高木マニア堂

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252:G馬場の受難②~吉村式海軍鍛錬法とは?

ノンセクション2010年08月17日 09:00 | フォルダ : 

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<2009年11月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

(前回から続く)

 1968(昭和43)年2月16日。東京・後楽園ホール大会で先輩・吉村道明と一騎打ちを行った馬場は、レフェリーを務めたアントニオ猪木の〝陰謀〟によって、勝つには勝ったが、かなりひどい目に遭う。

 日本プロレスのエースは馬場。至宝・インターナショナル王座を保持するのも馬場。だが馬場は力道山のように絶対君主ではない。まだまだ先輩にシゴかれ、鍛えられることも多かった模様だ。

 この時期、馬場は2月28日(東京体育館)、ディック・ザ・ブルーザーを挑戦者に迎えるインター王座防衛戦の準備に余念がない。

 至宝死守は馬場個人の問題ではない。日本プロレス全体の問題だ。

 そこで2月20日から伊豆・白浜海岸で馬場、猪木、大木、吉村の日プロ四天王は若手選手を引き連れ「死の合宿」を敢行。コーチ役はもちろん元日本海軍上等兵曹でもあるベテラン・吉村だ。

 つい先日、レフェリー・猪木が止めないのを良いことに散々、馬場の左腕をキーロックで痛めつけた吉村だが、今度は鬼コーチとして馬場をシゴき抜く。

 同年2月20日付の本紙で吉村は、合宿に向けた意気込みを語っているのだが、その内容がとにかくスゴい…。

「昔の海軍時代を思い出し、徹底的に気合いを入れる(中略)精神棒を持っていって(中略)ブルーザーのパンチに対するの抵抗力をつけなければならないから、毎日、馬場を空手チョップとパンチで200発ずつ殴り、さらに精神棒で
50回殴る(中略)。ブルーザーに絶対勝つために、この前から毎日、馬場を殴っている。オレの手はボコボコだ」
(吉村談)

 まったくもってヒドい…いや凄まじい話だ。これではブルーザーと戦う前に、馬場の肉体が壊れてしまう。

 で、実際に白浜合宿のリポートを読むと――。「馬場は海岸の岩の上で〝シャドー16文キック〟と〝シャドー空手チョップ〟に余念がない」とある。

 おそらく吉村から距離を置き避難していたのだろう。だが、やっぱり吉村に捕まってしまう。

 馬場さんピンチ!

 吉村は痛がる馬場に無理矢理、苦手なブリッジを強要し、その上から猪木(当時118㌔)が乗っかり、グラグラと体重をかけて全員で「がんばれ、がんばれ」とはやし立てている。イジメか? 

 馬場は「痛い…」というのがやっとだったそうだ。

 決戦本番、馬場はブルーザーを2―1で破り、インター王座V20に成功。力道山の持つ防衛記録をも塗り替える。その栄光のカゲに、このような受難の日々があったことを忘れてはならない…。

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