高木マニア堂

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251:G馬場の受難①~チャンピオンにロープはない!

ノンセクション2010年08月16日 09:00 | フォルダ : 

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<2009年11月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」より>

 アントニオ猪木が、ジャイアント馬場の試合をレフェリングしたことがあるという事実をご存知だろうか?

 時は1968(昭和43)年2月16日。まさにBI砲の全盛時代のこと。 舞台は日本プロレスのダイナミックシリーズ開幕戦(後楽園ホール)だった。

 この日、東京が17年ぶりの大雪に見舞われ、ハリー・レイス、キラー・オースチン、ディック・マードック、バロン・シクルナ、テネシー・リベルら外国人勢は羽田空港に降り立つことができず札幌・千歳空港へと到着する。

 この時代の日プロに、トップクラスの日本人対決という概念はない。ほぼ「日本人vs外国人」と相場は決まっている。

 だが外国人選手が会場入りできないのではカード編成は不可能。そこで、この日のメーンイベントには急きょ「馬場vs吉村道明」という異色カードが組まれる。日プロのエースvsマッチメーカーという対決だ。ファンサービスも兼ね、レフェリーは試合からあぶれた猪木が務めることになった。

 当時の本紙を参考に試合展開を追う。

 腕、足の取り合いからリストロックというオーソドックスな攻防からスタート。馬場が16文キック3連発を見舞えば、吉村はソバット→リストロック→キーロックで絞り上げる。

 見る見るうちに血の気が失せる馬場の左手。だが冷静沈着な馬場は、ロープへと足を延ばし「ブレーク」と、レフェリーの指示を待つ。

 ところが猪木レフェリーは鬼だった。そして馬場に厳しかった。

「チャンピオンにロープはない!」と一喝し、ロープから馬場の足を引き離した上で、キーロックを続行させてしまったのだ。何となく納得させられてしまうが、実は全く理屈が通っていない…。今も昔も猪木は猪木だ。

 苦笑いしつつも苦悶の表情の馬場は、吉村の顔面を蹴っ飛ばして鍵地獄から脱出。ココナツクラッシュから、空手チョップの連打でリズムを取り戻す。テクニシャン・吉村がジャックナイフ式のエビ固めを仕掛けようとしたところを、巴投げで投げ飛ばし、そのまま両肩に両足首をフックしつつ1回転して押さえ込み3カウントを奪った。 

 記録では「15分36秒 逆さ押さえ込み」となっているが、形からするとエビ固めだろう。

 平成維震軍旗揚げ戦で狂虎タイガー・ジェット・シンと戦った越中詩郎、デビュー間もなく、ムタの毒霧に苦しんだ小川直也など、ファジーかつ
フィーリング重視の猪木のレフェリング
でひどい目に遭った選手は数多い。

 そんなレフェリー・猪木の被害者第1号は馬場だったのだ。

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