時代の風

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時代の風:「QOLT」の時代へ=東京大教授・坂村健

 ◇人生の質、向上の技術

 今、ICOST2010という国際会議のために韓国にいる。ICOSTは「スマート・ハウスと遠隔健康管理・遠隔医療に関する国際会議」で、今年の大きなテーマは「高齢者の健康と独立のための技術」。高齢者のための住宅、都市さらには社会環境を含めた広い概念としての環境について、医療から行政、私のような情報通信技術からロボット、と広い分野の人が集まって討議する場である。

 私は住宅や都市環境、道路の中などにコンピューター・ネットワークの要素を組み込み、人々の生活を支援するというユビキタス・コンピューティングの研究を84年以来ずっと続けてきたが、最近こういう応用分野の国際会議に呼ばれることが多い。

 私が行った基調講演では、いままで開発した技術や実際に建てた先端住宅「トロンハウス」のビデオなどを紹介し、今後の課題として技術面と同程度に関連する制度設計が重要という話をした。

 基調講演は非常に好評だったのだが、他の基調講演者のお話も興味深いものだった。

 アルツハイマーの人のケアセンターを運営されているアメリカのジョン・ザイセル博士は、認知症の人にとっての空間デザインという話をされた。どこも同じようにせず、絵を飾ったりインテリアのトーンを変えるなどして場所ごとにキャラクターをはっきりさせることが大事とか、感情的にフラットになりがちなアルツハイマーの患者さんたちを、積極的にアートに触れさせることで感情を呼び戻すという取り組みについて語られた。

 ザイセル博士によると、アートが働きかける脳の回路はより本質的な部分にあり、多くの記憶が失われてもその機能は残るという。記憶だけが人生ではない。記憶が失われても感動することはできるしまだ人生を楽しむことはできる、という話は感動的だった。

 また、米カーネギー・メロン大学(CMU)で長らくロボットや画像認識の研究をされてきた金出武雄教授は、ロボットや画像認識により老人や障害者を支援する応用について述べられた。氏は現在、同大のQOLT(クオリティー・オブ・ライフ・テクノロジー)センターの所長をされている。QOLTとはまさに人生の質の向上のための技術という意味。他の方々の発表の中でも、この言葉が出てきたりして、この分野を表すシンボリックなワードになってきているようだ。

 「環境保護対応技術」などとお硬く言うより「グリーン・テクノロジー」という方が、まさに人々の感覚に訴える力が強い。結果として政治家のスローガンにもなり、予算が付き--というように、言葉が技術開発をドライブするという面は確かにある。ネーミングは本質ではないものの大きな働きをする。その意味でまず「QOLTセンター」と名付けた組織をつくるCMUはさすがである。

 開催国で本会議実現の中心となった韓国の延世大学のリー教授も住居学が専門の方だが、空間や住居をコンピューターやネットワークがどう変えていくかということについて広い視野の話をされた。

 英語も韓国語も早口の非常にパワフルな方で、この顔ぶれを集めたのはまさに彼女の広い人脈のあらわれなのだが、同時に、この顔ぶれこそユビキタスを含む技術が現実的になり応用が近づいてきたということなのだろう。

 本来異分野のはずのザイセル博士などと話していても問題意識が非常に近いのに驚かされる。私が研究している薬に電子チップをつけて処方せん通り飲んでいるかチェックするシステムの話とか、さまざまなモノや場所につけたチップを通してネットワークから「これは何」とか「今どこにいるの」といった情報を提示することで実世界に仮想的なラベルを付け、忘れていく記憶を補う試みとか、さまざまな応用について語り合った。

 また、アートの利用についても、それが美術館の医療応用という側面を持ち美術館の運営側にとってビジネス的意味があるのが重要なポイントだというクールな視点は、ユビキタス技術による障害者支援の社会展開について誰かのためだけでないというオープン性とユニバーサル性が重要という、私の視点とまさに同じである。

 私の講演を取り上げた韓国の新聞記事でも、単なる技術面ではなく「技術を生かすためにも制度設計が重要」というメッセージをちゃんと捉(とら)えてくれた。これも基礎的な問題認識が共有されてきている表れだろう。

 とくにそのことを象徴的に感じたのは、89年に私が建てた実験住宅の中の「超ハイテクトイレ」のくだりだ。現在のシャワートイレの原形となった機能も組み込まれているが、尿の自動分析機能までついていて自動的に測定結果を主治医に送信する。今までの外国講演ではこれを取り上げるたびに、「日本人はここまでやるか」という感じで笑いが上がったものだ。しかし、今回はまったくだれも笑わなかった。時代はそこまで来ているのである。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2010年6月27日 東京朝刊

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