築地市場のレイアウトは鉄道時代のもの、クルマ時代に対応できない
僕は今年の夏、築地市場に自ら足を運んだ。現場を見るといろいろなことがわかってくる。
市場とは別に場内に飲食店や食品店がある。長屋のようなつくりで、間口一間足らずの店も珍しくない。牛丼の吉野家も築地市場が発祥の地だ。人気のお寿司屋さんには行列ができている。場外にはテリー伊藤さんの実家である玉子焼きの「丸武」もある。
築地市場の印象は、とにかく狭い。
築地市場はすでに築70年を超えている。レイアウトにも古さが目立つ。たとえば、築地市場のメーンである水産物部仲卸業者売り場のメインストリートは、緩やかな楕円形のつくりになっている。これは、じつは鉄道時代のレイアウトなのだ。昔は、鮮魚を積んだ貨車を汐留からここに引き込み、荷物の積み卸しをしていた。直角では、貨車が曲がれない。
ところが現在、貨物取扱量は大きく減っており、代わって、多くのトラックが市場に入り込んでいる。これが築地市場が狭くなった原因のひとつで、いまでは道路にあふれた駐車トラックが違反を取られる事態がおきている。
また、アスベストの問題もある。1934年当時はあたり前の建材だった。現在、アスベスト対策処理が進められているが、建物の中心部など半分が残っており、今後も引きつづき処理を行わなければいけない。壊したり、解体したり、余計に手間もかかる。
築地市場のピークはバブル全盛の1987年。水産物の取扱量(トン)を、1980年を100とする指数で見ると、1987年は109。1990年のバブル崩壊まで100以上をキープしていたが、その後の「失われた10年」の間はずっと下降線をたどり、2005年には80まで減少した。青果物も大差はない。
ちなみに、2002年度の築地市場の取扱金額は6300億円。それが2006年度には5800億円まで減少している。この4年間で500億円、約8%も減少している。
これからも減る傾向はつづくだろう。鉄道の時代の物流ではもう間に合わない。いまのままでは、ジリ貧となるしかないのだ。
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