2010年08月15日

8月15日に想う・日本人としての責務

 
 8月15日に想う・日本人としての責務

 今歴史に何を学び、何を伝えて行くのか

ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。

 父の49日の法要も終えました、正式には先々週の土曜日の35日目に早めて行いました。その後に改めて父の遺品などを整理して、父が生きた時代の日本を顧みることが出来ました。

 父のアルバムは本当に幼い頃に見たことがあったくらいで、その後大人になってからは見たことがなかった。その父の若い頃のアルバムを今回見たが、軍服を着た写真ばかりでした。

 中でも圧巻だったのは靖国神社の境内で数百人が座っている姿でした。その数百人の兵士の中から、父の姿を見つけるのにずいぶんと時間を費やしました。

 父は鋭い眼光を放っていました。勿論父だけではありません、にやけた顔をしている人は一人もいなかった。この写真はおそらく日本を離れ遠く外洋に向かう時に撮られた写真ではなかったのかと思いました。(父は海軍兵でしたので外洋という言葉を使わせて頂きます)

 よく本などで目にする「靖国で再び会おう」と心に誓って戦地に赴いた時の記念すべき写真の一枚であったと思います。その戦友の多くが亡くなったと父は話していました。

 乗っていた航空母艦が撃沈されて、多くの戦友は帰らぬ人となった。又特攻隊機を何機も送り出したと聞きました。甲板で隊員が水杯を交わして飛び立って行く姿は、一生忘れなれない光景とも言っていました。

 実はこのような話は直接私が父から一対一で聞いた話ではなく、昔は実家で様々な行事がありました。例えば近くの神社のお祭り、或いは法事などで、親戚の人がやって来たときに、父と同年代の人が話をしているのを小学生の頃に聞いて知ったことです。

 直接父から聞いた戦争の話は一回だけです。それは最後に書かせて頂きます。

 近所の人や親戚の人が来ると、決まって一番上の席に座るの方がおりました。私の祖父は?戸家に婿入りしたのですが、その祖父の兄がその人です。その方の胸には大きな勲章がつけてあった。金鵄勲章(きんしくんしょう)と呼ばれたもので、日露戦争に出兵したときに頂いたそうです。

 いつもこの方が来ると、その周りには人が自然と集まってその時の話が聞こえて来ました。幼心にもやはり負けた戦(いくさ)の話題よりは、勝った戦の話の方が誰でも楽しいのかなーなどと思ったものです。

 我が家では父の兄が戦死しました。陸軍だったそうですが、史那大陸から一旦は日本に戻ったが、戦場で受けた傷がもとで亡くなったそうです。

 家の玄関にはブリキでつくられた小さな金属板がかけられていた。青い色の中に白い文字で「戦没者の家」と書かれていました。一番上に小さな日の丸があった。青、白、赤のコントラストが今でも目に焼き付いています。

 祖母は生きている間、この戦死した息子の位牌に手を合わせてから食卓に向かいました。今自分たちこうやって生きているのは、息子達が祖国の為に戦ったから、感謝の念を捧げなければならないと私は子供の頃から教わりました。

 家の床の間には天皇陛下の御写真がいつもあり、そこにも深々と礼をしていたのが今でも忘れられません。私はそのような家庭で育ちました。国を愛する気持ちとはそのような家庭環境で育ったから、誰に教わるまでもなく心に育まれて行ったのだと思っています。

 しかし、現在このような環境は殆どなくなりました。自分が教わったことを、自分の子供にどうやって伝えるべきなのか?私だけでなく多くの我々の世代がそのことを思い悩んで来たのではないでしょうか。

 最後になりますが、私は父と母には散々迷惑をかけました。家を飛び出して5年間ほど一度も親の顔を見ずに、会ったのは拘置所の鉄格子の面会場所でした。

 この時私は父から愛国心という言葉を初めて聞いた。

 私はその頃右翼団体を率い愛国とは何かーなどと言いながらトンデモない事件を起こした。そのことに対して父が私に初めて語った言葉です。私はいつも周りの若い人達にはそれを教えています。

 父は終戦後父島に米軍によって抑留され、2年後に日本に戻りました。大きな船の底に百人以上の仲間と共に日本に向かったそうです。生きて帰れるとは誰も思わなかったそうですが、ようやく日本に戻れる時がやってきた。

 嵐で船は大きく揺れて船底に横たわる人は皆酷い船酔いで大変だったそうです。朝方、「日本が見えるぞ!」という一人の声がした。しかし、船酔いで誰もが立ち上げれない。

 その時に皆芋虫のように皆這いずりながら甲板に上がって行った。そして甲板の上で皆で支え合って起ち上がり、祖国の姿を見ることが出来たその嬉しさで泣き崩れた。

 父は無我夢中で戦って来たので、それまでは余り意識して来なかったが、この時に強烈な愛国心を感じたと言っていました。

 「お前もこれから生きていく中で、そんな状況に出会うことがあれば、本当の愛国心が何か分かるだろう」

 残念ながら私にはまだそのような経験はない。本当にこの国を守って戦っていた我々の祖父や父の世代から比べれば、口先だけの愛国心なのかも知れません。

 しかし、父や母から学んだ戦争体験は、悲惨なものばかりではなかった。多くの仲間と共に祖国日本の為に死力を尽くしたその人生はやはり我々の胸を打ち感動を与えてくれます。

 靖国神社とは明治維新後の日本が日本人が、幾たびかの困難に対して、祖国の栄光と民族の繁栄の為に戦ってきたその気持ちが凝縮された場所でもあると思います。

 各家庭では戦争にまつわる会話も、そのような写真や遺品も姿を消す中で、それを後世に伝える神聖な場所としての靖国神社の価値は今後も増すことはあっても決して消え去ることはないでしょう。

ブログランキング ブログランキング応援クリックお願いします。


Posted by the_radical_right at 07:33│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!9条・国軍 

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/the_radical_right/52540370

コメントする

名前
URL
 
  絵文字