時代の風

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時代の風:史料の重み=東京大教授・加藤陽子

 ◇付箋に敗戦処理を読む

 各地に豪雨をもたらした梅雨も、ほとんどの地域で明けた。敗戦から65回目の夏がやってくる。学童疎開、勤労動員、空襲、引き揚げなど、何らかのかたちで戦争を実際に知る人の数は極めて多いはずだ。例えば、終戦時、海外にいた一般邦人の数は300万人を超えていた。

 ただ、戦場を実際に知る人の数となれば話も変わる。最も若く14歳で海軍飛行予科練習生に志願した少年でさえ、今や平均年齢が79歳を超える現実がある。NHKが太平洋戦争開戦70年をめざし、戦争証言プロジェクトとして「あなたの戦争を教えてください」と呼びかけているのも危機感ゆえだろう。

 近現代史として戦争を教える身としては、戦場を知る世代がしだいに失われてゆくのは心細いかぎりだ。彼らが語ってくれる言葉からは、紙の史料からはうかがい知れない温度やにおいが伝わってくる。1944年暮れ、徴兵適齢繰り上げのため満19歳で入営、帝国陸軍の最期を中国戦線で実見した田中小実昌(こみまさ)の小説は、温度やにおいのほかに、戦記や回顧録を読む際の心得を私に教えてくれた。短編集「ポロポロ」(河出文庫)は、ほぼ全編が、初年兵として著者の味わった徒歩行軍とアメーバ赤痢の苦しさを描いた小説からなるが、なかに次のようなさえた言葉がある。

 「あのころは、戦争に負けたことへのくやしさ、なさけなさといったものは、上級の兵隊と初年兵ではうんとちがっていたはずだが、当時の初年兵に、今たずねたら、上級の兵隊だった者と、あまりかわらないことを言うのではないか」

 記憶が物語化されることを小説家は警戒し、小説の完成度を犠牲にしても、物語化を全力で拒否してみせた。田中の3歳年長で44年入営組に中井英夫がいる。特異なミステリー「虚無への供物」の著者である中井には、さらにさめた洞察があった。

 「何より驚かされるのは、私たちいわゆる戦中派の年代が(中略)権力の命じるまま御両親様宛(あ)ての遺書をしたため、従容として死についたと思われているらしいことで、僅(わず)か三十年も経(た)たないのに、もうそんな歪(ゆが)んだ神話や英雄伝説が出来上ってはたまらない」(「中井英夫戦中日記 彼方より」河出書房新社)

 中井は、戦争中の青年たちの心情が戦後瞬く間に神話化されていった事態に愕然(がくぜん)としたのだろう。たしかに、戦争や戦場を実際に知る人の回想や言葉は、歴史をふりかえる際に不可欠のものである。だが、2人の戦中派が教えるように、回想や言葉の幾分かは、時間とともに神話化や物語化をまぬがれない。

 ならばどうしたらよいのだろう。神話化を拒否するため、中井の場合は自らが密(ひそ)かに書いていた戦中日記を刊行してみせた。やはり、その時々の文章で記された史料の強みは揺るがない。私も最近ある史料に出会い、1枚の紙片の持つ意味の大きさに改めて感じ入った。その一件をご紹介したい。

 敗戦後、国内で復員した将兵が軍保管の食糧品や衣類を大量に持ち出したことは、多くの国民が実見したことだった。学童疎開児の中には、飢餓線上にあった者もいた当時にあって、軍人たちのふるまいは、軍隊への国民感情を決定的なものとした。まさに幣原喜重郎内閣下、45年11月に召集された帝国議会において、ある代議士が名付けたように、それは「終戦犯罪」と呼びうるものだった。

 不正の根は実のところ深かった。問題は、無条件降伏に周章狼狽(ろうばい)した末端の兵士たちが混乱の中で勝手に物資を持ち出したという簡単なことではなかった。鈴木貫太郎内閣下の8月14日、「軍其の他の保有する軍需用保有物資資材の緊急処分の件」との閣議決定が、陸軍からの請議でなされていたからである。

 この閣議決定の存在自体については、これまでも大蔵省編纂(へんさん)の「昭和財政史」などで言及されており、聞いたことのある方もいるだろう。国民生活の安定を図り、民心を把握するため、軍保有物資を関係省庁や公共団体に引き渡すと書かれていた。閣議決定がなされた理由が言葉通りのものだったとすれば、意図は良かったのだが、現場の処置が稚拙だったため、民心の把握どころか国民の怨嗟(えんさ)の的となった、との弁解もできよう。

 だが、閣議決定の内容を陸軍大臣から、例えば陸軍航空本部に伝達する際には、8月17日「軍需品、軍需工業品等の処理に関する件達」という文書様式が必要となる。この文書に貼(は)られていた付箋(ふせん)に私の目は引き寄せられた。付箋には次のように書かれていた。この大臣達は、「敵側」に停戦後軍需品の整理をいかに行ったか質問された時の回答用として作製されたものだと。文末には「本付箋のみは速やかに確実に焼却すべし」との極めつきの一句もあった。

 ここからは、閣議決定、大臣達以外に、軍需品処分の本当の意図と方法を記した命令書が別にあった事実が見えてくる。事実それはあり、軍需品を民需品へと移管することで米軍の武装解除・接収を回避しようとした真の意図が読み取れる。焼け残った一枚の付箋は雄弁だった。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年7月18日 東京朝刊

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