昭和27年1月
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池田 蒲田支部幹事に
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2月9日 |
池田 青年部参謀に
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3月2日 |
杉並支部第一回総会
「成仏というのは、すごい境涯である。その証拠として、死ぬ前にほんとうの歓喜の生活が送れるのである」
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3月10日 |
池田『天下を取ろう』
聖教新聞で当時参謀であった池田が常に言っていた言葉を紹介。「同君(池田)は常に言う『天下を取ろう』と」
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4月24日
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「新編 日蓮大聖人御書全集」完成
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4月27日 |
宗旨建立七百年祭(総本山大石寺)
狸祭り事件起こる
(戦前、宗門僧侶・小笠原慈聞が唱えた「神本仏迹論」が原因で牧口が逮捕、獄死したと青年部が逆恨みし、牧口の墓前で謝罪状を書かせた事件。これによって戸田は一時、参詣禁止の処分を受ける)【当時の聖教新聞他資料】
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5月3日 |
池田氏 白木かね(香峯子)と結婚。目黒区三田に移転。
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5月18日 |
池田 情報参謀に
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9月8日 |
宗教法人『創価学会』設立
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10月4日 |
月例登山会開始
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10月21日 |
女子部「華陽会」が始まる。(戸田の薫陶による女子部の育成)
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10月27日 |
報道班員の質問会
「そういう人生をよくみつめ、自分観、人生観、社会観、宇宙観、この四つをきちっとまとめているのが仏法なのです。世間法は、この四つのうちのひとつにひとつに分離されているので、映画を見ても、これは自分観であるとか、社会観であるというように、はっきりと判断できるような信心になれば、自分の悩みが解決でき、なんの悩みもない、すばらしい生活ができるのです」
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12月16日 |
男子部の人材グループ「水滸会」の初会合(38名)
『水滸伝』を学ぶ。(昭和31年5月まで続いた)
次代のリーダーを育成するための“松下村塾”である「水滸会」が発足し、“エリート訓練”が開始されました。以来、昭和五十年代までの創価学会・公明党の中枢幹部達は、ほとんどが「水滸会」出身者で占められています。この「水滸会」で、後の首脳達へ叩き込まれた“天下盗り”のための戦略戦術を記録したものが、「水滸会記録」。
さらに、昭和53年ごろ、戸田会長の言行録として、池田氏が密かに副教学部長・佐久間昇に命じて作らせたものが『水滸会遺誡置文二十六箇条』と題する改ざん文書。
<内容の一部として>
「●総理大臣について
今の総理大臣の権力は明治時代の天皇以上である。総理大臣になれば、日本を自由にすることができる権限を持つことができる。自衛隊を動かすことのできる権力を持っている。ある意味では広宣流布しやすくなったな」
「●官庁閥
問 われわれが将来、一番とりにくい所はどこですか。
先生(戸田二代会長のこと) 官庁だな。それには優秀な人を抜擢して先輩が自分より出世させ、 出世したものが又後輩を引き立てて行くしかないな。警察などの場合、警部補、部課長クラスを占めてしまえば強いものだ。将来、二万の青年が各官庁や社会の重要ポストを占めるようになれば、その仲間同士で何でもできる。だから青年に国家改革を頼む以外にないのだ」
「●日本の広宣流布 『政治家対策』
一人の議員をつかんで、自由に動かすのは、買収費と小遣銭を入れて、一年に四百万円(昭和三十一年当時)かかる。百人で四億円だ。それが一つのホシになる。 四億円あれば日本を動かすことができる。広宣流布も最後は経済だ。」【詳しくは】
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12月21日 |
第一回教学試験 |
昭和30年1月24日
(1955)
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「蓮華寺事件」
日蓮正宗の寺(のちに離脱)に対する威迫行為
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1月28日 |
池田次男・城久誕生
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2月26日 |
読売新聞社に抗議
池田渉外部長らは「はびこる創価学会・県下の信徒五千名」と掲載されたことに読売新聞本社、浦和支局に抗議。
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3月10日 |
小樽法論(小樽市公会堂) 日蓮宗身延派と公開法論
昭和30年3月、創価学会の大進出による檀家の減少にたまりかねた 身延派では、学会員の少なかった北海道小樽で、法論対決を迫ってきた。(日蓮正宗教学小辞典創価学会教学部編より、S47年版)
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4月 |
文化部員から統一地方選に出馬。都議、横浜、川崎市議など52名が当選
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5月29日
6月
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男子部一万名登山
池田 大田区東矢口(小林町)に移転
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7月 |
『大白蓮華』7月号での戸田会長指導
「心構えが一切衆生の為なら、勝手に御本尊を書写しても御利益があると思い込んでいるから、やたらにニセマンダラがとび出すのである」
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8月24日 |
北海道地方折伏講演会
「われわれの貧乏と苦悩を救わんがために、日蓮大聖人様は大御本尊様を建立し遺されてある。これは、弘安二年の十月十二日の大御本尊様のただ一幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこのを拝んでも絶対にだめなのです」
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10月31日 |
本部幹部会
「会員には、いっさい心配をかけない。金はぜんぶ自分がつくるという気持ちのなかに楽しさを感じていた。信心とは金に通ずるものではない」学会員に負担をかけるなから
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11月19日 |
毎日新聞「学会の折伏は破防法に抵触」と報道
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12月13日 |
関西本部入仏
落慶式
「大聖人のおせられるのは、祈りは必ずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめなのです。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、必ず功徳が出てくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私は、ひじょうに光栄とするものであります」 |
昭和31年1月29日
(1956)
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猊座の事には一切関知せぬ破る者は除名
戸田会長『信者の大精神に立て』との談話を発表
「先代牧口先生当時から学会は猊座の事には一切関知せぬ大精神で通して来たし、今後もこの精神で一貫する。これを破る者はたとえ大幹部といえども即座に除名する」『聖教新聞』
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5月1日 |
本門戒壇建立について会長指導
「本門戒壇の建立は、日蓮門下の重大使命であることを論じた。しかし、重大使命であるとしても、もし本門戒壇が、現在の状態で建立されたとしたら、どんな結果になるであろうか。一般大衆は無信仰であり、無理解である。単に国家がこれを尊重するならば、現今の皇太神宮や、明治神宮のごとき扱いを受けるであろう。しからば『かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし』とのご聖訓のように、国に災難がおこるであろう。ゆえに、本門戒壇建立の大前提として、本尊流布が徹底的になされなければならぬ。」
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7月10日 |
参院選に進出3名が当選
選挙違反容疑で多数の学会員が逮捕されるが、日本の国連参加の恩赦として釈放される。
『大白蓮華』第62号
「即ち末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本尊様であらせるのであります。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これもまた生身の御本尊様であります。この御本尊こそ、真の木絵二像開眼の御姿でなくてなんでありましょうか。これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対にないえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります」
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7月 |
戸田会長「衆議院には候補者を立てない」週刊朝日7/29号
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8月10日 |
戸田会長 学会解散について明言
岡山市妙霑寺の落慶入仏式の折に、第六十五世日淳上人に対したてまつり、「将来、もし学会が大きくなって、宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするよう なことがあったら、いつでも解散をお命じください。」 と申し上げた。
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8月 |
戸田 国立戒壇発言
「我らが政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広布流布にある。即ち国立戒壇の建立だけが目的なのである」大白蓮華8月号
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12月10日 |
池田氏の父・子之吉氏(68)逝去
父から勘当されたことがある池田大作は、父を折伏できずに終わる。
結局、邪宗教である真言宗で父親の葬儀を出したのである。 この墓とは別に、
昭和三十九年四月、高尾墓園に池田大作が新しい墓を建立。父の法名・種田院法子日実居士をいただく。
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