これから話すのは、俺の物語だ。 初架、創(はつか、はじめ)。 俺の名前だ。 そこそこ頭のいいといわれている私立大学に通う、生物学部所属の大学三年生。 さりとて将来の目的もなく、特にやりたいことも決まっていない。いわゆるモラトリアム人間というやつだ。 当たり前のように日常を繰り返し、時間と金を浪費しながら、安息の終わり、大学の卒業へと何の抵抗もなく向かっていく、法的に許された最後の余暇を生きる存在。 それが当然と思っていたし、それでいいと思っていた。 だから、これから話す出来事が起きたとき、正直言って混乱した。 怒りに燃えたりもした。 どうすればいいかと迷いもした。 不条理に涙したこともあった。 全てが終わり、ひと段落ついた今になっても、いまだに整理のつかないことも多い。 でも、俺はそれでいいと思っている。 俺たちは、モラトリアム。 選択を先延ばし、今を生きている。 本当に大切なものというのは身近にある。 なくしてわかる、かけがえのないもの。 そんなフレーズは、もはやあたりまえのようにあちこちで使われている。 陳腐、と人によっては言うかもしれない。 けれど、この言葉を本当に実感している人間が、果たして何人いるんだろうか? ふと、そんなことを思ったりする。 ちなみに今は、大学の講義真っ最中。 「人間というものは、他の種に対して酷く差別的だということを、君達は記憶しておくべきだろう」 大学の一室。 百人は入ろうかというそれなりに大きな空間の前方、壁を半分ほども覆う巨大な黒板の前で、教授が目の前に散らばる学生達に向かって講義をしている。 「我々は常に他の生物を見下している。これはなにも環境破壊に代表される、彼らの権利の侵害だけではない。むしろ、彼らを環境破壊などの害悪から保護しようと働いている人々にこそ、この傾向は顕著だ」 俺はそっと辺りを見回す。 後ろにいくにつれ階段状に高くなっていく仕様のため、前の方の席に座っている俺は、この教室の状況を簡単に把握することができる。 全体の席は半分ほど埋まってはいたが、そのうち四分の三の学生は、既に教授の話を聞けない状況にあった。 というか、寝ていた。 「このことは、そもそも『保護』という言葉の意味を考えれば自ずからわかるだろう。すなわち、立場の高いものが、立場の低いものに危険が及ばぬようにする、という意味で、我々は言外に保護下にある彼らの立場を見下していることに他ならないのだ」 そんな惨状にもかかわらず、教授は淡々と講義を続けている。まあその原因が、この教授の「講義に出れば単位はくれてやる」と明言していることなのだから、ある種当然といえば当然の状況なのだが。 学生の方も心得たもので、この講義をとっている大半の奴らは日々の疲れを癒す睡眠学習としてこの講義を認識している。また、起きている奴らの中でも、教授の話を聞いている人間はゼロに近い。上の空か、読書中か、はたまた何かしらほかの事をやっているかだ。 そんなわけで、この講義時間は、好きなことをしゃべる教授とやる気のない学生との憩いの場と化していたりする。 「我々は、人間という種に対して、破滅的なまでに甘い。アフリカの少年一人が生き延びるために百の他の種の命を奪ったことについて、それを糾弾しようとする人間はいない。発展途上国の国民全てが消えれば地球温暖化など簡単に解決するというのは誰の目にも明らかなのに、それを明言する者は我々の内で完膚なきまでに排除される。人間の生存のためにおこる環境破壊は仕方がない、と言っているのにも関わらず、だ」 ちなみに俺はまじめに講義を聞いている、数少ない奇特な学生だ。 この講義、名前こそ生物学となっているものの、本質は教授個人の哲学チックな人間論みたいになっている。だがそれがいい。文転したかったけど国語ができずにあきらめた俺にしてみれば、この講義はとても面白い。 「これらはひとえに、人類こそが至上の生物だと、我々が思っているからに他ならない。では仮に問うが、この中で他の種の生物が自分と同じ価値を持っていると考えている者は居るか? そう、皆無だろう。では重ねて問うが、君達が自らを動物以上の存在だと考える理由はなんだ? 技術や芸術をあげるものも居るかもしれない。だが人間の他にこれらを評価する存在がいないのならば、それは我々の独りよがりであるのは明確ではないだろうか」 くあ、と口が開きそうになり、慌てて手でふさぐ。いくらこの講義に興味があっても、周りから漂ってくるオーラと九十分近くも戦っていれば、自然眠たくもなってくる。 あと少しだからがんばれ、と目に力をこめて、黒板を注視することで眠気をごまかそうと試みる。教授が黒板に書いた変な模様に目がいった。余計眠たくなった。 「どんなに我々が技術などを誇ったところで、その我々の生命が、太古に取り込んだ微生物と言われているミトコンドリアが生み出すエネルギーに依存しているという事実を覆すことはできない」 俺は再び出て来そうになるあくびをかみ殺すと、眠気覚ましのために大きく後ろに反り返る。 と、後ろの席に座っている山岸さんと目が合った。 山岸、朋美(やまぎし、ともみ)。 黒く、肩まであるさらさらな髪。清楚な外見と鈴のなるような声。それに誰にでも親切に接する優しい心の持ち主である彼女のファンは多く、かなりの男が彼女に熱をあげているらしい。 ちなみに、彼女は俺と同じ生物学部だ。サークルも一緒で、なにかと顔を合わす機会が多い。 彼女は目が合った逆さまの俺に軽く微笑むと、再び教授の方へと顔を向けた。 いつものことだ。 「人間と猿とを区別するのはほんの数パーセントの遺伝子でしかない、というのは君達もよく知るところだろう。ならば、同じ数パーセントの遺伝子の違いで、我々より遥かに進んだ能力を持つ生物が誕生しないとも限らない。ではその時になっても、我々は――」 教授がそこまで話したとき、講義の終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。 「――と、今日はここまでとする。では、また次回に会おう」 そう言って、教授は出ていった。同じくして、あちこちで睡魔という名の凶弾に倒れていった者達が、ムクムクと次々に蘇ってくる。さっきまで熟睡していたはずなのに、なぜかこういうことには素早いのがこういう奴らの特徴だ。 「ふあぁぁぁぁぁ……。ん、おい初架、もう講義終わったかふぁぁぁぁ?」 俺の隣で間抜けなあくびとともに聞いてきたこいつも、その中の一人だ。 「ああ、ついさっきな」 俺はそう応えながら、手の跡がついて赤くなっている、そいつの整った顔を見る。 秦、康治(はた、こうじ)。 俺の、入試時からの友人だ。 苗字が近いため、たまたま試験会場で前後の席になったのが最初だった。 二人して無事入学した後、よくつるんでいろいろ遊びに行ったりしている。気のいい奴だ。 「んん――……。はあ、よく寝たな……」 「そうかい、そりゃ重畳だ。んで、今回の睡眠学習の原因は?」 「んー、三時までヤマツカミとタイマン、アンド朝まで瑞穂ちゃんと仮想デート……」 「そーか、大変だったな」 「特にG2ソロはキツすぎた……。二回くらい三死した……」 「そーか、そのまま死んどけ」 「ひっでぇ」 整った顔をしているのに、こいつはモテない。原因は今こいつが言った通りで、この男は暇さえあれば電脳空間で狩猟をしたり、大勢の嫁(但し別居、Z軸消失中)とイチャイチャしているという、パソコンの申し子なのだ。もったいない。 かといって三次元に興味がないわけでもないらしく、どこからともなく誰と誰がくっついただのという話を仕入れてきては俺に披露する。「あー、二次元みたいな彼女が欲しい」とは、こいつの最近の口癖だ。 これらのことからよほどのアホかと思いきや、驚くべきことに入学時の成績はトップだったりする。 よくわからないやつだ。 「んで、初架はこれからどーするよ? 暇なら飯行かね?」 「ん、別にいいけど。どこ?」 「あー、学食でよくね?」 「んー……、ま、いいか。おっけ、んじゃちょっとどいてくれ。お前が出ないと俺が出られない」 「りょーかい」 秦を押し出して通路にでて、大きく伸びをする。同じ姿勢で長時間いたせいで固まった身体を、あちこちほぐすように動かす。 「なんだか爺みたいだな」 「うるさい」 大きなあくびを一つして、俺たちは食堂へ向かった。 昼時の食堂は、さながら戦場のようだ。 特にこの第二食堂はメニューも豊富で味も安定しているため、毎時昼時には壮絶な椅子とりゲームが行われることになる。 この日も、俺と秦という二人の戦士は、安息の地を求めお盆を手に荒野を駆け抜けているはずだった。 はず、だったのだが。 「いやー、マジで助かったよ、布禄さん」 俺は、目の前に座っている女子に向かって声をかける。 「いえいえ、お互い様」 彼女はそう言いながら、笑ってカレーうどんをすすった。女の子が挑戦するには服的に多少デンジャラスであろうそれを、彼女は少しもハネを飛ばさずに食べる。何気に凄いスキルだ。 この戦場での座席競争率はかなりなもののはずだったのだが、なぜか彼女の前には二人分の空席があった。俺と秦は、そこに座ることができたのだ。 布禄、准(ふろく、じゅん)。 赤茶けたショートカットの髪。きりっとした美人で、軽く釣りあがった目からは意志の強そうな光が見える。竹を割ったような性格で、とてもはきはきしていて気持ちのいい人だ。そのことを以前秦に話したら、「お前、そりゃ猫かぶってんだよ」と言われたが。 彼女とは秦関連の知り合いで、二人とも同じテニスサークルに属しているらしい。たまに会ったら話す程度の仲だが、彼女の話は女子には珍しく理論的なため、話していて面白い。 「それにしても、めずらしいな。お前、いつもは外で食ってなかったっけ?」 「アタシだって、たまには気分変えてみたいこともあるわよ」 「俺らにしてみればラッキーだったけどね」 「おい初架、そんなこと言うな。こいつに少し感謝するそぶりでも見せたら、今度何奢らされるかわかったもんじゃねえぞ」 「あ、ラッキー。じゃあ、今回のことはお返ししてくれるんだ」 「墓穴っ!?」 どうでもいいような会話をしばらくしているうちに、自然と話題がそれぞれの専門分野へと移っていった。彼女は工学部、俺と秦は生物学部のため、どうしても生物工学の方へと発展していく。 まあ所詮は学生、たいした議論など望むべくもないが、いろいろなことを話し合うのは面白い。 「……だからさ、生物の脳っていっても所詮は電気回路なわけでしょ? なら、それを完璧にトレースすることだって、技術が進めば可能なんじゃないの?」 「そっかぁ? そもそもトレースっつったって、どうするんだよ? 電極ぶち込んだところで、中の細かい仕組みまではわかんないだろ?」 「そこはほら、少年の夢、ナノマシンを使ってさ。赤血球よりも小さいナノマシンだって作れるって言うじゃない? それを脳内に流して、それぞれのナノマシンの位置と刺激に対する反応を送らせる、とかさ」 「少年の夢なの、ナノマシンって? そういや、話はずれるけど某漫画とかだとナノマシンで元素まで変えてるよね。身体の中で核分裂や核融合を起こすってどんだけ技術力あるんだよ、みたいな? むしろそれだけで世界征服できるだろ、みたいな」 「話をずらすんじゃねえよ、初架は。つーか布禄、それだとブラックボックスの結果を知ることはできても、中身の構造は無理なんじゃねえの? それをトレースするとは言わねえだろ」 「……まあ、確かにそうかもしれないね。じゃあ、こういうのは? 脳を徹底的に、それこそ細胞一個一個の位置までわかるようにスキャンして、あとはそれ通りに人工の神経を配置するの」 「プラモデルみたいだね、それ。面白いとは思うけど、俺は無理だと思うなぁ」 「どうして?」 「そもそも、細胞一個の位置がわかるようにスキャンってのが非現実的だよ。それに、人工の神経って言ったって、それこそ数百万個もあるんだからさ。しかも一つ一つ形が違うわけだから、そんなものいちいち作ってられないと思うな。まだ電子頭脳の方が実現可能な気がする」 「それだと、面白くないんだよね……。考えてみてよ。生物の身体なんて、所詮は有機化合物なのよ? 量子限界に迫らんとする工学に神様の真似事ができても、不思議はないんじゃない?」 「まあ、言われてみりゃそんな気もしてくるけどな。だけど、仮にそういうことが可能になるとしても、技術がそこまで進歩するには後数十年じゃ無理だろ」 「わかんないよ? 実際、あたしらが生まれるときにはネットなんて存在しなかったんだから。特に最近の工学の進歩はすごいわよ」 「じゃあ仮にそれができたとして、だ。生物の身体には、脳以外にもすげえたくさんの臓器があるんだぜ? 特に肝臓なんか、今の技術じゃ作れないって言われてるだろ。それこそ、技術の進歩を待ってたら俺らが先に死ぬんじゃね?」 「そんなことはないと思うけどな……」 みたいなことをつらつらと話しているうちに、そろそろ昼休みが終わる時間が近づいてきた。 この後、布禄さんと秦は講義が、俺はサークル活動があるため、ここで分かれることになる。 先に席を立った布禄さんに手を振り、俺と秦も立ち上がった。 食器を片して、それぞれの目的地に共通する通路を並んで歩くことにする。 しばらく歩いているうちに、ふと、隣から秦が消え、次いでなにやら興奮した声が後ろから聞こえた。 「おい初架、これすごいぜ!」 秦は壁に掲示してある広告を指差していた。 「どれどれ? ……『農学部から重大ニュース! 植物ホルモンは人体にも効果があった!? ジベレリン摂取でバストアップの声! “これを飲み始めてから、一ヶ月で五センチ増えました”(文学部在籍、篠崎さん談)。秘薬“ムネデリン”、今なら特別価格でご提供! 品切れにご注意ください!』……なんだ、これ?」 「すごくね? 篠崎さんのあの乳は、これが原因だったのか……!」 「いや、ないだろ」 ちなみに篠崎さんというのは、文学部が誇る童顔巨乳さんだ。 最近大学生協でバイトを始めたらしく、彼女のGはあろうかという豊満な胸を一目見るために馬鹿共がこぞって買い物をするため、売り上げが二倍になったなどという話がまことしやかに囁かれている。 直接面識はないが、俺も一度秦に連れられて見に行ったことがある。 確かに、すごかった。 揺れるのなんのって。 「しかし、農学部のやつらもよくこんなもん作るよな。なんで?」 「さあ……。需要があるんじゃね?」 「ふうん……?」 そんな話をしているうちに、わがサークルである落語研究会(通称、落ち研)の部室の前に着いた。 「お、そんじゃな」 「ああ。また明日」 秦と別れ、一人になったところで先ほどの薬のことを考える。 いかにも胡散臭そうな話だったが、あんなものでも信じて買う人はいるらしい。不憫なことだ。 あんなものを飲んで胸が大きくなるのなら、世の中は巨乳だらけだ。 まあ、まさか知り合いで買ってるアホもいないだろう。 そう思いながら、俺は落ち研の部室の扉を開けた。 中に居た、山岸さんと目があった。 「…………」 「…………」 沈黙したのには、わけがある。 彼女はその手に、“ムネデリン”とかかれたビンを持っていた。 それはすでに、半分ほどなくなっていた。 「……………………」 「……………………」 なんというか、あれだ。 さっきの言葉は、ナシの方向で。 というか山岸さん、気にしてたんだ……。 「…………山岸さん、それ…………」 「……ち、ち…………」 「何? 乳?」 胸がどうかしたんだろうか。貧乳? とか言ってみたりして。 「……ちっ、違うの!」 「…………いや、違うって言われても……」 「これは……そう! た、たまたま友達がくれたの!」 すごいことする友達がいるな。これ飲んで胸大きくしろとでも言いたかったのだろうか。男だったら間違いなくセクハラだ。 まあ、そんなことをいちいち突っ込んでもしょうがない。何に劣等感を持つかは個人の自由だ。 なので、俺は必死に弁解を続けている山岸さんに向かって優しく声をかける。 「大丈夫だよ、山岸さん」 「だ、だからっ……え?」 「小さくても、需要はあるから」 「…………っ!!」 顔中真っ赤になる山岸さん。ふむ、なにか間違えたかも。 「し、知らないっ!!」 山岸さんはそう叫ぶと、俺の横を通り過ぎて出て行ってしまった。 後には、俺、ビン、そして落語を映しているテレビだけが残された。 『……いいかい、そいつぁもともとは"水沸かし"と言われていてだな……』 画面に目をやる。 新米の落語家が、必死に喋っていた。 そんなこんなで。 俺は、退屈で、かけがえのない毎日を繰り返す。 はず、だった。 ほとんどの人には、人生の転機と言える瞬間があるだろう。 それはたとえば交通事故などの大怪我だとかいった物理的なものかもしれないし、特定の人物や本との出会いだとかいった精神的なものかもしれない。 感動によって変わることもあれば、逆に憎しみで変わることもあるだろう。 実に多様で、予測がつかない。 だが、それら全てに共通して言えることが、一つだけあるだろう。 転機はいつも、唐突に訪れる。 自分がそれを望むか否かに関わらず。 山岸さんの貧乳を指摘してしまった、翌日。 前日と同じ教授の講義が終了すると、珍しく起きていた秦が話しかけてきた。 「おい、気づいたか? 今日、山岸さん来てないぜ」 言われる前から、気づいてはいた。先ほど教室内を見回したときも、彼女と目が合うことはなかったからだ。だが、それを話すと、意識してるみたいに思われそうで、なんだか嫌だ。 「ああ、そういえばそうみたいだな」 俺はあえて、言われて気づいたみたいな顔をした。すると、秦は俺の演技には気がつかなかったようで、あきれたようにため息をついた。 「何だよ」 「お前なあ、もう少し……いや、やっぱいいや」 こいつの言いたいことは大体わかる。 もっと、女の子のチェックはマメにしろとでも言いたいのだろう。 だが、あいにく俺にそんな器用でめんどくさい真似はできない。それを知っているから、秦も途中で黙ったんだろう。 「……俺が悩んでもしょうがない、よな。よし、なんとかなるだろ、そのうち」 「なんのことだよ?」 「なんでもない。それより、早く飯行こうぜ」 「ん、ああ」 そんなやりとりをして、俺たちはいつものように食事へ行き。 いつも通りにサークルに行き、落語を見て笑って。 山岸さんがいないことを、こっそり寂しがったりして。 いつも通りに、家路に着いた。 ――そうして、俺はソレに出会った。 「やあ。君が初架くんかい?」 いきなり初対面のモノに自分の名前を呼ばれたときにも、平然と対応できる人間が居るというならば、是非とも一度会ってみたいものだ。 そして、この世界での平和な過ごし方などを尋ねてみたい。 特に、なんの気なしに入った路地で、到底人間とは呼べないモノに遭遇してしまったときの対処法とか。 「初めまして。僕は降田。『クリエイター』と呼んでくれても、構わないけどね」 そう言って微笑む降田と名乗ったモノは、人間の男だった。 だがそれはあくまで戸籍上のことであり、生物学的にはもっと別な種類に分類した方がいいとしか思えない形をしていた。 ナメクジのように全身から脂汗を垂らし、口の周りには黄色いヤニがこびりついている。 脂肪で幾重にもコーティングされた、優に百キロを超しているであろう巨体。 見ただけで、目が穢れるような。 居るだけで、空気が澱むような。 醜悪としか言い様のない、ニクノカタマリ。 俺は今までの二十年間、これ程以上に醜いものを見たことがなかった。 これと比べるなら、まだナメクジを間近で見たほうがましだろう。 普通の感覚を有する人間なら誰でも一刻も早く忘れたくなるようなソレ。 だがその両側には、うちの大学でも美人で有名な女子二人が寄り添っていた。 これ以上ないほど幸せそうに、その端整な顔を歪めて。 夕暮れ時。 大学での退屈な講義を受け終わり、今日の晩飯の献立を考えながらの帰り道。 普通の大学生活を過ごしていくはずだった俺は、この路地に足を踏み入れた瞬間から転機を迎えた。 日常から非日常へと。 平常から異常へと。 「はあ……、ちゅ、ちゅっ……。うふ、れろ……あんっ」 ソレの右腕にしがみついている女子は、今日大学に来ていないはずの山岸さんだった。 彼女は現在、ニクノカタマリの顔中至るところにキスの雨を降らせながら、恍惚とした表情で甘い吐息を洩らしている。 ニクノカタマリの脂ぎったソーセージのような指が彼女の身体中をまさぐっているが、彼女は気持ちよさそうに腰をくねらせるだけで、抵抗するような様子は一切見られない。むしろ、ソーセージの愛撫を喜んで受け入れているようだ。 彼女のファンがこの光景を見たならば、彼女の普段とのギャップに卒倒するかもしれない。というか俺が卒倒しそうだ。 「あ、ああっ! い、いいですぅっ! もっと、もっと百合亜のおっぱい揉んでぇ! 気持ちよくしてくださいぃっ!」 左側の女子は、篠崎さんだった。 幾人もの男の視線を釘付けにしてきた彼女の巨乳は、現在ニクノカタマリの手によって様々にその形を変えている。 傍目から見たら乱暴としか言い様のない動きも彼女にとっては快感でしかないらしく、形が変わる度にあられもない嬌声をあげている。 「……んん? どうした、全然反応がないじゃないか。返事くらいしてくれよ」 ソレが甲高い声で何か言っているが、内容が全然耳に入ってこない。 まるで全く知らない外国語を聞かされてる旅行者みたいだ。 いったい、何が起こっている? あの山岸さんが、こんな奴と? しかも、篠崎さんも一緒に? 二人はいったい何をしているんだ? 思考が乱れ、行動が停止する。何をすればいいのか、何をするべきなのか、それらがまったく思い浮かばない。 俺は馬鹿のように、目の前のその異常な光景にただ圧倒されていた。 「ああ、この子達は最近手に入れた僕のかわいいペット達だよ。僕の言うことを何でも聞くように作り変えてあげたんだ」 俺の視線に気付いたのか、ニクノカタマリは酷く満足そうな表情を浮かべて彼女たちの顎を撫でる。 そんな動物扱いをされるのが幸せだとでも言わんばかりに、彼女たちは顔を上気させる。 自分達のことをペットだと言い切ったニクノカタマリに、進んで媚びを売りながら、彼女達は快感に溺れていく。 「どうやったのか、みたいな顔をしてるねえ。どうして彼女達がこうなっているのか、知りたいかい?」 ソレの問いに、俺は無意識に頷く。 彼女達の顔は本当に幸せそうで、嫌がっている様子は少しも見受けられない。生半可なことではない。 理由が知りたかった。 彼女達がこのニクノカタマリにここまでする、理由を。 ソレは俺が頷くのを見ると、満足そうに笑った。 それは一際甲高い声で、頭が殴られたようにクラクラした。 「いいだろう! 冥土の土産に、彼女達に僕が何をしたか、特別に教えてあげるよ」 そう言ってソレは山岸さんの身体をまさぐっていた手を離し、俺の方に差し出した。 俺はただ呆然と、そのソーセージのような手に向かって自分の手を伸ばす。 指先が触れ―― 《い、嫌だ、助けて! 私、変わりたくなんかない! こんなのになりたくなんかないよぉ!》 触れた途端に流れ込んできたのは、ニクノカタマリの莫大な負の感情。 作り変える前に彼女達に抱いていた、ニクノカタマリの劣情とか。 作り変えられることに必死で抵抗する彼女達への嘲笑とか。 作り変えた後の彼女達が自分に嬉々として従うことへの満足感とか。 そういったものが、奔流のように指先を伝って流れてきて。 ――俺は、嘔吐していた。 「が、がはぁっ! うが、がふっ……! なんだこれ……おえぇぇぇぇっ!」 胃の内容物を残らず地面にぶちまけ、俺はその場にうずくまる。 その拍子に指が離れ、そこから流れ込んできたものが止まり、吐き気が収まった。 そして俺は、理解する。 こいつは、最悪の生物なんだと。 人を変えることをなんとも思わない。自らを神だとでも思い込んでいる外道なんだと。 ニクノカタマリは這いつくばる俺を汚ならしそうに見ると、次いで自分の靴に視線を移し、そこに飛び散った俺の嘔吐物を見て顔をしかめた。 「おいおい、汚いなあ! 僕の靴にまで飛んできたじゃないか。おい、お前達。今すぐ僕の靴を舐めろ」 「な……!」 信じられない命令に驚愕する俺に対し、両側の二人は嬉しそうに微笑むと、 「「はい……」」 二人はそのまま惚けた顔で四つん這いになり、山岸さんは右の、篠崎さんは左の、俺の吐瀉物が飛び散った靴に舌を伸ばし、舐め始めた。 「はむ、ぴちゃ……。あああ、ご主人様の靴、美味しいです……。れろ、じゅる、じゅるる……」 「れろ、ちゅ、ん………。あぁ、どうかもっと、ご主人様の靴を味わわせてください……。ぴちゃ、じゅる、はむ……」 信じられない言葉を言いながら、二人がソレの靴を舐めている。 足の甲から裏までなんのためらいもなく舌を伸ばす彼女達の唾液がぴちゃぴちゃという音を立てて辺りに響く。 二人の顔は、本当に幸せそうで。 それゆえに、ニクノカタマリのしたことがいかに強力で、残酷かを思い知らされる。 常識とか、倫理とか、そういったものが全く欠如した人格に、二人は作り変えられていた。 俺は彼女たちへの哀れみや、彼女たちをこんな風にしたニクノカタマリに対する嫌悪、そういったものから奥歯を食いしばる。 そんな俺の姿を見て、ニクノカタマリは楽しそうに笑う。 「ははは! こんな姿を見て勃起するなんて、君は僕と似てるかもな!」 「………………!?」 言われて気づく。 俺は、確かに勃起していた。 それは、この異常事態に身体が誤作動を起こしたから、ではなかった。 感じていたのは、人間の尊厳が微塵も感じられない二人の姿に対しての、欲情。 俺はその時、言われればどんな汚いものであろうと喜んで舐めるように、主人の満足のためならんでもする家畜に成り下がった彼女達に、欲情してしまっていた。 「よし、気が変わった。本当は壊すつもりだったけど、君は僕の兵隊にしてあげるよ!」 『兵隊にする』。 その言葉の意味は、先程見た映像、そして眼前の彼女たちから嫌というほどわかる。 コイツは俺も作り変える気だ。意志も何もない、ただ命令に喜んで従うだけの人形に。 想像しただけで、おぞ気が走り、吐き気がする。 逃げなければ。 大股で近づいてくるニクノカタマリは、嗜虐的な笑顔を満面に浮かべている。 だが身体はまだ映像のショックから立ち直っておらず、足が思うように動いてくれない。 そして、数歩も後退りしないうちに、近づいてきたソレの手が、俺の手を握った。 「――あ」 どくん。 《降田義郎は主》 《主の言うことには全て従う》 《主のことを第一に考えて行動する》 《主の命令に従うことは幸せだ》 「ぐぅぅっ、うあぁぁぁ……!」 先程とは比べ物にならない量の悪意が、俺に流れこんでくる。 更に先程と違うのは、その全てが俺に向かっているということ。 あまりの気持ち悪さに、俺は動くことすらできない。できることと言えば、ただその流れに必死で耐えるだけだ。 頭に入ってこようとするそれらの思考を、俺は必死で拒絶していく。 だがそれらは止まることなく、次から次へと俺の精神に入り込んでくる。 段々と俺の精神は侵食され、裁断され、霞んでいき―― それは、半ば無意識の行動だった。 俺の手は、悪意の奔流から自分を守るように、俺自身の頭に触れた。 抵抗の意志をこめて。 すると、なぜかあれほど流れ込んできた悪意が、ピタリと止んだ。 そして、俺の精神が戻ったのを感じた。 「――は」 理由はわからない。 けれど、どうしようもなく気分が高揚してきて。 可笑しくて、楽しくて、愉快で堪らなくて。 俺は、目一杯哄笑した。 「は、はは、あははは、ははははははははははははははははははははははははははは!」 そんな俺に対し、ニクノカタマリはビクッと反応する。 これまでとは違う俺の様子に、あきらかに戸惑いを覚えたようだ。 まあ、無理もない。先程まで身動きすらできなかった奴が、いきなり元気になったんだから。 「な、なんだよこいつ………! 全然作り変えられてないじゃないか……!」 ニクノカタマリの狼狽、焦燥、恐怖といったものが手に取るように分かる。 自分の思い通り全てがうまくいくとでも信じていたのだろう。そういう奴に限って、想定外の事態には弱いものだ。 今のうちだ。 俺はソレが怯んでいる隙に、俺に触れているソレの親指を掴み、捻った。 ぽきりと、予想外に軽い力で指が逆方向に曲がった。 「ひぎいぃっ!? い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイイィィイイィイィイィィ……!」 痛みに泣き喚きながらこちらに怒りの視線を向けるニクノカタマリ。 俺はソレを、それ以上の気迫を込めて睨み返す。 ここが肝心だ。俺の方がこの場において優勢だと、ニクノカタマリに錯覚させなければならない。 そう、錯覚だ。 正直、精神は完璧に復活したものの、身体はまだほとんど動いてくれない。今の動きだって、かなり精一杯のものだ。物理的に襲われたら、抵抗することはできないだろう。 だから、心を折る。 「な、なんだよお前……。僕にこんなことするなんて、あり得ない……。殺してやる、殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやるコロシテヤルコロシテヤル……」 ソレは俺の気迫に負けたのだろう、呪詛の言葉を呟きながらも再びこちらに近づいてくる気配はない。 折った、と思った。 だが。 「い、行け、朋美! そいつを殺せぇ!」 「……っ!?」 まずい! ニクノカタマリは俺から逃げようと篠崎さんに身体を支えてもらいながらも、そう山岸さんに命令した。 次の瞬間、山岸さんが、無表情で突っ込んできた。 俺は避けることもできず、正面から体当たりを喰らう。 結果、山岸さんは俺を地面に仰向けに押し倒し、俺の上に馬乗りになる形になった。 背中をしたたかに打ち、思わず喘ぐ俺の首に、山岸さんの細い指がかかる。 「そうだ! そのままそいつを絞め殺せ!」 「わかりました……」 今まさに俺を殺そうというのに、山岸さんの目はどこか虚ろで熱っぽく、そのくせ指には万力のような力がかかってくる。 対人攻撃の心理的制御も失っているのだろう、どこにも躊躇いがない。 「そいつを絞め殺したら、死体を処分してお前も死ね! 僕に繋がる証拠は全て消してからだ!」 あり得ない。 人の命をなんとも思っていない、最低の命令。 「はい……わかりました」 だが山岸さんはそれでも幸せそうに頷くと、力を更に強めた。 「か、は………」 ギリギリと、俺の喉が悲鳴をあげる。 肺に流れる空気を求めて、俺の手が無意識に宙をさ迷う。 そして薄れゆく意識の中、偶然山岸さんの頭に触れた。 どこかで声が聞こえた気がして。 俺の意識は、暗転した。 白い光の中で気が付いた。 俺は、白く、狭く、四角い部屋の中に立っていた。 部屋全体が淡い光を発しており、一定のリズムで明るさが変化している。まるで心臓の鼓動のようだ。 周囲には、様々な大きさの黄色い立方体や、完全な球体がいくつも浮遊している。 俺は、死んだのか? だがそれにしては変だ、死んだおばあちゃんも三途の川もお花畑も見えない。 そう思いながら俺は、試しにいくつもある立方体の中から一つを選び、触れてみた。 「……!?」 すると触れた指先から、ある映像が頭に流れてきた。 流れ込んできた映像は、山岸さんがニクノカタマリと出会う時のものだった。 ――彼女がニクノカタマリに遭遇したのは、昨日の夜。 家庭教師のバイト先である生徒の家から帰る途中のことだった。 ソレは、彼女が角を曲がった先の路地にうずくまっていた。 「ううぅ……。い、痛いぃぃ……」 彼女は思わず叫びそうになった。目撃したものが、余りに醜悪だったからだ。俺が見たものと全く同じ脂ぎったその巨体。いや、夜なだけに、ソレは余計に不気味だっただろう。 彼女は数歩後退ったが、ニクノカタマリが地面に倒れ伏し、呻いているのを見て、逃げ出しそうになるのを踏み留まった。 「だ、大丈夫ですか?」 恐る恐るそう声を掛ける彼女に、ニクノカタマリは実に苦しそうな声で言った。 「うう、持病の発作が……」 見るからに怪しいものが、聞くからに怪しいことを言っている。俺なら、いや普通の人間なら胡散臭く思いスルーするだろう。が、根が親切な彼女は、その不審さに気が付かず焦った。 「ど、どうすればいいですか?」 「あそこに、薬の入ったバッグが……」 ニクノカタマリが指差した先には、確かに黒いバッグが転がっていた。 「あれを、持ってきて……」 「わ、わかりました!」 山岸さんはバッグを拾うと、そのまま急いでニクノカタマリに駆け寄る。 バッグを手渡すため、何の警戒もなしにニクノカタマリに近づいた。 瞬間。 発作で倒れていたはずのニクノカタマリの身体が、バネのように跳ね起きた。 「ひっ……!?」 驚いた彼女が身を引くよりも早く、ニクノカタマリの手がバッグを持つ彼女の手を掴んだ。 接触を媒介に流れ込む、莫大な負の情報。それらは彼女の元あった精神を押し流し、新たな人格を形成しはじめる。 「――いやっ!」 彼女は何が起こっているかこそわからなかったものの、本能的な恐怖を覚え、反射的に手を振りほどき、そのまま直ぐに逃げようと走り出した。 「待てっ!」 だが、数歩も行かないうちに、後ろから聞こえた声に身体が勝手に反応し、立ち止まってしまった。 「ふふふ、ダメだよ、逃げたりなんかしちゃ」 彼女を呼び止めたニクノカタマリは、先ほどまでの演技とは打って変わって元気に立ち上がり、ニヤニヤと見るだけで吐き気を催すような下卑た笑みを満面に浮かべている。 「作り変えが不完全だったか。身体だけしか支配できてないな。まあでも、これはこれで味があるな、うん」 彼女にとって意味不明なことを言いながら、ニクノカタマリは彼女の身体に命じる。 「おい。黙ってこっちに来て、僕にフェラチオをしろ」 「……!」 驚きは二つ。 一つ目は、ニクノカタマリの言った言葉が有り得なさすぎて信じられなかったということ。 そして二つ目は、その言葉に彼女の身体が勝手に反応したということだった。 その恐怖に悲鳴をあげることさえ許されず、彼女の身体はニクノカタマリの下へ動く。 フェラについては、彼女あらかじめ知っていた。だが、あくまでも知識だけだったので、実際にやったことは一回もない。だから、ニクノカタマリのズボンを下ろし、その肉棒を取り出したところで、次に何をすればいいかわからなかった。 もっとも、わかったからといって、それをする気など毛頭なかったが。 「ああ、やり方がわからないんだ? じゃあ、僕が一から丁寧に教えてあげるよ。じゃあまず、僕のモノを舐めて」 必死で抵抗を試みるも、身体は全く言うことをきいてくれない。 彼女の伸ばした舌が、黒く変色した、テラテラと光るソレの肉棒に触れる。 激臭と、ものすごい味がした。 胃液が逆流しそうになるのをこらえ、彼女の舌はソレを舐める。 「れろ、ぴしゃ……。うぅ、ぐすっ……れろ……」 すすり泣きながらも、舌の動きは止まらない。鼻が曲がりそうな悪臭を吸い込み、吐きそうになるような味を感じながら、彼女のフェラは続く。 「いいね、いい感じだ! じゃあ今度は、僕のをくわえるんだ。歯を立てないようにね。そうして、そのまま顔を前後に動かすんだ」 「ひ、そんなっ! ……あむっ、んむ、じゅぽ、ぐぷ、じゅる、んぐ、ごぽ……」 ニクノカタマリの肉棒が、深くくわえる度に喉を突くが、むせることも吐き出すことも許されず、彼女は顔をグラインドさせる。 「うん、そうだ! その調子だよ!」 ニクノカタマリはそう嬉しそうに言うと、彼女の頭を押さえて自ら腰を振りだした。 「んぶっ!? がぼっ! ぐぶっ! あぐっ……じゅぽっ! むぐ、ぐぼっ!」 何度も口内を往復する肉棒が、彼女から空気を奪っていく。酸欠で意識が朦朧としてくる。ニクノカタマリのソレの動きはいよいよ速くなり、彼女は必死で気道を確保しようと、無意識に舌でソレを押しのけようとする。その動きが、逆にソレを喜ばせるものだともわからないままに。 そして偶然、舌先がソレの鈴口に当たった。それが、決め手となった。 「ああぁっ、出るうぅぅっ!」 汚ならしい声と共に、ソレの先端から吐き出された精液が彼女の喉を何度も叩く。 一通り痙攣が収まると、ニクノカタマリは満足そうに軽く震え、彼女の口から肉棒を抜いた。 「――ごほっ! かっ、げほげほっ! あ、あ……ごふっ、おえええぇぇぇぇぇっ!」 自由になった口から呼吸をしようとして、口の中に溜まった精液にむせた。 酷く青臭いそれを吐き出そうと、彼女は必死に咳をする。 だが。 「吐き出しちゃあだめだよ。ご主人様の精液は、残さず飲むのが奴隷の義務だからね。全部飲むんだ、地面にこぼれたものも含めてね」 「――!」 彼女の身体は、実にスムーズに動いた。 彼女の意志を、実に鮮やかに無視して。 「じゅ、ずずず……。じゅるる、れろ、はむ……ごくん」 無様に地面に這いつくばりながら、彼女の口は先程吐き出したばかりの白い汚物をすする。 「……ずずず、れろ……こくん……。…………う、ああぁ…………、うわあああああぁぁぁぁぁぁ………………!」 それを残らず飲み込むと、彼女は泣いた。 確かに、自分の身体が勝手に動くという今の状況は、怖かった。 だがそれよりも、自分が男の言いなりになって這いつくばるということが、たまらなく悔しかった。 そんな彼女をニクノカタマリはしばらく笑って眺めていたが、 「はいはい、泣くのはそこまで。じゃあ今度はセックスをしようか?」 と、言った。 「……!? お、お願い、許してください! 私には、好き――」 ――手を離すと、映像の再生が止まった。だが、その先の内容は想像に難くない。 俺は、理解した。 ここは山岸さんの精神世界であり、それもニクノカタマリが作り上げた虚構なんだと。 この世界が山岸さんの精神を支配しているため、彼女はニクノカタマリが命じる全てを、喜びを持って行うようになってしまった。 あまりのひどい話に、気分が悪くなってくる。 俺は、静かに立方体を下に置き、おもいっきり蹴飛ばした。 だがそれは俺の足に鈍痛を与えただけで、元の形をそのまま保っていた。 ならば、と俺は山岸さんの行動の原因となるモノを探そうと、辺りを見回す。 すると、まるで俺の目的を示すかのように、部屋の隅にある複数の球が淡い光を放った。 俺はその球のところに行き、取り上げる。 それぞれには、文字が刻まれていた。 それは、山岸さんの『常識』の一部だった。 《ご主人様の命令には全て喜びを持って従う》 《ご主人様に奉仕することは素晴らしい》 《ご主人様が言うことは全て正しい》 ニクノカタマリによって作られた、いくつものそういった『常識』。 これのせいで、山岸さんは人間としての尊厳を失ってしまったのだ。 そう考えると、この球が酷く汚いものに思えた。 俺はそれを握る手に力を込める。すると、こちらの方は呆気ないほど簡単に砕け散った。 破片はしばらく空中を漂っていたが、俺が手を振るとすぐに空間に融けるようにして消えた。 残りの球も残らず壊し、俺は満足する。 これでもう、山岸さんがニクノカタマリに操られることはないと、俺は確信した。 ……しかし、と俺は続けて思う。 人の心は、こんなに単純なのだろうか、と。 事実、試しに彼女がニクノカタマリと遭遇する以前の記憶を望んでみたが、何も光らない。この部屋にはそういった思い出などが、一つもないらしい。 酷く薄っぺらい、ハリボテのような印象を受ける。 ……ハリボテ? そこまで考えて、ふと一つのある仮説を思い付いた。 つまり、この部屋はハリボテのように山岸さんの常識や記憶といったもの隠しているのではないか、と。 言いかえれば、彼女のもともとの精神は、まだどこかにあるのではないか? そしてそれを確かめるべく、俺は近くの壁を思いっきり蹴った。 すると障子紙を破るように、簡単に穴が空いた。 なんだか嬉しくなって、今度は体当たりをする。 軽い、本当に些細な衝撃と、紙を破くような音。 そして俺の身体は、チャチな壁を突き抜けた。 そして見えたものは、どこまでも広く、遠く、透き通った、純白の空間。 先程までとは比べ物にならない程の広さの空間に、黄一色ではない色とりどりの立方体や球体が、溢れんばかりに存在している。 この空間こそが、山岸さんの本当の精神世界なんだと、俺は確信した。 俺は先程までいた部屋を振り返る。 その部屋は、俺が空けた穴によって、今まさに崩れ落ちるところだった。 俺はその光景に満足し、目を瞑る。 意識が再び暗転した。 ――再び目を開けると、俺の上に馬乗りになりながら呆然としている山岸さんと目が合った。 山岸さんは少しの間目を瞬かせていたが、現在の状況を把握するなり、 「あ……!」 と慌てて俺の上から降りた。 同時に手が俺の首から外れ、空気が大量に俺の肺に流れ込み、俺は激しく咳き込む。 俺は、生きている。 俺がまだ生きていることから考えるに、山岸さんの精神世界に侵入していた時間はそれほど時間がたっていないようだ。 腕時計の針も、ニクノカタマリと遭遇してから十分も経っていない。 それを確認してから、山岸さんへと目をやる。 彼女は俺の身体からはどいたものの、未だ何が起こっていたかを把握できていない様子で、茫然と座り込んでいた。 よく見れば、身体のあちこちが汚れている。泥まみれだし、着衣も多少乱れている。四つん這いで靴を舐めたせいだろう、俺の吐瀉物もこびりついていた。 ともかく、彼女をどこかに連れていく必要がある。 この状況を誰かに見つかったらピンチだ。俺が彼女を襲ったとでも誤解されかねない。 それにそもそも、彼女をどこか落ち着ける所に連れていくべきだろう。 俺は彼女を、取り敢えず一番近くのシャワーとベッドが使えるところに連れていくことにした。 ラブホテルだった。 チェックインを済まし、まだ茫然としている彼女の身ぐるみを剥ぐ。 そして、剃刀などの危険物を取り除いたシャワー室に連れて入った。シャワーの温度を調節し、適温になったところで彼女の身体に当たるようにし、俺は外に出る。さすがに、俺が彼女の身体を洗うわけにもいくまい。 彼女がシャワーを浴びている間にと、先程ひっぺがした彼女の服をコインランドリーに持っていく。 下着を別に洗うか悩んだが、下手に気を使わない方がかえっていいだろうと思い、まとめてぶちこんだ。 洗濯している間に、一体どうやって山岸さんにこの状況を説明しようかと考える。 今回俺が殺されかけたことは置いておくにしても、今まで彼女がニクノカタマリにされた仕打ちを考えると、不用意に話をするのも駄目な気がする。 彼女にしてみれば、今までの行動全てが信じられないことなのだ。下手に話を運べば、恥辱や嫌悪などから自殺しかねない。 それだけは、避けたい。なんとしてでも。 とはいえ、と洗濯が終わった暖かい服をドラムから取りだしつつ、考える。 彼女の精神世界を見る限り、操られていたときの記憶はしっかり残っているというべきだろう。 ならば、曖昧に言ったところで誤魔化しきれるとも思えない。むしろ逆効果になるかもしれない。 いろいろ思い悩みながら、俺は部屋に戻った。 シャワー室からは、すすり泣きが聞こえた。 一時間後。 ようやく出てきた彼女に、さっきの間にコインランドリーで洗濯してきた衣服を渡す。 ちなみに俺も、既にロッカーシャワーで身体を洗い、服も新しくなっている。一応言っておくが、別に変なことを期待してではない。単にゲロまみれで汚かったからだ。 彼女は大分憔悴してはいたが、俺に礼を言うくらいには落ち着いたらしく、恥ずかしそうに服を受けとると洗面所に消えた。 さて、と俺は先程決めた考えを再確認する。 結局、俺は全てを話すことにした。 ごまかそうと思ってごまかしきれるものではない、というのがその理由だ。 最終的な判断を彼女に委ねることになるが、これが一番妥当な方法だろう。 ただ、自殺をするようなら、どうにかして止めなければならない。 最悪、彼女の精神に干渉することになるかもしれないだろうと、俺は半ば覚悟していた。 そんなことを考えているうちに、山岸さんは着替えを終わり、ベッドのふちに腰掛けている俺の横に座った。 俺は、彼女からの言葉を待つ。 彼女はしばらく黙っていたが、時計の秒針が二周ほどすると覚悟を決めたらしく、大きく深呼吸をすると、下を向きながらも口を開いた。 「なにが起こったのかよくわからないけど……。ごめんなさい、初架くん」 どうやら、とりあえず普通に会話できる状態にはあるようだ。錯乱状態でまともに話もできないようでは、問答無用で精神世界に侵入するしかない。俺はそのことに一応安心した。 「大変、だったね」 俺がそう声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げ、こちらを見た。 「……責めないの?」 「……? なにを?」 「私が、……その、……初架くんを殺そうとしたこと、とか……」 成る程、そっちか。と、何が起こったのか追及されることを想定していた俺は、その山岸さんらしい疑問にある意味安堵を覚えた。 しかし確かに彼女にしてみれば、自分の本意ではないとはいえ俺を殺しかけている。そう思うのも当然だろう。 だが俺は、ニクノカタマリが彼女に何をしたかを知っている。 「俺は平気。むしろ山岸さんの方が心配だよ、俺は」 「!? そんなっ……!」 彼女はなにか言いかけたが、ハッとして口をつぐむと、再び下を向いてしまった。 膝を握っている彼女の手の甲に、雫がポタポタと落ちる。 え? ここで泣くの? いきなり? なんで? 女子の涙は人類が開発しうる最強の武器だ。 何かまずいことを言っただろうかと、俺はどこかの冒険野郎もしくは腹話術使いのように、必死で考える。 「……どうして?」 「へ?」 必死に考えている途中だったので、彼女の問いに間抜けな声をあげてしまった。 だが、構わず彼女は続ける。 「……どうして、初架くんはそんなに優しいの?」 「優しいって……。いや、俺は別に……」 「違うっ!」 山岸さんは、いきなり叫んだ。 「私、初架くんが思ってるよりもっと酷いことをしたんだよっ!?」 「……酷い、こと?」 わからない。 少なくとも、殺されかける以上に酷いことをされた記憶などない。というか、あったら嫌だ。 彼女は続けて喋る。 「ねえ、知ってた? 私、初架くんのことが好きだったんだよ?」 衝撃の告白。 山岸さんが俺を? 確かにそんな気がしないこともなかったが、それはあくまで彼女の優しさから来るものだとばかり思っていたのに。 だが驚く俺も目に入らない様子で、山岸さんは続ける。 まるで身体を焼く激しい痛みに耐える様に、身を震わせながら。 「私ね、あの男に襲われたときに言ったの。私には好きな人が居るから見逃してください、許してくださいって。そしたらあの男はなんて言ったと思う?」 『ふぅん、そうなんだ。なんだかムカついちゃったな。よし、それじゃあこうしよう。君は自分の手で、その人を殺すんだ』 「嫌だった! あなたを殺すなんて、死んだって嫌だった! なのに、私は言われた通りに……! ううん、それどころか自分から進んで殺そうとしたんだよ! 私が初架くんを好きになんかなっちゃったから、初架くんが酷い目にあったんだよ! 私なんか、優しくされていいはずがないんだよ! 恨まれるのが当然なんだよ……っ!」 彼女は、身を震わせながら告白をする。 だが、いったいそれを誰が罪と呼べるだろうか? 自らの心を操られていた、可哀想な彼女。 自分のせいで好きな人を傷つけたと、自分の感情を否定しなければならなかった彼女。 自分が操られていたことよりも、好きな人を傷つけたことを恐れる彼女。 俺を好きだといってくれた、彼女。 彼女。 山岸、朋美。 だから、俺は、彼女のことが好きだったんだ。 俺は、泣きじゃくる彼女の肩に触れた。 彼女の身体がビクッと震えたが、構わず強く抱き締めた。 湿った髪から、シャンプーの香りがした。 「山岸さんは、悪くない」 俺は彼女に宣言するように言う。 これ以上、彼女が自らを責めないように。 これ以上、彼女に自分の気持ちを否定させないように。 「で、でも……」 「そんなこと、どうだっていいんだ!」 それでもなお自分を許せない彼女に、怒鳴った。 俺の目から、熱い液体がこぼれた。 どうしようもなく、悲しかった。 どうしようもなく、哀れだった。 そして、どうしようもなく、愛おしかった。 「あの男に操られていた山岸さんに、責任なんかない。 俺を好きにならなければよかったって? ふざけるな! 俺は、山岸さんに好きだって言われて嬉しかった!」 「え……」 俺は抱いていた手を離し、彼女の顔を見据える。 涙や鼻水でくしゃくしゃになった顔は、それでも変わらずに綺麗だった。 その顔に、俺は自分の顔を近づける。 彼女はまだ少し震えていたが、目を閉じると、軽く上を向いた。 俺は唇を重ねた。 赤く、濡れたように光るそこは、少し涙の味がした。 「あ……、んふ……」 彼女の吐息が洩れる。透き通るような声で、とてもかわいかった。 舌の先で彼女の唇に触れる。そこは閉じていたが、舌先で軽く二、三回ノックすると、遠慮がちに俺の舌を迎え入れた。 「ぅうんっ、あむ、あふ……。ふぁっ! あっ、んむぅ……」 求め合うようなディープキス。 山岸さんの舌は柔らかく、訪れた俺を優しく包み込むように動く。 俺は彼女の口内を全て舐め尽くすように、舌を転がす。前歯の内側を舐めあげると、彼女の身体がびくんと震えた。 「ん、ぷはぁ……」 口を離すと、混じりあった唾液が糸を引き、橋のように俺達の間に架かった。 「初架くん……」 頬を上気させ、潤んだ目で俺を見る彼女は、あり得ないほど色っぽかった。 このまま押し倒したくなる衝動をこらえ、俺は彼女をベッドに横たえる。そして言った。 「俺は、まだ山岸さんのことをよく知らないから、色々迷惑かけるかもしれない。それに、山岸さんがどう思ってるか分からないけど、俺はそんなにいい人間じゃない。……それでも、いい?」 「……私なんかで、いいの?」 彼女は真っ赤になった顔を背けながらも、小さな声で呟くように言った。 俺は返事の代わりにキスをした。 軽く、唇が触れあうだけのもの。だが彼女は泣きそうに顔を歪めて、微笑んだ。 「好きだ」 そう言って、俺は彼女に再びキスをする。 今度は山岸さんの方から舌を入れてきた。 「あうぅ……。うむ、ちゅぱ、ちゅっ……」 彼女の舌に自分の舌を絡ませながら、俺は唾液を流し込む。 「んん!? ん、こく、こく……ぷはぁ……」 彼女はそれに一瞬驚いたものの、すぐに眼を細め飲み干してくれた。 お礼のかわりに、俺は彼女の口を思いっきりすする。 「んん―――っ!? ん、んんんんんんううぅっっ!!」 彼女は身体をピクンと震わせた。どうやら軽くイッてしまったらしい。 俺は山岸さんの唾液を味わいながら、彼女の控えめな胸へと手を伸ばした。 「――んっ……!」 だが俺の手が触れたとたん、彼女は緊張に身体をすくませた。 その行動が示すものは、拒絶。 「あ……! ご、ごめん……。変だよね、私? 私、初架くんになら平気なはずなのに……」 そう言われて、思い出す。山岸さんがニクノカタマリに受けた、さまざまな仕打ちを。 おそらく彼女は、ニクノカタマリが原因で、異性に身体を触られることに対して恐怖を感じるようになってしまったんだろう。 「私のことは、気にしなくていいから……。初架くんの好きなようにして……」 彼女は目を強くつぶって、何かを耐えるように身を縮こまらせる。 俺は、そんな彼女をあやすように、彼女の頭に手を置き、目をつぶった。 ――次に目をあけると、そこはすでに山岸さんの世界の中だった。 俺は前回のことを思い出す。 あのとき、俺は立方体をした記憶には干渉できなかったが、球体をした常識を壊すことはできた。 今、彼女は他人に身体を触られることに対して恐怖を抱くようになってしまっている。 それは記憶によるトラウマが直接の原因だろう。だが、恐怖を抱くかどうかは、もはや記憶ではなく、「触られると怖い」という「常識」なのではないだろうか。 俺はそう考え彼女の接触に対するイメージを強く念じた。 足元にある球体が光った。ビンゴ。俺は、しゃがんでそれを拾い上げた。 《男に触れられることは怖い》 そこには、確かにそう刻まれていた。 これを壊すことも可能だ。だがそれでは、もしかしたら彼女は男に触られることに対してまったく抵抗のない、ある種痴漢され放題の身体になってしまうかもしれない。 壊すんじゃだめだ。書き換えないと。 俺はそう考え、ある文章を割り込ませるイメージで、球体に触れる手を強く意識した。すると、球体には新たな一文が浮き出てきた。 《但し、好きな人に触られる場合は除く》 思った通りだ。どうやら、俺は常識を破壊するだけでなく、干渉することもできるらしい。 これで、山岸さんは俺に触れられても平気なはずだ。彼女の、俺を好きだという言葉を信じれば、だが。 俺は現実世界に戻ろうとし、ふとあることを思いついた。そして再び球体に触れ、念じる。 そしてそこに念じた通りの文章が追加されたのを確認して、俺は目を閉じた。 ――目の前の山岸さんの身体に、今一度手を触れる。 今度は、彼女は拒まなかった。 「あっ……」 はじめは、服の上からの軽いタッチ。 なでるように、彼女の胸を触る。服越しに、ささやかだがはっきりとしたやわらかさを感じる。 「……ん、んぅ…………」 しばらく胸を撫で回していると、彼女から声が漏れ始めた。 顔を見ると、心なしか先ほどに比べて上気しているように見える。 それもそのはず。俺は先ほど、彼女の常識に次の一文を追加しておいたのだ。 《好きな人に性的に触られると、今までで一番気持ちよくなる》 これで、今彼女は自慰の時よりも、ニクノカタマリに触られていた時よりも、彼女は快感を感じているはずだ。 試しにそっと太ももに触れてみる。と、彼女は急いで膝を合わせた。 「は、恥ずかしいよ……」 そう言って顔を赤らめる彼女に、もう一度キスをする。 「あ…………」 そして、彼女の身体が弛緩した隙を狙って、手を両足の間に滑り込ませた。布越しに、指先に湿った感覚が伝わってきた。俺はそのまま、布越しに彼女の秘部を刺激する。 「ひゃあっ!? え、あ、待って……やんっ!」 軽く上下にさするだけで、彼女の身体は面白いように反応する。 「気持ちいい?」 「んんっ! ん、くふっ、うむうぅっ! あ、んん、ちょっと待って、ひゃんっ!」 「ねぇ、返事してよ」 「あ、あんっ! やだよ、言いたく、なひっ……! そ、そんなの、んああっ、恥ずかしい、からぁっ!」 「気持ちいいんでしょ? だって、ほら……」 俺は彼女に触れていた指を離し、見せ付けるようにかざす。俺の指は彼女の愛液で光っていた。 「……濡れてるよ?」 「やああぁぁ…………、やめてよぉ…………。恥ずかしいからぁ……」 顔を両手で覆ってイヤイヤをする彼女がかわいくて、俺は再び指をもぐりこませる。 「ふあああああぁっ!? やん、そんな、あぁっ! い、いきなりなんて……ひゃああんっ!」 さっきより力をこめながら、割れ目を上下にさする。パンティーをずらし、クリトリスを、包皮の上から軽くなでる。陰口から出る愛液を指ですくって、そのまま彼女の割れ目に差込み、軽く前後に動かす。くちゅくちゅという音がして、彼女の顔がますます赤くなった。 「音、聞こえる?」 「や、やだぁっ! あんっ、んっ、い、意地悪しないで……ああっ! だめぇっ! そこだめぇっ!」 彼女のあえぎ声のトーンが変わったところを、重点的に刺激してみる。アソコからあふれてくる愛液が、量を増した。 「んあっ! あっ、あっ、ああっ! あん、ふあぁっ! あああぁっ! いや、ああんっ! だめ、だめぇっ! んんんん――――――っっっ!!!」 ひときわ大きくびくびくと跳ねると、彼女はくったりとなった。 「……もしかして、イッちゃった?」 「ん…………聞か、ないで、よ…………」 息も絶え絶えといった風に、彼女は返事を顔を背けながら返事をした。 ものすごくかわいかった。 しばらくして、回復した山岸さんが、「今度は私がやってあげる」と言ってきた。俺は丁寧に辞退しようとしたが、半ば無理やりズボンを脱がされてしまった。さっきのことをちょっと根に持っているみたいだった。 そして現在、彼女は俺のナニを目の前にして、目を丸くしていた。 「あ……、これが、初架くんの……。おおきいね……」 そういいながら、山岸さんの細くしなやかな指が、俺の息子を触った。 ひんやりとした優しい刺激に、俺はピクリと震える。 「あ……。い、痛かった?」 「いや……、むしろ、逆。めちゃくちゃ気持ちいい」 嘘じゃない。 山岸さんが俺のに触っているという状況だけで、これまでにないほど気持ちが昂ぶっているのがわかる。気を抜いたら、このまま彼女を押し倒してしまいそうだ。 「ん、よかった……。それじゃ、続けるね……」 彼女は安心したように言うと、再び俺の肉棒と向き合った。指を一本ずつ絡めていくようにして、丁寧に俺のソレを握る。 「あ、ぴくぴくしてる……。ふふ、なんだかかわいいな……」 「そ、そう?」 男の俺からしてみれば信じられない感想だが、彼女は微笑む。 「うん……。初架くんのだって思うと、なんだか愛おしくて……。あは、手の中で震えてるよ……?」 彼女の言う通り、俺の息子は彼女の手の中でしきりに自己を主張しようといきり立っている。 「……それじゃ、いくね?」 そう言うと彼女は舌を出し、俺のをちろりと舐めた。 「うくっ……!」 今度は俺の身体が震える。 山岸さんの舌先が俺の亀頭に触れた瞬間、電気が走ったみたいな快感が俺を襲った。 彼女はそんな俺の反応にうれしそうに目を細めると、今度は俺の茎に舌を這わす。 「うああっ……!」 声が漏れるのを抑えられない。 彼女の舌が動くたびに、快感の波が俺を襲う。 「れろ、れろ、ちゅる、ぺろ……ふふ、ねえ、気持ちいい?」 そう言って上目遣いにこちらを見る彼女は、先ほど快感に喘いでいた人とは別人のようだ。明らかに、俺を感じさせることを楽しんでいる様子が伺える。ちょっと怖い。 「や、やまぎしさん、だよね……っ!? だ、大丈夫?」 「なにが? 一応言っておくけど、私、さっきのことを根に持ってなんかないからね…………ちゅううぅぅ――っ!」 「…………っっ!!」 思いっきり亀頭を吸われ、一瞬呼吸ができなくなる。 あまりの快感に目の前がチカチかする。 というか、山岸さん、やっぱり根に持ってるんだ。そりゃ確かに俺も少しははしゃいじゃったけど、それはあまりに山岸さんがかわいくって……て。 「ちょ、ちょっとストップ!」 「れろ、じゅぷ、じゅるるるるる………? ぷは、なに?」 楽しそうにフェラを続けている彼女に向かって、慌てて声をかける。彼女は不思議そうに、俺のナニをすする動きをやめた。 「あのさ、そろそろそのくらいで……。あんまりやられると、出ちゃうし……」 快感に震えだしそうな腰を懸命に制止しながら俺がそう言うと、彼女はにっこり微笑んだ。 「大丈夫……。私、初架くんのなら平気だから……。……れろ、じゅぷ、ちゅるる、はむ、ずずず……」 「いや、大丈夫って……! う、うあっ! それ、ほんとに駄目だから! ちょっと待って……っ!」 「じゅぷ、じゅぷ、らっへ、はひゅはふんらっへ、やめふぇふえなふぁっふぁえふぉ? じゅぷ、じゅるるるる……」 「いや、なっ……! に、言って、るか全然……っ! ちょ、ほんとにまずいって……!」 「ん……いいよ、らひへ……ちゅううぅぅっ! じゅるるる――!」 「う……く、あああっ!!」 俺は悲鳴とともに、射精した。 山岸さんは射精の瞬間、俺のを大きく口にくわえ込んだ。 「ん、んん―――――――っっ!!」 俺の先端から出た白濁液が、脈動に合わせて何度も彼女の喉を叩いているのがわかる。 苦しいだろうに、彼女は俺のナニから口を離さない。 ひとしきり痙攣が収まったところで、俺は彼女の口から自分自身を引き抜いた。 「ご、ごめん。口の中に出しちゃった……。待ってて、すぐティッシュ持ってくるから……」 謝り、俺は枕元にあるティッシュ箱から数枚ティッシュを抜き取る。 「んん、ん…………こく、こく……」 「はい、ティッシュ。……て、ええ!? ちょ、ちょっとなにしてんの山岸さん!?」 振り返ると、山岸さんは俺の精液を嚥下していた。 「こく、んく……。はぁ、たくさん出たね……」 「な、なに飲んでんの!?」 「え……? は、初架くんの……、せ、精液……」 「いや、そんなことを聞いてるんじゃなくて! しかも自分から言っといて顔を赤らめないで!」 悲鳴みたいな声を上げて混乱する俺に対し、山岸さんは優しく微笑んだ。 「大丈夫だよ……。私、初架くんのなら……」 そう言って唇を舐める彼女は、とてもかわいいのに、とても扇情的で。 俺は、思わず彼女をベッドに押し倒した。 彼女に覆いかぶさり、その唇を貪るように吸う。ちょっと苦かったけど気にしない。 「ちゅく……、あん、ちょっと、いきなり……んあんっ!?」 余裕を漂わせていた彼女だったが、俺が陰部をなで上げると途端に甘い声を漏らした。 「あ、ま、待って!」 このまま一気に攻めて主導権を取り戻そうとしていた俺に、制止がかかった。声だけでなく手も加わっての拒絶だったため、何事かと思って山岸さんを見る。 彼女は顔を伏せ、今までで一番恥ずかしそうに口を開いた。 「あ、あのね? …………わ、私、実は………………………………初めてなの」 「………………え?」 耳を疑う俺。え、嘘。自分の耳が信じられない。 「だ、だって、あいつに……」 「ち、違うよ! 私、あの男になんか犯されてないよ!」 山岸さんは俺の言葉を否定するように叫ぶ。その後すぐに自分の言っていることに気づいたのだろう、彼女は耳まで真っ赤になる。 というか、ほんとか、それ。 「ど、どういうこと?」 「えっと、ね…………。私があいつに初架くんを殺すよう言われたのは、話したよね? そのときに、『初架くんを殺してきたら、君の処女をもらってあげるよ』って言われて…………。だ、だから! フェラとかはさせられたけど、私、まだ…………」 「………………」 俺はしばし呆然としていた。 なんだ、この、奇跡。 あのニクノカタマリの曲がりきった性根に感謝しようとして、そもそもあいつが全ての原因だったことを思い出し、やめる。 しかし、なあ。 この状況を全力で喜んだ上であえて言わせてもらうなら、ニクノカタマリは馬鹿だ。 最高の馬鹿だ。 「だ、だから………………優しくして、ね?」 上気した頬、潤んだ目、上目遣い。この三拍子そろった攻撃を耐えられる奴がいたとしたら、そいつは間違いなく不能だ。 だが、男たるものリクエストには応えなければならない。それが好きな女の子からのものなら、なおさらだ。 彼女の服を優しく脱がし、俺も残りの服を脱ぐ。 二人とも全裸になった状態で、俺は優しく彼女をベッドに横たえる。 彼女の裸は、美しかった。 「ね、ねえ。……創くんって、呼んでいい?」 彼女はベッドに寝た状態で、緊張を紛らわすためかそう言ってきた。もちろん、いやなはずがない。 「いいよ。……俺も、朋美さんって呼んでも、いいかな?」 「あ……うん。そ、それじゃ…………創くん」 「朋美さん……」 お互いに名前を呼びながら、抱き合った。耳に彼女の吐息が当たって、たまらなく気分が高まる。 それは彼女も同じらしく、目をとろんとさせながら、俺の唇を求めてきた。 ちゅ……と、お互いの唇が軽く音を立てた。 俺は、彼女を抱きしめると、彼女の口の中に、自分の人差し指と中指を差し入れる。 「辛かったら、噛んで。そっちのほうが、少し痛みも和らぐと思うから」 「う、うん…………」 彼女が頷くのを確認して、 「…………行くよ」 「うん…………。来て…………」 俺は、腰を突き出した。 ずぶずぶと、彼女の中に俺が埋まっていく。 愛液ですべりは良くなっているが、未だ狭い道を無理やりこじ開けて通る。 彼女の身体が小刻みに震えるのが分かる。 途中、俺の先が何かに触れた。 目で合図をする。彼女が頷いたのを見て、俺はそれを突き破った。 「――――――――――――っ!!!」 彼女が、身体中を強張らせる。 彼女の中が、強く収縮する。 差し入れた指に、強い痛みを感じた。 まるで指を食いちぎられるかような、鋭い痛み。 これが、彼女の痛みだ。 俺はそのまま突き進み、彼女の最深部に到着する。 彼女の顔を見た。 彼女は、涙を浮かべていた。 「やっぱり、痛かった……?」 そう聞くと、彼女は首をふるふると横に振った。 「確かに、痛かったけど……。でも、それ以上に嬉しくて…………。私、やっと創くんのものになれたんだなぁ……って……」 彼女は言っている最中もぽろぽろと涙をこぼす。 俺は、そんな彼女の涙を舐めてみた。 しょっぱくて。でも、どこか甘くて。 俺が生まれてから今までに口にしたものの中で、一番に心を揺さぶる味だった。 俺は、この味を、一生忘れないだろう。 俺と彼女は、彼女が落ち着くまで、しばらく抱き合ったままの姿勢でいた。 そうしている間も、彼女の中は俺を締め付けてくるため、とても気持ちがいい。 「ねえ……、動いても、いいよ……?」 それからしばらくして、泣き止んだ彼女が、そう言ってきた。 「え……でも、まだ痛いんじゃ……」 「う、うん。でも、創くんに気持ちよくなって欲しいから……」 健気なことを言う彼女に、俺はちょっと感動してしまう。 だが、ここで俺が欲望に任せて動いてしまったら、彼女は痛い思いをするだけだろう。それは、嫌だ。 そう思いながら、俺は何とはなしに彼女の控えめな胸に手を触れる。 「……んっ!」 「うわっ!?」 彼女が身体を震わせるのと同時に、俺をきつく締め付けてきた。 ……もしかして、感じているのか? 俺は試しに、今度は丁寧に彼女の胸を揉む。 「ん……っ! あ、うぅんっ! はふ、ふ、ふううん……っ!」 彼女は、喘ぎ声を上げ始める。 間違いない。 そういえば、俺は彼女の常識として、好きな人に触られたときは快感を覚えるように書き込んでいたことを思い出す。 これなら、彼女を気持ちよくさせることも可能かもしれない。 そう思って、俺は本格的に愛撫を開始する。 胸を揉みながら、舌で乳首の周りを軽くさするように舐める。時々乳首をついばむように咥えたり、舌で転がしたりする。 「んあっ、んっ、んああっ! あ、そこっ! あ、あんっ!! うく、ん、ああああぁっ!!」 だんだんと激しくなっていく彼女の反応を見ながら、俺は胸から股間へと手を滑らせる。 触れたそこからは、ぬる……という感覚がした。 破瓜の血だけではない。そこは確かに、愛液で濡れていた。 「……朋美さん、動くよ」 「え……んああっ!? あ、あああぁっ! んくぅ、はふっ、ふあああぁっ!!」 俺が腰を動かすと、彼女の喘ぎ声が大きくなる。その中には苦痛の声も含まれてはいたが、間違いなく彼女も快楽を感じていた。 「んあ、ああっ! は、創くんんっ! き、気持ちいいよぉっ! 私、初めてなのに、気持ちよくなってるうぅっ!!」 「うく……! 朋美さんの中、どんどん締まって……っ!」 俺は、快感を堪えながら、だんだんと往復のスピードを上げる。 そのスピードに合わせて、彼女の喘ぎ声のトーンも上がっていった。 「ひゃああぁっ! な、なにこれぇっ!? あ、ああんっ! う、嘘っ! わ、私、こんなのっ! あはぁっ! は、初めてなのにぃっ!! あ、ああああっ!!」 彼女の中は、彼女の喘ぎ声のトーンに応じてどんどんきつくなっていき、それにつられて、俺の射精衝動も高まっていく。 そしてついに、俺の限界が近づいてきた。 「朋美さん……っ! 俺、もうすぐ、イキそう……っ!」 「ああっ! は、創くんっ、お願いぃぃぃっ!! 朋美って、朋美って呼んでぇぇぇっ!!」 「……っ!! 朋美、ともみぃっ…………! 俺、もう……っ!」 「私も、もうイッちゃうぅっ! イッちゃうよおぉっ! 創くん、はじめくぅんっっ!」 「う、ああああああああぁぁぁぁっっっ!!!」 俺は彼女からの刺激に耐え切れずに、彼女の中にありったけの精を放った。 どくん、どくんという脈動とともに、精液が彼女の中に流れ込んでいくのがわかる。 「あ、ああああああああぁぁぁぁぁっ!! んんんんんんんんん―――――――っっっ!!」 彼女も俺の射精が刺激になったのか、大きく身体を痙攣させる。 そしてそのまま何回か大きく身体を震わせた後、糸が切れたようにくったりとなってしまった。 「お、おい!? だ、大丈夫!?」 「……………………はあ……、はあ……、はあ……、はあ…………。私、す、凄い気持ちよかった…………。創くん、好き…………」 焦って声をかける俺に対し、息も絶え絶えといった風の朋美はそう言って、柔らかに微笑んだ。 彼女は、最高の女性だった。 ホテルの終了時間までは、まだ少し時間があった。 俺は、先ほどのエッチで体力を使い果たしてしまった朋美を、終了時間まで寝かせてあげることにした。 俺に腕枕をされ、幸せそうに眠る朋美の顔を眺めながら、俺は彼女の頭に手を伸ばす。 彼女の精神に、三度侵入するために。 ――世界は、暖かい光に満ちていた。 好きな人と結ばれた幸福が、春の日差しのように降り注いでいる。 俺はその中で、朋美がニクノカタマリに遭遇した時の記憶を探す。 光を発したそれは、最初の侵入時には黄色だったのが、今は真っ黒に変色していた。 成る程、立方体の色は、その記憶に対しての感情を示すらしい。黄色は幸福、黒はトラウマというように。 俺は、朋美が思い出したくないと無意識に思っているそれを、力の限り蹴飛ばす。だがそれは相変わらず固く、少しも壊れる気配がない。 俺は構わず蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る蹴る。 ありったけの憎しみを込めて。 それでも壊れない立方体を最後に思いっきり踏みつけて、俺は自分の頭を力を込めて掴む。 爪がこめかみに食い込んで、流れ出た血が頬を伝った。 待ってろ、降田義郎。 朋美を弄んだ罪を、思い知らせてやる。 初架がニクノカタマリに遭遇した、翌日。 そのニクノカタマリこと降田は、朝から不機嫌なまま大学の構内を歩いていた。 (畜生……! せっかく手に入れた朋美が死んじゃうなんて、昨日は最悪の一日だ……まだ処女を奪ってなかったんだぞ! おまけに、あのクズに指まで折られるなんて!) その左手は、白いギプスで固められている。 あの後、降田は篠崎に連れられて病院に行き、その後は苛立ち紛れに朝まで篠崎を抱いて過ごした。 四、五回は出しただろうか、そのおかげでだいぶ落ち着きはしたものの、彼の目の下にはくっきりとした隈があり、目は真っ赤に充血している。もとから異常な姿ではあったが、今日はそれに輪をかけて人外の形相だった。 (くそ、しょうがない。朋美の替わりの新しい獲物でも探しておくか……) そう思いながら辺りを見回した降田の目に、彼にとっては信じられない人間の姿が映った。 (……!? と、朋美?) そう。それは、昨日死んだはずの山岸朋美だった。 (ど、どういうことだ? あいつはどこまで命令を遂行した?) 初架は殺したのか? 死体は? 証拠は処分したのか? なぜあいつは死んでない? そういったものがぐるぐると巡り、降田の頭は一瞬でパニックになる。 その間に、山岸は校舎の角を曲がり、降田の視界から消える。 (……っ!? くそ、考えるのは後だ!) 降田は巨体を懸命に動かして、山岸の後を追った。 山岸は尾行に気が付く様子もなく、迷いなく歩を進めていく。人気のないところに向かっているのだが、頭が回っていない降田はそのことにも気が付かない。 いくつめかの角を曲がった山岸に続くようにして、降田も続いて角を曲がろうとした。 瞬間。 死角から、手が伸びてきた。 「――!?」 抵抗する間も、どころか何が起きたかさえ認識する間もなく、その手が降田の頭に触れる。 そして、降田の意識は暗転した。 俺っていう人間は、大切なもののためならどこまでも残酷になれるらしい。 そんなことを思いながら、俺は今しがた精神を弄くり終えたニクノカタマリの頭部から手を離した。 ちなみに、朋美は既に家に帰している。 これからすることを、見られないために。 ニクノカタマリは少しの間ぼおっとしていたが、すぐに目を開けた。俺を見て、自分がどういう状況にあるかを悟ったらしい。がたがたと、みっともなく震えている。 「さて。気分はどうだ? 答えろ」 「最、悪、だ……」 「そうだろうな。今、お前を次のように変えた。 俺の命令には、絶対に逆らえない。 俺の命令に従うことは、とてつもない屈辱だ。 痛覚が通常の一万倍になる。 俺の許可なしには、悲鳴や大声をあげることはできない。 俺の許可なしには、気絶することも狂うこともできない。 俺が行ったことについて他の存在に伝えることはできない。 俺に支配されていることを悟られないよう行動しなければならない。 死ぬことに対して、これまで以上に遥かに恐怖を感じる。 まあ、ざっとこんな感じだ。俺がいいと言うまで喋るな。座れ」 「…………」 ニクノカタマリは座る。その顔は、俺に対する憎悪に満ちている。命令に従うことに屈辱を覚える、という常識がそうさせているのか、それとももともとの感情なのかはわからないが。 「土下座をしろ」 「…………っ!」 ニクノカタマリは、俺に言われた通りに地面に頭をこすりつける。 「そのまま地面を舐めろ」 俺の言うことにいちいち馬鹿みたいに従うニクノカタマリ。 始末する前に、俺は少し気になったことを聞いてみることにする。 「確かお前、最初のときに自分を『クリエイター』とか名乗ってたよな? ありゃどういう意味だ? 話せ」 「そ、それは、僕の……」 「自分のことは、豚と呼べ」 「……!? ……くっ……。ぶ、豚の能力が、『新しい人格を相手の中に作り上げる』ことだったからだ……」 「へぇ。それにしては、やたらと陳腐な壁だったなあ?」 「!? ま、まさか、そんな……!」 「黙れ。……まあ、お前の能力なんかじゃ『クリエイター』なんて、とてもじゃないが名乗れないな。もとあった人格の上に貼り付けることしかできないなんて、三流もいいところだ。せいぜいが、名乗れて『プリンター』ってところだろ?」 好き放題にニクノカタマリを罵る。だが、気分は晴れない。こんな奴に山岸さんが操られていたのかと思うと、どうしようもなく怒りがこみ上げてくる。 「おい、そこの電柱を思いっきり左手で殴れ」 「…………」 「返事」 「……わ、かった……」 ニクノカタマリは電柱に近づこうと、一歩足を踏み出す。俺はその脚を引っ掛けた。ニクノカタマリは醜く一声鳴いて地面に倒れた。 「………!」 途端、無数の針で身体中を貫かれるような痛みが、地面に触れた部分からニクノカタマリを襲う。 「おい、早くしろ」 「わ、わか…っ……た、から……」 余りの痛みに立つことすらできず、だが命令を遂行するためにニクノカタマリは這いつくばって移動する。その度に身体中を駆け抜ける、想像を越えた激痛。 自分の皮膚がアスファルトに削りとられているようにでも感じているだろうに、よくあんなに動けるもんだ。 悶えながらも、ニクノカタマリはやっと電柱までたどり着いた。 あらんかぎりの力を込め、殴り付ける。 ギプスが砕け、ついでに手の骨も砕けた。 「が、がぁ……!」 通常でも激痛。それを更に一万倍にした、到底他者には伝えることなどできない痛みが、粉砕した左手から絶え間なくニクノカタマリを苛む。普通ならとっくに気が狂うかショック死するはずだが、俺の操作がそれを許さない。 ニクノカタマリには言わなかったが、俺は実はニクノカタマリの肉体保護のために掛かっているリミッターも取り払っていた。 人間の身体というものは本来、その力の三割しか使っていない、というのは有名なことだ。 だから、リミッターが外れた状態ならば、一撃に限り強大な力を出すことができる。先程ニクノカタマリが殴った電柱にも、大きなヒビが入っていた。 もっとも、その代償として、その部位は完膚なきまでに破壊されるのだが。 それにしても、あんなに転げまわったらますます痛くなるだろうに。馬鹿なやつだ。 「目障りだ、動くな。そして左腕を地面に叩きつけろ」 「…………っ!」 返事をするより先に、ニクノカタマリの身体が動いた。 既に手が砕けている左腕を高く掲げ、思いっきり地面に叩きつける。 鈍い、ぐしゃりという音。 実にあっけなく、だが爽快な音だった。 「まあ、薄々感づいてるとは思うが、お前には死んでもらう」 自ら骨を折り、その痛みに悶え、転げ回るニクノカタマリに、俺は努めて平然と声をかける。 「ひ……! い、いやだ、死にたくない……! お願いだ、助け……!」 「黙れ」 「…………!」 「お前の家にも、包丁くらいあるだろ? その包丁で、ここ――肝臓を突き刺せ」 人間の急所と言えば、誰もが頭部や心臓を想像するだろう。 だが単純に「殺す」ことだけを考えれば、頭蓋骨に囲まれた脳や、肋骨に守られた心臓よりも狙いやすいのが肝臓なのだ。 肝臓は平均で一キロ強もある、体内でも最大の器官であり、その内部には無数の毛細血管が走っている。よってここを切られると、出血多量により確実に死ぬ。更に特筆すべきことは、仮に医療機関に連絡がいったとしても、出血の方が早いために救急車がくるまでに絶命するということだ。 蛇足だが、オニイチャン達の必殺技ヤクザアタックも、ここを狙うような仕組みになっている。やらかしたときや足を洗うときに左小指をツメルのも、必殺技の際にドスを握るのに不自由するからだという話である。 そして、この方法の一番の利点が、即死をしないということ。 苦しみながら、死の恐怖におびえながら、死ぬ。 俺によって恐怖感を倍増されている状態での死を待つ時間は、どれほどのものなんだろうか。 「ああ、死ぬ前に篠崎さんに連絡して、俺のところに来るように言え。後処理くらいはやってやるよ」 「ひ、いい…………!」 「礼を言え」 「わ、かった……、ありが、とう……っ!」 「ああそれと、死ぬ前に俺や彼女たちに関係するものは全て処分しろ。パソコンのデータや日記だけじゃなく、部屋の掃除もしろ。俺たちに迷惑をかけるな」 「わ、わかった……」 「よし。じゃあ、今俺の言ったことを必ず遂行しろ。黙って帰れ」 「……う、う……」 激痛をこらえているのだろう、ニクノカタマリはよろよろと歩きながら俺に背を向け、歩き出す。 もしもお前が彼女たちのもともとの人格を残していたなら、俺はここまで痛めつけなかったかもしれない。 お前が彼女たちに求めたのは、「女」という記号でしかない。 お前は彼女たちがどんな人間か、どんな表情をするのか考えたことなんてなかった。 お前がやったことは、ただの肉人形を作っただけのことだ。 だから、果てしなく残酷なんだよ。 俺は、遠ざかっていくニクノカタマリの後姿を見ながら、そう心の中で言った。 いつもと変わらないはずの授業風景。 でも、いつもと違うことがあった。 それは、俺の隣。いつもなら、秦が座っているはずの席。 そこには、めでたく付き合うことになった朋美が座っていた。 つまり、至福の時間というわけだ。 「…………ふふ」 朋美も同じことを考えたらしい。小さく微笑むと、俺の肩に頭を乗せてきた。 「………………お幸せなこって」 朋美に居場所をとられたので後ろに追いやられた秦が、わざとこちらに聞こえるように、ぼそりと呟く。 だが、そんなもんじゃ俺たちのラブラブムードは壊れない。むしろもっと冷やかしてって感じ。 「…………いや、まあ、これは確かにめでたい事だよな? 事実、俺も二人の仲を応援してはいたわけだし。…………でも、この胸のそこから湧き上がるドス黒い感情は一体なんなんだ……?」 なにやら秦がぼそぼそ呟いていたが、気にしない。 世界には、俺と朋美がいれば十分だ。 そう思いながら、朋美と微笑を交わす。 「……そうか、もしかしてこれは、散々応援してきた俺に対する邪険な扱いへの怒りか? それとも、初架だけに彼女ができたことへの無意識の嫉妬か? 両方か? オラオラか? ……おい、答えろや」 「いてっ!」 いきなり頭を小突かれた。 「人がお前らのことで悩んでんだから、少しは返事をしろ、このバカップル♂(オス)」 「失礼なこと言うな。お前こそ、花京院とレースでもしてろ」 「俺はゲーマーじゃねぇよ」 「俺もアトゥム神じゃない」 「あの……二人とも、静かに……」 いつの間にか、周りの学生たちの視線を集めてしまっていた。周りのひそひそ声が痛い(「うわぁ、三角関係って奴?」「つか、山岸さんがあいつらと……泣」「いや、そこはあえて初架君を二人で取り合ってるとか!」「うわあ……どっちが受けで、どっち攻め!?」「腐ってる連中は黙っとけよ」「それにしても、密着度高いなオイ」……etc)。 これ以上注目を集めるのも嫌なので、俺はなおも続く秦の愚痴をスルーして、朋美とのふれあいを楽しむことにする。 結局、俺たちは授業が終了するまで、後ろの秦からの呪詛を聞き流し続けながら、くっついていたのだった。 「あー、もうコンチクショウ! お前ら、付き合い始めたからって冷たいぞ! もー知らねぇ。俺は知らねぇ。勝手に結婚でも何でもしてろ! 結婚式には呼ぶなよこのやろう! そんなにイチャイチャ見せたいんだったら鏡でも見てろ! そのラブラブオーラに俺を巻き込むんじゃねぇー!!」 講義終了後。 そう言って暴れる秦を、俺と朋美は二人してなだめる。 先ほどの間中シカトをしたせいで、本格的にへそを曲げてしまったらしい。周りに聞かれたら(主に俺と朋美が)恥ずかしいことを大声でわめくため、何とかして黙らせたいのだが、全然こっちの話を聞いてくれない。 「ねえ、一体なんの話をしてんのよ」 と、この騒ぎを聞きつけたのか、布禄さんがどこからともなくやってきた。 「あ、布禄さん、ちょうどいいところに。さっきからこいつうるさくてさ、なんとかしてくれない?」 「ん、わかった」 言うなり、布禄さんは秦の頭を思いっきり平手で叩いた。 「うがっ!?」 秦はそう言って、膝から地面に崩れ落ちた。 うわあ……。 通常の女子の平手打ちなら「パァン!」とかいう効果音が適切だろうが、今の音は「バキィッ!」だった。音からして威力が違う。叩かれた瞬間、秦の首が変な風に曲がったようにも見えたし。 怖え……。 布禄さんは、崩れ落ちる秦には目も留めず、こちらを見る。そして、俺のそばにいる朋美を見て首をかしげた。 「ええと、……あなたは?」 「あ、私は……」 と、朋美が答えようとする。 「こいつの彼女だあぁっ!」 だがその前に、秦が復活して、俺を指差して叫んだ。 回復力が半端ない。 耐性でもついているのかもしれなかった。 「え……? お二人、付き合ってたの…………?」 びっくりした表情でそう言う布禄さんに対し、秦はわが意を得たりとばかりにまくし立てる。 「そうそう、聞いてくれよ! これが昨日成立のバカップルだこんちくしょう!」 「バ、バカップルって……」 俺がこのときもう少しだけ注意深かったら、布禄さんのショックを受けたような表情を見逃さなかっただろう。 そして、いくらかでもましな対応をすることもできたかもしれない。 だが、そのとき俺は気恥ずかしさから、まともに布禄さんの顔を見られなかった。 「……あ……そう……」 そのせいで、俺はそう返事をした布禄さんの目が冷たく光るのを、見落としてしまった。 それが、新たな火種を知らせるものだということもわからずに。
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