そして、その場合には日本の活字文化も衰退しかねないことに留意すべきです。出版社は活字文化という重要な文化の担い手です。活字文化というと権利者である作者ばかりがクローズアップされがちですが、出版社の果たして来た役割(編集者の貢献、流通独占から得た利益のコンテンツ制作への還元など)を軽視すべきではありません。
そうした出版社が担ってきた役割を誰が代わりに果たせるのかも不明な中で、出版業界の崩壊を“旧産業の宿命”のようなステレオタイプな議論で片付けてはいけないのではないでしょうか。
Tシャツとかジーンズなら、価格低下が進んで国内生産が困難になっても中国などが生産を代替すれば問題ありません。でも、自国の文化を他国に代替してもらうことは不可能です。
だからこそ出版社は、電子出版の普及という環境変化の中でも生き残らないといけないのであり、そのためには、正しいアプローチで電子出版に向き合うことが不可欠です。音楽産業とネットの関わりなどの前例から、何が正しいかは実は明らかなので、既得権益に拘泥せず正しい対応をしてくれることを期待したいものです。
一方で、これだけコンテンツのネット流通が増える中で、私たちユーザの側も認識を改める時期に来ているのではないでしょうか。デフレ下でモノの価格が下がるのは嬉しいものですが、それが社会的に許容できるのは、労働コストが安い他国で生産が可能なものだけです。自国の文化やジャーナリズムといった他国で代替し得ないものにまでデフレが及ぶと、結果的には社会的コストが増大するのであり、電子出版を利用する際もそうした意識を頭の片隅に持つことが大事ではないでしょうか。
今回説明した内容については、先週出版された拙著「ネット帝国主義と日本の敗北」(幻冬舎新書)により詳しく書いていますので、ご関心ある方は是非お読みいただければと思います。