はたして、これが「子どものため」に最善なのだろうか。結局は、厳しい規制も「見つかれなければ勝ち」的な現実を、子どもの前で繰りひろげるだけに終わってしまう心配がつきまとう。そこまで考えることなく、とにかく「児童ポルノ」として排撃し規制するのは、「わたしこそは『子どものため』にガンバっている」という自己満足にさえ映る。それでは子どもに関わる現場では通用しないし、真に「子どものため」なるとは思えない。
やはり、「児童ポルノ」という言葉は曖昧であり、自己満足的な規制を正当化するだけだろう。それよりも、「オトナとして恥ずかしいことではないか」という発想を、常に持ちつづけるべきではないだろうか。子どもの裸やそれに近い画像を撮影し所有するのも、そして正反対に、曖昧な概念のまま「とにかく規制」と叫んで満足するのも、「オトナとして恥ずかしいことではないか」と問い直すべきだろう。
その姿勢を、オトナ達が子どもの前で鮮明にすることのほうが、結局は「子どものため」なるし、「児童性行為等姿態描写物(!)」の拡大を防ぐように思えてならない。