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2007-08-05

[]「偵察写真が語る第二次世界大戦 ペリリュー」

CATVの「ヒストリーチャンネル・ジャパン」で放送中のシリーズ「偵察写真が語る第二次世界大戦」のうちの一話、「ペリリュー」を見る(他のエピソードも主だったものは録画しているが)。先日言及した吉川弘文館の「戦争の日本史」シリーズ第23巻、『アジア・太平洋戦争』には次のような一節がある。

現在、硫黄島の戦闘はあたかも日本軍のテルモピュライの如くに伝説化され、栗林は英雄視されることが多い。確かにその戦い振りは水際立ったものだが、「硫黄島」を過大に評価すれば戦史の理解を誤ることになろう。彼の採用した持久作戦は決して彼一人の独創になるものではなく、硫黄島が唯一の例というわけでもない。先にも述べたように、制空権・制海権を失い、きわめて劣勢な兵力しかない情況で、日本近海の島々の防衛戦にやむなく採用された時間稼ぎのための戦法である。そして、同様の戦術が悲惨な結果を招いたのが沖縄の戦闘であった。

(269ページ)

「水際」決戦を否定して長期抗戦を実現した栗林の指揮を「水際立った」と表現するのはちと妙な気がするがそれは余談として、ここで言われている先例にあたるのがパラオ諸島のひとつペリリューをめぐる攻防戦。

この戦術〔水際で総攻撃するのではなくゲリラ戦で抵抗する戦術〕は九月からのペリリュー島での戦闘で採用され、洞窟にこもって戦った日本軍は米軍にかなりの損害を与えた。

(同書、268ページ)

日本側の主力は第14師団の歩兵第2連隊、アメリカ側の主力は第1海兵師団。番組によれば日本軍は「水際」でもかなりの攻撃をしかけているようだが、安易なバンザイ・アタックを避けたのは硫黄島と共通している(そのため、最後の兵士が投降したのは47年になってからのことだった)。「米軍にかなりの損害を与えた」とされているが、戦死者に限れば日本側は約1万人で総兵力の大半が死亡しているのに対し、アメリカ側は戦死者1,684人で総兵力の5%にも満たない(太平洋戦争研究会編、『太平洋戦争主要戦闘事典』、PHP文庫、による)。「戦死傷者」で比べればほぼ同数なのだが、日本側の場合戦傷を負って生き延びた(捕虜になった)ケースがほとんどないのである。普通に戦争をしていれば米軍のように戦死者の数倍の戦傷者がいるのがあたりまえだから、日本軍の戦い方の異様さがよく分かる。

おらおら 2007/09/08 14:21
>日本側の場合戦傷を負って生き延びた(捕虜になった)ケースがほとんどないのである。普通に戦争をしていれば米軍のように戦死者の数倍の戦傷者がいるのがあたりまえだから、日本軍の戦い方の異様さがよく分かる。

そりゃあ・・日本軍には負傷兵の医療なんかする余裕無いですからね・・
米軍は背後に完璧な医療体制がありましたから。助けられる兵も死んでいく。。

ApemanApeman 2007/09/08 17:31 コレヒドール要塞で捕虜になった米比軍も食料や医薬品の欠乏に悩んでいましたが、餓死者がばたばたと出る前に降伏したので「ほとんどが戦死」などという事態にはなってません。日本軍の場合、単に重傷者の手当ができずに死なせてしまうだけでなく、捕虜とならないよう自決させてもいるんであって、単に医療体制の不備だけが問題なのではありません。

AzaleaAzalea 2008/08/11 19:23 クリント・イーストウッドの『硫黄島からの手紙』にも米軍に投降した日本兵が射殺されるシーンがありますが、戦闘参加者のほぼ全てが戦死するという状況を作り出したのは、多分に米軍の対応にも原因があるといえるのではないでしょうか。
太平洋戦争に従軍したチャールズ・リンドバーグの著した『リンドバーグ日誌』には、

談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」と、将校の一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
「(原文伏字)では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる。
(中略)
「将校連は尋問するために捕虜を欲しがる。ところが、捕虜1名に付きシドニーヘ2週間の休暇を与えるというお触れを出さない限り、捕虜が一人も手に入らない。お触れが出た途端に持て余すほどの捕虜が手に入るのだ」「しかし、いざ休暇の懸賞を取り消すと、捕虜は一人も入って来なくなる。兵どもはただ、一人もつかまらなかったよとうそぶくだけなんだ」

という記述があります。
日本兵といっても、大半は戦陣訓も読んだことのないような徴兵された普通の一般市民です。それら全てを僅かの間で、死ぬまで戦い続けさせるような教育を施すことのほうが不自然に感じます。死ぬまで戦い続けざるを得ないような状況がそこにあったのだと考えるほうが自然ではないでしょうか。

ApemanApeman 2008/08/11 23:55 Azaleaさん

もちろん、連合国軍が捕虜になった日本軍将兵を殺害した事例はあります。その点に疑いの余地はありません。しかしリンドバーグの日誌はネットでもよく引用されてますが、逆に言えばそればっかりですよね? その種の戦争犯罪が(1)どの程度の頻度で、(2)時間的にどの程度の一般性で、また(3)空間的にどの程度の一般性で、そして(4)どの程度組織的に発生したのかをきちんとおさえなければ、それこそ南京事件否定派の定番のいいわけである「どんな軍隊にも不祥事がある」以上のものであるかどうかを言うことはできせん。さらにあなたの仮説を裏付けるには(5)米軍による捕虜殺害が日本側にはどの程度伝わっており、(6)伝わっていたとしてその情報が日本側でどのように受容されているのか、を実証的に検討する必要があります。そもそも、最初の“公式”な玉砕であるアッツ島の戦闘は43年5月、ガダルカナルはそれより早く42年8月からなのであって、日本が優勢だった42年夏の段階で「米軍の捕虜になると殺される」という事実に基づいた情報が広く知られていたということはまず考えられません。しかしそのときすでに日本軍は「最後の一兵まで戦う」姿勢を見せていたわけです。

>それら全てを僅かの間で、死ぬまで戦い続けさせるような教育を施すことのほうが不自然に感じます。

「僅かの間」って、初年兵教育についてどの程度ご存知なのでしょうか? それから、成年男子が兵役前には戦陣訓なんて読んだことがない、というのはもちろんあったことでしょうが、そして戦況が悪化すれば初年兵教育も簡略化されてはいくわけですが、他方で各地の「玉砕」が新聞報道で称えられているのを目にすれば、「死ぬまで戦わねばならない」という意識は醸成されます。さらに言えば、なにも全員に「死ぬまで戦うという意識」を植えつける必要はないんですね。実際問題として、そのような意識から自由だった人もいるわけです。しかし上官に突撃を命じられれば、それを無視したり逃げ出すこともまた非常にリスクの高い選択になるわけです(敵前逃亡ですから)。昨日 NHK BSハイビジョンで放映されたレイテ戦についてのドキュメンタリーでも、独断で撤退した大隊長が連隊長に面罵されたうえ再出撃を命じられ、大隊長は単身敵地に赴いて死亡(自決か戦死かは不明)、残された部下達も結局再び前線に向かわされた・・・と言った証言がありました。「捕虜になると殺される」からであれば、撤退すればいいわけです。撤退を許さないのは米軍の捕虜取扱とは無関係な、日本軍の体質です。

AzaleaAzalea 2008/08/12 06:02 あなたは戦争犯罪を研究するブログを運用されているようなので、連合国、欧米の軍隊の戦争犯罪にもお詳しいと存じますが、米軍の捕虜殺害の証言はリンドバーグだけではないことはご存知でしょう。
捕虜を殺害したというような話だけなら随分ありますが、その中でもリンドバーグの日記が特筆されるのは、「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることが出来る」という核心的な米軍将校の認識が語られているからではないですか。
捕虜が少ないのは殺害するからだと米軍側が認識している話なので、ただの一事件だからと無視できない記述ではないでしょうか。
またリンドバーグ以外にもそれに似たような記述もあります。ジョン・ダワーの『容赦なき戦争』では

ニューギニア戦線でのオーストラリア軍やマッカサー指揮下の第41師団は、「捕虜を取らない」つまり武器を捨て両手を上に挙げて降伏しようとする日本兵や、既に降伏した日本兵を殺するので有名だった。
軍事歴史家デニス・ウォーナーは1982年に出版した日本の特攻隊に関する本の中で、ブーゲンビル島での自らの体験を紹介している。そこで彼は、投降しようとした日本の負傷兵を、オーストラリア軍の司令官が射殺するように命じるのを目撃する。
「しかし彼等は傷つき、おまけに降伏を望んでいます」と、日本軍の大規模攻撃が失敗に終わったあとの戦場で、部下の大佐が司令官に反論した。 「私の言うことが聞こえただろう」と、両手を挙げた日本兵からわすか数ヤード離れただけの少将(司令官)は答えた。「捕虜はいらない。全員射殺してしまえ」。そして彼等は撃たれた。
日本軍も負傷兵や捕虜に対する連合国側の殺害に関する情報をつかんでいて、戦時中の日本からの対米宣伝放送(東京ローズ)では、第41師団のことを「屠殺者、Slaughterer」と呼んでいた。 終戦直後ある米陸軍大尉が公表した記事には、第41師団、捕虜を取らずという堂々たる見出しが付けられていた。この師団が例外的に日本兵を捕虜にしたのは、軍事情報の収集のために捕虜が必要な場合だけであった。

とあり、少なくともこの米第41師団については(1)常態的に(2)全作戦期間のうちの大部分で(3)作戦範囲の全体において(4)師団隷下の各部隊が、組織的に捕虜や投降兵を殺していたといえるのではないですか。
そして厭戦放送で言及されたということは、ある程度周知の事で、日本も実態を把握していたということでしょう。
日本やドイツは敗戦し戦争犯罪は徹底的に追及されましたが、米軍は戦後も英雄のままだったためこういった話が表にでにくいということはあるでしょうが、だからといって少なかったと片付けられるものでは無い気がします。
昭和18年ごろは投降しても殺されるとわかっていなかったとの事ですが、リンドバーグの1944年の日記にある処刑は、殺されるとは思わず降伏してきた日本兵2000人が9割以上殺害されたという話ではないですか。
アッツでは突撃命令で皆死ぬまで戦ったのかどうかはわかりませんが、玉砕という結果だから捕虜殺害は関係ないというのは循環論法になるのではないかと思います。

また故山本七平氏は『私の中の日本軍』で
「私自身『戦陣訓』を読んだ事もなければ、読まされた記憶もなければ、講義されたこともない。第一、一度も手にしたことがないから、一体全体どんな本なのか、その外貌すら知らない。」
と記し、また戦陣訓という訓話が戦場で個人の行動を規定し続けるということは否定しておられますよ。
予備士官学校を出て士官になった人物でもそうなのだから、召集兵一人一人にまで教育が徹底しているとは考えにくいのではないですか。
いくらか教育はなされていたとしても、死ぬまで戦いつづけることをほぼ全ての兵士に徹底できたとは信じられません。
玉砕するべきという意識がマスコミを通して根付いていたにせよ、志願兵のように意識の高い人ならともかく、召集されただけの普通の人は100%の死を選ぶくらいなら、卑怯といわれても生きたいと思うのが普通でしょうからね。
同書の中にも、日本兵は処刑された死体を見つけると投降して処刑されたと思うのだと書いてあります。
山本氏は情報収集源である捕虜は大切にされるものだとその認識を否定していますが、情報収集のための一部以外の捕虜の扱いは別問題でしょう。
少なくとも投降したら殺されるという意識が日本兵に扶植されていたのは事実のようで、米軍の行動がその意識にまるで無関係とはいえない気がします。

玉砕せずに撤退すればいいという話も、日本軍も撤退できる戦場では玉砕せずに撤退していることがほとんどだと思いますよ。
比較的初期のガダルカナルもPM攻略でも撤退していますし、アッツの隣のキスカにしても攻撃される前に撤退しています。
包囲されたり、島嶼防衛で海上封鎖されれば撤退する場所がないために、不可避的に玉砕になるのではないでしょうか。

ApemanApeman 2008/08/12 12:43 >米軍の捕虜殺害の証言はリンドバーグだけではないことはご存知でしょう。

もちろん知ってますし、したがって

>ただの一事件だからと無視できない記述ではないでしょうか。

などと言われても「無視などしてない」としかお答えのしようがありません。今の直接の論点は米軍の戦争犯罪ではなく、日本軍がなぜ無理な徹底抗戦をしたか、ですよね?

>そして厭戦放送で言及されたということは、ある程度周知の事で、日本も実態を把握していたということでしょう。

「東京ローズ」は連合軍将兵向けの放送だ、ってことはお分かりですよね?

>昭和18年ごろは投降しても殺されるとわかっていなかったとの事ですが、リンドバーグの1944年の日記にある処刑は、殺されるとは思わず降伏してきた日本兵2000人が9割以上殺害されたという話ではないですか。

1944年というのは昭和19年なんですが? で、リンドバーグによれば「殺されるとは思わず降伏してきた」んですよね? リンドバーグの記述の信頼性が高いとすれば、後のあなたの「少なくとも投降したら殺されるという意識が日本兵に扶植されていたのは事実」という主張はおかしいことになりますが?

>アッツでは突撃命令で皆死ぬまで戦ったのかどうかはわかりませんが、玉砕という結果だから捕虜殺害は関係ないというのは循環論法になるのではないかと思います。

何が循環論法ですか? というか、そもそも「玉砕という結果だから捕虜殺害は関係ない」なんてことは言ってませんが? あなたの仮説が成立するには、アッツ島守備隊が玉砕した時点で「米軍に投降しても殺される」という、事実に基づいた情報が日本軍将兵の間に広く普及していた必要があるが、そんなことはありえたのか? と問うているわけです。

>また故山本七平氏は『私の中の日本軍』で

偽ユダヤ人ですかぁ。そもそも「戦陣訓を読まされたから死ぬまで戦った」なんて単純なことを主張している人間を私は知らないし、戦陣訓の拘束力に就いて議論があることは承知していますが、それにしてももうちょっと信頼できる研究を提示してもらえませんかね? 余人には確認しようがない個人的な体験をひきあいに出してそれがあたかも一般的であるかのように仄めかす、という手法は彼がよく使うものですからね。「百人斬り」の件だってそうでしょ? 砲兵隊の司令部付きだった将校が「部隊で奉読されたこともない」と証言したところで、戦陣訓はそもそも将校教育のためにつくられたわけじゃありませんからね。初年兵教育を担当したことがなければそういう場面を目撃しなかったとしてもさほど不思議はないんじゃないでしょうか。

>いくらか教育はなされていたとしても、死ぬまで戦いつづけることをほぼ全ての兵士に徹底できたとは信じられません。

私のコメントをちゃんと読まれましたか? 別に全員を「死ぬまで戦うぞ!」と洗脳する必要なんてないんですよ。だから「全員洗脳されていた」なんてことも主張してないわけです。

>少なくとも投降したら殺されるという意識が日本兵に扶植されていたのは事実のようで、米軍の行動がその意識にまるで無関係とはいえない気がします。

だからその点を実証的に示してください、と申しあげているわけです。時系列も無視せずに。「ようで」とか「気がします」とか、なにも具体的な根拠がないじゃありませんか。リンドバーグの日記はむしろあなたの主張を反駁してるでしょ?

>包囲されたり、島嶼防衛で海上封鎖されれば撤退する場所がないために、不可避的に玉砕になるのではないでしょうか。

で、そういう場合にどういう命令が出されていますか? あるいは大本営にどのような通信が行なわれていますか? 「投降してもどうせ殺されるんだから死ぬまで戦え(戦う)」ですか? 違いますよね? むろん、公文書に書いてあることは、特に意図に関しては額面通りに受けとれないことがあるでしょう。しかし、あなたの仮説を支持する具体的な証拠はあるんですか?

ApemanApeman 2008/08/12 13:12 それから「普通の人は100%の死を選ぶくらいなら、卑怯といわれても生きたいと思うのが普通でしょうからね」というあなたの心理学的モデルは循環している(普通なら・・・が普通)うえに過度に単純化されていますが、仮にそのモデルを前提にし、かつあなたの仮説を前提にするともっと大量の逃亡兵が発生していなければ辻褄があいません。

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