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駄々

 投稿者:三ノ窓  投稿日:2010年 6月20日(日)21時21分23秒
  あの… しばらくずっとみていたのですが「あ」さんはこれからもずっと駄々を捏ね続けるのですか… 嫌だ嫌だとわがままをいつまでも言い続けているみたいですから。  

議論のイロハ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月20日(日)21時08分11秒
  猫君に教えてあげようね。

まずデーターを上げることだ。

全国通塾率
http://benesse.jp/berd/magazine/report/pickup/pickup_data09/pickup_data09.html

これによると中学生の半数が塾へ通うっている。

さて通塾率と成績の関係を調べるための方法が問題だ。

成績上位舎例えば、全国学力テストの偏差値が60以上の者の内何パーセント以上が
通塾者だったら通塾者は成績がよいといえるだろうか?

言い切るためには八割は必要だろう。なぜなら、6割いてもそれは全中学生の半数が
通塾者であることから考えると通塾と学力の関係を決定づけるものではない。

というわけでそのデーターを要求する。でなければ、そんなのただの塾の宣伝で
売り口上にすぎない。あーばからしい。単純な統計学の問題だね。

(こんな手口にころっと騙されて子どもを塾に通わせる親ばかりだと本当に困るなあ。)


ちなみに学校に行っている中学生で成績優秀者は全員です。
(だって、義務教育だもんね。第一全国学力テストは学校が行ってるんだし。)
(ほら、そんな統計に意味がないことがよくわかる。問題は学校以外にどこでいつ、どのくらい
 勉強しているか?それが誰に管理されているかだと思うけどねえ。)
 

あと

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月20日(日)21時00分27秒
  まっぺんさん。「とっくに論破されている。」は議論の常識ではありませんよ。
んー。
リンク先を読んでくださいね。

まっぺんさんが議論の常識だと思っていることの全てが議論の不誠実だという
ことがわかりますよ。

 議論は反論の応酬だなんて誰に習ったんです。(弁証法ですか?)
 議論はそんなものじゃありません。
 

まっぺんさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月20日(日)20時58分5秒
  それは議論ではないですよ。

ただのやりとりです。議論とは何が共通かをはっきりさせることじゃないですか?
反論のし合いって発想が60年代だし、議論をそんなものととらえることが

「ナンセンス!」
「反動!」
「ファシズム!」と叫んでいれば何か反論したような気になっていたあの季節の
まんまじゃないですか。

 わたしはきちんとまっぺんさんたちが根拠としているものが不十分であること。
結論が結論ではなく擬制であることを批判しているんですが?


 人を殺すことが可能だから、人殺しは裁かれるのです。、それ以外にその行為を
 社会的にする方法がないからです。

じゃあ、なぜそれを裁くのかは言うことができます。しかし、その可能性はない。
そのような思いはない。ということは非現実的すぎます。人が人を殺す自由は
あるのです。しかし、それは認めるわけにはいかない。ただそれだけです。
まっぺんさんたちと話していていつも感じるのは思考の不徹底です。

 徹底して思考した結果見出された矛盾を乗り越えるための行動ということには
 ならない。

何度も申し上げたように、飯をおいしく食べるためにデモへ行くという言説が正解です。
デモにこれ以上ぴったりな根拠を見出すのは私にはできません。
 

足りない君

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 6月20日(日)19時30分20秒
  >>
それに「同じ不安を抱かせておく」のを意図するのは統治者であって
 私じゃないよ。
>>

お前が半島大陸の軍事的脅威だけを絶叫し、不安を煽る愚かさを指摘しているんだよ、お馬鹿さんw

お前のような三等国民ごときが外交や防衛など考えるな。
ゴミがそういうこと軽々しく口にするのは困るんだよ。

百害あって一利なし。

それから、お前の教室なんて興味ない。誰も聞いてない。
基礎学力がないのにどう誤魔化して授業しているかという詐欺的技術なら興味あるけど。

>>
大事なのはスキルだけだ。スキルを教えることしかできないしね。
 スキルを学ぶという目的だけは一致しておく。
>>

してないしてないw

なぜ小学校教員養成課程の偏差値が最も低いか、考えろw
お前らのような阿呆にスキルは教えられない。マナーも心構えもしつけも何もできはしてない。それは業界の常識だ。

最近顕著になってきた、いろんなところで取り上げられてることがある。
成績上位者は通塾率が高い、すなわち、塾に通っている児童生徒は成績がいいが、通ってない子どもは成績が悪い。一体、お前らは何をしてるんだ??

天下国家で妄言をおしゃべりしてないで、自分の仕事をやれ。
 

進歩しない自由

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月20日(日)19時29分14秒
  >半島統治で米を買い付けたので、粟などを輸入し飢餓を防いだのに、飢餓輸出など言われれば、そ
>れを単純に信じてしまうんです。飢餓は栄養状態で飢えて死ぬようなことがあったのかが問題なの
>に米を食えないということが飢餓と考えてしまうのは日本人が米を食って生活するからにすぎませ
>ん。イタリアの米農家は米を食べれません。飢えているでしょうか?

とっくに論破されてることを今ごろ蒸し返す。進歩がない。それも自由だがwww
 

「自由である」だってさww

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月20日(日)19時27分14秒
  「議論の上での常識」とは、お互いに答えつつ反論しあうことだと思うのだが、
その「常識」を無視するということは、「答えなくてもいい自由」ということだよな?
もちろん、そういう「自由」はある。ただし、その場合、ふつーは
「答えられなかった」「負けた」と判定されるのだが
もちろんそういう「常識」を受け入れない「自由」もある。www

そうだねえ。とても「自由」だね。
人を殺す「自由」。その「自由」を一生懸命ひとに理解させようとする「自由」。
議論の途中で、答えられなくなったらほうり出す「自由」。
誰も言ってない話へとはぐらかす「自由」。
それが君の「自由主義」なわけだ。
ま、あ呆になる自由については止めないよ。www
 

詭弁のススメ

 投稿者:伊達 純  投稿日:2010年 6月20日(日)17時54分17秒
  ですかw。「あ」に相応しいリンクだと思ってしまうのは私だけだろうか?w  

これぐらいは読んでおこうよ。

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月20日(日)17時44分39秒
  http://ronri2.web.fc2.com/kiben07.html  

まっぺんさんへ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月20日(日)17時41分8秒
  議論の常識とはこれいかに?
(それこそが隠れたカリキュラムの成果だと思うけど。)

http://yahhoo.cocolog-tcom.com/goodwill/2009/12/post-bf57.html

ほら、私の言っていることが議論の常識なんですよ。

根拠があって主張を説得できるんです。ところがまっぺんさんたちのは常に「主張」でしかないので
根拠をいくらでも覆すことができる。(なぜなら根拠そのものが仮定、理念であり、法だから。)
ひっくり返された根拠をそのままにして、この根拠がわからないのは頭がおかしいのだ。
というのは「非論理的」なんです。

 左翼の思想とは上からの奴隷解放だ。といいました。これはもう西欧の左翼思想をその視点から
整理すればきれいさっぱり分類できるんですから間違いありません。奴隷だって人間だ。という
主張の根拠は「人間とは何か」という根拠に基づくものです。

 (日本人はこの人間とは何かということに外側=形態と行動で定義するんです。だから赤ちゃん
  も人間の形をしているから人間だと考えるし、人の形をしている人形に必要以上に精神性を
  感じるんです。でも、人形は行動をしないので、人間ではないと考えます。行動する人形があ
  った場合、日本人はその人形を人間として認めるかもしれません。例>アトム・どらエもん。)

日本人は素朴な左翼思考(思想じゃないですよ。)をもっているのと同時に素朴な右翼思考(余所者
は敵だと考えよう。)をもっているんです。そして、どちらも本当に素朴すぎる。非常に単純で政治
の思考まで洗練されていない。

 半島統治で米を買い付けたので、粟などを輸入し飢餓を防いだのに、飢餓輸出など言われれば、そ
 れを単純に信じてしまうんです。飢餓は栄養状態で飢えて死ぬようなことがあったのかが問題なの
 に米を食えないということが飢餓と考えてしまうのは日本人が米を食って生活するからにすぎませ
 ん。イタリアの米農家は米を食べれません。飢えているでしょうか?

 プランテーションにはメリットだってあったのに、すぐに悪者扱いします。そこも見えないカリキュラムです。

 見えないカリキュラムに自覚的であろうとすることが「自由である」ということだと私は思いま
す。まっぺんさん。
 

げー

 投稿者:旅人君  投稿日:2010年 6月20日(日)16時58分1秒
  長居しすぎたな


怖い怖い


ケロケロ


じゃあね!
 

ところで

 投稿者:旅人君  投稿日:2010年 6月20日(日)16時55分10秒
  TAMO2の掲示板で何年間書き込みしてたの?

人民食堂じゃ一年を突破したろw

これってどうなのよww
 

まっぺんと伊達さんが

 投稿者:旅人君  投稿日:2010年 6月20日(日)16時53分7秒
  書きこまなきゃ

コバンザメってかww
 

隠れようが隠れてなかろうが

 投稿者:旅人君  投稿日:2010年 6月20日(日)16時51分37秒
  そこまで考えてる教師ってのがいるってことかw

その教師ってのは、ノイローゼじゃねえのかな

インターネットの掲示板に朝から晩まで書きこんでる教師ってのはどうなのよww
 

ここで

 投稿者:半蔵  投稿日:2010年 6月20日(日)16時13分39秒
  「隠れたカリキュラム」がでるとはねw  

けらけら

 投稿者:旅人君  投稿日:2010年 6月20日(日)14時01分43秒
  しかし、まっぺんが相手するってことは

同類ってことなんだがw

いつまで相手してんの?
 

そいつは

 投稿者:旅人君  投稿日:2010年 6月20日(日)13時55分50秒
  俺のことかよw

まっぺん
 

猫氏ではないが

 投稿者:まっぺん  投稿日:2010年 6月20日(日)12時24分57秒
  >どうしてそんなに読めないの?

議論の常識もわからずトンデモ展開をするあ呆を「読める」としたら
あ呆と同水準な御仁しかおらぬだろうなぁ。www
 

ええと

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2010年 6月20日(日)11時29分15秒
  猫君 どうしてそんなに読めないの?

 人/非人の区切りのこと。そして、それがなぜ維持されているかについての説明
 なんだけど。

 同調圧力のような心理的なものはふっきってしまえば、ひとりが怖くなければ
 別になんということではない。
 俗に「出すぎたくぎは打たれない」というやつだ。

 しかし、同調圧力の同調とは何か?という問いには全く答えてない。
 「なかよし」なんていうのは同調圧力が完成した時点の現象で同調そのものではない。

 だからこそ、「隠れたカリキュラム」を提示する必要がある。

 そんな話だ。

 それに「同じ不安を抱かせておく」のを意図するのは統治者であって
 私じゃないよ。

 私の学級はゆるうううううううううういまとまりでできてる。
 (修行の成果、それが自然体でできるようになったね。うん。)
 大事なのはスキルだけだ。スキルを教えることしかできないしね。
 スキルを学ぶという目的だけは一致しておく。
 

ずらして、誤魔化して、嘘を並べる

 投稿者:招き猫  投稿日:2010年 6月20日(日)08時57分8秒
  隠れたカリキュラムの典型が馬鹿ウヨ発想なのね、お分かり?w

>>
同じ不安を抱かせておくこと
 の方が大事になる。(弱者の再生産の本当の意味はそこにある。)
>>

だから、お前は半島大陸との対立を異常に煽るのか?

それも経済的側面を完全に無視し、単に軍事的な方向だけに危機感を煽るのは阿呆だからか?


>規律

左翼の規律に置き換わっても十分に穴は埋まるっていうことだ。
やっぱり、お前の発想はマッチポンプ。左翼の糞思想を強化するだけ。理解が浅いから、本当の意味で批判が全くできない。

北教組を徹底して叩けないあたりがそれを象徴しているけどw


「隠れたカリキュラム」とうのは暗黙の了解とされてきたものを可視化し疑い、別の可能性の開示の契機を見出そうとする構築の中で取り上げられるものだ。

苅谷剛彦の分かりやすい解説で頭を洗濯しておいてください。(阿呆の妄言除去)
>>
 小学校一年生の教科書から、今使っている教科書までを思い出してみてください。学年が上がるにつれ、教科書にのっている絵の数が減り、その分、字が増えているでしょう。出てくる問題はむずかしくなっています。今なら小学校の算数の問題はなんなく解けるはずです。
 学年が上がると、もっと複雑でむずかしいことを勉強するようになる。このような学年を単位とした学校生活を通じて、生徒たちはどんな隠れたカリキュラムを学んでいるのでしょうか。

 この問題を考えるために、隠れたカリキュラムを大きく二つに分けてみましょう。一つのタイプは、学校生活をスムーズに行うために入り込んでくる隠れたカリキュラムです。これは、授業などをきちんと行うために必要とされるいろいろなルールのことです。時間を守ることも、コミュニケーションのルールも、一人で勉強するのではなく、集団で勉強するときに必要となる約束事です。
 もうひとつのタイプは、もっと自然に、知らず知らずのうちに学校生活に入り込んでいる隠れたカリキュラムです。男女の区別や、年齢による区別といったことは、それが特別に問題とされないかぎり、「あたりまえ」のこととして学校の中でも使われる区別であり、約束事です。学校以外のところでも、なにげなく使われる区別が、そのまま学校でも使われるのです。
 日本人や日本という国についての意識も同じです。日本という国がすでにまとまりをもっていることや、私たちが日本人であるといいう意識があたりまえになっている現在では、日本という国のまとまりを前提に教育が行われるのも不思議ではありません。あたりまえと思われているからこそ、自然と学校の中にも入ってくる考え方なのです。
 ここで重要なのは、第二のタイプ、つまり、知らず知らずのうちに学校に入り込んでくる隠れたカリキュラムです。というのも、この第二のタイプの隠れたカリキュラムによって、あたりまえだと思っていることが、あたりまえのまま疑われなくなることがあるからです。
 男女の区別にしても、年齢による区別にしても、慣れてしまえばあたりまえに思える区別です。では、男子と女子の区別にしても、ほかのやり方はないのでしょうか。年齢ごとの集団づくりにしても、違う学年をごちゃまぜにするやり方はできないのでしょうか。そう疑ってみると、どうしてもそうしなければならないほどの必然性があるとは限りません。出欠をとるときに男女まぜこぜで名前を呼んでも困らないはず。授業だって、塾や大学などでは、年齢にこだわらずにいっしょに勉強する集団がつくられることがあります。年齢よりどれだけの学力があるかを基準にクラスをつくってもよいのです。

日本という国や日本人という意識にしても、外国人の子供が日本の学校にもっと増えていけば、どうなるでしょう。今までのように、日本という国のまとまりを前提に、日本語や日本の歴史、地理を中心に教える教育が望ましいかどうか疑問が出てくることだってあるでしょう。実際に、いろいろな国から人々が集まってできたアメリカやカナダのような国では、それぞれの人種や民族の特徴を学校でもっと勉強させようという主張があるくらいなのです。
 このように、隠れたカリキュラムを通して、私たちは、自分たちのまわりの世界を、どのように区別するのかを知らず知らずのうちに身につけていきます。男と女の違いをどう見るか。そして、そういう区別のしかたが、私たちの行動や考え方にも反映するようになります。たとえば、「男だから○○すべきだ」「女のくせに○○するなんて」といた見方が自然に出てきたりするのも、男と女という区別のしかたを知らず知らずのうちに身につけているからかもしれません。
 年齢という区別のしかたも同じです。年齢が一歳違うだけで、先輩と後輩の区別がつけられたりするのも、学年という区別のしかたが学校の中でごく自然に行われていることと関係しています。そして、こういう年齢という区別を気にしながら、社会人になっても、会社の中でだれが先輩かとか、だれが同期だとかいったように、人との関係のとり方が違ってきたりするのです。
 さらには、日本という国のまとまりや日本人と外国人といった区別のしかたにしてもそういう区別のしかたを、知らず知らずのうちに身につけていることが基礎にあるのです。自分は日本人だという意識をもとに、他の国のできごとや他の国の人とつきあっていくのか。こういう違いも、日本というまとまりをどのように区別しているかに関係しています。そして、こういう「日本人としての自分」という意識のもとが、学校での隠れたカリキュラムなどを通じてつくられ、強化されていくのです。
このように疑ってみると、知らず知らずに入り込む隠れたカリキュラムは、それが前提としているあたりまえのことを、より強化しているといえます。ほかのやり方の可能性があることさえ、気づかないようにさせてしまう。たとえば、男女という区別を取り払ってみたり、年齢という区別を取り払ってみたり、どの国の人であるかという区別を取り払ってみたり、そうしたときに、私たちは、どのような新しい関係を築きあげることができるのか(こうしたことは、日本の社会でなぜ男女の平等がもっと進まないのかとか、が国や地方の議員になれないのはなぜか、といった問題にもつながっています)。ところが、こういう想像がはたらかなくなるようにする力を、隠れたカリキュラムはもっているのです。
 学校というところは、秩序を重んじる場所です。秩序というのは、まずは、自分たちのまわりの世界をどのように区別し、そうやって区別された人やモノやことがらを、どのように関係付けるかによって成り立っています。ですから、区別のしかたを変えてみるだけで、自分と世界との関係も変わってくるのです。こういう秩序のでき方や、私たちの社会の組み立て方ということにも、隠れたカリキュラムは関係しています。ですから、隠れたカリキュラムを発見することは、このような、私たちと世界との関係のあり方が、知らず知らずのうちに、どのように維持されているのかに目を向けることになるのです。
>>

なお、これを載せるにあたり半さんにお手間をかけてもらいました。
感謝して記します。
 

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