牧口常三郎
三谷講頭と絶交 折伏・教化親であり直達講・講頭の三谷と流義上、相容れなくなり激論を交わした末絶交 他の講員とも相容れなくなり、中野・歓喜寮(後の昭倫寺)に所属替え。 当時の歓喜寮御住職、堀米泰栄尊師=後の65世日淳上人に指南を仰ぐが、在家団体・創価学会の設立を願い出、許されず、12年に教育研究の名目で設立。