関連資料

昭和51年1月3日
(1976)
学会 大石寺近くで妙信講の広報車2台を破壊
    2月 月刊ペン事件起こる
池田氏の女性スキャンダルなどを報じた月刊ペン事件起こる。

3月号「四重五重の大罪犯す創価学会」、4月号「極悪の大罪犯す創価学会の実相」

    2月15日 両会長は仏様
「御本尊様は口をきいてくださらない。また御書もありますけれども口をきいてくださらない。(中略)全部、牧口先生、戸田先生のお力であります。両先生とも偉大な仏様でございます」奈良10周年記念勤行会

  この春の学会員、弁護士33名、検事18名、判事3名・研修生16名、国家公務員上級36名、外交官上級9名・中級8名、語研18名。

    4月1日 札幌創価幼稚園開園

    4月11日 創価学会 月刊ペン社、編集長・隈部大蔵を告訴

    4月16日  墓苑事業第一号、北海道の「戸田記念墓地公園」が完成しての池田発言
「墓苑60億円、公園で180億円、土地代4億円、200〜300億円ぐらいだな。正本堂御供養一回分だな。御供養返還だ(笑い)」北海道羊ヶ丘会館にて

    5月21日 隈部大蔵 警視庁に逮捕される

    6月1日 「口八丁。手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ。社会(党)だって方便を使っている。共産(党)だって目的のためなら皆な謀略じゃないか。一般社会だって利益のためならあらゆる手段を使う。うちは信心を守るため、学会を守るためだ」 扶養研修所

    6月19日 映画『続・人間革命』が公開

    8月 池田 事件もみ消しを暴露
側近幹部に「戸田先生が事業で失敗し、刑事事件になりかけたところ、某新聞社の記者がかぎつけて書こうとした、書かれるとおしまいだというので、私が記者に会ってもみ消した。金で買収したのだ。」

    8月22日 「未だかつて、病気の人なんかで、僕の頭の中に入った人で、祈って死んだ人は一人もいないんだ。これはひそかに自負している」

    9月6日 池田氏の母・一(80)逝去
学会員であった母・一の葬儀は9月13日、日蓮正宗総本山大石寺の細井日達猊下が臨席して合計八十人の僧侶が読経し、約六千人が焼香に訪れる盛大に行われた。

    11月16日 池田氏 天下取り発言
「天下を取れることが少し私には見えて来た。天下を取らない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」
「今まで創価学会をいじめた者を今からやる。」公明党議員と記念撮影での池田大作氏発言
 

    11月30日 月刊ペン対策を協議
山崎正友、北条浩、笹川陽平、月刊ペン弁護人・重富義男とホテル・ニューオータニで会談。

    12月5日 衆院選56名当選。再び第三党に 

    12月末 学会は月刊ペン社のあいだで「和解契約の裏文書」に調印。

昭和52年1月15日
(1977)
【創価学会昭和52年教義逸脱路線】
池田大作 第9回教学部大会で「仏教史観」を語る
1)戸田会長の悟達が創価仏法の原点  
2)大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要  
3)「人間革命」は現代の御書  
4)会長に帰命、久遠の師、本門弘通の大導師、 主師親三徳  
5)寺院・会館混同(寺院軽視)  
6)謗法容認  
7)在家でも供養を受けられる  
8)学会僧宝論


    1月20日 創価学会 僧侶連続吊るし上げ事件
1/20菅野開道、1/28松本珠道、2月・坂井進道、栗原開道、水野顕道、高見求道、中村福道、3月・西本暁道、8月・玉沢研済ら僧侶を次々と吊るし上げ、詫び状を書かせる。

    1月26日 第2回インターナショナルの日
「大聖人は700年前ご出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」

    2月 近畿、四国で太陽が三つに見える現象

    5月3日頃 民社党の 『質問主意書』を入手
宗教法人としての逸脱、池田の会館私物化などの問題を国会で質問するための主意書を入手。関西の施設はこれに該当するため納税を行った。民社党の追及をかわすため学会は選挙協力などを持ちかけ擦り寄る戦術を執る。
矢野絢也(元公明党委員長)証言


戸田の遺品偽造
この告発により、某会館の恩師記念室に展示されていた、戸田の獄中で使った牛乳ビンのフタで作った念珠の日付が昭和52年5月となっていたことが発覚。脱会者が出る。→


    5月 特別財務廃止
代わって、財務部員を広布部員と名称を変え、1口1万円、何口でもOKという納金システムにして、広く会員から募るようになった。

誤った師弟関係発言
「君は、私の弟子になるか!弟子というものは、師匠が地獄の相で死んでいったとしても、疑わずに、自分も共に地獄へついて行くというのが弟子だ!」(『前進』昭和五十二年五月号)

    6月25日 北林芳典 大山正の名で『宗教成金PLの素顔』を刊行

    7月10日 参院選14名、都議選25名当選

    9月22日 日達上人 学会に対しての遺憾の意を宗内に通達

    9月27日 毎日新聞 創価学園で無資格者が教授と報道

    10月 幹部向け月刊誌『前進』廃刊

    10月21日 僧侶吊るし上げ『竹岡文書』
竹岡が原田稔副会長に提出した僧侶吊るし上げ経過報告。
「本年一月より詫び状をとった坊主は以下の通りです。
一月二十日、二十七日 菅野憲道
一月二十八日、二十九日 松本珠道
二月六日、七日 坂井進道
二月十二日、十四日 栗林開道
二月十六日 水野顕道
三月二十二日 西本暁道
二月十四日 中村福道
八月三日 玉沢研済」



詫び状の報告書
    11月10日 池田氏 日達上人を引き回す 
聖教新聞『創価学会創立47周年記念法要』のおり、半日の間に5箇所に渡り日達猊下に法要を勤めさせる。

学会による回向供養
この年、学会の会館では「慧光照無量」と書いた用紙に故人の名前を連記し、位牌をしつらえ学会幹部が導師となり法要を行う。

昭和53年1月
(1978)

板御本尊模刻問題が発覚


    1月19日 日達上人に届いた学会の悪しき体質が書かれた「ある信徒からの手紙」を有志僧侶に対し読み上げる。

    2月9日 宗門「時事懇談会」、日達上人 創価学会の歴史的経過の上から教義逸脱路線の根源を指摘

    2月22日

日達上人 2月12・14日の池田大作の御目通 りの内容を公表
1)池田大作「手を切るのだけはやめてほしい」と懇願  
2)日達上人「池田会長に日蓮正宗信徒の基本を徹底するよう」指南



    2月24日 学会 大化城に盗聴器仕掛け露見

    2月26日 池田 僧宝は唯授一人の御法主と明言
「即ち、仏法とは、末法御本仏・日蓮大聖人、法宝とは御本尊、そして僧宝とは本門の大導師であられる二祖日興上人である。(中略)ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、ご僧侶は全部猊下の弟子である。ゆえに、いかなる理由がるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」『聖教新聞』三宝論を発表

    4月1日 東京創価小学校開校

    4月15日

池田氏 三宝を守ることを約束
<埼玉布教区内での懇談会にて>
僧侶「本山・宗門から離れてしまうと新興宗教になってしまいますからね」
名誉会長「全くその通りです、私どもはどこまでも七百年の伝統を守り、三宝を敬っていくことは三カ条の約束通りです
一人の僧侶が「池田さん本部の本尊を板にしたということですが、どうしてしたのですか?」と聞いた。
すると、池田は「学会本部の紙幅の御本尊は日差しが直接当たり年月も経っているし、このままではさらにひどくなり、不敬になるので板御本尊にした。また入仏法要に高僧にきてもらったが、それだけでは具合が悪いので法主に来てもらった」と悪びれもなく答えた。
この時点で、この場にいた僧侶たちは在家の身でやってはいけない大謗法を池田が犯したことを確認した。それは、全国の僧侶にすぐさま伝わることになった。
この時の池田氏の言葉からしても、事前に法主に許可を取っていたことはうかがい知れないし「学会が板御本尊を作ります」と願い出ていたら、その時点で却下されていたことは間違いない。


さらに、財務についても懇談
池田 「特別財務にしても週刊誌で言うような一千四億円など大金は集まってはおりませんが、これら問題が起きる以前には私は『会員に対して収支報告をしてはどうか』と、何度も注意してきたが、その時期を失ってしまった」
秋谷副会長 「全くそのとおりです」
池田 「今、公表すればマスコミは飛びつき、さまざまな憶測が生じることは明白である。昨年までは一年間ひとり四千円の財務費だったが、それでも出した金を返せという人が多く、すべてこれらは円満に返金した。今年からは一括して一口一万円としたが、例えば群馬などでは四億円ぐらいかかる会館建立に二億円しかあつまらない。そのため、県幹部の強い頼みで特別財務を許可したところ、他の県からも同じ声が出るのはしかたがない。」
竹入県長 「その通りです」
池田 「学会の資金繰りも職員へ支払う給料だけでも大変で、聖教新聞だけではやっていけない。実を言うと、現在学会には余分な金は全くありません。そのような実態をとても恥ずかしくて世間に公表できないのが本音です」


この年の池田の推定収入は8300万円。S48年からは一億円を超えていただけに、学会の財政が厳しいというのは疑わしい。


    5月3日 四面楚歌の池田 山崎正友氏に和歌贈る
「四面楚歌 君がおわせば 王の道」

    6月29日
日蓮正宗 教師指導会で創価学会からの教義逸脱是正文書を公表

    6月30日
学会 「教学上の基本問題について」(教義逸脱を是正)を発表(通 称「6.30」)


    8月26日 第一回檀徒総決起大会。池田総講頭罷免を決議

    9月
創価中学高校教職員組合が池田氏に公開質問状


    9月3日 聖教新聞で本尊模刻認める

    9月28日
学会 模刻本尊を返納
中西総務らによって深夜、模刻本尊7体を総本山奉安殿に納める

総本山に納められた七体の模刻本尊
    9月 池田ら ペン社弁護士と会食
池田、北条、山崎が聖教新聞社でペン社側重富弁護士と会食

    10月10日 ハーバード大・ガルブレイス教授と会見

    10月12日 学会の金で池田家の墓を建立
富士桜自然墓苑において

    11月7日
創価学会お侘び登山
創立48周年記念登山代表幹部会において、池田大作 52年逸脱路線について謝罪。全国2000名の幹部とともに参詣。(通 称「お詫び登山」)

日達猊下 宗内に学会批判の中止を命令



『水滸会遺誡置文二十六条』作製
この頃、池田は副教学部長の佐久間昇に命じ『水滸会遺誡置文二十六条』を作らせる。

昭和54年1月28日
(1979)

第二回檀徒総会 
日達猊下 学会の教義逸脱追求を指示

     2月7日 インド・デサイ首相と会談

    3月 福島副会長 大牟田発言
(「人間革命」は現代の御書、池田本仏論・・・などで問題発言)
福島氏がこのような発言を行った裏には、池田氏の師弟観が存在するが、この発言によって、立場を悪くした池田氏は福島氏を全ての役職から解任、学会関連企業に左遷させる。
数年後、原島、山崎らが造反したため、池田氏は福島氏に対し、反論本を書くよう命じるが約束は反古となる。それに伴い、福島氏は池田の教義違背の念を強くし、数度、書面により池田氏に諫言を行う。


    3月31日 法華講連合緊急理事会 
池田の総講頭辞任勧告を決議

    4月22日 池田の日蓮正宗総講頭を辞任

    4月24日

池田 会長を勇退
池田氏 学会問題の責任を取り会長を辞任し名誉会長となる 北條 浩 創価学会第4代会長に就任
教義逸脱について謝罪(会長辞任の記者会見)→
ある日の出来事
幹部たちがソバ屋から出前を取り、池田氏はうどんの丼に大量の七味唐辛子をいれ、それを北条会長に食べさせた。北条は「おいしいですね」言いながら汗をビッショリかきながらたいらげた。

    4月26日 池田氏 学会問題の責任を取り法華講総講頭を辞任 


池田の辞任願
    4月28日 宗門 総本山における教師代表会議で今回の学会の問題について説明。
「4月26日、池田大作総講頭が、辞任願いを持ってまいりまして、ですから、こちらも宗規に則って、総講頭を辞任した場合は名誉総講頭に置く、という規定のもとに名誉総講頭の名前を贈っておきました。それから、さっそく向こうで26日に学会の規則を作り、また自分も会長を辞め、すぐに北條氏を次期会長として上がるようにする。そういうわけで、会長もその方面のことを解決したと、まあ会長を辞めて一切の責務を退くと、今後はそういうことに口を出さないし、また、常に噂されている院政ついうようなことを絶対にしない、ということを表明しておりました。宗門としては、それで、いちおう解決したものと見ております」大日蓮400号


これによって、宗門内の学会の姿勢を糾す活動家僧侶たちも様子を見ることとなる。


     5月3日 北条浩 第四代会長に就任。理事長に森田一哉

日達上人 創価学会第40回本部総会において、池田名誉会長他首脳がそれまでの過ちを正直に反省したことを大前提として52年逸脱路線問題を収束される(創価大学体育館) 

池田氏 最高幹部を引き締め(学会を私物化)
「創価学会は俺そのものだ。私が創価学会の魂だ。お前たちは、私の全財産をただ預かっているに過ぎないのだから、『一時お預かりいたします』という一札を書くべきだ。また、私を“永遠の師”と仰いでいく、ということも、誓約したらどうか」と言い誓約書を書かせる。


婦人部幹部に
「今回辞任した理由は、対外的、とくに宗門にたいする建前である。私は頭がよいだろう、うまくいったんだよ。皆、心配することはないよ」と語る。


『大白蓮華』臨時増刊号
「日蓮正宗の授戒の意義について述べれば、本門戒壇の大御本尊を受持することが末法の戒であり、爾前迹門等の邪法邪義の謗法を捨て、三大秘法の正法正義を純真に信受する決意を誓う、厳粛な入信の儀式が、正宗の授戒の儀式です」


池田ら ペン社弁護士と会食
池田、北条、山崎が信濃町の料亭「光亭」でペン社側重富弁護士と会食。
この会食によって、裁判の水面下で双方が裏取引き。池田が出廷しないよう働きかけたことが推察でき、後日、学会は告訴状を取り下げ「寛大な裁判」を望むと上申書を提出。


     6月30日 この状況を見て、再び活動家僧侶がエキサイト
一斉に御講などで学会批判を展開

聖教新聞に「6・30を学習しよう」という記事が掲載、社説では「過去の逸脱を改めて、新たな御奉公に邁進しよう」記載される。

      7月19日   

      7月22日
宗門「最高教導会議」で厳しく指摘、学会に改善を求める。 

日達上人 御遷化 日顕上人 第67世御法主に登座

      8月25日 第三回檀徒総会

     10月1日 元学会員から寄付金返還訴訟を起こされる
日達猊下の「学会はご供養を集める資格はない」との言葉にしたがって、昭和50年から52年にかけて集めた金(総額2,705万円)の返還を求め元学会員412名が提訴。

     10月7日 衆院選で58名が当選 

北条会長 本部全体会議での発言
「創価学会は池田センセイあっての組織である。したがって本部職員は、池田センセイのもとに、誠心誠意、ご奉公していかねばならない。この学会本部全てが池田センセイのものである。と自覚するならば、一銭たりとも無駄に使ってはならない。君たちの使用するエンピツ一本までセンセイの物である。そのように心得よ!」


     11月9日 原島嵩氏 教学部長を解任

     11月26日 特別学習会テキスト」が発行

     12月1日 北条 浩 『北条報告書』の件につき聖教新聞でお詫び 
     12月12日 月刊ペン裁判 東京高裁は隈部の控訴を棄却、有罪判決。

     12月14日 学会(東洋物産社長 木村靖) 下山正行著『私は創価学会のスパイだった』の中の社長会記録に対し、著作権法違反として東京地裁に告訴

     12月 公明 民社党との間で中道連合政権構想を合意

『7つの鐘鳴り終わる』広布流布完成せず

昭和55年1月1日  
(1980)  
正月の全国勤行会の出席者が180万人ほどであることが集計で判明。

公明 社会党との間で中道連合政権構想を合意

3億円恐喝として元学会顧問弁護士・山崎正友氏を告訴

     1月26日 第四回檀徒総会

    2月16日

     2月26日
池田氏 「誕生会」にて“日蓮大聖人直結”“御書根本”を強調。唯授一人血脈相承を否定を始める。

原島氏 一対一による池田氏へ6時間に渡る諫言
直後に原島氏は幽閉状態とされる


    4月2日

池田氏 52年路線について反省懺悔 
「正本堂建立以降の、学会の広布第二章の基調と、そのうえで、私が展開した昭和五十二年の一連の指導に、発端の因があったことは事実であります」(恩師の23回忌に思う) 聖教新聞 【全文

池田氏「山友は金で解決した。内藤國夫も所詮、金次第だ」と放言


御本尊書写・証人喚問について
「歴代御法主上人については、これは、数あるご僧侶のなかでも、ただお一人のみが御本尊を書写なさり、それを私どもが受持するのですから、その内証においては日蓮大聖人と拝しているのです。これは日蓮正宗のゆるがぬ伝統といってよいのです」
だれだって、ああいう場に喜んで出ていく人はいないでしょう。いやに決まっています。(中略)私を喚問することが、故意に、政略的に、というのであれば組織として反発するのは当然と思います。結構ですよ、いつでもどうぞ、なんてこちらからへりくだる理由はありません」 『現代』においての池田氏の発言


    4月15日 山崎正友氏が経営を託された冷凍食品会社シーホースが倒産。負債総額45億円

    4月21日 山崎正友氏 創価学会顧問弁護士を辞任

    6月5日 内藤国夫 『現代』7月号に「池田復権にうごめく怪情報」を掲載

    6月22日 衆参同日選挙で衆院33名、参院12名が当選

山崎正友氏へ学会から激しい迫害が始まる

    7月15日 教学部長・原島嵩氏を除名
<除名への経緯>
原島氏は池田氏の教義歪曲などに対し、一対一の場で諫言。直後に原島氏は幽閉状態となる。その後、原島氏は週刊誌に手記を発表。これが反逆行為として理由づけられた。



山崎正友氏 隈部大蔵に頼まれ最高裁へ上申書を書く。
これによりペン裁判は一審、二審を破棄し原審に差し戻すことに。


     8月25日
第五回檀徒総会

    8月26日 共産党・宮本顕示委員長 北条会長らを自宅の盗聴により告訴
事件に関わった者:北条会長、山崎正友、廣野輝夫、竹岡誠治、北林典夫。
60年4月の判決で、北条会長認定のもと行われた犯行として認定。【参考


    9月24日 宗門 正信会僧侶201名を処分

    10月17日 ロサンゼルスで「第一回SGI総会」 

    10月25日 富士桜自然墓苑が完成

警視庁 山崎氏が学会を恐喝したとする告訴状を受理

    11月7日 創価学会の社会的不正を糾す会 決起大会
正信会系である同会は、日比谷公園野外大音楽堂(東京)において、僧侶160名を含む七千名を結集し、決起大会を開催。  池田大作氏の国会喚問の実現と4項目にわたる大会決議を採択。引き続き国会周辺をデモ行進すると共に、代表千数百人が自民党本部前庭で、宗教法人創価学会の社会的不正を調査し、池田大作氏の国会喚問を要求する請願書を、約60万名にのぼった署名簿を添えて、自民党調査局長・三塚 博代議士らに手渡した。 【詳細

    11月 池田先生は本仏の再誕
池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から『何を証拠に』とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再誕である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る(趣旨)」週刊サンケイ 11月13日号 某会員による記事

    12月22日 「聖教グラフ」から「グラフSGI」変更

昭和56年1月24日
(1981)

山崎正友氏 学会に対する3億円の恐喝未遂容疑で逮捕。実刑に服す。
当時、末端組織では「学会に何か弱みがあったんじゃないか?それでなければ3億円も払わないだろうと」と囁かれた。
事実は、学会から関連企業の整理を頼まれた山崎氏が、そのための資金提供を学会に求めたから起こる。すでに始まっていた、学会の山崎潰しの道具として“資金提供を恐喝にして陥れた”といったところ。
そのため、当初は検察は取り合わなかった。これを動かしたのは、公明・創価と繋がりがある田中角栄であると言われている。


山崎氏 ペン事件の上申書を提出
これによって、ペン裁判は差し戻しに
「隈部氏を告訴するに当たっては、矢野公明党書記長、大野潔代議士、小谷野三郎弁護士、龍年光、藤井富雄、大川清幸東京都議会議員らが法務省幹部、警視庁幹部と、めんみつな打ち合わせをしました。衆、参両院議員法務委員長の権限を背景に法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスティングボートをにぎる与党としての力、即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります。」

    1月25日 富士宮で「創価学会の社会的不正を糾す会」がデモ行進

    3月12日 創価学会の社会的不正を糾す議員連盟と檀徒合同の総会
池田大作の国会喚問を求める80万名の嘆願書が議員連盟に手渡される

    4月7日 最高裁 御供養金返還を門前払い
松本勝弥らが創価学会に対する御供養金の返還を求めた訴訟を門前払いの判決。

    4月10日 東京地裁 山崎恐喝事件の初公判

    4月16日 ペン裁判 最高裁が差し戻し判決
最高裁は、池田の行状は「公共の利害に関する事実」として東京地裁に差し戻しを言い渡す判決。

    5月14日 ソ連・チーホノフ首相と会見

    5月21日 ブルガリア国立ソフィア大学名誉博士号授与、同大学で「東西融合の緑野を求めて」を講演

    5月31日 第六回檀徒総会

    6月 第一回世界青年平和文化祭(シカゴ)

    7月5日 都議選27名当選

    7月17日 沖縄で住民票移動事件発覚
沖縄市選管 学会員11名を住民票移動で選挙人名簿から削除
1981年7月の那覇市議選に際してで、実証の端緒は地域の共産党が有権者名簿などにもとづいて支持者を広げる活動をしたことにある。活動のなかで那覇市に選挙権はあっても、住んでいないというユウレイ有権者があちこちで出てきたのである。  「いったい本人はどこにいるのだろうか-----。住民票を手がかりに前住所地をあたってみると、なんと9人は『前住所』の浦添市にずっといっしょに住んでいたのです。  那覇市と浦添市の両方の『住所地』を調べていくなかで、票移動の手口が明るみになりました。那覇市壺屋の創価学会員T・G宅。ここには同じ日に3人分の票移動をしています。うち2人は58歳の女性とその二男(26歳)。夫を残して2人で転入したことになっていますが、実は浦添市の前住所地に家族で住んでいます。 もう一人、33歳の女性。やはり夫と子どもの3人を残して移転したことになっていますが、実際には浦添市に家族そろって住んでいます。浦添市で創価学会員の両親といっしょに住んでいながらも、自分だけ那覇市内に住民票を移している28歳の女性もいました。転入先の番地はバーでした」(『赤旗』日曜版1981年7月26日付)  
那覇市選管はこの共産党の調査をうけて、投票日直前、選挙人名簿から11名の名を抹消した。


    7月18日 北條会長(58) 逝去
池田名誉会長 北条氏の葬儀の場で「こんな暑い日に死ぬのはやめよう」と暴言は吐く

後任に秋谷栄之助氏が5代会長に就任

    7月29日 ペン裁判 差し戻し審 第一回公判(東京地裁)

    8月 ハワイで「第二回SGI総会」 

    10月12日 ペン裁判 第四回公判 
証人として小沢ヨネが出廷。大宮の松島家でハダカの池田を次女・通子が三畳間で奉仕していたと証言。
この三畳間をめぐり、当時は無かったと弟であり聖教新聞職員が証言したが、実際は姉・郁子があったと後に語る。
松島家は学会エリート家族となったが、末弟が脱会、姉妹の断絶など離散状態になる。


    10月26日 ペン裁判 第五回公判 
小沢ヨネとともに目撃した飯野なみも同様に証言。
証人・原島嵩氏は池田氏と女性職員の異常な関係や「人間革命」などの著作は特別書籍部のメンバーが書いたと証言。


    11月27日 創価学会の社会不正に関する嘆願書 衆院文教委で却下される
檀徒を始めとした134万人の署名を集めたもの。

    12月12日 富士宮市百条委員会が学会・公明の工作で廃止

    12月20日 創価学会 国連広報局NGOに

昭和57年3月
(1982)

学会グループによる金の延べ板窃盗事件
秋田県の同和鉱業から3000万円相当の金の延べ板を盗み売りさばいていた事件。犯行グループ全員が学会員だった。

    3月22日 関西青年平和文化祭(長居陸上競技場)

    4月1日 関西創価小学校開校

    4月71日 池田 「観桜会」で本山の桜20本伐採
昭和57年4月7日、池田大作が「観桜会」と称して、常来坊へ日顕上人をお招きした。当日、あいにくの雨になったところ、なんと池田は部下に命じ、20本近くのソメイヨシノを根本から切り倒して常来坊に運び込み、にわか仕立ての桜園を室内にこしらえたのである。【会を報じた聖教新聞写真】

    6月25日 創大出 判事、家出少女との交際で辞職
学会の「法学委員会」出身の大分地裁判事補・千葉隆一は家出少女との交際で辞職する。

    7月14日 青年部員 日蓮正宗深遠寺で5人殺傷
29才の青年部員は同寺に乱入、住職の妻やお手伝いさんを次々と刺し、住職の5才の長女、3才の三女、21才のお手伝いさんが死亡する事件が起きる。

本格的な財務開始

    8月24日 デクエヤル国連事務総長と会見

    9月6日 総体革命発言
「広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、・・・・要所要所を全部ね、学会員で占める」聖教新聞


    9月17日 ペン裁判に渡部通子出廷

    9月19日 「第二回世界平和文化祭」西武球場
冷たい雨の中、会員は演技。池田氏はストーブにあたりながらの観戦。

    10月9日 妙信講 「顕正会」に改称

    10月15日 ペン裁判 第27回公判 池田氏出廷(28回にも池田氏は再び出廷)
赤坂の芸者には3年間で4〜5回会っていたことを池田氏自身が語り、また、第一庶務をはじめとした女性を各地研修所に頻繁に連れて行くという社会常識を欠いた行動を裁判長からたしなめられた。
渡部通子に関して、女子部の体験集の中で彼女が池田氏とのことを書いたものが読み上げられる。
裁判中、学会がペン社との裏交渉を行い、仲介役の笹川良一氏に3000万円を渡したことが、不可解であると裁判長に指摘される。
「(通子が)一人で泣いているとき、トントンと階段を上がる音が聞こえてきて、池田先生が上がってきて、私を抱きしめてなぐさめて下さった」(私の体験・人生の並木道)


学会側 池田氏の行動記録を提出。
池田氏の怠慢生活、勤行をろくにしていないことが証明される結果に。
<池田会長の怠慢勤行の実態>
1日目、朝は13時30分に、夜は24時に唱題。
2日目、朝は10時30分から、夜は16時50分から20分弱。
3日目、朝、夜不明。
4日目、朝、夜不明。
5日目、朝不明、15時に唱題、夜不明。
6日目、14時25分から10分間で勤行、夜不明。
7日目、朝、夜不明。
8日目、朝不明、夜は22時20分から幹部と。
9日目、13時15分から5分間で勤行、夜は23時。
10日目、朝は無し、夜は17時30分から。
11日目、朝は11時10分、夜は不明。
また、池田氏は本山に毎月のように参詣していたが、丑寅勤行への参加は一度も無い。



フリップブック
「あれはなまけ者です。人がみていなくって利益にならないようなことは徹底して手抜きする。昔、かね(池田の妻=通称・香峯子)さんのお父さん(白木薫次)が『勤行をしないしフトンの中でごはんを食べたりしてしょうがない』とこぼしてた。ありや、信仰心のない軽薄者でした、ずっとね」
 大作とかねの結婚は五二年五月三日だったが、その二か月ほどあと。かねが戸田の指導を受けるため、当時、国鉄中央線市ヶ谷駅のそばにあった戸田の経営する金融会社「大蔵商事」へやってきて、こう訴えたと元学会幹部は話す。
 「じつはウチの主人は朝晩の勤行をやりません。五座(座)三座(日蓮正宗信者としての必須の読経)もやりません。いつもお題目三唱で済ましてしまいます。私がそのことをいうと、『おれは特別だからやらなくてもいいんだ』と答えます。ウチの主人は本当に特別なんでしょうか」戸田は「何?」といって絶句したという。
『池田大作・金脈の研究』 第三書館・野田峯雄

    10月20日

池田 山崎裁判に出廷証言

    11月8日 高知の檀徒ら「特別財務」返還訴訟で勝訴(高知地裁)

    11月19日 学会(木村靖) 晩聲社の「社長会記録」裁判で無条件取り下げ

  池田写真展「自然との対話」始まる
暴かれたニセ写真術
実際は、池田が構えたカメラの後ろから、聖教カメラマンが撮っていたもの。【写真

昭和58年1月1日
(1983)
『創価新報』発行

    2月13日

ヒロエ・クロウから日顕猊下に娘の結婚、近況などの報告が書かれた手紙が届く。→
ヒロエ・クロウがこの日までは、日顕猊下を慕っていたことが明らかとなる。

    2月18日 SGI 国連経済社会理事会のNGOに

    2月 学会 公立学校で違法に上映
学会は先に行われた「世界平和文化祭」の記録映画を公立学校で違法に上映。全国で路上や個人宅などあらゆるところで上映会が開かれた。


    3月9日 暴力団組長が池田氏と竹入公明委員長に内容証明付き郵便を送る
「富士桜墓園.に関わる仕事を学会から引き受けたと旨が書かれる」後藤忠政組長の内容証明郵便全文

    4月16日 月刊ペン裁判 最高裁で「公共性」「真実性」を認め差し戻し判決

    6月

チャウシェスク大統領と会談 
ルーマニアの 独裁者チャウシェスク大統領に対し「今後も世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります」と賛辞。「ルーマニア建国の指導者、世界平和に尽力され、ご努力してくださっているチャウシェスク大統領に心より、感謝の意を表し、私の講演を終わりたい」(「聖教新聞」六月九日付)
「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」聖教新聞六月十日付
同大統領は後年、民衆の手で公開銃殺される。


    6月3日 第一回SGIドイツ総会

    6月8日 富士宮署 後藤組壊滅対策本部設置
この対策本部設置により、組員60名近くが連行される。組長は創価・公明が仕組んだものと判断。

    6月10日 ペン裁判 一審判決 被告・隈部大蔵に罰金20万円に下す
判決文の最後で「学会組織あげての当該出版社への妨害活動の事実を認め」、また「被告人自身、これまで真摯にジャーナリスト生活を送ってきた」ことを付け加えている。
昭和58年6月10日
東京地方裁判所刑事第15部 裁判長裁判官 秋山規雄

59年7月18日上告するが棄却される(裁判は被告人・隈部氏の死亡という形で幕を降ろした。)


    6月 サラ金で借りて財務
森田理事長が緊急談話「最近、新聞等で話題になっているサラ金の問題についても、借り易いので利用する人も多いが、家庭の崩壊などの悲劇を招いては、断じてならない」本部幹部会で。
「阪神サラ金被害者の会」に寄せられる被害相談の6割が学会員からだった。


    6月11日 第一回SGIスペイン総会
    6月14日 第一回SGIスイス総会
    6月26日

     同
第一回SGIオランダ総会

参院選14名当選

    8月 聖教新聞社 池田氏専用の9億円をかけた300坪の貴賓室を改装

    8月8日 国連平和賞受賞(前年は笹川良一が受賞)

    8月14日 第三回世界平和文化祭(札幌市・真駒内屋外競技場)

    9月14日 ウィーンで「核兵器ー現代世界の脅威」展

    10月31日 池田 山崎三億円裁判に3度目の証人出廷

    11月2日 東京富士美術館 開館
池田が海外で買い集めた美術品について、美術評論家は「正直いって、あそこは骨董屋に近く、作品の約7割は贋物」と酷評。

    11月22日 高知の「特別財務返還」裁判を和解に持ち込む
学会はこの裁判の敗訴を恐れ702万円全額の返済と解決金1000万円を支払うことで檀徒側と和解。

    12月4日 第一回SGI香港文化祭

    12月16日 元学会員 替え玉投票を暴露
大B担まで務めた兵庫県の渡辺米子さんは赤旗に違法な選挙活動の手記を載せた。
「替え玉投票の最初の体験は昭和38年の神戸市議選、兵庫県議会選挙の時です。私は組織の同志と経験し、組織のなかで信心が弱く、投票日に帰ってこない人の投票入場券を集め、公明党候補当選のために、みんなで替え玉投票をしました。 架空の住所移動は昭和46年の神戸市議選、兵庫県議選の時です。当時の公明党県議候補は今回(昭和58年)衆院選挙兵庫三区から立候補している駒谷明氏でした。 どんなことをしても駒谷候補を当選させよ---との強い指示が出ました。私達夫婦は当時、公明党が候補者をたてなかった神戸市生田区(現中央区)相生町四の八一に住んでいましたので、駒谷候補の選挙区である兵庫県湊町二の三一有本宅に住民票だけをこっそり移しました。 有本さんも学会幹部(副B担)でしたので、バレる心配はありませんでした。私は上部から替え玉投票や住民移動をやったものは絶対に他言してはいけない、自分の胸にだけしまっておくこと、もし他人に口外すれば、ご本尊様もお見通し、冥の照覧といって必ず仏罰があることを指導されました。もし、選挙違反で捕まっても二十四時間無言でおれば、ご本尊様のお加護で必ず助かる、上部が警察に働きかけてくれると教えられました。創価学会というところは公明党がある限り、政教分離は絶対にできないところです。公明党は見かけだけで、すべて創価学会による選挙です。 池田大作名誉会長が陣頭指揮をとっています。信心を選挙に利用する創価学会は、日蓮大聖人の仏法に反していると考え、退会しました。

※この手記は住民票などを照合した結果本当であることが証明された。

    12月19日 衆院選で59議席

昭和59年1月2日
(1984)
池田氏 法華講総講頭に再任される
     1月12日
大Bから地区制に移行

     1月23日 池田の末弟・正利 所沢市で死亡(26日に葬儀)
正利氏は生前「ああいうのは嫌いなんだ」と学会を嫌っていた。
しかし、当日の葬儀は1600人にも及ぶ会員を集めた参列者の中、学会による大葬儀が行われた。なお池田大作は参列していない。


     2月21日
     2月26日
ブラジル・フィゲレイド大統領と会見
第一回SGIブラジル大文化祭

    5月8日 池田 国立戒壇発言
「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべきどうしても通らなければならないのが創価学会の選挙なのでございます」聖教新聞

    5月17日 『週刊サンケイ』 学会内部告発小説を連載
学会幹部による内部告発。5/24号から8/30号で、実在の人物の名を少し変え、彼等の悪行数々を告発。のちに単行本「小説聖教新聞」(グループS)として出版。この書を書いた聖教幹部数人は突き止められ粛清された。
『“会長先生、寸暇を惜しんで激励行”とか“陰の部門のひとに心からの思いやりと配慮”なんて書いているけど、あんなもの、ほとんどが演出だよ。実際は自分の奮闘ぶりをアピールするために、ベンツやプレジデントに乗って、大勢の幹部と警備をしたがえ、勝手気ままに大名行列をしているだけのことだよね。ところが会員は、われわれが書いている虚像のPを慕っているんだ。純粋な信仰心なんてないというのがPの実像だよ。あの人は事業家なんだ。それも信仰を利用した事業家だよ。組織を拡大し強大にすれば、それだけマーケットも広がると考えているだけさ。つまり、会員はだまされているわけで、われわれはそれに加担しているわけだ(小説聖教新聞)


    5月19日 ポーリー・トインビー女史 池田氏批判手記掲載
故トインビー博士の孫娘・ポーリー女史は直に池田氏と対面した経験を元に、イギリス『ガーディアン』紙
に厳しい批判記事を掲載。【詳しくは


    6月 秋谷会長 腸閉塞で入院
病室に監視役が付く。矢野書記長との電話で池田氏への面従腹背をにおわす。

    6月5日 北京大学名誉教授授与、同大学で「平和への道・私の一考察」を講演

    7月13日 学会 原島氏の資料持ち出し裁判で全面取り下げ

    9月4日 第四回世界青年平和文化祭(甲子園球場)

    10月13日 池田の次男・城久氏(29)が病死
ドクター部幹部である婦人科医院に偽名で入院するが様態悪化のため癌研究付属病院に転院するが胃穿孔のため死去。

池田氏は側近幹部に「城久を衆議院へ出して公明党委員長にしたい。どうだ、みんな応援するか」と語っていたため、自身の後継者にすることを目論んでいたことは間違いない。

「自・公」連合を打ち出し二階堂擁立工作に関与
この葬儀の場で、池田氏は竹入公明委員長らと自民党総裁選の二階堂擁立に関与、自公連合を仕組む話し合いをする



  接遇活発化
この頃から、名誉会長への接遇など池田詣でが活発化する
ゴマすり男こと長谷川重夫氏が介在人としての役割を果たし一躍池田氏の側近となる
接遇品の高価な物は池田が独り占めし、その他は本部幹部らに分け与え、更に会員に「先生」からと配られる。

    12月18日 衆院選で58名が当選 

昭和60年3月26日
(1985)
山崎正友 地裁で懲役3年の判決。ただちに控訴
    4月2日 創価女子短期大学開学

    4月22日 宮本宅盗聴裁判で北条前会長らに1000万円の慰謝料命じる(直ちに控訴)

    5月5日 池田 青年会員にたじろぐ
創価学園出身者の集い“第一回鳳友会”の開催。
この会の開催は藤原行正氏の次男・範昭氏潰しを目的として池田氏自身が招集を命じたもの。


池田氏が講演を終え移動中、範昭氏が「池田先生、お話があります!」と声を掛け、用意していた質問書を手渡す。ボディーガードの目撃談によると、池田名誉会長は数秒間、うろたえ直立不動のまま、両目も完全に焦点が合わない様子だったと証言。

    6月18日 都議選で住民票移動17人が抹消
「中央区選出都議選を見守る有志の集い」は都選管に創価学会による架空住民票移動の疑惑を告発、都選管と中央区選管は選挙人名簿から17人を抹消した。

    7月7日 都議選29名当選

    7月29日 学会青年部 反戦出版『戦争を知らない世代へ』全80巻

    8月22日 『週刊新潮』で藤原行正氏反乱

    10月31日 池田 東京女子医大に入院(11/10日退院)
実は心臓に異常が発見されたという情報も。この入院を期に信濃町の会館に池田専用の医療施設を設備。

    11月12日 学会本部文化会館に銃弾
2発の銃弾が撃ち込まれ後藤組組員が逮捕される。
<これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で“パン”って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いが飛んできて、侘びを入れてきたんだ>後藤組元組長  フライデーH22.5.28号

    11月29日 インド・ラジブ・ガンジー首相と会見

昭和61年7月6日
(1986)
衆参ダブル選挙  衆院で57議席
    9月10日 ケニア口承文学賞

    10月29日 範昭氏 池田名誉会長と再び面会。

池田名誉会長 青年会員から遁走
学会本部敷地に本部職員の手配で案内された範昭氏は池田氏が到着するのを待機。ようやく到着した池田氏は車から来賓をともない上機嫌に下車し本部入り口へ向かい歩きはじめた。「先生、大事なお話があります」と範昭氏が呼びかけるなり、池田氏は「わかった、わかった」と言い、右往左往し遁走する醜態を周囲にいた者たちが目撃することとなった。
この面会は実際には太田青年部長への面会であったが、目的は池田に前年渡した質問状の返事を聞くため。
太田青年部長は範昭氏が前年来、問題を起こしたことで、学会首脳からの逆鱗に遭っていたが、範昭氏と会って話し会い、その後、本部内で「彼は皆が心配するような人物ではないですよ」と発言。これで池田氏から怒りを買い、衆院8区の立候補となり落選する。


元本部職員・小多仁伯氏 NHKのオペラ講演に観劇していた池田氏に「センセー、大変ご無沙汰しております!」と対面する。このことで、内部からマークされることになる。この目的は以前から学会に疑問を感じていたことを直接、伺いたいというものだった。

    12月 竹入に代わり、矢野委員長体制発足

    12月19日 平和学の創始者 ガルトウングと会見

昭和62年2月4日
(1987)
カリフォルニア大、ノーマン・カズンズ教授と会見
    2月14日 第一回SGIパン・アメリカン諸国会議(マイアミ)

    2月17日 パナマ・ノリエガ将軍と3度目の対談(パナマ)
池田から将軍に「創価学会栄光賞」、将軍から池田に国家勲章「バスコ・ヌニュス・デ・バルボア勲章」をそれぞれ贈る。また、将軍は「ミラードールイケダ(池田展望台)」を池田は富士宮白糸研修所に「ノリエガ庭園」を造成(ノリエガ逮捕直後に隠滅)

    2月24日 ノーベル化学賞、平和賞受賞のライナス・ポーリング博士と会見

    2月 藤原行正氏 次男インタビュー記事掲載
PENTHOUSE」1987年2月号【詳細

    4月16日 ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖がふところに入れて、さもりっぱそうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部をつくって、東京進出のビルをつくるとか、そんなことばかりやっている。悪い連中です。本当に悪い、じっさい、宗教に無知な人が多いから、みんなだまされて、カネを取られている、それで教団の勢力を張っているわけです。
  私が本部を作る。それからいろいろと東京や関西にも本部をつくって、第一本部、第二本部とつくっておきますし、これからもつくる準備もしておりますけれども、いっさい、皆さんからは永久に一銭もとらない、これが私の精神です」聖教新聞・池田氏指導


池田氏 会館私的利用料不払い発覚
池田氏は87年から4年4ヶ月に渡って、学会所有の学会第二別館(敷地2,149平方メートルに鉄筋コンクリと総檜造りの地下1階、地上2階、3億円の建物)に寝泊まりするという私的利用に家賃を払っていなかったことが発覚。『滞納分2,600万円を払ってもらい、これ以降も毎月、払ってもらっている』と担当幹部は証言した。

    5月26日
ソ連、ルイシコフ首相と会見

    6月1日 フランス、シラク首相と会見
    6月6日 第一回SGI欧州アフリカ諸国会議(パリ)

アメリカ創価大学創立 
カリフォルニア州に広大な敷地を有し、豪華にして立ち入りを許されない池田特別室が存在する。2002年に元美術教授・リンダ・サウスウェル氏が「カリキュラムにはカルト信仰とカルト的なものの見方を反映したもの」と大学を訴えたことがある

    9月 学会墓地事業に地元の反対運動
この月、完成にこぎ着けた群馬県渋川市の「はるな平和墓苑」には住民有権者の6割の反対運動が起こるも強行に建設を行った。学会の墓地建設には各地で反対運動が起こっている。

昭和63年1月
(1988)
田代富士男参院議員 砂利船汚職で辞職

創価学会 池田氏の外遊に際し、外務省に便宜供与を要望
原田稔事務総長(当時)は外務省 官房長・小和田恒宛に海外での特別待遇を望む要望書を提出。閣僚級に次ぐVIP待遇を受けることに。


    2月3日 タイ、プミポン国王と会見

    2月4日 米国 ノリエガを「コロンビア麻薬密売組織と結託して、麻薬密輸に関与していた」として起訴

    2月6日 マレーシア、マハティール首相と会見

    2月9日 シンガポール、リー・クアンユー首相と会見

    4月 第1回全国婦人部幹部会
学会の象徴である三色旗発表。創価学会では赤=勝利、黄=栄光、青=平和を象徴する。



    5月10日 公明党・議員・大橋敏雄氏 手記「池田大作への戦線布告---党と学会を私物化する彼にもう我慢できない」を発表。
直後に、団体からの不正な金銭3310万円を収受した。不正常な女性問題があったとデッチ挙げられ除名、迫害に遭う。事実は不正献金の事実は無く、女性問題も、地元婦人部が大橋氏から貰ったものとして、ラブレターを捏造したもの。今回の問題で、池田氏が「大橋を潰せ!、藤原は恩知らず!」と幹部に命じたテープが撮られ藤原行正氏へ送られる。

    5月25日 元検事総長 伊藤栄樹氏死去。
生前に残した言葉『この日本国のなかに三人の大悪人がいる。児玉誉士夫 田中角栄 そして池田大作である

    6月 公明・大橋敏雄氏 池田氏批判記事掲載
「文藝春秋」6月号で現職公明衆院議員の大橋敏雄氏が池田氏を批判。

    6月10日 国連栄誉賞表彰

    7月17日

創価学会 学園正門前で暴力事件 
創価学園で催された「栄光祭」に出席した池田氏をキャッチしようと、学園門前に待機していたマスコミ各社の記者、カメラマンに対し、学会、学園関係者が、集団で暴行に及んだ。詳しくは

    10月

公明党池田克也議員、リクルート疑惑で辞任

     12月20日 学会内部告発本出版 
『池田大作 政教支配の実態』(創価学会内部改革派憂創グループ・エスエル出版会)


     12月 矢野委員長 明電工疑惑で追及される

衛星中継始まる
この年頃から、これまでのカセットテープ、レコードなどの音声鑑賞から衛星中継で指導が聞けることになる。



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