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【社会】

アインシュタイン博士 日本人少女“熱愛” 『養女にしたい』実現はせず

2010年8月13日 13時50分

船上で4歳の恭子さんをひざに乗せるアインシュタイン博士(手前)、エルザ夫人(後方右)、恭子さんの母ていさん(同左)=渡辺峰道さん提供

写真

 相対性理論で知られるアインシュタイン博士(一八七九〜一九五五年)が、一九二二年に一度だけ来日した際に出会った四歳の日本人少女について、「養女にしたい」と両親に申し入れていたことが分かった。両親の反対で実現はしなかったが、博士が少女と撮った写真が残っており、天才学者の私生活の一面を知る貴重な資料となりそうだ。(井上幸一)

 写真は、東京都葛飾区の会社員渡辺峰道(みねみち)さん(60)が所有。少女は渡辺さんの母恭子(やすこ)さんで、九〇年に七十二歳で亡くなった。

 恭子さんの父知雄さんは元外務官僚で、当時はインド領事。欧州航路の「北野丸」(日本郵船)で英領セイロン(現スリランカ)から一家で帰国の途に就いた際、先にフランスから乗船して講演旅行で日本に向かっていた博士夫妻と知り合い、二十日ほど船上で過ごした。博士は恭子さんらとゲームなどを楽しんだという。

 知雄さんがデッキで撮ったとみられる写真には、博士のひざの上で恭子さんがほほ笑み、博士の妻エルザさん、恭子さんの母ていさんも一緒に写っている。

 戦後、静岡県で家庭を持った恭子さんがたんすにしまっていたが、死後は次男の峰道さんが保管していた。

 ほかに峰道さんは、アルゼンチンで二五年に撮影された博士の四十代の肖像写真も所有。船で出会って四年後の二六年に博士から恭子さんに郵送された一枚で、写真の下には「愛するかわいい恭子ちゃんに 北野丸での一緒の思い出に」とドイツ語で一筆添えられている。

 峰道さんによると、養女に迎えたいと博士から申し込まれたことについて、恭子さんは「大騒ぎになったが両親は丁寧にお断りした」と話したという。

 恭子さんは十六歳だった三四年、知雄さんの赴任先のキューバで博士と再会した。養子縁組を持ち掛けられた時期について、峰道さんは「母から聞いておらず、キューバでの再会前か後か分からない」としている。

 博士は離婚した先妻との間に二人の男児をもうけ、再婚したエルザ夫人は既に二人の女児の母親だった。

 この夏、峰道さんは東海大(神奈川県平塚市)で開いたアインシュタイン関連の催しで、一連の写真の公開に踏み切った。「私も六十歳。今明かさなければ、事実が存在しないことになる」と話している。

◆欧米では一般的

 アインシュタイン研究の第一人者、金子務・大阪府立大名誉教授の話 博士が養子を迎えようとした話はまったく表に出ていなかった。欧米では養子縁組が日本よりも一般的なので、十分あり得る話だ。当時は船旅をする子どもは珍しく、かわいく思ったのだろう。

(東京新聞)

 

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