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[21103] 月下の狂想曲(ネギま×悪魔城ドラキュラ)
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:b7b523f5
Date: 2010/08/13 16:49
 此処に投稿するのは初めての哀歌と申します。

 ドラマCD追憶の夜想曲を聴いて、悪魔城熱が再燃。無性に、悪魔城を題材にして何か書きたくなったので投稿する運びとなりまして。
 題名通りクロスオーバー。悪魔城ドラキュラシリーズのネタバレなど満載になるでしょうから、内容を知らぬ方を置き去りにしてしまうかも知れません。その点はご了承を。



[21103] 第一話
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:b7b523f5
Date: 2010/08/13 17:32


 ――夏の日差しに炙られて、空気が熱を帯びる。

 七月の下旬。夏休みが始まり、学生達の調子が気候同様激しく熱気に満ちるのは、麻帆良学園でも変わりない。むしろ、生徒数が多い事と自由奔放な学風が相重なって、休暇と言うにはあまりに騒がしい日常が送られていた。
 それは麻帆良学園中等部3-Aの面々にも当て嵌まり――

「――それでは!! 亜子の恋愛成就を願って、アピール大作戦その弐ーー!!」
「え……? いや桜子。出来ればウチ、もう勘弁して貰いたいんやけど……」

 ――まあ、街中で必要以上に弾け飛んでいたりする。
 弾け飛ぶ代表格は椎名桜子、柿崎美砂、そして釘宮円の三名。その三名に囲まれて、被害者というか、厄介な人達に絡まれた哀れな子羊的な様相を醸し出しているのは泉亜子――既に現状で、もうどうにでもしてと言うか、何やら諦観の入った顔で遠くを眺めている。
 そんな様子を無視しているのかしていないのか、まほらチアリーディングの三名はそりゃあもう好き勝手に盛り上がっていた。

「何を弱気になってるの亜子!! 前回のアピールセクシーショットは、まあ確かに少しばかりそこはかとなくやりすぎて失敗しちゃった感はあるけど、一度の失敗にめげてちゃ駄目!! もっとバンバン自分をアピールしていかなきゃ!!」
「……その問題の前回は、桜子達のおかげで失敗したんやけど……忘れたん?」
「細かい事は気にしない!! 失敗は成功の母!! 駄目で元々! 当たって砕けろ! 死に花を咲かせる! 亜子の恋はまだまだこれからだよ!! 勇往邁進ーーー!!!」
「…………」

 亜子のジト目――否、凶眼に成り掛けている瞳をナチュラルにスルーして、桜子は大いに盛り上がる。多分、暑さで脳が茹っているのだろう。両脇の美砂と円も似たような様子だ。さもありなん。

「そんな訳で私、椎名桜子は考えました!! いきなりセクシーに攻めても駄目だと! もっとこう自然に!! 亜子の魅力を惹き出しつつ、違った一面をナギさんに見せる!! 際立った衣装は必要無いんだよ!!」
「……うん……それくらい、ウチ、最初からわかっとる……」
「なので!! 本日は私達、まほらチアリーディングが、亜子を着せ替え人ぎょ――もとい、ファッションチェックしようと思い立ったのでありましたーーー!!」
「……テンション高いなー……」

 他人事のようにのほほんと呟く亜子。無駄にテンションの高い人を目の当たりにすると、自身がクールダウンするという自然の摂理である。冷房不要らずで良い事だ。ただの現実逃避とも言うが。
 とは言え――それでもこれは友人の“好意”である事に違いは無い。
 それくらいは、亜子にだって解っていた。 

「……ま、言いたい事解ったから、とりあえずその辺の店から見てまわろか?」
「お? 何だかんだ言って亜子も乗り気だね?」
「此処まで来たら乗る以外どうしようもないやん。それに新しい服見てみたかったのはホンマやし、買い物付き合うくらいなら構わんで」

 言うなり視線を巡らせば、ブティックにアクセサリーショップ、中には新作水着の文字も見受けられる。
 夏季休暇。それに伴って店商売大きく売りに出ている。学生達も夏休み用の買い物として多数街中を闊歩していた。
 そんな学生達の中に入り、自分もショッピングを楽しむのも悪くない――亜子はそう思っていた。

「ウチ、ワンピース一着見たいんよー……ナギさんが好きかどうかは解らんのやけど……」
「お? いいねいいねー。亜子はパンツ系多いし、この夏は路線を変えてみるのもいいんじゃない?」
「じゃ、あそこなんていいんじゃない? ほら夏物新作入荷って書いてあるし」

 和気藹々と騒ぎながら、四人はブティック目掛けて足を運ばせる。
 街道は四人以外にも人は多く、中々目的地へ辿り着けない。肩や足がぶつかり、お互いに頭を下げながら少しずつ進んでいく。休日の大通り。人混みに埋もれるのは珍しい事でもなく、体が接触したとしても謝罪の意を示せば諍いが起こる事は殆ど無い。半ば日常茶飯事と化したその光景。
 亜子達もそんな事は慣れた光景で、特に気に留める事無く目的地へ向かっていた。



 そんな最中――――全く掠りもせず、亜子達の横を通り過ぎる男が一人。



 何か、不審な行動だった訳ではない。擦れ違っただけ。接触しなかったとは言え、そもそも全ての人間にぶつかりながら歩いている訳でもない。単に、肩などが当たりやすいと言った程度。誰もがなるべくぶつからないよう歩いているのだから、今の男が不審な訳ではない。
 けれど亜子は何か、違う物を感じた。風が通り抜けたような感覚。そも、掴もうと思っても掴めない様な。
 不可思議な気持ちに囚われて、思わず目で追う。
 男は長い黒の長髪に、黒地のスーツ。夏場だと言うのに、一見だけでそのスーツが奇麗に着こなされているのが解る。襟元も袖口も、欠片とて着崩されていない。模範的な着こなし方。モデルか何かと言えば信じてしまいそうな、その姿。
 全身が黒で統一されているにも関わらず、その肌はいっそ病的なまでに白く――そこでようやく気付く。男の、整いすぎたその顔付きに。彫刻か何かの見間違いかと思うほど。その長身と身体つき故、男と解ったが、顔の造りだけを見れば女性と勘違いしてもおかしくない。そんな領域の美貌。
 ――息が止まる。

「あれ? どうしたの亜子? 何処見て――ああ。今通り過ぎたイケメンさん? 凄いよねーナギさんより大人って感じだったし」

 感嘆の声を上げる桜子達の声も、亜子には届いていない。
 ただ、その黒き男を見ていた。見惚れた訳でも、ナギから心変わりした訳でもない。ただ、目が離せなかった。
 感覚で言えば、初めてナギと対面した時に近い。幻を直視している。そんな、幻想。



 七月の下旬、ある学園都市の夏休み――正史で語られぬ物語の外典が、その封を切り始める――。











 ――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの別荘。そこは闇の福音の大魔法にして、ある種の異空間である。
 魔力で編まれた隔離結界とでもいう其処は、魔法道具内に別荘を造り出す一級の秘術。その別荘内に転移した場合、存在そのものを圧縮させて送る為、本来の時間流とも隔離される。具体的な数値で言えば、別荘内での一日が外の一時間といった具合にだ。
 魔力で編まれた世界な為、空間内に魔力が満ちており魔法使いが戦闘を行うには最適とも言える。
 それ故に、多くの魔法使いがこの魔法具を修行用の道具として使用し、それはまだ幼きネギ・スプリングフィールドも例外ではなく、


「魔法の射手(サギタ・マギカ)!! 連弾(セリエス)光の九矢(ルーキス)!!」

 光、射射射、轟!!
 杖に乗って空を駆けるネギの掌から、無数の光弾が地に降り注ぐ。
 さながら爆撃のような勢いで射った魔法の矢は、激しい閃光と衝撃を齎し――その反面、ネギの顔色は悪い。歯痒い気持ちを前面に押し出し隠そうともしていない。足りないと、不足だと、彼の顔が語っていた。
 それもその筈。そもそも、“手応え”が無い。たかが九矢では当てる事も出来なかった――と。

「――!?」

 回天、閃!
 空を浮くネギ目掛けて、唸りを上げて回転する“巨大な手裏剣”が肉薄する。声を上げる暇も無く、身を捩り、咄嗟の空制御をもってその手裏剣をネギは回避する。
 地上から放たれた豪風を、寸前で避けたネギは大きく息を吐き――我に返る。一瞬の安堵、刹那の忘却。瞬きほどの須臾の時間に、地上の“敵”は姿を消していた。
 視界にあるのは無数の建造物と、透き通った水面だけ。
 水中か。それとも建物の影か。

「――っ! ど、何処に……!?」

 気配を探るが、姿形は無い。惚れ惚れするような穏形の術。文字通り気配を殺している。流石は“本職”なのだと――ネギは心中で感心していた。
 しかし実際は感心などしている暇は無い。相手の姿を掴めない状況で空中に浮いていては狙い撃ちされかれない。
 けれど地上に降り立ったら――それこそアドバンテージが無い。距離を取って戦わねば現状勝ち目の無い相手。接近戦に持ち込まれたらそれこそアウト。相手への援護にしかならない。
 ネギは障壁を張り、魔法の射手を拳に収束させて――――、
 
 ――忍!

 空に浮かぶネギに向かって、無数の人影が――否、分身が襲い掛かる。
 左右前後、三百六十度。ありとあらゆる方向から数多の忍びが、長瀬楓が槍の様に突撃してきた。
 その光景を見てネギの思考が固まり――瞬時に判断。自分の死角、後方に障壁を張り、収束させていた魔法の矢を左右に解き放つ。
 残る問題。前方より来る“楓の群れ”は己の肉体だけで迎え撃つ!

 光、爆、撃撃撃撃撃!!

 気弾が、光矢が、障壁が、苦無が、手裏剣が――ぶつかり弾けて、爆音を齎す。
 目が眩むほど閃光の中、ネギと楓が激しく拳を交える。楓の気拳をネギが受け流し防ぎ、けれど横手から影分身の一撃が身体を揺らす。肘を撃ち、蹴撃が身体を抉る。視界がぶれる程の猛攻の中、ネギはただ耐えて機会を待つ。ここを耐え凌ぎ、抜け出せれば仕切り直し。距離を取れれば魔法使いであるネギの方が有利になる。
 急所だけを上手く防ぎ、針の穴を通すような勝機を待って――――、

「気概は買うが――甘いでござるよ」
「~~~~っ!?」

 剛!!
 打ち下ろしの気拳。鉄塊の如き圧力を持った気の収束拳を喰らったネギは、堕ちるように地上へ。
 古菲の元での修練、エヴァンジェリンの元での修行。どちらもネギの強さを大幅に向上させ、並大抵の相手ならば近接戦闘も十分こなせる領域になったネギ。だがしかし、まだまだ経験が足りない。圧倒的なまでに。そんなネギが近接で、影分身まで用いて戦う楓の攻撃を防げる訳が無かったのだ。故にこの墜落は当然の事。
 その当然の帰結のまま――地に激突。

「か……はぁ……」

 身体が軋む衝撃。されど痛みに苦しんでいる暇は無い。ネギは傷む身体に鞭を打ち、身体に魔力を循環させる。
 まだ負けた訳ではない。自分はまだ戦える。勝負はまだ――創痍なれど意気軒昂。上空の楓を睨みつけるように視線を向ければ……しかして、其処には既に誰もおらず。蒼空だけが広がるのみ。
 瞬間、

「っ! 風花(フランス)風障壁(バリエース・アエリアーリス)!!」

 怒号、撃!!
 四方より衝撃。咄嗟に張った魔法障壁は、影分身を含んだ楓の同時攻撃を完全に防せぐ。
 一瞬でも判断が遅れていたら今頃ネギは地に伏せていた。好判断による見事な対処。
 だがしかし――楓の顔には笑みがひとつ。防がれた事に対しての不満も驚愕も、欠片すら見受けられない。むしろその逆。ネギならば、今の攻撃を防ぎきると確信していた。
 それ故に、楓には続く二手目がある。

「忍法――――朧十字」

 斬、衝!!
 風障壁の硬度は高い。10tトラックからの衝撃からも身を守れる魔法だ。
 だがその効果は一瞬。連続使用も出来ないというもの。
 ネギの失敗はその一点。身を護る障壁魔法に、欠点の多い風障壁を用いてしまった点。使い所を間違わなければ最高の効果を発揮する魔法も、用途を間違えれば最低の魔法に成り下がる。
 故に、四方から襲う楓の第二撃まで防げる道理は無く。

 突き抜けるような衝撃に身を委ねて、ネギはその場に崩れ落ちた。










「ネ、ネギくぅ~ん……ホンマに大丈夫なん? もう痛いところあらへんの?」
「だ、大丈夫ですよ木乃香さんの魔法ちゃんと効いてますから。もう全然。万全ですって」
「ホンマに? ……無理したらあかんえ? 痛かったらちゃんと言うんやよ?」

 ネギと楓は模擬戦が終わった後、休息を兼ねて傷の手当を行っていた。
 治癒魔法を使い、傷を癒すのは近衛木乃香。彼女の治癒魔法も日々上達している。元々アーティファクトが三分以内の傷なら完全治癒させるという破格の能力を持つ。そのアーティファクトの持ち主である木乃香に治癒術師としての才があるのは当然と言えば当然の事で……この別荘内では、模擬戦の際に出来た傷や怪我を治すのを練習台として修行に励んでいる。
 まあ、元々の性格の為か、魔法の腕が上がっても――傷を負ったネギ達の前で慌てるのは変わらないのだが。

「楓も楓やて。そりゃあ修行ゆうんわ、手を抜いたら意味無いんやろうけど……傍から見ると冷や汗ものや。もうちょっと優しめにやってくれたらええのに」
「いやぁスマンでござるよ。……とは言え、ネギ坊主も昔のネギ坊主ではござらん。拙者とてもう気を抜いて相手を出来ぬ。今日の勝負も拙者が勝ちの目を拾ったにすぎぬ。最初から勝てる戦いだった訳ではござらんからな」
「そんな楓さん……僕なんてまだまだですよ。全然敵いませんってば」
「まあ拙者にも多少は意地があるでござるからな。そうそう負けられぬでござるよ」

 そう言って、楓はニンニンと笑う。冗談を言うような笑顔。だが本当に、今楓が言った言葉は本音であった。
 ネギの力量が飛躍的に上昇し手が抜けないのが事実だとしても、甲賀中忍としての自尊心を軽々を扱える筈もない。山奥で鍛え上げた忍びの術。それが年下の少年に簡単に打ち負かされて良い筈がない。
 ――それでも、いつか抜かれる日が来ると予想し――そんな未来を楽しみとしているのも事実なのだが。

「――私から言わせれば、今の戦いは力量以前の問題だったがな」

 其処に、金髪の少女エヴァンジェリンは不機嫌そうな顔をして歩み寄ってくる。
 その不機嫌そうな顔は、一直線にネギに向けられており――その事実に気付いたネギが、子兎のように怯えた。

「さっきのは何だぼーや? あ? 楓の姿を見失った途端、あちらをキョロキョロそちらをキョロキョロと……何処のおのぼりさんだ貴様は。たわけ。思考と行動は同時に、そして迅速にだ。あの時一旦戦線から離れて距離を取っていれば、あんな無様な真似はしなかったものを……なぁ?」
「ひっ……ひわわわわわ……」
「何を小鹿のように震えとるか。まだまだ言い足りんぞ。大体、何故あそこで風障壁を張る? あの状況下ではだな……」
「あー……エヴァ殿? その辺で良いのではござらんか? ほれ、ネギ坊主はすっかり歳相応よりも下回って、小動物のように怯えておるでござるよ……」
「ぬ?」

 言葉を止めてネギを見れば、楓の言うように怯える草食動物が一人。涙目であわわはわわと震えていた。
 そんなネギをよしよしと撫でる木乃香の姿も相成って……なんとなく、弱い者苛めをしている感覚をエヴァンジェリンは抱く。
 溜息一つ。

「まったくこのぼーやは根っ子の部分が何時までも弱気でいかんな……そう言った点では神楽坂明日菜の方が芽があるか。あの阿呆は先程刹那との手合わせで一撃入れていたぞ。まあ、その後無様に負けていたが」
「――ちょっとエヴァちゃん。無様ってことはないでしょ無様ってことは……途中まではいい感じだったんだから」

 エヴァンジェリンの背後から、二人の少女が近寄ってくる。
 一人はツインテール、一人はサイドポニー。同じように髪を結わえているから、では無いだろうが二人とも似たような雰囲気で。
 つまり戦闘後特有の、一種の高揚感を携えた状態で――神楽坂明日菜と桜咲刹那が来ていた。

「ええ。明日菜さんの上達は素晴らしい。日に日に精練されていくのが見て取れまして……」
「そんなものは当たり前だ刹那。誰が師事していると思ってる。この闇の福音が師匠様なんだぞ? 日に日に上達するのは義務だ。常識だ。上達せんようなら氷漬けにしてこの別荘の人柱にでもしてくれる」
「くぅ……こ、このエヴァちゃんのスパルタめ……人にこんなゴシックでロリロリした衣装着せるだけでは飽き足らず、そんな無体な台詞を平然と言うなんて……」
「は。何が無体なのだが……それに言った筈だぞ。お前を立派な悪の中ボスに仕立ててやるとな」
「だからそれはやめてってばーー!!」

 ぎゃあぎゃあ。
 集まり騒ぎ始め、模擬戦の緊張感は何処へやら。
 瞬時にしてその顔付きも振舞いも年頃の少女のそれへと変貌。わいわいと騒ぐ、そんな中、

「――お茶の準備が出来ました。皆さん、一休みされてはどうですか?」

 エプロンドレスを纏ったメイドの装いで、絡繰茶々丸がしずしずと現れる。
 その声に誘われる様に――何処かから、焼き立てのお菓子の匂いと、優しく漂う紅茶の香りが。

「ふむ……そうだな。確かにそろそろいい時間だ。ひとつティータイムと……ぼーや! 何時まで震えてる! 神楽坂明日菜お前もだ! ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー喧しい!! 茶を飲むのだから、少しは静かにせんかぁーー!!」

 と、この場で誰よりも大きな声を上げて――はじまりはじまり。所謂ひとつの三時のおやつ。












「――そういえばネギくん知っとるか? 何でも最近この近辺でおばけがよく現れるって話……」
「お、おばけですか? いえ、僕の方では特に……」

 ダージリン、アッサム、ニルギリ。各々の好みに合わせた多種多様な紅茶を嗜みながら、少女達――少年が一人――は疲れた身体を休めて、雑談を興じていた。
 話題は主に、夏休みの予定。修行は修行。休暇は休暇。遊びは遊び。きっちり区別して充実した夏を過ごそうと、学生らしい会話を楽しんでいた最中、ふと木乃香の口から出た話題は寒気のするもので。
 しかしそれでいて――タイムリーな話題であった。

「せっちゃんはどうなん? せっちゃんとこの剣術は、ホラ、そーゆうんの本職みたいなもんなんやろ?」
「そうですね……この時期は確かに目撃情報が多く出ますし、実際に我等神鳴流も夏場は拝み屋のようなことを行いますが……」
「え!? 嘘!? お化けって本当に居るんだ!?」

 メンバーの中で、一人“心底驚きましたー”的な大声をあげる明日菜。
 他の者はそこまで驚いていない。というより驚ける訳が無い。むしろ今の明日菜の発言の方が、余程驚く。
 あまりに“今更”すぎるから――そんな今更感を溜息として発露するエヴァンジェリン。

「あのなぁ神楽坂明日菜……私らのクラス、出席番号一番は誰だ? 相坂さよは何なんだ?」
「…………あ」
「……幾らなんでも今更過ぎるぞお前は。大体、吸血鬼に魔法使い。それにほら、今は居ないがあの犬とか。幽霊くらいどうという事の無い面子が揃い踏みだろうが。何で今頃騒ぐんだか……」
「そ、そんな馬鹿にしたような顔で言わなくたっていいじゃないの! だ、だってしょうがないじゃない! 夏場の幽霊っていうと、何かほら別物って感じだし……」

 もじもじと顔を伏せて、明日菜は尻すぼみになる。無論理由は、恥ずかしさ以外の何物でもない。
 エヴァンジェリンを除くメンバーは、そんな明日菜を見て微笑ましく苦笑するだけだ。あまりに子供っぽいその言い訳の仕方に毒気が抜かれる。
 ただ、そんな言い訳も、全てが出鱈目と言う訳では無い。

「しかし――明日菜殿の言う事も然り。夏は昔からよからぬ念が集まりやすいと云われているでござる。拙者の育った山奥でも、夏の夜は遠出を禁じられていた。一番夜が短い季節だというにも関わらず……で、ござるよ」
「ほ、ほらやっぱり! ふーんだふーんだ。やっぱり私の言ってること間違ってなかったじゃない!」
「ええい、開き直るな神楽坂明日菜。黙らんと煮え滾った湯に放り込むぞ貴様……まあ確かにそうだな。私も長い事日本に居るが、夏場の目撃例が季節の中では一番多い。所謂、怪談が一番盛んになるのもこの時期だ。夏が“魔”にとって温床であることは間違いない」

 ニタリ、とエヴァンジェリンが嗤う。嘲笑う様なその笑みに、一同は彼女が悪の魔法使いとして世に知られる吸血鬼なのだと再確認。
 気を抜けば一飲みさせられそうな破願を携えながら――吸血鬼は語る。

「何。そう難しい話ではない。この国にはお盆になれば先祖の霊があの世から現世に帰って来るという言い伝えがあるだろう? 事の真偽はさておいて、目撃例が多いのはそんな“言い伝え”が原因だ」
「……それってつまり、昔からの言い伝え通り、お盆にには霊が帰って来るっていう意味だよね?」
「違う。話を良く聞け神楽坂明日菜。言っただろう? 事の真偽は置いておけ、と。その言葉通り、迎え盆なる事象が実際にあるかないか……それはどうでもいいんだよ。問題なのは、お前達の中に、そんな現象が“有り得る季節”なんだと認識されているのが原因なんだ」

 言葉を区切り、紅茶を一口。
 吸血鬼の動作に淀みは無く――今語っている事は騒ぎ立てる事ではないのだと、その態度で示していた。

「物事を認識するには発信側と“受信側”の二つが必要不可欠になる。目標を“観測”し得る存在が居て、初めて理は成り立つ。解るか? 魔法使いの存在、悪魔の存在、吸血鬼の存在、幽霊の存在。そのどれもが、目撃する者が居なければ、存在する事は決してない。例え其処に居たとしても――誰も見なければ幻と同義だ」
「……? ? ????」
「……まだ解らんのかそこの莫迦ツインテールは。つまりだ、この夏場では“受信側”の精度が上がっている、という事だよ。初めから“居る”ものだと、“居る”季節なのだと脳内での認識が済んでいる。無意識の内に目を凝らして観ているのさ。だから本来気付かぬ、些細な違和感にも目が届き――結果として、幽霊のような“あやふやな存在”を目撃してしまう」

 エヴァンジェリンが語る事は、本来、人の視点から外れている、視界に入っても無意識に遮断している物に対する認識力を指す。
 そもそも、人は視界に写る全ての映像を理解している訳ではない。取捨択一して、記憶に留める映像と捨てる映像を選んでいる。
 一般人が幽霊を見た。その前提として重要なのは、霊力でも霊感でもない。観ようとしているのかいないのか――所謂心構えが問題なのだと、エヴァンジェリンは言っている。
 それを肯定するように――下方から声。

「それは俺っちにも解るぜ。俺も伝承では幻扱いされてる妖精族だからな。見られなけりゃ居ないのと同じってのは――」
「あら? 何よカモ? あんた居たの?」
「居たよ!? さっきからずっと居ましたよ姐さん!? 今だってお嬢さん方の足元でクッキーを頂いて!!」
「ふーん」
「ちょ、姐さぁぁぁん!?」

 オコジョ妖精――カモが見事な男泣きを披露する中、明日菜の反応は鈍い。というか、修行の疲れと、エヴァンジェリンの話を聞くのに夢中になってる為、対応がおざなりになっているようだ。無情なり。
 その様子を、金の吸血鬼は愉快そうに笑う。

「くっくっく……そう、まさに今の状況だ。そこの哀れなオコジョ妖精のように“見なければ居ない事と同じ”だ。神楽坂明日菜、お前は今、そのオコジョを視界に入れていなかっただろう? 修行の疲れの所為なんだろうが、頭の中ですら存在を忘れていた。だからお前は、オコジョの姿を見る事が出来ていなかった。見るという選択が無かった――」
「あ、成程。じゃあさっき木乃香の言ってた噂話って、幽霊が増えた訳じゃなく、私達が多く見ているだけなんだ」

 納得が言った様に明日菜が頷き、刹那が合いの手を入れる。

「ええ。夏場の怪談というのは、そう云った心理的なものが多いです。実際の亡霊の数は、左程変動していませんよ。彼等は常に何処にでも居ますし、何時だって目撃する可能性はあります」
「……でもそれって……目に見えないだけでそこら中に一杯居るって事だよね?」
「まあ確かにそうですが……実害のある霊なんて殆ど居ませんよ。名の如く、幽かに見えるだけの存在が幽霊ですから。仮に脅威になるような、強い想念をもった霊が現れても、此処に滞在する魔法使い達が見過ごす訳がありません。結界で探知されて、すぐに対処されます」

 麻帆良学園に集う魔法使いは、学園祭での動きでも解るように常にこの地域を守護している。
 彼等とて伊達や酔狂で魔法使いを生業にしている訳ではない。その志は一つ。「立派な魔法使い(マギステル・マギ)」になる事。
 この場に居るネギのような想いは、大小少なからず麻帆良学園の魔法使い達の内に有るのだから。

「ま、そういう事だ。つまり結論は“気にする事は無い”。それに尽きる……さて、茶々丸。もう下げていいぞ。休憩は終わりだ」
「了解しましたマスター。では……」

 従者らしく、丁寧な一礼をして、茶々丸は茶器や残った洋菓子を片付けていく。その様子を見て、木乃香や刹那達も手伝い――


「ああ、それと今日の修行はこれで終わりだ。時間が来たらお前達は家に帰れ」


 そんな、“らしくない”エヴァンジェリンの言葉に全員の動きが止まる。
 事、鍛錬に関しては一切の妥協を行わないエヴァンジェリンが、早々に修行を切り上げると言うのだ。驚愕はほぼ全員に。目を見開く者、きょとんとした顔で首を傾げる者、それこそお化けでも見たような顔付きになる者。

「……何だ貴様等その顔は。今日の修行はこれ以上の効果が無さそうだから止めるだけだ。あの犬も中華娘も居ない以上、お前達の手合わせはマンネリになるだけだし……それに私がつまらん。綾瀬夕映と宮崎のどかが居ない以上、座学も出来ん。ひたすら眺めてるだけなのは暇……苦痛なんだよ」

 仏頂面で、随分と自己中心的な理由を述べるエヴァンジェリン。
 あまりにゴーイングマイウェイなエヴァンジェリンに、一同は呆れ返るが……ある一面では正解である。
 今この修行場に集っているメンバーは、本来の数の半分程だ。夏休み、という事で自由な時間が増えてはいる。が、その逆に夏休みという事で他の予定が重なる事も多い。古菲は中国武術研究会の会長であるため夏休み中、その方面で身柄が拘束される時がある。小太郎もあやか、千鶴、夏美の住まう部屋に居候している手前、三人に恩返しという名目で買い物に付き合ったりする。
 夕映やのどかに至っては――そもそもこの時期、早乙女ハルナの“趣味”に付き合わされる事が恒例になっている。具体的に言うならば、夏や冬の祭典なるコミックマーケット云々の関連で。長谷川千雨も似たような理由……もっとも彼女の場合、“ちう”なる別名称での用事が原因であるが。
 そんな訳で、そんな各々の用事重なり合い、修行場に集まっている人数は少ない。
 その為、密度の濃い修行は全員が集合したときに回しても良い。エヴァンジェリンの言うように早目に切り上げても問題は、無い。
 無い筈なのだが――

「どうしたんですか師匠? 何か予定とかあったりします?」
「……時々お前は怖いくらいに鋭いな、ぼーや」

 一番弟子とも言えるネギは、その違和感に気付く。
 修行の能率、鍛錬の効果、最も効果的な修練法――そんな事よりも何よりも、エヴァンジェリン本人の気が“此方”には向いていないと。
 何か、別の処を見ているような、そんな気配。


「……大した事じゃないさ。ただ、この後――――知人が一人来るんだよ」


 言葉の後には、微かな笑み。その笑みは悪の魔法使いらしからぬ、闇の福音らしからぬ、吸血鬼らしからぬ笑顔。
 友愛を含んだ――エヴァンジェリンにしては珍しい微笑みだった。
















「――それで有角よ、どうじゃったかな?」


 夕刻の学園長室。夏季休暇中のその場所に、近右衛門は居た。
 夕日が差し込む橙色の内装を背景に、椅子に座りテーブルを挟んで目前の男を相対する。男もまた、近右衛門同様に椅子に座り視線を向ける。黒のスーツに黒の長髪。それ以外の色が似合わない、そんな想いを抱かせる長身の男。
 有角と呼ばれたその男――昼間、亜子達とすれ違ったその男は――静かに返答する。

「……大まかな処は見て廻った。信じられんが報告通りだ。他の者には解らぬだろうが俺には解る。俺があの“気配”を間違える事など無い」
「おぬしがそう言うのならば事実なのじゃろう……出来れば、ワシの勘違いであって欲しかったが」
「他の者ならば間違いなく関連付けまい。むしろよく見抜いてくれた近右衛門。俺ですらこの身が近付くまで感づけなかった微かな気配だ。お前が俺に知らせなかったと思うと恐ろしくなる」
「そう言って貰えると有り難いのぉ……しかし、有り得ん。ワシが気付き、おぬしが肯定した今でもそう思う。こんな事は有り得ん筈じゃ」

 苦悩と煩悶の表れか、近右衛門はテーブルに肘を乗せ顔の前で指を組む。組まれた指が何度も微動して、その心の落ち着きの無さを露呈していく。
 麻帆良学園学園長、近衛近右衛門。歴戦の魔法使いでもあるその老兵は明らかに――怯え、そして焦っていた。

「ああ。何が原因でこのような事態に陥ったのか……それは俺にも解らん。解るのは早急に手を打たなければ、この学園は壊滅するということだけだ。いや、それだけではすむまい。日本そのものの危機に繋がる」
「……1999年。あの時に全て終わった筈じゃ。この世界に住む全ての魔法使いの荷が一つようやく降りたと思ったんじゃがな……ワシの気のせいじゃったのかのう」
「……それは俺とて同じ事。再びこの身を動かす事になるとは思わなかった」

 近右衛門に続く男の言葉にも焦りが見える。そして焦り以上の、何か“別の感情”。
 沸き立つような何か。それを男は押し殺している。表に出さぬよう――己の中で燃やしている。

「では……やってくれるか『護る者』よ。今一度、ワシ等人間に力を貸してくれるか?」
「……気にするな。これは自分の宿命にすぎん。お前が俺に頭を下げる必要は無い」
「――恩に着る。出来うる限りの協力はさせて貰う。差し当たって滞在する部屋じゃが――」
「それは先に伝えたように、エヴァンジェリンの処で良い。俺の存在も表に出すには不味かろう」
「……何から何まですまんの。エヴァンジェリンには既に連絡しておる。準備は出来とる筈じゃ」
「ではそうさせて貰う……俺一人の手では余るかも知れんからな。この地にエヴァンジェリンが居たのは不幸中の幸いだった」
「確かに、の。人生、何が得になるか解らんもんじゃが、エヴァンジェリンを引き取って良かったと思っとるよ」

 そう言って、近右衛門は笑う。ほんの僅かだが、怯えが消えた笑い声。
 それは見方を変えれば目を背けようとする心の現われなのだが――事実として頼もしいからだ。
 闇の福音と云われた魔法使いの存在が。そして目の前に座る有角という男が、今の近右衛門にとって誰よりも頼もしい。
 何故ならば――近右衛門が考える最悪の事態。それを防げるのは現状、この両名しか居ないと解っているからだ。
 この二人以外――“あの脅威”をその身で知っている者が居ないから。

「それではエヴァンジェリンの家に着き次第、再び連絡を入れさせて貰う……お前も備えておけ近衛近右衛門。下手をすれば今夜この地が戦場になってもおかしくは無いからな」

 男は不吉な言葉を残して、席を立ち退室する。
 近右衛門は男の言葉に激昂することも恐怖することもなく、ただただ真摯に受け止めていた。
 充分過ぎる程に有り得る事だと、彼自身が理解していたから――だからこそ有角を呼んだのだから。


「……頼むぞ有角 幻也(ありかど げんや)。いや、アルカードよ――――」


 夕暮れの最中、老兵はただ祈る。
 夜の闇がこの地を覆わないように――血塗れの狂想曲が奏でられないように、と。
 切なる祈りの中、物語が始まる。




 正史で語られぬ物語の外典が――――遂に、始まる。











 あとがき

 多分長くても十話前後の中編で終わります。
 そんなに長い話にする予定は無いので。
 それにしてもタイトルの段階で色々と展開がモロバレなのはどうしたものか。



[21103] 第二話
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:34b945bc
Date: 2010/08/14 14:13

 夕刻の世界を、二人の少女が歩く。
 手には荷物。日常の象徴のようなビニール製の袋に幾つもの食材を詰めて、二人は軽やかに帰路に着く。重い荷物でも、目的意識が明確ならば、その重さは苦痛にならない。左程時間も経たずに、この食材は胃に収まる確定している。ならば重荷は重荷とならず。ただ期待だけが膨らむのみだ。
 二人の少女、修行を終えた刹那と木乃香は、買い物を終えて帰宅するその途中だった。

「いやぁ、一杯買えたなぁせっちゃん。タイムセールのお肉沢山ゲット出来て嬉しい限りや」
「そうですね。これだけあれば皆の分……どころか、小太郎君や古が居ても大丈夫そうです」
「あはは。そうやな。あの二人居らんのは残念やけど……ま、それは今度に期待しとこうや。今日は五人で――カモくん入れると六人やけど――豪華にすき焼きやぁー♪ おうどんも買って来てあるから、最後まで美味しく頂けるえ~」
「くすっ……楽しみにしてます、お嬢様」

 両手に持った荷物を掲げる木乃香を、微笑ましい気持ちで刹那は見つめる。
 今でこそ、このように一緒に買い物をするなど平凡な日常を送っているが――少し前まで、刹那はそんな事考えてもいなかった。選択肢に入っていなかったと言ってもいい。自分は木乃香の護衛であり、影となり日陰となり、裏で護れればそれでいいと思っていた。それで満足だと、そう信じていた。
 けれど今は違う。同じ場所で同じ道を歩いている。肩を並べて進んでいる。
 その事実が嬉しくて――――

「あ、せっちゃん笑うてる。ほかほか、せっちゃんも意外と食いしん坊さんやねー。今からそんなに楽しみにしとるなんて~」
「んなっ!? ち、違いますお嬢さま!! 私はですね、ただ、その……」
「んふふ~? なんなん~? せっちゃんすっごく可愛い顔で笑ってたんやけど、一体何やったん~?」
「お、お嬢様ぁ!!」

 きゃあきゃあ――と、年頃の少女のようにはしゃいでしまう。
 楽しくて。その事実、その心の動きを刹那はまだ完全に理解してはいない。“普通の少女”と同じ、その感情を。影に潜み、遠くから眺めているだけの少女はもう居ない。仮に今一度、数ヶ月前の自分に戻れと言われても、刹那はかつての自分に戻る事は出来ないだろう。それほどの事なのだ。桜咲刹那にとって、今の日常の尊さは。
 
「んふふふ~♪ ほな、せっちゃんも楽しみにしとるようやし、はよ帰って晩御飯の準備せなあかんなー」
「お嬢様ぁ!? ですから私は違うと……」
「え……? せっちゃん……ウチの作るご飯、楽しみじゃないん?」
「ち、ちちちち違います!! お嬢様の作る食事に不満など欠片も微塵もありません!! そのような事有り得る訳が――!!」
「そかそか♪ それじゃやっぱり、はよ帰らんとあかんな~♪」
「あ……うううう~~~~!」

 黙して悶々。良い様に木乃香にあしらわれて、刹那は顔を伏せてただ唸る。
 神鳴流として戦闘技術を磨いた刹那も、木乃香相手では分が悪い――というよりも勝ち目が無い。日常とは離れた戦場で生きてきた故に、日々の生活が酷く不器用だった。行動の、会話の、全ての節々で手馴れない様子が伺える。そんな刹那の隙間を突く様に木乃香が動いて、今のような状況に成る。微笑ましい事限りなし。
 上手くしてやられて、刹那の顔は一見すると不機嫌だ。だが赤らめて眉根を寄せる顔の奥は――この日常を護ろうとする戦士の意志が宿っている。仲間、友人、そして近衛木乃香。全てを守り抜くと刹那は心に決めていた。日常の幸せを味わったからこそ、その決意は何よりも固く。
 夕日が少女二人の姿を染める。橙の世界を瞳に映し、決意新たに歩みを再開する。

 


 ――そんな刹那だったからなのだろうか。
 ――横切った男性に、言い知れぬ違和感を感じ取っていた。




「……せっちゃん? おかしな顔してどうしたん?」
「…………」

 刹那を見ていた木乃香は気付かない。逆に、木乃香を含めた今の光景を愛しく思っていた刹那は気付く。
 不意に通り過ぎた黒髪の男性。スーツ姿、長身、整った顔立ち――否、注視する点は其処ではない。
 有り得ぬものを感じていた。夕日の当たるこの世界において、ただ一人別の気配を放っていた男。僅かにしか感じられなかったが、それは男が巧妙に自身を隠していたからこその事実。
 退魔師としての経験が察していた――――男の内に潜む、深き闇の力に。

「……お嬢様。すみません、急用ができました。先に寮に戻っていて下さい」
「え? せっちゃん?」
「申し訳ありません。私もすぐに戻りますので」

 口早に言い――刹那の行動は早かった。目を白黒させて事態が飲み込めていない木乃香を置いて、迷い無く男の後を追う。
 背後から刹那を呼ぶ木乃香の声。本来、無視する筈の無いその呼び掛けを、刹那は意識的に遮断する。意識はただひとつ。横切った男に全てが向かれている。退魔師としての、烏族としての本能が警戒している。
 覚えがあるのだ。学園祭前に感じた闇の気配に――ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマンに酷似し過ぎている。

(何者だ……魔族であるのはほぼ間違いない……目的は? ネギ先生か? それともお嬢様か?)

 脳裏に浮かぶ、幾つもの予想。そのどれもが見逃せないものであり――気がつけば、刹那は当然のように跡を追っていた。
 気付かれぬよう細心注意を払い、距離を取って気配を殺し、それでいていつでも戦闘に移れるよう気構えは確かに。
 男の挙動に不審な点は無い。歩き方、その出で立ち、普通の人間との違いは無きに等しい。むしろ皆無と言っていい。動作そのものに虚構の色が無かった。造られたものではなく、長年染み付いたような自然な動き。
 だがそれが尚の事、刹那の警戒を強める。魔族が何故――人の挙動を身に着けているのか、と。

(……人の形を模倣するのに慣れているという事か……? となれば目的は麻帆良への潜入? あるいは――)

 思考の迷宮。浮かぶ想像は幾重にも及んでいく。麻帆良が抱える問題の多さもまた、刹那の思考を混乱させる要素であった。
 英雄ナギ・スプリングフィールドの実子の存在。類稀なる素質を持つ近衛木乃香の存在。魔法無効化なる特殊技能を持つ神楽坂明日菜の存在。数多の魔法使いを内包する『麻帆良』そのものの存在。
 どれもこれも理由に成り得る大きな要因。それ故に、考えが纏まらない。敵が来たとしても、その敵が何を目的に動いているのか、すぐに確定することが出来ないのだ。ただただ、不安だけが高まる。
 男は歩みを進めていく。遠くから刹那は跡を追い――近寄れない現状に舌打ちする。
 尾行を始めてまだ一分足らず。その僅かな時間で、相手の実力が垣間見えていた。

(……強い)

 ――途方も無い手錬。歩く、ただそれだけの動作だと言うにも関わらず、男に隙が無さ過ぎた。印象は磨き鍛え上げられた黒曜の剣。黒く染まった闇の気配は、しかして淀んでおらず鍛え上げられた錬鉄の雰囲気さえある。透き通った暗黒。輝いている闇。その気質はむしろ美しくさえあった。
 相手は、本能のまま動く化生ではなく――理性を持って生きる戦士なのだと、刹那は察する。

(ならば――尚の事、逃がす訳にはいかない。お前が何の目的で麻帆良に来たのか暴かせてもらうぞ――)

 男の姿が見える――逆を言えば、それだけを満たす遠い距離を持って刹那は尾行を続ける。
 正体は解らない。戦って勝てるかどうかも解らない。ただ、相手が並みの魔族では無い事は解った。
 ならば追うまでだ。見過ごせないのなら追いかけて、その素性と目的を押さえる。対応はその後の話。ここで逃がす事が何よりの悪手。日常を護るために――刹那は死地に踏み込む覚悟を決めた。
 男は歩く。刹那が見慣れた通学路の傍を通り。通行人の脇を通り過ぎて。やがてその行く先は、覚えのある森へと続く。
 覚えがあった。ありすぎた。何せ其処は、数時間前まで刹那自身が居た場所なのだから。

(……目的はエヴァンジェリンさんか……私怨か、それとも……)

 男が踏み入れた地区。其処は、エヴァンジェリン宅の近くの森。ここまで来れば目的地は絞られる。
 あの魔族は、闇の福音に用があるのだ。その用が、どのようなものなのかまでは解らないが。

(……好都合か。私一人ではどう転ぶか解らないが、エヴァンジェリンさんと茶々丸さんの三人で掛かれば……)

 いかに力が弱まっているとはいえ、エヴァンジェリンは『最強』の名を冠する吸血鬼の一人。その従者、茶々丸も実態は造られた人造兵器。退魔師である自分と連携すればいかようにも――巡る思考。戦法が戦術が、刹那の脳内を巡りに巡る。
 行く先は、“どのようにして男と戦うか”のみ。戦闘を回避できる可能性は少ないと考える。
 ならば考えるべき事柄はどのようにして乗り越えるかだけ。僅かに捉えられる男の後姿を見ながら、刹那は追う。
 草木を踏み締める音すら立てぬよう。呼吸音すら最小に。視線はただ、先を歩く魔族のみ。
 渇く。緊張で喉が焼けるように熱を持つ。風音すら煩わしい。木々のざわめきが通り過ぎる。
 奥へ奥へ。夕日の森を、深く深く進み――――


 ――音が、消える。


 その静寂を、その無音を、その異質を、刹那は見逃さない。
 音が消え、静まり返り、別の……“何か別の”気配が生まれてた。

(……っ! 新手!? この状況でか!?)

 胸中で舌を打つ。正体不明の男だけでも厄介だと言うのに、新たな存在にまで気を回している暇は無い。
 もとより、そんな余裕は無い。男の力は、自身に迫るかあるいはそれ以上。ばれぬように尾行するだけで身が震えるような相手。
 この上、新手を相手にする余裕は――そんな心境を刹那は抱く。だが同時に、その心配は霧散する。
 遥か前方。かの男もまた――突如沸いた気配に身構えていた。

(……奴にとっても想定外ということか……? なら二対一の状況になる事は無い……?)


 視線の先で男の気配が明らかに変わっていた。今まで身の内に隠していた闇の気配が漏れ出している。
 戦闘態勢。両手は空手のまま。だがそれは何時如何なる場合にでも対応できるよう、両手を空けているだけにすぎない。そう結論付ける――そう結論付けてしまう程、男の気配は戦士のそれに変化していた。
 そして男は――横手、道無き森の奥へ踏み込んだ。

「――――っ!」

 その行動を見て、刹那が取った対応は反射的なもの。迷う間も無く男の跡を追って、森の中に。
 迂闊と言えば迂闊。考え無しの尾行に意味は無い。足を進めながら己の行動を毒吐く刹那だが――頭のどこかで、何よりも正しい行動をしたのだと感じていた。
 何を持ってしても、あの男から目を離してはいけないと――――。


 そうして、拓けた場所に出る。
 そこに男が居た。
 一匹の化け物と対峙して。


 刹那の足が止まる。男と対峙している化け物。化け物の姿は鎧を纏った剣士。ただその剣は手に収まっておらず、空中に浮遊していた。さながら『飛行騎士(フライングアーマー)』と言ったところか。その騎士の姿を見て、刹那は止まる。
 騎士の内包する魔力――ではない。飛行する面妖な剣――それでもない。もっと単純な理由で目を見開いていた。
 こんな化け物が“この地”に突如現れた事実――それに驚愕していたのだ。
 学園には結界がある。無法者が、妖怪が、悪魔が入り込まないように創られた高度の魔法壁。それを無視して“突然現れる事など出来うる筈がない”。
 刹那は目の前の現実に、一瞬我を忘れ――――その時、既に戦いは始まっていた。


 飛、斬!!
 空を舞う剣が、男目掛けて直進する。魔力を発する剣。直撃すれば怪我どころで済まされないような勢い。
 その勢いを――男は軽々と避ける。身を半歩ずらすだけ。霧のような回避。剣は空を舞い続け、男を串刺しにせんと飛び続けるが当たらない。不可思議な、奇怪な飛剣の攻撃を、どこか“慣れた”ような動きで避け続ける男。
 恐らく騎士がその空飛ぶ剣を操っているのだろう。魔力を発し、その魔力を剣に送り込み続けている。
 遠く離れた武器を意のままに操るその技術は感嘆もの。だがそれに必死になり、騎士はその場から動いていない。
 男はその隙を逃さず――瞬時に騎士の眼前に踏み込んでいた。

「……消え去るがいい」

 微かな呟き。同時に騎士の甲冑に掌を当てる。
 見たところ、男は武器を所持していない。魔法詠唱をしている様子も無い。ただ掌を押し当てただけだ。
 騎士の鎧は傍目から見ても重厚なもの。並大抵の攻撃では打ち破る事はできそうもない。神鳴流の奥義のような一撃でもなければ。
 男の意図の不明な行動を見て、刹那は訝る。何をする気なのかと注視して、


「――吸魂命奪(ソウルスチール)」


 疑問は一瞬で恐怖に変わった。
 男が言葉を発したその瞬間、騎士の鎧が枯葉のように崩れ去っていく。力を失っていくように。命を喪っていくように。
 そして何よりも恐ろしいのは――その失われていく力が、掌を押し当てた男に流れていく現実だ。
 生命吸収。男が呟いた言葉が、現実の答え。命を吸っている。吸収している。根こそぎ、跡も残さぬ勢いと非情さで。
 事実、騎士の鎧はすでに跡形も無い。いや、それだけに収まらず、騎士そのものが既にいない。
 全てを吸収してしまったいた。全てが終わっていた。化け物が居た痕跡もろとも消し去っていた。
 その事実に恐怖して、その事実に驚愕して、その事実を脳が完全に理解したとき。



 ――桜咲刹那は、男の目前に飛び出していた。










「……貴様、何者だ。この地に何の用だ」

 溢れる敵意を隠さず、刹那は騎士を吸い尽くした男を直視する。
 身の丈は高く細身。黒の長髪に黒のスーツ。その精悍でありながら、女性と見間違う顔立ち。
 正面から見れば尚の事、ただの人間――途方も無い美青年ではあるが――無法者には見えない。
 だが刹那はもう解っている。先程の、命を吸い尽くす術を見て認識を明らかにしていた。
 あれは敵だと。人と相容れない、魔物の擬態にすぎないのだと。

「……人間……そうか、後を付けられていたか。俺の気配に気付いた以上、退魔の一族か……」
「そうだ。お前のような存在を滅する為の一族。神鳴流だ」
「……この東方の退魔師か……去れ。お前達と敵対する気は無い」
「お前に無くても私にはある。貴様のような存在を見逃してなどおけるか――答えろ、お前がこの地に来た目的は何だ!?」
「…………」

 男は黙して語らず。その表情にも動きは無い。無表情を通すだけ。
 その態度を見て、刹那の敵意はより一層高まる。

「答えろっ! 貴様が人間ではない事は先程の術を見れば瞭然だ! 魔族がこの麻帆良で一体何を企んでいる!?」
「……言った筈だ。お前達と敵対する気は無いと。確かに俺は人間ではないが、人に仇なす真似はしない」
「……理由も語らぬお前の言葉など信用できるか。元より、その言葉が真実ならば理由とて言える筈」
「……それは言えん。まだ事を公にすることは出来んからな」
「……貴様っ……!!」

 歯軋りと同時に、手にした夕凪の柄を握り締める刹那。
 男の煙に巻くような態度。己の素性も目的も明かさず、無害だと主張する言い草。そんなものを刹那が信用する筈が無い。既に修学旅行時や、ヘルマンの際に危機に陥った経験があるから尚の事だ。相手の正体が解るまで――否、解ったとしても気など抜けない。
 対応を間違えれば、木乃香やネギ、明日菜といった自分の友人に被害が及ぶのだから。
 一触即発の空気。敵意と共に高まる刹那の気。気そのものが刃のように研ぎ澄まされていく中……刹那は気付けない。男の魔力が沈静していっている事を。言葉の通り、敵対する意志の無さを体現している事を。
 ただただ空気が張り詰める。何時、刹那が刀を抜き放ち襲い掛かってもおかしくない。そこまで高まる刹那の気圧。
 その気圧を受け――男は感づく。

 正確には――――刹那の内に潜む正体を――――感づいてしまった。

「……人間でない俺を疑う気持ちは解る。だがそれは……お前とて同じ事では無いのか、退魔師よ」

 男は知らない。“その事実”を刹那がどれだけ忌み嫌っているか。どれだけ重い悩みとして抱えているかを。
 初対面故に、気付く筈もない。

「……何の事だ。魔族が私の何を知っている……?」

 刹那も語らなかった故に。歩み寄ろうとしなかった故に。
 男が本当に――有角幻也が真実、人を護る立場に居ると考えてもいなかった故に。
 互いの認識が、敵対者としてでしか成立していないが故に。


「単純な話だ――――退魔師。お前とて、俺と同じく純粋な人間ではなかろう」


 触れては成らぬ少女の逆鱗を――男は触れてしまった。



 ――斬!

 瞬動瞬斬。男の言葉を聞いた瞬間、刹那は夕凪を抜き放ち剣撃を放っていた。威嚇などではない。明らかに殺意を持った一閃を。
 手応えは無い。刹那が踏み込むと同時に、男も後ろに跳び、その剣閃を回避していた。

「……貴様が何であるかなど、もう問わん。此処で朽ちろ化生」

 自分の剣を避けた男を睨みつけて、刹那は言う。その心に、攻撃をかわされた事に対する驚きは無い。相手の動きに対する賞賛も無い。己の失態に対する卑下も無い。もう正常で居られる感情など何処にもない。
 ただ――討つだけだ。己の心傷に触れた魔族を、手にした夕凪で斬り捨てる事だけ。
 その激情だけを身に宿して――刹那は駆ける。

 疾、駆!

 二度目の瞬動。抜きも入りも無駄の無い移動は、男の右側方に位置して、素早く刀を振るう。
 弧を描く切っ先は正確に男の首筋に奔り――あまりに正確に避けられる。半歩後に下がり、顔を逸らせて、男の眼前を刀が通り過ぎる。惚れ惚れするような回避を前に、刹那の二撃目。手首を返し袈裟懸けに切りつけた。

 斜、斬!

 これも避ける。後ろではなく、前方に踏み込むようにして――刹那の死角に回り込むようにしての回避。ただ防御に廻るだけではなく、同時に攻撃にも転じられる動き。袈裟懸けに剣を振り抜いた刹那に、男の行動を御する事は出来ない。
 男は刹那に向かって手を伸ばし――瞬間、その姿を見失った。

「――!」

 驚きは一瞬。すぐさま刹那の気配を探り、気配の先に――すなわち上空に視線を向ける。
 其処に彼女が居た。白き翼を背に生やし、空を背負って剣を構える戦天使が。
 刀に宿るは収束された気。気は性質を変化させて姿を変える。神鳴流の名の如く、神の鳴る気に――神鳴り、雷(かみなり)に。

「――終わりだ、化生」

 宣告し、一気呵成に急降下。雷気を帯びた刀を構えて、頭上から叩きつけるように迫る。
 それこそ神鳴流の奥義が一。流派の名を体現した、魔を滅する天よりの剣。
 故に、その名を、

「雷鳴剣!!」

 轟、雷!!
 爆音と閃光が轟き、森の一角に稲妻が落ちる。雷気を帯びた剣を振るう、雷鳴剣。高密度に練られた気刃は物理的にも魔力的にも、絶大な威力を発揮する。その一撃は空を貫き、岩を砕き、大地を焦がす。
 刹那の放った雷鳴剣は、その名に恥じぬ威力を見せ付けて、周囲に跡を残していた。
 煙が舞う。鼻を突く焦げ臭さが惨状を物語る。一撃を放った後、再び空に舞い戻った刹那はその光景を見つめていた。
 手応えはあった。手応え自体はあった。手加減抜きで放った奥義は、男の身体に届いていた。しかも頭上から勢いのつけた打ち降ろしの一閃。並みの妖怪妖魔なら間違いなく片が付いている。
 しかし、刹那は構えを解いていない。
 手にした夕凪は抜き身のまま。烏族の象徴である翼を広げたまま。空中に浮かび、ただ下界を見下ろす。
 白煙に包まれた其処を。男が居るであろうその地点を。
 まだ、戦いは終わっていないと確信しているかのように――。


「……退魔の術理を身に付けた半妖か。珍しいな。そのような存在、久しく見ていなかった」


 煙が舞うその地点から、声が聞こえる。
 痛みを負った者の声では無かった。退魔の剣に怯えた者の声でも無かった。ただただ落ち着いた、夜の声。
 煙が晴れる。目に付くのは焼け焦げた大地。未だに雷気が燻る、退魔の焼け跡。凄惨なその現場の中心に――男は居た。

 長く透き通った銀髪。夜の闇をそのまま写し取ったような漆黒の外套。右手には蒼き魔力を放つ長剣。貴族と見間違う程に精巧に造られた幾つもの装飾。
 顔立ちも、彫刻のように整った姿もは変わっておらず美しいまま。性別問わず見惚れてしまう美貌。月の夜――月下の夜想曲――夕刻にも関わらず、刹那の脳裏に浮かんだのはそんな言葉だった。

「……それがお前の本性か、魔族」
「どちらも俺だ。先程までの姿も、今のこの姿も……ただ、この姿が俺の力を引き出すのに最も適しているだけに過ぎん」

 姿を変えた男は、上空の刹那に視線を向けたまま空を斬るように剣を振るう。
 同時に蒼き魔力光が軌跡を描き――地面に“残った雷を放電”する。その光景を見て、男が無傷な理由を刹那は悟った。雷鳴剣の攻撃は、全てあの剣を通して受け流されたのだ。退魔の雷とはいえ、元は刹那が練った気。気を雷に性質変化させたように、逆に雷に干渉し指向性を持たせて威力を逃がす事も“理論上”は出来る。造られた稲妻を、同じように作り変えた。原理としてはそれだけだ。
 最も、言うほど容易い事ではない。戦いの最中、あの一瞬の攻防で雷気に干渉して受け流すなど……並みの技術では不可能。
 それこそエヴァンジェリンのように何百年と魔導を研究し、実戦の中で鍛えたもので無い限りは。

(……エヴァンジェリンさん級の魔族だという事か……構うものか。相手が何であれ、斬る)

 決意を新たに夕凪を握りこむ刹那。
 本性を表した男の姿を見れば、強敵であることは明確。其処に佇んでいるだけで強力な魔力が感じ取れる。手にしている剣も外套も見事な装飾だが、それ以上に長年使い込まれたであろう年季を感じさせる。年代を通して魔力を増した武装。一体どれだけの長い時を、あの男は抱えているのか。
 白き双翼を出し、烏族としての姿を明らかにしている刹那に迷いは無い。
 ここで討つと、その姿で語っていた。

「……何度も言うが、俺に敵対する意思は無い。お前と戦う理由もな」

 落ち着いた声で、男は語る。
 戦闘を前にした者とは思えぬ落ち着いた声。しかし剣を鞘に納める事も、魔力を抑える事もしない。
 男も悟っている。刹那が自ら引く事は無いのだと。故に力を解放した自身の心は一つ。

「だが――俺とて退く気は無い。ここでお前に討たれる訳にはいかん。しばらくの間、眠っていて貰うぞ退魔師」

 流れるような印。片手を素早く動かし、空中に方陣を描く。
 その淀みない動作に刹那の緊張が高まる。あれも呪文詠唱の一種。言語ではなく動作で術式を構築する技術。
 一瞬、その業に目を奪われた時――その一瞬で、術は完成していた。

「猛霊召喚(サモンスピリット)」

 放たれたのは一体の精霊。白き精霊。不確定な形をした幻のような精霊が姿を現す。
 漂うようなその精霊を見て刹那の目が細まる。精霊召喚は刹那も知っている。エヴァンジェリンの別荘内での修行中、ネギが風の中位精霊を使って複製や囮を作る光景を目にしている。故に、精霊召喚自体に驚きは無い。
 だが、眼下で生まれた精霊には違和感がある。まず“何”の精霊なのかが解らない。風でも氷でも炎でも光でも無い。不安定な力の塊。形を持たない魔力の塊。そんなものを作り出して何をしたいのかが解らない。
 そして、たった一体という点も解らない。男の持つ魔力なら、十や二十の精霊を生み出す事も可能だと刹那は推測している。にも関わらず生まれた精霊はただの一体。拘束に使うにもあまりに頼りなさ過ぎる。
 何を考えているのか――そう思考していた時、

「――行け」

 轟、速!!
 風を切り、空を突き破り、白き精霊が刹那目掛けて肉薄する。
 不確定な形をした精霊――それは白き頭蓋骨にも見えた。

(……速いっ!)

 咄嗟に身を捻り、精霊の突進を回避する。だが息吐く暇もなく、精霊はその身体を翻して、再び刹那に迫る。慣性を無視した空制御。避けきれぬと判断した刹那は夕凪に気を込め、荒ぶる精霊を迎え撃つ。

 撃!

 構えた刀にぶつかり、耳障りな金属音を立て、刹那と精霊は互いの力を押し合う。
 退魔師の力を持ってしても打払えぬ精霊の力。気を抜けば刀を弾き飛ばされそうな獰猛な魔力を精霊から感じ取る。
 そうして――ようやく気づく。精霊の姿が定まっていないのも、属性が解らないのも、一体だけなのも。
 単純な話。あらゆる無駄を削ぎ落とした結果だからだ。精巧な形はいらない。確かな属性もいらない。数を増やす必要も無い。ただ力を。複数召喚できるだけの魔力を、ただ一体に注ぎ込んだ結果が、この白き精霊――否、猛霊の正体。
 敵との戦闘。その役割を果たす為だけの獰猛な精霊。元来、神鳴流が調伏するべき悪霊に近い存在。

(ならば……私に有利だ)

 刹那は手首を返し、精霊を撃ち流す。無論、精霊は再び方向を変えて刹那に迫る。確かな破壊力を持った一撃でなければ、目前の精霊を滅する事は不可能。だが速い動きで幾度となく迫る精霊に、十分な破壊力を持った一撃を見舞う事は難しい――本来ならば。
 だが刹那は退魔師――神鳴流。“悪霊退治”は神鳴流が最も得意とする事であり、遅れを取る事など有り得ない――!

「斬魔剣!」

 斬!
 迫る精霊を迎撃の形で、いとも容易く両断する。神鳴流奥義、斬魔剣。怨霊を退散させる事に特化した対魔戦術の奥義。破壊力や効果範囲は他の奥義に劣るが、対霊において斬魔剣に勝る奥義は無い。刹那は扱えないが、弐の太刀にもなれば最強にも等しくなる。
 いかに強力な精霊とはいえ、肉体を持たない霊体である以上、斬魔剣に対抗する術は無い。
 刹那の剣により、白き精霊は瞬時に霧散して――其処に、黒き外套を蝙蝠の翼のように広げた男が、躍り出ていた。

「――ちっ!」
「はっ!」

 剣、撃牙!!
 反射的に振るった刹那の刀は、男の剣に受け止められ弾かれる。切り返すが結果は同じ。刹那の連撃連斬を、危なげなく防御する。
 優れた剣士である刹那の攻撃が防がれる理由は二つ。一つは距離の問題。刹那の持つ夕凪は野太刀の部類に入る。男の持つ長剣とでは長さで合っていないのだ。精霊を倒した一瞬の隙を縫って、間合いに踏み込んできていた男を斬るには距離が近すぎる。
 そしてもう一つの理由。もっとも単純で、一番大きな理由。
 それは、

(この男……出来る……っ!)

 空で剣を交えながら、刹那はその事実に汗を流す。男が強い事など最初から解っていた。解ってはいたが――剣技だけでも自分と渡り合える。その領域にまで居るとは思っていなかった。強大な魔力と漆黒のマントを羽織った姿、そして先の精霊召喚。この三点だけで戦闘方法は魔法使いに近いものだと思い、長剣は護身的なものに過ぎないと軽んじていた。
 しかし、撃ち合う剣の重さが物語る。魔法だけではない。男は剣士としても強敵なのだと。

「はぁっ!」
「くぅ……舐めるなぁ!」

 撃――轟!
 撃ち合う剣。埒の明かぬ攻防に業を煮やしたか、刹那は刀に込めた気を解放させて男を吹き飛ばす。
 神鳴流奥義、百花繚乱。直線状に気を放ち、対象を吹き飛ばす剣技。本来接近した状態で使う技ではないが、逆に鍔迫り合いにも近い距離で放てば避ける事は至難。刹那は反動で後方に飛ばされつつ、吹き飛んだ男の姿を見て――空を駆ける。
 百花繚乱の反動で痛む身体に構う余裕は無い。男ほどの強敵を倒すのに必要なのは機だ。何時何処で勝負手を放つか。それは男が体勢を崩している今しかない。
 刹那は迫る。男に接近し、目的の距離に来るやいなや、得意とする奥義を放った。

「百烈桜華斬!」

 本来ならば円を描くように複数の敵を斬る連斬撃。それをただ一人に向けて撃つ。
 男の剣技が優れていても、体勢を崩した状態でこの奥義は防御しきれない。無数の剣が迫る。
 舞う桜の花弁のような剣の群れは、男の身体を斬り裂く――


「――真空連斬(ヴァルマンウェ)」


 ――事無く、対応するように放たれた無数の連斬が、その全てを迎撃した。
 撃ち合い、弾き合い、鬩ぎ合い――互いの剣閃乱舞が終わった時、居たのは無事に佇む男の姿だけだった。

「――――っ」

 その事実に呆けかけた刹那は翼を広げ、大きく後方に下がる。男は刹那を追う事はせず、ただその場に留まるだけ。
 あえて見逃した態度を取る男に疑問を持つが……それ以上の煩悶が刹那にはあった。

(……何だ今のは。魔法――いや違う。詠唱などしている様子は無かった。無詠唱魔法――馬鹿な。あれ程の威力を持った無詠唱魔法があるものか。私と同じ剣術奥義――有り得る筈が無い。あの体勢で百烈桜華斬に匹敵する技を撃てるものか!)

 脳内で巡る、幾つもの疑問。
 刹那の考え通り、先程の男の体勢は死に体に近いもの。あの状況下で百烈桜華斬に対抗できる技や魔法は撃てない。障壁を張るくらいならば出来よう。刹那もそれは予測していて、それでも完全に防がれる事は無いと考えていた。
 だが結果は完全な迎撃。百烈桜華斬の連撃は、呼応するように放たれた“謎”の連撃で防がれていた。
 そう、あまりに謎なあの迎撃。刹那は気付いていない。あの時男は、右手に持った長剣ではなく、何も持っていない筈の左手を振るったという事に。
 気付かぬまま刹那は、再び男に視線を向ける。空に浮かび見据えている漆黒の男。
 百烈桜華斬は防がれたが、その前に撃った百花繚乱がある。刹那は気を改め、男の損傷を確認して――再び驚愕する。
 男は確かに吹き飛ばされていた。気の奔流を喰らい、間違いなく。
 だが――ほぼ無傷。外套にも肌にも傷が見受けられない。何事も無かったような顔付きで宙に浮かんでいる。漆黒の外套を、黒き翼のようにはためかせて。男は至近距離で喰らったにも関わらず、その大半を受け流していた。
 いや、逆らわなかったのだろう。風の流れに身を任せるようにして。
 魔を祓う筈の神鳴流の奥義が、ただの突風にしかなっていなかった。
 方法の問題ではない。無傷だからこそ、百烈桜華斬を迎撃する“余裕”があったのだ。

「…………」
「…………」

 無言の対峙。
 刹那は刀を、男は長剣を構えて対峙する。双方共に相手のみを見据えて、脳内では戦闘思考に没頭する。

 刹那は自分の不利を悟る。男には魔法がある。精霊召喚と、騎士の命を吸い取った魔法しか見ていないが――他にもまだ見ぬ技があるのだと確信している。それがどんな魔法で、どんな威力を持つものかは解らないが、未知の攻撃方法があるのは確実。しかも、それだけでも厄介だと言うのに、神鳴流剣士と渡り合える剣技まで兼ね備えているのだ。力量差以前に、戦法の差で負けている。
 だからこそ――打てる手は数少ない。ともすれば距離が取れた今が、最大にして最後の機会かも解らない。
 自分の持つ最高の奥義を。百烈桜華斬が通用しないのであれば、それ以上の大威力を持って。

 男は刹那の意志の固さ感心しつつも辟易していた。洗練された剣筋。退魔を体現した奥義の数々。生半可な力では対抗できぬと悟り、力を解放して戦った――が、それでも少女の意志を折るには足りない。否、そもそも少女は力の大小で心が挫ける事がない。少女の根幹にあるのは自身の生死ではなく、護るべき者の命。仲間であり、友であり、主人と決めた一人の幼馴染の命が刹那の原動力。それらを護る為に戦うのであって――相手の強さは、何ら関わり合いが無い。刃金の意志で刹那は此処にいる。
 剣を合わせた以上、男にもその信念は感じ取れる。故に、最早加減は出来ない。多少の怪我は止む無しと判断した。

 刹那の刀に雷気が帯びる。男の剣に魔力が宿る。
 最強の一撃を持って。その一撃を掻い潜る迎撃を狙って。二人の力が高まる。
 空気が軋み、大気が吼える。一触即発の様相は、どちらからとも無く弾け飛んで――――



「魔法の射手(サギタ・マギカ)!! 氷の一矢(ウナ・グラキアーリス)!!」



 二人の丁度真ん中の空間を、氷の一矢が通過する。それは二人の視界を横切り、文字通り闘争の空気を一時凍らせる意図を持っていた。
 同時に視線を向ける。其処には一人の少女。金色の髪を靡かせたエヴァンジェリンが、空に浮かんでいた。

「……妙な魔力と気がしたと思えば……何をしている刹那、アルカード」

 呆れ顔のエヴァンジェリン。つい数秒前まで命の取り合いをしていた刹那は、その表情に毒気を抜かれる。
 それほどエヴァは雄弁に語っていた。この戦いに意味は何も無い、と。その表情だけで。

「……エヴァンジェリンさん? どうして此処に……?」
「どうもこうもない。何時まで経っても“来ない”と思えば、近くで戦闘の気配がする。何かと思って来てみれば、お前とアルカードの二人が壮大に騒いでいたというだけだ」
「……アルカード? エヴァンジェリンさんはこの男の事をご存知で?」
「ああ……というか、そいつが私の待っていた知人だ」

 ジト目に近い不機嫌な目付きのエヴァンジェリン。苛立ちは刹那と男の両名に向けられていた。
 男――アルカードの素性は刹那には解らないが、どうやらエヴァンジェリンと知己なのは本当だと悟った。不機嫌な目で睨んでいるものの、その視線に敵意や殺気は無い。あるのは――言うならば、友人に向ける嘆息。

「で、ですがこの者はどう見ても人間ではありませんよ!? 私は先程この男が扱う術を目にしました。あれは真っ当な者が使うような術では――」
「だから私の知人なんだろうが。忘れたのか? 私は五百年以上生きてるんだぞ? そんな私の昔馴染みが人間の訳がなかろう……はっきり言う。アルカードは私と同じだ。私と同じ、吸血鬼だ」
「――な」

 驚きを隠せぬまま、刹那は視線をアルカードに向ける。言われて見れば確かだった。漆黒の外套に身を包み、空を蝙蝠のように舞う彼の姿は御伽噺の吸血鬼そのもの。感じる闇の力も、確かにエヴァンジェリンと似通っている。

「……しかし何だな。おいアルカード。お前説明しなかったのか? 順序立てて釈明すればこんな状況になっていないだろうに」
「……仕方あるまい。俺はこの地に秘密裏にやって来た。事情を知っているのも現状では近右衛門に高畑、そしてお前だけだエヴァンジェリン。現段階で無闇に詳細を語る訳にもいかん」
「あー……相変わらず、無愛想というか不器用というか難儀な性格をしてやがる……それにしてもその姿になってまで戦うとは穏やかじゃあないな」
「力を封じたままでは、そこの娘に対抗できそうになかったのでな。案ずるな。手荒な真似をする気は無かった。少し眠っていて貰おうと思っただけだ」
「……ま、お前がそう言うのならそうなんだろうが、な」

 溜息を吐いて頭を掻くエヴァンジェリン。疲れた様子の彼女――しかし刹那は呆気に取られていた。アルカードとエヴァンジェリンの関係。無益な戦い。解けた誤解。それよりも何よりも己の取ってしまった行動に。
 思い返せば確かに――アルカードは人を襲った訳ではない。刹那がアルカードの後を追ったのは、その深い闇の気配を察しての事。アルカードに剣を向けたのは、邪法とでも言うべき生命吸収の術を見ての事。己の目で見た情報から、アルカードが人間の味方である筈が無いと決め込んでいた。
 無論、刹那の直感の全てが間違っていた訳ではない。感じた気配は闇の力。吸魂命奪(ソウルスチール)は実際に、人の身では扱えない邪法の一つ。敵と判断する要因は揃っている。
 それでも――アルカードが凶気を市井の人々に向けた訳ではない。邪法を使ったとは言え、使用した相手は魔物。それになにより、その行動が示していた。敵対する気は無いと言ったその言葉通り、刹那に対して殆ど防御行動しか取っていない。野太刀で斬りかかられれば誰だって反撃はしよう。迎撃くらい当然だ。言葉足らずだっただけで、アルカードの取った行動は至極真っ当なものであった。
 その――身を切られるような“失態”を自覚した刹那は、アルカードに対して反射的に頭を下げていた。

「も、申し訳ありません!!」
「……どうした?」
「私が早合点をして貴方に刀を向けて……貴方は言葉通り、私を傷付けまいとしていてくれたのに……!」
「そんな事はどうでもいい。誤解が解けた、それで十分だろう」

 そう言い放ち、アルカードは剣を鞘に納める。
 一見すれば冷たく、あまりに無愛想な態度だが――命を狙われた者の態度とすれば有り得ない。刀を向けられ、刃に身を斬られそうになって尚、その事実を弾劾することなく赦した。怒気を表す事無く。謝罪を求める事無く。
 刹那は悟る。今のやり取りだけでエヴァンジェリンの言う言葉が真実だと。確かに無愛想。確かに不器用。けれどその性根は決して邪悪なものではなく、むしろ聖母に近いと。殺意を向けられて、その全てを赦せる者がどれだけ居ようか。
 事実だった。アルカードに人間と敵対する意思は無い。

「……しかし、刹那にバレたか……ふむ。まあ早いか遅いかの問題か。アルカード、こいつも巻き込むが構わんだろう?」
「……既に俺の姿も見られている。いずれにせよある程度情報は渡すべきだ。先程の戦闘で力量も掴めた。巻き込まれても自身の身は護れるだろうからな」
「あの……先程からお二人は一体何の話を……?」

 刹那を置き去りに、エヴァンジェリンとアルカードの二人は“今後”について話を進めている。
 最初から出会う約束を交わしていた二人と違い、刹那は話の流れについていけていない。そもそも、アルカードが何故エヴァンジェリンに会いに来たのか。その段階から刹那は謎であった。
 アルカードが吸血鬼だという事は解った。二人が知人だという事も理解した。けれど二人が出会う理由、しかも秘密裏に会う理由が何も解らない。アルカードが人間の敵ではないと納得した刹那でも、何か不穏な気配を感じる。闇に生きる者が、何故隠れて出会うのか。
 そして――アルカードが倒したあの『飛行騎士』の存在。
 知らぬ処で、何か言い知れぬモノが動き始めているのではないかと。

「ああ。とりあえず刹那。お前もこれから私の家に来い。本来ならアルカードと二人で事を進めるつもりだったが――――ん?」

 言葉を切って、エヴァンジェリンは不意に空を見上げる。
 見える物は、夕陽の空。夏の昼は長く、夕陽が中々地に沈まない。まだしばらくは色が変わりそうに無い、橙の夕暮れ。
 見上げたエヴァンジェリンに釣られて、刹那とアルカードも空を見上げる。景色は同じ。夕方の一刻。徐々に沈む太陽の空。




 ――――変化は、一瞬だった。










「――それでな、せっちゃん、ウチの事置いてどっか行っちゃったんよ。ウチ一人じゃこんな荷物持って歩けないゆーてるんに、無視するみたいにな。ホンマ酷いわ、せっちゃん……ぐす」
「あーもー木乃香泣かないってば。刹那さんの事だからきっと何か理由あるんだよ」

 夕焼けの歩道に、三人の少女と一人の少年が居た。
 少女は木乃香、明日菜、楓の三人。少年は勿論ネギ・スプリングフィールドである。
 この四人が何故歩道に居るかと言うと――単純な話。木乃香が携帯電話で三人を呼んだからだ。
 木乃香は刹那と一緒に買い物の帰りであった。無論、帰りという事はその手には荷物があり、また当然の事ながら刹那の手にも荷物が持たれていた。しかも重い荷物ばかり。木乃香の手を煩わせないようにした刹那の当然の気配りだった。
 しかし、問題の刹那はアルカードの後を追いエスケープ。荷物は尾行の邪魔なので、これまた当たり前のようにその場に放置。
 結果、持ち切れない荷物を前に右往左往する木乃香が一人完成する訳で――半泣きになりながら助けを呼ぶのは至極当然の事であった。
 涙ぐみながら立ち尽くす木乃香を明日菜が宥め、その様子を見て――ネギと楓が思考に耽る。

「……どう思います楓さん? 刹那さんが木乃香さんを置いて何処かに行っちゃうなんて……」
「そうでござるな……刹那の性格から言って、本来ならば有り得ぬ事。しかし、刹那ならば時として全ての感情が劣後して動く時もあるでござるよ」
「と、言いますと?」
「……例えば、でござるが……刹那の“本業”に関する時などはそうでござろう。そして、なれば木乃香殿を置いて行くのは道理。態々、危険に身を晒させる訳が無いでござるからな」

 楓の答えにネギの目が見開く。ネギも長い付き合いだ。刹那の剣術が“何”を想定して、“何”を討つ為の物なのかとっくに知っている。神鳴流は妖魔退治の剣術。その“本業”として刹那が動いたとするならば。

「……此処に、魔物が居るって事ですか? ヘルマンさんの時みたいに?」
「解らぬ。拙者には推測しか出来ぬよ。ただ、木乃香殿の話を聞く限り、刹那は相当切羽詰っているで御座るよ……ネギ坊主。カードの機能に念話があるのでござろう? 一応使ってみてはどうでござるか?」
「そう、ですね……距離が離れすぎてると使えませんが、出来ればそこまで遠くに言ってない事を願って……」

 嫌な想像、不穏な予想、浮かんだ暗雲を振り払うように、ネギは仮契約カードを手に取る。
 10Km程度ならば呼び出す事も念話することも出来る。そしてその程度の距離ならば自分達も力になる事が出来る。
 一人で先走らずに居て欲しい。そう思い、カードを額に当てて、



 ――突如、世界が“夜”になった。



「…………え?」

 ネギの上げる呆けた声。状況を確認する事も出来ず、ただただ呆気に取られた声を上げていた。

「これ……は……」

 楓も、ほぼ同じような様子。先程まで世界は“夕方”だった。日は沈みきっておらず、夜の闇が世界を黒く染めるまで幾ばかの猶予があった。夏なのだから夜になるまでの時間は長い。いきなり“夜”になる事など有り得ない。
 否、そもそも――瞬時に“夜”になる事など有り得ない。“昼”から“夜”に一瞬で切り替わる季節など存在しない。
 けれど今、視界は暗い。空は黒い。世界は闇に包まれている。
 明日菜と木乃香も呆けたように空を見つめる。あまりに荒唐無稽なこの光景に、脳が追いついていない。
 
 
 だから――その驚愕が隙となり――迫る脅威に気付けなかった。


「――っ! ネギ坊主!! 呆けるのは後にするでござるよ……!!」

 いち早く気付いたのは楓。それでも本来の彼女からすれば一呼吸も二呼吸も遅い察知。自分の油断に舌を打つが、それで状況が変わる訳でもない。ただ――構えた。
 遅れてネギ、そして明日菜が気付く。身を刺すような殺気が周囲から発せられている事に。
 静まり返った“夜”の世界。有り得ぬ現実に――有り得ぬ幻想が浸食する。
 街灯の影から、建物の影から、木々の影から、“それら”が鎌首を立てる。
 ――無数の魔物達が――。










 ――時同じ頃、四人の少女が街道を全力で駆けていた。

「だぁぁぁぁ!? もー、学園祭に引き続き、何処までこの学園はファンタジーなんだよぉ!?」
「嘆いてる暇は無いのですよ千雨さん! 今は一刻も早くこの場から離脱して、ネギ先生達と合流を――」
「ゆ、ゆえー!? ま、前からも来てるよー!? しかも沢山ー!!」
「おおおお!? のどかの言うように何か骸骨一杯!? しかし走りながらでもパル様の筆に陰りは無い! 出でよ我が僕、『剣の女神達』!」

 陣、斬斬斬ッ!!
 ハルナの操る落書帝国(インペリウム・グラフィケース)から生み出された簡易ゴーレム――剣を持った女騎士の集団が、目前に蠢く骸骨兵士(スケルトン)達を薙ぎ払う。
 骨が剥き出しになった骸骨故か、その強度は脆く剣の一閃で呆気なく打ち崩せた。
 しかし脅威は去った訳ではない。背後からは速度こそ遅いものの確かな悪意が……腐敗死体(ゾンビ)が群れをなして歩いている。
 後を振り返って、その光景を確認した千雨は、思わず叫ぶ。

「どうなってやがるんだよこの状況は!? あれか!? 前の時みたいに幻覚ってオチじゃねぇのか!?」
「さーてどうだろうね。ちうっちの言うように、その可能性も有るだろうけどさ……多分、これ本物じゃないかな。あの時と違って、場所は単なる同人即売会の帰り道な訳だし。ああいう幻覚って何か手順踏むのがセオリーじゃん? とてもあの即売会にそういう魔法的要素があったとは思えないね」
「確かに、私も衣装買いに行った帰りに過ぎないからな……ああもう、驚いて思わず捨ててきちまった。高かったんだぞあの衣装」

 ハルナと千雨は現状を確認しつつ文句を言って――思考を落ち着かせていた。
 単なる夏休みの一日に過ぎなかった今日。その今日が終わる間際の夕刻が突如夜に変貌し、次いで現れた魔物の群れ。
 予め、魔法関連の前知識があったからこそ何とか平常を保っていられるが……本来ならば、すぐさま発狂していてもおかしくない。

「今は『どうして』よりも『どうやって』の方が先決なのですよ。ハルナ、私が世界図絵(オルビス・センスアリウム・ピクトウス)で出てくる魔物の素性を調べますから、弱点を突くようなゴーレムを作って下さい。“何故か”念話機能が働かない今、自力で抜け出すより道は無いです」
「OKユエ。了解したよ……いやぁそれにしてもファンタジー此処に極まれりだね。案外、超りんが魔法の事世界にばらそうとしたのって、今の状況を防ごうとしたからじゃないの?」

 数週間前の学園祭。そこで事件を起こした超鈴音。何故彼女が事件を引き起こしたのか、その正確な理由を知る事はついに出来なかったが……今の、魔物に襲われている現状がひとつの答えを弾き出す。
 この非現実的な魔物の群れ。対抗するには力よりも先に、知識が、認識が必要になる。夢枕漠然とした非現実な化け物。それは実際に存在する脅威なのだと、認識していなければ対抗しようがない。
 だからもしも超のしようとした事に必要不可欠なのだとしたら――

「いや、それはねぇだろ。超が何で魔法の事ばらそうとしたのかは知らねぇけどよ……この状況を防ぐだけなら、全世界認識、なんていう大層な事する必要ねぇ。魔法先生だか学園長に事情話せばそれで済むことだ」

 千雨がその答えを否定する。
 そう。超のした事は、もっと大きな――数週間先ではなく、もっと先。もっと広い視野と長いスパンでの計画だ。何年、何十年と時間を掛けて世界を変えていく、その分岐点の作成に過ぎない。数週間先の脅威を防ぐためだけにしては、超の計画は規模が大きすぎる。
 大きすぎるのだが、

(……だけど、何も忠告せずに帰ったってのは解んねぇんだよな……もしかして今回の件、超には――“未来”には無かった事なのか?)

 否定すれば別の疑問が浮かぶ。千雨は知っている。血も涙も無いリアリストに見えた超の本性は、世界平和を願うような途方も無いロマンチストだという事を。その超が、この危機に対して何の対応策も行わないまま未来に帰ったとは考え辛い。
 ならばこれはイレギュラーということになる。本来の歴史には刻まれぬ筈の、外史。

「ま、今は考えても仕方ないか。超りんの事は置いておいて……一気に行くよ。ユエ、あんたのアーティファクトの情報が頼りだよ。私の落書帝国はまだまだ再生時間も射程も短いんだから。的確な情報よろしく!」
「頼りにするのはこちらなのですよ。今このメンバーで攻撃方法を持っているのはハルナだけですからね」
「あはは、いやぁ責任重大だぁ!」

 汗を流しながらもハルナは軽やかに笑う。嘆いていても恐怖に震えても事態は好転しない。それが解っているからこそ彼女は笑うのだ。不安を吹き飛ばして、事態を己の手で好転させる為に。そんなハルナだからこそ、創作の力を持ったアーティファクトを扱える。自分の手で、未来を創る為に。
 少女達は駆ける。世界図絵に記載された魔物の情報から、適切な攻撃手段をもったゴーレムを召喚して。波を切り裂くように。


 そんな最中――今現在は気付いていないが――夕映のアーティファクトに重大な情報が記載されていた。
 魔物の情報。素性、攻撃方法、弱点……様々な知識が浮かび上がる中、ある共通項が記される。
 戦いの中、その項目を夕映は重要視していなく、そもそも気付いていなかったが……それは何よりも重大な一文。


 描かれていた――――生息地、悪魔城、と。














 突如切り替わった夜の闇。麻帆良学園のあちこちに出没する魔物の気配。犇めき合う化生達の鳴き声は世界に響き、異界に姿を変える。
 まだ数は少ない。現れている魔物の質も大した事ではない。
 それでも、これは異常過ぎた。結界で護られたこの麻帆良の地に、このような異常が起き得る筈が無い。

「これは……一体どういう事ですか!? こんな数の魔物が、この地に生まれる筈が……!!」
「落ち着け刹那。此処で騒いでも結果は変わらん……ちっ、まさかこうも急変するとはな」

 目の前で起こった異変に慌てる刹那。その刹那を諌めたエヴァンジェリンだが……彼女もまた焦っていた。
 急すぎる。確かに“このような事態”を予測していた。“このような事態”が起きる可能性があったからアルカードはこの地にやってきた。だがそれでも、これは急すぎる。時間を掛けて打開する筈の案件。その時間が――既にマイナスになりつつあった。
 同じように、現状を見つめていたアルカードは――納めた剣を再び抜き放つ。

「……間違いないな。有り得ぬ事態だが、これで確実だ。エヴァンジェリン、予定を変更する。今日中に片を付けなければ、この学園は崩壊するぞ」

 抜き放った剣に魔力が宿る。蒼き光を放ち、その鋭さを一層強化する。
 身体に満ちる魔力は闇のもの。隠す気も余裕も無い。アルカードは気付いている。この異常が何なのかを。この気配が何なのかを。
 時間は無い。準備も万全とは言い難い。それでも為さねばならない宿命が此処にある。



「急ぐぞ――――ドラキュラが復活する」



 夜が更け、曲が奏でられる。

 血に濡れた、月下の狂想曲が。














 あとがき

 作者的にアルカードお披露目回。吸血鬼の強さを表しつつ、ネギま勢を食ってしまわないように色々調整。強すぎても弱すぎても駄目。扱いに困るアルカードさんです。
 途中に出てきた、「言語ではなく動作で術式を構築する技術」の一文。これは所謂、ゲーム内でのコマンド入力の事。
 最初、呪文詠唱を考えましたが良い詠唱が思いつかなく、だからと言って無詠唱だと、ネギまの世界観的に強すぎると思ったのでこんな措置。





[21103] 第三話
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:34b945bc
Date: 2010/08/15 12:53



 ――その異変に最初に気付いたのは、近衛近右衛門だった。


 学生達が皆其々、充実した日を楽しむ夏休み。学業から解放されて、各々が自身の興味に没頭していた。義務教育が、今後の人生において有用な経験になるとは言っても、相手は子供。遊びたい盛りの幼子達ばかりだ。勉学の束縛から解き放たれた生徒が、自由気ままに過ごすのは当然の事。
 だから――近右衛門しか気付けなかった。
 ある噂が流れ始める。夏の風物詩ともいえる噂。心霊、怪談、肝試し。曰く、街の片隅に不審な女の影が。曰く、家に帰ると見知らぬ誰かの気配が。曰く、学園の近くで正体不明の“何か”が。
 よくある噂話だ。どの地方にもどの学園にもある噂話の一つに過ぎない。魔法という非現実を知っている者達も、今更そんな噂話を問題視したりしない。むしろ魔法を知っているから尚の事。悪魔や精霊の存在を見知っている故に、幽霊の噂話程度で動じたりはしない。
 ただ唯一、近衛近右衛門だけが、その噂話に疑問を持った。
 正確には噂話の内容に。耳に挟む話、伝聞で聞く“幽霊”の素性が日本離れしたものが多かった。
 骸骨であったり、ゾンビであったりと――日本古来の亡霊とは遠い存在ばかり。そう、西欧で聞くような化け物の噂ばかりが流れていた。
 被害は無い。負傷者や死者が出た訳では無い。けれど胸騒ぎが――流れる噂の亡霊達は、近右衛門の過去の記憶を呼び起こす。
 有り得ないと思いつつも。気のせいだと信じつつも。胸に宿った不安を払拭する事ができなかった。
 胸に飛来する不安。それは数年前まで全ての魔法使いの難題であった存在。その存在を打ち倒す為に、日々研究を重ねて居たほどの悪意。

 伝説に曰く、「百年に一度、キリストの力が弱まる頃に、邪悪な人間の祈りによって復活し、復活のたびに力を増していく」。
 伝説に曰く、「その居城、混沌の産物なり。難攻不落にして複雑怪奇。人外魔境の迷宮となり人を拒む」。
 伝説に曰く、「悪意、消える事皆無。その悪意、滅ぼす事不可能。必ずや甦り、その悪意は人に牙を剥く」。

 伝説に曰く、その悪意の名を――――悪魔城と言った。










 ――疾、吼!
 黒き姿の狗神が、夜闇を切り裂き魔物を駆逐する。式神を憑依させて撃ち出す犬上小太郎の疾空黒狼牙は、スケルトンやゾンビ程度の魔物では対抗しきれない。紙を裂くように、容易くその身体を砕いていく。

「オラァ! まだまだ行くでぇ!!」

 吼、吠、咆!!
 小太郎の咆哮に応えるように、更なる狗神が獲物を狙って大地を、空を駆ける。一体一体の魔物の強さは差ほどではないが、何分“数が多すぎる”。一体ずつ悠長に相手をしている暇は無い。小太郎は物量に対抗する為、可能な限りの狗神を放ち戦っていた。
 結果、数に負けることなく、確かな成果を挙げていたが――

「そんな風に飛ばすと後が大変アルヨ――砲拳!」

 剛、撃!
 古菲が撃つのは形意拳が一。五行から成る基本母拳のひとつ砲拳。正しい姿勢と所作によって撃ち出された拳は、その威力を正確に発揮して群がるゾンビを四、五体纏めて吹き飛ばす。ただでさえ一般人レベルで武術を極めつつあった古菲。彼女の拳は気を修めてから劇的にその強さを増大させ、ただの拳撃を大砲のような破壊力にまで発展させていた。
 一度に倒せる数は少ないが、無駄な消費が無い。狗神を大量に放っている小太郎に比べて、古菲の戦いの方が明らかに力を温存できる。

「は。そんなん解っとる。だから狗神には最低限の力しか込めとらん……雑魚共相手にするにはこれで十分やし、くー姉ちゃんが居れば取りこぼす事も無いしな!」
「ハハハ! 成程、それは然りネ! 確かにこの数相手、一匹ずつ構ってる暇ナイヨ。うむ、ではこの調子で行くアルか!」
「応よ!」

 意気軒昂。同時に弾ける二つの意思に、互いを護ろうとする気持ちは無い。ただ知っている。自身が敵を一人打ち倒せば、友に襲う脅威が一つ減るという事を。だからこそ攻めて攻めて攻め続ける。狗神を放ち、武術を繰り出し、鍛え上げた拳を振るって敵を殴殺する。即席のコンビ故、その連携は稚拙。けれども確かな成果を挙げて、無数の敵を打ち倒していた。
 古菲の拳と蹴りが敵を砕き、小太郎の気弾と狗神が敵を薙ぎ払う。二人の戦いは舞踏のように続き――やがて背中合わせに。
 二人に危うさは無い。確実に敵を圧倒している。だが――小太郎の顔には陰りが。

「…………」
「……どうしたアルか、コタロー? 浮かない顔してるアルヨ?」
「いや……ホンマに大丈夫なんかなと思ってな。なあ、俺等本当にこのまま戦っててええんか? ホンマに――夏美姉ちゃん達、“護らんくていいんか”?」

 敵を倒しつつも、不安げなその表情。だが、その憂いは古菲にもあった。
 彼等が無数の魔物達と戦っているのは、“護る”為である。己を、人を、街を、学園を護る為、戦闘行為に専念している。
 しかし――彼等は“護る”為に戦っていながら、“護っていない”。例えば小太郎。彼が本当に護る事に専念するのであれば、夏美や千鶴の側から離れたりはしないだろう。最も身近で、己を盾をして護りきる。彼はそんな男だ。
 だが、今の戦闘は違う。彼は戦線に出ている。夏美達を置いて、無視して、戦っている。
 本当にこれで“護れるのか”と――。

「……それは私も気になるネ。私が聞いたのは、“一般人の側から離れる”事。そして“一般人の目に触れぬ内に倒す”事。それだけネ。それが唯一、皆を護れる方法だと聞いたヨ」
「俺も同じや……夏美姉ちゃん達の様子おかしかったのと関係あるんかな? 姉ちゃん達、いきなり夜になったゆうんに、全然気にしとらんかったで。普通に寝始めるし訳解らんわ」
「私の所も似たような感じだたヨ。多分アレよ。認識阻害とか妨害とか、そーいう魔法使てると違うアルか?」
「かもしれへん……なぁ!!」

 拳、轟!
 振るう右拳が唸りを上げて、スケルトンの頭部を粉砕する。
 この一体倒せばまた一体。戦いにキリが無いが、この調子なら負ける事は無いと二人は認識している。
 ただ、悩む。この調子のままで良いのかと。このまま戦っていて良いのかと。
 迷いは隙を生み、隙は油断を招く。二人の思考に、そんな僅かな空隙が生まれて――次いで盛った炎が、そんな迷いを断ち切った。

「――紅き焔(フラグランティア・ルビカンス)!!」

 爆、炎!!
 轟炎が小太郎達の周囲を奔る。爆音を立てて燃え弾ける焔は、ゾンビやスケルトン共を塵芥に誘う。炎との相性が良いのだろうか、紅き焔は小太郎や古菲の攻撃よりも効果的に敵を倒していた。
 炎が徐々に収まり、其処には二人の少女が。箒を片手に構える佐倉愛衣。そして聖ウルスラの制服に身を包んだ高音・D・グッドマン。二人もまた、小太郎達と同じように夜の麻帆良で、戦闘を行っていた。

「おー、高音さん達アルヨ。あっちも派手にやってるアルなー……て、大丈夫アルか? 今の炎、ちと派手すぎだた気がスルヨ?」
「おう……幾らなんでも街中で使うにしては不味いと思うで、アレ」

 同時に冷や汗を垂らす、小太郎と古菲。派手好きな麻帆良学園と言えども、今の魔法は少々派手すぎる。魔法の隠匿を常とする魔法使いからすれば、街中で使って良い魔法ではない。小太郎や古菲も派手に戦ってはいたが、炎特有の明るさと存在感は別物だ。嫌でも眼につき注目を浴びてしまう。
 いかに夜の学園街。誰も居ない世界だとしても――。

「御心配要りません。学園長が今行使している認識阻害の魔法は……悔しい話でもありますが、私達程度の魔法で影響は及びませんから」
「は、はい。お姉様の言う通りですー……なので私達は存分に力を使って魔物を退治せよ、との連絡事項が追加でありました」
「それを言いにわざわざ俺等のとこまで? でも俺かて携帯くらい持っとるで? 何でこっちに……」
「……仕方無いんです。学園結界のレベルも最大限に強化されて……電波も念話も上手く働かない。正直、今の学園長は形振り構っていないと思います。認識阻害の魔法も、この規模と効果を考えれば――洗脳と同じですから」

 神妙な面持ちで高音は語る。その内容は耳を疑い兼ねないもの。魔法行使、戦闘行為、その全てから目を背ける認識阻害の魔法。それは確かに阻害等というレベルではない。心を操りでもしない限り不可能だ。
 他者の精神を操作する程の魔法を、学園全土に――其処までしなければ成らないほど、麻帆良は危機に陥っていた。

「何や色々面倒な事なってるみたいやな……けどま、とりあえずは……」
「……そうアルね。高音さん達の話は、後でじっくり聞かせて貰うヨ」

 言葉を切って、小太郎と古菲は同時に構えていた。
 愛衣の魔法によって消滅した魔物達。跡形も無く燃え尽きた“其処”から新たな魔物が。
 スケルトンやゾンビだけではない。斧を携えた騎士(アックスアーマー)が、巨大な鉄球を装備した重鎧兵(ヘビーアーマー)が生まれ出る。
 スケルトンやゾンビのように蠢くだけの魔物ではない。武装した、明らかな狂気が其処にはあった。
 高音と愛衣もまた構える。唄うように、口から流れる詠唱。戦いはまだ終わった訳ではない。

「行きましょうお姉様。学園は私達が!」
「ええ。ここで戦わずして『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』は目指せないものね――――黒衣の夜想曲(ノクトウルナ・二グレーディニス)!!」

 影、装!!
 声高らかに影を操り、黒衣仮面の使い魔を纏って、高音は再び戦場に身を投じる。続くように、愛衣の魔法の矢が敵を撃ち、小太郎と古菲の拳が鎧騎士達を砕いていく。四人の少年少女は群がる魔物を倒すべく、夜を駆ける。
 月下の戦いは終わらない。
 ――まだ始まったばかりなのだから。










 麻帆良学園のある一室。一般の学生の目には触れず、魔法関係者であろうとも全員が把握している訳ではないその部屋。部屋そのものに認識阻害と人払いの術式が掛けられているその一室に近衛近右衛門が居た。
 結跏趺坐の体勢で、部屋の中心に敷かれた魔法陣の上に鎮座している。放たれる魔力。魔法使いなら、今近右衛門が行使している魔法の強大さに身震いするだろう。あまりに範囲が広く、あまりに規模が大きく、あまりに効果が過ぎるその魔法術式に。
 巡らせている魔法は認識阻害唯一つ。ただその効果が桁外れに度が過ぎている。無理矢理、ある一定の行動を強制強要させる洗脳魔法。今、麻帆良に居る一般人――魔法の存在を認識していない者達は、一人残らず近右衛門の魔法によって眠りについている。学園結界を利用した、超広範囲大魔術。人権すら無視するその魔法を、近右衛門は使っていた。
 ただただ必死に――護る、それだけの目的の為に。
 座して魔法を行使する近右衛門の顔には滝のような汗が流れ落ちている。当然といえば当然の話。この広範囲に及ぶ大魔術を使って身体に負担が無い訳がない。並みの魔法使いならば一分の経たず力尽きるであろう魔力消費。その様子から、ただひたすら意志を通す近右衛門の決意だけが浮かび上がる。
 その光景を――モニター越しに、明石教授は見つめていた。尊敬と畏怖、二つの感情を携えて。

「凄まじいな学園長は……これだけの魔術を使い維持できるのか」
「し、しかし、幾ら学園長でも長時間の行使は無理ですよ。それに魔術の制御に意識を集中させていらっしゃるので、話を聞くこともできませんし……正直、私は今でも何が何やら……一体、今麻帆良で何が起こっているんですか?」

 魔法学の粋を集めた防衛プログラムコンピューターを管理しながら、魔法生徒の一人夏目萌が狼狽した声を上げる。
 場所は学園警備システムのメインコンピューターのある地点。最新の科学と、魔法学の結晶である学園結界を統治するその場所に多数の魔法使い達が集まっていた。突如現れた無数の魔物達。結界の外ではなく、内から湧き出るその現象に対応すべく集結した魔法使いに向けられた近右衛門の指示は、至極単純なもの。正確には単純な指示しか出す余裕が無かった。近右衛門はただ一人、その全魔力を使って認識阻害の魔法を行使し始めてしまったから。
 明石達は混乱しつつも、迎撃と結界の強化に専念する。それが唯一学園を護る方法だと信じて。
 だがそんな状態でも――予想はできる。

「おそらく、これは何者かによる襲撃だろう。これだけの魔物が自然発生することはない。既に学園内部に侵入し、召喚を執り行っている……確認するが、現状で一般人の被害は“零”なんだね?」
「は、はい。これも信じられないと言えば信じられないのですが……“零”です。死傷者、負傷者共にありません」
「ふむ。となれば……幻術の類なのか。それならば学園長が認識阻害の魔法を最優先で行使するのも頷ける」
「し、しかしそれは有り得ませんよ? 魔物は明らかに実体を持っています。物理反応、魔力反応、魔素反応。あらゆる計測器が彼等の存在を確認していますし……」
「いや、この場合性質ではなく在り方の問題なのだろう。魔物が存在する状態Aと、魔物が存在しない状態Bが有り、その重なり合った部分のどちらを選択するかは観測者の認識に委ねられている……計測器が存在を確認しているのは当然さ。計測器は“観測”しているのだからね。“観測”した時点でその存在を決定付けてしまう」
「……それはつまりシュレディンガーの猫の?」
「似たような存在、同じ在り方の召喚なのだろう。実際今現れている魔物の種族は日本に住まう者達ではない。彼等は本来、此処には居ない存在だ。居ない者を、混沌の産物を何者かが無理矢理召喚している――私達は魔法使いだからね。否応にも魔力を察知して観測してしまう。だから我々にとっては存在する代物と……まあ、推測だがね」

 明石は自分の推論に苦笑しつつ……その推論の大半が正解であると考える。そうでなくては近右衛門が認識阻害の魔法を使う意味が解らない。この状況下、普通ならば一般人の防衛に専念している。実際、近右衛門の指示が下される直前まで魔法使い達は、一般人の側での防衛戦を行うつもりであった。魔法技術の露呈さえ承知の上で。そうでもしなければこの苦境を乗り越えられないと。
 だが実際は、近右衛門の策が功を奏す。学園内部に魔物が出没している現状で、一般人への被害が皆無なのは奇跡に等しい。もしも近右衛門が事態の絡操を見抜いていなければ今頃目を覆うような犠牲が出ていた筈なのだ。
 防衛を考えずに、ただ戦闘に専念しているおかげだろう。戦況は此方が有利。出現する魔物の数は厄介だが、質はそれ程でもない。学園祭の時を考えれば思わず安堵の息を吐きかねない――が、消えぬ違和感も残る。

(……学園長の策は完璧だ……だが完璧過ぎる。事態の発現から間を置かずに取った選択にしては完璧過ぎる……知っていたのかこの状況を? 麻帆良の内部に魔物の群れが現れる状況を、予め予測していた――?)

 明石の脳裏に浮かぶ違和感は、近右衛門の見事すぎる指示そのもの。いや、正しくは近右衛門の行動そのものだ。
 今、近右衛門が行使している魔法も違和感のひとつ。近右衛門の足元に敷かれている魔法陣は念密にして緻密。強力にして強大。どう考えてもすぐに描ける陣ではない。何日も前から、前もって準備していた魔法陣としか思えないのだ。
 間違いない。近右衛門はこの状況の正体を知っている。知っているからこそ、完璧な対処を取る事ができたのだ。


(……一体何が起こっているのですか学園長。この麻帆良で、一体何が……?)











「白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!」

 ネギの右手より放たれた白雷が魔物を薙ぎ払い、道が拓く。ゾンビ、スケルトン、アックスアーマー――幾多の魔物を打ち倒しながら、ネギ達は街中を駆けていた。
 彼等は現状を完全に把握している訳ではないが、全員が為すべき事だけを理解している。周囲に発生しているモノは、人に仇為すモノであり、戦わなければ座して死ぬだけという事。エヴァンジェリン別邸での特訓が今生きる。実戦形式で培われた戦闘技術は、ネギや楓は勿論、明日菜そして木乃香の動きも手助ける。
 全員、これといった怪我も無く、地獄のような戦場を駆け抜けていた。
 疾風、貫!!
 楓の両手から投げ放たれる苦無の群れが、スケルトンやゾンビの頭部を貫き、迅速に戦闘能力を奪う。数の多さに対抗するには、無駄なく先手を打ち一撃で仕留める必要がある。今居るメンバーで誰よりも実戦経験が豊富な楓は、いち早く的確な戦法を繰り出していた。
 しかし、事態が好転する訳でも、ない。

「どうするネギ坊主? このまま街道を駆けていても鴨射ちで御座るよ? ここはひとつ何処かに陣取って態勢を立て直すべきでは御座らんか?」
「そうですね……此処からなら……学園より、マスターの家の方が近いです。あそこなら結界もある。見たところ、今居る魔物は下級ばかりのようですし破られる心配もありません」
「委細承知。では急ぐとしよう」
「はい。明日菜さん木乃香さん。そういう事ですので今からマスターの家に強行……明日菜さん?」
「……何よ。ちゃんと聞いてたわよ。今からエヴァちゃんの所に行くんでしょ?」
「はい……そうなん……ですけど……何、持ってるんです?」

 何処か呆けた感じで、ネギは改めて明日菜を姿を見る。
 右手にはアーティファクトであるハマノツルギ。ネギからの魔力供給もあり、完全な戦闘態勢。そこまでは問題ない。戦場に居る態勢として何も問題ない。だがしかし、その左手に問題がありすぎる。
 左手には、刹那が置き去りにしたスーパーの袋が。片手に大剣。片手に食材。シュール過ぎる事この上なしだった。
 隣に居る木乃香も似たようなもの。こちらも魔力供給によって筋力が増強しているのか、余裕の表情で両手に袋を持っている。
 戦闘の足手纏いになっている訳ではない。訳ではないのだが――あまりに場違い過ぎた。

「な、何って……仕方ないじゃない。結構な量だし、捨てとく訳にはいかないわよ。この量なら結構な値段だよ?」
「……流石姐さん。発想が苦学生そのものだぜ」
「何よカモ。何か文句でもあるの? ……言っとくけど、食べ物無駄にする人に碌なの居ないんだからね」

 遺憾千万と言った感じで明日菜は憤る。早朝早くに新聞配達をしてまで学費や生活費を稼ぐ明日菜である。食べ物を捨てるなんてあってはならないこと。魔物が出た程度で食材を見捨てる気は彼女には無いのだ。

「まあ良いでは御座らんか。兵糧の確保も戦場では重要な任務でござるし」
「か、楓さん。確かに食べ物粗末にする気は僕にもありませんけどー」
「いや何。本当の事でござるよ? ……この魔物共、減る気配が見えぬ。長丁場になるのはほぼ確実。長い目で見れば、明日菜殿の選択は我等を救う事になる可能性が高い」

 語る楓の瞳は真剣そのもの。魔物が発生してからというもの、四人は群がる敵を粉砕しながら道を切り開いて来たが……一向に数が減らない。実際に確認した訳ではないが、麻帆良の各地で自分達以外の者が戦っている気配も感じている。複数の魔法使いや戦士が事態の打開を目指し戦って――それでも尚、解決の糸口すら見えていない。
 いずれ消耗していくのは間違いなかった。

「まあそれにしても生物ばかりで御座るから、急いでエヴァ殿の家に向かわないと意味無いでござるけど。流石の拙者も生肉食べればお腹壊しちゃうでござるよ」
「そうやで。お肉はちゃんと火通さんと食べれんさかいなー」
「……ま、まあとにかく急いでマスターの所に行きましょう。マスターも流石にこの状況なら力になってくれるでしょうし」

 話を終え、一同は新たにエヴァンジェリン宅に向かう。立ち塞がる敵も彼等には障害足りえない。ネギの魔法が貫き、楓の忍術が翻弄し、明日菜の剣が切り裂く。木乃香もいつでも治療できるよう準備しているが出番が無いのが現状だ。
 少し、不機嫌な顔をしていたりする。

「むー……何かウチの出番無いなぁ。そら怪我無いのは良い事やけどー」
「あはは。私達は大丈夫だよ。それよりこんな骸骨さん達より、木乃香は食べ物護っててよ。流石にこんな長時間感掛法使ってるとお腹減るしさぁ。確か今日の献立すき焼きでしょ? 私結構楽しみにしてるんだから」
「そうで御座るな。拙者も相伴に預かる身。木乃香殿の料理は楽しみで――――」

 と、言葉を言いかけた楓の足が止まる。いきなりの急停止。その様子に驚いた他の三人も足を止めて――すぐにその正体に気付く。
 既にエヴァンジェリン宅へと向かう道の途中。周囲には雑木林が生えており……その雑木林の中から無数の敵意が感じ取れる。スケルトンやゾンビのように蠢くだけの敵意ではなく、明確に此方に殺意を向ける敵意。
 現れるのは武装したスケルトン、骸骨戦士(スケルトンソルジャー)。大剣を持った鎧騎士、常勝騎兵(ビクトリーアーマー)。そして黒き翼と角を生やした魔族、中級魔族(レッサーデーモン)。
 無数の魔物達が、ネギ達を取り囲むように出現していた。

「……これはちと不味いでござるな。先程までのような有象無象とは違うで御座るよ」
「……はい。本物の魔族まで居ます……なんとか突破しましょう。数が増えるかもしれない。長々と此処で戦うのは危険です」
「あい解った……明日菜殿、木乃香殿。強行突破するで御座るよ。その手に持つ食材を投げ捨てる準備もよろしく頼むでござる」
「う……仕方ないか。流石にこれ、数多いもんね」

 残念無念といった感じの明日菜だが、事態の危うさが読めぬ程愚かではない。
 既に自分達は囲まれている。明日菜も、その大剣を両手で振るわねば立ち行けない状況下。
 手にしたスーパーの袋を握り締める。せめて怒りと魔力と気を込めて、投擲武器として使ってやる――そんな決意を露にして。
 敵がにじり寄る。顎を開き、殺意を発現させる。
 ネギ達は構え、この包囲網を突破しようと、魔力を、気を篭めて――


「吸魂命奪(ソウルスチール)!!」


 奪、吸吸吸!!
 突如放たれた“誰か”の魔法が、包囲していた全ての魔物に直撃する。痙攣しながらその場に崩れた魔物達は、身体から生命を奪われてその身体諸共力尽きていく。
 崩れ去っていく魔物の体内から魔力の輝きが露出し、ある地点に収束される。
 ある地点――其処には一人の男が。長い銀髪の髪、漆黒の外套、整った顔立ち。人の物とは思えぬ美貌の青年――アルカードが居た。

「――――」

 一瞬、ネギ達は我を忘れる。
 今しがた見た魔法、魔物達が一瞬で崩れた現状、そして目前に佇む謎の青年。
 与えられた情報量に、頭が廻らない。そもそも青年が敵なのか味方なのか解らない。どう対応していいのか解らない。ほんの一瞬の間隙。
 その間隙に――消滅しきらなかった魔物が、大剣を持ったビクトリーアーマーが木乃香の背後で剣を振りかぶっていた。
 瞬時に気付き、反応するネギ達。ネギが障壁を張ろうと、明日菜が剣を受け止めようと、楓が敵を討たんと動く。
 けれど、そんな動きよりも何よりも、誰よりも早く――白き翼の退魔師がその行動を終えていた。

 斬!

 紫電一閃。大剣を振り被っていたビクトリーアーマーは、鋭い刀の一閃で鎧諸共両断される。気を篭めた剣を振るったのが誰かなど、ネギ達は問うまでも確認するまでなく知っている。重厚な鎧ごと敵を断ち切る剣技を持つ仲間は、ネギ達の仲間ではただ一人、桜咲刹那しか居ないのだから。

「――御無事ですかお嬢様」
「せ、せっちゃんやー! わー、せっちゃんせっちゃんせっちゃーん!!」
「はい。遅れて申し訳……って、あああああ!? お、おおおお嬢さまぁ!? だ、抱きつかないで抱きつかないでぇー!?」

 感極まった木乃香は飛び掛る勢いで、刹那を抱きしめる。嬉しさを表現しているのであろうが、いきなり抱き付かれた刹那はたまったものではない。狼狽し、真っ赤な顔であわわあぶぶと言葉にならない呻きを上げて立ち尽くすのみだ。
 そんな二人の様子に思わず苦笑するネギ達。生まれた一時の平穏――それを青年が、アルカードが崩す。無遠慮にではなく、為さねばならぬ事を実行する、そんな真摯さを携えて。

「……この者達がそうなのか、刹那」
「あ――は、ははははい! 魔法使いのネギ先生に、忍びの楓。そして明日菜さんに、木乃香お嬢様です」
「そうか……成程、確かにエヴァンジェリンやお前が評価するだけの事はある。全員、潜在力(ポテンシャル)は並みの人間ではない。戦力としては十分だ」
「ですがこの数ではまだ万全とは……」
「彼等が自ら此方に出向いてくれたおかげで探す手間は省けた。だが、だからと言って時間が有る訳ではない。この人数で事を進めるしか無いだろう……戻るぞ。エヴァンジェリンが待っている」

 会話を続けるアルカードと刹那。二人が互いを理解して話をしているのは解る――が、事情を知らないネギ達は呆気に取られるばかりだ。謎の男の素性を知らない以上、不信感は高まる。実のところ、刹那と会話する今の光景を見ていなければ、楓はアルカードに襲い掛かっていた可能性がある。
 それほど――アルカードの纏う闇の力は“濃い”。

「刹那……この御仁は?」
「あ、ああ。この人はアルカード。エヴァンジェリンさんの知人で、私達の味方……大丈夫だ。確かにアルカードさんは闇の力を持っているが、警戒する必要は無いぞ楓」
「いや、これは失礼……非礼を詫びるでござるよアルカード殿」
「構わん。俺が人間でないのは事実だ。この気配を警戒するのは当然だろう」

 人間ではない――その言葉に息を呑むネギ達。無論、人間でないからと言って敵意を見せる訳ではない。ロボットである茶々丸や半妖である刹那。更には未来人である超にまで会ってきたネギ達だ。種族の違いで見る目が変わる訳ではない。
 変わる訳ではないが、だからと言って驚かない訳でもない。何しろアルカードの容姿は人間以外には見えない。整った、整いすぎている容姿は先程まで戦っていた醜悪な魔物達とは似ても似つかないのだから。
 だが、アルカードから放たれる闇の気配に、“何か覚え”があったのか……恐る恐るとネギが問う。

「えっと、それじゃあアルカードさんって……」
「俺は吸血鬼。お前達の知っているエヴァンジェリンと同じ存在だ」
「マスターと同じ……でも、何でアルカードさんはこの学園に? もしかして今のこの状況と何か関係あるんじゃ……」
「それについては後で、エヴァンジェリンの別荘で話す。急ぐぞ、時間が無い」

 踵を返し、アルカードはエヴァンジェリン宅のある方角へ歩み始める。
 事態をまだ認識しきれていないネギ達も、急ぎ後を追って駆け出す。
 夜はまだ始まったばかりだった。



 










 あとがき

 古菲とかコタローとか高音おねーさまのターン。
 理由を付けてネギパーティを全員集合させなかった理由はこういう事。
 たまには原作には無い組み合わせとかで戦ってもらいましょう。
 あと認識阻害云々に関しては、ネギまの設定を守る為の苦肉の策。あとゲーム内でのゲーム的ご都合を無理矢理理屈づけた結果。
 全ての場所に魔物が居るわけじゃなかったり、平然と買い物できたり、意外と安全地帯が多い悪魔城。心理的な死角をつくれば襲われないんじゃないかなと思って妄想。
 死者とか出すとネギま原作の流れというか雰囲気も無視しちゃいますし。それにこれなら学園長は闘いに参加できない。作者的には、近右衛門おじいちゃんを戦場に出さない為の設定でもある。強すぎる方にはあまり活躍してほしくないので。



[21103] 第四話
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:34b945bc
Date: 2010/08/16 14:20

 ――練磨された魔力が放出される。このままでは一晩も持たないと、近右衛門は感じていた。

 魔法陣の中心で、彼が魔法を行使し始めてからどれだけの時間が流れただろうか。既に近右衛門に、時間経過を考える思考の余裕は無い。身体を動かす事はおろか、口を開く事もできない。意識の段階で、身体の動作に関する指示系統が停止している。余分な意識を全て遮断し、魔法の行使ただそれだけに専念している。
 深く深く意識の底に潜る。意識領域。数多の信号が電子的速度で飛び交う。その奥へ奥へ、底へ底へ。
 辿り着くのは暗黒の世界。無の領土。最早何も無い無意識の領域。光の差さないその光景。人の持つ無自覚無意味の暗闇。
 その無意識の領域が近右衛門には必要だった。意識的に魔法を行使しているのでは遅すぎる。考えて行使しているのでは足り無すぎる。求めるのは反射。意識の伴わない運動。無意識下での魔法行使。麻帆良全域を護るにはその地点に辿り着く必要があった。
 だがしかし――自信が無い。己を保てる自信が無い。自我を保持する自信が無い。無意識の領域が暗黒なのには訳がある。其処には“何も無い”からだ。近右衛門の精神活動、それを御する電気信号の群れも無い。
 抜け出せない。戻って来れる自信が無い。ただ無意識に魔法を行使する“だけ”の存在に成り果ててしまう。
 それでも、

(……ワシの魔力にも限界がある……せめて一晩は持たせねば、いかにエヴァンジェリンとアルカードと言えど……)

 近右衛門の下に敷かれた魔法陣。魔力増大、範囲拡大、威力向上……その場から動けなくなる代わりに、あらゆる魔法効果を齎す一級品の方陣。今日という日が、万が一訪れる事を考えて、事前に近右衛門が用意していたものだ。この魔法陣の上に居る限り、近右衛門は誇張抜きで麻帆良最強の魔法使いと成る。
 だがそれでも――足りない。麻帆良を救うには最強だけでは足りない。
 消費されていく魔力。並みの魔法使いなら一分と持たない消費量。近右衛門だからこそ長時間維持できる魔法構築。
 しかし、近右衛門の魔力は有限。いずれ底を尽き、魔法が解かれるのは確実。そうなった時、認識阻害の魔法が無くなった時、麻帆良は文字通りの地獄と化す。無数の魔物が人を喰らい殺し犯し尽くす。
 十二分に有り得る未来。打ち崩すには――

(……例えどのような結果になろうと、死が早まるのは確実じゃな……この領域に至った負担は、確実に身を滅ぼす……)

 無意識下領域に自己を置いた場合に掛かる負荷は莫大なもの。肉体が耐えられない。無意識とは下位でも上位でもない。人が未だ到達していない無明の精神領域の事。人の心……その不確かで、しかし広大な地平は大きな武器になる。単純な話、無意識の内に行われる人間の行動全てを我が物にすれば能力は拡大する。自己の拡張。自我拡大。
 問題は、その際に起こるであろう精神作用だ。間違いなく拡大された自我は、近右衛門の培った術理を向上させるだろう。だがその時、自己を保てる保障が何処にあるのか。意識と無意識が別れているのは何の為か。無意識の――暗黒の領地に身を預けて、正常な人間のままで居られる理由がこの世の何処にある。
 為さねば成らない。成しては為らない。自己矛盾が近右衛門に襲い掛かる。時間は無い。魔力が枯渇してからでは遅い。己の全てを投げ打ったとして、得られる利益は僅かな時間だけだろう。それでもそんな僅かな時間が、この麻帆良の命運を決める。
 退くか往くか。思考の迷宮に近右衛門は落ちかけて――止まる。

(…………気配が消えた……? 魔物の気配が消えていっておるのか……?)

 突如見えた一筋の光に、目を開く。麻帆良全域に対して魔法を行使している近右衛門は、同時に麻帆良全域が認識出来ている。弾き出される莫大な情報量。視覚を通さずに脳が知覚していく。その中には当然の事ながら、発生する魔物の情報もある。麻帆良の至る所で生まれる数は一向に減っていなかった。魔法使いが総出で迎撃防衛しても勢いが弱まるだけ。発生そのものを止める事が叶わなかった。
 だが、今は違う。明らかに“減少”している。その事実は光輝に近い。ほんの僅か見えた希望。原因は解らぬが、魔物の召喚が滞っているのは確か。近右衛門の負担が減り、知らずの内に息を吐く。息を吐く――それだけの動作ですら、先程までは行う余裕が無かった。
 其処に、

「――学園長。高畑です。宜しいでしょうか? エヴァンジェリンから連絡があると、茶々丸くんが来ています……それと3-Aの生徒が数名」

 見計らったように、部屋の外から声が掛かる。内容は今すぐにでも確かめたかった事項。魔法陣に座したまま、自身の現状を再確認する近右衛門。魔物の気配が減少している今、近右衛門の負担は僅かでも軽くなっている。まだ魔法行使を止めるには早計だが、会話程度なら問題ないだろうと判断した。

「構わんよ。丁度一息入れられた所じゃ。入ってきたまえ」
「失礼します」

 丁寧に扉が開かれ、高畑・T・タカミチが入室する。スーツ姿はいつもと変わらぬが纏う雰囲気に、気と魔力の残り香がある。先程まで戦闘を行っていたのが明確な、感掛法の残滓。
 次いで、タカミチの言葉通り、エヴァンジェリンの従者である絡操茶々丸。そして疲労困憊といった様子の四名――夕映、のどか、ハルナ、千雨。意外な四人を視界に入れて、近右衛門の顔に驚きの色が浮かぶ。

「おや、お主達は……」
「彼女達は先程、僕が保護した生徒達です。驚きましたよ低級の魔物達相手とは言え、並みの魔法使い以上に渡り合い戦っていたんですから……流石は実戦形式を好むエヴァンジェリン。半端な教えをしないあいつの考えが成果を上げたようで」
「ふむ……」

 近右衛門の記憶では、目前の四人が魔法という概念に触れてからの時間は短い。彼女達は十年間以上常識の中でだけで生きてた一般人。修学旅行の時といい学園祭の時といい密度の濃い魔法戦闘に触れたとは言え、よもや近右衛門の洗脳の領域にまで高められた認識阻害に抵抗し、魔物達との戦闘を乗り越えるとは考えてもみなかった。
 逸材。一言で言えばそれに当たる。魔力容量はネギのように大きなものではないが、状況判断、そして実行力に優れている。魔力容量の多寡など、成績をつける場合の判断材料にすぎない。命懸けの戦闘を繰り広げる魔法使いに一番必要なのは、マニュアルには無い自身の応用力。長い時を生きてきた近右衛門にはそれが身に染みて解っている。
 そして、夕映、のどか、ハルナ、千雨。この四人にはその潜在能力がある。

「いえ、エヴァンジェリンさんの教えも役には立ちましたが……高畑先生が来てくれなければどうなっていたのか解らないのです。ハルナと協力して敵の隙を突いてなんとか戦っていたのですが……」
「あははー。流石にあれはねぇ……数多すぎ。もう手がクタクタだね。こりゃ腱鞘炎間違いなしだよ」
「うううー、千雨さんと私のアーティファクトは役に立ちませんでしたし……」
「……まあ宮崎と私のアーティファクトは補助専門だからな……魔物の種族名だけ解っても心は読めねぇし」

 はぁ、と各々が疲れた雰囲気を醸し出して溜息を吐く。裏を返せば、溜息を吐く程度の疲労しか負っていない事になる。例え逃げ回っていただけだとしても、それは驚くべき事実。タカミチも近右衛門も、顔にも言葉にも出してはいないが少女達の才能に頼もしさと、末恐ろしいものを感じていた。
 そんな思考を、ひとまず忘れて――タカミチが苦笑する。

「とりあえず、しばらく休んでおくといい……できれば四人にはまだ働いて貰いたいからね。本当に申し訳ないが」
「ここまで大騒ぎになっている以上、逆に目を瞑る事の方が怖いのですよ――それで高畑先生。教えて貰えませんか。今、この学園で何が起こっているのかを」
「ああ。夕映君の疑問にはちゃんと答えるよ。その為に此処に来て貰ったんだから……ただ長い話になるから、まずは茶々丸くん。エヴァからの伝言を教えてくれないか? あいつの動き次第で僕達の行動も決まる」

 一同の視線が茶々丸に集中する。真剣な、困惑とした、訝るような、多様なその視線。
 その瞳を一身に受け、茶々丸は淡々と語る。

「マスターからの言伝は簡潔なものです……一時間。一時間時間を稼いでくれとの事です。準備が整い次第、マスター“達”が出撃して事態を解決してみせると仰っていました」
「一時間……成程、別荘じゃな?」
「はい。マスターの別荘内に保管されている全ての魔法兵具、魔法薬、霊薬、神酒、霊酒……全てを投げ打ってでも今夜中に解決してみせると言っていました」
「ふぉっふぉっふぉっ、かの闇の福音が集めたマジックアイテムの全てを使う事になるか。値段は考えたくないのぉ。国の一つ、簡単に傾く額じゃろうて……あい、解った。ワシも今夜一晩、死力を尽くそう」
「お願いします。そしてマスターからお届け物です……エリクサー一瓶。くれてやるから意地でも魔法を解くな、との事です」
「……根回し良いのぉあ奴は。まあ一瓶丸々頂いた以上、やれないとは言えんがの」

 とほほ、と困ったような顔を浮かべる近右衛門。しかし、手には不老不死の霊薬とまで謂われた最高峰の霊薬がある。今では製造法も失われた一級の魔法薬。値も付けられないその薬を、無料で頂いたのだから弱音など吐けない。それに弱音を吐く必要も無い。エリクサー一瓶あれば、夜明けまでの魔力は確実に補給できる。
 一つ懸念事項が消えた近右衛門。だがその側では全く事態が把握できていない少女が四人。会話の端々から、エヴァンジェリンまでもが積極的に動いている事は解ったが。疑問を知るべく、夕映が問い掛ける。

「……結局、どういう事なのですか? 魔物が出て、エヴァさんが動いて……修学旅行の時の様な、あの白髪の少年がまた何か……?」
「ふむ、それなんじゃがな……綾瀬君。すまんが君のアーティファクトを今出して貰えんかの? 念を入れて確認したい事がある」
「? 世界図絵ですか? それは構わないのですけど……」
「頼む。ワシの予想通りなら、今回の魔物の情報に共通項がある筈なのじゃ。全員が納得できる確信が欲しい」

 近右衛門の言葉に首を傾げながらも、夕映は世界図会をその場に展開する。表示されるのは魔物の素性。先程まで戦っていた数多の怪物達の情報が事細かに記されていた。その情報量と緻密さは驚嘆に値するもの――なのだが、今、そんな感情は近右衛門にはない。
 ただひとつ。ただひとつの項目『生息地』を凝視して、己の予感が正しいと再確認していた。

「やはりな……高畑くん。急ぎ皆に連絡を。今、どういう訳かは知らぬが魔物の発生が減少しておる。今ならば念話も通る筈じゃ」
「解りました」

 タカミチも近右衛門と同じ懸念を抱き、同じ予測をしていたのだろう。何がどうした、等とは聞き返さない。ただ小さく頷き退室していく。傍見ていた夕映達は、またしても訳が解らない。世界図絵の中に、一体何が記載されていたのか。事情を知らない夕映達には何も解らなかった。

「安心せい。順を追って説明しよう。まずは今この麻帆良で起きている現象について。悪魔城の存在について――」












 光と共に消えて、光と共に現れる。視界に広がった青空と、心地良くも力強い風がネギ達に安心感を齎す。
 もうこれで、この世界に来るのは何度目だったろうか。両手でも足りない数を行き交い慣れ親しんだ、このエヴァンジェリンの別荘。広大な異空間に直立する巨大な円柱。その円柱から離れた場所に造られた転送陣にネギ達は居る。
 学園内ではまだ魔物が闊歩していると知りつつも、戦闘から解放された安心感からか、一同は大きく息を吐いていた。

「はぁー……ようやく着いたぁ……ところで、あの変なの此処にまで入ってきたりしないよね?」

 一際大きい息を吐いた明日菜が、感覚的にちらと後を振り返り呟く。エヴァンジェリン宅に駆け込むなり、待機していたエヴァンジェリンに指示されるままあれよあれよと別荘に入ったが、その後の魔物達の事までは解らない。
 恐らく、今も“居る”。別荘の外に、家の外に。爪を研いで、牙を剥いて。
 蒼褪めた顔で不吉な想像をする明日菜を、エヴァンジェリンが諌める。

「問題ない。そもそも私が許可した者以外、この空間には入り込めん。私の家自体にも結界が張ってあるしな……家に駆け込んできたとき、私は無傷で、中も荒れた様子が無かっただろう? 下級中級の魔物程度に私の結界は破れんよ」
「……えっと、じゃあ……上級さんが出てきたらどうなっちゃうの?」
「諦めろ。家ごと、別荘ごと破壊されて終わりだ。上位魔族が顕現しないことを祈るんだな」
「ちょ!? エ、エヴァちゃん!? 聞いてないんだけどそんな話!!?」

 思ってもみなかった返答に泡食う明日菜。ネギも木乃香もギョッとした顔を向けるが――刹那と楓の二人は、ただ息を呑むだけに留まった。今のエヴァンジェリンの言葉の裏に潜む真意に気が付いた故に。

「つまり……覚悟はしておけという事でござるな?」
「そういう事だ。そもそもこの別荘内に来たのは、逃げる為でも隠れる為でもない。ただ、準備する為だけに来たんだ」

 そう冷静に言い放ち、エヴァンジェリンは空間の中心部である円柱に向かい歩き始める。幅僅か五メートル程の狭い通路を歩く速度は、足早だ。簡潔に言えば落ち着きが無い。その歩みだけで、エヴァンジェリンも今の事態を軽んじていない事が解る。
 むしろ逆。彼女はネギ達より何倍も焦っていた。
 急ぐエヴァンジェリンの後を追いながら、明日菜が再び問い掛ける。

「ちょっとエヴァちゃん! 準備って一体何!? そもそも私、今何起きてるのかよく解ってないんだけど!?」
「ええい喧しい。それは今、歩きがてら説明してやる……とは言え、私もそこのアルカードも分かっているのは外で出現している魔物の正体だけだ。奴等が何時、何故、誰が、何処で、どうやって召喚しているのかまでは解らん。その辺りを推測しつつ対応策を整えるのが別荘に来た目的だ」
「なんかよく解んない……そういえば、この人って誰? エヴァちゃんの知り合いで吸血鬼ってことしか聞いてないんだけど……」

 明日菜が視線を向けると、黙してただ静かに歩くアルカードが。詳しい話を聞く余裕が無かった為、今の今まで考えないで居たが、彼の容姿は酷く際立っている。着ている服も、彼自身の顔立ちも、日本離れし過ぎている。
 まるで中世の時代から訪れたかのような。

「……エヴァンジェリンの知り合いで吸血鬼、俺はただそれだけの存在だ。今、この地で起こっている異変を治める為にやって来た者。俺に対する認識は、それだけで十分だ」
「いや、十分だって言われても……えっと、外に居た魔物達とアルカードさんって何か関係あったりします?」
「……間接的には、な。あの魔物達とは、もう何百年も前から戦い続けている」
「な、何百!? あ、あのどうみても精々二十台前半にしか見えないんですけど……お幾つですか?」
「……何をさっきから戯けた言葉ばかり聞いているんだ神楽坂明日菜。そいつは私と同じ吸血鬼だと言ったばかりだぞ? 外見年齢に何の意味がある? ……ま、実際の年齢は私と大して変わらん。六百歳程だ」

 六百歳という数字を聞いて、明日菜の思考が色々と混乱する。エヴァンジェリンという前例を知っていて尚混乱する。そも、それだけの年月を人間が生きれる訳もなく、理解とは遠い埒外の事象であることに違いは無いのだが。
 ただ、今は明日菜の混乱が解けるのを待つ余裕は無い。足早な歩調同様、焦りを含んだ口調でエヴァンジェリンは語る。

「今、この地で起こっている現象を一言で説明すれば――悪魔城の復活、これに集約される」
「――――」

 その言葉をどう捉えたのか。ほぼ全員が首を傾げる中、ただ一人ネギだけが呆けたように目を見開いていた。
 いや、ネギだけではない。ネギの肩に乗るカモミールもまた驚愕の色を浮かべていた。

「あ、悪魔城だって!? う、嘘だろそれは!? それは――“有り得ない”じゃねえか!?」
「そうだ。“有り得ない”。だからこそ私もアルカードも時間が欲しかった。考証し推測し結論付けられる時間が」

 淡々と述べるエヴァンジェリン。その言葉を聞いて、カモミールは今までに無いほど狼狽して頭を抱えている。カモミールの様子からすると、悪魔城、という単語の意味は解っている風に見受けられる。そしてその“有り得なさ”も。
 ただ、事情を知らぬ他の者はその様子に困惑するだけだ。ネギは、多少事態を認識したのか――顔が蒼褪めている。

「……ねぇネギ。アンタ何か知ってるの? その悪魔城とかいうお城の事?」
「……魔法使いなら、誰でも知っている話です。魔法学校でも習いました。百年に一度蘇る悪魔の城塞。百年に一度甦る……吸血鬼、ドラキュラ伯爵の住処の話」
「ド、ドラキュラって……え? 何? あれってフィクションじゃなかったの!?」

 明日菜の叫びは最もだ。ドラキュラ伯爵。有名すぎる程に有名な、ブラム・ストーカー著の小説の登場人物。知らぬ者がこの世にどれだけ居ようか。吸血鬼の代名詞として、一般人にも知られるその名を。

「……ドラキュラは別格だよ。あれはもう、魔法使い達の隠蔽工作が通用する相手でも状況でもなかった。あまりに世界の目に触れすぎたし、あまりに影響力が強すぎた。だから当時の連中は、あえて隠さない事にしたのさ。ドラキュラはフィクションの人物なのだと、大々的に世界に知らしめた。効果は抜群。一般人にも名を知られたが、その一般人の誰もがドラキュラの存在を信じてはいない。誰もが恐れた最強の吸血鬼は、誰もが知る虚構の存在に堕ちた」
「だが、奴は存在する。虚構ではなく実際にな。既に数百年も、奴と戦い続けていた家系がある程だ」

 エヴァンジェリンが、そしてアルカードが冷静に、しかし真剣に語る。吸血鬼ドラキュラは存在するのだと。そのドラキュラの住まう城、悪魔城は実在するのだと。他でもない、吸血鬼二人からの言葉だ。真偽を確かめる気も起きないほど、その言には説得力と信憑性があった。
 だが、それでは違和感が生まれる。実在すると断言するのであれば――

「――では何故、“有り得ない”等と言うので御座るか? 二人の言葉を聞く限り、ドラキュラなる脅威が存在するのは必定。十分に“有り得る”事態なのでは?」

 そう。楓の問い掛けがその違和感を指摘する。カモミールもエヴァンジェリンも、そしてアルカードも言っている。今の事態は“有り得ない”と。悪魔城の存在を認めていながら、その発現を認めていない。誰の目から見ても解る矛盾。
 確かにこの麻帆良は、霊的にも魔力的にも科学的にも優れた結界が張られている。以前のヘルマンの時を見れば解るように、上位の悪魔が一匹隙を見て、どうにか潜入できるか否か――それ程、麻帆良の護りは優れている。その護りを抜いて、数多の魔物達が生まれている現状は、確かに“有り得ない”事態なのかも知れないが――。

「そういう問題では無いんだよ長瀬楓。物理的にではなく、原理的に“有り得ない”と言っているんだ。もうこの世に、悪魔城もドラキュラも存在していないのだから」
「……どういう事で御座るか?」
「倒されたのだ。完全に倒された。1999年に。四年前の七月に。代々ドラキュラを討って来た一族、ベルモンド家と――そこに居るアルカードの手によってな」

 エヴァンジェリンが指し示す先には、変わらぬ凪の様な態度で存在するアルカードの姿。取立て肯定する様子は無いが、否定する気配も無い。ただ、事実なのだと全員が察知していた。こんな意味の無い嘘を、エヴァンジェリンは吐いたりしない。その認識は全員にあった。

「……いやだがしかし……それならば御二人が断言する理由が解らぬ。今の話を聞く限り、二人が今回の件を悪魔城とやらの復活だと確信しておるのは不可解で御座るよ? 他の可能性は無いので御座るか?」
「無い。他の者は欺けても、俺の体に流れる血まで誤魔化す事は不可能だ。誓っても良い。あの気配は悪魔城の、ドラキュラの気配以外に有り得ない」

 どのような感情が込められていたのか。言い切るアルカードには否定を許さない信念のようなものが見えた。楓は息を呑む。静かな男の内に秘める熱き想念。アルカードの内奥に見えたその炎には虚言の気配等欠片も無かった。
 何故、どうしてそこまで断言できるのか――その疑問が口から出る前に歩みが止まった。細い通路を進んだ先。その先にある転送陣に辿り着いていた。何度か別荘内の転送陣を使っているネギ達も、見た事の無い陣だった。つまり、エヴァンジェリンが今まで誰も足を踏み込ませなかった地点へ続く転送陣。

「この先は、私が今まで収集したマジックアイテムが眠る保管庫へ通じている……言っておくが無闇矢鱈と触るなよ? 握っただけで人を呪い殺す魔剣やらが普通に転がっている場所だからな」

 不気味な笑みを浮かべつつ、転送陣にかけられた封印を解くエヴァンジェリン。誰も足を踏み込めぬ別荘内にあって尚、鍵を掛ける程厳重に封じられた保管庫。想像だけでネギ達の背筋が凍る。そんな不吉な場所に足を踏み入れる事にもだが――そんな場所に眠る道具に、闇の福音が頼ろうとしている事実にこそ、身も毛がよだつ。
 開錠された転送陣は光を放ち始め、その役割を果たさんと起動し始める。
 全員が転送される、その間際。


「……そうそう、転送する前に言っておく。アルカードの言っている事は事実だぞ。そいつがドラキュラの気配を見間違う事など絶対に有り得ない。何しろアルカードは――――ドラキュラ伯爵の、実の息子なのだから」


 その言葉は、ネギ達全員の顔を、唖然呆然とさせて――その状態のまま、光に包まれ転送された。











 

「悪魔城……まさかそんな事になっていたなんて……信じられない。信じたくない、が……高畑先生の言う事は真実なんだろうね。まほネットに接続して過去の事例を調べたが、確かに出現した魔物の特性は、かの悪魔城の魔物達と酷似している。似ている、で済ますには無理がありすぎる」
「で、でででででもそんなのって有り得るんですかぁ!? 悪魔城は、ドラキュラは、四年前にユリウス・ベルモンドと有角幻也が完全消滅させたって聞いてますよ!?」

 タカミチから事情を聞き終えた明石と夏目萌が、与えられた情報に困惑していた。学園結界を司るコントロールルームに集う魔法使い達は、皆似たような状況。悪魔城の復活と、ドラキュラ復活の危機を聞いて全員が狼狽していた。
 有り得ない、どうするべきか、本当なのか、逃げるべきではないのか。一致しない様々な意見。明石は、慌てふためく魔法使い達を見て、情けないと思いつつも――当然の反応だと理解していた。
 明石自身、騒ぎ出したい気持ちなのだから。

「普通に考えれば夏目くんの言うとおりだろうね。悪魔城が復活する事なんて、最早有り得ない。四年前に完全に滅ぼした事は全ての魔法使いの共通認識だ。当時の測定器も確かな値を示していた。間違いなく、ドラキュラは滅びた。そして残った残滓も、悪魔城と共に永久封印された。聖鞭ヴァンパイアキラーの力を使った封印呪法。たとえ麻帆良に住む魔法使いが総出で解呪に赴いたとしても、あの封印は解けたりしない」
「それじゃこれって一体何なんですか!? 過去のデータとの一致率は90%を超えてますし、どう考えても悪魔城復活の……!」
「落ち着くんだ。逆を言えば10%近くは違うという事になる。悪魔城を模した召喚儀式なのかもしれないし、実際は悪魔城の封印が完璧では無かったのかも知れない。今此処で推測しても確かな答えは出ないだろう……高畑先生の話が真実なら、麻帆良には有角幻也が来ている。四年前にベルモンド家と共にドラキュラを倒した彼が。私達の役目は彼の援護と、この学園結界の維持に専念することだ。この際、悪魔城の真偽は問題じゃない。此処が落ちれば――魔物達の巣窟に変貌してしまう。それだけは防がねば」
「は、はい……!」

 明石の言葉を聞き、夏目はコンソールに両手を走らせて、結界の維持調整に取り掛かる。幸いにも、現在魔物達の出現は減少している。際限なく現れていた先程までとは違い、今の状態ならば学園結界を維持する事は容易い。
 だが油断は出来ない。いつまた魔物が大量に召喚されるとも限らない。故に、今出来る事は有事に備えて万全の準備をしておくことだけだ。夏目だけでなく、明石自らも魔法術式を作動させて、学園全土に干渉する。行う項目は調査。これだけ大規模な召喚儀式、この麻帆良の何処かに“術者”が居るのは間違いない。余裕がある今の内に居所を突き止めるべく、明石は全神経を広域探査に集中した。

(突然悪魔達が出現した理由は恐らく、有角幻也の来訪を察知したからだろう。彼は数少ない生き証人だからな。術者にとって今の状況は捨て身の召喚の筈だ……一か八かの。我々は護りに徹しているだけでいい。こんな無茶な術を使えば術者はいずれ自滅する)

 明石が脳内で描く推測は的を射ている。予想にしか過ぎないが、事実、有角幻也――アルカードの訪問と魔物発生時は一致している。十中八九間違い。アルカードの来訪に“合わせて”魔物達は出現した。
 となれば、術者はアルカードを“見た”事になる。麻帆良の何処かに潜んでいる術者はアルカードの姿を見た。だから急ぎ、邪魔されぬ内に術を作動させた。それが明石の推測だった。
 理に適っている。この推測に間違いは無い。間違いは無い筈なのだが、

(……だが、何故だ。何故、“麻帆良でこんな事をする”? 我々が、多数の魔法使いが居るこの地で行う理由は何だ?)

 あまりに理に適わない、その推測。
 術者が悪魔城の召喚を執り行う、これは良い。
 術者がアルカードの気配を察知して召喚を急ぐ、これも良い。
 だがそもそもの問題。あらゆる結界で護られたこの地で、あらゆる魔法使いが居るこの地で、わざわざ事に及ぶ理由が何も思い浮かばない。
 妨害される危険が増すだけだ。確かに一般人も多い此処ならば、悪魔達の贄は多いだろう。だがそれにしてもリスクが大きすぎる。メリットが少ない――否、皆無に近い。麻帆良の中心部で悪魔を召喚する意味が何処にも無いのだ。

(……ならば考えられる事は……此処でしか、麻帆良でしか術を行使できなかった、ということか?)

 考えられる事はそれしかない。利も無く、意味も無く、理由も無い。ただ、此処以外では出来なかっただけという結論に至る。
 だが其処で終わる。明石の思考は其処で行き止まり。あと一歩が足りない。
 明石自身、何が足りないのか解らぬまま、探査は続く。何処かに存在している筈の、術者を探して。










 ゴトン、と音を立てて自販機から缶飲料が落ちてくる。渇きを潤す、十分な冷たさを持ったそれを小太郎は手に抱える。
 自販機に背を向けて向かう先は、十数メートル離れたベンチ。其処には三人の少女が座っていた。

「ほれ。まあこれでも飲んで一休みとしようや。よう解らんけど、しばらく出てくる気配無いしな」
「うむ。感謝するアルヨ。高音さん達も飲むといいね。次、何時休められるか解らないアル」

 古菲は小太郎から受け取った缶ジュースを、横に座る高音と愛衣に手渡しながら、缶の蓋を開ける。音を立てて開けられた容器を傾けて、飲料が喉を嚥下していく。旨い。味は飲みなれた味なれど、疲れた身体には何よりも極上な美味と化す。冷えた飲料が喉を潤し身体を癒していく。身体を休めるのに、高度な回復魔法は必要ないと言わんばかりに。
 そのように、しばしの休息を得ている古菲の隣で――高音は重苦しい顔を携えていた。

「……浮かない顔してるアルな高音さん。悪魔城とやらは、それ程手厳しい存在アルか?」
「手厳しいで済ませられる事ではありません……っ! 悪魔城と言えば旧世界、新世界問わず恐れられた脅威! 魔法使いの解決すべき難題として、数年前まで教科書にすら載っていた事柄です! そんな物が、今この麻帆良にあるなんて……っ!」

 浮かぶ色は焦りと恐怖。魔物達の召喚が突然減少してすぐ、高音の元に念話による連絡が届いていた。内容は、この地に迫っている脅威の正体。悪魔城が召喚されつつあるという報告。それを聞いて、高音に飛来したのは絶望以外無い。強大すぎる悪意の存在に、身体ではなく心が折れかけていた。
 幼少より魔法使いとして、悪魔城の知識を知りえている彼女だからこその悲哀――けれど、小太郎や古菲に、その感情は無い。

「よう解らんな……なんか知らんけど、俺等のやる事に変わりは無いやろ? 変な化物倒して、その悪魔城やったか? それもぶっ壊せばええやん」
「な、何を簡単に!? 悪魔城は何百年と続いてきた悪意の象徴! 私達がどれだけ手を尽くしても打倒できない脅威の顕現!! それを知らずに……何を呑気な事を言っているんですか小太郎さん!!」
「そんな事言われたかて……知らんもんは知らんのやから、しゃーないやん。悪魔城やらドラキュラやら言われたかて、よう解らん。解るんは、“そいつら”放って置くと人を襲うってことだけや。なら俺等のする事はひとつ。ぶっ倒す以外に無いやろ?」
「それはっ……そう、ですが……」

 当然のように答える小太郎に、思わず高音は口ごもる。そう。例え敵が強大でも凶悪でも、勝ち目が無いのだとしても――そんな脅威から人々を護る者こそ『立派な魔法使い』。恐怖に尻込みしている暇は無い。魔法使いの成すべき事は、爪も牙も持たぬ無力な人の代わりに戦い護る事だけ。小太郎は事情を理解していないのかもしれないが――やるべき事は解っていた。
 高音も、実際は解っているのだ。何をすべきなのかを。それでも消えぬ恐怖がある。それだけ、悪魔城の存在は大きい。
 恐れを押し殺すように、強く歯をかみ締める高音の姿に何を感じたのか。小太郎はフォローするように声を掛けた。

「あー……高音姉ちゃんは妙に構えとるけど、そもそも本当に悪魔城なんか? 聞いた話によると、悪魔城もドラキュラも四年前に無くなったんやろ? なら勘違いの可能性が一番高いとちゃうか?」
「……悪魔城復活の連絡を伝えているのは高畑先生です。先生は四年前の戦いに参加して生き残った数少ない魔法使いと聞いています。そんな人が虚実の情報を伝えたりするでしょうか? ……いえ、それ以前に高畑先生が不確かな事を言う筈がありません」

 今も昔もNGO団体『悠久の風』に所属し、かつては『紅き翼』の一員として魔法世界でも戦っていたタカミチ。そして学園の臨時講師として生徒達を導く立場にある彼。そんな彼が確信も無く、悪魔城復活を伝えたりはしないだろう。その性格的な意味合いでも、可能性は低い。タカミチは飄々としているものの、その性根は質実剛健そのものだ。

「だからこそ――尚の事困っているんです。既に終わった筈の、消滅した筈の存在が、今この麻帆良を襲っている。現実感が無いのかも知れません。このまま戦っていても、何の解決にもならないような気がして……」
「お、お姉様。大丈夫ですよ。今は魔物の召喚も収まってますし……これって術者の魔力が切れた、あるいは不備が生まれたって事なんだと思います。さっきまでの調子でいれば、絶対に護れますってば」
「……だと良いのだけれど」

 手にした缶飲料を強く握り締め、高音は整った顔立ちを歪ませる。愛衣が心配そうに見やるが、恐怖を取り除く言葉を持っている訳ではない。心情的には愛衣も高音同様、その心中は恐怖に押し潰されそうになっている。
 そんな中、古菲が飲み終えた缶をゴミ箱に放り投げる。音を立てて投げ入れられた時、古菲の顔はただ真っ直ぐ前を見ていた。

「……ちょっとした仮定を思いついたんでアルが……聞くアルか?」

 古菲。低成績保持者にして馬鹿レンジャーとまで言われる彼女。確かに彼女の成績は下から数えた方が早いくらいに低い。底に居るといっても過言ではないほど。
 だが彼女は決して――愚かな訳では無いのだ。

「話によれば、悪魔城は四年前に滅んでいて、その情報は魔法使い達の共通認識になっている。そして今、麻帆良に現れているものも悪魔城に間違いない……これでいいアルね?」

 彼女に無いのは知識だけだ。事態に対応し生き残るだけの知恵は持っている。若くして高い錬度で中国武術を修めている古菲。武術の真髄は、積み重なった術式の塊であり――それらを身に付けられた古菲が愚かな筈が無い。
 なまじ悪魔城の知識も脅威も知らなかった故に、その閃きは鋭さを失わない。
 今、在る筈の無い悪魔城がこの地に出現している。ならば――


「なら――――今ではなく、“昔”には在った――――これはそういう事ではないアルか?」


 古菲の脳裏には一人の親友の姿が浮かんでいた。正確には、その親友が用いた技術が。
 一ヶ月前。学園祭で体験した、時を越えるあの技術が――。













「時間移動(タイムポーテーション)だと……? エヴァンジェリン。それは本当の事か?」
「事実だアルカード。一ヶ月前の学園祭、この地は大騒動だった。魔法関係者も一般人も皆、超鈴音が用いた時間跳躍の技術でな」

 古びた洋室の中心にネギ達は集まっていた。古今東西、あらゆる逸話を持つマジックアイテムが眠る、エヴァンジェリン秘蔵の保管庫。其処は幾つもの部屋に枝分かれされた、古代の迷宮。
 その迷宮の一室に彼等は居る。無数の蔵書に囲まれた小さな図書室。彼等はまほネットの情報群にも匹敵する数多の事柄を調べ、今回の事件の全貌を探っていた。
 その最中、ふと口に出たとある技術。偶然だが、外に居る古菲と同じ閃きに至ったのだ。若き魔法使い、ネギ・スプリングフィールドが。

「過去にあるどのような魔法技術を用いても、失われた悪魔城を復活させる事は出来ません。此処の蔵書にある魔法を用いても同じ事。もう“無い”んですから不可能です。ならば……“在った時代”から持ってくるより他に方法は無いと思います」
「……ぼーやは本当に、時々大胆すぎる考えを披露するな……だが、真実はおそらくそれだろう。悪魔城に質量は無い。あれは混沌の産物だからな。一種の幻想空間。過去と現在を繋ぐ事さえできれば、過去の悪魔城を麻帆良に出現させる事は可能だ」
「可能って……そりゃ無理だぜ!? カシオペアは世界樹の魔力を利用したもんだ! もう世界樹は発光していない! どうやって時間跳躍を……!」

 カモミールの叫びは事実を突く。超の作り出した時間跳躍機は、世界樹の膨大な魔力を利用した道具だ。単体では時間を渡れない。時間を渡るには神木に等しい蟠桃の魔力が必要不可欠。カシオペア単体では懐中時計としても使えない不完全な物なのだ。
 そんな当然とも言えるカモミールの問いに――アルカードは、ごく平然と答えた。

「可能だ。世界樹の魔力が必要だと言うのなら、一時的にでも世界樹に魔力を満たせばいい。“回復魔法”は生きとし生きる者全てに作用する。世界樹に魔力を充填、変換させて時間移動に使用すれば済むだけの事……そもそも時間に干渉する方法は、既にベルモンド家も編み出している。時間移動が実際に出来る術だと言うのなら、カシオペアとやらに頼る必要は無いかもしれん」
「――!? は、初耳だぜそいつは……そりゃあ俺っちも、ベルモンド家の他を圧倒する力は聞いてはいたが……」
「リヒター……二百年程前のベルモンドの話だがな。奴は時間停止の真似事は成しえていた。最も、大量の気と魔力を消費して止められた時間は、体感時間で三秒程度。あまり役に立つ術では無いと言っていたが」
「おいおいマジかよ……だけどそうなると時間跳躍は、何も超だけの専売特許じゃないって事か」
「可能性としては十分だ。話を聞く限り、その学園祭時は多くの人間が集まったのだろう? その時、外部から魔道に携わる者が訪れていてもおかしくはない。それも外道に位置する者がな。この地は近右衛門が治める魔術都市だ。秘められた魔道書の類を盗みに来ていた可能性は有り過ぎる」

 アルカードの言葉を聞き、ネギはその通りだと思った。何せ実際に、麻帆良の図書館の深部にはメルキセデクの書が存在する。伝説級の魔道書。『立派な魔法使い』を目指すネギには納得できないが、その書を奪う為に悪行を平気で行う魔法使いは居る。知識と真理を追究する、ただそれだけの魔法使いが。

「そんな者が、時間跳躍の瞬間を目にしたらどうなる? 決まっていよう、その技術を解明するべく奔走する。術理を、必要な原動力を、成すための条件を知る為調べ回る筈だ。そして――運悪く、というべきだろう。辿り着いてしまった」
「……まだ学園祭から一ヶ月しか経っていません。この短い期間で、いかに前例を目の当たりにしたとはいえ、時間跳躍を再現出来るものなのですか?」
「お前の言うとおりだ刹那。僅か一ヶ月で再現できる筈が無い……発端を考えればよく解る。まだ不完全だ」

 不完全と言い切り眉根を寄せるアルカード。刹那はアルカードの言葉にただ困惑するだけ。明日菜や木乃香といった他の者も似たような様子だ。
 当然の事ながら、魔物は普通に召喚されている。一体一体が明確な敵意を持ち、中には武装した存在まで居た。不完全とは程遠い。誰の目から見ても、一流の召喚術。
 誰もが首を傾げる中、ただ一人エヴァンジェリンが得心がいったように頷いていた。……何故か、形容しがたい苦笑を携えて。

「……成程な。確かに起こりを考えればその通りだ。だがこの場合……責任はアルカードに行くのか? それとも刹那か?」
「え!? な、何故私の名がそこで出てきますかエヴァンジェリンさん!? 私が何かを仕出かしたとでも!?」
「うん。仕出かしたぞ。だってお前、アルカードに襲い掛かったじゃないか。麻帆良に潜入した魔族と勘違いして」
「う!? 確かにそれは我が身の不明でありますが……」
「せっちゃん、アルカードはんに何したん? 人を見かけで判断して襲っちゃ駄目やで。めー」
「お、お嬢様ぁぁぁあ!?」

 アルカードを襲った事実より、エヴァンジェリンの指摘より、木乃香に叱られる方が刹那にとっては痛手だったようだ。効果は抜群だ。激しく滂沱する刹那を、意地の悪い笑みで見ながらエヴァンジェリンは言葉を続ける。

「まあアルカードの闇の力は実際問題見過せないほど濃いからな。勘違いしても無理からぬ事なんだが……残念ながら、発端は“そこ”なんだよ。思い出せ刹那。魔物達が急に出現したのは、どのタイミングだ?」
「ど、どのタイミングと言われましても……あの時は丁度エヴァンジェリンさんが来たところで、私とアルカードさんが戦って…………っ、まさか、それで……っ!?」
「おそらく、な。お前に襲われたアルカードが力を解放して戦闘を行った。召喚術を何処の誰が行ったかは知らんが、その“誰かさん”は戦闘時に発生した魔力から、アルカードの気配を察知したんだろう。ドラキュラ伯爵の息子の魔力を。数世紀にも及び悪魔城復活を阻止してきたアルカードの存在を感じ取った……そりゃあ焦る。焦りに焦って、無理矢理術を発動させた」
「そもそも俺がこの地にやって来たのは近右衛門から依頼があったからだ。妙な気配が麻帆良に現れていると。常人では見過す、僅かな淀み。俺ですらこの地に足を運んでようやく気付ける程のな。悪魔城が蘇りつつあったのは確かだが、すぐに顕現する可能性は低かった。ところが俺の力が解放された途端、今回の有様だ。術者が無茶な時間跳躍を行おうとしているのはほぼ間違いないだろう」

 かつて、ネギが一週間もの長距離跳躍を行い学園祭最終日に戻ったとき、大量の魔力が消費され気を失った。一週間という期間ですら、時間移動の法則では長距離なのだ。悪魔城は四年前に滅んでいる。召喚される過去の悪魔城が何時の時代の物なのかは解らないが、最低でも四年前に干渉しているのは間違いない。それだけの距離を転移させるとなれば、計り知れない量の魔力が必要なのは確実だ。急激な召喚など行える筈がない。
 だからこそ、徐々に召喚していったのであろうとアルカードは推測する。誰にも気付かれぬ規模で少しずつ。所謂“おばけ騒ぎ”程度の現象から牛歩の速度で侵食していったのだと。
 だが、近右衛門がその僅かな気配に気付きアルカードを呼んだ。術者としては堪ったものではないだろう。こと悪魔城の気配に関して、アルカードを誤魔化す事が出来ない。同じ血脈の力を持っているが故に、容易に感づかれてしまう。となれば打つ手は限られる。すぐにでも麻帆良から立ち去るか、あるいは無茶を承知で術式を急速進行させるか。

「無論、そんな無茶がまかり通る可能性なぞ、万に一つも無い。私達が術者を探さなくても勝手に自滅するだろうさ」
「じゃ、じゃあ外の魔物は、そのうち消えて居なくなるってこと?」
「その通りだ神楽坂明日菜――だが、な。私は見逃す気は無い。悪魔城の召喚だと? ふざけおって。私の目前でそのような傍若無人を許せるか。護りに徹する気は無いぞ。此方から打って出る。私自ら潰してくれるわ」

 三日月のように口を歪ませて、闇の福音は嗤う。不敵に、ではなくあからさまな“怒り”によってエヴァンジェリンは嗤って居た。明日菜と木乃香が小さく悲鳴を洩らす。“怖すぎて”大きな声が出せていない。周囲が歪む程の魔力を放出しながら、吸血鬼の少女は嗤い続ける。ケタケタ、と。

「……抑えろエヴァンジェリン。仲間を怯えさせてどうする」
「――ふん。随分と冷静だなアルカード。お前だって内心は私と同じだろうに……まあいい。そう言う訳で別荘から出たら下手人の元に向かうぞ。場所は解っているな? 大規模時間移動を成そうとするのなら何処で行うべきか……“お前達”なら解っているだろう?」

 静かにネギが頷く。わざわざこの麻帆良で時間跳躍を行うとしている以上、麻帆良にある“何か”が必要不可欠だという結論に至る。麻帆良にあって他には無いもの。時間移動に必要なその何か。現段階で思いつくものは、世界樹の魔力。
 超も、世界樹の魔力を利用して時間跳躍を成した。ならば敵もまた同じ結論に至る可能性は高い。
 そしてその場合、術を行使する場所はひとつに限定される。
 世界樹の中心部。かつてネギ達が一週間の時間を遡ったあの場所に。

「では……刹那、楓、木乃香、神楽坂明日菜。着いて来い。今から私の秘蔵庫に案内する。数多の魔法兵具が収納されたところにな。敵は数の多さが厄介だからな、渡り合えるように色々と貸してやる」
「え? あのマスター……僕は?」
「ぼーやは後で案内してやる魔法陣の上で座していろ。座った時間の分だけ魔力を回復させる術式が込めてある。お前はそこで魔力の底上げを行っていればいい……アルカードと一緒にな」
「――へ?」

 思わず目が点になり、ネギは視線を向ける。アルカードが居る。銀髪、黒套、夜と闇の一族、伯爵の息子。

「――よろしく頼む」
「あ、はい。此方こそ」

 ぺこりと頭を下げて――そこでようやく、自分が妙に緊張している事をネギは悟る。
 吸血鬼だからなのか――違う。何百年も生きた一流の戦士だからなのか――違う。ドラキュラ伯爵の実の息子だから――そうではない。
 ネギが緊張する理由は――違うからだ。自分とあまり違うその生き方。父親に憧れ目指すネギとは真逆の生き方。
 父を倒す為に生きるアルカードの姿は――ネギにとって、何よりも理解し難い信念。何故、どうして。様々な言葉が脳内を巡る。
 かつて超の目的に、善悪を悩んだ少年は再び苦しむ事になる。子が親を倒す、倒さねばならない定めの重さを知って。


 
 ネギ達がエヴァンジェリンの別荘に入ってから十五分が経過。
 事態が再び動き出すまで、あと四十五分――。












 あとがき

 作戦会議の回。答え合わせの出来ない作戦会議。正解かどうかはさておき、彼等は答えらしきものを手にしたようです。
 説明文書いてる気分が大きすぎて、作者的には面白く無い話なのだけれども、何処かで入れないと展開的に無理があるというか。
 本当はもっと長々と事態を考察する描写を考えていましたが……無駄すぎるので没。作者から見ても冗長過ぎで蛇足にしかなってなかったので、かなりバッサリと省きました。

 おまけでメタな補足

 ベルモンド家の扱う時間停止の真似事 = 時計のサブウェポン
 座った時間の分だけ魔力を回復させる魔法陣 = 夜想曲とかのセーブポイント



[21103] 第五話
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:34b945bc
Date: 2010/08/17 14:44


 ――遠い夢を見ている。

 時は中世欧州。科学の発達がまだ未熟だった時代。世界の理が、神や悪魔や精霊といった幻想で成り立っていると信じられていた時代。
 医学も未発達。菌という概念を知りえていなかった為、街並みは清潔とは程遠い。そも、水は貴重品。汚れは汚れのまま。穢れは穢れのまま時は進む。膿は癒える事無く、人の心にまで腐食し、世界は荒んでいっていた。
 そんな中――地下室に、少年と少女が。

「――離せキティ! このままでは母上が……母上が!!」
「駄目だっ! 行ったら駄目だ……アドリアン、お前まで捕まるぞ……!!」

 少年は端正な顔を歪めて、一刻も早く地下室から出ようと力を振るう。扉を殴り叩き壊そうとしても、扉は揺るぎもしない。強力な魔力障壁。“誰か”が少年と少女を閉じ込める為に――否、“助ける為”に張った魔法であった。
 少女は、“誰か”の想いを、願いを知っているのか、少年を押し止める。自身も扉を破り飛び出したい気持ちを懸命に堪えて。両の眼に崩壊しそうな涙を携えて。
 障壁は破れない。そもそも、少女や少年が全力で当たったとしても壊れるような形を為していない。
 強固だった。強靭過ぎた――“誰か”が護ろうとするその意志は。

『――駄目よ、アドリアン。来ちゃ駄目! そこに居るのです!』
「……この声は……母上!」
「リサ!」

 二人の頭に、そんな“誰か”の声が響く。
 念話。遠く離れた場所から――少年が向かおうとしている場所から、女性の必死の懇願が聴こえる。
 姿は見えない。目の前には居ない。それでも見える――今まさに、“殺される寸前”の女性の姿が。

「母上! 今、助けに行きます!」
『いけません! 貴方はそこでキティと隠れているのです!』
「でも、母上!」
『……いいのです。私の命で皆に幸せが訪れるなら、私は喜んで死を迎えましょう』

 頭に届く声は“達観”していた。諦観ではない。女性は何一つ諦めていない。あるがままを受け入れて、今の現実(ぜつぼう)を享受している。その在り方は美しくもあり、同時に愚かだった。
 いかに透き通った決断でも――認められぬ者が居るのだから。
 涙を流す、子供が一人――――。

「駄目だ、そんなこと……」
『ごめんなさい、アドリアン。貴方にばかり辛い思いを……。でも、私からの最後の言葉を心に留めて生き続けて……』
「母上……」

 聴きたくも無い。聴けば終わる。其処で尽きる。もう二度と笑い掛ける事は無くなる。もう二度と触れてくれる事は無くなる。
 聴かなければならない。聴かなければ悔いる。生涯、悔い続ける。二度と聴けないが故に。最後の頼みから目を逸らせば、千載に残る悔いを避け得ない事になる。
 矛盾する想いを、抱いた。

『人間を――――――――――』

 そうして、言葉を聴く。最後の言葉。それは死を目前にした者とは思えぬ、澄んだ言葉。憎しみも恨みも怒りも無い。己の不幸を嘆いてもいない。ただ先を見つめて……何よりも、子を想う母親の愛に満ちていた。
 ただ、聴いた。聞いた。きき続けた。どうして、とも思う。何故、と考え続ける。それで良いのかと、自身に問う。
 ……解った事は一つだけ。決して揺るぐ事は無い、そんな事実だけ。
 障壁が今尚張られている。障壁は今尚強固だ。死を目前にしても――子を想うその気持ちは、欠片も微塵も揺らいでいないのだから。
 そして女性の言葉は。その遺言は――――。

『――――ぁ』

 小さな呻きと共に途絶える。次いで障壁も。何もかも消える。
 何が起こったのか。一瞬、少年は呆然とする。途絶えた声と、消えた障壁と――無くなった気配。
 意味する事を悟ったその時、


「……っ、母上ーーーーーーーっ!!」


 大切な人を、永遠に失ったのだと、少年は知った。














 魔法陣の上に、ネギ・スプリングフィールドは座していた。
 闇の福音が用意した、魔力循環を高める法陣。座しているだけで、魔力の脈動が高まり回復していくのが解る。魔物との戦いで消費した魔力が瞬く間に補充されていく。そしてそれは無理な回復ではない。喉の渇きを潤すような、染み渡るような復元呪法。目を閉じれば、思わず眠りについてしそうな心地良ささえある。

(これなら万全の体勢で戦えそうだ……)

 満たされていく魔力を把握して、そう確信する。そう思考できるだけ――精神も安らいでいる。魔力、精神力、そしてネギは気付いていないが体力までもが回復していっている。使用者の体調を万全なものに整える、最上級の回復魔法陣。現存していない失われた技術のひとつ。何しろ、魔法医泣かせすぎる。これが世に広がれば世界各地の治癒術士が路頭に迷う事請け合いだ。無論、そんな理由で失った訳では無いのだろうが。
 魔法陣の効果なのだろう。思考に余裕が生まれている。様々な情報。無数の魔物。悪魔城。ドラキュラ。謎の術者。得られた幾つもの事柄を整理するだけの落ち着きがネギにはあった。
 別荘の外の様子が気になっているが、ここまで来た以上、心配しても結果は変わらない。ならば信じるのみだ。魔法先生を、仲間を、皆を。早々やられるような人達ではない。学園祭の時も、見事に立ち回った者達ばかり。今自分に出来る事は、別荘から出た時に全力を出せるように力を蓄えておく事だけ。荒ぶりそうな気持ちを抑え、静かに座していた。
 だが――しこりのようなものがある。
 それは隣に居る存在。自身を同じように、魔法陣の中心で、ただ静かに目を閉じている存在が、ネギの脳裏に居座っている。
 アルカード。エヴァンジェリンと同じ吸血鬼。ドラキュラ伯爵の息子。

(……何だろう……悪い人じゃ無いんだろうけど……何か、不思議な感じがする……)

 感じる闇の力。夜の気配。間違いなく人在らざる者の気配をアルカードから感じる。
 けれど、隣で沈黙を護り座している姿からは鮮美透涼とした印象しか覚えない。それは魔物、魔族と言った単語からは遠く掛け離れたもの。かつて戦ったヘルマンと同質の力を感じながら、何故か同時に優しく澄んだ――例えるなら近衛木乃香のような、暖かな脈動を感じる。
 矛盾した力の在り方。不快でも不審でもなく、ただただ不思議な存在。
 それが、ネギが捉えたアルカードの印象だった。

「……どうしたネギ・スプリングフィールド。何か気に掛かる事でもあったのか?」
「え、うぇ!? な、何でも無いです! すいません、その、気に障りましたか?」
「いや……ただ、先程から俺の方に気が向いているのでな。何かあったかと思っただけだ」

 意識を向けていたのを悟られたネギは、可哀想なくらい慌てふためく。ネギからすれば、瞑想の最中にほんの少しアルカードの事を思考した程度の意識だ。まさか、そんな僅かな気配すら悟られるとは思ってもみなかった。
 凄い――驚く中、そんな感想が浮かぶ。魔力を回復させている状態でさえ、周囲に意識を張り巡らせている。攻撃的でも防衛的でもない。言うならば蜘蛛の糸のような。絡め取る意識。逃がさぬ意志。戦いに身を置く者が身につけた心の在り方。
 冷静なのだ。アルカードという男を一言で表すとそうなる。戦う時だけに関わらず、常に心を揺るがせない。澄んだ水面。
 その冷静さが――ネギには到底“信じられない”。

「あの……アルカードさんってドラキュラ伯爵の息子さん……なんですよね?」
「そうだ。吸血鬼の父と、人間の母の間に生まれた存在――お前達の仲間の桜咲刹那と同じでもある。ハーフという意味では、な」
「……お父さんを、憎んでるんですか?」
「……? どういう意味だ?」
「いえ、その……マスターが言ってました。アルカードさんはずっとドラキュラ伯爵と戦い続けているって……それにアルカードさんも、これは自分の宿命だって……だから、アルカードさんが戦い続ける理由って、もしかしたら……」

 もしかしたら――その疑問を考えた時、最初に浮かんだのは刹那の姿であった。妖怪と人間との間に生まれたということで思い悩んでいた彼女。いや、悩み自体は今も消えていない。自分の身体に流れる烏族の血を呪い苦しんでいる。自分が人間では無い事実を、ネギや明日菜、そして木乃香に伝えるのをどれだけ躊躇った事か。
 刹那は憎んでいた。自分の生まれを、自分の生い立ちを。だから、もしかしたらアルカードも刹那と同じように――、

「……確かに、はるか昔、俺が幼い頃この半端な身体を呪った事はある。人にも、魔族にもなれなかった。艱難辛苦があった」
「…………」
「だが、な――母は母だ。父は父だ。変わらぬよ。例え恨んでも、例え憎んでも――親は親だ。俺の家族であることに変わりは無い。そんなもの(生まれの不幸)は気になるなくなる。そんなものを呪う気持ちはとうに消え失せた……刹那もいずれ解るだろう。塞翁が馬、と。そういうものだ」

 語るアルカードの表情に陰りは無い。あるがままを見て受け入れて、千辛万苦を乗り越えた男の貌。ネギはその顔に見覚えがあった。父の友人にして自分の友人である高畑・T・タカミチの顔に似通っていた。

「なら……どうしてアルカードさんは、お父さんを倒そうとしてるんですか……?」
「……どうした? 俺が父と敵対するのはおかしいのか? 吸血鬼の息子らしからぬ行動だと?」
「い、いえ! そうじゃなくて……そうじゃなくて、ですね……解んないです。お父さんと、どうして戦えるのかって」

 ネギの疑問は単純だ。吸血鬼だから、人に仇なす、等、そんな話ではない。もっと単純な――何故、父親と戦えるのかという基本的な部分の疑念。父親に憧れ目指すネギだからこそ、アルカードの行動を完全に理解する事が出来ない。
 魔王とまで呼ばれるドラキュラは、確かに人の世に災いを齎す。協力などされて貰っては困るのは確か。人に敵対して貰いたい訳でも無い。
 しかし、だからといって――子供が自ら、父親を討とうする気持ちを理解する事が出来なかった。

「……それこそが宿命だ。父だからこそ、俺が戦わねばならん。子だからこそ、親を止めねばならんのだ」
「……親子だからこそ、ですか?」
「そうだ……お前は純粋なのだな。それでも在るがままを受け入れず、思い悩み考えて事態を観ようとしている……ドラキュラは世界中の魔法使いから“敵”と定められている存在だ。何も悩む必要など無いと言うのに」
「いえ、悩みます……少し前の話ですけど、この麻帆良学園で凄い騒ぎを起こしちゃった人が居たんです。全世界強制認識魔法って言って……」
「先程話していた時間跳躍の……超鈴音の事か」
「はい。超さんは僕ら魔法使いの事を世界にばらそうとして……僕は、その行いが正しいのか間違ってるのかずっと悩んで考えて……結局、僕は超さんを止めて計画を阻止しました……でも、僕は今でも自分が“正しい事”をしただなんて思ってません」
「……その答えは出ないだろう。善悪で計れる問題では無い筈だ」
「……はい。悪とか正義とか、それは考えなきゃいけない事だけど……囚われちゃいけない事なんだって、あの時思いました。だから考えちゃうんです。アルカードさんのやっている事が、お父さんと戦う事が“どういう事”なのかって」
「…………」

 アルカードは、改めてネギを見る。まだ幼い少年。発展途上の子供。されど、彼はもう“世界”を知っている。善悪や美醜だけで計れるほど世界は優しくない。複雑で、その実は解けない迷路と同義。その在り方を、僅か齢十歳で思い知っている。真剣に悩んだのだろう。真剣に苦しんだのだろう。だからこそ、この若さで――至った。

「成程な……あのエヴァンジェリンが弟子を取るだけの事はある」
「え?」
「気にするな。エヴァンジェリンの目利きが正しかったと解っただけだ……だが、そうだな。お前の悩みが解消されるかは解らぬが、話そうか? 俺の事を――我が父が魔王と呼ばれる事になったその経緯を。俺が父を討つと決心した経緯を」

 アルカードはネギと向かい合って――懐かしき人物を幻視する。
 かつて共に戦った人間を。その清濁を知った強き眼に、ラルフ・C・ベルモンドの姿を。
 だからこそ語る――己の生きてきた道筋を。その宿命を。





 

 
 ……吸血鬼ドラキュラ伯爵。
 その名が世に広まったのは中世は十五世紀中頃だが、“彼”はそれ以前より存在していた。
 所謂、ワラキア公ヴラド・ツェペシュとしてトランシルヴァニア地方のシギショアラにて生まれたとさせる。
 が、その出生は様々な疑惑を生んでいる。何故ならばヴラドが生まれたのは1431年との記録されているが、“彼”の目撃情報はそれよりも遥か昔から存在しているのだから。
 遡れば、それは1094年にまで戻る。当時の騎士団に異彩を放つ一人の戦術家が居た。それこそマティアス・クロンクビスト。ドラキュラになる以前の、真祖となる前の、ただの人間だった“彼”の名だと言われている。
 ただ、この記録に確かな証拠は無い。それでもこの説が有力とされるには理由があり、マティアス・クロンクビストの親友と記されている男の名がその信憑性を高めたからだ。
 その親友の名こそレオン・ベルモンド――初代ヴァンパイアハンターと呼ばれる、ベルモンド家の祖先である。
 ベルモンド家の歴史を辿れば、まさに1094年の最中、謎の怪物達がレオンの領土に現れたとされる。
 これがヴァンパイアの、ドラキュラの仕業なのかどうかまでは解らない。だが残された手記によれば、この時に起こった怪物達との戦いで、レオンは恋人と親友を永遠に喪ったとされる。また、この時に使用された鞭こそかの聖鞭ヴァンパイアキラーとも言われている。つまり、この時代からベルモンド家のヴァンパイアハンターとしての歴史が始まっており、とすればベルモンド家を宿敵と称しているドラキュラとの因縁はこの時代から始まったと考えるのが妥当だ。
 そして恋人も親友も、死んだとは一言も記されていない。ただ喪ったと。それが何を意味するのか――。
 無論、真実は最早知りようもない。ただ解るのは、1094年に、ドラキュラと戦う為の一族が生まれたという事実のみである。

 ……かくして時は流れ、ヴァンパイアとベルモンド家の戦いは続く。
 1094年からしばらく、およそ四百年程の戦いがあったと言われているが、何故か歴史に記されていない。ベルモンド家の闘争の歴史にも詳細は載っていないのだ。これは、まだ“彼”が無名のヴァンパイアであった為と言われている。“彼”がドラキュラとなるのは、ドラキュラとして名が広がるのは十五世紀。魔女狩りが隆盛していた時代。あらゆる病や災害が、悪魔の仕業だと謳われていた。その時代に、ドラキュラの名が広がる。
 ……だが、隠れた事実を知るものは居ない。ドラキュラの名が広まる十数年前。ほんの十数年間の間だけだが――“彼”は、一切の吸血行為も行わず、ただ城で穏やかに暮らしていた事を――。








「――私は丁度その頃、伯爵に保護されて居た。まだ力も上手く扱えなかった私を――伯爵は助けてくれたんだ」

 秘蔵された数々の魔法具を手に取りながら、ぽつりぽつりとエヴァンジェリンは語る。
 周囲には明日菜、木乃香、楓、刹那、カモミールの五名。其々が、来るべき戦いの為に様々な道具を物色していた最中――ふとエヴァンジェリンが語りだした昔話。明日菜達も聞きたいと思っていたドラキュラ伯爵の話……にわかに信じられぬ話だが、元々話すつもりだったのだろう。誰に尋ねられるまでもなく、静かに語り始めたのだから。
 その口調は何処か――思い出に浸る、幼子のように見えた。 

「あの頃は吸血鬼らしい弱点も丸々残っていたからな。伯爵の誘いは値千金の言葉だったよ。魔女狩りも横行していたし……さて、あの時手を差し伸べて貰わねば、果たして私は生きていられたのかな」
「……意外、というべきなのでしょうか? ようするに世間の風評は出鱈目だったと?」
「いや。それは違うぞ刹那。仮にもベルモンド家と戦い続けた吸血鬼。襲った人間、奪った命は数知れず。あの頃は魔王とまでは呼ばれていなかったが……人間に対しての脅威であったことは間違いない。たまたまその“十数年”が伯爵にとって、平穏と幸福に満ちていたからに過ぎん」

 かつての――もう遠い昔。記憶の底に埋もれ、鮮明に思い出せない彼方を見つめてエヴァンジェリンは答える。
 儚げに笑うその視線の先に、何を見ているのか。

「私が伯爵の城に滞在していた期間なんて僅か一年程だ。それでも思い出せる。あの城で何を為したか、どんな時を過ごしたか、そこまでは思い出せないが――それでも向かい入れてくれたあの時の事なら、今でも思い出せる。伯爵と、アルカードと……リサに出会った時の事なら、今でも――」







 ――“彼”には当時、家族が居た。
 それは信じ難い事。闇に生きる者が、夜の一族が、人と交わり子を成した。それも愛し合って。互いが互いを認め合って。
 妻の名はリサと言った。当時の教会所属の神聖騎士の一人。蒼き光を放つ至高の魔力剣と、如何なる攻撃をも防ぐ聖なる赤き盾を持った女騎士。魔族や魔物、そして異教徒に異端者が蔓延っていた時代。騎士であるリサは数多の怪物達と戦い、その果てで――“彼”と出会った。
 最初に、敵意を無くしたのは意外にも“彼”――ヴァンパイアの方であったと謂われる。理由は定かではない。リサの美しい容姿に惹かれたのか、勝ち目が無いと判断したのか。当時の情報には憶測が混じり、真実を掴む事が出来ない。
 事実だけを述べるなら、一人のヴァンパイアは愛を囁き、その囁きにリサが応じた。それだけの話だ。
 ……魅了の魔術を使った。騎士リサは悪魔に魂を売り渡した。様々な推測が流れる。二人の間に何が起こり、何が為されたのか。
 知る者は、もう誰も居ない。

 やがて、子が生まれる。ヴァンパイアの魔力と、女騎士リサの美しさを受け継いだ男児。
 その子供の存在は、当時から確認されていた。人とは思えぬ力と美貌を兼ね備えた人外の者として。
 ……その子供がどのような幼少期を過ごしたのか。その記録は無い。きっと“過ごしていない”のだろうと思われる。
 人でもない。魔族でもない。どちらにも染まれない子供がどのような半生を送ったのか――誰も知り得ないだろう。
 ……そうして数年。男児が成長してしばらく経ったある日の事。吸血鬼の城に、一人の少女が訪れる。
 それこそエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。やがて闇の福音。人形遣いの名で呼ばれる不死の魔法使いの幼少時だと言われている。







「エヴァンジェリンは――俺と同じだった。自分の境遇を嘆いていた。自分の血を呪っていた。まるで鏡でも見ているような気分でな。その姿に嫌悪と共感と親愛と……様々な想いを抱いたものだ。エヴァンジェリンは俺の友であり敵であり妹であり姉だった」

 知らぬ間に秘術によって吸血鬼に成ってしまった少女。生まれたその時から意志とは関わり無く吸血鬼だった少年。成り立ちは違えど、内に秘めていた不満や絶望は同質の物。人でもなく魔でもなく。どちらの世にも生きられない半端者の生。望む望まぬに関わらず、そんな道しか用意されていないその身体(人生)。
 同属嫌悪。判官贔屓。同病相憐れんで――抱く想いを一言では表せない。アルカード自身、エヴァンジェリンに抱いている己の感情を言語化する事が叶わないのだから。

「ただ……そう悪いものでは無かった。エヴァンジェリンは“同等”だったからな。俺は初めて自分を表に出せていたのだと思う。父上が居て、母上が居て、エヴァンジェリンが居て……満たされていた。あの日々は。苦しくもあり嬉しくもあった。思い返せばよく解る。あの一年程の日々は俺にとって最良の日だった」

 詠うような口調に、どれだけの喜びが込められているのか。今まで無表情を貫いていたアルカードの顔に僅か、ほんの僅かな、陽炎のようにささやかなものにすぎないが――優しい微笑が浮かんでいた。
 一瞬浮かんだ微笑の先で、吸血鬼の青年が何を視ているのか――ネギには計り知る事が出来なかった。
 それだけ、重く深く、優しくも哀しい眼差し。

「……だが、そう長く続いた日々では無かった。いかに俺達が穏やかに過ごそうと、例えあの時の父上に人を襲う気が無かったのだとしても――吸血鬼という事実が、人々の恐れが、重ねてきた父の罪が無くなった訳ではない」

 終わりは突然に。緑に包まれた白亜の城。トランシルバニアに構えたその一城に不穏な空気が流れ始める。
 否、城から発せられた不吉ではない。外から齎された時代の過ちが侵食してきただけに過ぎない。
 いかに真祖の吸血鬼といえど、形無きものに対抗する術は無い。かくして終わりの日が始まる――。







 ――魔女。そんな噂が立った。
 事の起こりは、水に恵まれなかった欧州という土地そのものあると言っていいだろう。香水の発祥地であり、香料が大きく発展した欧州。何故生まれ、何故発展していったかといえば、単純な話、発展せざるを得なかったからだ。
 香水は香りをつけるもの。匂いを変えるもの。つまり――臭かった、それに尽きる。
 水が貴重である以上、気軽に風呂になど入れる訳が無い。衣服も身体も洗える機会が少なかった。となれば、当然匂うようになり悪臭が鼻を突く。その匂いを消す為に香水が生まれたのだ。
 ……だが、いかに匂いを清めた所で、それは外見だけの話だ。“内”までは清められなかった。
 身体が洗えないということは、それだけ不衛生、不潔になるということ。不幸な事に、この時代はまだ医学が発展途上。菌に関しての知識が皆無だった。故に排泄物を窓から投げ捨てても気にも止めない。まさか不潔で居る事が病気に繋がる等と考えてもみなかった。
 そして、ある病が猛威を振るう。所謂、黒死病――ペストの大流行である。
 菌の存在を知りえていない当時の人間に、この病の原因を知る事はできない。次々に感染して死んでいくもの。救う手立ては無く、救おうと手を差し伸べたものにまで病が移る悲劇。隔離してもまだ足りず。殺してもまだ足りず。
 人は原因があるのだと信じた。信じなければ生きていけなかった。その原因さえ“殺して”しまえば黒死病は消えるに違いないと。
 きっと、悪魔の仕業だ。きっと、魔術を操る魔女の仕業だ。きっと、きっと――。

 それこそが――魔女狩り、魔女裁判の謂われである。

 多くの者が罪を問われた。男も女も関係無しに。鞭責め、水責め、棒刑は当然の事、拷問の域を超えたただの処刑法に過ぎない行いが行われたとされる。まばらに針を生やした拷問椅子。徐々に締め付け骨を砕く頭蓋骨粉砕器。急所以外のあらゆる箇所に針が刺さるよう設計された棺、鉄の処女。
 魔女と認めなければあらゆる責苦の果てに死に、認めたのならば無惨な処刑の果てに死ぬ。
 魔女裁判に一度掛けられれば、魔女であろうがなかろうがどちらにしても死ぬのだ。今考えれば馬鹿げた儀式。されど当時では有り得た常識。人々は皆、疑いを掛けられる事を恐れ、皆一同に身代わりの羊を探す。
 アルカードが居たトランシルバニアでも同じ事が起こった。だが、他と違う点がひとつある。魔女狩りによる犠牲者が少なかったという事だ。
 ……そう、少なかっただけで魔女狩り事態が無かった訳ではない。むしろどの地域より活発で辛辣だった。
 トランシルバニアには居たからだ。正真正銘の悪魔と、その悪魔と子供を成した元女騎士が。
 皆が口を揃えて叫んだ。騎士リサは――――魔女だと。








「……元々、私もアルカードも外に出る事は少なかったがな。それでもあの時、外に出た記憶は無い。いつも城の奥に潜んで隠れていたよ。まだ力も弱く、魔法も満足に扱えず、流水も日光も克服し切れていない未熟な吸血鬼。そんな私があの時分、外に出ていたら……間違いなく殺されていた。肉片も残らぬくらい無惨に、な」

 エヴァンジェリンの語る口調は淡々としていた。その目は明日菜も木乃香も刹那も楓もカモミールも――誰も見ていない。見ているものは過去。過ぎ去った日、記憶の奥底にある人の狂気を見つめていた。
 魔女狩り。それは代償行為に過ぎない。人を責めたところで病は消えず、災害は消えず、災厄は消えず、悲劇は消えず。
 無意味な行いなのだと人が気付くのは一世紀以上の時が経た後の事。
 そんな人の過ちをエヴァンジェリンは思い返していた。悲哀と憎悪と後悔と……あらゆる負の感情を瞳に携えて。

「当時の教会、騎士団も激しく活動していたよ。悪魔を探して魔女を探して……解りやすい“悪”を探してな。奴等は心底考えていなかったんだろうな。自分達の行いが、どうしようもないくらいの“悪行”だと言う事を」

 悪いのは病を発生させる悪魔だ。悪いのは災厄を引き寄せる魔女だ。自分達は悪くない――例え、罪無き者を殺害してしまったとしても、それは悪を討つ為には仕方の無い、必要な犠牲にすぎない。魔女狩り、魔女裁判の果てに無罪の人間を殺しても、本当の魔女を殺すための尊い犠牲に過ぎないのだと――何の疑いも無く。
 人間(狂気)の手は伸びる。悪魔を討つ為。人の世を救う為。正義(妄信)という名の免罪符を掲げて。

「……手は、城にまで伸びた。そして伯爵は戦った。護る為にな。あの頃の伯爵には人に仇なす気持ちなんて、欠片も無かったが……それでも降り掛かる火の粉を無視する訳にはいかなかったんだろう。私やアルカード、そしてリサを護る為に教会騎士団と小競り合いに出る日が何日もあった……そして……」

 そして……その間を縫うように、人が押し寄せる。最早、暴徒の群れ。突き動かせられたように、人々は悪魔の家族を糾弾する。
 殺せ殺せ、悪魔を殺せ。殺せ殺せ、魔女を殺せ。
 日々繰り返す飢狼のような人間の凶行。力の弱きエヴァンジェリンとアルカードは、ただそんな人の行いに恐怖して城の片隅に隠れ潜む。
 出てはいけない、貴方達は此処に――リサの言葉に従うまま、強靭な結界に護られた地下室に隠れる。
 此処ならば大丈夫。ただの人間にこの結界を破る術は無い。リサが騎士時代に培った、全ての術理を駆使した絶対防御の方陣。
 安心感に息を吐く。殺される心配は無くなったと、心に余裕が生まれてようやく、


 ……ようやく、リサが何処にも居ない事に、気が付いた。








 ……それは、一人の女性の悲壮な決意。
 彼女は誰も憎んでいなかった。誰も恨んでいなかった。ただ、全てを愛していた。
 誰も彼もが“悪”を探して狂う中、彼女はただ一人、誰も彼をも救う為“悪”になった。
 ……捧げられた供物の結末を、あえて語る事は無いだろう。終わりは一つ。一人の女性が“悪”のまま死んだ記録しか無いのだから。
 だから、その最後は語るべきではない。知る者だけが留めて置くだけの歴史だ。
 今尚、刻んでいる者は僅か三名。誰よりも、その女性を愛した者達だけが、彼女の哀しい決断を胸に留めている――。








 ――雨が降っていた。身を貫くような、槍のような雫。
 街外れの、まるで廃棄場のような汚れた土地に、幾つもの死体が打ち棄てられている。全て、魔女狩りの犠牲になった者の骸。もう原型も留めていない。頭が砕かれた死体。穴だらけにされた死体。身体を裂かれた死体。腐敗して悪臭を発する死体。死体死体死体の山。残骸の山脈。此の世の終わりが、其処にはあった。
 その一角に、新しい死体が一つ。身体中を槍で貫かれ、その全身を炎で焼かれた、無惨な屍。
 もう、面影すら残っていないというのに――どうして、それが愛しい家族の成れの果てだと解ってしまうのか。

「――これが、人か」

 あげる少女の声は、まるで地獄の業火のよう。握り締めた拳は血を垂らし、それでも際限無く軋みを上げる。
 肉を貫き、骨をも砕く勢いで拳を握っても――激情は止まらない。
 殺したかった。“彼女”を殺した人間達を、一人残らず、一片の肉片も臓物も血液も何もかも残らず引き裂いてやりたかった。
 “彼女”が護ろうとした人間。“彼女”が愛した人間。己の身を捧げて救おうとした人間。
 その人間のした仕打ちがこの惨状だ。こんなにも醜い、吐瀉物よりも尚醜悪な人の行い。こんなものを為す生物の為に彼女は命を捧げたのだ。
 これの何処に護る価値がある。これの何処に信じる意味がある。根絶やしにしてしまおう。“彼女”が味わった苦痛と血を同じように、いや、何倍もの地獄を見せ付けてくれよう。
 怒りに震える少女の隣では、少年が膝を着いて泣いている。今の今まで一度だって涙を見せなかった少年が、天を貫く勢いで慟哭している。降りしきる雨も意に介さず。少年の流す涙こそ、この雨の正体なのだど考えてしまうくらいに。
 ……そう、少年も少女も、雨の中に居た。吸血鬼の弱点のひとつに流水がある。本来、吸血鬼である二人はこの豪雨の中に居られる筈の無い身。数分と持たず塵に帰る、そんな存在。
 けれど二人は此処に居る。もう、雨など二人にとって何の脅威にもならない。何の痛みにもならない。胸を穿つ、この絶望に比べれば“こんなもの”痛みの内にすら入らない。
 時として、激しい感情は肉体をも凌駕する。この時、少年と少女は克服したのだ。弱点である流水を。そして恐らくは日光さえも。もう、日の光“如き”で二人は痛みを覚えはしないだろう。それよりも何よりも苦しい痛みを知ってしまったから。
 ハイ・デイライトウォーカーの誕生である。克服しせし高位なる吸血種。
 だが、そんな事すら些事にすぎない。ただ、憎悪が怨念が殺意が宿る。今得たこの力の全てを使って復讐を――

「何をするつもりだ……やめろキティ」
「やめろ、だと……貴様、何も感じないのか? 何も思わないのか? リサをこんな目に合わせた人間共を憎いとは思わないのか!?」
「そんな訳があるかぁ!! ……だが……だが! 母は! ……母は、人間への復讐を望んでいなかった……」
「それで……それで済ませるつもりか!? ふざけるな!! 私は許さんぞ人間を!! 殺してやる、一人残らず殺して――」
「母の遺言を無視するつもりかキティ!!」
 
『――私からの最後の言葉を心に留めて生き続けて――』

 ……憎しみが止まる。決して消えた訳ではない。だが、止まる。
 人を殺せる筈が無かった。殺したくとも、この身を魂を闇に落としたくとも。女性の残した最後の言葉が、その全てを押し止める。
 無視など出来ない。全てを振り切って、それでも尚貫いた彼女の無償の愛。それだけは護らなければいけなかった。
 そうでなくては――何の為にリサは命を賭したのか。

「…………」
「…………」

 少年と少女は、ただ無言のまま雨に打たれる。想った事、芽生えた事、それらに違いは無い。同じようにリサを愛した者同士、最後の言葉を無視する気は無い。
 だが――選んだ道、それだけはこの時はっきりと別たれた。
 少年は遺言を護ると決め、少女は遺言を無視しないと決めた。似ているようで明らかに違う二人の動き。少年は全てを受け止めて、少女は全てを受け止めきれなかった……言葉にすればそれだけの話だ。少女は人間をどうしても――憎まずにはいれなかったのだ。
 遺言を聞いた二人が、必死の思いでたどり着いたその結論。遺言通り、人に手を下さないと、血を吐く思いで選んだ道。
 聞いた二人ですらそうなのだ。ならば、

 ――ならば、遺言を聞けなかった者は、リサをこの世で最も愛し護ろうとした男は、一体何を選択するのか――

 ……遠くで、咆哮が聴こえる。天を、地を、世界全てを敵に回してもまだ足りぬと、一人の男が吼えていた。
 煉獄のように。冥府のように。暗き深き漆黒の闇と炎を、その身に宿して。
 世界を壊すような、莫大な魔力を感じる。大地が啼いている。空が震えている。“化け物”に為ってしまった男が怒りと悲しみに震えている。
 少年と少女は、何が起こったのかを察知していた。同時に、人間達が、穏やかに過ごしていた一人の男を悪神にまで変えてしまったことを。

 ――――中世は十五世紀。この日、魔王ドラキュラが誕生した――――。










「――それが、ドラキュラが生まれた経緯だ。その後の話は魔法使い達の歴史書にも載っている。ヴァンパイアハンター、ラルフ・C・ベルモンドの手によってドラキュラは倒され……って、何だお前らその顔は?」

 エヴァンジェリンが話を終えたとき、周りを見れば――様子は一変していた。
 楓は若干気まずそうに顔を伏せて、明日菜と刹那は瞳に涙を携えて、そして木乃香は――感情を隠さない幼子のように泣いていた。

「だっで、エヴァぢゃんも゛アルガードばんも゛がわいぞうなんや゛も゛ん……!」

 わんわん泣きじゃくる木乃香に当てられて堰が切れたのか、押し黙っていた他の者も途端に沈痛な顔になる。まるで通夜か葬式のようだ。居心地の悪さをエヴァンジェリンは抱く。同時に己の不手際を。
 ああそうだ――“こいつ等はこういう奴等だったな”――と。

「……ああ、もう泣き止め全く。別に不幸自慢をしたい訳でも歓心を買いたい訳でも無いのだから……ったく、話すんじゃなかったな本当に」
「……今の話、本当の事なら魔法界の歴史が一つひっくり返るぜ。何だってその事実が今まで表に出てこなかったんだ?」
「……単純な話だよオコジョ妖精。誰も信じないからさ。何百年前もの話。もう証拠も無い……そして事実を知る者は、生き証人は、私とアルカードとドラキュラの三人しか残っていない。吸血鬼の言い分など、実は元凶は“人間”にありましたなんて言い分など、誰も信じはしないよ」

 まあ中には信じる御人好しも居るがな、と補足してエヴァンジェリンは快活に笑う。名も知らぬ素性も知らぬ有象無象にどんな疑いを掛けられても構わないと、闇の福音はその身で語っていた。人に仇なす吸血鬼の虚言だと、言いたければ好きに言えば良いと。
 だが逆を言えば――有象無象“以外”には信じてもらいたくて――こんな話をしたのかも知れない。その胸中を計り知る事は出来ないが。

「それにアルカードは普段は有角幻也の偽名を使って素性を隠しているし、私は私で六百万ドルの賞金をかけられた有名極悪人だ。ドラキュラ誕生の云々が話に上がる事自体有り得ない。終わった事だ。大体、真実が明らかになったところでドラキュラの罪は消えないし、リサが生き返る訳でもない……今更なんだよ、もう」
「……でも、納得いかないよ。エヴァちゃんもアルカードさんも、その、ドラキュラさんだって本当に悪い訳じゃ……」
「悪いさ。勘違いするな神楽坂明日菜。悪くないのはアルカードただ一人だ。真実リサの遺言を護ったのはアイツ一人だけなんだからな」
「え……? で、でもエヴァちゃんだって」
「だから今も言っただろう? 私は六百万ドルの賞金をかけられた有名極悪人だと。ドラキュラのように率先して人を殺した訳ではないが、アルカードのように人を護る為に戦った訳でもない……ああ、そう考えれば私が一番悪党か。随分、中途半端な生を送ってきたものだ」
「ちょ!? エヴァちゃん、そんなこと――!?」

 自虐的に歪な笑みを浮かべるエヴァンジェリンに、何か不吉なものを感じたのか、明日菜が声を荒げる。否定したくて、悪くないと伝えたくて……けれど言葉が続く事は無かった。
 明日菜が何かを言いかける前に――部屋に、アルカードとネギが入ってきた。
 反射的に全員が視線を向ける。その中でエヴァンジェリンは二人の姿を捉えて、

「……おいアルカード。ぼーやのその状態は一体何だ?」
「……此方の台詞だエヴァンジェリン。何故、ここに居る者は皆沈痛な表情を浮かべている?」

 エヴァンジェリンが呆れるような視線を向ける先には、木乃香のように涙を決壊させたネギの姿が。アルカードの冷静な視線の先では、葬列者のような雰囲気の者たちが。二人の吸血鬼は、互いに何が何やら解らぬ顔で立ち尽くす。だがすぐに、原因を思いついた。
 同じなのだ。空気が。ネギの浮かべる泣き顔も、木乃香の浮かべる泣き顔も。
 同じ物を見て聞いて――生まれた、やりきれない悲愁。

「……あれか。話したのかアルカード」
「……ああ。どうやらお前も話したようだなエヴァンジェリン」
「…………」
「…………」
「……とりあえずあれだ。飯にでもするか。その様子だと魔力は回復したのだろう? どうせ今日一日この別荘から出られんのだから一休みといこう」
「……了解した」

 溜息一つ。戦いを目前に控えたこの状況で、発生したのは哀感に満ちた空気だけ。
 どうしたものかと、思わず空を仰ぐ。無論、見えるのは無機質な石造りの天井だけ。何かが変わる訳でもない。
 そうして、ふとアルカードは気配に気付く。柔らかい絹のような繊細な気配。視線を戻せば、涙を流す木乃香が 

「……どうした?」
「アルカードはん……な、何か食べたい物とかあるん……?」
「……何?」
「う、うち、何にも出来へんし、何も言えへんけど……ほ、ほら! 今からご飯にするんやろ? ほんならうち何でも美味しい物作るえ?」
「……そんな事はどうでもいい」

 心底どうでも良さそうに、アルカードは木乃香に返答した。今向けられている木乃香の感情が、同情や憐憫に近いものだと言う事は、アルカードにはすぐ察せられた。心が疲労する。そんなものを求めた訳でも、欲しい訳でもない。過去の話を聞いて何を想おうが本人の自由だが、その感情を押し付けて欲しくは無いと感じていた。
 長年続いた戦いの歴史。人が抱く一時の心の起伏に、今更アルカードは流されたりはしない。
 だが――だと言うのに――



「どうでもよくなんてない! ウチ、とっておきの、すっごい料理作ってあげるえ!」
『見てなさいよ! とっておきの、すっごい料理を作ってあげるから!』



 濡れた瞳で言い放つ木乃香の姿に、二百年前の、懐かしい女性を垣間見る。
 何故、そんな幻を見たのか。姿形も年齢も、共通点などむしろ少ないというのに。
 ただ、気付いた事がある。木乃香の感情の大半が同情なのだとしても――それは決して、不快なモノでは無いのだと。



「……アルカードはん? どうしたん?」
「……いや、なんでもない。それより、お前の言うとっておきの料理とは何だ?」
「……! 今日は凄いんやで! うち、此処に来る時買い物帰りでな! すき焼きの材料一杯買ってきてあるんや! 美味しいすき焼き一杯作れるでー!!」

 喜色満面。先程までの涙は何処へ消えたのか。アルカードが応じた途端、木乃香の態度は喜びと嬉しさに満ち溢れていた。
 同情だけではない。憐れんだだけの者は、このように笑えない。相手を想い悲しんで、相手を想い喜んだ。単なる感傷ではそんな心の働きは起こらない。近衛木乃香はただただ純粋に――他人を労われる優しい女の子。
 妙に張り切った様子で木乃香は部屋を飛び出していく。別荘に来た時に食材を、別荘内の厨房に仕舞っておいたのだろう。勝手知たる他人の家。その様子を呆と、アルカードは眺めていた。
 隣でエヴァンジェリンが苦笑する。

「やれやれ。泣き喚いたと思えば、すぐはしゃぎよって。本当に詠春の子供なんだかなあいつは。あの感性を見る限り、どうも疑いたくなる」
「サムライマスター、近衛詠春の娘か……ネギ・スプリングフィールドと言い、お前の周りに居る者達は魔法世界の重要人物ばかりだな」
「好きで集めた訳じゃないさ。勝手に集まって勝手に騒いでるんだよ。全く、あいつらのお陰で、最近の私の調子は狂いっぱなしだ」
「…………此処がそうなのか?」
「あん? 何がだ?」
「此処がお前の――“光”か?」
「…………どうだろうな。ま、あいつ等は皆揃いも揃って馬鹿ばかりだが、愚かな奴は一人も居ない。それなりに楽しくやっているのは確かだよ」
「……そうか」

 囁くような二人の会話に在るのは、そよ風のような穏やかさだけ。
 闇に生き、夜に生き、迫害され疎まれて――辿り着いたその果ては、騒がしくも暖かい光に満ちた宿り場。
 料理を作りにいった木乃香を追いかけて刹那が駆けていく。その様子を笑いながら、明日菜に楓にネギが跡を追う。
 暖かな光景だと、二人の吸血鬼は思う。戦いを間近に控えていても、湧き出る感情に違いは無い。
 地上で瞬く星々の煌き。その尊さを知る二人は、ただただ黙って見守っていた――。










 ――魔物が出現を止めてから五十分以上が経過。慌しかった魔法使い達も、それだけの時間を得れば落ち着きと態勢を整えて、磐石の準備を備えている。学園結界の強化、防衛班の位置取りに班分け、そして犯人の捜索。麻帆良全域に渡る悪魔城の召喚。その規模から考えて、麻帆良内に術者が居る事はほぼ確定的。魔物の召喚が消えた今、探知魔法を駆使すればすぐに発見できると考えていた明石だが。

(……どういう事だ? 居ない。何処にも居ない。残滓すら見つからない……そんな馬鹿な)

 姿が無い。気配が無い。魔力が無い。何も何も見つからない。
 有り得ない事だった。これだけの召喚魔法を行使して、痕跡すら見つけられないのは到底信じられぬ。ただでさ麻帆良には常時学園全土を護る結界が張られている。その結界を掻い潜り召喚を実現しただけでも奇跡の領分なのに――術者の姿さえ発見できないのは、最早有り得ない出来事。到底容認出来ない事態だった。
 これは隠行や気殺などでは語れない領域。“初めから居なかった”としか思えない。
 混乱する。此処に居なければ此処で召喚を行えない。けれど居たのなら痕跡の欠片くらい見つからなくてはおかしい。
 矛盾が思考を惑わせて、明石の胸中を掻き乱す。そんな様子を見て、何を感じたのか――長谷川千雨が声を掛ける。

「しっかりしてくれよ明石教授。アンタ此処の責任者なんだろ? 構えてないと駄目だぜ。そういう不安げな顔作っちゃ駄目だ」
「――ああ、済まない長谷川君。……どうだい? 此処の設備に関して解らない事はあったかい?」
「大体解ったよ。後は実際にやりながら覚えるさ」

 明石が視線を向ける先では、千雨が椅子に腰掛けながら分厚い冊子を目に通している。
 この学園結界の制御に関する仕様書の全て。学園結界を保護維持する為に、学園長権限により千雨は麻帆良の機密の殆どに目を通している真っ最中だった。明石に対して敬語を使わず話したのもその為。千雨自身、敬語を使わず“素”のまま会話している自覚は無いだろう。それだけ目の前の資料に没頭していた。来たるべく戦いの為に。

(長谷川千雨……学園祭時、己のアーティファクトのみで高度超次元の電脳戦を渡り抜いた逸材……)

 明石の心中には、千雨の不躾な物言いに対する不満などない。あるのは秘めたる潜在能力と、一時間足らずで麻帆良の全システムの大半を覚えきってしまった順応性に対する畏怖のみ。力の大小は問題ではない。目前にした脅威を目の当たりにして、どれだけ理知的に行動できるのか――人の性質の優劣は、そこに集約される。
 それを考えれば、長谷川千雨の能力は群を抜いている。仮契約したその日の内に、麻帆良に集う魔法使い達以上に電脳戦を繰り広げ、遂には魔法陣の一つを守り抜いた。幾重にも張られた多重防御プログラムを抜くような相手を取ってでだ。
 力の王笏とはよく言ったもの。彼女は確かに、電子の王の名に相応しい。

「夏目君。学園結界の状態は?」
「オールグリーン。万全の状態を取り戻しています。“外”からの干渉は、必ず防げます」
「また魔物の召喚が発生した場合は?」
「……何とも言えません。未だに、あの魔物召喚の全貌は明らかになっていません。全てunknownを示しています」
「最先端の魔法検索を用いても詳細不明か……」

 舌打ちしそうになる自身を収めて、明石は思考に耽る。有り得ないにも程がある。悪魔城の召喚から、召喚術者の居場所も掴めない現状にかけて、目を疑う事態が多すぎる。
 ただ、そんな光景も他人から見れば滑稽なのだろうか。千雨は冊子から目を離さぬまま言葉を告げる。

「詳細不明でも何でも、やる事は一つだろ。私達は“現実”を護る。それを為せばそれでいい」
「……そうは言うがね長谷川君。我々としては、現状を――」
「それは“貴方達”の考える事。申し訳ありませんが“私”は“私”の現実を護る為に戦うだけだ。学園祭の時と何も変わらない。ネギ先生と仮契約を交わしておかしな力を手にしたけど――“私”の考えは変わってない」

 にべもない。魔法世界の煩悶など知ったことかと一掃する千雨。
 魔法使い達の苦悶を無視するような言動に、周囲の魔法使い達は反論しようと憤るが――幸か不幸か、それは実現しなかった。
 観測機に再び反応が。また出現したのである。無数の魔物達が。
 時間は――大まかに、ネギ達が別荘に入ってから一時間後。情報通りなら、今しがた別荘から出てきているその最中に、魔物は再び牙を剥き始めた。

「――魔法とか気とか魔物とか魔族とか。そんなこと私は知りませんよ。でも、此処は私が生きている場所だ。勝手な真似はさせない」

 事態が動き出したのを見て、冊子を置き、千雨はカードを取り出す。
 仮契約カード。類稀なる力。魔法という幻想の力を用いて、電脳という科学に干渉する類を見ないアーティファクト。

「広漠の無(ニヒル・ヌールム)それは零(ゼフィルム)大いなる霊(スピリトゥス・マグヌス)それは壱(ウーヌム)電子の霊よ(スピリトゥス・エレクトロニキー)水面を漂え(フェラントゥル・スペル・アクアース)「我こそは電子の王」(エゴ・エレクトリゥム・レーグノー)!」

 接続。対象ディレクトリを麻帆良学園に指定して接続。参照し表示する。指を走らせる。現実にそうするように、意識の上でのタイピング。鍵盤を叩き、積層を突き進んでいく。展開されるものは学園全土に広がる防御プログラム。何処もかしこも攻撃を受けて、放置しておけば破られる事は必定だった。
 故に――護る。先に進ませたりはしない。雨のように降り注ぐウイルスの群れは敵だ。打ち倒し駆逐しなければ“現実”は護れない。
 魔法なんて知らない。ファンタジーなんてもっての外。魔法使いの生業なんて預かり知らぬ事なれど――牙を剥くなら自分の敵だ。千雨は自身の居場所を護る為に、電脳空間において、空前絶後なる戦いを開始した――。



 ネギ達がエヴァンジェリンの別荘に入ってから一時間が経過して、彼等は外へ出陣出撃する。
 そして、再び、息を合わせたように“同時”に発生する数多の怪物達。
 事態は動き出し、急速に進んでいく。
 事の真相を――――誰も把握出来ぬまま――――。







 



 

 あとがき

 L(ロウ・秩序と規律)ルート=アルカード。
 N(ニュートラル・調和と客観性)ルート=エヴァンジェリン。
 C(カオス・自由と理想)ルート=ドラキュラ。
 そんな感じの話。抱いた想いは同じなれど、選んだ道は違いますよー、みたいな。
 ちなみに、すき焼き食べるネギ達の風景とかも書きましたが、あまりにギャグパート過ぎたのでお蔵入り。
 一番肉食ったのはアルカードだった、とだけ言っておきます(何)



[21103] 第六話
Name: 哀歌◆2870d1eb E-MAIL ID:34b945bc
Date: 2010/08/18 21:51

 轟、と水の織り成す瀑布の音が響く。
 世界樹の地下の、とある一角。白を基調とした格調の高い建物を中心として、周囲には滝が巡らされている。
 美景の名に相応しい其処は――今、妙な静けさを保っていた。誰も彼もを拒否するような、冷たい空気。立ち入る事を躊躇ってしまう正体不明の圧迫感。
 それは魔法。この地下に滞在している、アルビレオ・イマによる絶対防御の結界だった。

「……さて、どうしたものでしょうか。何時までも保つ訳ではありませんし、かと言って今の私では……」

 自分以外の誰も居ない住処で、アルビレオは一人思考する。
 彼は地下深くに潜みつつも、今麻帆良学園で起こっている事態を少なからず把握していた。
 発生している魔物の種類、強度、性質から推測して――これが悪魔城の召喚だと。
 誰が、何故、どうやって行っているのかまでは至っていないが、本質だけは見抜く。故に、いち早く結界を張って護りを固めて、使役している竜種に門を守らせ、魔物の侵入を防いでいた。その甲斐はあって、アルビレオの棲家は未だ健在。一匹の侵入も許さぬ強固の要塞になっていた。
 だが――それが裏目になる。強靭すぎて、念話も届かず、此方からも手は出せない。
 否、元より、アルビレオ・イマの魔力は著しく消耗している状態だ。世界樹の魔力が満ちる学園祭時ですら一時的にしか身体を動かせないほど、彼は今“弱い”。この事態に介入したとしても大した手助けにはなれぬだろうと判断していた。

「まあ、悪魔城の召喚となればエヴァンジェリンが黙っていないでしょうから、彼女に任せておきましょうか――」

 無力な者が手を出しても意味を成さない。ならばただ座して運命に身を投じようと、アルビレオは静かに目を閉じる。
 ――覚悟があった。自身の生死、その全てを他人に委ねる覚悟を。
 どんな結末になろうと享受するだけ――けれど、そんな悟りとは別に、些細な違和感。

(……そういえば、何故先程、“一時間だけ”魔物の召喚が無くなっていたんでしょうか……?)

 ふと沸いた疑問。一瞬悩み、しかし程無くしてアルビレオはその疑問を忘れる。その思考は何らおかしな事ではない。
 例えその疑問が、事の本質を突いていたのだとしても、今の彼には何も出来ないのだから――――。






 

 真夜中の空の下――刀が、拳が、魔法が、幾多の怪物達を駆逐して前進していく。
 空で星々が瞬くように、地上の星も闇を祓うように光を振舞っている。刹那の刀は的確に魔物の身体を断ち、楓の鍛え上げられた体術が四肢を砕き、ネギの魔法が縦横無尽に敵を焼き払っていく。
 打ち倒した数だけで言うのなら、ネギが一番の撃墜王(エース)だ。後方支援、砲台としての魔法使いとして迫る津波のような魔物達を払拭している。刹那と楓は、さながらネギを護る騎士のような立ち位置。ネギが詠唱を続けている最中、その身を剣と盾に変えて打倒する――!

「――斬鉄閃!」
「――爆炎陣!」

 斬、轟炎!!
 横凪の一振りが魔物を木偶に変え、鎖と式符で掌握した範囲を残骸へと移行させる。正面からくる敵の殆どは、刹那の剣技の元に塵芥と化している。楓は刹那を補助する形で全方位を撃って捨てる。横手から回り込まんとする不届き者、運良く正面の剣嵐を潜り抜けた者、上空から舞い降りる者。数は多いが脅威は左程ではない。正面の大物は本職が斬り捨ててくれている以上、残るは小物。闇に紛れて討たんとする不忠な存在ばかりだ。ならば――負ける道理は無い。“忍び”こそ闇に生きる正心の士。甲賀の里で培った技術。隙を突いてくると来るというのなら、その隙に住まうのが忍びだ。二人の連携に敵は無し。
 ……だが、あまりにも多勢に無勢。いかに優れた二人でも無限に広がる魔物の群れを全て駆逐することは叶わない。共に目は二つ、手は二つ、体はたったの一つずつしか無いのだから。
 故に、二人は“時間稼ぎ”に過ぎない。十数秒の時さえ稼げれば、小さくも勇敢な砲台が、内に秘めたる魔力を解放して敵を射抜いてくれるだろう――。

「雷の暴風(ヨウイス・テンぺスタース・フルグリエンス)!!」

 雷、穿爆!!
 稲妻を帯びた竜巻が、群がる魔物を根こそぎ焼き払っていく。元よりこの魔法は“こういう使い方”をする為の物。無数に散在する敵を一箇所に集中させて、一網打尽に打ち抜く殲滅魔法。上位に千の雷という大規模広範囲対軍魔法があるが、雷の暴風とてその役目は十二分に果たせる。
 だから問題は――その魔法を持ってしても、終わりの見えない、魔物の数にあるのだ。

「……っ、これはいささか気が滅入るでござるな。倒し尽くせる気が微塵もせぬよ」
「確かにな。だが、楓。私達は今“倒す”事を考える必要は無い。必要なのは――」
「解ってるでござる。拙者達の役目はエヴァ殿とアルカード殿を、世界樹の最深部に送り届けることのみ――!」

 斬、刃!
 二人は気勢新たに、沸いた魔物を鎧袖一触。全てを倒す事は叶わなくても、道を切り開く程度なら十分に可能。
 雲霞の如き大軍。押し寄せる海の如く。それを切り裂いて進む姿は、まるで奇跡のよう――。
 だが敵は前方のみに居る訳ではない。刹那、楓、ネギの三人が道を作る中、後方からも敵が、

「――煉獄焔弾(ヘルファイア)」

 焔、轟!
 生み出された数個の炎弾が、背後から迫る魔物を焼き尽くす。弾の一つ一つが、魔法の射手数十本に相当する高密度の魔弾。ネギの魔法ではない。ネギは炎よりも、光や風の属性を得意としている。そしてそれ以前に、今の術は魔法使い達が――人間が使える術ではなかった。
 故に、放った者は限定される。漆黒の外套を翻して、アルカードが魔物を焼滅させていた。

「す、すいませんアルカードさん! 後にまで手が廻らなくて……」
「気にするな。これだけの数を相手に全てを対処しようと考えなくていい。討ち洩らし程度なら俺が片を付ける……それに、この程度の魔法なら何十回唱えたところで魔力が切れる事は無い」

 謝罪するネギに対して、簡潔に答えるアルカード。そして言いながらも再び炎弾を放つ。着弾し、燃えて消え去る異形達。
 派手さは無い。ただ堅実に確実に、アルカードの魔法は敵を屠っていく。その姿に刹那は、親友である龍宮真名を連想する。無駄を省いた戦闘方法といい、常に冷静に立ち振る舞う出で立ちが似通っていた。
 ほんの一時、刹那がそんな風にアルカードの姿を見ていると――エヴァンジェリンが小さく叱責する。

「呆とするな刹那。前を見ろ。もうそれ程時間が有る訳じゃないんだ。一刻も早く中心部に向かうぞ」
「は、はい! ですがこの数は異常です……進めば進むほど増えていっているような……」
「ふん。それだけ近付いて欲しくないんだろう。予想通りの場所に術者が居るのは、もう確定的だな……だが困った事に――」

 ――瞬間、全員が強烈な殺気と“熱気”を察知する。
 目前に、一体の悪魔が迫ってきていた。全身に炎を纏った巨大な悪魔、火炎悪魔(フレイムデーモン)。魔界の炎をも召喚できるとされる高位魔族。体に触れただけで燃え尽きてしまいそうな熱さだった。
 瞬時に構える。接近戦は危険と全員が考えていた。全身が炎の塊だ。素手で殴ろうものなら、逆に殴った本人が致命傷を負う。遠距離からの攻撃で倒すのが一番の良策。楓が苦無を構え、刹那が気刃を放とうとし、ネギが詠唱を始める。
 だが――誰よりも早く、エヴァンジェリンが、

「――氷爆(ニウィス・カースス)」

 凍気と爆風が、一撃でフレイムデーモンを粉微塵に砕く。相克。水は火に打ち勝つ。その属性の法則通りに、生み出された氷の爆発は炎の悪魔の熱を上回っていた。
 ネギ達は驚愕した顔でエヴァンジェリンを見る。フレイムデーモンを倒した事に対して――ではない。
 フレイムデーモンを倒す程の魔法を使った事に驚いていた。

「……困った事に、今回の下手人は無茶な召喚を本当に成功させそうだ。学園結界が破れかかってやがる」

 魔法を“放てた”自分の掌を見つめて、苦笑と共に冷や汗を流す。エヴァンジェリンの魔力は学園結界によってその大半が封じられている。だからこそ皆無に等しい魔力の代わりとして、数多のマジックアイテムを別荘から持ち出した訳だが……今、エヴァンジェリンは魔法が使えている。初級ではなく上級の魔法を。
 その事実は、結界の綻びを解り易い形で示していた。
 冷や汗を垂らすのはエヴァンジェリン本人だけではない。冷静に事を対処してきたアルカードでさえ、その顔は顰められていた。

「……まさか完全に封印が解けたのか?」
「いや。全盛期の三割と言ったところだな。大魔法や秘術を使える訳ではない……だが、時間の問題だろう。あと数時間で結界は破られる。そうなったら麻帆良は御終いだ。麻帆良学園そのものが悪魔城に成り代わる」

 全員が、その事実に息を呑む。別荘内での予測と正反対な結果になりつつある現状。放置しておけばいずれ解決すると思っていたこの騒動は、ともすれば日本全土に渡る災害を発生させる危険性を持っていた。
 今は認識阻害の魔法により、一般人に被害が及んではいないが、学園結界が壊された瞬間、全ての一般人が魔物の贄と消えるだろう。
 悪魔城の完全復活。そんなことになれば此の地は地獄と化す。

「……急ぐぞ。ドラキュラが顕現する前に、何としても術者を抑える」

 エヴァンジェリンの言葉に誰も反論はしなかった。
 決意を新たに、前に突き進む。向かう先は世界樹の根の中心部。
 

 ――ただ、向かうネギ達の中に――神楽坂明日菜、近衛木乃香、アルベール・カモミール。この三名の姿は存在していなかった。









 影が貫き、炎が焼く。
 狗神が食い破り、拳が砕く。
 夜の暗黒に再び現れた化け物達を、高音が愛衣が、小太郎が古菲が打倒していく。
 有象無象なら敵ではない。ただ我武者羅に力を振るうだけの化生、四人の敵ではない。事実、危うげなく敵を屠っていた。どんな理由で、どんな理屈で、どんな理合で魔物が発生しているのか。それはこの際どうでも良い。ようは倒せば良い。生活を壊そうという下法が居るのなら、叩き潰すだけの事。
 四人はそのように、魔物達に対して必滅の覚悟を抱きながら戦い続けていた――が、

「……っ! 何や、ちょっとずつ強なってきたなぁおい!」

 高らかに笑いながらも、小太郎の息は荒くなっている。既にただのスケルトンやゾンビは存在していない。体が千切れても尚動き続ける滑空死体(フライングゾンビ)。穿孔儀礼によって得た額の穴から、収束砲を放つ穿光骸骨(スケルトンビーマー)。上位の魔物が襲い掛かる。
 数も尋常ではない。倒しても倒しても敵は、次から次へと。

「これは……いくら何でも洒落にならないアルよ!? 中国四千年の武術とて、何時までも……ぬぅ!?」

 古菲が身を逸らしたその空間に、スケルトンビーマーが放つ光線が通過する。避けたにも関わらず、身を焦がされそうな熱気と芯を毒す邪気を感じる。光線を撃つ瞬間は、スケルトンビーマーの動きも止まり溜めも長い為避けるのは容易だ。だが数が数。最後まで避け続けられるとは思えない。
 すぐさま地を駆け接敵。再び光線を放とうと、頭部に魔力を集めていた骸骨の頭蓋を――撃ち抜いた。
 拳、破!
 一撃で崩れ去るスケルトンビーマー。耐久性が無いのがせめてもの救い。一体一体だけなら何も問題は無い。
 そう、一体だけなら。だが視線を巡らせば――両手でも余る、スケルトンビーマーの群れ。

「メ、メイプル・ネイプル・アラモード! 炎の精霊(ウンデセクサーギンタ)59柱(スピリトゥス・イグニス)!! 集い来たりて(コエウンテース) 敵を射て(サギテント・イニミクム)!! 魔法の射手(サギタ・マギカ)! 連弾(セリエス)・炎の59矢(イグニス)!!」

 発動。愛衣の掌より放たれた炎の矢群は、群がるスケルトンビーマーを撃ち抜き、灰燼に帰す。だが、59本もの魔法の矢の対象は、スケルトンだけにあらず。死にきらず空を翔るフライングゾンビをも魔法の炎で焼き尽くしていた。
 しかしそれでも――敵は未だ無数。幾ら倒しても、倒した数を補充するように――否、それ以上の数を生み出していく。

「お、おねーさまぁ! 駄目です! 全然駄目ですよう!! きりが無いですよう!!」
「し、しっかりしなさい愛衣! そんな情けない声を出して立派な魔法使いになれますか!! 私達が戦わずして誰がこの学園を護るんですか――ええい、影よ(ウンブラエ)!!」

 高音の呼び声に応じたか。足元の影が一斉に手を伸ばし、魔物達の体を貫いていく。ゾンビは貫かれた程度では滅びないが、影の触手の真価はそれだけではない。貫いたゾンビを締め上げてその動きを拘束する。いかにフライングゾンビでも、動きが止まればただの木偶だ。
 その木偶に向かって、

「ほらいくでぇ! 疾空黒狼牙ぁ!!」

 小太郎の生み出した複数の狗神が迫る。動けない敵など、狼にとっては単なる餌にしかすぎない。切り裂いて喰い破って、その体を今度こそ本当の死体に変貌させていく。
 直視してしまえば吐き気が催しそうな凄惨な光景。だが、四人とも“もう”慣れていた。
 今更死体が増えた所で何も感じない――既に回りは残骸の山が出来上がっているのだから。

「……あかん。そっちの佐倉の嬢ちゃんの台詞やないけど、これは駄目やな。このまま戦ってても埒あかん……俺等もあの、ありかーどげんや、やったっけ? その兄ちゃんの加勢に行った方がいいんやないか?」
「ちょっ!? 勝手な行動は控えてください小太郎さん!! 我々の使命は学園の防衛です!! 学園長から、そのように指示があったでしょう!?」
「そうは言ってもなぁ……その学園長とは、また連絡つかんようになったんやろ? つまり切迫した事態やっちゅうことや。なら現場の判断で動くのも必要と違うか?」
「そういうのを穿った判断だというのです!! 物事を一面で捉えず多面的に見なさい! 私達が此処を離れれば、魔物の数はより一層増える……学園長の負担が増すだけだと気付かないのですか!?」
「あーもー、喧しいわぁ!! それじゃどうすんねん!! ずっとこのまま戦ってたら俺等の体力が無くなるんやで!? それでもええんか!?」
「誰もそんな事は言っていないでしょう!! 大体貴方は年長者に対しての口の利き方を――!!」
「なんやぁ!?」
「なんですかぁ!?」

 ぎゃあぎゃあ。無数の魔物達を前にして、ついには醜くも情けない口喧嘩を繰り広げる小太郎と高音。遠巻きにそんな二人の様子を眺める古菲と愛衣。
 無論その視線は呆れかえっているのだが。

「……コタローのストレス、もう臨界点アルな。まあ終わりが見えぬアルから無理もないアル」
「……おねー様もですね。実は私よりテンパってるような……」

 さもありなん。戦い続けてどれだけ時間が経ったのか。尽きる事の無い魔物との戦い。体力だけでなく精神までも消耗していた。
 けれど休む暇も――正直、馬鹿みたいな口論も――している余裕は無い。
 古菲と愛衣は、二人の諍いを止めようとして、



 ――瞬間、背筋の凍る殺気を感じた。



「「「「――――!?」」」」

 四人全員が、声無き悲鳴を上げる。古菲と愛衣だけではない。口論をしていた小太郎と高音まで、争いを止めて、圧倒的な殺意に身構えていた。
 地の底から湧き出るような悪寒。大気全てが刃物に成ったかのような寒気。フライングゾンビやスケルトンビーマーなど問題ではない。そんな奴等は“どうでもいい”。この、人の命を根絶やしにするような殺気に比べれば、先程までの戦いは天国と同じなのだと、四人は悟っていた。
 いつの間にか、周囲に魔物は存在していない。あれだけ生まれていた化生の群れは、幻のように姿を消していた。
 ……もっと早くに気付くべきだったのだ。出現する魔物の強さは、時間と共に強大になっていく。ならばいずれ、自分達の手に負えぬ様な、幾十幾百幾千の魔物をも上回る脅威が現れる事に。
 視線を巡らせて、気配を探る。何処にも居ないが、何処にも居る。目に映る空間全てを掌握し掛ける強大な魔力。その魔力が殺意となって殺気となって張り巡らされる。狂気の淵を垣間見るような、そんな空気。
 勝ち目云々ではなく、その発信源を必死になって探り――

「……っ!」

 突然、古菲が愛衣の体を突き飛ばす。何を察知して何を恐怖したのか、古菲自身にも解らない。
 言うならば本能か。迫る“死期”を感じ取って、側に居た者を護った。顛末を説明すればただそれだけの事。
 故に、それ以上の事は解らない。
 解るのは――愛衣を古菲が突き飛ばしたその瞬間――古菲の背が何者かによって切り裂かれた事だけだった。

「……古菲……さん?」

 突き飛ばされて尻餅をつく愛衣の目前で、古菲がうつ伏せに倒れ伏す。次いで吹き出る鮮血の噴水。背中から、命が流れ出るように血が湧き出ている。
 致命傷。愛衣は呆然とした頭でそんな事を考える。何が起こったのか解らないが、何が起こるのかは解ってしまった。
 血に濡れた大鎌が見える。人の背丈を軽く上回る巨大な鎌。体を命を全てを刈り取ってしまう凶器。
 手にする者の姿は、黒いローブに包まれている。姿は見えない。枯れ木のような存在感。吹けば倒れてしまいそうな体躯。けれど、その身から感じる魔力は絶望に等しい。生きることを諦めたくなる、そんな悪意に満ち満ちていた。
 鎌を持った何者かは、愛衣に狙いをつけて、己が凶器を振りかぶり――

「――っ! 何しとんや手前ぇ!?」

 怒号と共に、小太郎が黒ローブの異形に殴りかかる。気と狗神を拳に収束させた拳。狗音爆砕拳。一撃必殺の意志を宿した拳は、吸い込まれるように目標に迫って――突如現れた、巨大な“何か”に防がれた。
 牙、剛!
 硬い鉄板を殴ったような感触。小太郎は瞬時に身を翻して、距離を取り、その“何か”の姿を見て――息を呑む。
 三又の首。竜の尾と蛇の鬣。錆びた金属のような不快な鳴き声。巨大な四足歩行の醜悪な“犬”。

「……地獄の番犬(ケルベロス)!? まさか、本物……っ!?」

 その全容を見た高音が恐怖の声を上げる。虚像ではない、確かな魔力。身が竦むような、現像の脅威。地獄の番犬、冥界の番人、底無し穴の霊――正真正銘のケルベロスが唸りを上げて、この場に顕現していた。
 舌打ちをして対峙する小太郎。同じ狗族だからなのか、ケルベロスの力量を明確に察知する。強い。途方も無く、諦観を覚えてしまうほど強い。あれはただ一匹で冥界を護るような存在。戦ってはならない。理性と本能、両方が警告を鳴らす。
 だが、怯む訳にも退く訳にもいかない。古菲の傷は深く大きい。早く処置しなければ数分の内に命を落としかけない傷だ。
 何とかケルベロスを倒してこの場を離脱しようと考える小太郎だが――全ては無情。ケルベロスが牙を剥いているその隙に、今度こそ黒ローブの何者かは、動けない古菲と、動かない愛衣に向かって鎌を振り下ろし――

「――――やめぃ!?」

 絶叫に等しい声を上げても、鎌の切っ先は変化せず。
 無慈悲な殺意を持って、大鎌は――――







 ――別荘内で、少女は役目を言い渡されていた。

『最深部に向かうのは、私とアルカード、そして刹那、楓、ぼーやの五人だけだ。お前等は外で魔物の相手をしていろ』

 この言葉に、少女は反抗する。何故、自分達を連れて行って貰えないのか。自分達だって役に立って見せると。

『馬鹿が。まだまだ修行不足だよお前は。今から向かう所は死地も同然。刹那や楓レベルの強さがあってようやく成り立つような場所だ。今のお前じゃどうにもならん……完全治癒も、小動物の小賢しい知恵も不要だぞ。“そんなもの”使っている暇は無い。今から行うのは力押しの強行軍にすぎないのだから』

 言葉に詰まる少女。自身の力がまだ未熟なのは彼女自身よく知っている。
 それでも不満が。未熟を指摘された事に、ではない。未熟な自分自身に不満を覚えている。

『表に居る雑魚連中になら、お前の剣は最強だ。そんなに不服なら、“全部斬り倒してから”私達の後を追って来い。それなら文句は無いぞ?』

 そんな事は不可能だがな、と笑われる。けれど少女は“それ”を為そうとしていた。
 全てを倒して全てを護って、憂いを絶った後で、自分も後に続くのだと。
 可能かどうかではない。“それ”を為そうとする決意こそ――人間の勇気。

 だからこそ彼女は此処に。

 背筋が凍るような殺意と対峙して。串刺しにされるような殺気を感じ取っていながらも。

 神楽坂明日菜は、振り下ろされた大鎌を、破魔之剣で受け止めていた。






「――っえい!!」

 豪腕一閃。受け止めた大鎌ごと、明日菜は黒ローブの何者かを力任せに吹き飛ばす。間合いを取れた事に安心しながら――同時に逃げ出したくもなった。無意識の内に、体が小刻みに震えている。
 受け止めたその瞬間に、“戦いたくない”と明日菜の中の何かが訴えていた。本能的に思った。鳥肌が立った。恐怖を感じた。あの鎌に触れたらそこで終わってしまうのだと、直感したのだ。
 目を瞑りたくなる気持ちを無視しながら、剣を構える。気勢だけでも負けぬようにと。

「――木乃香! 古菲を!」
「解っとるえ! ……東風ノ檜扇(コチノヒオウギ)!」

 駆けつけた木乃香が致命傷を負った木乃香の傷を癒す。三分以内の傷なら、どんな重症でも完全治癒する脅威のアーティファクト。再生、蘇生の域に達しているその力は、見る見る内に古菲の傷を癒していく。裂かれた背中の傷は消え、顔に血色が戻る。死の運命から逃れて、死に掛けていた古菲は見事生還を果たした。
 だが――何故かその意識は戻らない。

「あ、あれ? なんでや? 傷は治っとるんに?」
「こりゃあ……気が根こそぎ刈り取られてやがる! 姐さん! そいつの鎌、触っちゃ駄目だぜ! そいつは多分――」
「……言われなくても解ってるわよカモ。“この人”普通じゃない。気分的にはエヴァちゃんの時と同じかな。強いとかそういうんじゃなくて……勝てる気しないもの」

 対峙したまま、明日菜は木乃香の肩に乗っているカモミールの忠告に答える。
 根幹的な部分で、黒ローブの何者かに恐怖していた。魔力は確かに大きい。明日菜の力量を上回る物だろう。
 だがそんな表面的な部分ではなく――奥の奥から、深の深から畏れが。

「……右手に気……左手に魔力……」

 集中させて“力”を高める明日菜。勝ち目の見えない相手。それでも勝とうと言うのなら、己の持てる全ての力を解放しなければ太刀打ち出来ない。
 ただ集中する。収束、集束、結集――そして融合、合一、一体化。
 水と油の合成。有り得ぬ究極の一。果ての果て。境地の一つ。
 ――無限光(アイン・ソフ・オウル)の片鱗。

「――咸卦法――」

 光!
 明日菜の体から黄金の闘気が生まれる。体を覆い、身体能力を増強させていく。究極技法とまで謳われた咸卦法は、明日菜の能力を何十倍にも増大させてその力を高めていく。
 エヴァンジェリンとの特訓で、咸卦法の性質は更なる高みを迎えている。今の明日菜なら、中級魔族を相手に取ったとしても負ける事は無い。それほどまでに、神楽坂明日菜の力量は上がっていた。
 けれど――微塵も安心できなかった。目前の黒ローブが、大鎌が、“怖くて”堪らない。力量が上がったからこそ、明日菜は相手との力の差を嫌と言うほど思い知る。
 だが、相手からすればまた違った感覚なのだろうか――黒ローブは、声を出す。

「気と魔力の合一(シュンタクシス・アンティケイメノイン)……その若さで、其処に至るか……」

 感心した口調。紛れもない賛辞を明日菜に掛けて黒ローブは一歩前に出る。何か、玩具でも見つけたかのような一歩。明日菜を品定めするような、そんな視線。
 その最中――明日菜は見た。黒ローブに覆われた、“何者”かの顔を。

「……面白い……果てに届いた処女の魂……素晴らしい輝きを持つだろう……」

 明日菜は口から漏れそうになった悲鳴を、懸命に押し殺す。黒ローブの顔は――顔では無かった。顔だが、顔という形では無い。
 髑髏の破顔。剥き出しになった頭蓋骨の笑顔が、神楽坂明日菜に向けられていた。
 髑髏の歩みは止まらない。黄金の輝きを放つ明日菜を――獲物と定めて。


「我が主の為――――その魂いただく!!」


 鎌を振り被り、黒ローブが明日菜に襲い掛かる。
 明日菜は剣を構えて、その恐怖の具現に猛然と立ち向かった。

 命を刈り取る――正真正銘の『死神』を相手に、神楽坂明日菜の戦いが始まる。












 
 あとがき

 デス様を登場させずして、何が悪魔城か。今回はそんな話。
 どちらかというと今回は幕間? きりのいいところで切ったらこんな形に。やっぱり短い。
 次回は明日菜VSデス様。小太郎VSケルベロス的な話の予定。
 なお次回からはあとがきは無くすつもり。最終戦に向かってただ突っ走るのみ。作者的にここからがようやく「悪魔城ドラキュラ」。残り話数は短いけれど、文章量はむしろ今までの倍以上の計算……今のプロットのまま書くと、経験上文字数が10万文字近くいく。文庫本でも書く気か私は(汗)
 流石にこのままでは長すぎるので、色々見直しをしながら書く予定。無駄なところはなるべく省きながら。

 ……それと、テンポ良く毎日更新出来ていましたが、しばらく期間が空くかと思います。執筆時間が大幅に減るので。
 その点だけは、どうかご了承を。




 


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