「今の韓国史教育は鎖国化教育」(下)

 また崔教授は、『代案教科書』が安重根(アン・ジュングン)による伊藤博文初代韓国統監の狙撃を記述するに当たり、「(狙撃)以後、併合論はさらに強化された」と書いているが、これは歴史的事実ではない、と語った。韓国併合は、伊藤博文と桂首相の同意を経て、1909年7月6日の閣議で既に確定したことだった。安重根の狙撃で併合論が左右されたのではないという。

 「露館播遷」でロシア公使館に移っていた高宗がその後王宮に戻った理由について、金星の教科書と代案教科書は、どちらも「国民と独立協会が国王の帰還を積極的に要求したから」と記述しているが、これは韓国の近現代史を専攻する者が克服できない「外因論否定」に基づく記述だ、と崔教授は語った。崔教授は、「韓国の代表的な国史学者らも、このように記述するが、独立協会の要求で国王が王宮に戻ったとか、韓国国民の抵抗だけでロシアを退けたとかいうのは、“ナイーブ”な解釈」と語った。実際は、ロシアが自国の利益のため、高宗の支援要請に対し微温的に対応し、これに失望した高宗が王宮に戻ることを決定した、というわけだ。

 「韓半島(朝鮮半島)をめぐる列強の動向をきちんと理解しなければらない、という一例です。当時、力がなかった韓国はどうすることもできなかった、ということをきちんと理解してこそ、自分たちも力を備え、外部勢力に対応しなければならない、という歴史認識が生まれます。自分たちの意向通りに決定したと虚勢を張るのでは、未来はありません」。崔教授は、「自分たちの歴史の主体的力量を強調する余り、国際情勢を無視し、歴史的事実のつじつまを合わせようとしている。同僚の学者を批判することは難しく、かなり悩ましいことだが、誤った歴史教育だと知りながら放置はできず、本を書いた」と語った。

李漢洙(イ・ハンス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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