宮崎県を襲った口蹄疫をめぐり、県はまん延防止の立場から報道機関も含め広範囲に出入規制をかけた。「厳しい実態がほとんど伝わらない」。農家はしだいに、県にも、新聞やテレビにも、不満を募らせていった。メディアが現場に入ることのできない今回のようなケースではどのような取材が可能なのか。動物伝染病と戦場取材の専門家に教訓を聞いた。【内藤陽】
宮崎県内で発生した口蹄疫問題で、県の広報体制はどうだったのか。
県秘書広報課によると、新たな感染農家の発生を発表する記者会見は、5月の連休明けには多い日で1日に4~5回に上り、ほとんどが夜中だった。発表内容は感染疑い農家の住所や殺処分の頭数などデータ的な内容にとどまった。了解が得られた場合のみ口頭で「地番」まで伝えたが、農家の名前については「個人情報」として明かさなかった。また、農家への代表取材は行われず、県が職員を派遣、撮影した写真や映像を提供した。ただ、死んだ牛や豚が折り重なって写った素材は「あまりにもむごく、『宮崎県』と入れて提供するのには抵抗感があった」(秘書広報課)として提供を控えた。
津曲睦己・県秘書広報課広報企画監は「『発生農家には近づかないでください』と報道機関にお願いをした。報道側の協力で感染媒介の可能性が減り、農家には結果的によかったと思う」と話した。
農家はどう受け止めていたのだろう。
「戦場で置き去りにされて、いつどこから鉄砲玉(ウイルス)が飛んでくるか分からない、そんな心理状態だった」。宮崎市から北に約30キロ、人口約1万6800人の畜産のまち・川南(かわみなみ)町の養豚業、遠藤太郎さん(33)は、そう振り返る。農家が知りたいのは、報道される「○例目の発生」などではなく、より具体的な「どの農場で発生したか」という事実だった。近くで発生したことを知れば防疫対策を強化することもできる。「必要な情報が届かず、いつ自分の所が感染するか不安な日々を送っていた」
遠藤さんの父で、JA尾鈴の養豚部会長も務める威宣(たけのり)さん(56)も、県や町の対応に不満があった。「県は発表まで時間がかかりすぎる。口蹄疫は宮崎県だけではなく、国家的な問題。世論を喚起するためにも、生産者の声を聞いてほしかった」と振り返った。
5月6日、地元紙の宮崎日日新聞などから電話取材が入ったのを契機に、遠藤さん親子は決意した。町内の農家約200人に、報道機関の取材に進んで協力するよう呼びかけたのだ。農場の消毒風景、家畜や消毒ポイントの様子、殺処分などの写真や映像を地元紙やNHK、知り合いの報道関係者にメールなどで送った。これ以後、在京テレビ局などからも連絡が来るようになったという。
一方、同町の酪農家、弥永睦雄さん(48)はブログで農家の状況を伝え、6月には1日最大約30万人がアクセスした。この間の報道については「われわれには役立たず、農家の現状を報じないメディア側は人ごとに思えた」と批判する。
また、近くに住む吉松孝一さん(53)は牛を殺処分した後、動くに動けずもんもんとした日々を過ごした。「(記者に)『取材に来てもいいが、一度入ったら安全宣言が出るまで出られないぞ』って言ってやった。『戦場に行くより楽だろう』とも。それくらいの覚悟を持って取材に来いっていうことだ」
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口蹄疫は人には感染しないが、牛や豚への感染力が強い。そして、人やモノが移動することでウイルスを媒介する恐れがある。豚は感染しにくいがほかへの伝染力が強く、牛は感染しやすい。宮崎県の場合、牛と豚を飼育する農家が混在する川南町のような町はまん延しやすい。
ウイルスを媒介しないよう、今回、記者が現場取材を自粛した理由は理解できる。報道機関には締め切りがあり、しかも次から次へと農家を取材して回るので、養豚農家を取材した後、その足で牛を飼育している農家を回れば感染拡大の危険が非常に大きい。
だが、メディアは正確な情報を伝える使命がある。このため報道する側とされる農家側との信頼関係が築かれなければならない。発生1例目の農家は気が動転し、相当なショックを受ける。「取材どころじゃない」かもしれない。そこで報道姿勢も定まらない「やじ馬」的な報道があると、被害農家が加害者扱いされたと思い、メディア不信が生まれてくる。
口蹄疫には早期発見、封じ込めが最も効果的で、メディアも巻き込んだ施策が重要になってくる。「おかしい」と気づいた段階で、通報しやすい体制づくりだ。まず、「初発見」のときに、行政が発生農家の同意を得たうえで、会見をセットすべきだ。そして、報道機関は普段とどこが違ったのか、いつどうして「おかしい」と思ったのかなどの発見時のポイントを取材、報道して注意喚起する。感染農家を早く見つけるために、情報提供し通報を呼びかけるのだ。報道をみて、「ひょっとしたら」と思って通報できるようにすることが望ましい。
また、代表取材を行うことも重要だ。記者なら実際に殺処分などを見るべきだ。でなければ農家の心の痛みは伝えられないと思う。01年、口蹄疫が発生した英国の場合、テレビ局BBCが牛を焼却処分している映像を流して農家の現実を伝えた。今回の教訓を生かすためにも、感染を拡大させないことを念頭に置いた取材指針が必要だと思う。
いまの日本のマスメディアに決定的に欠けているのは「プロフェッショナリズム」の意識だと思う。目の前で起きていることを専門的にみたらどうなのか、あるいはこれまで起きた同様の事例と比べて歴史的にどう位置づければいいのか。この意識がないと深みのあるプロの記事は書けない。
例えば戦場取材。経験の浅い記者だと見たもの聞いたものにすぐに感動し、大騒ぎしがちだ。米軍のイラク侵攻で、米兵に手を振るイラクの子供たちは「解放」を喜んでいるのか。経験を積んだ記者なら子供がただ目新しい兵士の姿をおもしろがっているだけだということを知っている。また、戦場では兵器の種類や軍事作戦の基礎が分かっていないと正確でバランスのいい記事は書けないし、記者自身の生命も危険にさらす。
今回の口蹄疫問題では、取材者が感染拡大の当事者になってしまう可能性があった。ここで記者たちが悩み、現場入りできなかったことは、ある意味当然なのかもしれない。ただ、そうした判断を、県に委ねてよかったのか。本来なら、メディア側が独自に判断しなければならなかったのではないか。私がプロフェッショナリズムにこだわるのはそういう理由だ。
近年、鳥インフルエンザや新型インフルエンザ、口蹄疫などのまん延が問題になっている。今後もこうした専門的な知識がないと報じられない問題は増えていくだろう。メディアは大地震、大災害、原発事故、テロなどに対応できる、高度な知識と経験を持った専門チームを持っておく必要がある。今回のケースでも、家畜の伝染病に関する専門的な知識を持った記者チームなら、初動の段階で宮崎に行き、たとえ県が現場取材を規制しても、独自の取材ができたかもしれない。なにが危険で、どこまでなら大丈夫なのか。チームの危機管理も独自に行う。さらにいえば、発生農家の許可を得て規制が解除されるまでそこで生活してみる。そうすれば、「横並び」ではない、面白いルポが書けたのではないか。
毎日新聞 2010年8月16日 東京朝刊