「加藤よ、裏切ったな」AERA8月16日(月) 12時44分配信 / 国内 - 社会遂に加藤智大被告の口から動機が語られた。 「派遣」「非モテ」というキーワードに、 少なからず共感した若者も多かった。 しかし、それぞれの若者が描いた「加藤」は、 被告自身の言葉で、打ち砕かれていった。── 昼の休廷時間、弁護士が喫煙所に足を運ぶことを知っていた。喫煙所で待ちぶせ、女性(31)は弁護士に懇願した。 「加藤君とどうしても会いたい。どうすればいいですか?」 2008年6月、東京・秋葉原で7人を殺害、10人を負傷させた加藤智大被告(27)に、彼女は会いたかった。事件を知ったとき、彼女はこう思った。 「やったね。一人で何かをなし遂げた。この人に会いたい」 加藤被告が事件直前に書き続けたネット掲示板の書き込みを、何度も読み返した。数秒単位の書き込み。自分に問いかけては、それに答えてみせる。自分と同じ孤独な人生だと共感した。 30歳で死のう。そう思っていた。今も生き続けているのは、加藤被告のおかげだという。 ■「一人旅」と書いたウソ 初公判から傍聴している。睡眠薬を常用しているため、早起きができない。被告人質問が始まる7月、寝坊して見逃すまいと、家賃3万6千円の都内のゲストハウスに引っ越した。 しかし、裁判が進むと、彼女の中の「加藤君」が壊れ始めた。 法廷でこう供述した。 「掲示板の書き込みのように、(自分を)ブサイクと思っていたわけではない」 掲示板で気を引くために、友人と旅行に行った思い出を、加藤被告は「一人旅」とウソの書き込みもしていた。 「ブサイクキャラでやっていたからです。ブサイクは友達ができないということに合わせて現実に起きたことを書き換えて紹介したということです」 そして加藤被告は、犯行動機をこう話した。 「(自分の掲示板に)なりすまし行為や荒らし行為をする人がいた。やめてほしかったことを伝えるために事件を起こした」 貧困問題に取り組む作家の雨宮処凛さん(35)の元には、アキバ事件後1週間で約30件、こんなメールが届いた。 「自分の代わりにやってくれたんじゃないか」 だが、被告人質問で派遣切りが犯行動機かと問われ、加藤被告はこう言い切った。 「それはないです」 雨宮さんは言う。 「もちろん、雇用の問題だけではないと思いますが、動機に関係ないとは、信じられない」 事件翌年の衆院選では主要政党が日雇い派遣や登録型派遣の原則禁止をマニフェストに明記した。加藤被告の事件が、この問題に光を当てた一面もあった。 08年末に自動車工場を派遣切りされたケンさん(26)は、解雇通告が出た後、工場内で交わされたこんな会話を覚えている。 「加藤みたいなヤツが出てきたら面白いのに」 加藤被告の犯行は許されるものではないが、一部の若者の共感を呼んだ。彼らにとって、ある種のカタルシスであり、代弁者であった。 ■「普通の人じゃん」 だが、そんな彼らの「共感」も、裁判とともに「失望」に変わり始めた。 〈加藤さんは偉大な革命家〉 そんな書き込みが並ぶ掲示板は、ネットで知り合った女性と遊んだり、月1回のペースで風俗通いしたりしていたことが明らかになると、こんな書き込みが散見されるようになった。 〈もう誰も革命家とは呼ばないな/結構遊んでるじゃないか〉 加藤被告の裁判に10回足を運んだ千葉県の無職の女性(28)も、加藤被告に裏切られたと感じる一人だ。裁判があることはインターネットの巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」上の「加藤智大を今すぐ抱きしめてやりたい」というスレッドで知り、本人を直接見てみたいと思った。 〈どうしてみんなが俺を無視するのか真剣に考えてみる/不細工だから/終了〉 〈彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊〉 そんな加藤被告の書き込みに感じるものがあったからだ。 初めて見たとき、こう思った。 「普通の人じゃん」 犯行直前まで同じ職場で働いていた玉城勇人さん(31)は、職場を案内したことを覚えている。食堂に案内した際、立て続けに加藤被告から質問を受けた。 「社員にはなれますか?」 「どのくらいで仕事は覚えられますか?」 強い意欲を感じた。 ドライブにも誘われ、一緒に遊びにいくなど、私生活も楽しんでいるように見えた。そこへ、突然の「クビ通告」──。 「使い回しのコマなのか?」 そう加藤被告が待機所で愚痴っていたのを覚えている。 事件後、メディアが殺到した。派遣会社のフルキャストや派遣先の関東自動車工業から、取材に応じないよう言われたが、むしろ積極的に応じた。 「僕自身、8年間働いたのに期間社員にすらなれず、最後は封書1枚で契約解除を伝えられた。残業は派遣社員に回されるなど、派遣の待遇を知ってもらういい機会だと思っていた」 玉城さんは今、実家に帰り、介護ヘルパーの仕事に就いている。給料は手取り12万円。一人暮らしさえ、できない。 だからこそ、改めて加藤被告が若者の置かれた雇用環境などを話すことに期待した。 だが……。 かつて革命家と持ち上げられた加藤被告はいま、ネット内で、 〈加藤はリア充(充実した暮らしをしていたこと。『リアルに充実』の略)だったじゃん〉 などと書かれている。仲間と思っていた加藤被告に裏切られたと思う同世代の腹いせだろう。 とはいえ、冒頭の女性は「加藤君」と完全におさらばできず、手紙を送り続けている。 「彼を否定することは、私を否定することになる。加藤君は私を形成する一部なんです」 ■チラシの上の食べ物 加藤被告は事件の原因について「ものの考え方」「掲示板での嫌がらせ行為」「掲示板に依存していた私の生活の在り方」の三つを挙げた。一番の問題を問われ、こう答えている。 「私のものの考え方。言葉ではなく、行動で示して周りにわかってもらう考え方で、母親からの育てられ方が影響していると思う」 例えば、家族で食事をする際の思い出を問われ、 「私は食べるのが遅いので、食べ切れなかったものを新聞の折り込みチラシにぶちまけられて食べるように言われました」 将来の進学先については、 「小学校低学年のときから、北海道大学の工学部に行くように言われていました」 と母について語った。 彼は両親が離婚した07年以降、家族と連絡をとっていない。 「加藤君」を慕う彼女も家族は他人だと思っている。厳格なプロテスタントの両親に育てられた。友達と遊ぶことより、聖書を読むことを強いられた。牛乳をこぼしたら、髪の毛をひっぱられ、流し台に顔を突っ込まれた。何かと暴力を振るわれ、小学生時代から自殺願望を持っていた。 「国道沿いで車にひかれて、何であの子は死んだのだろうって、みんなが心配してくれるところを夢想していました」 成人後は自殺未遂を繰り返した。リストカットをしても、 「この子は個性的な子だから」 と、母はとりあってくれない。 「誰も心配してくれない。周りを巻き込みたい衝動にかられる」 裁判で加藤被告は「アピール」という言葉を繰り返した。高校卒業後すぐに車の免許を取ろうとしなかった理由を問われると、こう答えた。 「母親が『大学に行ったら車を買う』という約束を反故にしたことへのアピールでした」 加藤被告が話す、行動で示して周りにわかってもらおうという考え方だ。 裁判で加藤被告は、交差点に進入した際、3度、ためらった事実を明かした。4度目に突入した理由を、こう話している。 「秋葉原を離れ、レンタカーを返そうと考えました。そうしたところで、この先、自分の居場所がどこにもない。事件を起こさなければ、掲示板を取り返すこともできない。愛する家族もいない。仕事もない。友人関係もない。そういった意味で居場所がなかった」 被告人質問4日目となった第19回公判を、事件発生当初から取材している記者(29)は傍聴した。犯行時の心境について、「覚えていません」「そうだと思います」と他人事のように話す被告にもどかしさを感じた。 「正直に話すことを、被害者、遺族は期待しています。わかりますか?」 検察官の最後の問いかけは記者も同じ思いだった。彼は正面の裁判官を見据えて言った。 「記憶がない点は申し訳ないです。少しでも思い出せるものは思い出していきたいです」 声に抑揚はなく、淡々とした口調は変わらなかった。 編集部 澤田晃宏 (8月23日号)
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