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きょうのコラム「時鐘」 2010年8月15日
1945(昭和20)年8月15日の正午、敗戦を伝える玉音放送は始まった。昼に分かった日本敗戦の事実が「8月15日付」朝刊に残っているのはなぜか
経緯はこうだ。政府の敗戦決定は、14日深夜11時から各新聞社に伝達された。極秘の紙面製作が始まり、翌日正午の放送終了を待って印刷されたのだった。15日付朝刊は朝に届かず、夕方になって読者に届いたのである 全国の新聞社が一律に前夜から対応できたのではなかった。新聞統合で一県一紙となっていたころで「大東亜戦争終結」を伝える石川県内の本紙朝刊は15日付で出たが、富山県では16日朝刊になった 各地ばらばらで、15日付朝刊、15日夕刊か号外、16日付朝刊に掲載する3通りのケースが生まれたのである。中には空襲被害で通信社の連絡を傍受出来ない地方紙もあった。終戦時の混乱を物語る「8・15」の新聞事情である その日から65年、8月15日付朝刊を何気なく手にしている。昨日と同じように、きょうも、また明日も変わりなく新聞は届く。当たり前のことが当たり前にできる社会が続くよう、努力を続けたいと思う。 |