なるほドリ 記者さん、助けて!
記者 慌てて飛んで来て、どうしたの?
Q 阪急京都線の上を西京極から西院へ飛んでいると、トンネルの入り口に、大きなワシが羽を広げて止まっていたんだ。どうしてあんな所にワシがいるの?
記者 怖がることはないよ。あのワシは本物ではなくて、ブロンズという金属で作られた彫刻なんだ。
Q 僕たち小鳥を驚かせる悪いいたずらだなあ! 誰が置いたんだろう?
A 今から約80年前、まだ阪急京都線が新京阪線と言っていた時代……。
Q ちょっと待って。阪急電車の線路を京阪電車が走っていたの?
A 少しややこしいけど、よく聞いてね。今年、京阪電鉄が開業100周年ということは知ってる?
Q もちろん、知っているよ。天満橋と五条の間に開通したんでしょう。
A 線路は淀川東岸に敷かれたけど、京阪は西岸にも線路を通す計画を立てたんだ。早速、十三-千里山を結んでいた北大阪電鉄を買収、新京阪電鉄を設立して、大宮に向けて工事を始めた。
Q どんどん事業を広げたんだね。
A 「京阪王国」とも言われたよ。けれど昭和の初め、日本の経済状況が悪化すると、京阪、新京阪の両電鉄が合併、新京阪は京阪新京阪線になった。さらに戦時中、阪急の前身、阪神急行電鉄と合併して京阪神急行電鉄になった。戦後、再び京阪は独立したけれど、新京阪線はそのまま阪急に残り、阪急京都線になったんだ。
Q 会社が離れたり、くっついたり頭の中がこんがらがっちゃうね。ところで、ワシの話は……。
A 話が飛んでしまったね。西院と大宮間は1931年に開通したけれど、地下工事が大変だった。そこで当時の京阪の太田光〓社長は「工事は天と人の力が合わさって成し遂げられた」との思いを込め、「天人併其功(てんじんそのこうをあわす)」と刻まれた額をトンネル入り口に掲げ、さらに会社の今後の発展を託しワシの彫刻を置いたんだ。
Q でも、どうしてワシなの。キツツキやスズメではだめなの?
A 詳しく分からないけど、ワシは「鳥の王者」ともいうから、京阪も鉄道界の王様を目指していたのではないかな。それから、昔は「夜に聡(さと)い鳥」をトンネルの守護神として入り口に飾ることが多かったらしい。トンネル入り口の上の街灯にはフクロウの像があったようだよ。
Q 僕ももっと賢くなって、ブロンズ像が飾られるようがんばろう!<回答・広瀬登>
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毎日新聞 2010年8月8日 地方版