――夏の日差しに炙られて、空気が熱を帯びる。
七月の下旬。夏休みが始まり、学生達の調子が気候同様激しく熱気に満ちるのは、麻帆良学園でも変わりない。むしろ、生徒数が多い事と自由奔放な学風が相重なって、休暇と言うにはあまりに騒がしい日常が送られていた。
それは麻帆良学園中等部3-Aの面々にも当て嵌まり――
「――それでは!! 亜子の恋愛成就を願って、アピール大作戦その弐ーー!!」
「え……? いや桜子。出来ればウチ、もう勘弁して貰いたいんやけど……」
――まあ、街中で必要以上に弾け飛んでいたりする。
弾け飛ぶ代表格は椎名桜子、柿崎美砂、そして釘宮円の三名。その三名に囲まれて、被害者というか、厄介な人達に絡まれた哀れな子羊的な様相を醸し出しているのは泉亜子――既に現状で、もうどうにでもしてと言うか、何やら諦観の入った顔で遠くを眺めている。
そんな様子を無視しているのかしていないのか、まほらチアリーディングの三名はそりゃあもう好き勝手に盛り上がっていた。
「何を弱気になってるの亜子!! 前回のアピールセクシーショットは、まあ確かに少しばかりそこはかとなくやりすぎて失敗しちゃった感はあるけど、一度の失敗にめげてちゃ駄目!! もっとバンバン自分をアピールしていかなきゃ!!」
「……その問題の前回は、桜子達のおかげで失敗したんやけど……忘れたん?」
「細かい事は気にしない!! 失敗は成功の母!! 駄目で元々! 当たって砕けろ! 死に花を咲かせる! 亜子の恋はまだまだこれからだよ!! 勇往邁進ーーー!!!」
「…………」
亜子のジト目――否、凶眼に成り掛けている瞳をナチュラルにスルーして、桜子は大いに盛り上がる。多分、暑さで脳が茹っているのだろう。両脇の美砂と円も似たような様子だ。さもありなん。
「そんな訳で私、椎名桜子は考えました!! いきなりセクシーに攻めても駄目だと! もっとこう自然に!! 亜子の魅力を惹き出しつつ、違った一面をナギさんに見せる!! 際立った衣装は必要無いんだよ!!」
「……うん……それくらい、ウチ、最初からわかっとる……」
「なので!! 本日は私達、まほらチアリーディングが、亜子を着せ替え人ぎょ――もとい、ファッションチェックしようと思い立ったのでありましたーーー!!」
「……テンション高いなー……」
他人事のようにのほほんと呟く亜子。無駄にテンションの高い人を目の当たりにすると、自身がクールダウンするという自然の摂理である。冷房不要らずで良い事だ。ただの現実逃避とも言うが。
とは言え――それでもこれは友人の“好意”である事に違いは無い。
それくらいは、亜子にだって解っていた。
「……ま、言いたい事解ったから、とりあえずその辺の店から見てまわろか?」
「お? 何だかんだ言って亜子も乗り気だね?」
「此処まで来たら乗る以外どうしようもないやん。それに新しい服見てみたかったのはホンマやし、買い物付き合うくらいなら構わんで」
言うなり視線を巡らせば、ブティックにアクセサリーショップ、中には新作水着の文字も見受けられる。
夏季休暇。それに伴って店商売大きく売りに出ている。学生達も夏休み用の買い物として多数街中を闊歩していた。
そんな学生達の中に入り、自分もショッピングを楽しむのも悪くない――亜子はそう思っていた。
「ウチ、ワンピース一着見たいんよー……ナギさんが好きかどうかは解らんのやけど……」
「お? いいねいいねー。亜子はパンツ系多いし、この夏は路線を変えてみるのもいいんじゃない?」
「じゃ、あそこなんていいんじゃない? ほら夏物新作入荷って書いてあるし」
和気藹々と騒ぎながら、四人はブティック目掛けて足を運ばせる。
街道は四人以外にも人は多く、中々目的地へ辿り着けない。肩や足がぶつかり、お互いに頭を下げながら少しずつ進んでいく。休日の大通り。人混みに埋もれるのは珍しい事でもなく、体が接触したとしても謝罪の意を示せば諍いが起こる事は殆ど無い。半ば日常茶飯事と化したその光景。
亜子達もそんな事は慣れた光景で、特に気に留める事無く目的地へ向かっていた。
そんな最中――――全く掠りもせず、亜子達の横を通り過ぎる男が一人。
何か、不審な行動だった訳ではない。擦れ違っただけ。接触しなかったとは言え、そもそも全ての人間にぶつかりながら歩いている訳でもない。単に、肩などが当たりやすいと言った程度。誰もがなるべくぶつからないよう歩いているのだから、今の男が不審な訳ではない。
けれど亜子は何か、違う物を感じた。風が通り抜けたような感覚。そも、掴もうと思っても掴めない様な。
不可思議な気持ちに囚われて、思わず目で追う。
男は長い黒の長髪に、黒地のスーツ。夏場だと言うのに、一見だけでそのスーツが奇麗に着こなされているのが解る。襟元も袖口も、欠片とて着崩されていない。模範的な着こなし方。モデルか何かと言えば信じてしまいそうな、その姿。
全身が黒で統一されているにも関わらず、その肌はいっそ病的なまでに白く――そこでようやく気付く。男の、整いすぎたその顔付きに。彫刻か何かの見間違いかと思うほど。その長身と身体つき故、男と解ったが、顔の造りだけを見れば女性と勘違いしてもおかしくない。そんな領域の美貌。
――息が止まる。
「あれ? どうしたの亜子? 何処見て――ああ。今通り過ぎたイケメンさん? 凄いよねーナギさんより大人って感じだったし」
感嘆の声を上げる桜子達の声も、亜子には届いていない。
ただ、その黒き男を見ていた。見惚れた訳でも、ナギから心変わりした訳でもない。ただ、目が離せなかった。
感覚で言えば、初めてナギと対面した時に近い。幻を直視している。そんな、幻想。
七月の下旬、ある学園都市の夏休み――正史で語られぬ物語の外典が、その封を切り始める――。
――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルの別荘。そこは闇の福音の大魔法にして、ある種の異空間である。
魔力で編まれた隔離結界とでもいう其処は、魔法道具内に別荘を造り出す一級の秘術。その別荘内に転移した場合、存在そのものを圧縮させて送る為、本来の時間流とも隔離される。具体的な数値で言えば、別荘内での一日が外の一時間といった具合にだ。
魔力で編まれた世界な為、空間内に魔力が満ちており魔法使いが戦闘を行うには最適とも言える。
それ故に、多くの魔法使いがこの魔法具を修行用の道具として使用し、それはまだ幼きネギ・スプリングフィールドも例外ではなく、
「魔法の射手(サギタ・マギカ)!! 連弾(セリエス)光の九矢(ルーキス)!!」
光、射射射、轟!!
杖に乗って空を駆けるネギの掌から、無数の光弾が地に降り注ぐ。
さながら爆撃のような勢いで射った魔法の矢は、激しい閃光と衝撃を齎し――その反面、ネギの顔色は悪い。歯痒い気持ちを前面に押し出し隠そうともしていない。足りないと、不足だと、彼の顔が語っていた。
それもその筈。そもそも、“手応え”が無い。たかが九矢では当てる事も出来なかった――と。
「――!?」
回天、閃!
空を浮くネギ目掛けて、唸りを上げて回転する“巨大な手裏剣”が肉薄する。声を上げる暇も無く、身を捩り、咄嗟の空制御をもってその手裏剣をネギは回避する。
地上から放たれた豪風を、寸前で避けたネギは大きく息を吐き――我に返る。一瞬の安堵、刹那の忘却。瞬きほどの須臾の時間に、地上の“敵”は姿を消していた。
視界にあるのは無数の建造物と、透き通った水面だけ。
水中か。それとも建物の影か。
「――っ! ど、何処に……!?」
気配を探るが、姿形は無い。惚れ惚れするような穏形の術。文字通り気配を殺している。流石は“本職”なのだと――ネギは心中で感心していた。
しかし実際は感心などしている暇は無い。相手の姿を掴めない状況で空中に浮いていては狙い撃ちされかれない。
けれど地上に降り立ったら――それこそアドバンテージが無い。距離を取って戦わねば現状勝ち目の無い相手。接近戦に持ち込まれたらそれこそアウト。相手への援護にしかならない。
ネギは障壁を張り、魔法の射手を拳に収束させて――――、
――忍!
空に浮かぶネギに向かって、無数の人影が――否、分身が襲い掛かる。
左右前後、三百六十度。ありとあらゆる方向から数多の忍びが、長瀬楓が槍の様に突撃してきた。
その光景を見てネギの思考が固まり――瞬時に判断。自分の死角、後方に障壁を張り、収束させていた魔法の矢を左右に解き放つ。
残る問題。前方より来る“楓の群れ”は己の肉体だけで迎え撃つ!
光、爆、撃撃撃撃撃!!
気弾が、光矢が、障壁が、苦無が、手裏剣が――ぶつかり弾けて、爆音を齎す。
目が眩むほど閃光の中、ネギと楓が激しく拳を交える。楓の気拳をネギが受け流し防ぎ、けれど横手から影分身の一撃が身体を揺らす。肘を撃ち、蹴撃が身体を抉る。視界がぶれる程の猛攻の中、ネギはただ耐えて機会を待つ。ここを耐え凌ぎ、抜け出せれば仕切り直し。距離を取れれば魔法使いであるネギの方が有利になる。
急所だけを上手く防ぎ、針の穴を通すような勝機を待って――――、
「気概は買うが――甘いでござるよ」
「~~~~っ!?」
剛!!
打ち下ろしの気拳。鉄塊の如き圧力を持った気の収束拳を喰らったネギは、堕ちるように地上へ。
古菲の元での修練、エヴァンジェリンの元での修行。どちらもネギの強さを大幅に向上させ、並大抵の相手ならば近接戦闘も十分こなせる領域になったネギ。だがしかし、まだまだ経験が足りない。圧倒的なまでに。そんなネギが近接で、影分身まで用いて戦う楓の攻撃を防げる訳が無かったのだ。故にこの墜落は当然の事。
その当然の帰結のまま――地に激突。
「か……はぁ……」
身体が軋む衝撃。されど痛みに苦しんでいる暇は無い。ネギは傷む身体に鞭を打ち、身体に魔力を循環させる。
まだ負けた訳ではない。自分はまだ戦える。勝負はまだ――創痍なれど意気軒昂。上空の楓を睨みつけるように視線を向ければ……しかして、其処には既に誰もおらず。蒼空だけが広がるのみ。
瞬間、
「っ! 風花(フランス)風障壁(バリエース・アエリアーリス)!!」
怒号、撃!!
四方より衝撃。咄嗟に張った魔法障壁は、影分身を含んだ楓の同時攻撃を完全に防せぐ。
一瞬でも判断が遅れていたら今頃ネギは地に伏せていた。好判断による見事な対処。
だがしかし――楓の顔には笑みがひとつ。防がれた事に対しての不満も驚愕も、欠片すら見受けられない。むしろその逆。ネギならば、今の攻撃を防ぎきると確信していた。
それ故に、楓には続く二手目がある。
「忍法――――朧十字」
斬、衝!!
風障壁の硬度は高い。10tトラックからの衝撃からも身を守れる魔法だ。
だがその効果は一瞬。連続使用も出来ないというもの。
ネギの失敗はその一点。身を護る障壁魔法に、欠点の多い風障壁を用いてしまった点。使い所を間違わなければ最高の効果を発揮する魔法も、用途を間違えれば最低の魔法に成り下がる。
故に、四方から襲う楓の第二撃まで防げる道理は無く。
突き抜けるような衝撃に身を委ねて、ネギはその場に崩れ落ちた。
「ネ、ネギくぅ~ん……ホンマに大丈夫なん? もう痛いところあらへんの?」
「だ、大丈夫ですよ木乃香さんの魔法ちゃんと効いてますから。もう全然。万全ですって」
「ホンマに? ……無理したらあかんえ? 痛かったらちゃんと言うんやよ?」
ネギと楓は模擬戦が終わった後、休息を兼ねて傷の手当を行っていた。
治癒魔法を使い、傷を癒すのは近衛木乃香。彼女の治癒魔法も日々上達している。元々アーティファクトが三分以内の傷なら完全治癒させるという破格の能力を持つ。そのアーティファクトの持ち主である木乃香に治癒術師としての才があるのは当然と言えば当然の事で……この別荘内では、模擬戦の際に出来た傷や怪我を治すのを練習台として修行に励んでいる。
まあ、元々の性格の為か、魔法の腕が上がっても――傷を負ったネギ達の前で慌てるのは変わらないのだが。
「楓も楓やて。そりゃあ修行ゆうんわ、手を抜いたら意味無いんやろうけど……傍から見ると冷や汗ものや。もうちょっと優しめにやってくれたらええのに」
「いやぁスマンでござるよ。……とは言え、ネギ坊主も昔のネギ坊主ではござらん。拙者とてもう気を抜いて相手を出来ぬ。今日の勝負も拙者が勝ちの目を拾ったにすぎぬ。最初から勝てる戦いだった訳ではござらんからな」
「そんな楓さん……僕なんてまだまだですよ。全然敵いませんってば」
「まあ拙者にも多少は意地があるでござるからな。そうそう負けられぬでござるよ」
そう言って、楓はニンニンと笑う。冗談を言うような笑顔。だが本当に、今楓が言った言葉は本音であった。
ネギの力量が飛躍的に上昇し手が抜けないのが事実だとしても、甲賀中忍としての自尊心を軽々を扱える筈もない。山奥で鍛え上げた忍びの術。それが年下の少年に簡単に打ち負かされて良い筈がない。
――それでも、いつか抜かれる日が来ると予想し――そんな未来を楽しみとしているのも事実なのだが。
「――私から言わせれば、今の戦いは力量以前の問題だったがな」
其処に、金髪の少女エヴァンジェリンは不機嫌そうな顔をして歩み寄ってくる。
その不機嫌そうな顔は、一直線にネギに向けられており――その事実に気付いたネギが、子兎のように怯えた。
「さっきのは何だぼーや? あ? 楓の姿を見失った途端、あちらをキョロキョロそちらをキョロキョロと……何処のおのぼりさんだ貴様は。たわけ。思考と行動は同時に、そして迅速にだ。あの時一旦戦線から離れて距離を取っていれば、あんな無様な真似はしなかったものを……なぁ?」
「ひっ……ひわわわわわ……」
「何を小鹿のように震えとるか。まだまだ言い足りんぞ。大体、何故あそこで風障壁を張る? あの状況下ではだな……」
「あー……エヴァ殿? その辺で良いのではござらんか? ほれ、ネギ坊主はすっかり歳相応よりも下回って、小動物のように怯えておるでござるよ……」
「ぬ?」
言葉を止めてネギを見れば、楓の言うように怯える草食動物が一人。涙目であわわはわわと震えていた。
そんなネギをよしよしと撫でる木乃香の姿も相成って……なんとなく、弱い者苛めをしている感覚をエヴァンジェリンは抱く。
溜息一つ。
「まったくこのぼーやは根っ子の部分が何時までも弱気でいかんな……そう言った点では神楽坂明日菜の方が芽があるか。あの阿呆は先程刹那との手合わせで一撃入れていたぞ。まあ、その後無様に負けていたが」
「――ちょっとエヴァちゃん。無様ってことはないでしょ無様ってことは……途中まではいい感じだったんだから」
エヴァンジェリンの背後から、二人の少女が近寄ってくる。
一人はツインテール、一人はサイドポニー。同じように髪を結わえているから、では無いだろうが二人とも似たような雰囲気で。
つまり戦闘後特有の、一種の高揚感を携えた状態で――神楽坂明日菜と桜咲刹那が来ていた。
「ええ。明日菜さんの上達は素晴らしい。日に日に精練されていくのが見て取れまして……」
「そんなものは当たり前だ刹那。誰が師事していると思ってる。この闇の福音が師匠様なんだぞ? 日に日に上達するのは義務だ。常識だ。上達せんようなら氷漬けにしてこの別荘の人柱にでもしてくれる」
「くぅ……こ、このエヴァちゃんのスパルタめ……人にこんなゴシックでロリロリした衣装着せるだけでは飽き足らず、そんな無体な台詞を平然と言うなんて……」
「は。何が無体なのだが……それに言った筈だぞ。お前を立派な悪の中ボスに仕立ててやるとな」
「だからそれはやめてってばーー!!」
ぎゃあぎゃあ。
集まり騒ぎ始め、模擬戦の緊張感は何処へやら。
瞬時にしてその顔付きも振舞いも年頃の少女のそれへと変貌。わいわいと騒ぐ、そんな中、
「――お茶の準備が出来ました。皆さん、一休みされてはどうですか?」
エプロンドレスを纏ったメイドの装いで、絡繰茶々丸がしずしずと現れる。
その声に誘われる様に――何処かから、焼き立てのお菓子の匂いと、優しく漂う紅茶の香りが。
「ふむ……そうだな。確かにそろそろいい時間だ。ひとつティータイムと……ぼーや! 何時まで震えてる! 神楽坂明日菜お前もだ! ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー喧しい!! 茶を飲むのだから、少しは静かにせんかぁーー!!」
と、この場で誰よりも大きな声を上げて――はじまりはじまり。所謂ひとつの三時のおやつ。
「――そういえばネギくん知っとるか? 何でも最近この近辺でおばけがよく現れるって話……」
「お、おばけですか? いえ、僕の方では特に……」
ダージリン、アッサム、ニルギリ。各々の好みに合わせた多種多様な紅茶を嗜みながら、少女達――少年が一人――は疲れた身体を休めて、雑談を興じていた。
話題は主に、夏休みの予定。修行は修行。休暇は休暇。遊びは遊び。きっちり区別して充実した夏を過ごそうと、学生らしい会話を楽しんでいた最中、ふと木乃香の口から出た話題は寒気のするもので。
しかしそれでいて――タイムリーな話題であった。
「せっちゃんはどうなん? せっちゃんとこの剣術は、ホラ、そーゆうんの本職みたいなもんなんやろ?」
「そうですね……この時期は確かに目撃情報が多く出ますし、実際に我等神鳴流も夏場は拝み屋のようなことを行いますが……」
「え!? 嘘!? お化けって本当に居るんだ!?」
メンバーの中で、一人“心底驚きましたー”的な大声をあげる明日菜。
他の者はそこまで驚いていない。というより驚ける訳が無い。むしろ今の明日菜の発言の方が、余程驚く。
あまりに“今更”すぎるから――そんな今更感を溜息として発露するエヴァンジェリン。
「あのなぁ神楽坂明日菜……私らのクラス、出席番号一番は誰だ? 相坂さよは何なんだ?」
「…………あ」
「……幾らなんでも今更過ぎるぞお前は。大体、吸血鬼に魔法使い。それにほら、今は居ないがあの犬とか。幽霊くらいどうという事の無い面子が揃い踏みだろうが。何で今頃騒ぐんだか……」
「そ、そんな馬鹿にしたような顔で言わなくたっていいじゃないの! だ、だってしょうがないじゃない! 夏場の幽霊っていうと、何かほら別物って感じだし……」
もじもじと顔を伏せて、明日菜は尻すぼみになる。無論理由は、恥ずかしさ以外の何物でもない。
エヴァンジェリンを除くメンバーは、そんな明日菜を見て微笑ましく苦笑するだけだ。あまりに子供っぽいその言い訳の仕方に毒気が抜かれる。
ただ、そんな言い訳も、全てが出鱈目と言う訳では無い。
「しかし――明日菜殿の言う事も然り。夏は昔からよからぬ念が集まりやすいと云われているでござる。拙者の育った山奥でも、夏の夜は遠出を禁じられていた。一番夜が短い季節だというにも関わらず……で、ござるよ」
「ほ、ほらやっぱり! ふーんだふーんだ。やっぱり私の言ってること間違ってなかったじゃない!」
「ええい、開き直るな神楽坂明日菜。黙らんと煮え滾った湯に放り込むぞ貴様……まあ確かにそうだな。私も長い事日本に居るが、夏場の目撃例が季節の中では一番多い。所謂、怪談が一番盛んになるのもこの時期だ。夏が“魔”にとって温床であることは間違いない」
ニタリ、とエヴァンジェリンが嗤う。嘲笑う様なその笑みに、一同は彼女が悪の魔法使いとして世に知られる吸血鬼なのだと再確認。
気を抜けば一飲みさせられそうな破願を携えながら――吸血鬼は語る。
「何。そう難しい話ではない。この国にはお盆になれば先祖の霊があの世から現世に帰って来るという言い伝えがあるだろう? 事の真偽はさておいて、目撃例が多いのはそんな“言い伝え”が原因だ」
「……それってつまり、昔からの言い伝え通り、お盆にには霊が帰って来るっていう意味だよね?」
「違う。話を良く聞け神楽坂明日菜。言っただろう? 事の真偽は置いておけ、と。その言葉通り、迎え盆なる事象が実際にあるかないか……それはどうでもいいんだよ。問題なのは、お前達の中に、そんな現象が“有り得る季節”なんだと認識されているのが原因なんだ」
言葉を区切り、紅茶を一口。
吸血鬼の動作に淀みは無く――今語っている事は騒ぎ立てる事ではないのだと、その態度で示していた。
「物事を認識するには発信側と“受信側”の二つが必要不可欠になる。目標を“観測”し得る存在が居て、初めて理は成り立つ。解るか? 魔法使いの存在、悪魔の存在、吸血鬼の存在、幽霊の存在。そのどれもが、目撃する者が居なければ、存在する事は決してない。例え其処に居たとしても――誰も見なければ幻と同義だ」
「……? ? ????」
「……まだ解らんのかそこの莫迦ツインテールは。つまりだ、この夏場では“受信側”の精度が上がっている、という事だよ。初めから“居る”ものだと、“居る”季節なのだと脳内での認識が済んでいる。無意識の内に目を凝らして観ているのさ。だから本来気付かぬ、些細な違和感にも目が届き――結果として、幽霊のような“あやふやな存在”を目撃してしまう」
エヴァンジェリンが語る事は、本来、人の視点から外れている、視界に入っても無意識に遮断している物に対する認識力を指す。
そもそも、人は視界に写る全ての映像を理解している訳ではない。取捨択一して、記憶に留める映像と捨てる映像を選んでいる。
一般人が幽霊を見た。その前提として重要なのは、霊力でも霊感でもない。観ようとしているのかいないのか――所謂心構えが問題なのだと、エヴァンジェリンは言っている。
それを肯定するように――下方から声。
「それは俺っちにも解るぜ。俺も伝承では幻扱いされてる妖精族だからな。見られなけりゃ居ないのと同じってのは――」
「あら? 何よカモ? あんた居たの?」
「居たよ!? さっきからずっと居ましたよ姐さん!? 今だってお嬢さん方の足元でクッキーを頂いて!!」
「ふーん」
「ちょ、姐さぁぁぁん!?」
オコジョ妖精――カモが見事な男泣きを披露する中、明日菜の反応は鈍い。というか、修行の疲れと、エヴァンジェリンの話を聞くのに夢中になってる為、対応がおざなりになっているようだ。無情なり。
その様子を、金の吸血鬼は愉快そうに笑う。
「くっくっく……そう、まさに今の状況だ。そこの哀れなオコジョ妖精のように“見なければ居ない事と同じ”だ。神楽坂明日菜、お前は今、そのオコジョを視界に入れていなかっただろう? 修行の疲れの所為なんだろうが、頭の中ですら存在を忘れていた。だからお前は、オコジョの姿を見る事が出来ていなかった。見るという選択が無かった――」
「あ、成程。じゃあさっき木乃香の言ってた噂話って、幽霊が増えた訳じゃなく、私達が多く見ているだけなんだ」
納得が言った様に明日菜が頷き、刹那が合いの手を入れる。
「ええ。夏場の怪談というのは、そう云った心理的なものが多いです。実際の亡霊の数は、左程変動していませんよ。彼等は常に何処にでも居ますし、何時だって目撃する可能性はあります」
「……でもそれって……目に見えないだけでそこら中に一杯居るって事だよね?」
「まあ確かにそうですが……実害のある霊なんて殆ど居ませんよ。名の如く、幽かに見えるだけの存在が幽霊ですから。仮に脅威になるような、強い想念をもった霊が現れても、此処に滞在する魔法使い達が見過ごす訳がありません。結界で探知されて、すぐに対処されます」
麻帆良学園に集う魔法使いは、学園祭での動きでも解るように常にこの地域を守護している。
彼等とて伊達や酔狂で魔法使いを生業にしている訳ではない。その志は一つ。「立派な魔法使い(マギステル・マギ)」になる事。
この場に居るネギのような想いは、大小少なからず麻帆良学園の魔法使い達の内に有るのだから。
「ま、そういう事だ。つまり結論は“気にする事は無い”。それに尽きる……さて、茶々丸。もう下げていいぞ。休憩は終わりだ」
「了解しましたマスター。では……」
従者らしく、丁寧な一礼をして、茶々丸は茶器や残った洋菓子を片付けていく。その様子を見て、木乃香や刹那達も手伝い――
「ああ、それと今日の修行はこれで終わりだ。時間が来たらお前達は家に帰れ」
そんな、“らしくない”エヴァンジェリンの言葉に全員の動きが止まる。
事、鍛錬に関しては一切の妥協を行わないエヴァンジェリンが、早々に修行を切り上げると言うのだ。驚愕はほぼ全員に。目を見開く者、きょとんとした顔で首を傾げる者、それこそお化けでも見たような顔付きになる者。
「……何だ貴様等その顔は。今日の修行はこれ以上の効果が無さそうだから止めるだけだ。あの犬も中華娘も居ない以上、お前達の手合わせはマンネリになるだけだし……それに私がつまらん。綾瀬夕映と宮崎のどかが居ない以上、座学も出来ん。ひたすら眺めてるだけなのは暇……苦痛なんだよ」
仏頂面で、随分と自己中心的な理由を述べるエヴァンジェリン。
あまりにゴーイングマイウェイなエヴァンジェリンに、一同は呆れ返るが……ある一面では正解である。
今この修行場に集っているメンバーは、本来の数の半分程だ。夏休み、という事で自由な時間が増えてはいる。が、その逆に夏休みという事で他の予定が重なる事も多い。古菲は中国武術研究会の会長であるため夏休み中、その方面で身柄が拘束される時がある。小太郎もあやか、千鶴、夏美の住まう部屋に居候している手前、三人に恩返しという名目で買い物に付き合ったりする。
夕映やのどかに至っては――そもそもこの時期、早乙女ハルナの“趣味”に付き合わされる事が恒例になっている。具体的に言うならば、夏や冬の祭典なるコミックマーケット云々の関連で。長谷川千雨も似たような理由……もっとも彼女の場合、“ちう”なる別名称での用事が原因であるが。
そんな訳で、そんな各々の用事重なり合い、修行場に集まっている人数は少ない。
その為、密度の濃い修行は全員が集合したときに回しても良い。エヴァンジェリンの言うように早目に切り上げても問題は、無い。
無い筈なのだが――
「どうしたんですか師匠? 何か予定とかあったりします?」
「……時々お前は怖いくらいに鋭いな、ぼーや」
一番弟子とも言えるネギは、その違和感に気付く。
修行の能率、鍛錬の効果、最も効果的な修練法――そんな事よりも何よりも、エヴァンジェリン本人の気が“此方”には向いていないと。
何か、別の処を見ているような、そんな気配。
「……大した事じゃないさ。ただ、この後――――知人が一人来るんだよ」
言葉の後には、微かな笑み。その笑みは悪の魔法使いらしからぬ、闇の福音らしからぬ、吸血鬼らしからぬ笑顔。
友愛を含んだ――エヴァンジェリンにしては珍しい微笑みだった。
「――それで有角よ、どうじゃったかな?」
夕刻の学園長室。夏季休暇中のその場所に、近右衛門は居た。
夕日が差し込む橙色の内装を背景に、椅子に座りテーブルを挟んで目前の男を相対する。男もまた、近右衛門同様に椅子に座り視線を向ける。黒のスーツに黒の長髪。それ以外の色が似合わない、そんな想いを抱かせる長身の男。
有角と呼ばれたその男――昼間、亜子達とすれ違ったその男は――静かに返答する。
「……大まかな処は見て廻った。信じられんが報告通りだ。他の者には解らぬだろうが俺には解る。俺があの“気配”を間違える事など無い」
「おぬしがそう言うのならば事実なのじゃろう……出来れば、ワシの勘違いであって欲しかったが」
「他の者ならば間違いなく関連付けまい。むしろよく見抜いてくれた近右衛門。俺ですらこの身が近付くまで感づけなかった微かな気配だ。お前が俺に知らせなかったと思うと恐ろしくなる」
「そう言って貰えると有り難いのぉ……しかし、有り得ん。ワシが気付き、おぬしが肯定した今でもそう思う。こんな事は有り得ん筈じゃ」
苦悩と煩悶の表れか、近右衛門はテーブルに肘を乗せ顔の前で指を組む。組まれた指が何度も微動して、その心の落ち着きの無さを露呈していく。
麻帆良学園学園長、近衛近右衛門。歴戦の魔法使いでもあるその老兵は明らかに――怯え、そして焦っていた。
「ああ。何が原因でこのような事態に陥ったのか……それは俺にも解らん。解るのは早急に手を打たなければ、この学園は壊滅するということだけだ。いや、それだけではすむまい。日本そのものの危機に繋がる」
「……1999年。あの時に全て終わった筈じゃ。この世界に住む全ての魔法使いの荷が一つようやく降りたと思ったんじゃがな……ワシの気のせいじゃったのかのう」
「……それは俺とて同じ事。再びこの身を動かす事になるとは思わなかった」
近右衛門に続く男の言葉にも焦りが見える。そして焦り以上の、何か“別の感情”。
沸き立つような何か。それを男は押し殺している。表に出さぬよう――己の中で燃やしている。
「では……やってくれるか『護る者』よ。今一度、ワシ等人間に力を貸してくれるか?」
「……気にするな。これは自分の宿命にすぎん。お前が俺に頭を下げる必要は無い」
「――恩に着る。出来うる限りの協力はさせて貰う。差し当たって滞在する部屋じゃが――」
「それは先に伝えたように、エヴァンジェリンの処で良い。俺の存在も表に出すには不味かろう」
「……何から何まですまんの。エヴァンジェリンには既に連絡しておる。準備は出来とる筈じゃ」
「ではそうさせて貰う……俺一人の手では余るかも知れんからな。この地にエヴァンジェリンが居たのは不幸中の幸いだった」
「確かに、の。人生、何が得になるか解らんもんじゃが、エヴァンジェリンを引き取って良かったと思っとるよ」
そう言って、近右衛門は笑う。ほんの僅かだが、怯えが消えた笑い声。
それは見方を変えれば目を背けようとする心の現われなのだが――事実として頼もしいからだ。
闇の福音と云われた魔法使いの存在が。そして目の前に座る有角という男が、今の近右衛門にとって誰よりも頼もしい。
何故ならば――近右衛門が考える最悪の事態。それを防げるのは現状、この両名しか居ないと解っているからだ。
この二人以外――“あの脅威”をその身で知っている者が居ないから。
「それではエヴァンジェリンの家に着き次第、再び連絡を入れさせて貰う……お前も備えておけ近衛近右衛門。下手をすれば今夜この地が戦場になってもおかしくは無いからな」
男は不吉な言葉を残して、席を立ち退室する。
近右衛門は男の言葉に激昂することも恐怖することもなく、ただただ真摯に受け止めていた。
充分過ぎる程に有り得る事だと、彼自身が理解していたから――だからこそ有角を呼んだのだから。
「……頼むぞ有角 幻也(ありかど げんや)。いや、アルカードよ――――」
夕暮れの最中、老兵はただ祈る。
夜の闇がこの地を覆わないように――血塗れの狂想曲が奏でられないように、と。
切なる祈りの中、物語が始まる。
正史で語られぬ物語の外典が――――遂に、始まる。
あとがき
多分長くても十話前後の中編で終わります。
そんなに長い話にする予定は無いので。
それにしてもタイトルの段階で色々と展開がモロバレなのはどうしたものか。