2010年3月2日(火)から3月7日(日)まで、高2のアジア研究旅行が実施されました。これは総合学習「人間学」授業の一環として行われたものです。
異文化を体験し、異文化とのコミュニケーションを行い、異文化理解を通して自己の生き方や進路についてより深く考えることを目標に、国内外の5ヶ所(中国・韓国・マレーシア・沖縄・屋久島)に別れて5泊6日の日程で実施されました。
5つのコースそれぞれの様子を報告します。
一人の遅刻者もなく、無事日本を後にした我々は、最初の訪問地「北京」に到着。気温5℃。神奈川では真冬の気温に少し気後れしながら、バスに揺られて夕食。その豪華さに一同絶句。翌日の天安門広場訪問は前日から始まった「全人代」で見学不可。しかし、故宮博物院の広さと建物の大きさに圧倒。午後は「少林寺拳法」体験。美人の達人の教えに皆真剣。万里の長城は−4℃。耳が痛くなるような寒風の中、皆必死に坂を爆走。かい文中学校では敷地、施設とも我校は太刀打ちできず、授業もハイレベル。おいしい給食後、パートナーともすぐに仲良くなり、皆充実した様子。
次の訪問地「上海」は着くなり豪雨。日系企業の「UNION」で、中国の労働環境の学習。いよいよ待ちに待ったホームステイ。迎えた中国の方々の笑顔に皆安心。温かく迎えていただいた家庭に感謝。「南京蕗」での自由行動。豪雨の中、中国の繁華街を実体験。活気に興奮。「上海雑伎団」に中国人のパワーを感じ、皆驚愕。
そして1時間30分遅れながら日本に無事到着。皆一同、笑顔で【中国、再見!!】
5泊6日の韓国研究旅行では、世界遺産の昌徳宮や板門店を見学するなど韓国の歴史や文化を目で見て感じ、また、骨付きカルビ、プルコギ、石焼きビビンパ、キムチなど伝統的な韓国料理に舌鼓をうつなど、盛りだくさんの日程があっという間に過ぎ去った充実した旅行でした。
ここで、帰国後実施したアンケートの「最も良かった活動ベスト5」をご紹介します。
第5位 明洞自主行動
ソウル市内に位置する「韓国の原宿」明洞では、年齢の近い世代の文化を実感することができました。屋台でトッポギを食べたり、のりやキムチなどのお土産の値段交渉をしたりと自由な時間を楽しんでいたようです。
第4位 ホームステイ
始まる前は不安な生徒もいましたが、覚えたての韓国語と日本語や英語を使ってコミュニケーションがとれていたようです。中には「英語を勉強しておいて良かった」という生徒もいれば、「言語が無くてもコミュニケーションがとれる」という生徒もおり、感じ方は様々です。受け入れてくれた方々の優しさに改めて感謝です。
第3位 NANTA鑑賞 世界で人気を博している「NANTA」の公演を鑑賞しました。「NANTA」は音やリズムで感じることができる韓国生まれのミュージカルで、現在の韓国文化の一つに触れた夜となりました。
第2位 ソウル市内班別自主行動
大学生の現地ガイドさんと共に、事前学習で計画した行動に沿って(またはそれ以上の計画をガイドさんから指示されて?)、地下鉄を使い東大門や南大門などの市場や明洞に赴いたりと班毎に動きました。全人口の4分の1が住むと言われるソウルの街は活気に溢れ、韓国の勢いを感じました。一日過ごしたガイドさんとも仲良くなり、終わった時に似顔絵をプレゼントしている生徒もいました。
第1位 板門店見学 北朝鮮との軍事境界線上にある板門店は未だ戦争が終わっていないことを実感できる場所です。厳重な警備の中、ポプラの木事件の現地跡やソ連学生亡命事件の際の銃撃戦現場跡などの説明を受ける度に緊張感に圧倒されました。韓国男性の兵役の義務の存在や北朝鮮という国について改めて考えさせられたのではないでしょうか。
この韓国研究旅行の中で、ある生徒は「日本を変えたいですね」と話してくれました。それは決して日本を韓国と比べて卑下しているわけではなく、日本という国を客観的に見つめ、これからの日本はどうあるべきかを考える機会になったからではないかと思います。
「クアラルンプール市内見学」「学校交流」「班別自主行動研修」「ホームステイ」、これらが研究旅行の主なプログラムでしたが、とりわけ生徒の心に鮮やかな思い出として残されたものに「学校交流」と「ホームステイ」がありました。
風景や食べ物を堪能する、歴史や文化に触れる…、旅行の楽しみはたくさんありますが、60名の生徒たちはマレーシアを旅して何を感じたのでしょうか。
旅行から帰った生徒たちが提出した紀行文の抜粋から、それを伺ってみましょう。
「学校交流では現地校の生徒と合わせて総勢120人の“ハカ”を踊り、盛り上がって気持ちが一つになれました。」
「ホームステイでは近所の子供たちがたくさん遊びに来て楽しかったです。人の温かみを感じました。」
「最終日のマレーシア人のガイドさんとの涙の別れ…、今までで一番のガイドさんでした。」
これらの気持ちは帰国後に昇華され、
「最初は目的地に国内を希望していたのですが、マレーシアにして断然よかったです。」
「正直楽し過ぎました。」
「マレーシアが大好きになりました。自分の紀行文を読み返すたびにマレーシアに行きたくなります。」
「成田に着いた帰りのバスの中でずっと思ったことは“マレーシアに戻りたい…”」。
初めて出会った異国の人々との交流のなかで、マレーシア人の心の温かさ、豊かさに触れ、何物にも代え難い大切な思い出がたくさんできたことでしょう。みんなでもう一度訪ねてみたい…、そんな旅になりました
3月に入ったばかりというのに、現地は夏日。連日お天気に恵まれ、半袖シャツで軽快に動き回り、南国特有の果物を使ったジュースやアイスクリームがことさらに美味しく感じられました。
初日から二日目。沖縄本島では主に戦跡めぐり。先の大戦でわが国で唯一の「戦場」となった沖縄は、多くの尊い犠牲者を出した土地です。
まず「ひめゆり平和祈念資料館」で、洞窟などで傷病兵の看護にあたっていらした生存者から、お話を伺いました。講話の後、お小遣いからお花を求めて碑に備え、手を合わせていた生徒の姿が、印象に残っています。その後「平和祈念資料館」へ。翌日は、実際に野戦病院として使われていた糸数壕を訪れました。昨日の講話と言い、この壕と言い、人間が人間をここまで無残に扱えるものなのかという、戦争のあまり報道されない、しかし紛れも無い事実と正面から向き合った貴重な時間でした。
さてこの後は一転して、「国際通り」でお買い物タイム。なにか面白いもの無いか、どこの
お店が一番お買い得か。お父さんから頼まれてきたアレはどこに…。半日、そぞろ歩きとショッピングを楽しみました。
本島最終日の朝は、琉球王国の王様が住んでいらした首里城へ。石造りのアーチ門、真っ赤に塗られたお城、お庭にはソテツが植えられて、異国ムードたっぷりでした。
首里城を後に、那覇から空路久米島へ。ここでは、「体験型」のプログラムがメインです。
四日め。このコース最大のお楽しみ。さんご礁でできた真っ白な島「はての浜」でのマリン体験。ここでもステキに天気予報ははずれて、晴れ。どこまで行っても、海の底まで見える透明度。大歓声をあげながら、シュノーケリングやバナナボート・グラスボートを楽しみました。順番を待つ間も波打ち際でおおはしゃぎ。
午後は自由時間。イーフビーチでボール遊びや追いかけっこ、プール、甲羅干し…と命の洗濯をし、子供に帰った一日でした。
期待しつつ少々不安もあった、五日目の午後、ホームビジット。現地のご家庭にお邪魔して家業のお手伝いなどしながら半日、一緒に過ごし、お夕飯を頂いてきます。
のぞきに行くと、サーターアンダギー(お菓子)を作ったり、三線(さんしん)を弾いたりしていて本当に楽しそうでした。帰りは、皆握手して、涙ぐんで「また来ます」と口々に言っていました。おいしい沖縄料理のレシピも、いくつか覚えたようです。
これらのご家庭に限らず、民宿の方、ガイドさん、戦争体験や島の歴史を語って下さった方々、皆さんに心から暖かく迎え入れてくださったことが、一番のご馳走でした。
今回の研究旅行『南九州コース』は屋久島に2泊、種子島に1泊、鹿児島に2泊という5泊6日のスケジュールでした。
屋久島のメインはやはり縄文杉のトレッキング!朝5時にホテルを出発し、6時30分から歩き始め、往復10時間の山道を歩きました。屋久島は『1週間に10日雨が降る』と言われるほど雨が多い場所です。しかし、この日は一切雨も降らず快適なトレッキングを行うことが出来ました。樹齢7200年ともいわれる「縄文杉」はもちろん、切り株の中が10畳もある「ウィルソン株」、200年かけて枝が空中でくっついてしまった「夫婦杉」など、長い年月をかけて大きくなった屋久杉の素晴らしさに大きな感動をもらいました。
そして、鹿児島では地元(知覧町・川辺町)のお宅へ泊めていただき、様々な体験をさせていただきました。陶芸や農作業、杵と臼でおもちつきなど日頃の生活では体験できないことを沢山経験させていただきました。何よりも現地の方の暖かさ・優しさに心から感動し、1日があっという間に過ぎてしまいました。
5泊6日には沢山の感動と思い出が詰まった南九州コースでした。