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武蔵川理事長が辞任 後任は放駒理事

会見に臨む放駒新理事長(中)。左は出羽海理事
会見に臨む放駒新理事長(中)。左は出羽海理事
Photo By スポニチ

 日本相撲協会は12日午後の臨時理事会で武蔵川前理事長(62=元横綱・三重ノ海)の辞任を承認し、第11代となる後任に巡業部長を務める放駒理事(62=元大関・魁傑)を選んだ。武蔵川前理事長は健康面の不安と野球賭博問題など一連の不祥事の責任を取って、午前の臨時理事会で辞意を表明した。後任には外部からの起用を求める声もあったが、力士出身者で決着した。

 午後の臨時理事会後の会見で、放駒新理事長は「私自身まだ戸惑っている」と複雑な表情を見せながらも「難局なので、しっかりと相撲協会の道筋をつけていきたい。改革というより、現状でたくさんの問題があるので、一つ一つきちんと“解決”していきたい」と所信表明。現役時代のしこ名・魁傑になぞらえるよう意気込みを口にした。

 弟子の野球賭博関与で名古屋場所を謹慎した武蔵川前理事長は、文科省など外部の圧力もあって、一連の不祥事の責任を取って辞任する意向を持っていた。5日にいったんは職務復帰したものの、謹慎中に胃がんの手術を受けた影響で体調が思わしくないこともあり、この日午前の臨時理事会で「医者から無理をしないようにと言われている」と辞意を表明。後任には「一番真っすぐに取り組んでいる」と放駒理事を推薦した。だが、放駒理事は態度を保留し後任の人選は午後の理事会に持ち越しとなった。

 関係者によると、午後の理事会の冒頭で、一部理事が北の湖理事(元横綱)を推薦した。放駒理事は依然として消極的だったが、村山弘義外部理事(元東京高検検事長)が「文科省はクリーンな人がいいと言っている」とバックアップ。他の理事からも後押しがあったため最後は「分かりました」と出馬を決断した。

 時津風理事(元大関・豊山)と北の湖理事の決選投票だった00年以来10年ぶりに理事(12人)による無記名投票に持ち込まれた結果、放駒理事が8票を集め、4票の北の湖理事を下した。外部からの起用を求める声もあったが、結局「まわし組」が理事長のポストを守る形で落ち着いた。

 放駒新理事長は13日、相撲協会の職員を集めて訓示を述べるという。監督官庁である文科省の幹部は「誰がトップであろうと改革を着実に実行してほしい」と話している。外部からの圧力を受けながらの船出は、想像以上に険しいものになりそうだ。

 ◆放駒 輝門(はなれごま・てるゆき)1948年(昭23)2月16日、山口県出身の62歳。本名・西森輝門、元大関・魁傑。日大を1年で中退して角界入りするまでは柔道部。66年秋場所初土俵。75年初場所後に大関昇進。通算成績は528勝410敗。幕内優勝2回。三賞は技能賞1回、殊勲賞2回、敢闘賞7回。79年初場所で引退し、年寄「放駒」を襲名。81年に放駒部屋を興し、横綱大乃国らを育てた。06年2月から審判部長、10年2月から巡業部長。

 ◆放駒理事長一問一答

 ――再生に向けた方針は?

 「こういう問題に関しては全くの素人です。ですから、ここにおられる先生方のアドバイスをお聞きして解決に向けていい方向を模索していきたい」

 ――武蔵川前理事長の辞任の理由に不祥事は関係していたのか?

 「言及はなかったが、そういう気持ちはあったんじゃないかと理解している」

 ――外部からの理事長を求める声もあったが?

 「それは新聞紙上でしか分からない。(文科省に)確認させていただきましたが、絶対ではなかった。私でも良ければと思って引き受けました。正直、迷いました」

 ――迷いがあったと言いましたが?

 「私にできるのかと、自信がない思いもありました。今起こっている問題を解決し、今後2度と起こらないようにしていきたい」

 ――外部から副理事長などの新ポストを置く意思は?

 「村山代行時代にやっていただいたことが、内部の私たちではできなかった行動だ。感謝している。あるとしたら今後理事会で諮っていきたい」

Yahoo!ブックマークに登録 [ 2010年08月13日 ]

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