連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」のモデル水木しげるさんの作品の一つに、漫画「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)がある。
何ともやり切れない物語だ。先の戦争で、南方のある島の守備隊が米軍の攻撃を持ちこたえられなくなり玉砕を命じられる。ところが戦場が混乱する中、80人余りが生き残ってしまう。
玉砕は全員戦死が大前提だ。免れるのは許されない。司令部は守備隊の指揮官に自決を、一般の兵士には再度の玉砕を命令する。泣く泣く従う兵士たち…。
水木さん自身の体験を元にしている。「90%は事実」だという。
<戦争への仕掛け>
生きて虜囚の辱めを受けず。先の戦争では多くの兵士が理不尽な戦陣訓に縛られ、なくさなくてすむ命をなくした。
家族も苦しめられた。ある日、召集令状が届く。嫌な顔をするのは許されない。隣近所からの「おめでとうございます」の声に、家族は気丈に応える。映画などによくでてくる光景である。
あんなことはもうこりごり−。戦争体験の風化がいわれる中でも、忌避する空気は国民の間に今なお根強い。
憲法9条は戦争放棄をうたっている。憲法は為政者の行為を縛るためのものだ。政府が国民を戦争に駆り立てることは、憲法によって禁じられている。
日本は今のところ「戦争ができない国」にどうにかとどまっている。そう判断していいだろう。
過ちを繰り返さないために、問題を反対の方向から考えてみたい。「戦争ができる国」とはどんな国なのか、政府が戦争を始めるにはどんな条件が必要か。
国防の義務を定める法律、軍事機密を特別に保護する規定、軍事法廷(軍法会議)…。制度的な仕掛けが幾つも挙がってくる。徴兵制はその最たるものだ。
10年ほど前、沖縄の米海兵隊を訪ねたときのことである。司令官が力説していた。
「この基地にいる兵士は全員、日本を守るために命を捨てる覚悟ができている」
本当なのか、と米国に詳しい友人に尋ねたら、「それは立て前」と一笑に付された。若者の多くは退役後の奨学金目当てで軍に志願している、日本のために死ぬなんてとてもとても、と。
貧しさゆえに、大勢の若者が軍の扉をたたく。米国の人々が「経済徴兵制」と呼ぶ仕組みである。
<従順と付和雷同と>
「戦争ができる国」になるために、制度的仕掛けに加えて欠かせないものがある。軍事に重きを置く価値観、言い換えれば「戦争の文化」とでも呼ぶべきものだ。生きて虜囚の、の戦陣訓や、戦死を名誉と受け止めさせる空気は、その一部である。
この戦争に何の意味がある、自分の死は犬死にではないのか−。
そんな疑問を抱きながら戦地に赴いた兵士は多かった。米国の若者も同じ問いをベトナムやイラクで繰り返した。
人間なら自然に抱くそうした疑問を無理やり抑えつけるところに、戦争の文化は成立する。
あの時代を振り返ると、日本が破局へ至った一因に大勢順応があったことが分かる。例えば映画評論家の佐藤忠男さんは「草の根の軍国主義」(平凡社)で、自分が「軍国少年」だったころを振り返る。「われわれはじつに従順であり、我慢づよく、さらには大いに付和雷同的でした」
戦争の文化はそうした精神構造にも支えられる。
「ぼくは戦記ものをかくと、わけのわからない怒りが込み上げてきて仕方がない」。水木さんは「総員玉砕せよ!」のあとがきで書いている。それは、戦争体制になすすべなく押し流されたことへの悔しさでもあるのだろう。
<芽は小さなうちに>
戦争の文化は過去のものと言えるだろうか。
2年前の出来事を思い出す。航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が、中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化する考えを論文で発表して更迭された。
大勢いる自衛隊員の中に特異な歴史観を持つ人が交じってくるのは避けられない。問題はそうした考えの人が隊内で評価され、トップに登り詰めたことにある。背中にひやりとしたものを感じた人は多いはずだ。
1999年、国旗国歌法が制定された。日の丸を国旗、君が代を国歌と定める法律である。
この法律は下手をすると、日本を「戦争ができる国」にする露払いになりかねない。私たちが法制定に反対した理由である。
有事における国、自治体の役割や国民の協力などを定める国民保護法は2004年に成立した。私たちは慎重に審議するよう国会に求めた。国民が持つ権利の制限に踏み込んでいたからだ。
65年目の夏に、あらためて考えたい。「戦争ができる国」へつながる動きに敏感であること、芽は小さなうちに摘むことを。