神魔万象


そこは、世界のどの地図にも記されていない孤島。
草木が生い茂り、野鳥が群れをなして飛び、浜に打ち付ける漣の音のみがが辺りに木霊する人の喧騒から隔絶された自由空間。
当然、人の姿など見えようも無いと言いたいのだが、驚くべきことにそこには動いている一体の人影があった。
木の上をまるで地面を進んでいるかのごとく駆け抜けるそれには、藤色の髪の間に雄雄しい二本の角と狐を思わせる耳、腰には九本の尻尾を生やしている。
部族間の混血が進み、各部族の特徴が絶えて久しくなった現在においてなお残る純粋な聖龍族と獣牙族の証は、その人間が通常の人間とは異なる存在であることを意味している
その者の名は白面九尾クオン。かつて神羅連和国初代皇帝サイガに仕え、聖龍族隠密部隊『朧衆』を束ねる『絶影』の名を受け継いだ忍術の達人である。
女性として始めて『絶影』を名乗った彼女は、己の正体を主人であるサイガにだけ明かし、人前に出るときは必ず狐の面を身に付け決して素顔を明かすことは無かった。
そして、サイガがその天寿を全うしたとき、人知れず人前からその姿をくらませた。サイガの墓標の前に置かれた狐の面。四代目絶影が残したものはそれだけだった。
人々は主人に殉じて後を追ったなどと噂をしあったが、時が経つにつれてその存在を忘れていった。


それから900年、クオンは弟であり獣牙族の知恵袋と呼ばれたセツナと共にこの絶海の孤島で隠居生活をしていた。
その存在を秘匿されていたクオンはともかく、セツナはその才を惜しむ名士から過去に幾度となく仕官の働きかけが行われてきた。
しかし、セツナは決して首を縦に振らず、この島から出て行くことはついに無かった。
別に倦世感があったわけではない。クオンもセツナも出て行かない理由がちゃんとあったのだ。
一つは、過去の存在である自分達が今存在している人間たちを差し置いて道を切り開いていくわけにはいかないということ。
そしてもう一つ、過去から託された重要な使命のために。
その使命のため、姉弟は1000年という気の遠くなるような歳月を過ごし続けてきたのだ。
(だが………正直、もう生きている事に飽きてきた気がする………)
木の間を駆け抜けつつ、クオンは心の中で呟いた。
(サイガ様………、我々の使命はいつ果たされるのでしょうか………)


3章〜1000年後の慟哭


「おや……?」
クオンが森の奥深くにある自宅に戻ると、中から弟のセツナ以外の人の気配が感じられた。
もともと人里から隔絶されたところにある上、自分達から島を出ることは無くそのの存在も半ば忘れ去られたものであるため、他人の気配を感じるというのは数十年ぶりと言ってもいい。
だが、逆に考えれば物見遊山や偶然で人がここを訪れることもまず無いので、ここに来る人間は自分たちの存在を知っている人間、つまり神羅連和国関係者に限られているのでなにか世界に重大な動きがあったと推測も出来る。
「………」
なにか、胸騒ぎがする。
クオンが扉を開けて中に入ると、中には神羅連和国の兵士三人とセツナが顔をあわせていた。
「セツナ、この者たちは」
クオンの問いにセツナが振り向く。その顔はいつに無く真剣な面差しである。
「姉上………、皇魔族が動きをおこしたようです」
「………皇魔族、だと」
その言葉にクオンの眉がわずかにつり上がる。
兵士達の言葉によれば、中央宮殿の『聖龍石』が皇魔族の手によって持ち出され、マステリオン復活を目論んでいること。
そして、それに前後して世界各地で皇魔族と思しき連中が跋扈し始めるようになったこと。
太平の世に慣れきった兵士、魔道士は皇魔族に対し有効な策をなかなか見出せない、ということ。
「それで我らに善後策を授けて欲しく、中央宮殿へ登城して貰いたい、とのことなのです」
「そうか………。皇魔族が、か………」
(サイガ様、やはりあなたの懸念は正しかったのか…)
「姉上、ここは一刻も早く中央宮殿へ………」
「いや、私はここに残る。中央宮殿へはセツナ、お前だけいけばいいだろう」
無気力に部屋の奥に引きこもろうとするクオンの手を、セツナはしっかと掴んだ。
「何を言っているのですか姉上!光龍帝が我らをこの時代に残したのも、全てはこの時に備えてのものだという事、忘れたわけではありますまい!」
姉のつれない態度に明らかに憤っているセツナに対し、クオンも苛立ったように怒鳴りたてた。 「助言を授けるくらいお前だけいれば十分だと考えたからだ!その手を離せ!」
クオンは強引にセツナの手を振り解くとバタン!と自室の扉を閉めてしまった。セツナは扉を開けようとしたが内から鍵をかけてしまったみたいでガチャガチャと音がするだけでノブが回らない。
「………、申し訳ない。しばし姉と話をするゆえ、表に出ていてはくれまいか」
心底申し訳ない顔をしてセツナは、突然起こった姉弟喧嘩に呆然としている兵士達を家の外へと促した。



部屋の扉を閉めたクオンは、自己嫌悪で顔を歪ませたまま寝床である筵の上に突っ伏した。
何もせず、ただじっと突っ伏していた。
隣の部屋から三つの気配が消えていくのがわかる。どうやらセツナが兵士達を外へと出したようだ。
「………聞いているかい、姉さん」
隣の部屋からセツナの声が聞こえてきた。
「僕たちを光龍帝が呼び出したときの事、覚えているよね」
セツナに聞かれるまでも無い。神羅連和国が立ち上がってから暫くして、自分とセツナは光龍帝サイガ様の前に呼び出された。
「俺達はマステリオンを倒すことは出来た。
だが、奴の魂までは滅ぼすことが出来ず、聖龍石に封印するのが精一杯だった。これだといつの日か、聖龍石を奪ってマステリオンを復活させようとする連中が出てくるとも限らない。
だから、その日に備えてこれまでの闘いを知る者を残していかなければならないんだ」
サイガ様はご自分の師匠であるライセンとその弟子のシオン。そして自分達姉弟を後世に残すために選んだと語られた。
ライセンの持つ不老長寿の術を施し、永き永き時を歩めと。
「………ああ」
クオンの頭に『あの時』が鮮明に思い浮かんでくる。



「これは非常に残酷なことだ。自分達だけ時の流れから乖離して生き続ける事になる。
周りの人間が老いさらばえても生き続け、孤独な生を歩み続けることになる。
だけれど俺は鬼となってこれを誰かに頼まなければならない。いつかマステリオンが復活したときにそれに対抗できる人間がいなければならない。
俺達が出来なかったマステリオンを滅ぼすことが出来る人間が現れたときに、それを手助けする人間がいなければならない。
クオン、セツナ、俺は君達を信頼しているからこそ選んだんだ。やって、くれるか…」
「それが………、君命とあらば」
忍者に主君の命令は絶対である。鸚鵡返しに応えたクオンに、サイガは苦い顔をした。
「クオン、これは『絶影』へ『光龍帝サイガ』が下す命令じゃない。サイガという個人がクオンという『個人』に対して『頼みごと』をしているんだ。
これを受けたら、クオンは普通の人間としての人生を送ることは出来なくなる。それでもいいのか?と聞いているんだ」
まるで咎めるようにじっとクオンを睨み付けてくるサイガに対し、クオンは心の中が燃えあがってくるような感動を覚えた。
(ああ、この人は私を一人の人間として見てくれている。あの頃と同じく私を人間として接し、心配し、咎めてくれる)
今でこそサイガの片腕として確固たる地位を築いているクオンだったが、その過去は決して明るいものではなかった。



聖龍族と獣牙族のハーフとして生まれたクオンとセツナの幼少時は、それこそ数え切れないほどのいわれ無き差別を受けてきた。
親は物心ついたときにはいなくなっており、姉弟は自分たちの力だけで生きていかねばならなかった。
獣牙族の仲間からは雑種、半端者と蔑まされ、常に日陰者として世間の冷たい目に晒され、挙句の果てにはクオンは一人でいるところを人買いに拉致されて聖龍領域に連れてこられ奴隷として売り飛ばされてしまった。
そしてクオンを買い取った聖龍族の男がまたひどい暴君で、幼いクオンに様々な肉体的、精神的、性的虐待を与え続けた。
このままでは殺される。死にたくない。生きて、また弟と一緒に暮らしたい。
意を決したクオンが男のもとを決死の覚悟で脱走し、夜道を彷徨っていたところを朧衆の先代に保護されたのだった。
朧衆の頭領は、孤児のクオンをまるで自分の子供のように暖かく接し、その身体能力の高さを見抜いて様々な体術、忍術を教えてくれた。
クオンはそのことに対して非常に感謝をしめきめきと力をつけていったが、周りにいいるほかの朧衆の面々は面白くない。
突然頭領の所にやってきた獣牙の血が混ざった小娘が、自分たちより強くなっていく姿を見るのはそれは辛いものだろう。
結果、ここでもクオンに対するいじめはなくならなかった。頭領が見ているところでは自重しているが、クオンが一人になっているところではその外見を誹謗したり目に見えない嫌がらせを繰り返した。
今のクオンの実力ならそんな先輩たちの嫌がらせをかわすのはわけない。が、そんなのをいちいち相手にするのも煩わしかった。
この手の輩はどんなにこちらが取り繕ったとしてもその手の事を止めることはないに決まっている。
どうせ変わらないなら無視するに限る。
(結局自分たちは、どこにも居場所はないのだ)

一人草原で俯いているクオンは、自分に生えている耳と尻尾と角を切り取りたいと本気で思っていた。
獣牙地域でも聖龍地域でも、龍の角と獣の耳と尻尾を一緒に持っているがためにのけ者にされ、虐められ、無視されていく。
いっそどっちか、いやどちらもないほうが少しは人間らしい扱いを受けられたかもしれない。
頭領から忍術を授けられてある程度は自分の力で生きていけるようになったが、獣牙地域に取り残された弟はそうもいかないだろう。
もしかしたら、とっくの昔に命を失っているかもしれない。
「セツナぁ……」
セツナと一緒にいた頃は、少なくとも自分はひとりではなかった。自分と同じ境遇の血を分けた人間がすぐそばにいた。
だが、その唯一の肉親とも離れ離れになり、異境の地でたった一人でいる自分。
そして、もしかしたら本当に『自分はたったひとり』になっているかもしれないと思う恐怖。
「セツナぁぁ……!」
幼い時からことあるごとに泣き続け、もうとっくに枯れてもいいと思っているのだがまだクオンの両目からは熱い涙がこんこんと湧き出してくる。
これまでの人生で笑う時など数えるほどしかなく、前途は常に暗いまま。
いっそ死んでしまおうか。そんなことまで考えながら膝をたたんで泣いていた時

「どうしたの。大丈夫?」

クオンの背後から声が聞こえた。
「!!」
こんなところに来る人間はまずいないだろうと思い込んでいたうえ、落ち込みながら泣き腫らしていたために背後の気配を感じ損ねていたクオンは命でも狙われたかのようにびょん!と飛び跳ねて背後を向いた。
「………誰だ」
腰に帯刀した小太刀を構えたクオンが見たのは、聖龍族の王族のいでたちをした自分より2〜3歳くらい年下の少年だった。
クオンはその少年に見覚えがある。頭領から自分たち朧衆が仕える王族として説明した中にいた現聖龍王の嫡子サイガだ。
「あなたは……、サイガ様……」
クオンは構えた小太刀を静かに鞘に戻しその場に土下座をした。反射的とはいえ王族に剣を構えてしまったことへの謝意を示すためだ。
「申し訳ありません。知らぬこととは申せ王族に刃を向けてしまうなど……、お許しください」
だがクオンは口では謝罪を述べてはいたが、内心では目の前の少年に対し非常に苛立っていた。

なんで誰にも見られず泣いていたい時に声をかけてくるのか。
何で誰にも会いたくない時にのこのこと現れるのか。

他人との関わりで酷い目にあい続けすっかり心が荒みきっていたクオンには、空気も読まず突然現れたこの少年は鬱陶しいものでしかない。
誰も見ていないこの場、もし相手が王族でなかったらそのままクオンはサイガの首を苛立ちのあまり刎ねていたかもしれない。
「…失礼します」
思い切り気分を害したクオンは、一応形だけは平伏するとスッと立ち上がってその場を去ろうとした。今度こそ誰にも邪魔をされないところで一人でいるために。

「待って!!」

だが一刻も早くこの場から去ろうとするクオンの手をサイガが掴んできた。
「…なんですか?」
自分をなかなか解放しないこの少年にさすがにクオンは苛立ちを隠しきれず、つい殺気が混ざった視線を投げつけてしまった。
並みの人間なら、その目で一睨みされただけで恐ろしさのあまり逃げ出してしまうだろう。
しかし、サイガはそんなクオンにまったく臆せず心配そうにクオンを見つめていた。

「ねえ、本当に大丈夫なの?ずっと、泣いていたじゃない」

「っ!!」
自分を見るサイガの顔。そこには打算も哀れみも侮蔑もなかった。
本当に、ただ純粋にクオンのことを案じている。
それまで他人には蔑まれた記憶しかないクオンにとって、サイガから向けられた顔はあまりにも眩しく、新鮮なものだった。
つい今までクオンの体の中を渦巻いていたドス黒い負の雲が、あっという間に晴れ渡っていく。
「あ、あのあの………、だ、大丈夫です!!本当に大丈夫なんです!!
で、ですから心配なさらないでください!では!!」
顔どころか耳の奥まで真っ赤にし、サイガの手を振り切って逃げるようにクオンはその場から飛び跳ねた。まだ後ろではサイガが何事か叫んでいるが、とてもそれを耳に入れる心の余裕は無い。

(な、なんだなんだ!!なんなのだこれは!!)

頭はどうしようもないほど、どこに自分が向っているのかすらわからない。
結局、サイガがいたところから山一つぶん超えるくらいまでクオンは駆け抜けてようやく一息ついたが、その心臓は今にも飛び出してきそうなくらい激しく鼓動している。
それは決して長時間駆け続けた事による疲労ではない。クオンはそれくらいで息があがるような鍛え方はしていない。
その証拠に、動悸こそ抑え切れないほど高まっているものの、呼吸は全く乱れてはいない。
「これは……、どうしたのだ、私は…」

ねえ、本当に大丈夫なの?ずっと、泣いていたじゃない

先ほどのサイガの声がずっと耳に焼きついて消えようとしてくれない。
他人に優しくされたことが殆どないクオンに、先ほどのサイガの優しい心遣いは完全に未知の領域だった。
そして、自分を差別という色眼鏡で見ず、一人の人間として接してくれたことにもクオンは少なからぬ動揺を抱いていた。
「どう…したのだ……」
こんなに心乱されたことは今までにない。
だが、それはクオンにとってなぜか心地よいものだった。


その後、クオンは今までにより集中して忍術の修行に努めた。
周りからは相変わらずやっかみや嫌がらせがあったが、それに対してクオンは以前のように反骨心を剥き出しにしたりはせず、積極的に溶け込もうと努力していった。
その結果、時間はかかったものの朧衆の面々もクオンの存在を受け入れ、数年後に頭領がその地位を退く時には全員の推薦でクオンが時期頭領になることが決まってしまったのだった。
朧衆頭領『絶影』は過去三代輩出されているが、聖龍族以外の人間がなることも女性がなることも初めてであり、当初クオンは戸惑いを隠せなかった。
クオンとしては朧衆の一員として『あの人』に仕えるために研鑚を積んだだけなのだが、まさかその頂点に立ってしまうとは想像の外だったからだ。
そのためクオンは最初は固持したものの、周りの自分を推薦する声はやむことなく、結局クオンは4代目の絶影の名前を頂くことになってしまった。
ただ、やはり聖龍族ではない自分が表立って朧衆を率いるのはなにかと波風が立つと思ったからか、クオンは新しい絶影として聖龍王の前に拝謁した際、狐の面を被って正体を隠した。
そのため、聖龍王も王妃も、隣にいるすっかり成長したサイガも絶影がまさか女だとは思いもしなかったみたいだった。

だが、クオンは密かに決心をしていた。
自分の正体を、サイガにだけは明かしておきたい。
あの日、サイガに会わなければ今日の絶影としての自分は絶対にいなかったはずだから。


その日の夜、クオンはサイガの寝室に忍び込みその素顔を明かしてみせた。
仮面と取った時に飛び出てきた女の顔と白い狐の耳にさすがにサイガは驚いたが、少し目を瞑って熟考した後ぽんと腕を叩き、
「ああ、確か君はあの日泣いていた……」
とあの日のことをしっかりと覚えていてくれたみたいで、それだけでクオンは胸が熱くなってしまった。
「私がこうして聖龍地域の中で生きる決意をできたのは、あの日サイガ様に会えたからです。
もしサイガ様に会っていなかったら、私は自暴自棄の中で自ら命を絶っていたかもしれません。
その恩を返すためにも、これからはサイガ様に命を賭けてお仕えさせて頂きます」
もちろん現聖龍王にもクオンは命をかけて仕える気持ちでいる。
が、それ以上にクオンはサイガ個人に忠誠を誓っていた。サイガは将来聖龍王になるのだからあまり変わりはしないのかもしれないが、それだけクオンに対するサイガの存在が大きいということなのだろう。
サイガもそのことを察したみたいで、やおら立ち上がるとその手をきゅっと握りしめた。
「わかった。その決意、受け取ろう」
まさか手を握られるとは思わなかったので、クオンは顔を赤く染めながらも何とか冷静を装い、こくりと頷いた。
「…ありがとうございます。それでは」
言うべきことは終わり、クオンは一礼して部屋から出て行こうとした。が、サイガはその手を放そうとしない。
「……サイガ様?」
なんか昔を思い出すような構図だが、以前と違って今度はサイガが顔を赤らめ何かを言いたそうにしている。

「?」

「あ、あのさ、絶影……
絶影の本当の名前は…なんなんだ?その素顔を晒している時は、せめて本当の名前で呼びたいのだが…」
そう言えば昼の拝謁の時も今も、クオンは自分の名前は明かさず四代目の絶影としか名乗っていなかった。
なぜ自分の名前を知りたくなったのかクオンにはわからなかったが、サイガのまるで告白でもしたかのような姿に苦笑しながらクオンは言った。
「…クオンです。サイガ様。
ですが、この名前は他の者には決して明かさないでください。この聖龍地域で絶影がクオンだと知っているのは私と、朧衆と…サイガ様だけですから」
なぜ名前を明かしてはならないのか、それは恐らくクオンの頭に生えている耳に関係しているのだろう。
聖龍族には決してない獣の耳は、クオンが獣牙族との混血を意味しているのはサイガでもわかる。
聖龍族の王族を守る朧衆の頭領が他部族の混血というのが知られたらその立場も微妙なものになるのだろう。
「わかった。このことは俺たちだけの秘密だ。決して人前で明かすことはしない。
だから絶え…クオンも安心して任務を遂行してくれ」
クオンを見るサイガの顔は全幅の信頼をおいているように見える。つい今正体を明かしたばかりだというのに、まるで何年も仕えているような錯覚さえ与えてくる。
「分かりました。サイガ様」
それに対するクオンの顔にも、サイガに対する忠誠心がありありと浮かんでいた。


そうだ。私はこの方のために生きている。この方のおかげで生きてこれた。この方が私に、生きる喜びを与えてくれた。
この方の願いを、何で断れようか。

「サイガ様が私を選んだのは、この私で無ければ勤まらないと考えてのことでありましょう。
ならば、私は喜んでその『願い』を聞き入れます。これは絶影としての義務ではなく、クオンとしての意志です」
「クオン………、すまない。いや、ありがとう………」
とても悲しそうな顔をするサイガにクオンは切なさを感じると同時に、今この瞬間だけサイガの心の中が自分で満たされているという奇妙な優越感も感じていた。



クオンとセツナ


「あのときの光龍帝の言葉、忘れたわけではないよね」
「………もちろんだ…」
「だったら、今こそ光龍帝の思いに応えるのが僕たちの勤めじゃないのかい?」
「………」
クオンはそれに答えることが出来ない。
「姉さん、やっぱり、今の皇帝の………」

「すまないセツナ!少し、考える時間をくれ!お前は先に中央宮殿に行くんだ。心が固まり次第、私も絶対に行くから、今は………」

最後のほうはもう涙声だった。セツナはまだ何かを言おうと逡巡していたようだが、クオンの決意が固いと見たのか何もいわずに家の玄関を開けて出て行った。
暫くしてクオンが部屋から出てくると、セツナと三人の兵士はこの場を後にしており、家の中には誰もいなかった。
「すまない………、セツナ………。私は、弱い女だ………」
どうしようもない自己嫌悪に包まれたクオンは、時が経つのも忘れ部屋の中に立ち尽くしていた。





その日の夜、クオンの耳に扉を叩く音が入ってきた。
セツナたちが帰ってきたのかとも考えたが、それならばノックをするのはおかしいと思い、用心のために小柄を持って扉を開けるとそこには中央宮殿の鎧を身につけた二人の女兵士が立っていた。
「クオン様………、ですね?」
「そうだが…、お前達は『何者』だ?」
「我々は皇帝陛下の名代として参上いたしました。是非とも、こちらのお話を聞いてくださりますようお願いいたしたいのですが」
『陛下の名代』という言葉にクオンの眼が一瞬細まったが、特に何も語らずクオンは立っている二人を家の中へ促した。


椅子に座った蒼い服と紅い服の二人にそれぞれ目配せすると、クオンは話を切り出した。
「それで?一体どのようなものなのだ?貴公らが持ってきた話は」
「はっ、皇帝陛下におかれましては国家の危急の折、その回避のためにクオン様のご協力をいただきますようようにとのことで我々を派遣した次第です」
「その件なら既に我が弟を遣わしている。私が出来ることなど、弟に比べたらたかが知れたこと。
その件については先に話がついている。私はそのことで中央都市に行く気はない」
青い服の方が言っているのは、昼間来た連中が言っていることと全く同じだ。だったら自分が出て行くことはない。
クオンは丁重に断りを入れたが、前の二人は納得しないのか椅子から立ち上がってクオンに迫ってきた。
「そんなことはないです。クオン様にはクオン様にしか出来ないことがあるはずです!」
「我々もクオン様なら皇帝陛下のご希望をなすことが出来ると思い、ここまで来たのです」
沈着冷静な蒼い方と元気一杯の紅い方はステレオとなってクオンに言い寄ってくる。
「どうか、是非とも我々とともに、皇帝陛下の御前に参上なされますよう、重ねて、お願い申し上げます!」
机に突っ伏さんばかりの勢いで頭を下げる蒼い方。その顔には必死さがありありと浮き出ている。
クオンを連れ出すことが出来なければ腹でも切りそうな勢いだ。
「そこまで思いつめているとは…、世界の情勢も相当逼迫していると見える。
なるほど、そちらの事情は理解した」
「では、来ていただけるのですね!!」
紅い方の顔がパァッと輝く。蒼い方も安堵の息をついているようだ。


「だが、断る」


しかし、クオンの口から出てきたのは明確な否定の言葉だった。
まさか断られるとは思っていなかったのかあっけに取られる二人だったが、すぐさま蒼い方が憮然として詰問してきた。
「どういうことですか?!これほど頼んでも、断るというのですか?!」
「ボクたちだってお使いできているんじゃないんだ!イヤならどうしてイヤなのか、説明してください!!」
凄い剣幕で怒鳴る二人に対し、クオンはあくまでも冷静に、しかし冷徹に答えた。
「私だって情のある人間だ。人にあそこまで頭を下げられて、無視するなどという外道な真似はしたくはない
しかしな………」
クオンの眼がギラリと光る。


「私はな、『人間ではないもの』と約束をする気はないのでな」


「え………」
「何を、言っているんですか?!」
何を言っていいのか解らず戸惑う二人にを前に、クオンはふらりと立ち上がった。
「いくら外面を誤魔化そうが、その内面から滲み立てくる邪悪な気配までは隠しようが無い。
ましてや、この『絶影』の前ではちゃちなまやかしなど無意味なものだと知れ!!」
クオンは目にもとまらぬ速さで、懐に隠し持っていた小柄を二人に投げつけた。
小柄は呆然としている二人の眉間に正確に吸い込まれる………、よりも速く二人は身を翻し、小柄は家の柱と壁に深々と突き刺さっていた。
「ふふ………、こうもあっさりと見破られるとは。流石は『絶影』ですわね」
「まあ、こっちとしてもこんな子供だましに引っかかったらそれこそ拍子抜けってもんだけれどね」
それまで被っていた人の仮面をかなぐり捨て、二人はその邪悪な本性を露わにしだしていた。
「なるほど…、こんな辺鄙な世捨て人のところにも出てくるとはな…。正体を見せろ、皇魔族!!」
長年愛用している忍刀を逆手に持ち、クオンは目の前の二人に身構えた。
「ええ、構いませんわ。そろそろこの姿にもうんざりして来たところですしね」
その瞬間、二人の全身から瘴気が溢れ出し、仮初の姿を纏っていた二人を本来の姿へと変容させていく。
蒼いほうは頭から猛々しい角がメキメキと生え、両掌の長く伸びた蒼い爪をカチカチと鳴らしている。
紅いほうは背中から禍々しいしい羽を伸ばし、ブーツを破り中から猛禽の脚を現して鋭い爪を床に食い込ませている。
双方とも瘴気で吹き飛ばした服の中から、昔皇魔の戦士が着ていたような露出の高い衣装に身を包んでいる。

「私の名前は魔竜騎士キキョウ」
「ボクの名前は魔鳥戦士カルマイン。白面九尾クオン、あんたを始末しに来たんだよ」

まるで力を誇示するかのように、二人の皇魔族はクオンと対峙していた。
キキョウとカルマインはよほど腕に自信を持っているのか、クオンを前にしても少しも身じろぎしない。
「ところでクオン様………、我々が皇魔族だということ、いつ頃見破っていたのですか?」
「聞くまでも無い………、お前らが家の前に立っていたときからだ」
ということは、ドアを開けた時点で既にクオンは二人の正体を見抜いていたということになる。それでいてそんな態度を臆面にも出さず家の中に招き入れられたことに、キキョウとカルマインはプライドをいたく傷つけられた。
つまり、『その気になればお前達なんかいつでも始末することが出来る』と言われているようなものなのだから。
「気づいていてなお、私達を家の中に招き入れた………。随分と余裕ですこと」
「気に入らないよね………、そのすまし顔!!」
キキョウはクオンの態度に猛烈な不快感を示し、怒りに燃えたカルマインの掌からクオン目掛けて火炎魔法が放たれた。
その大きさはクオンをすっぽり包むような規模だったが、そんなあからさまなものが当然当たるはずも無くクオンは身をかわして難なくかわした。

が、その火炎に隠れるかのようにキキョウがクオン目掛けて突進してきた。
「その舐めきった態度を後悔させてさしあげます!!」
キキョウの掌が唸りを上げてクオンに振り下ろされてくる。先端に伸びた鋭利な爪はもし触れでもしたらクオンの体ぐらい簡単に4枚におろしてしまうだろう。
正直、完全な不意打ちでもあったのでキキョウは直撃しないまでも多少の手傷は負わせられると確信していた。
ところが、自信を持って振り下ろされた掌は虚しく宙を掻き切った手ごたえしかしなかった。いつの間にか、クオンは今いた場所からすぐ横に飛びのいていたのだ。
「クッ!さすがに素早い!」
「どいて、キキョウ!!」
慌てて体勢を立て直そうとしたキキョウの脇から、今度はカルマインがクオンめがけて突っ込んでいった。
低空で翼を使って空を飛んでいるカルマインの突進はキキョウのそれより数段素早く、あっという間にクオンとの距離を縮めていった。

「死ねぇ――――っ!!」

カルマインの大きく開いた口から伸びている鋭い牙がクオンの体を掠める。これは流石にクオンもかわしきれなかったのか裾の一部が食い千切られ黒い布が宙を舞った。
だが、それでいてなおクオンは余裕の態度を崩そうとはしない。
「フン、なかなかの突進力だな。まるで闇雲に突っ込んでくる闘牛のようだ」
軽口を叩く口は、まだまだこんなものでは自分は倒せないと暗に言っているようにも感じられる。
「こいつ……なめやがってぇ!!」
「1000年も生きている婆ぁの分際で、ちょろちょろとうざすぎますわ!!」
そんなクオンに二人はますます頭に血が上り、今にもまして激しい攻撃を繰り出してきた。
「いい加減に死になさい!!このこのこのっ!!」
「一発でも、一発でも当ればぁぁ!!こんな体バラバラにしてやるのにぃぃ!!」
キキョウは残像が走るくらい素早く爪を振り、カルマインは脚や牙をトリッキーな動きでクオンへと打ち込んでくる。
が、クオンはその全てを易々と避けきっていた。
「ゼエッ…ゼエッ……な、なんなんだよこいつ……」
「私たちの攻撃が…一発も当らないなんて……」
あまりの攻撃の当らなさに、キキョウもカルマインもさすがに息が切れてきた。一方、クオンのほうは二人の猛攻を凌ぎきっているにもかかわらずその息には一糸の乱れもない。

「なんだ、もう終わりか。随分と拍子抜けだな。1000年前の皇魔はもっと手ごたえがあったぞ。
お前らも先人に少しは申し訳ないと思わないのか?まあ、お前らに先人を敬う気持ちがあるとは思えないがな」

そのあまりの倣岸な態度は、二体の皇魔をいきり立たせるには充分だった。
「ち、ちくしょーっ!!バカにしやがってぇ――――っ!!」
「私たちを舐めた報い、その体に刻み込んで差し上げます!!」
後ろに飛び、クオンとの間合いをあけた二人の体が闇夜でも分かるくらいに発せられる猛烈な瘴気と共にうっすらと光を帯び始めた。
それと共にキキョウの角からは蒼い稲妻がパチパチと弾け、カルマインの羽からは紅い炎が舞い上がってきている。
「これを喰らえば、いくらクオン様といえどもひとたまりもありませんわ。
ああ、もういまさら逃げられるなんて思わないことですね。クオン様が逃げられる範囲以上の場所に雷撃をお見舞いいたしますので」
「アハハッ。こいつで、消し炭も残らないくらい燃やし尽くしてあげるよ。狐の丸焼き、一丁あがりってね…」
自らの勝利を確信して調子づく二人を前に、それまで無表情だったクオンの眼がスゥッと細められた。
「ぶつぶつ言っていないでとっととぶっ放ったらどうなんだ?大体、魔力を集中する為に自分達に隙が出来すぎている。
そんなものが実戦で役立つか。素人かお前らは」
そのあまりにも大層な暴言に、それまで歪んだ笑顔を浮かべていた二人の顔が一瞬きょとんとし、その直後烈火の如く表情を燃え上がらせた。
「な、な!なんだとーっ!!バカにしやがってぇーっ!!」
「木偶の坊の分際で、随分な口を叩くのですね!!」
一気に沸点に達したのか、キキョウもカルマインも金色の目を怒りで爛々と輝かせ、鬼のような形相でクオンを睨み付けた。


「実戦で役立つか否か、御自分の体で体験なさいませ!!
転異悪雷(てんいあくらい)!!』」


「魂まで燃やし尽くしてやるぅぅっ!!
炎招奔暑(えんしょうほんしょ)』ぉぉっ!!」



キキョウの角からは荒れ狂う稲妻、カルマインの羽からは渦巻く火炎が放たれ、クオン目掛けて襲い掛かった。
稲妻と炎はクオンを舐め尽くしただけでは飽きたらず、家の壁、柱梁を悉く飲み込み、その全てを爆砕していった。
あまりに凄まじい稲妻と炎の奔流が治まったとき、そこには崩れ落ちた住まいだったものと炭化した木の幹だったもののみが残されていた。
もちろんクオンの姿は欠片すら見当たらない。
「フ、フフフ!アハハハハ!!大きな口叩いてこの様かい。ザマーミローッ!!」
「あまり大言壮語な態度をとるから、このような無様な最後を遂げるのですよ!」
目の前の不快な敵を蹴散らした快感からか、キキョウとカルマインは大声で腹の底から笑い続けた。あたり構わず、ひたすらに笑い続けた。
「アハハハ………、ああおかしい。この事もちゃんと報告しないといけないね」
「そうね。こんな面白い話、滅多に無いもの………」


「ふ〜〜ん。で、誰に報告するんだ。その話」


ありえないところからありえない声が聞こえてきた。
ギョッとなって振り返った二人の後ろに、たった今死んだはずの、死んでいなければいけないはずのクオンが焦げ目一つない姿で立っていた。
「バ、バカな!!」
「なんで、生きているのぉっ?!」
狼狽し、慌てふためく二人に対し、クオンは薄笑いさえ浮かべていた。
「だから言っただろう。あんな隙の大きい技は実戦向きではないと。
おまけに狙うのが私とわかっている以上、放たれたのを見てから避けるなど造作も無いこと。あまり『絶影』をなめないでもらおう…」
「私達の技を………、見てから避けたっていうの?!」
「こいつ………、本当に人間?!」
「いいか…、攻撃とはこういう風にするものだ」
パチンと小太刀を鞘に入れたクオンの姿が一瞬揺らめいたかと思ったら…、その姿が視界から消え去った。
「えっ?!」
「ど、どこに…」
うろたえるキキョウとカルマインがあたりをキョロキョロと見回していると、突然懐にズン!という強い衝撃が走った。

ぐはぁぁっ!!
ぐはぁぁっ!!
見えない斬撃

ご丁寧にも、キキョウとカルマインの右わき腹と左わき腹がちょうど同じ高さで切り裂かれ、二人ともどす黒い血を吐いて地面に倒れこんでしまった。
「どうだ?私の太刀筋が見えなかっただろう。
攻撃というのはいかに強かろうと相手に当てなければ意味はない。ならば、相手に見えない攻撃をすれば自ずから必ず当るというものだ。
見た目が派手な技に溺れるのは結構だが、もう少し実戦的な立ち回りを訓練した方がいいな」
その向こうで血糊が付いた小太刀を拭うクオンは、まるで二人に実戦の手ほどきをしているかのような余裕が感じられる。
「さて、家も粉々に吹き飛ばされてしまったし、もう少しお仕置きをして上げなければいけないな」
二人の目にもはっきりとわかるほど、クオンの体から殺気が溢れ出てきた。
ただ、先程まで自分らが放っていた燃え上がるような殺気とは違い、秋の風のように涼やかでいて静かな、まるで氷のように透明な殺気だった。
「ま、まずいよキキョウ…!」
命の危機を察したカルマインがキキョウへ逃げようと催促してきた。
「わ、わかっていますわ。けど……」
キキョウも頭では分かっている。もう自分たちはどう頑張っても目の前の化け物に勝つことは出来ない。ここは逃げるの一手しかない。
だが今喰らった斬撃のダメージ、加えてクオンが発する圧倒的な殺気に体がすくんで動くことが出来ない。それはカルマインも同様であろう。
人間を辞めて皇魔になったとき、自分たちは圧倒的な力を手に入れたと喜び勇んでいた。
気に入らない同僚をさりげなく縊り殺したり、慕う部下を仲間にしたり、やりたい放題することが出来た。
だから今回の任務を言われた時も心がうきうきしたものだった。
ただの与太話の一つと思われていた伝説の忍者マスターを抹殺する。
いかに長年生きていようと所詮は人間。皇魔になって絶大な力を得た自分たちの敵ではない。そんな驕りもあった。
だがよく考えてみれば、相手は1000年前実際に皇魔と戦い生き延びてきた古強者なのだ。一筋縄ではいかないほうがおかしかったのだ。
あまりにも実力に差がありすぎる。クオンがここまでの強さを秘めていたのは二人には完全に予想外であった。

クオンが右目の眼帯に手を掛け、紐を解いて右手に掴んだ。眼帯の下から現れた瞳は左目の鮮やかな緋色とは異なる、金色の瞳だった。
とは言ってもキキョウたちのような禍々しい金色ではなく、満天の太陽のような澄んだ金色だ。
「これは浄眼といってな、貴様ら魔の者の力を封じ込める力を持っている。もっとも、力が強すぎるから普段は眼帯で封じているがな。
そして、これは使い方しだいでこういうこともできる…」
眼帯を地面に落とし、左目を閉じたクオンは胸の辺りで両手で印を結び、何事か呟き始めた。
クオンの右目が少しづつ輝きを増しているように見える。いや、それは現実に輝き始めていた。
透き通るような白い光が辺りを照らし始め、後ろで燃えている家の炎すら呑み込むほどだった。
「な、なにこの光…、目を開けていられないよぉ!」
「なんて………、忌々しい光、なの…」
腕で顔を覆い苦しそうに顔を歪める二人を尻目に、右目の光はますます輝きを増していく。
そして、集まりすぎた青い光が白く輝くまでになった時、印を組んだ手を前方に突き出して叫んだ。

「外道どもよ、輪廻の道へと回帰しろ!
六道輪廻(ろくどうりんね)』!!」


クオンの裂帛の気合とともに、集積された光が光弾となってキキョウとカルマインに襲い掛かった。

「ぐはっ!!」
「うがぁっ!」


避ける間もなく光弾は二人の腹に突き刺さり、木の葉のように吹き飛ばされた二人はそのまま林の中へと突っ込んで、木に体をしこたま打ち付けていた。
六道輪廻の光をまともに受けた体は所々が焼け爛れて酷い火傷を負い、ぶすぶすと肉が焼ける煙を放っている。
「くそぅ…、体が動かないよぉ…」
「なんという…、強さ…」
全身を襲う激痛に息をすることさえままならない二人に、クオンはゆっくりと近づいてきた。
「今のは少し手加減してやった。今お前らを殺してしまってはお前らの後ろにいる存在を知ることができないからな。
さ、喋ってしまえ。地上にいるお前らを束ねる存在を。そうすれば…、楽に殺してやる」
「そ、そんな風に言われて喋るわけ………、ガハァッ!!」
肩肘を突きつつ毒づくカルマインの腹に、クオンは容赦なく蹴りを入れた。
「だったら息絶えるまでありとあらゆる責め苦を与え続けてやろう。そう言えばお前、私を狐の丸焼きにするとか言っていたな…。だったら………」
逆手に構えたクオンの刀がギラリと光った。
「私はお前の四肢と羽をむしりとって、照り焼きでも作ってやろうかな」
その目は、どう見ても本気だった。
「ひ、ひいいいぃっ!!」
恐怖におびえるカルマインの瞳に、切っ先がじわり、じわりと迫ってくる。
背後の燃える家屋の炎に反射する小太刀の刀身が、不気味なほど鮮やかに光っているように感じられる。
「や、やめなさい!カルに手を出したら承知しませんよ……」
カルマインの危機を救うために、キキョウがクオンに一撃を与えようと手をかざしたが、もう魔力すら枯渇してしまったのか掌からは静電気と勘違いしてしまうような僅かな雷しか出てこなかった。
「ふん、そんなにこいつが大事か?ならその目でじっくりと見ていろ。こいつが解体されていく様をな。
じゃあ、まずは右腕からいくか」
その右腕に刃がぴたりと触れた時、恐怖の限界を超えたカルマインは声を限りに泣き叫んだ。


「た、助けてぇっ!!テラス様あああぁぁっ!!」


「テラス………、だと?!」
刀を動かす手がピタッと止まった。
(この皇魔族は何を言っているんだ?!テラスと言えば今の地上世界の皇帝の名前。恐怖のあまり気が触れたのか?それとも、同名の他人なのか?)
「おい貴様!テラスとはどういうことだ。答えろ!」
あくまでも刀を突きつけたまま、クオンはカルマインに問い掛けた。
その時、

「クスクス…、クオン様、あまり私の下僕をいじめるのはよしてくれませんか…」

クオンの背後からどこか人を小馬鹿にしたような声が流れてきた。クオンが振り返ると、そこには一人の皇魔族の少女が佇んでいた。
黒い角、青い肌、金の瞳、黒い羽、いずれもクオンが過去に対峙してきた皇魔族の特徴と一致する。
しかし、問題はそこではなかった。それらの部位を構成している素体に、クオンは衝撃を受けた。
「皇帝………、陛下?!」
背後に佇む皇魔族…、その姿はどう見ても自分が知る神羅連和国皇帝、テラスだった。
「皇帝陛下…、そのお姿は一体…」 クオンは最初、我が目を疑った。皇魔族が世界中に跋扈している現在、テラスはそれに対抗するための中心となるべき存在だ。しかしよりにもよって、その当人が皇魔族であるとは!
そのようなこと、あるわけが無い。と思いたかった。
「フフッ、どうかしらクオン様?全てのしがらみを捨て去った私の姿は。まるで生まれ変わったかのような、清々しい気分なのですよ。あ、本当に生まれ変わっていますけれどね、私。
クオン様、闇って、よろしいものですのよ。全てを包み込み、何もかも等しくしてしまうんです。
なにもかも、見たくもないものまであるがままを暴き出してしまう光に比べて、ずっと素晴らしいと思いません?」
口に手を当て、クスクスと微笑むテラスの姿は心底嬉しそうだが、そこにクオンは底知れぬ闇を感じていた。まるで心に潜む暗黒面が全てを曝け出し、今のテラスを形作っているように見えた。
「でも、さすがにお強いですわね。あそこに無様に転がっている二人に命を取るよう命じたのですが、まるで歯牙にもかけないとは。まあ、そうだろうとは思いましたから、私がここまで来たのですけれど。
そうそう、あの二人、元は人間だったんですけれど私の手で皇魔の体と心を与えてあげたのですよ。
どうです?くだらない人間という殻から開放された二人の姿は。美しいと思いませんか…」

「な、に………?」

元、人間?!皇魔の体と心を与えた?!あの二人の皇魔族は、人間だったというのか?!
そのような恐ろしいことをさも自慢げに話すテラス。そこには血の通った人間性は感じられなかった。
「陛下………、魔道に堕ちてしまわれたのか………」
悔しさからなのか、クオンはギリッと唇をかみ締めた。口元から赤い血がツゥっと伝い、赤い筋を形作った。
「嫌ですわクオン様、そんな怖い目で睨まないでくださいよ。まるで仇でも見るような目じゃないですか…
あ、でもクオン様、以前私とあった時もそのような目をしていましたね。なぜなんですかぁ?
私を見ていると、誰かを思い出したりするんですか?」
「ぐっ………」
ほんの何気ない一言。だがその一言がクオンの胸にぐっさりと突き刺さった。
「あの時は本当に怖かったのですよ…。今にも命を取られそうな殺気を感じてしまって、部屋に戻ってからもブルブルと震えが止まらなかったのですからね…」
手がわなわなと震え、頭に血が上ってくるのが嫌でも感じられる。
確かに、テラスが即位したときにセツナとともに謁見をしてきた時、一目見た瞬間過去に自分が封じてきた想いが一気に蘇ってしまい、その場で不適当な表情をしてしまった覚えはある。
だがそれは、決してテラスに向けていたものではない。自分の捨てきれない過去に向けていたものだった。そう信じていた。はずだった。
「私、1000年前の事を知る部下から聞いていますのよ。クオン様って、私のご先祖様のサイガ様にだけ、ご自分の素顔を晒していたことを。
やっぱり、自分の主人にはありのままの姿を見て欲しかったんですか?まさか、顔だけじゃなくって生まれたままの姿をサイガ様の前で晒したんじゃないですか?」
「………お黙りください………」
「あら?ございませんの?私てっきりクオン様ってサイガ様の下の処理も担当しているものばっかり思ってましたのよ?
そんなに肉付きのいいいやらしい体をしているんですもの。まさか一度も男を咥えたこともないわけではないでしょうに」
「…………黙………れ…」
小太刀をもつクオンの手はぶるぶると震え、俯きがちになっている顔色は見る見るうちに赤くなっている。
「所詮は光射さない影に生きる忍者。その体を主君のために奉仕するなど当たり前のこと。今さら恥ずかしがることもないでしょう。
で、どうだったんですか?サイガ様のおちんぽの味は?もう1000年も前なんで覚えてませんかぁ?」

「黙れ、黙れ!だまれぇ!!
私とサイガ様は単なる主と部下の間柄!そのようなふ、ふしだらでやましい関係など何一つない!!」

いわれ無き中傷を並べ立てられ、クオンの怒りが遂に爆発した。腰から伸びる九本の尻尾を天にも届かんばかりに逆立て、全身から周りの空間が歪むほどの怒気を発散している。
「テラス様、例えあなたが神羅連和国の皇帝であったとしても魔道に堕ちたその身、ここで見逃すわけにはいきません!後ろにいる二人共々、ここで始末させていただきます!!」
目の前に切っ先を突きつけられたテラスだが、その態度はあくまでも悠然としていた。
「何をかしこまっちゃっているのよ。自分がしたくて出来なかったことを私に言い当てられて腹が立った。
だから私を許さない。だから私をぶっ殺す。素直にそう言えばいいのに」

「まだ言うかぁーーーっ!!」

雄叫びとともにクオンはテラスに突進し、手に持った刀を一直線にテラスに突き出した。
例え姿は皇魔に変じていてもテラスに自分の動きが見えるはずが無い。テラスが何かしようと考えようが、それを実行に移す前に自分の刀がテラスの首と胴を切り離すことが出来る。
クオンは頭に血が上っていながらもテラスと自分の身体能力を分析し、自分の方が遥に上と結論付けて攻撃に移っていた。
しかし、瞬時に迫ってくるテラスの顔には、酷薄な笑みが張り付いていた。まるでクオンのことを見下しているかのように。

「でぇぇぇい!!」

怒りに任せたクオンの一撃にテラスは全く反応することも出来ず、薄笑いを浮かべたままその首を切り落とされてしまった。
「「ああっ!テラス様ぁ!!」」
胴体から少し離れたところにテラスの首がぼとりと落ちたのを見て、キキョウとカルマインは悲痛な叫びをあげた。まさかテラスまでもがあっさりと殺されるとは思ってもいなかったのだ。
「ふふっ…ざまをみろ。勝手に人の心を抉るような真似をして……」
テラスを一撃の下に惨殺したクオンの顔には皇魔もかくやと言わんばかりの残忍な笑みが浮かんでいた。
「さて、事の元凶が分かった以上貴様らも用無しだ。元が人間であったとしても皇魔に堕した以上は容赦はしない。
その身ズタズタに切り裂いた上に、お前らと皇帝の首3つ晒して皇魔打倒の旗印にしてくれるわ」
テラスの血糊が着いた小太刀をぺろりと舐めながら、炎をバックにクオンが蹲る二人にひたひたと近づいてくる。

「「………!!」」

そのときキキョウとカルマインは見た。
クオン自身は気づいていないようだが、クオンの体からゆらゆらと吹き上がる黒いもやのようなものを。
「さあ…、その腕、その脚、ゆっくりじっくり、バラバラにしてやる。
ああ、すぐには楽にしないぞ。死ぬ寸前まで生きていることをたっぷりと後悔させて、絶望のどん底の中で死なせてくれる」
もはや皇魔と区別がつかないクオンが全身から発する瘴気を揺らめかせて小太刀を振り上げた、その時、

「はい、そこまでー!」

いきなりクオンの上空から何者かが降ってきて背中にがっしりと捕まってきた。
「な!!」
あまりにも意表を付かれたクオンは何が起こったのか分からず一瞬無防備になってしまった。
そして、背後のものはその隙を逃さなかった。
棒立ちになったクオンの裾下に野太いものがしゅるりと潜り込み、薄絹一枚突き破って体内に押し入ってきた。
「がっ!こ、こいつぅ!!」
体を引き裂くような猛烈な痛みにクオンは我に帰り、自分を貫いたものへ小太刀を振るおうとしたが、それより僅かに早く刺さったものの先端からクオンの体内に強烈な黒い光が弾けた。

「ぐはぁっ!!」

その熱さとも冷たさとも表現できない感覚にクオンは仰け反って喘ぎ、大きく開いた口から黒い光が束になって抜けていった。
そして、その黒い光が抜けていった部分からクオンの全身に痺れるような熱い快感が全身に広がっていった。 「あ、ああぁ……!」
そのあまりの心地よさに全身から力がぬけ、くたくたと倒れるクオンから背中に張り付いたものがぴょんと飛び降りていった。
「うふふ、これでクオン様も私たちの…」
自分を見下しながら小悪魔のように微笑むその姿を見てクオンは絶句してしまった。
「な……テ、テラス様……?!なんで……!!」
そこには先ほど、間違いなく首を刎ねたはずのテラスが立っていた。もちろん首はくっついている。
「あ、クオン様、私が何で生きているんだって顔していますね。
うふふっ、頭に血が昇りすぎて眼がボケちゃったんじゃないですか?もう一度、首を飛ばした私をよく見て見なさいな」
「なん……だと……?」
痛いほどの疼きから来る強烈な脱力感で霞む目線で、さっき殺したはずのテラスの死体に目をやると
なんとそのからだがひょっこりと立ち上がり、てらてらとおどけた仕草をしているではないか。
ただ、その動きはひどく直線的で、まるで何かに操られているようにしか見えない。
そのあまりにもわざとらしい動きに不審を抱いたクオンの目に、テラスの死体のあちこちから空に向って伸びている糸のようなものが入ってきた。
それはまるで、操り人形のような…
「な……!!傀儡(くぐつ)?!」

「ヘイヘイヘ〜イ〜〜〜
絶影さんともあろう方が、こんな単純な手に引っかかっちゃうなんてネェ〜〜〜」

自分が殺したはずのテラスが人形だったことを悟ってギョッとしたクオンの上空から、少し人を小馬鹿にするような声が響いてきた。
ハッとクオンが顔を上げると、死体テラスの真上に輝く三日月…
ではなく、皇魔族の人形遣い、ツキミスキーがケタケタと笑いながら糸を結んだ指を食いくいと動かし、下のテラスをかたかたと操っていた。
「キャハハハハ!クオン様ったら偽者の私に青筋たててまっしぐらに突っ込んでいくんだもの!もうおかしくて危なく笑っちゃうところだったわよ!
普段の冷静な絶影様なら目の前の私がツキミスキーが操っている偽者だってすぐにわかったんでしょうけれど、な〜にに怒っていたのかしらねぇ!」
「グゥッ!」
確かにクオンは先ほどはテラスの挑発に激高していた。だが、周囲の状況は冷静に観察していた。筈だった。
常に心は静寂の水面の如く波立てず。それが長年にわたって鍛え上げた忍びの習性というやつだからだ。
だが現実に、クオンは目の前のテラスが偽者だったのを見抜けなかったどころか、その真上にいるツキミスキーにすら気づくことが出来なかった。
つまりは、それだけあの時のクオンは冷静さを欠いていたということだ。ちゃんと冷静に周りを見ていられている、なんて思っていたのはただの錯覚に過ぎなかったのだ。
「ふ、不覚……うぅはぁ!!」
無念さと後悔からクオンは胸を詰らせたが、それを打ち消すかのように体の疼きはますます酷くなっていき、全く無意識にクオンは小太刀を持たない左手を股間へと忍ばせてしまった。
「ひぎっ!」
そこはまるで失禁したかのように熱く潤み、人撫でしただけでクオンは甘い喘ぎ声を放ってしまった。
「な、何をなされたのだ、テラスさまぁ……。私の体に、何を放った………」
「うふふっ、クオン様が身も心も素直になれるように、ちょっとしたお注射をしただけですわ。どうです?体がリラックスして、とてもいい気持ちでしょう?」
クオンの耳に聞こえるテラスの声は、まるではるかな遠くから発しているように聞こえる。それくらいクオンの自我は湧き上がる官能で薄れてきていた。
「さあ、遠慮なさらずに気をおやりなさい。意識を失って次に目がさめたときには、クオン様も私たちの立派な仲間になっていますわ」
「なか、ま……だと……?ばかを……いうなぁ……!!」
まるで力が入らない腰に懸命に奮い立たせ、クオンはよろよろと立ち上がった。すでに全身が黒い光に蝕まれており、体中から瘴気を噴出しているにも関わらずなおも抵抗しようとするクオンに、さすがにテラスも目を見張った。
「あらら、さすがにクオン様ですね。この期に及んでまだ手向かいしようとするなんて。でも、それも無駄な努力ですけど」
「だま、れえぇ!!」
何か自分は恐ろしいことを処方されたみたいだが、テラスの首さえ取ればまだなんとかなる。そう信じクオンは快感で震える手をしっかりと握り締めてテラスに向けて一歩踏み出した。


ズキン!!

「ひぐうぅぅぅっ!!」

踏み込んだ足のショックが脳天まで一気に駆け抜けて既に決壊寸前だった下腹部の疼きが爆発し、股下から潮を噴き出したかと思うとクオンは一瞬白目を剥きその場にガックリと崩れ落ちてしまった。
「は、ははは……。はひぃぃ………」
許容しきれないほどの快楽の波を一気に被ってしまったからか、それともそれまで蝕む快楽に我慢に我慢を重ねた結果か、クオンの意識は完全に吹っ飛び虚ろに開いた瞳からは随喜の涙を零し、口元には壊れた笑みがうっすらと浮かんでいた。
「うふふ、よく頑張りましたクオン様。
後の続きは夢の中で。そこで闇の快楽に溺れ、身も心も真っ黒に染まっていってくださいな」
テラスは時折ビクンビクンと力なく蠢くクオンを面白そうに眺めていた。
そして、そんなクオンも自らが発する瘴気に次第に取り込まれつつあった。





「……ん…」
頭を襲った軽い痛みに、クオンはまどろんでいた意識をうっすらと覚醒させた。
「あれ?私は、確か…………!!」

そうだ、私は皇魔と化したテラス様に襲われ、この体に何かを施されて……!
「!!」
今、自分は気を失っていたのか?!これはまずい!!
全身の神経が一気に緊張し、クオンはがばりと立ち上がるとろくに回りも見ずに跳躍した。
幸い900年近く住んでいた場所だ。さっきまで立っていた位置と自宅があった方向を考えれば、どっちに跳ねれば林があるのかはわかる。
自身の勘を頼りにクオンは一足飛びに茂みのある方向へ飛び込んだ。
しかし、脚をついたところには草の感触は感じなかった。
(どういうことだ?!勘まで狂ったというのか?)
幸い少しづつ機能を回復してきた瞳をゆっくりと開いてみる………。すると、そこはあたり一面『闇』一色の世界だった。黒などという生易しいものではない。ただ自分の存在だけが感じ取れ、それ以外は何も存在していない『無』の空間だった。
「なんだと?!これは一体どういうことだ!!」
もしかすると、テラスに注ぎ放たれたもののせいでまやかしにでも掛けられてしまったのかもしれない。
「くそっ…。返す返すも迂闊だった…」
こうなっては仕方が無い。意識を取り戻したのを幸いとして一刻も早くまやかしを打破しないと反撃すらままならない。
クオンはふうっっと一息吐くと瞳を閉じ、静かに心を落ち着け始めた。目に入るもの、耳に聞こえるものが偽りのものである以上、物事の本質を捉える心の目、心の耳を開けなければならない。
見るのをやめ、聞くのをやめ、ただ心に感じるもののみに全神経を集中する。そのような中、クオンの心にほんの少しだけ違和感を感じるものがあった。何もない『無』の空間の中、明らかに感じる『他のもの』の存在感を。
「………、そこだ!」
カッと目を見開き、小太刀を構えて突進するクオン。その先にいたのはテラスでもツキミスキーでも、二体の女皇魔でもなく

「わっ、クオン!!どうしたんだ急に!!」

かつての主君………、サイガがいた。

「な!!」

サイガの存在に気が付き、クオンは慌てて立ち止まった。
それは、どう考えてもありえない邂逅。900年前に死に別れた………、いや、1000年前マステリオンと死闘を演じていた頃の若々しい少年王のサイガが目の前にいる。自分がただ一人、忠誠を誓うべき主君と認めた人物が。
「バカな………、これはまやかしだ。サイガ様が、いるはずが無い………」
普通に考えたら、いま自分がまやかしにかけられているのだから、前にいるサイガはまやかしの存在である。
クオンも頭の中では理解している。だが、唐突に現れたサイガを前にして、その脳内は多少混乱を記していた。
「なにをしているんだ?いきなり襲い掛かってきたりボーっとしたりして。いつものクオンらしくないぞ」
諭すときに腰に手を当てる仕草、自分に対する気遣い。どう見てもかつてのサイガそのものだった。
でも、ここにサイガがいるのは断じてありえない。
「………こんなまやかしを見せるとは………。テラス様、あまりにも人が悪すぎますぞ!!」
どこにもいないテラスに向って、クオンは呪詛の言葉を吐き掛けた。
「おいおいクオン…、テラスって誰だ?何をそんなに怒っているんだ?!」
「黙れニセモノ!!サイガ様の姿をこれ以上騙るならば容赦はしない!」
心の弱い人間が見たらそのまま卒倒してしそうな視線を向け、クオンはサイガに対して小太刀を構えた。
「ち、ちょっと待ってクオン!何で俺に刀を向けるんだ?!今はマステリオンとの決戦を前にしているんだ。何があったかは知らないけれど、刀を向ける相手を間違えるな!」
「なんだと………?!マステリオンとの決戦?」
「そうだ!クオンも今は絶影の忍装束を脱いで、クオンとして中央大陸に発とうとしているんじゃないのか?!」

クオンとして………?!

言われてみて気が付いた。クオンは今、それまで着ていた黒い着物ではなく、1000年前に身に付けていたクオンとしての忍装束に身を包んでいる。
腰にはサイガの墓前に捧げたはずの狐の面も結び付けてある。
さらに言えば、周りも黒一色の閉ざされた空間ではなく、1000年前の聖龍族宮殿の裏、聖龍木の袂となっていた。

「バ、バカな!ありえない!!」

ここはテラスによってつくられたまやかしの世界だ。目の前のサイガはまやかしだ。今の自分の格好もまやかしだ。
まやかしの………、はずだ。
「クオン、熱でもあるのかい?何か混乱しているんじゃないのか?」
サイガが手を伸ばし、突然クオンの額にかざした。心底心配そうにしている顔が目の前に迫ってくる。
「サ、サイガ様?!」
「ん〜〜〜………」
頭の中ではまやかしと決め付けていても、クオンはその顔を見た途端、何も手を出せなかった。
ひやりとした感触が額から全身に広がっていき、それに反比例してクオンの顔は真っ赤に染まっていった。
「あ、あのあの、サ、サイガ様………?」
しどろもどろになるクオンを前にしてサイガはじっと動かない。額にあたっている手がクオンの熱をほんのりと孕んできたころ、サイガはゆっくりと額から手を離した。
「……………、熱は無いみたいだね」
「あ………、は、はい………」
毒を抜かれたように放心した表情で答えるクオンを見て、サイガはにっこりと微笑んだ。
「ようやっと落ち着いてくれたね。クオンはそうでなくっちゃ」
サイガが自分だけに向けてくれた笑顔。もう遠い記憶の片隅にしまいこんできたものが、今ひとたび、自分の目の前に存在している。それを意識しただけで、鼓動が早鐘の如く胸を叩き始めていた。
(お、落ち着け…、これは幻だ。まやかしだ。偽者なのだ…。でも、でも…)
例え幻だとしても、再びサイガとこうして再び面を交えられる幸福を、クオンは心の片隅で享受し始めていた。
いや、もう目の前のサイガが幻かなどというのはどうでもよくなっていた。
強い意志を秘めた瞳、凛々しい顔立ち、少年としての雰囲気を多分に残し、背は自分より小さいのに頼りがいのある存在感、そのどれもが、かつて自分が主君と認めた人物そのものであり、かけがえの無い存在であり、愛おしい存在だった。

「ああ………」

顔が上気していくのが嫌でもわかる。かつてサイガとは主従の存在であったが、その存在に拘泥するあまりサイガとは『聖龍王』と『絶影』の関係でいることが通常で、『サイガ』と『クオン』として一緒にいたことは殆どない。
ましてや、こうして至近で触れ合うなどありえないことであった。
かつてクオンは、主君であるサイガの命令を叶える事、願いを聞き届けることを目的とし、それらを遂行することが己の本分と思っていた。
サイガの手となり足となるとこでサイガへの負担を軽くする道具と自分を割り切っていた。
それ故に、サイガとの関係はサイガが天寿を全うしたときまで主従以上のものとはならなかった。
それが当然であり、当たり前のものだとクオンは考えてきた。今まで。

だが、こうして1000年前の刻に戻り、サイガを目の前にするとそれがいかに虚しいものだったかと痛感する。
自分の心の中で、サイガへの想いがどれほど多くを占めていたかを再認識させられる。
ただ目的を果たすためだけに無味乾燥な生を送り続けていた900年間、何度自らの手で人生の幕引きを下ろそうと考えたか。サイガが存在しない世界が、自分にとって何の意味も色も持たない空間だと、どれほど痛感していたか。

だが、この命を散らすわけにはいかなかった。それは、生き続ける事こそ他ならぬサイガの願いだったから。
自分が主君と定め、主君が自分に頭を下げてまで頼み込んだものだったから。
でも、やはり自分はサイガとともに生きたかった。ともに語らい、笑い、死にたかった。
朧衆の頭領としてではなく、一人の女性として傍についていたかった。
しかし、それを口に出して言うことはなかった。自分の立場?それもあろう。
だが、それ以上に自分の容姿に対するコンプレックスが、想いを口にするのを憚ってきた。
獣牙族の混血である自分は、聖龍族らしからぬ耳と尻尾を体に纏っている。そのため、数々の差別も受けてきた。
常に日陰の暗がりを歩き、日の当る世界に出ることはできなかった。
幼い頃の虐待により純潔などとっくになくしている。
こんな汚れた体である自分を、はたしてサイガが快く思ってくれるのだろうか?と。

いやサイガの心なら、そんなことは笑って済ましてくれると確信はしている。だが、もし自分の機体を裏切るような返答が返ってきたら…
そうなることが恐ろしくて、結局言い出すことは出来なかった。そして、サイガが自分の前から永遠に去っていったとき、それは永遠の後悔としてクオンの心の中に残った。
なぜ自分は言い出せなかったのか。わずかばかりの勇気を奮うことも出来なかったのか…
だが今、目の前にサイガがいる。果たせなかった想いを取り返す機会を、自分は与えられている。
ならば、結果はどうあれ前に進んでみよう。1000年前に果たせなかった想いを、今こそ告げてみよう。
もうこの世界が幻とかなんとかは関係ない。今のクオンにはこの目の前に広がる世界は、900年間の後悔を取り戻す絶好の機会に見えていた。

「サ、サイガ様ああぁっ!!」

「わあっ!!ク、クオン?!」
感極まった表情で、クオンはサイガに飛びつき両手でしっかりと抱きしめ抱えた。その衝撃でサイガは体を崩し、クオンとともに草むらに後頭部から倒れこんでしまった。
目の前を、目を白黒させている主君、いや想い人の顔が占めている。
「い、いきなり急にどうしたんだ?!まさか、近くに敵ンンッ?!!」
サイガの言葉は最後まで紡がれる事はなかった。喋ろうとした口を、クオンの唇が上から塞いでしまったからだ。

「ん〜〜〜〜〜っ、んん〜〜〜〜〜っ!!」

クオンはさながらサイガの全てを感じ取ろうと、口ばかりでなく体全体を密着させ押し続けている。
心の中心にぽっかりとあいた1000年間の空白を埋めようかの勢いで、サイガを貪欲に求め続けた。
息が詰りそうになるまで熱烈な口付けを受け、ようやく解放されたサイガは突然のクオンの変化に目を白黒させており、逆にクオンは今までサイガに見せたことがないくらい顔を真っ赤に染めていた。
「…………はあぁっ…、ど、どうしたんだクオン。急にこんなことをして………」
「サ、サイガ様………、クオンは………、ク、クオンは……!
サ、サイガ様と初めて顔をあわせた時、その時より………サイガ様のことを、想って参りました…!」
あまりの緊張で歯の根が巧くかみ合わず、ようやくのことでクオンの口から飛び出したのは…サイガに対する、告白の言葉だった。
「クオン………、何を、言って………」
突然、唐突にクオンの心の内をぶちまけられたサイガは全くリアクションを取ることが出来ず、ただ呆然と恋を始めて知った乙女のように恥じ入るクオンを眺めていた。

「サイガ様に想い人がいるのは承知いたしております。私も、その方からサイガ様を奪う気は毛頭ございません。
できるならこれから語ることはクオンの一時の気の迷いとして聞き流して頂きたく思います。

獣牙族との混血である私を、サイガ様は奇異の目で見ることも軽蔑の面差しで見る事もなく、ただ一人の人間として扱ってくださいました。
道端の石ころ以下の扱いを周りから受けてきた私にとって、このことはとても嬉しいことでございました。
このような汚れた身である私を避けることなく傍においてくださったのは、望外の幸福でございました。
サイガ様…、私は、あなたを、お慕い申しておりました…」

ああ、言ってしまった。今までの胸のつかえが霧消していくなか、言うべきではなかったのではないかとの思いもふつふつと湧きあがってくる。
自分の下にあるサイガの顔が何を言ってよいのか解らないといった表情をかたづくっている。
その表情を見ていると心の中の不安がどんどん膨らんでいっているのがわかる。
やっぱり、心の中に秘めていた方が良かったのではないか?ここで自分の事を否定されたら、一体どういった表情を作ればいいのだろうか?

刹那

サイガは柔和に微笑むと、両手をクオンの頬に当ててきた。
「バカだな、クオンは」
バカ?!そ、それって………
「汚れただの、石ころだの、自分のことをそんなに悪く例える事なんてないだろ。クオンはクオンなんだ。それ以上でも以下でもない。その大きい耳もふわふわの尻尾も、全部含めてクオンなんだ。
人として大事なのは角がどうとか尻尾がどうとかじゃない。その人の心の中がどうなのかというほうがよっぽど大事なんじゃないかな。
クオンはオレにとって大事な仲間だし…、家族だよ」
クオンの頬を熱いものが流れ落ちていく。もうすでに涸れはて切ったかと思っていた涙が両目から伝ってきている。
『家族』と言う言葉。これはクオンがサイガの心を満たす存在ではないことを暗喩していた。
しかし、自分がサイガにとって全く不要な存在ではないということも意味していた。
それで充分だった。自分がサイガに『道具』として見られていないことを確認できただけでもよかった。
「あ、ありがとうございます。サイガ様あぁっ!!」
心一杯に満たされた嬉しさとほんの少しの切なさにより、泣いているのか笑っているのか判別しがたい表情のまま、クオンはその顔をサイガの胸板に埋めた。時折嗚咽が漏れ、細かく震える後頭部をサイガは優しくなで上げていた。
聖龍木の枝の間から漏れる木漏れ日が二人を照らす中、永遠に続くと思われる二人だけの静寂の空間。

だがそれは、唐突に破られることとなった。

「ちょっとサイガ!!
あなたこんなところで何しているのよ!!」


静寂を切り裂く雷鳴のような怒鳴り声が聖龍木の周りに轟く。ギョッとしたサイガとクオンが向いた先には…
怒りで全身をわなわなと震わせた…、サイガの幼馴染であるミヤビが仁王の如く突っ立っていた。
「ミヤビ?!なんでここに!」
「神殿の中にいないから、どこにいるのかと探してみたら、聖龍木の下で、下なんかで………
サイガのエッチ!変態!!不潔!!!」
降って涌いた闖入者は大声で喚き散らしながらサイガとクオンに近づいてきた。せっかくの二人だけの世界が作られた空間。それを簡単に、完全に壊されたことへの腹立たしさ、苛立たしさがクオンの心の中に生まれた。
「待ってくださいミヤビ殿、私とサイガ様はそのようなことは全く…」
「あんたなんかにミヤビ殿って言われる覚えなんてないわよ!そもそもあんた、その耳と尻尾はなんなの?!まるで獣牙族じゃない!獣臭いケダモノがなんでこんな所で、私のサイガに手を出しているの?!」
クオンはその正体をサイガにしか明かしていない。聖龍族地域での彼女は、あくまでも『四代目朧族頭領、忍者マスター絶影』であり、その素顔を狐の面で隠している。
クオンはミヤビを知ってはいるが、ミヤビは『絶影』は知っていても『クオン』を知る道理はない。
「待ってくれミヤビ!ここにいるのは…」
「サイガは黙ってて!!私はこの泥棒女に聞いているのよ!もう一回言うわよ。あなた、なんで『私のサイガ』に手を出しているのよ!!」

私のサイガ。私のサイガ。

ミヤビが放つこの一言がいちいちクオンの心に触る。確かにミヤビはサイガの幼馴染であり自分がサイガと出会う前から知り合っている仲である。
ミヤビがサイガを好いているのは普段の立ち振る舞いから明らかであり、サイガのほうもミヤビのことを大切にしているのはわかっている。
だからクオンは、サイガのことを想ってはいても、サイガの心を自分が満たすことは出来ないと理解しているから、先程の行動に出ていたのである。
(でも、だからと言って、サイガ様はミヤビ殿の所有物ではない。近づくのがダメなどと、そのような道理が通るはずはない!)
「私は、サイガ様に手を出してなどおりませぬ。私はサイガ様の所有物。サイガ様の手足。
物が所有者に手を出すことなど、ありえませぬ。
ですがミヤビ殿、サイガ様はあなたの所有物でもありませぬ。先程の発言…」
「サ、サイガの物?!サイガの手足ですってぇ?!
あ、あなた………、私を差し置いてサイガに手を出したのね…。
しかも、私のものじゃなくってあんたのものですって!!言ってくれるじゃないの!」

確かにクオンの発言を聞き流してみるとそういう風に聞こえなくもない。でもそれ以上に嫉妬の色ガラスをはめられたミヤビの心は、クオンの発言を自分の都合の悪い方、悪い方に解釈していった。
「もう許さない!マステリオンをやっつける前にあんたを始末してあげるわ!」
怒り狂ったミヤビの懐から、おびただしい数の符が握りだされる。ミヤビは聖龍族の中でも突出した才能を持つ優秀な召還術士であり、専用の符を使うことで色々なモンスターや精霊を手駒として扱うことが出来るのだ。

「行きなさい!式!!」

クオンに向かって投げた符が空中で形を換え、漆黒の鳥となってクオンに襲い掛かる。もちろん余裕を持って避けられたが、避ける先から新たな式が襲い掛かって来るので息つく暇もない。
「やめるんだミヤビ!」
「ミヤビ殿!少し頭を冷やしなさい!!」
「うるさいうるさい!私のサイガに手を出す奴は絶対に許さない!許さないんだからぁ!!」
サイガの懇願もクオンの忠告も耳に入らず、般若と化したミヤビは風の精が周辺の樹木を切り裂き、火の精が聖龍木の幹を焦がすのもお構いなくただ闇雲に式を乱発していた。
「もうやめろミヤビ!聖龍木一帯をめちゃめちゃにする気なのか?!」
「なんで、なんでそいつを庇うのよ!!サイガには私がいるのに、なんでよ!!」
「彼女は忍者マスター絶影だ!お前が考えているような女じゃない!!」
忍者マスター絶影。この言葉を聞いてミヤビはぴたりと攻撃を止めた。
「なん、ですって…。あいつが、絶影、さん…」
そう言われてみれば、腰にいつも絶影が身につけている狐の仮面が見える。
「そうだ!訳あって素顔は隠していたが彼女が絶影の正体だ!だからもうやめろ!」
「なんで…、聖龍族の隠密部隊の朧衆に、獣牙族がいるのよ…」
「彼女は聖龍族と獣牙族のハーフなんだ。だからほら、ちゃんと角もあるだろ?」
確かによく見ると、大きな耳の前に一対の立派な角が生えている。
「そう、なの…、あんたが、絶影だったの………。しかも、ハーフ、ですって……」
ミヤビが符を持っている手を下におろすのを見て、サイガとクオンは安堵のため息をついた。
「ミヤビ…」
「ミヤビ殿…、わかってくれたか…」
だが、それは大きな過ちだった。
今までの憎しみに凝り固まった表情に嘲りの化粧を添え、ミヤビはクオンを睨み付けてきた。

どうやって…、どうやって絶影の地位を手に入れたのよ!
この雑種!!


この雑種!

雑種

その言葉を聞いて、クオンの眉がピクッと釣り上がった。
「あんたみたいな雑種が普通に聖龍族の重要な地位につけるわけないじゃない!どうせ、そのいやらしそうな体使って男たらしこんだんでしょ!」
「なん………、だと………」
雑種。
それは昔、数え切れないほど自分の身に叩き込まれた蔑称。獣牙族の地ではトカゲとの雑種と言われ続け、聖龍族の地ではケダモノとの雑種と言われ続けた。
人格も何も全て否定され『雑種』『薄汚い』『穢れている』と、ただただ道行く人から言われ続ける毎日。
あのときの惨めな記憶が次々と蘇ってくる。誰も人を信じられず、この世の全てを憎んでいたあの時の自分が。
「で、今度はサイガを誑かそうってわけ?!冗談じゃないわよ!あんたみたいな雑種がサイガに近づいて、サイガが穢れたらどうするのよ!!
どうしてもサイガの近くにいたいってんなら、その耳と尻尾をちょん切ってからにしなさいよ!それが嫌なら、角を切り落として獣牙の里に戻ることね!」
先程クオンがサイガに言われたこと、そのことを知る由もないミヤビはその全てを否定する言葉を吐き掛けた。

(私だって…私だって好きで耳と尻尾と角を持って生まれたわけじゃない!
そのことで、過去散々な罵倒も受け、自分でも何度切り落としたいと思ったことか…
でも、でもお前にそんなことを言われる筋合いはない!)

目の前にいるサイガの幼馴染であり想い人である人物。それがある故にクオンはサイガから身を引いた。
だが、今目の前にいる人間が、次第に自分がかつて憎悪していたこの世界そのものに見えてきた。
「いいかげんにしろミヤビ!言いすぎだぞ!!」
「サイガ!あんたもこんな女にあっさりと騙されちゃうなんて!!こいつをめちゃめちゃにした後たっぷりとお仕置きしてあげるから!!」

(私がいつサイガ様を騙した!いいかげん妄想に満ちた物言いを止めろ!)

右手に持った小太刀がブルブルと震えている。いや、クオンの体そのものが怒りに震えていた。
「どうしたの?!切るの?!切らないの?!耳と尻尾!!」
人間とは、弱みを握ればこうも残酷になれるものなのだろうか。右手の人差指と中指を鋏に見立てて、ミヤビはニヤニヤとクオンに言い寄る。
その仕草を目の当たりにし、クオンの目に過去に捨てたはずの全てを恨む禍々しい光が宿った。

「何?決められないの?!だったら私が切



その次の言葉は続かなかった。声を紡ごうとしても言葉が出てこない。不審に想ったミヤビが視線を下に向けると…、その喉に、刀が突き刺さっていた。
「あ………、ぇ………」
刀を握り締める手の先に、クオンの顔が見える。その顔には表情はなく、瞳は氷のように冷え切っていた。

「どうした。私が………、その先はなんだ?」

言葉の抑揚無くクオンはミヤビに尋ねかけたが、声帯を刺し貫かれているミヤビは当然答えることが出来ない。
何かを言いたそうに口を動かすが、陸に釣り上げられた魚のようにただ口をパクパクさせ、ひゅうひゅうという呼吸音だけがあたりに響いている。
「ああそうか。こんなものが刺さっていたら物言うことも出来ないな。すまなかった」
口に冷笑を浮かべてクオンがぬぷりと刀を引き抜くと、抜いたところから血が噴水のように轟々と噴き出してきた。
がっくりと膝から崩れたミヤビは慌てて手で傷口をふさいだが、喉はおろか頚動脈まで突き破った傷はその程度で止まるはずもなく指の間から容赦なく血が湧き出てくる。
「あっ……あかっ………!ひ、ひがぁ………!」
ミヤビはもう片方の手で懐に収めてある呪符から傷口を塞ぐ効果がある符をなんとか取り出し首に添えようとした。
が、その手をクオンは容赦なく踏みつけた。
「ん?なんか踏んだかなぁ?踏んだかもしれないが尻尾が邪魔でよく見えないな!
こんなことなら尻尾を切っておけばよかったかなぁ。あぁ!!」
クオンはミヤビの耳に嫌でも入るよう、わざとらしく大声を出しながらミヤビの腹を力いっぱい蹴飛ばした。
そのショックで手を首から放してしまったミヤビは血飛沫を振りまきながら吹き飛び、どしゃりと地面に突っ伏した。

「ぁ…………っ!…………………」

目に涙を浮かべたミヤビはサイガのほうを向き何事か言いたげに口を動かしていたが、それが言葉として出ることはないまま次第に力を失っていき、地面を自らの血で朱に染めあげた後…その動きを止めた。
「ふ、ふふふ…。どうした、何も言わないのか?私をどうしたいのか、言わないのか…?」
何も言わない物体となったミヤビを、血に塗れたクオンは狂気を孕んだ笑みを浮かべて眺め続けていた。
これでこいつはもう何も言うことができない。私を不快にさせる雑音はもう私の耳には入ってこない。
「ク、クオン!なんてことをするんだ!!」
目の前の突然の惨劇に茫然自失となっていたサイガは、ミヤビが動かなくなったことでで我に帰ったのか血相を変えてクオンの血塗れの右手を掴み上げた。
「あ……、サイガ様……」
「クオン!何でミヤビを殺したんだ!」
クオンを見るサイガの顔は本気で怒っている。
それはそうだ。何しろ目の前で幼馴染を惨殺されたのだから怒るのも当然だ。

だがクオンにはサイガが何で怒っているのか理解できなかった。
いや、普通に考えればすぐに理解できるはずなのだが、クオンの頭がそれを理解する思考を無意識に止めていた。
「なんでって……
私はせっかくのサイガ様との逢瀬を邪魔するうるさい小蟲を片付けただけですが……」
ミヤビを殺したことになんの罪悪感も抱いていないクオンは、まるで当たり前のことでもしたみたいにあっさりと言ってのけた。
クオンのサイガに向ける顔はうっすらと微笑んではいるものの、その目からは輝きが完全に失われていた。
「小蟲って……?!おいクオン!仲間であるミヤビのことをそんなふうに言うのか!失望したぞ!!」
失望した?サイガ様は私の何に失望したというのだろう?私はごくごく当たり前のことをしただけだというのに。
訳がわからず小首を傾げるクオンに、激高したサイガはその横っ面をパチーン!と勢いよく張りつけた。
「バカ!!確かにミヤビはクオンに酷いことを言った!けど、殺してしまったらそのことに謝らせることも出来ないじゃないか!!」
頬に響くジィンとした熱い感触に、思わずクオンは目をきょとんとさせて頬に手を当てた。
「…痛い。
ひどいじゃないですかサイガ様。何で私を叩くんですか?私は何も悪いことなどしてないのに……
でも、サイガ様ならいいです。いくら叩かれても殴られても。だってサイガ様は私の一番大事な人ですから。
さ、サイガ様。うるさい蟲もいなくなりましたしさっきの続きを……」

「ふざけるな!!!もういい、お前の顔なんか見たくもない!さっさとここから消えろ!!」

そのあまりにも反省が見られないクオンの態度にとうとう堪忍袋の緒が切れたサイガは、ふぃっと顔をそむけるとミヤビの亡骸の方へ一目散に駆け出していった。
「サ、サイガ様?!」
クオンは慌ててサイガを呼び止めようとするが、サイガは全く振り返ることなくクオンの前から遠ざかっていった。
「サイガ様ぁ………」
全く自分を省みないサイガを、クオンは呆然と見続け…
この瞬間、サイガが自分から永遠に離れていってしまったことをクオンは直感した。

なぜですか、サイガ様。
私はあなたを慕っております。この世の誰よりもあなたを想っております。
私はそのことを包み隠さず告白しました。あなたも私のその想いに応えてくれたのではないですか。
なのに、何故私を捨てるんですか?
生きている私より、死んだそのゴミの方が大事なんですか??

他人に否定され続け、唯一心の拠り所となったのがサイガの存在。自分を唯一認めてくれたのがサイガ様。自分が唯一心を許した存在がサイガ様。
では、そのサイガ様が自分から離れていってしまったら、自分は一体何を心の拠り所にすればいいのか。
絶対に手放したくはない。サイガ様は自分の捧げる全てであり、他に代え難い唯一無二のものなのだから。
だが、このままではサイガ様は自分の手から出て行ってしまう。サイガ様が自分のものではなくなってしまう。
それだけは嫌だ。絶対に嫌だ!!
誰にも渡さない。サイガ様は私のもの。私だけのものだ!!
ならば……!
何も写していない虚ろな目がギラリと光り、小太刀を再び構えたクオンはサイガがいる所へひた、ひたと歩き始めた。


「ミヤビ……」
サイガの足元に転がるミヤビの顔は自分に訪れた理不尽な死を受け入れられない無念さに満ち満ちており、それを防ぐことをしてくれなかったサイガを非難しているかのようにも見える。
「ごめん、ごめんよミヤビ……、もっと早くクオンを止めることが出来れば……」
次第に冷たくなっているミヤビの亡骸を、サイガは血で汚れるのも構わずギュッと抱きしめた。目の前で幼馴染を見殺しにしてしまった無念さに、サイガは低く嗚咽しながらはらはらと泣き続けていた。
そんな時、サイガの後ろに人の気配がした。誰かなんて言わなくてもわかる。いつも自分の背中を預けていた人間なのだから。
「サイガ様……」
『それ』を行う前、クオンはもう一度だけサイガに話し掛けた。
もしかして、ひょっとして、万が一にも、サイガの心に自分が残っているかもしれないと思ったから。
「サイガ様、お願いです。私を捨てないでください。もしサイガ様にも捨てられたら、私は生きてはいられません……」
だがサイガは、そんなクオンの懇願にも全く耳を貸す気配は見せなかった。
「……ここから消えろといったはずだぞ、『絶影』」

「!!」

サイガに自分のことを絶影といわれ、クオンは目の前が真っ暗になった。
確かにクオンは四代目の絶影である。普段、みんなの前では絶影といわれるのは当たり前だ。
だがサイガはあの時、『クオンが素顔を晒している時は本名で呼ぶ』と言ってくれた。だから、この場所で自分のことを絶影と呼ぶはずがないのだ。
それなのにクオンのことを絶影と呼んだことは、もうサイガの頭の中に『クオン』という存在が芥子粒ほどもないということの証明であろう。
今度こそ完全に捨てられた。それを思い知らされたクオンに降りかかってきたのは、果てしない絶望だった。

「サ、サイガ様……サイガ様サイガ様サイガさまサイガさまさいがさまさいがさいがさまさいがさまさいがさまさまぁ………」

「ええぃ!うるさいぞ絶影……?!」
耳障りなクオンの呟きに苛立ったサイガが振り返ったとき目にしたのは…
目を見開きながら自分に向って小太刀を振り下ろしてくるクオンの絶望しきった顔だった。

「ぜ…

サイガの言葉は最後まで紡がれる事はなかった。それ以上言う前にクオンの刀がサイガの首と胴を切り離してしまったのだ。
顔に驚きの表情を浮かべたままサイガの首が地面に落ち、残された胴は先ほどのミヤビと同じく血飛沫を吹き上げ、地面にどしゃりと崩れ落ちた。

「サイガ様………、ふふふ、サイガ様ぁ………」

そう、もはやサイガ様の心に自分は残っていない。最も慕っている人間が自分の下から離れていってしまう。
それを防ぐにはどうすればいい?
簡単だ。サイガ様が絶対に自分の元から離れなくなるようにすればいい。自分の下にずっと置いておけば絶対に奪われない。

サイガ様をこの手で殺してしまえば、私からサイガ様を奪うことは誰にも絶対に出来ない

クオンは、地面に転がっているサイガの首を手に取り、両手で優しく掴み上げてた。
驚きに見開いている瞼を掌で下ろし、口元から流れ落ちている血を綺麗に舐め上げ、唇を重ね合わせて両胸の間に包み込んだ。

愛の独占

これで………、サイガ様は私のもの………。永遠に、私のもの………
ふふ、ふふふふ………
サイガ様…、いつまでもお慕いもうしております。
この私が、この私だけが永遠に………

血の海の中、クオンは満足げな笑みを浮かべ、いつまでも乾いた笑いを口から漏らしていた…




テラスの目の前には、かつてないほど真っ黒に染まった『黒い卵』が置かれている。いうまでもなく、これはクオンの体から出てきた瘴気によりクオンを包み込んで出来たものだ。
「うふふ、もうそろそろいい時間よね。
さあ目覚めなさいクオン様、人間の世を守るために生かされてきた使徒ではなく、皇魔の世を生み出す魔戦士として!」
テラスが『黒い卵』の殻を爪の先でつん、と突付いた。
すると、卵に細かい亀裂が入り、数瞬の間もなく粉々に崩れ落ちた。

…………

そこから孵ったのは、幾条の黒い管のようなものが重なり合って形成された球状の物体だった。まるで、卵の中からまた卵が出てきたような印象を受ける。
「テ、テラス様……、なんでしょうこれ?」
何とか傷を塞いだキキョウとカルマインが、目の前のよくわからない物体に目を見張った。そんな二人にテラスは黒い管の先端をちょんちょんと指差した。
「見てわかんないの?あの先っちょ、何本あるかしら?」
言われてみて数えると、あちこちから飛び出しているこんがらがった管の先は9つあった。
「………!!まさか……」
キキョウがある本数との関連に気づいたのを察したのかどうかは不明だが、そのとき球を形成していた管がしゅるしゅると解けはじめた。
一本一本が、まるで中心にあるものを守るかのように大きく広がっていき、九本の黒管が完全に解けきった時に中から出てきたのは、その身を完全に皇魔へと変じたクオンだった。

「…………」

全身の肌の色は血の気のない青に染まり、きゅっと目を閉じた顔からは眼帯が消え失せ、口元からは収まりきらない牙が二本顔を覗かせている。
純白だった両耳は大きさを2倍以上に増し、その表面は毛皮ではなくつるりとした黒い鱗で覆われている。
クオンの周囲に広がる九本の尾は耳と同じ鱗と蛇腹で構成された蛇のような形になり、笄(こうがい)状の先端からはとろとろと粘液を滴らせている。
他にも鱗は肘から先、膝から下に広がり、かつてのクオンの獣牙のイメージはまったくといっていいほど失われていた。
だからといって、今のクオンの全身像は聖龍族のそれとも言い難く、どちらかといえば龍そのものが人間の形を取ったと言えばいいのかもしれない。
それは世界に、人間に絶望したクオンが人の形を捨て世界に仇なす龍の写し身を無意識に取ったようにも見えた。

「ん………」

そしてうっすらと開いた目、その色は言うまでも無く白目は黒く、瞳は金色に染まっていた。もちろん、浄眼であった左目が持っていた闇を散らす明るい金色ではなく、皇魔独特の退廃的な毒々しい金色だ。

「これは……
そうか……、私も堕ちたのか……。まあ、当然かな……」

その金色の瞳で自分の変わり果てた姿を見たクオンは、先ほどの出来事を思い出しながら自虐的な笑みを浮かべた。
「……テラス様、あなただな。私にあんな下らない幻を見せたのは……」
クオンは自分の前でニヤニヤしているテラスをじろりと睨みつけた。
「ええ。どんな幻かはご存知ありませんが、クオン様の心の闇を呼び起こすお手伝いは致しましたわ。
さぞや、心地のよい悪夢を見られたのでしょうね。そこまで人間を辞めた方は、私始めてみましたのよ」
どうやらあの時テラスがクオンの膣内に放った黒い光は、その個人が持つ黒い欲望を顕現させ、人間を皇魔に変える力があるようだ。
考えてみれば、テラスがサイガやミヤビのことを知るはずがない。例え1000年前を知るツキミスキーからそのことを聞いていたとしても、あそこまで細かく人格を再現することは出来ないはずだ。
つまり、さきほどクオンが見ていたサイガやミヤビの幻は、クオンが心の中で思っていたサイガやミヤビを再現していたということだ。
「ですから、クオン様が見たのは自分の闇の欲望の姿。もし黒い光が見せる闇の欲望に負けない心を持っていなさったら、その体が皇魔に変わることなどありませんでしたのよ。
もっとも、闇の欲望に打ち勝てる人間などいませんですけれどね!心の弱い人間は、自分の欲望が存分に揮える機会を逃がすなんてバカな真似はしませんもの!!」
ということは、あの時ミヤビに手を出さずに堪えていたら、自分は人間を辞めずに済んだというのか。
だからといって、あそこで自分は手を出さずにいることが出来たか?罵声、中傷に耐え忍び、己を律することが出来たか?

愚問だ。そんなことはできやしない。
あの女は自分からサイガ様を奪おうとした。自分を虫けらの如く詰り、掃き溜めのゴミのように扱った。
あのクズを排除し、サイガ様を自分のものに出来たことを決して後悔したりはしない。
もし現実にあのような事態があったとしても、間違いなく自分は同じ結末を迎えるだろう。

「クオン様!あなたもやっぱりただの人間だったのです!
そして自らが持つ欲望に負け、皇魔として生まれ変わったのです!
おめでとうクオン様!これからは誰憚ることなく、己の欲望の欲するがまま生きることが出来るのですよ!!」

欲望。
900年もの間隠遁していたクオンにとって、それは久しく聞いていない言葉だった。すでに心は枯れはて、欲望などというものとも無縁だった。
(だが……今は違う)
己の身を皇魔へと変えたクオンには、心の内から沸々と湧き上がってくる欲望を感じていた。今はとにかくこの欲望を満たしたくてたまらない。
これを満たすためなら、どんなことをしてもかまいはしない。

「ええ……。そうですね。
テラス様、このクオンは我が欲望を満たすため、あなたに対し忠節を尽くすことを誓いましょう…」

テラスの前に膝まづき忠誠を誓うクオンに、テラスの後ろのキキョウとカルマインが熱い視線を送っている。
「あはぁぁ…、クオン様の体、なんて逞しい……」
「クオン様の皇魔になったその姿、見ているだけで濡れてきちゃうよぉ……」
クオンの生まれ変わった体を見て、内なる欲望が我慢できなくなったのかキキョウとカルマインは顔を上気させながらクオンにしなだれかかってきた。
キキョウは長い舌をクオンの頬に這わせながら腰を膝に摩り付け、カルマインは自らの股を弄りながらクオンの尻尾を舐めしゃぶっている。
「あぁん……、クオン様の尻尾すっごく太いよぉ……」
「クオン様ぁ……、どうか、どうか私たちにお情けを……」
「…なんだ?お前ら……。私のものが欲しいのか?」
クオンの問いかけにキキョウもカルマインも涎を滴らせながらこくこくと頷いている。
「はい…。こんな雄雄しいものが私の中をごりごりと抉ると考えただけで、もうたまりません…」
「ねえクオン様ぁ、いいでしょぉ?ボクたちみぃんな仲間じゃないですかぁ。クオン様のぶっとい尻尾を、ボクたちにくださいよぉ…」
上目遣いに媚を売ってくるその浅ましい姿にクオンは低くククッと笑い、その直後に激高した。

「ククッ……。仲間、か…
馬鹿にするなぁ!!」

「「?!」」
いきなり激怒したクオンにギョッとした二人に、クオンの尻尾が四方八方から襲い掛かってきた。
「えっ?!」
「わぁぁっ!!」
尻尾はたちまち二人の四肢を絡め取り、そのまま空高く掲げられてしまった。

「ふざけるなよゴミども……。私はお前たちの仲間になった覚えなど、欠片もない!!」

下から二人を見上げるクオンの眼は、憎悪と怒りで爛々と輝いている。この突然のクオンの振る舞いにツキミスキーは泡を食って右往左往し、テラスは面白い見世物が始まったと面白そうに見守っていた。
「ちょ、ちょっとクオン様!一体何を……」
「そんなに私に尻尾が欲しいか貴様ら!それならたっぷりとくれてやる!!」
クオンの自由になっている尻尾は、まるで蛇のように鎌首をもたげキキョウとカルマインの体に殺到していき、ズン!と勢いよく二人の前と後ろの穴に潜りこんでいった。

「うあっ!!」
「くはぁーっ!!」

宙に浮いて全く体の自由が聞かないところに強引に尻尾の侵入を受け、いくら発情していたとはいえキキョウもカルマインも体を引き裂く痛みに苦悶の声を上げた。
だが、それだけでは終わらなかった。
「い、痛いよぉクオン様……、もっと優しく………ひぐっ!!
みちみちと肉をこじ開けられる痛みに泣き言を上げていたカルマインが、不意に体をビクッと仰け反らせた。
「カ、カル!どうしたの……はひぃぃ!!
突然のカルマインの変化に動揺したキキョウだったが、すぐにカルマインの体に何が起こっているのかを理解できた。
キキョウの膣と直腸に潜り込んだクオンの尻尾の先端が異様なまでに熱をもち、体内で触れているところにその熱が移って狂おしいまでの疼きを放ってきていた。
「あ、ああぁ!!これ、これなんですの!体が、体が熱いぃ!!」
その熱はたちまち二人の全身に行き渡り、発情した体がさらに官能の炎で燃え上がっていって快楽以外の思考ができなくなっていっている。
見ると、キキョウとカルマインを拘束している尻尾の先端が黒くポゥポゥと光り、光を二人の体内に染み込ませていっている。どうやら二人に埋まっている尻尾も同様に光って、体内の粘膜に直接光を送り込んでいるのだろう。
「ははは…!どうだ、私の光は。もう官能でなにも考えられまい」
クオンが二人に嘲笑を向けても、すでにキキョウもカルマインも何も答えられないでいる。
「あー、あーっ!!オマ○コ気持ちいい、お尻も気持ちいいよぉぉ!!」
「ふぁぁ!も、もっと!もっと突いてくださいませぇ!!疼いて疼いて、気が狂いそうですわぁ!!」
クオンの体から放たれるあまりにも濃い黒い光は、同じ皇魔である二人の理性をあっさりと吹き飛ばし快楽の虜へと変えてしまった。こうなるのが分かっていたからこそ、クオンは最初に嘲りを込めた低い笑みを浮かべたのだろう。
「どうだ、堪能したか?心地よかったか?それはよかった。
だがこちらは何も満足していないのでな……。お前達の力、頂かせて貰うぞ」
それまで二人に与える一方だったクオンだが、その目をギラリと輝かせると二人に全く逆のことが起こりはじめた。
二人に刺さっていた尻尾の先端が、まるで二人の体内から力を吸い取るかのようにズルリ、ズルリと蠕動を始めたのだ。
今度は触手の先端の周りの肉がポワポワと輝き始め、笄状の先端がそれをズズッズズッと吸い取っていっている。
自分たちの力がずるずると吸い取られていく感触に、それまで与えられる快楽にうっとりとしていた二人は全く正反対の快楽に切羽詰った声を上げていた。

「ひゃあああっ!!なにこれなにこれぇ!
ボクの、ボクの中から何かが吸い出されているぅぅ!!」

「い、いやですわ!力が、どんどん抜けていきます……!
で、でも気持ちいいですわ!先程のより、何倍も何倍も心地よいですわぁぁ!!」

そのあまりの吸い出す速さにキキョウもカルマインの体からはあっというまに精気が抜け、肌艶が失われていくのが目に見えて分かる。
が、それにも関わらず二人の顔には極上の快楽に溺れきっている蕩けた笑みが貼りついていた。
「ああ……、いいぞ。お前達の精気が私を満たしてくる……。実に心地よい気分だ……」
逆に二人の精気を吸収しているクオンの体はさっきにも増して力が漲り、二人を拘束している尻尾もその漆黒の輝きを増していっていた。
「さて……、このまま吸い殺してもいいのだがお前たちはそれなりに使える駒らしいからな……。これで勘弁してやろう」
一通り吸ってどうやら一息ついたのか、クオンは二人から尻尾を引き抜くとそのまま拘束を解いた。
もちろん空中で戒めを解かれた二人はそのまま地面に落下したが、精気を極限まで吸い出されてしまった二人は痛がるそぶりも見せず、壊れた笑みを浮かべたまま突っ伏していた。


堕ちたクオン

あらあら可哀相に。クオン様、この二人もクオン様と同じ皇魔ですのよ?
少しは手加減をなさってあげないと……

だからさっきも言った。私はお前達の仲間になった覚えはない

テラスは糸の切れた操り人形のようになっている二人に目配せしながらクオンに不満を述べたが、クオンはさっきと同じ事を口にしテラスを敵意のこもった視線でじろりと睨みつけた。
「この身を皇魔に堕したとはいえ、私が崇めるべき主君はサイガ様ただお一人。私にはサイガ様以外に仕えるべき方はいない」
「ふぅん………。じゃあなんで、私に忠節を尽くすって言ったの?」
一応尋ねては見たものの、テラスの顔はまるで答えがわかっているかのようだった。

「利害の一致だ。テラス様、あなたはこの世界の秩序を壊し、人間を抹殺し、新しい世界を作る。それが私の目的と一致するだけのこと。
私が仕える方はサイガ様ただお一人。私にとってサイガ様は全て。そして、サイガ様の全ては私のもの。
サイガ様の寵愛を受けるものは私だけ。私以外の誰にもサイガ様を渡しはしない。
私以外にサイガ様が愛したものなど存在させない。サイガ様が占めるものは、私一人でなくてはならない」

それまで表情が存在していなかったクオンの顔に、次第に狂気が浮かんでくる。

「サイガ様が愛した大地、自然、人間、そんなものなど必要ない!
私にはサイガ様がいればいいし、サイガ様も私だけがいればいい!!
だから私は、サイガ様が愛した全てのものを滅ぼす!!この地上に存在するあらゆるものを!
そうすれば、サイガ様は永遠に私一人のものとなる!!
大地を破壊尽くし、自然を燃やし尽くし、人間を殺戮し尽くす!そして………」

クオンは刃物のように伸びた爪を、テラスにピタリと向けた。

「サイガ様とあの女から続く子孫であるテラス様。
あなたを涅槃へ送り届ければ我が事は為す」

ゆっくりと近寄った爪先がテラスの喉下にちくんと触れる。僅かばかりか皮膚を突き刺しじわりと青い血が滲み出てくるが、テラスは取り乱すことなくクオンを見つめ続けていた。
「でも、今はまだあなたを殺しはしない。私一人の力ではこの世界を破壊し尽くすことは出来ない。
それまではあなたの力、利用させて貰う」
「なるほど…、全てを自分ひとりのものにしなければ気がすまない…。そのためにはどんな手段も厭わない…。クオン、あなたはとっても欲張りさんなのね。
でも、いいでしょう?自己の欲望に忠実になった気分は。私が作りたい世界はまさにそれ。
誰もが自分の心の赴くままに、自由に生きる世界。素晴らしいことじゃない」
それが例え外道であろうとも、人の道を外れた所業であろうとも。
「確かに…、そうかもしれない。奇妙な充足感を今は得ている。これまでの1000年の無為な生を重ねてきたことが馬鹿らしくなるくらいに…。
この手が、脚が、尻尾が、牙が獲物を求めて疼き続けている。生きる目的を得て、心が奮え沸き立っている。
もっとも、それはサイガ様が私に求めたものではない。むしろ真逆のものだ。
だが、それにこの身を預けてしまったからこそ、私はこうして皇魔に堕したのだろうよ…」
切なく笑ったクオンは、突きつけていた手をスッと引き、片膝をついて畏まった。
「さあテラス様、何なりとご命令を…。この地上を闇に落とすまで、あなた様の命令に従いましょう…」
「そう?じゃあ早速あなたに使命を与えるわ。
ここから中央都市宮殿に向っている白面のセツナと兵士達を始末してきなさい。今のあなたなら容易いことでしょう?」
邪悪な笑顔を浮かべてテラスは、よりにもよってクオンに実の弟を手にかけるように命令を下した。
しかし、それに答えるクオンも口元に冷たい笑みを浮かべて

「仰せのままに」

との一言を残し、その次の瞬間風のように消え去った。
後には月夜の静寂のみが残っていた。


「まあ、流石に1000年もの間生きているだけあってたいした精神力だわ。心が完全に堕ちず未だに昔の主人への忠誠心を失わないなんてね。
でも、それも永くは持たない。一度闇に堕ちた以上、その心まで闇に染め上がるのは時間の問題。
それほど刻を経たずに、陛下の忠実な下僕として生まれ変わることになるわ。その時が、とっても楽しみ…」
それがいつになるのか、少なくともこの世界を自分の思うままの世界に変えた時まで持つことは無いだろう。
自分に向けられる冷たい瞳…、あれが欲望に蕩ける様がいつになるのか、テラスは楽しみで仕方が無かった。


その後、中央都市宮殿にセツナが登城することはついになかった。
使いの兵士が途中で事故に巻き込まれたことを懸念した高官が再び兵士をセツナとクオンのいる島に派遣したとき、そこには崩れ、焼け落ちた館の跡があるのみだった。


3章終





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