時代の風

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時代の風:南アにみる歴史の伝言=同志社大教授・浜矩子

 ◇不可能は可能だ

 再びサッカー・ワールドカップ(W杯)の年がやって来た。前回の06年も、ちょうどW杯の開催期間中に本欄の執筆順が回ってきた。今回は、日本代表が超善戦しながら敗退したので、胸がうずくものがある。だが、後味は決して悪くない。

 それはともかく、06年は開催地がドイツだったので、時の欧州事情に思いが及んだ。今回は南アフリカで、これまた思うところ多々である。

 1次リーグの開幕が近づくにつれて、メディアがさまざまの「南ア特集」を組んだ。その一つに、テレビのドキュメンタリー番組があった。アパルトヘイト(人種隔離)政策の崩壊に至るプロセスをたどったものだった。

 番組の中に、こんなフレーズが出てきた。「結局のところ、我々には米ドルと西独(当時)マルクを刷ることができなかった」。当時の南ア政府高官の述懐である。

 なぜ、彼はこんな思いを吐露することになったのか。それは、1980年代を通じて高まる反アパルトヘイトの国際世論の中で、当時の南ア政府が借金不能な状態に追い込まれていったからである。

 米ドルと西独マルクといえば、あのころの2大通貨だ。この2通貨に代表される外貨の流入なかりせば、南ア経済は立ちゆかない状態にあった。海外の政府や金融機関が南ア国債を買ってくれる。融資や援助もしてくれる。それを前提とする経済運営だったのである。

 もっとも、この構図そのものは、当時も今も多くの新興国や発展途上国に共通のパターンだ。それ自体が、あの時の南アに固有の状況だったとはいえない。だが、アパルトヘイトのような特異な体制を取っている場合には、あくまでも、そのやり方が世間で許容されていることが、世界とのつながりの前提になる。ひとたび、世の中が「こんなやつらと付き合っていていいのか」という疑問を持ち始めてしまえば、借金依存型の生き方もそれまでだ。

 南アが借金の道を閉ざされていったことについては、二つの要因があった。第一に、世界各国による経済制裁である。そして第二に、世界の主要金融機関による貸し渋りと貸しはがしだ。いずれも、南ア内外から仕掛けられるしたたかな反アパルトヘイト運動が引き出した成果であった。

 文字通り命をかけた当時のアパルトヘイト闘争は、南アに拠点を持つビッグビジネスへの厳しい製品ボイコット作戦を世界に広めた。その圧力に耐えかねて、大手外資が相次いで南アから撤退していく。そこまでこぎ着けた反アパルトヘイトの機運の前に、世界の政治家たちは知らぬ顔ができなくなった。

 親南ア姿勢を続けていたのでは、自分たちの立場が危うい。そこに政治家たちが気づき始めれば、そこから先はもう雪崩現象だ。国々が我勝ちに南ア政府に背を向けていく。次第に、対南ア経済制裁に参加することが得点になり、それをしないことが失点となる政治力学が働くようになっていったのである。

 ここまでくれば、世界の銀行家たちも、我関せずでいられるわけはない。貸し渋りはもとより、いかに効率的に貸しはがしを進めるかを必死で考えるようになる。こうして、アパルトヘイト政権は次々と経済的ライフラインを断ち切られていったのである。そして、1994年の全人種参加総選挙をもって、ついに絶命の時を迎えた。

 この経緯を改めて振り返る中で、思うことが二つある。第一に、経済の力は偉大だ。良きにつけ、あしきにつけ、経済には変化をもたらす巨大な力がある。いくら恐怖政治がその力を誇示しても、経済的に背に腹は代えられない状況に追い込まれれば、その強がりはもろくも崩れる。裏を返せば、いかに清く正しい主義主張も、経済面で追い込まれると敗北する恐れがあるということだ。

 いずれにせよ、経済をあなどること、経済に無関心であることはまずい。「経済は難しい。経済は分からない。経済はつまらない」。このように言われることしばしばだ。だが、実はそのいずれもが当たらない。経済は実は恐ろしいのである。したがって、我々はそのカラクリをよく見抜いておく必要がある。

 思うことその二は、市民の力のすごさだ。暴力的な側面があったことも事実だが、それとは無縁の人々の勇気と粘りがなければ、今日の南アがないことは間違いない。

 「まさか」はやっぱり必ず起こる。そして不可能は可能になる。南アの脱アパルトヘイトの歴史ほど、これらのことを明快に示しているものはない。課題はまだ多々あるにせよ、W杯の競技場には、差別と紛争の影はない。せいぜい、ブブゼラのうるささを巡る小競り合いがあるくらいのものだ。このような日が来ると誰が思ったか。だが、その不可能が可能になった。くしくも、06年のW杯開催地ドイツも、また、ベルリンの壁崩壊という「まさか」の体験国だ。

 決勝に向けての選手たちの華麗なプレーに拍手しながら、歴史の中で不可能を可能にしてきた市民たちにも、また改めて喝采(かっさい)を送りたい。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年7月4日 東京朝刊

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