それは突然に訪れる。
人間が知覚している以上に。
あの日、いつも通りの日常の中で、僕は覚えず世界の真実を垣間見た。
――代償は家族の命。何よりも大切で、僕の唯一の理解者であった人達が、死んだ。呆然とした、驚愕した、絶望した、慟哭した。
この世の全てを贖ったでも取り戻したいと願った。それでも、そんな事は叶わなかった。
その日から、僕は壊れた。元より、自分が正常であったとは言わない。初めから僕は異常で、異端で、異分子だった。
それでも、これが自分だと世間に胸を張れる程の『個』は持っていた。だけど、僕の自己は、個性は、自我とも言うべき人を人たらしめるモノが、崩れた。
友人は居なかった。親戚も居なかった。教えを請う先達さえ居なかった。僕の周りに、道を指し示し導く人など居る筈もなかった。
僕は余計に壊れた。拍車が加速した。雪玉が坂を転がり、更に大きくなるように、僕の中で『真理』は膨れ上がった。
だから、僕は生きていけた。真理を忘れず、犠牲を忘れず、孤独を忘れず、絶望を忘れずにいたから。
かつての僕では見えなかったモノが、人の醜い本性が、世界の汚い部分が、鮮明に正確に明確に目に映った。
だから余計に、家族との思い出は目映く輝いた。今の僕が直視出来ない程に。
――故に、僕の心は、頭は、魂は、記憶を消し去った。
思い出も無く、人としての情も無く、合理的に論理的に、非情に冷酷に、差し伸べられる手を払いのけて、僕は道を進んだ。
そうして、今の僕がここに居る。ある意味では、『真理』を知ったからこそ、僕は一人で生きてこれたと言える。
だから、これは感謝するべきなのだろう。今となっては、声すらも、顔さえも忘れてしまった家族に。ありがとう、と。聞こえている筈も無いのに――――。
不意に、目が覚めた。辺りは目映く光り、目にも眩しく輝いている。
「ここは……」
「――目が覚めたかな?」
倒れ伏す僕の頭上から、男性のような女性のような、子供のような老人のような、残酷でいながら慈愛を孕んだ、矛盾を体現した声が聞こえた。
そちらに目を向ければ、輝く金髪に金の瞳、神話に出てくる神様が来ているようなローブに身を包んだ、中性的な容姿の『存在』が立っていた。
「おやおや、起きて早々、私を存在呼ばわりとは。素直に神様と思っていてくれていいのに」
「……自分の目で見たモノ以外は信じない事にしてますし。すいません」
「いやいや、気にする程の事でも無い。実に的確に私を表したモノだ。それに敬意を払いこそすれ、君に怒りをぶつける必要など何処にも無い」
その『存在』――神様は朗らかに笑った。爽やかに、と形容してもいいだろう。
威厳の一つも感じられないけど、自分でそう言うなら神様なんだろう。そうでなければ、その時に考えればいい。
何より、僕に嘘を吐くメリットが無いのだから、どうでもいい事に変わりは無い。
「君はまたスマートな思考をしているね。自分に損が無いならどうでもいい……大多数の人間には忌避される、原初的な考えだ」
「……こんな考えしか出来ないモノですから」
「謝る事は無い。素晴らしい思考回路をしているのだから。私達にこそ近い物の考え方だ」
神様は笑って、僕に手を差し出してきた。
……本来なら無視して立ち上がるのだが、相手は神様。その手を取って体を起こす。
そんな殊勝な人間だったかと、思わず自分を嘲笑する。そんな非現実的なモノ、僕の人生に何の価値も有りはしない、と言っていたのは何処の誰だ。
「……さぁ、本題に入ろうか。君がここに居るのは理由が有る。君は、何故ここに居るのか、思い出せるかな?」
そう言われ、良いとは言えない事に定評のある記憶力で、なんとか目を覚ます前の事を思い出そうとする。……何か思い出せそうで思い出せない。今日も僕の記憶力は絶好調だ。
ふと見れば、こちらを呆れたように見ている神様が目に入った。笑い出したいのを堪えているようにも見える。
笑いたいのはコチラだ。
「君は、自分が死んだ事も憶えてないのかい? そうだとしたら、随分とまた、特殊な人間だよ」
そう言われ、頭に映像がフラッシュバックした。成程、これは確かに僕の記憶だ。微かに憶えが有る。
今にして思えば、それ程幸せな人生でなかったかもしれない。だけど、この生き方以外に知らないのだから、仕方ない。
勉強に勉強を重ね、他の人が遊んでいるような時間も、全て勉強に費やした。そうして入ったのが国立の超一流大学。
エリート街道と言うが、僕の目標は自分の会社を持つ事だった。金融企業に入社し、一定の地位まで上がったところで独立した。
苦労して建てた僕の会社は、ぐんぐんと業績を伸ばし、一流企業程度には成長した。
だけど、急に成り上がった会社は、他の伸び悩んでいた企業に恨みを買った。僕の強引な手法もそれを加速し、命を狙われるなんて日常茶飯事だった。
持ち前の悪運の強さで生き延びていたけど、あの時にそれも尽きた。
逃げ切ったと思い、油断した僕の失態だ。横道から現れた男に銃で撃たれて僕の人生は終わりを迎えた、と。
「思い出したかな?」
「気分が最悪なくらいにはっきりと」
「それは良かった」
何が良かったんだろう。皮肉が効いていないのだとしたら、なんだか僕が哀れだ。
なんとなくネガティブになりながら、神様の話に耳を傾ける。
「つまり、君はあそこで死んだ訳だが……輪廻転生は知ってるね?」
小さく頷く。大まかにしか知らないけど、多分大丈夫だろう。
「君の魂は輪廻の輪に組み込まれたんだけど……どうにも正常に巡らないのさ。そこで、ここに魂を呼んでみれば、またなんとも壊れ方が異常でね。一度、魂と繋がった形跡があるじゃないか。これでは修復のしようが無いから、君の肉体を復活させたんだよ」
よく分かった。つまりは、あの時の事を言っているんだろう。僕自身も正確に憶えていない、あの時の事を。
「心当たりは有るみたいだね。なら話は早い。君、そのまま転生してくれないかな?」
「……はい?」
思わず耳を疑った。ちょっと買い物に行ってきてくれないか、みたいな軽さで言われたばかりに、何度か聞いた内容を確かめてしまった。
茫然とし、混乱する僕に追い討ちを掛けるように言葉を連ねてくる。
「いやなに、勿論の事、そのまま行けと言っている訳じゃないよ。私も修復するくらいなら問題は無いからね。ただ、仕事が滞るんだよ。問題を起こすような人間だったらこんな事は言わないんだけど、その点に関しては、君ほどに安心出来る性格の人間は居ないからね。だから、君には加護を与えるくらいはしようと思う」
つまり、加護を与えるから記憶も人格もそのままで転生してくれ、と。それは、何処の小説に出てくるような展開ですか。もう魂を消し去れば良い話でしょう。
「そんな簡単な話じゃないんだよ。君の魂だって、数えきれない程の転生を繰り返してきたモノ。それをここで消すのは、記録の一部が欠ける事になってしまうからさ」
面倒な事だ。前世の因果で死ねないとは。それどころか、前なんて言葉を数えきれない程に連ねても足りないだろうけど。
まぁ、特に不満が有る訳でも無し。なら神様の言うとおりに転生しても構わないか。
「おぉ、言ってくれるかい? それは助かるよ。なら、君に私の加護を与えよう。どんな事でも言いたまえ。必ずや実現しよう」
なんとも太っ腹というか豪気というか、流石は神様といった発言だ。
だが、そこまで言うからには絶対に確実に正確に、僕の願いを聞いてくれるのだろう。
――それは、僕が人生で何度も思った事であり、秘書に薦められたゲームなどという娯楽作品に出てきたモノで、唯一惹かれた特殊な力。
そう、それは――
「――黄金律:Aをください」
「……ん?」
そう、この力は僕の理想を具現化した能力。
歩けば大金の詰まったアタッシュケースを拾い、宝くじを買えばキャリーオーバー中の一等を当て、デイトレードなどしようものなら問答無用で大暴騰だ。
そう、つまりは人が汗水垂らして稼ぐ金を歩くだけで手に入れる事が出来て、僕が苦労して建てた会社なんて一ヶ月も有れば即座に設立という訳だ。これ程に僕が望む力が他に有るだろうか。いや、有る筈が無い。これこそ、僕の理想の具現なのだから。
これさえ有れば、僕がかつて望んだ、世界を思い通りに操る支配者となり、酒池肉林の夢が叶うのだ。
神様、ありがとう。貴方が居なければこの夢は叶わなかったし、僕は死んだ事も分からずに消えていただろう。
さぁ、ここから、僕の理想と夢と希望を具現化した人生が始まるんだ!
始まらない。