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掲示板に現役食口としては、意外にも冷静なご意見がありましたので、わたしもそれなりの礼節をもって意見を書きました。 KOKOROさんからもお知らせがあり、その「コアバリユー」さんのブログを読んでみました。 大変、冷静なご意見、このところ続いていた中傷にはいささか辟易していましたので、ホッとしました。なかに米本氏のブログ記事を読むようにというおすすめがあったので、読んでみました。
わたしにも思い出があります。 同じホームにいたZ兄(1800双)の相対者が、信仰を失ったという証をしたときの、Z兄の悲痛な涙をわたしは忘れてはいません。 立場が違ったとしても、異性をすきになり、愛し、約束を交わしたならば、それはそれとしてわたしは尊重したいと心より思います。 非難されている宮村氏をわたしは個人的に、好きとか嫌いとかはありません。せいぜいウマがあうとか合わないとかという次元のことはあるかもしれませんが、好きになるも嫌いになるも、それほど同氏のことを知らないというのがほんとうのところです。 しかし、反統一協会という共同の闘いという局面では、たとえ個人的によくは存じ上げなくても、「同志」であり、「仲間」であることは間違いのないことでもあります。 ただ、同氏がどのような「説得」をしているかという個々の事情については。まったく知らないということも事実です。それは100人いれば100人ともそうです。知らないので、同じとも言えなし、違うとも言えません。またわたし自身、相談者によってもそれぞれ違っています。 菅野江里子さんの場合がどのような事情かはわかりませんが、手記を読む限りは、相手の方への愛情を感じます。 愛情を感じている場合、それを「生木をはがす」ような事は誰しもしたくはありません。 それでも、「それは、教義を前提にした幻想」の上にあるもので真実なものではあり得ない、という主張も当然、論理として成り立ちます。 どちらが、当事者にとって良き選択なのかは、おそらく誰にもわからないことだと、わたしは思っています。最後に決めるのは当事者同士でしかないからです。 江里子さんの主体者は、統一協会の教義も、文鮮明の生い立ちも、全部がデタラメであったということに気づいた姿で、彼女の前に現れるという可能性も充分にあります。 その場合にも、主体者の方が、なお江里子さんを愛しているという感情が強くあり、一緒に生涯を一緒に歩みたいという意思が強固であるならば、彼はおそらくは、統一協会の虚偽を江里子さんにも伝えたいと思うに違いありません。わたしは過去にそういう方を何人か知っています。 そのときの選択は厳しいものになるでしょう。 統一原理の信仰を前提にしている限り、非原理に落ちた彼とは結ばれる訳にはいかないと江里子さんが考えるならば、彼が結婚を望んだとしても、江里子さんは、その結婚を拒否する可能性もあります。 もちろんこの逆もあり得ます。 いずれにしても、最後の決断は当事者なのです。 宮村氏が、「祝福家庭を破壊した」と江里子さんが考えても構わないけれども、実際の事情はそう単純ではないのです。 原理の虚偽を知り、文鮮明の嘘を知り尽くしてしまった末の彼自身の決断は、やはり彼自身の決断であって他人に責任を負わせることはできないのです。 わたし自身は、最後は自己責任だという考えです。マインド・コントロールは存在する。しかし、最後は自己責任です。 横浜裁判の今利理絵さんにも同じ話をしました。 彼女は、わたしの話を聞いて、原理の虚偽を知らされたけれども、それを、後になってか、その当時からかは知りませんが、わたしの話を最終的に打ち消して、統一協会の枠の中で主体者と結婚する道を選んだ訳です。 東京裁判の原告のIさんにも、同じ話をしました。 祝福で選ばれた相手をはじめから「生木を引き裂くようにして引き離す」ことは、はじめから論外でした。 なかには、話し合いの場所に来てもらったことさえあります。 一方的な利害を優先して、決めつけをされれば、わたしもただの人ですから、怒りもしますが、しかし冷静に話し合えば、真実をおはなしすることができるでしょう。 わたしは、宮村氏と同じではないかもしれませんが、原理の虚偽や文鮮明の嘘を知ってしまったものとして、その立場からしか江里子さんにはものが言えません。 ただ言えることは、原理が嘘であろうとなかろうと彼を愛しているなら、彼が、もし牧師や宮村氏の話にも耳を傾けてほしいと真剣に願うとしたら、是非とも自らの意思で出向いてみてはいかがでしょう。 そこでやはり原理が正しいと思うなら、それはそのときのことです。あとはお互いが話し合って決めることです。第三者は何も言うことはないでしょう。
論点のすり替えではないですか?
江里子さんが婚約者を失ってしまうことが問題の本質ではありません。例えば、江里子さんの婚約者が自主的に統一教会の間違いに気付き、その結果、お二人の関係が破綻することもあり得るでしょう。その場合、不幸な出来事とは言えても、仕方のないことです。社会的には全く問題はない。 本人の身体を拘束し、拉致監禁下の中で説得すること自体が批判されているのです。間違いを正すためなら、本人の意思に反して拉致監禁しても良しとする態度が批判されているのです。婚約関係が破壊されてしまうことが批判されている問題の本質ではありません。論点をすり替えないように。 (2010年08月10日 18時26分04秒)
NY65さん
>論点のすり替えではないですか? わたしは、コアバリューさんのおすすめで手記を読んだなりのわたしの思いを記事にしたのです。 自分の土俵に他人がはいってこないからと言って、「すり替え」などと言わぬように警告します。ここはわたしの管理するブログですよ。(2010年08月10日 18時36分47秒)
失礼いたしました。江里子さんに同情する様子を見せることにより、問題の本質から読者の目を遠ざけるような意図があるのではないかと勘ぐってしまい、ついあのようなコメントをしてしまいました。申し訳ございませんでした。
ところで、ご存じのとおり、米本さんや早川さんが、ヨシュアさんのことを厳しく批判をされています。私はヨシュアさんの反論を楽しみにしております。お忙しいこととは思いますが、お時間のある時に目の覚めるようなスカッとっした反論をぜひお願いしたいと思います。でわ。(2010年08月10日 19時00分14秒)
taraさん
>> 原理の虚偽や文鮮明の嘘を知ってしまった > >批判はたくさん聞きますが、何が真実なのかは僕にはわかりません。 > >ぜひ詳しくお聞きしたいです。 ----- お話ししたいことはたくさんありますが、今は日曜の午後と受訪は決めています。またこの夏は既に予定が入っています。過去の反省から、グループでの学びの会はしないことにしています。時間を有効に用いるためにもこのブログを利用していただきたく思います。わたしの関心の問題もありますが、もしリクエストがあれば提起してください。(2010年08月10日 21時29分28秒)
NY65さん
>失礼いたしました。江里子さんに同情する様子を見せることにより、問題の本質から読者の目を遠ざけるような意図があるのではないかと勘ぐってしまい、ついあのようなコメントをしてしまいました。申し訳ございませんでした。 いいえ、趣旨をご理解いただきありがとうございます。 >ところで、ご存じのとおり、米本さんや早川さんが、ヨシュアさんのことを厳しく批判をされています。私はヨシュアさんの反論を楽しみにしております。お忙しいこととは思いますが、お時間のある時に目の覚めるようなスカッとっした反論をぜひお願いしたいと思います。でわ。 ----- 目の覚めるような反論はどうかなと思います。わたしはわたわしのことを書かれているのに現実と乖離している人物像を作られていることに素朴な怒りを感じたり、わたしを批判をしてメシを食らっている輩を軽蔑しているだけなのです。あまりたいしたことではありません。(2010年08月10日 21時34分23秒)
荒らすつもりはないのですが、誤解があってもいけないと思いまして、もう少しだけ発言することをお許し下さい。
私は、米本さんと早川さんのブログを読みました。そこで書かれているヨシュアさんに対する批判は、私には適切な批判であると思えました。ですので、私はヨシュアさんに対して悪い印象を持っています。 ここはヨシュアさんが管理されてるブログですので、ヨシュアさんのご趣旨に反したコメントをしたことについては謝罪いたします。しかし、私はヨシュアさんに悪い印象を持っているということはご承知おき下さい。 反論はされないとのこと、とても残念に思いました。ヨシュアさんに対する批判は、看過できない重要な事であると、私には思えるのですが、ヨシュアさんにとっては大したことではないのですね。 ヨシュアさんを批判する私のコメントも削除せず、誠実に対応して下さったことは感謝いたします。ありがとうございました。(2010年08月10日 22時09分51秒)
NY65さん
お元気そうで何よりです。 「拉致監禁しても良しとする態度が批判されているのです。」 ご自身も「批判する」側に立っているのですから受け身で書かれるのは紛らわしいですね。 (2010年08月10日 23時06分29秒)
NY65さん
正直なご意見を嬉しく思いました。早川という人物はよくわかりません。相手にする必要をいまのところ感じていません。米本氏に対してはわたしは「被害者」という意識をもっています。さて、あなたが重要だと思っている点をもっと具体的に書いてくれませんか。たいしたことではないと思うのは米本氏とのやりとりなど事柄の核心に何らふれあうものではないと思っているからです。わたしが相手にしているのは「原理」という思想の問題性や教祖が信者を騙している実態です。こういうことは聞きづらいかもしれませんが、「知ってしまった以上は看過できない」という思いがあるのです。(2010年08月11日 06時37分04秒)
とても愛情味あふれる文章でしたね。ただ、ひとつご質問よろしいでしょうか。「非難されている宮村氏をわたしは個人的に、好きとか嫌いとかはありません。せいぜいウマがあうとか合わないとかという次元のことはあるかもしれませんが、好きになるも嫌いになるも、それほど同氏のことを知らないというのがほんとうのところです。」という文章に対して、米本氏が同氏のブログコメント欄で「ある反カルトメンバーの又聞き情報によれば、最近、都内で、全国弁連が秘密の会合をもった。なんと、そこには高澤氏も宮村氏も参加し、意気揚々としゃべりまくっていたという。さらに驚いたのは、日本基督教団牧師の清水与志雄氏(現行田教会)と川崎経子氏(現「いのちの家」所長)も出席していた、というのである。(清水氏は「婚約者からの訴え」を読んだのですから、当然、この注も読んでいる!)宮村氏のことを知らないというのは真っ赤な嘘である。清水氏の意図に沿って、書くなら、「宮村氏のことは知っているが、個人的に口をきいたことがない」とすべきでしょうね。もう一つの嘘は、「宮村氏をわたしは個人的に、好きとか嫌いとかはありません」。(注2)でも書きましたが、清水氏は私に電話で「宮村は嫌いだよ。日本基督教団の牧師も嫌っている」と話しています。(録音テープあり) 」と書き込んでありました。ヨシュア2002さんはどのようの考えておられますか。(2010年08月11日 19時31分14秒)
ヨシュアさん、ご丁寧な対応感謝いたします。「あなたが重要だと思っている点をもっと具体的に書いてくれませんか」とのヨシュアさんの申し入れはとても嬉しく思いました。
私が最も重要だと思っている点は、米本さんの著書「我らの不快な隣人」に対する反論です。その本の中ではヨシュアさんについて、相当酷いことが書かれていますが、私には正しい内容のように思えました。 ですから、私はその本の影響でヨシュアさんのことをとても酷い人間だと思っております。しかし、一方の言い分だけを聞いてヨシュアさんの人間性について評価を下すことはフェアではありません。当然、ヨシュアさんにも言い分がおありだろうと思っております。ですから、私はその反論をぜひ聞かせて頂きたいと思っております。 牧師という職業は、高い倫理観が要求される職業だと理解しておりますが、その本に書かれてる内容は、一般人の倫理観からしても酷い最低の人間だと思える内容でした。もし、そこに書かれていることが真実であるならば、そのような酷い人間が、牧師という聖職につくことなど許されないのではないかと思えるほどの内容でした。 米本さんの著書は公に流通している一般の書籍です。米本さんの著書の内容が間違っているのなら、きちんと間違いを指摘して身の潔白を明らかにすることは、聖職者であるヨシュアさんにとって、とても重要なことではないかと考えました。 具体的にということですが、現在、私は米本さんの著書を友人に貸しておりまして手元にないのです。至急、友人から著書を返してもらい、具体的な部分を書かせてもらうつもりですので、もう少し時間的猶予を頂ければと思います。(2010年08月11日 20時10分40秒)
それと、現在、米本さんと早川さんがヨシュアさんのことをブログ上で批判しています。早川さんがヨシュアさんのことを批判しているポイントは、「ヨシュアさんの米本さんに対するネット上の発言は明らかに名誉毀損に該当する」というものです。
この点について、米本さんもヨシュアさんのことを侮辱するような発言をされているので、正直、私は、どっちもどっちかなという印象をもっておりました。ヨシュアさんは、ご自身が「被害者」であると言われていますが、私は、米本さんとヨシュアさんとの間の過去の経緯について知りませんから、ほんとにヨシュアさんが「被害者」なのかどうか私には判断できません。現状を見る限り、侮辱的表現に関しては、私にはどっちもどっちという風に思えました。 ところが、早川さんのブログを読むと、ヨシュアさんの過去の発言で、明らかに名誉毀損に該当すると思われるのものがあるのです。(2010年08月11日 20時14分35秒)
例えば、この部分↓
早川ブログ「なぜ豹変したのか」 http://plaza.rakuten.co.jp/tthayakawa/diary/201008030000/ --------------- >米本は一応ふれこみでは >「ノンフィクションライター」ということにしているけれども、 >実際は、はじめから「何を書くか」という焦点を絞って、 >カモをになる対象を探し、探しあてると、 >自分が書きたいような内容を相手にしゃべらすように、 >さまざまな偏見や誤情報を与えて、 >誘導してゆくという「手法」をとる。 >問題的な現実が彼に訪れるのではなく、 >彼が書きたい現実を作り出す。 >そういう意味では、「シナリオライター」と言ったほうがいい。 --------------- これは明らかに名誉毀損に該当すると私には思えます。仮に、ヨシュアさんが「被害者」であって、米本さんの方が何倍もヨシュアさんの名誉を毀損する発言をしていたとしても、上記のようなヨシュアさんの発言は許されるものではないと思います。 公の場でこのような批判がされていること、全くでたらめな批判ではなくそれなりの説得力ある批判であること、ヨシュアさんが聖職者である牧師というお立場であること、等を考えれば、ヨシュアさんが、このような批判に対して公に釈明することはとても重要なことではないかと私は考えました。(2010年08月11日 20時15分24秒)
henjoukongou777さん
ネット上で個人のことを書くのはわたしの好むところではないが、宮村氏についYてよく知らないというのは全くの事実です。会議の席上同席していたくらいで知っているというのはわたしの感覚では言えることではありません。よく知らないという表現は一度も会ったことがないということを意味する訳でもないでしょう。いずれにしても私のコメントが嘘だというのはおかしいことです。 (2010年08月11日 21時16分52秒)
NY65さん
>例えば、この部分↓ > >早川ブログ「なぜ豹変したのか」 > http://plaza.rakuten.co.jp/tthayakawa/diary/201008030000/ >--------------- >>米本は一応ふれこみでは >>「ノンフィクションライター」ということにしているけれども、 >>実際は、はじめから「何を書くか」という焦点を絞って、 >>カモをになる対象を探し、探しあてると、 >>自分が書きたいような内容を相手にしゃべらすように、 >>さまざまな偏見や誤情報を与えて、 >>誘導してゆくという「手法」をとる。 >>問題的な現実が彼に訪れるのではなく、 >>彼が書きたい現実を作り出す。 >>そういう意味では、「シナリオライター」と言ったほうがいい。 >--------------- > >これは明らかに名誉毀損に該当すると私には思えます。仮に、ヨシュアさんが「被害者」であって、米本さんの方が何倍もヨシュアさんの名誉を毀損する発言をしていたとしても、上記のようなヨシュアさんの発言は許されるものではないと思います。 > >公の場でこのような批判がされていること、全くでたらめな批判ではなくそれなりの説得力ある批判であること、ヨシュアさんが聖職者である牧師というお立場であること、等を考えれば、ヨシュアさんが、このような批判に対して公に釈明することはとても重要なことではないかと私は考えました。 ----- 名誉毀損にあたるかとはわたし自身は思っていません。わたしから見えるままを書いたつもりです。(2010年08月11日 21時19分01秒)
NY65さん
>ヨシュアさん、ご丁寧な対応感謝いたします。「あなたが重要だと思っている点をもっと具体的に書いてくれませんか」とのヨシュアさんの申し入れはとても嬉しく思いました。 ----- わたしはわたしへの中傷本をこのブログで検討するということは気がすすみません。もし差しつかえなければ、あなたご自身との個人的な信頼関係のなかでの作業でということではできませんか。 わたしがお答えできる部分はお答えしますし、できないことはできないとお答えします。わたしは米本氏の本を一部しか読んではいませんし、読む気もしません。ですので、あくまでも事実は事実ということでしかお答えできませんが、きっと誤解はとけるものと信じています。(2010年08月11日 21時26分39秒)
>名誉毀損にあたるかとはわたし自身は思っていません。
>わたしから見えるままを書いたつもりです。 了解しました。私はヨシュアさんと意見は異なりますし、いろいろと思うことはありますが、この件でこれ以上議論をしても嫌悪な雰囲気になるだけで良いことにはならないと思いますので、この件については、これ以上言いません。誠実なご回答ありがとうございました。(2010年08月11日 23時07分15秒)
>もし差しつかえなければ、あなたご自身との個人的な信頼関係のなかでの作業
>でということではできませんか。 率直に言ってかなり抵抗を感じました。と言いますのも、米本さんの書籍に対する反論を私が聞いたところで、私は、ヨシュアさんの反論が正しいのかどうかを判断する情報が圧倒的に少ないのです。ですから、ヨシュアさんの反論が正しいかどうかを米本さんに問い合わせ、「ヨシュアさんの反論について、米本さんはさらにこのように再反論されてますが、それについてどう反論されますか?」というようなことを、またヨシュアさんに問い合わせる。そんな作業を延々と強いられることになると思うのです。納得のいく回答を得ようとすればそうなると思います。 もし、このブログで米本さんの書籍に対する反論をヨシュアさんがした場合、当然、このブログは米本さんも見ているわけですから、ヨシュアさんの言ってる反論は間違ってると米本さんが判断されれば、ご自身のブログで当然そのことを書かれるはずです。私はヨシュアさんの言い分と米本さんの言い分を比較し、どちらの言い分が正しいかを評価すれば良い。私とヨシュアさんとの間だけでやりとりする場合と比較し、圧倒的に楽な作業になります。(2010年08月11日 23時10分56秒)
それに、米本さんは、公の書籍で公にヨシュアさんのことを批判しています。だから、反論するのも公の場で反論するのがフェアであるとも思いますし、うがった見方をすれば、公の場で話をしないのは、やましいことがあるからだと勘ぐってしまいます。
やましいことがないのであれば、公の場で反論することは、ヨシュアさんの身の潔白を証明することにもなるのだし、ヨシュアさんにとっても都合の良い話のはずです。なのにそれをしないのは、やはり、やましいことがあるのではないか、このように考えても無理はないのではないかとも思えます。 ですが、自分のことを酷く書かれている書籍を読むことは心理的抵抗が大きいだろうということは想像できますし、このブログでそういった話をするのもかなりの心理的苦痛を伴うだろうと言うことも想像できますから、ヨシュアさんのご提案も全くわからないわけではありません。 苦痛が伴っても誠実に回答しようとされているヨシュアさんの態度はとても立派だとも思いますし、ヨシュアさんが私のようなものに、そこまで言った下さることはとてもありがたい事だとも思っております。ですが、やはり公の場でないと抵抗はあるのです。 ちょっと考えさせて下さい。申し訳ございません。(2010年08月11日 23時11分45秒)
henjoukongou777さん
>ヨシュア2002さん > >丁寧な回答ありがとうございます。では、引用の後半部分についてはいかがですか。再掲します。「もう一つの嘘は、「宮村氏をわたしは個人的に、好きとか嫌いとかはありません」。(注2)でも書きましたが、清水氏は私に電話で「宮村は嫌いだよ。日本基督教団の牧師も嫌っている」と話しています。(録音テープあり) 」という部分です。 ----- 10数年前の言葉を持ち出してくることの異様さを、自分に適用してごらん。 ほとんど無意味です。(2010年08月12日 00時16分09秒)
ヨシュア2002さん
宮村氏のことを当時、あまり好きでない、嫌いだという感情があるとすれば、それは彼に対する批判を聞いていたせいでしょうね。内容についてはむろん書きません。 もしテープをわたしの許可もなくとっていたら、それはそれで大きな倫理的な問題です。 朝日新聞なら即刻解雇でしょう。フリーだから許されるという問題ではありません。(2010年08月12日 00時20分17秒)
henjoukongou777さん
前半部分については、米本さんとhenjoukongou777さんが、ヨシュア2002さんの発言から「それほど」という単語を読み落とし、誤解していただけですが、その件について、henjoukongou777さんからの謝罪の言葉は一切ありません。 「ヨシュア2002さんが嘘つきで、米本さんがそれを暴く」というシナリオのもと、誤解を重ね、その誤解があきらかとなっても、謝罪が出来ない。そういった人々に対して、事実を一つ一つ説明していく事が、時間の有効的な利用法であるとは、私は思いません。 実際問題、ヨシュア2002さんの教会や職場での立場に悪影響が出れば、ヨシュア2002さんも対処する必要が出てくるかもしれませんが、現状では、その本の内容を真に受ける人は少ないでしょう。むしろひどい書かれ様だとヨシュア2002さんに同情する声の方が多いのではないでしょうか? 後半部分については、例え録音テープが残っていたとしても、その時の米本さんの質問の仕方にもよるでしょう。米本さんが宮村氏についての悪い噂話を言い連ねた後で、「(そういう人間を)どう思うか?」と、ヨシュアさんに問いかけたとします。それに対して、ヨシュアさんが、「(もしその悪い噂話が本当であれば、そういう人間は)嫌いだ。」と答えているだけかもしれません。米本さんは録音テープを都合よく編集して公開することも可能です。 啓蒙とプロパガンダの区別がつかない人もいるようですが、啓蒙とプロパガンダは異なります。啓蒙は客観的事実に即して行われます。 米本さんや統一教会は「客観的事実だ」と口では言っていますが、実際には「憶測」の域を脱していません。 プロパガンダではなく、啓蒙がしたいのであれば、米本さんは、まず事実の確認を先にすべきでした。(2010年08月12日 03時19分06秒)
清水さんに報告しておきます。
清水さんに差し上げた手紙は、私の火の粉ブログ http://yonemoto.blog63.fc2.com/ にも、アップしておきました。 また、日本基督教団の議長にも差し上げた手紙もアップしておきました。議長への手紙は、清水さんはご存じないと思うので、一読していただけたら幸いです。 なお、老婆心ながら、SDGさんと連絡を取りたい旨のことが、このコメント欄で書かれていましたが(私の手紙を受け取ってから。そして、なぜか、削除)、お節介かもしれませんが、ご相談されるなら、日本基督教団の仲間、とりわけ盟友である杉本誠さんがいいと思います。彼は比較的、常識人だと思っていますので。 それに、山崎浩子さんを脱会説得した同志ではありませんか!(2010年08月12日 23時41分35秒)
米本さんのブログを読みました。米本さんは本気で訴訟提起をされるおつもりであると私には思えました。
ヨシュアさんにとって、極めて重大な状況に直面していると思われますので、私のコメントに対する対応などでお手を煩わせることになっても申し訳ないと思いまして、その件が解決するまで、私はコメントを控えることにいたします。米本さんへの対応に集中して頂けたらと思います。 私個人の希望的意見としては、悪口の言い合いは、不毛で内容のない話だと思っているので、速やかに解決し、本質的な議論のできる環境が整うことを願っております。冷静で大人の対応をされることを願っております。 でわ、これで私はしばらくコメントを控えます。(2010年08月13日 09時35分09秒)
NY65さん
>米本さんのブログを読みました。米本さんは本気で訴訟提起をされるおつもりであると私には思えました。 これを受けて、清水さんが間違った受け止め方をされると双方にとって不幸なことが起きると思い、私の正直な気持ちを伝えておくことにいたします。 私の気持ちは、清水さんと日本基督教団への手紙に書いた通りです。 「言論の自由は最大限に守られるべきという立場にある私は、清水氏を裁判に訴えるようなことはしたくありません。 私が彼に要求しているのは、削除・訂正・謝罪であります。 私のささやかな要求が実現するように、貴教団が行田教会の清水与志雄牧師を指導してください。つまり、私が清水牧師を裁判に訴える必要がないようにして欲しいのです。 よろしくお願いいたします」(議長宛) 「このささやかな要求に応じなければ、法的措置(民法七〇九条・七一〇条・七二三条)を取ることを通告しておく。さいたま地裁でお目にかかるかどうかは貴殿次第である」(清水氏宛) これ以上でもこれ以下でもありません。(2010年08月13日 16時56分57秒)
自分はさんざん垂れ流しておいて、
人権や名誉を語る感性にあきれかえる。 被害者意識から始まったことは、 被害者意識に帰結していくんだなぁ。 「事実誤認や訂正依頼があれば連絡して来い」…? 相手が信用に足るならそれも有りかもしれないが、 皆が自分のブログを読んでチェックしているとでも 思っているのなら、それは自意識過剰ではないか? 架空請求詐欺の会社みたいに、 連絡するのが危ない相手というものもあり、 連絡しないから認めているというわけではあるまいに。 自己評価が高すぎる、勘違いしてるよ。 「間違っているなら訂正する」と書けば、 自分の文章は名誉毀損にならないとでも思っているのか? こどものケンカじゃあるまいし、 思考から幼児性が抜けていないんじゃないか? 更に更に被害者意識を強めていくより、 なぜ相手にされなくなったのか、よく考えてみよ。 大好きな杉本先生にでも叱りつけてもらえ。(2010年08月13日 22時22分51秒)
>火の粉ブログ http://yonemoto.blog63.fc2.com/
米本さんの頭の中にある構図は以下のようなものであるとの事ですが、 統一教会の違法行為にNO←私・反統一教会派・知識人を含む世間 統一教会信者への拉致監禁にNO←私・統一教会派・知識人を含む世間(水面下の真実が広く伝われば) 「統一教会の違法行為」が明確に定義されたものであるのに対して、「統一教会信者への拉致監禁」は定義が明確ではありません。「拉致監禁が犯罪あるいは違法行為である」と言うのであれば、以下のように定義されます。 統一教会への入信説得における違法行為にNO←米本さん・反統一教会派・知識人を含む世間 統一教会からの脱会説得における違法行為にNO←米本さん、統一教会派、知識人を含む世間 これについては私も、もちろんヨシュア2002さんも、ほとんどの反統一教会派もNOなのです。 脱会説得が、(客観的に見て保護説得と呼べるものであれば容認するが、)拉致監禁とみなすべき違法行為であれば、ヨシュア2002さんも当然NOなのです。そんな事は、わざわざ聞くまでも無く、このブログを読むだけでわかる事です。「拉致監禁がNOである」という点については、米本さんとヨシュア2002さんとの間に意見の相違はありません。意見の相違が無い部分を議論する必要は無いのですが、何故か米本さんや拉致監禁をアピールする人々は、ここを論点として執拗にヨシュア2002さんに絡んでいます。 意見が食い違っているのは、「そもそもヨシュア2002さんがアドバイスした脱会説得が客観的にみて拉致監禁と呼べるようなものであったか」という部分です。この問題から先に解決しない事には、その後の議論は空論です。(2010年08月14日 02時41分48秒)
振り込め詐欺の騙しのテクニックに、
「話の論点をどんどん先に進める」というものがあります。 例えば、「貴方の旦那さんや子供さんがアダルト・サイトの利用料を払っていないので、 今すぐ振り込むように」と、振り込め詐欺の電話がかかってくる事があります。 騙す側は、「そもそも利用したのかどうか」という根本的な事実の確認をすっ飛ばして、 「いつ振り込むのですか?」「どうやって振り込むのですか?」 「サービスを利用して料金を払わないのは悪い事ですよね?私間違った事言ってますか?」 「振り込まなかった場合の裁判の手続きについて」「そこで有罪になった場合について」 などという先々の話を矢継ぎ早に浴びせてくるのです。 話の論点を先に進めることで、利用したという事が既成事実であるかのように錯覚させる手口です。 そういった場合には、相手のペースに惑わされず冷静になって 「まず利用したかどうかを主人/子供に確認させてください」 「まずサイトを利用したという証拠を出してください」と言うのが、正しい対処法です。 事実とは積み重ねていくものです。飛躍してはいけません。 まずはそもそも本当に拉致監禁という犯罪行為が行われていたのか? 脱会説得時に逮捕監禁や暴行虐待などの違法行為が行われていたのか? 統一教会や米本さんは、悲惨で強烈なイメージを読む人あるいは聞く人に印象付けるその“話術”によって、あたかもそれが事実であるかのような錯覚を誘いますが、冷静に検証していけば、それは客観的事実ではないのです。 統一教会の神様の為なら、嘘をついても良いと教えられている統一教会員、そんな統一教会員の証言があれば良い。 司法などによる客観的な検証など必要ない。 拉致監禁をアピールする人々にとっての「事実」とは、その程度のものであるという事です。 それは私たちにとっての「事実」(客観的事実)とは別の概念です。(2010年08月14日 02時43分39秒)
あらゆる局面に於いて客観性を保てていないところが米本さんの一番の問題点だと思います。
米本さんがSDGさんを罵倒していましたが、米本さんが他者に対して執拗に悪罵を浴びせ、揶揄する時にはある決まったパターンが見受けられます。 私自身も火の粉ブログのコメント欄で何度かやられていますが、米本さんのパーソナリティや深層心理が読み取れて興味深いですね。 何故米本さんがSDGさんと正面から議論しようとしないのか?その理由は明白です。 米本さんの言説は総てSDGさんによって論破されています。 臆病さの裏返しで『脊髄反射』してしまうのでしょう。 「弱い犬ほどよく吠える」と言いますからね。 また、韓定食さんに食口だと見抜かれた早川なる人物に頼る様は、情報コントロールを受けているとの分析を更に補強しています。 火の粉ブログでの米本さんお得意のパターンは続いています。 『[重大な警告] 再三再四、注意していますが、このブログのメインテーマは菅野江里子さんからの訴えです。 訴えに共感される方は、呼びかけに応え、関係先に葉書や手紙を送ればいい。 共感されない方は無視すればいい。それだけのことです。 これ以降、テーマと関係のない投稿があれば、問答無用で、削除します。 ほんとうにしつこい! 08/13 14:55 By:管理人 』 こうやって自分の意に沿わない意見を発する人物を排除していくという訳です。 ブログの内容に共感しない人は無視すればいいと言いながら、実際に無視されると反応がないとふて腐れます。 困った人です。 (2010年08月14日 09時10分47秒)
ああ、やっぱりあの早川って人物は食口だったんだ
統一協会の信者って本当に卑劣で姑息だよな 自分の信じていることも明らかにできない こんな宗教が真の宗教であるわけないw(2010年08月15日 00時04分11秒)
遍照金剛さん
>なぜ、礼節を重んじるようにというあなたの言葉に忠実に従ってきた私の投稿を削除してしまったのですか。 決して「一方的」ではないことは、まともな読者なら理解できるでしょう。(2010年08月16日 21時21分23秒)
以前にも書きましたが、どんなに言葉使いが丁寧で真面目であっても、コメントの内容が見当違いなものであれば、建設的な議論の要素とはなりません。
「礼節を重んじる」とは、言葉遣いが丁寧であるという事だけではないのです。 henjoukongou777さんは表面的な礼節だけに捉われて、中身の礼節が失われています。 人の意見を聞かず、自分の独り善がりな主張をひたすら押し付け、その主張が間違っていた事があきらかになっても、一言の謝罪も無い。どんなに言葉遣いが丁寧でも、そんな事を繰り返していては、礼節があるとは言えません。(2010年08月16日 22時06分09秒)
匿名さん
>ああ、やっぱりあの早川って人物は食口だったんだ >統一協会の信者って本当に卑劣で姑息だよな 食口もしくは元食口が読めば、早川さんの記事はすぐに統一教会関係者だと分かりますよね。 詳細は、韓定食さんが以下の記事で証明してくださっています。 「マインドコントロールの恐怖」 http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/201002160000/ (2010年08月17日 00時11分06秒) │<< 前へ │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |