と自己分析した。
左手でバット、テニスラケットを持っての素振りや、左中心の筋トレに時間を費やした。左手ではしを持ち、ご飯をポロポロとこぼしながら食事をした。“ミミズのような”字で必死に書き続けた。
努力と工夫が実り、2年目は左への強い打球が増加した。本塁打も31本と大幅に増えた。悪癖の根絶は難しく、時々、ゴロキングになるが、以前ほど深刻には考えていない。その後、本塁打量産期が来るのもわかっているから“王様”のようにどっしりと構えている。